「……おつかれさま」
燃え尽きたかのように意識を手放したレーベンの体を抱きとめながら、シスネは彼の耳元で囁いた。ぐったりと凭れてくる体には何の力も入ってはいなくて、それでも軽くなったようにすら感じる。近くの木陰に寝かせ、弱々しい呼吸と脈を確かめた後でその場を離れた。
一度だけ目を閉じ、顔を上げてから空を見上げる。憎たらしいほど青い空に目を細め、そうしてやっと、シスネは彼女の方を向く。
「お待たせしました」
『ごめん、ごめんなさい……』
成立しない会話。当然だ、彼女はもう魔女となったのだから。
赤い血と黒い泥に塗れた、灰色の改造装束。濡れて豊麗な肢体に張り付くそれはひどく煽情的で、だがその両脚だけは何処にも無い。代わりのように背中から長く突き出た四本の骨翼で躰を支える姿は、まるで蜘蛛のようだった。
しゃらりと音を立てるいくつかの腕輪。全ての指に銀輪をはめた両手が何かを探すように草花の中を彷徨い、掴み上げたそれは長大な狙撃銃。今は所々が泥に塗れ、得体の知れない何かと化した魔銃。
ずるりと銃を構えた魔女が顔を上げる。陽光に煌く黄金の髪、両目を泥に塞がれ、それでもなお美しい顔。悲嘆に暮れる唇は、今また斃れた自身の騎士の死を嘆いているかのようだった。
『ごめんなさい、ライアー……』
聖女カーリヤ。その成れの果ての破戒魔女と、シスネはひとり対峙した。
それは客観的に、冷静に判断すれば、まるで意味のない戦いだ。
レーベンが全力を以て狩った騎士も、所詮は魔女の一部のようなものでしかない。本体である魔女はまったくの無傷であり、それを前に彼は力尽きてしまった。残されたのは聖女が一人だけ。本来の在り方であれば騎士を連れて撤退、もしくは騎士を介錯した後に自決、そんな状況。つまり、シスネ達はもう負けたのだ。
しかも、相手はただの魔女ではない。魔女化した聖女――破戒魔女。最も恐ろしく、最も強力だとされる魔女。それを聖女ひとりで狩ろうとするなど、無謀を通り越して沙汰の外。
そして何よりも、戦う必要が無い。
魔女の躰は既に血に塗れ、弱々しく地面を這いずっている。脚代わりとなっていた騎士は既に狩られ、空を舞う為の翼も折れてしまった。魔女化から既に数日が経過し、聖性による自壊現象はその力も命も大幅に削り取っているだろう。あと一日、いや半日と持ちはすまい。
遠いポエニスからは今も鬨の声が響いている。逃げ帰って、助けを呼べばどうとでもなる。皆で取り囲んで、袋叩きにしてしまえばそれで終わり。
故にこの戦いに意味は無く、シスネが今ひとり戦う必要もまるで無いのだ。
「ふざけないで」
そんな自分への言い訳を、シスネは自ら切って捨てる。震える声で、震える脚を叱咤しながら、震える手で長銃を構えた。
そうだ、ふざけるな。あの魔女はシスネが狩らなければいけないのだ。他の誰でもない、このシスネレインが。だって、きっと、それが今この場に自分が立っている意味に違いないのだから。
「あなたに、これ以上、
“聖女殺し”なんて汚名を、あなたには刻ませない。魔女に敗れて、絶望して、魔女になって、そして同じ聖女を何人も殺した聖女だなんて、そんな恥辱をあなたには背負わせない。
あの日、あなたはシスネにだけ教えてくれた。あなたが誰にも明かさなかった、恥ずかしい秘密。
自分は、本当は臆病者なんだと。
本当は魔女が怖くて仕方がない、魔女狩りなんて本当はやりたくないのだと。だから、こんな派手な格好をして虚勢を張って、強い
「あなたは聖女だった。ずっと、これからも」
それでも、あなたは逃げなかった。ずっと聖女であり続けた。
それが何の為かまでは教えてくれなかったけれど、そんな事も察せられないほどシスネも鈍くはない。
あなたはどこまでも、本当に、こんな穢いシスネが嫉妬してやまない程に、綺麗なひとだった。
だからこそ、あなたの墓標に傷なんて付けさせない。
あなたもライアーも、ここには来なかった。あなた達はノール村で命を落とし、二度とシスネ達の前には現れなかった。破戒魔女になんて、ならなかった。
その為には、そうする為には。
「あなたを、狩ります」
今ここで、シスネひとりで、彼女を狩るしかない。
他の誰の手も借りたりしない。誰にも手は出させない。レーベンにだって喋らせはしない。叩きのめしてでも、この秘密は墓まで持って行かせる。
そうつまり、彼女はシスネの獲物だ。誰にも邪魔はさせない。
ねえ、そうでしょう?
