「レイ! あんた本当にいったい何やらかしたのよ!」
「いや、あれだろ。やっぱり写銀の……」
「俺を売ったのか、カーリヤ。貴公はひどい女だ」
「売ってないわよ! 売ったのはあんたの方でしょう!」
ヴュルガ騎士長からの呼び出し。その報せを聞いた三人は矢も楯もたまらず本棟に駆け出した。よくよく考えればライアーとカーリヤまで来る必要は無いが、おそらく全員が冷静ではなかったのだろう。
それ程までに、あの騎士長は恐ろしい。
敷地の中央に建てられた本棟まで全力で駆け、だがさすがに棟内を走るわけにはいかず早歩きで先を急ぐ。
「名指しで呼び出しって、これは相当だぞ、おい……」
「あまり虐めてくれるなよ。こう見えて動揺しているんだ」
「あんた本当に顔に出ないわよね、腹が立つわ」
まるで我が事のように青褪めているライアーと、理不尽な怒りをぶつけてくるカーリヤと共に階段を登る。大広間のある一階、職員たちの詰所である二階、そして最上階の三階に騎士長の執務室がある。永遠とも思える階段を登り続け、だがあっという間に扉の前に辿りついてしまった。
それこそ騎士長を思わせるように大きな扉の前に立ち、背負いっぱなしだった機械剣はライアーに預ける。胸の前で両手を組み不安げな視線を向けてくるカーリヤは普段の様子とは異なり、まさに聖女そのもののようでレーベンはかすかに苦笑した。深く息を吸ってから、覚悟が萎まない内に扉を叩く。
「失礼します」
◆
室内に体を滑り込ませ、扉を閉める。執務室の中は整然としており、殺風景というわけでもなくいくつかの調度品が置かれていた。だがそれは、ただ置くべき物を置くべき場所に置いたとでもいうような、感情の感じられない部屋だ。それこそ、部屋の主と同じように。
部屋の奥まで進めば、当然ながら騎士長がいた。その巨大な体を執務机に押し込みながら大量の書類にペンを走らせている。背にした窓から差し込む光が髪を剃り落とされた禿頭を光らせているが、それを茶化せる者がこの世に存在するとは思えない。
ヴュルガ騎士長。このポエニス教会の統括者であり、歴戦の古強者であり、同時に最強の騎士とも呼ばれる男。そして、おそらく全ての聖女と騎士にとって恐怖の象徴でもある。それはレーベンも例外ではないが、この時ばかりは別のものに気を取られていた。何故なら、部屋には先客がいたのだ。
「貴公……」
「……」
先客である白髪の聖女――シスネは、思わず声を漏らしたレーベンに視線を向けることもなく部屋の中央で直立していた。そこから二歩ほど離れた位置にレーベンも並ぶ。騎士長は未だ書類に目を落としたままで、部屋の中は静寂だけが漂っている。コチコチと、機械式の置時計の音がやけに響く程の。
横目でシスネを見れば、細い首筋に汗が光っている。緊張しているのか、体に沿わされた手が灰色の装束を掴んでいた。その手もかすかに震えているのが見える。未だ騎士長は顔をあげない。気は進まないが、こちらから声をかけるべきか。レーベンは覚悟を決めた。
「騎士ちょ――」
「これを見ろ」
レーベンの言葉を待っていたのか、ただの偶然か。右手でペンを走らせながら左手で一枚の紙を机に滑らせる。わずかな逡巡の後、机の前まで歩み出て紙を手に取る。一礼してから元の位置に戻り、そこでようやくレーベンは紙に目を落とした。
何の変哲もない依頼書だった。現地に赴き、魔女を狩る。ただそれだけの単純な内容。ここ数日こそ数が激減していたが、それ以前であれば毎日のように貼りだされていたような、ありふれた依頼書だ。だが内容こそ簡単に理解できたが、ここに呼び出された理由についてはまるで分からない。
首を傾げていると、横から視線を感じた。まっすぐ向けられるシスネの黒い瞳に吸い込まれそうな錯覚を感じたが、催促するように目を細められて依頼書を手渡す。書面に目を通している横顔を眺め、読み終わったらしいシスネもまた首を傾げるのを見て、そこで再び騎士長の声が響いた。
「
その言葉を、レーベンはすぐには理解できなかった。理解する前に、シスネが一歩前に出る。
「騎士長、それは」
「契りを交わせとは言わん。今後は二人で組んで仕事をしろ。それだけの話だ」
騎士長の声からは相変わらず何の感情も読み取れない。レーベンは己が人の心の機微には疎いと自覚しているが、レーベンでなくともそう感じるだろう。まるで岩が喋っているかのような、あるいは岩に向かって喋っているかのような。そんな声だ。
「苦情が届いている」
理由は何なのか。その疑問が湧いたと同時に岩の声が響く。何かを言いかけたシスネが口を噤んだ。
「聖女と騎士の派遣を依頼したはずが、何故片方しか来ないのか、とな」
それはこの五年間、常にレーベンに付きまとってきた声だ。聖女と騎士は一対の存在。この国の人間であれば誰もが知っている。レーベンも、その例外は己の他にはシスネしか知らなかった。故に、その例外を組ませて体裁を保つ。そういう、本当にただそれだけの話なのだろう。
レーベンは腑に落ちたが、シスネはそうでなかったようだ。