「カーリヤ!」
『ごめんなさい――!』
二つの銃声が重なり、聖女と魔女の戦いが幕を開けた。
◇
左手で引き金を弾き、短銃から吐き出された銃弾が魔女へと飛来する。一発、二発と鈍い音が響き、泥の代わりに骨の破片が草地へ落ちた。三発目は魔女へと迫るが、狙いを逸れていたそれは魔女の躰を掠めるだけに留まる。
「面倒なっ!」
短銃から薬莢を散らせながらシスネは悪態をついた。弾倉が空になるまで撃っても結果は同じだったのだ。
魔女は一切その場から動いていない。両脚を失くした躰で座り込みながら、撃ち込まれた銃弾をその背中の骨翼で打ち払ってしまう。雨の中で戦った破戒魔女の剣を彷彿とさせる動きだったが、一つだけ異なる点があった。マリナが飛来する物すべてを無差別に斬り払っていたことに対し、あの魔女は自身に当たる銃弾だけを見切って打ち払っているのだ。その動きには無駄も隙もありはしない。
ならばと長銃から散弾を放つが、それも防がれてしまった。四本の骨翼が重なり合って盾となり、その隙間を通り抜けた散弾も構えられた銃身と魔女自身の両腕に阻まれ、致命傷には至らない。手傷こそ与えてはいるものの、削りきる前に弾薬が尽きるだろう。ここは何もない平原、銃弾など何処にも落ちてはいないのだから。
『ごめんなさい……!』
「っ!」
歪んだ声と共に、甲高い音が響く。音叉にも似た共鳴音は魔女の構える銃から発せられており、それは銃身を構成する聖銀と、そこにこびり付いた黒い泥が織りなす不吉極まる音だ。銃口から溢れる青白い光が、正確にシスネを照準して放さない。
しかも、その光は先の戦いより遥かに強い。ライアーという聖性の捌け口を失い、半ば暴走しているかのような激しさで聖性が魔銃に流し込まれている。
『ごめん――!』
雷鳴のような銃声。祈るような気持ちで体を投げ出したシスネのすぐ近くを何かが通り過ぎた感覚。すぐに体を起こして視線を巡らせ、その結果に背筋が凍りついた。
平原の草地が、一直線に消えて無くなっていたのだ。ポエニスとは反対方向に伸びたそれは長々と、終点が見えないほどに続いている。人ひとりを撃ち殺すには過剰威力も良いところだ。掠っただけで手足が吹き飛び、直撃なんてすれば――とても楽に死ねそう。
「いやらしい……!」
そう、あんな銃撃を受ければ人間なんて木端微塵になる。だからこそ、あの魔女はそれを直撃させない。わざと外してくる。虫を甚振るように手足だけを狙う。魔女は聖女を簡単には殺さないのだから。
そうやって、近くに来るよう誘っている。こちらの銃撃は無効化され、間合いを離せば離すほど魔銃を躱すことも難しくなる。近付けばもっと恐ろしい何かが待ち受けていると分かっていても、シスネは近付くしかないのだ。
「上等ですよっ!」
あえて好戦的な言葉を吐いて恐怖を振り払う。ベルトから引き抜いた焼夷弾を着火し、魔女の胴体めがけて放り投げる。
『ごめん』
だがそれは本能によって見切られていたのか。見惚れるほど綺麗な動きで、骨翼の一本がそれを弾き返してきた。それもご丁寧に、シスネに向かって。放物線を描く焼夷弾から、炎が噴き出ようと。
「ふんっ!」
だが見切っていたのはシスネも同じこと。こんな単純な手が通じるとは最初から思っていない。右手に握った物を翻しながら、左手に握った物を更に投擲する。
シスネの眼前で炎が咲く。一瞬で燃え広がった炎が草地を広く焼き始めるが、その中でシスネは不敵に微笑んでいた。右手には黒い外套。技術棟の変人たちが作った、耐火性に優れる一品。その持ち主は今も木陰で動かないが、そこまで炎は届かないだろう。たぶん。
そして左手で投げた「本命」は、今まさに魔女の眼前へと迫っていた。
『ごめ――』
炸裂弾。同じ手を繰り返してきたシスネを嗤うこともせず、別の骨翼がそれも弾き返そうと動き、
――無駄です
シスネは外套の陰でほくそ笑み。
炸裂。
『あぁあごぇあぁ――――!』
至近距離で弾けた炸裂弾の破片を浴び、魔女が歪んだ叫びをあげていた。咄嗟に銃身を盾にはしたようだったが、それだけで防げるほど炸裂弾の威力は低くない。焼け爛れた両腕からこぼれ落ちた魔銃も、銃身が大きく破損していた。
種は単純。シスネは最初の焼夷弾を投げた際、相手に見えないよう背中側で炸裂弾も着火していたのだ。あとは時間差で飛来した炸裂弾が、骨翼に弾かれる間もなく魔女の眼前で弾けたというだけのこと。一歩間違えば炸裂弾の餌食になっていたのはシスネの方だったが、これで隙をこじ開けられた!
――いま、ここで!
外套を投げ捨て、背負った長銃も放りだして身軽になったシスネは一直線に駆け出した。手に握るのは大短銃、これを至近距離――骨翼の内側から叩きこむ!
駆けながら集中し、加速した時間と思考の中でシスネは魔女の姿を注視する。
魔銃は無効化した。聖性で修復するにしても、刀剣類に比べて複雑な銃器は修復にも時間を要する筈。それでも油断はできない。魔女は何をしてくるのか分からない。必ず何かをしてくる。そしてそれはあの骨翼である可能性が高い。なんであろうと、小細工をしてくる前にこの銃で――。
パン、と聞きなれた音がシスネを穿つ。
「あっ……」
私の、馬鹿。
そんな呑気な言葉が頭に過りながら、右脚を撃ち抜かれたシスネは草地の上を転がった。
『ごめん……』
歪んだ声で謝罪の言葉を垂れ流す魔女。その右手には繊細な彫刻を施された短銃。人だった頃の早撃ちそのものの射撃。シスネはまんまと罠に嵌められた。
「い゛……、うぅ……!」
いつまでも転がってはいられない。既に間合いは充分に詰めた。立てないならこのまま撃てば良い。その為の訓練だってしてきた。そう思って草に埋もれた大短銃に右手を伸ばすも、その手首に骨が巻きついてきた。
「あ、痛……っ、放っ……!」
銃は取れないまま右腕で宙づりにされる。更に別の骨翼が手枷のように変形して左手首を捕らえ、ばたばたと宙を掻いていた両足首にも次々と枷が嵌められた。
『ごめん、なさい……』
「……っ」
そうしてシスネは四肢をすべて拘束され、何ひとつ抵抗できない状態で魔女の前に晒される。対して魔女は自由なままの両手で、悠々と短銃を構えて見せた。ならばもう、これから何をされるのかなんて明らかで。
『ごめん……』
銃声。
「ぁぐ……っ!」
衝撃と痛みに視界が明滅する。短銃から放たれた骨の弾丸、それは破いたスカートから覗くシスネの右脚を正確に穿っていた。転げまわりたくなるような痛みに襲われても、シスネはもう身を捩るぐらいしかできない。
『ごめん……』
「い、ぎ……っ!」
更に続く銃声。最初に撃たれた分も含め、右脚に三つの銃痕が並ぶ。
「悪趣味なぁ……!」
冗談ではない。このまま射撃の的にされれば全身を穴だらけにされてしまう。魔銃に弾切れはなく、そして魔女はシスネを殺さない。十発でも百発でも延々と撃ち続けるのだ。
首を捩じり、視界の端で眠る彼の姿を見る。ぴくりとも動かない。四発目がまた右脚を穿つ。
「ああ゛ぁ……っ!……レーベ……っ」
痛みと自分の情けなさに涙すら滲んでくる。
息まいて、一人で破戒魔女に挑んで、結局はすぐにこの様だ。碌に手傷も負わせられないまま捕まって、良いように嬲られて、挙句の果てには力尽きた騎士に助けを求めるだなんて。
五発目。
「うあぁ……っ!」