「事情は、分かりましたが、でも、私は」
「
全身が粟立つ。置時計が一瞬動きを止めた、ような気がした。
何年前だったか。ライアー達と共に挑んだ、「あの魔女」と対峙した瞬間が脳裏に蘇る。騎士長の声は平時と変わらないものであったが、それでもレーベンの体は今すぐここから逃げ出そうとしていた。直接に声をかけられた訳でもないというのに、この威圧。シスネはどうなってしまったのかと、横を見れば、
「お――」
ぐらり、とシスネの痩躯が倒れてきて、思わず抱きとめる。あまりにか細い肩と、同じ人間とは思えない重みの無さに、干からびた死体を運んだ時のことを思い出した。嫌な記憶が過るのも束の間、一瞬遅れて宙に舞った白い髪からカーリヤの香水とも異なる芳香を感じ、腹の底からざわざわと得体の知れない衝動を覚える。
シスネはこの状態に暴れ出すこともなくレーベンの腕に凭れていた。元より白い顔からは完全に血の気が失せ、黒い瞳も焦点が合っていない。気絶こそしてはいないが、一人で立てるようにも見えなかった。
「今後は二人で依頼を受けろ。三度は言わん。以上だ」
遂に一度も顔を上げないまま、騎士長は一方的に話を終わらせた。シスネに対する仕打ちといい、いくらなんでも目に余るものではあったが、それに何か異を唱える力も権利も度胸もレーベンには無い。ただ、シスネの背を支えながら扉へと向かった。
◆
「そりゃあ災難だったな」
「まったくだわ」
執務室の前で待っていたライアーとカーリヤが、放心したシスネと共に出てきたレーベンを見て唖然とし、質問攻めの末に何故かカーリヤに頭を叩かれた後、とりあえずシスネを休ませようと四人で一階の食堂へと向かった。ちょうど昼時を過ぎた為か人は少なく、貸し切りのようだった。
「飲める? 熱いわよ」
「……ありがとう、ございます」
カーリヤが甲斐甲斐しい様子でシスネとライアーに紅茶の入ったカップを手渡す。シスネの隣に腰掛けると、そのまま自分のカップに砂糖を入れてから口を付けた。……レーベンにだけは紅茶を用意してくれないあたり、未だに写銀のことを根に持っているのかもしれない。
「災難なんてものじゃないわよ、よりにもよってこの馬鹿と」
「俺と組むことが災難のように聞こえるんだが」
「そう言っているんだけど?」
「ああ、かわいそうに」とシスネの肩を抱いて頭を撫で始めるカーリヤ。何だかんだと言って、ライアーと同じく世話焼きなこの聖女である。聖都からひとり異動してきたシスネのことも気にかけているらしい。
当のシスネは、まだ騎士長の威圧から立ち直れていないのか、されるがままになっている。……だが頭に押し付けられているカーリヤの豊満な胸に向ける視線が、どこか敵意に似ているのはレーベンの気のせいだろうか。
「……まあ、がんばれよ」
紅茶を啜りながら、ライアーがどこか含みのある視線を向けてくる。それを受けて、レーベンは力強く頷いた。さすがは第一の友人である。どこぞの派手な聖女と技術棟の変人とは役者が違う。
そもそもレーベンは、シスネと聖女と騎士の契りを交わす為にあれこれ画策していたのだ。あいにく既に二度も断られているが、ここにきて運が回ってきた。今ならあの恐ろしい騎士長に感謝しても良い。
「改めて、よろしく頼む。シスネ」
正面のシスネに視線を合わせ、机ごしに手を差し出す。握手ではない。掌を上に向けた、相手から手を取ることを待つ姿勢だ。聖女と騎士の間では通例の、契りを求める仕草。
ごくりと、隣のライアーが固唾を飲んでいるのが分かる。カーリヤも、そっとシスネから身を離した。
シスネは、差し出された手をじっと黒い瞳で見下ろす。
「……騎士長の命令には、従います」
顔を上げたシスネの瞳には、強い光があった。先程までの弱々しい姿とは別人のような。
「でも、あなたとだけは、契りは交わしません。……絶対に」
黒い瞳から放たれる強い光。強い、拒絶の光だった。
ぐいと紅茶を飲み干し、席を立つとカーリヤ達に目礼してシスネは足早に去っていく。靡く白い髪を目で追いながら、あの時に感じた芳香を思い出そうとするが、その香りの記憶はもう曖昧だった。
後には、ただ無意味に手を差し出したままのレーベンと、それを眺める二人の友人だけが残された。そのままの姿勢でライアーに顔を向けると、壁の方を向きながら紅茶を啜っていた。こっちを見たまえよ。いっそ笑ってくれ。カーリヤの方を見れば、やはり無言で手にカップを乗せられた。シスネが飲み干した空のカップだ。片付けてこいということだろう。慈悲は無かった。
「それ舐めたら蹴るわよ」
無言で席を立つレーベンに、無慈悲な聖女から無慈悲な言葉が投げかけられる。さすがのレーベンもそこまでする気は無い。ただ少し泣き出したくなっただけである。
憂鬱な気分で下膳用の机に向かっていると、手にしたカップに残された熱がじわじわと掌に伝わってくる。後ろからは「あちち」とライアーが紅茶を冷まそうとしている声が聞こえた。そういえば、これを一気飲みしていたシスネは無事だったのだろうか。特に意味もなく、レーベンは心配になった。