本当に情けない。彼はどうしようもない馬鹿だけれども、いつだって怯まず戦っていたのに。どれだけ傷だらけになっても、どれほどボロボロになっても、それでも彼は死中に活を求めて、もがいて、どんな手でも躊躇わず――。
「……、…………」
「――く、っふふ……」
現実逃避じみた自虐に耽っていると、喉から引きつった笑いが漏れた。そのまま拘束された体を揺らしながら笑っていると、魔女が顔を見上げてくる。
「何がおかしいのよ」と、そんな声が聞こえてきそうな動きで。それが可笑しくてシスネはまた笑った。
何が可笑しかったのか。それは「名案」を思いついてしまったからだった。あの馬鹿を見ていたら思いついてしまった、本当に碌でもない名案が!
「ふっうふ……っ、…………ねえ?」
魔女がまた顔を上げる。泥に塞がれてもまだ綺麗なその顔が青白い光で照らされ、すぐ後にパッと赤い鮮血が降りかかり、そして、ギシギシと骨翼が軋み始めた。
「あまり、私を、舐めないで……っ!」
目と鼻と口と耳から鮮血を垂れ流し、その身から青白い光を立ち上らせながら、シスネは凄惨に笑ってみせた。
聖性は人を超人に変える。身体能力は劇的に向上し、どんな負傷もたちどころに治してしまう。だが聖性を放つことができる聖女自身は、聖性の恩恵を受けることができない。故に聖女たちは只人のまま魔女と対峙し、それを守る騎士が必要となる。
聖女と騎士なら誰もが知っている、聖性の常識。だがそれには一点だけ語弊がある。
「聖女自身は聖性の恩恵を受けられない」
それは必ずしも、「自身に聖性を流すことはできない」という意味ではない。
要は破戒魔女と同じ。
自壊現象。聖性の流れが一致しない際に起こる、拒絶反応そのものだ。
手首を拘束している骨翼を逆に掴み取る。そのまま力を込めれば、人体で最も固い部位とされる骨に亀裂が入った。自ら流した聖性によって、シスネの肉体は確かに強化されている。だが。
「ぐ、あぅ……っ! ぇあぐぅぃいい゛あ゛あぁぁ――――っ!」
絶叫。
覚悟の上で敢行したというのに、それでも耐え難いほどの激痛。シスネは雷に打たれた経験なんて無いが、もし雷に体を焼かれたらこんな痛みを感じるのではないだろうか。
自身に聖性を流すという禁忌。それが何故あれほど厳しく禁じられていたのか、シスネはその身を以て理解した。体はもちろん、心にまで深い傷を刻みそうな痛み。聖女によっては発狂どころか死ぬことすらあり得そうな。
それでもシスネは手を離さない。聖性も止めない。
シスネは痛みには強い。どんな激痛であっても、それが穢い自分への罰だと思えば耐えることができる。ほんの僅かでも償えていると思えば我慢できる。そして、この痛みと同等以上であろう拒絶反応に、死の一歩手前まで耐えきった馬鹿をシスネは知っていた。彼に対する妙な対抗意識も糧にして、発狂寸前の意識を辛うじて正気側に引っ張り続ける。
シスネは叫び続け、その間も体中から血を噴き出し、撒き散らす。それでも骨翼から手だけは離さず、聖性も止めない。骨翼が砕けるのが先か、シスネの心が砕けるのが先か。凄惨な我慢比べが続き、その軍配は……。
バキリ、と骨が砕けた音が響く。
『ごめんなさい!』
激痛と引き換えに両腕の拘束を解いたシスネは、支えを失って草地の上に崩れ落ちた。両脚の枷はそのままで、その場から動けないシスネに向けて魔女が短銃を向けてくる。細い指先が引き金にかかり、今度は左脚を狙った骨弾が放たれようと――。
バネ仕掛けのように弾けるシスネの両手。次の瞬間には、魔女の短銃はシスネの手に握られていた。
『ごめ――』
銃声。
『ああぁおえぇんん――っ! ごべんさい、ごべんなざえ――っ!』
「うるさい大袈裟な!」
ひとの脚を穴だらけにしておいて何だ一発ぐらい!
奪い取った魔銃で何も考えず引き金を弾いたが、骨弾はちゃんと発射された。魔女の額を至近距離から狙った射撃に魔女が激しくみもだえる。殺傷力の低い骨弾では頭を撃ち抜くことはできなかったが隙は作れた。短銃を遠くに投げ捨て、全力で魔女の躰を押し倒す。
『ああぁっ! ラァイアー! ライアァー!』
「このっ! おとなしく……っ!」
さすがにこれ以上の聖性を流せば正気を保てる自信は無い。聖性に焼かれた体に鞭打って馬乗りになり、短剣を振り下ろす。魔女の両腕が手首を掴み、それを打ち払い、また魔女の手に顔を押しのけられる。
野良猫の喧嘩じみた揉み合い。それはいつかの、彼女と友誼を交わす前の喧嘩みたいで――。
迷いを振り切って振り下ろした短剣が砕けた。
「な……!?」
『ごめんん……ライアァァ……ッ!』
短剣を突き立てた筈だった魔女の胸。今も変わらず豊麗なそこを中心に白い骨が広がっていた。装束を内側から突き破りながら広がるそれは魔女の躰を覆い始め、それこそ騎士の鎧のように変形し始める。
この期に及んで魔女化が深化したとでも言うのか。もう短剣や短銃などでは歯が立たない!
「っ!」
『ライアー! ライアアァー!』
どうすれば良い。決まっている、大短銃しかない。素早く周囲を見回して草地に埋もれたそれを見つけ、飛び込むようにして手を伸ばすも届かない。ズルズルと後ろへ引っ張られる体。シスネの両脚を捕らえる足枷は今もそのままだ。
届かない。必死に草地を掴んで這い進み、腕が千切れそうなほど伸ばしても指先が銃把を掠めるだけ。もうあれしか無いのに。もうこの窮地からシスネを救ってくれるのは、いつも切り札となったあの銃しか。レグルスから送られたあれしか……。
ガサリ、とシスネと魔女以外の何かが草を踏む音がした。
「レーベ……ッ!?」
何者か。決まっている、レーベンしかいない。
だが木陰で死体のように立ち上がった彼は完全に白目を剥いており、どう見ても意識は無かった。それでも今すぐ倒れそうな体を揺らめかせ、手にした物をシスネに向かって放り投げる。そのまま崩れ落ちて、今度こそ動かなくなった。
シスネの頭に突き刺さりそうだったそれを何とか受け取る。半壊し、それでも重い黒銀の塊。刃が根本から砕けた、機械剣の柄。役に立ちそうもない
それでも、シスネはそれを手に握った。
「う、ああああああぁぁぁ――――――っ!!」
シスネはもう何も考えなかった。何も考えず、刃の無い剣を魔女の胸に突き立てる。何の意味もない自殺行為。自棄になった末の愚行。
それがただの剣で、そしてシスネが聖女でなかったのなら。
――届いて!
だがそれはただの剣ではなく、そしてシスネは聖女だった。
輝く聖性。聖銀の性質も併せ持つ黒銀の刃が青白く輝き、物理法則も無視して元の形状へと戻っていく。
変質が不完全だった魔女の鎧。白い骨の隙間に捻じ込まれた機械剣はシスネの両手ごと取り込まれている。
そして、その中で黒銀の刃が再生する。
『ああぁ……っ!』
鎧の内側から伸びた刃。それは埋められた双丘を貫き、しなやかに反らされた魔女の背を突き破り、銀とも黒ともつかない輝きを晴天の元に露わとした。同時に噴き出た赤黒い泥が、緑の草地を汚していく。
「――――」
シスネはもう叫ばなかった。祈りの言葉も別れの言葉も、何も言わず引き金に指をかけた。あの時は弾けなかった引き金。もう迷わない。
シスネは、最後の引き金を弾いた。
『あ――――』
魔女はもう叫ばなかった。躰を貫く機械剣、その刀身から開放された青白い聖性の炎。静かに燃え上がるそれは骨の鎧を焼き熔かし、黒い泥を蒸発させ、灰色の装束も灰に変えていく。
すべてが灰になっていく中で、そっと、魔女の両手がシスネの頬を包んだ。
『ごめんね――――……』
鎧も、泥も、装束も無い。生まれたままの姿に戻った魔女が、聖女が、彼女が。
カーリヤが、どこまでも優しくて綺麗な顔で、シスネを見て……。
「ぁ……っ」
シスネが何かを言おうとした時にはもう、彼女の碧眼は閉じられて。
青空を仰いで、ちょうどそれを受け止めるように倒れていたライアーの亡骸の上へと。
青白い炎が少しだけ燃え上がり、そしてすぐに消える。
そうしてもう、そこには白い灰の山だけが遺されていた。
「…………」
ひとり残されたシスネは呆然と立ち尽くしていた。機械剣だけをだらりと手に提げ、ただ灰の山だけを見つめる。
「……」
「……っ」
「だまされませんよっ!」
シスネは剣を構えた。
「だまされませんよ! そうやって、いつも魔女はそうやって!」
魔女は常識外の存在。何をしてくるのか分からず、首を落としても死ぬとは限らない。ならば、灰になっても死んではいないかもしれないではないか。
「来なさい! 私はまだ戦えますよ! まだ終わりじゃないのでしょう!?」
まだ安心はできない。死骸となって、十を数えるまで魔女狩りは終わらない。
「次は何ですか! 何をしてこようと構いませんよ! 受けて立ちますから、さあ!」
一、二、三。灰の山は動かない。
「怖いのですか!? 情けないですね! 私なんかに負けて悔しくないの!?」
四、五、六。灰の山は風に吹かれ、さらさらと崩れていくだけ。
「いつまで死んだふりなんて! 来ないならこっちから……っ」
七、八、九……。灰は…………。
「……、……ねえ、……ねえってばぁ……」
十。灰は消えていくだけで。
「ぅ……、」
「ぐ、あぁ……っ!」
「あ、あ……あああぁぁ――――っ!」
シスネは叫んだ。叫んで、空に突き立てるように掲げた機械剣の引き金を弾いた。
青い炎が、何かの道のように青い空へと伸びていく。でもそれは、空まで届くには短すぎて。
「――――――――っ!」
シスネは叫び続けた。
炎が消えて、剣も持っていられなくなって、穴だらけの脚が思い出したみたいに痛んで、シスネはうつ伏せに倒れ伏した。小さくなった灰の山に顔を埋めるようにして。
「カーリヤぁ……っ!」
こんもりとした灰はまだ温かくて、シスネの涙で黒く固まっていく。でもそれもすぐに乾いて、風に吹かれて消えていく。
なにひとつとして残りはしない。
「カーリヤ――――!」
遠くの何処かから歓声が聞こえてくる。戦は終わったのだ。シスネ達の与り知らない所で。
白い灰が消えていく。風に吹かれて、青い大空と緑の大地に散っていく。吐き気がするほど綺麗な世界へと、還っていく。
残ったのは、ふたりだけ。シスネとレーベンだけしか。
他に何も残りはしない。
ただ何者にも止められない
当然のように。何も変わらずに。
「あ、ああぁ……っ」
カーリヤは死んだ。
シスネとカーリヤの戦いは終わってしまった。何ひとつ取り戻すこともできないままで。
聖女と騎士の物語は、いつだって悲劇で終わるのだから。