『ファイサン、これはどこに置けば良いんだ?』
旧聖都ポエニス。その本棟の地下倉庫。新たな仕事場であるそこで、レーベンは一応の上司へと声をかけた。憂鬱そうに帳簿を見ていた職員――ファイサンは、いつも通りのうんざり顔で、無言のまま倉庫の奥を指さす。
世辞でも面倒見が良いとは言えない彼の態度にも特に思うところはなく、レーベンは新しく入荷した弾薬を片手に奥へと向かった。最近になってようやく杖が無くとも歩けるようになったのだ。
『ぬんっ』
弾薬が詰まった箱はそれなりに重いが、そこは昔とった杵柄。左手だけで箱ごと持ち上げ、体幹を上手く使って棚の上に乗せる。先日は同じことをやろうとして荷物を盛大にぶち撒けてしまった。散乱した炸裂弾が無事だったことは奇跡に等しく、さすがのレーベンも肝を冷やしたものだ。ファイサンの悲鳴など初めて聞いた。
棚に積まれた在庫を確認しながら持ち場へと戻る。片手剣、両手剣、槍、斧……様々な聖銀武器が立ち並び、中には埃を薄くかぶった物まで見受けられた。元々、騎士はそこまで頻繁に武器を交換したりはしない。かつてのレーベンが異常だったのだと、こうして倉庫を管理する側になって改めて実感した。刃先に注意しながら埃も軽く払っておく。
反面、銃器や弾薬が並ぶ棚は相変わらず閑散としていた。こちらはレーベンが騎士でなくなってからも変わらないらしく、今しがたレーベンが置いた弾薬もすぐに消えてしまうことだろう。その原因はもちろん「彼女」であり、そして彼女に影響されて銃を扱うことが増えたというポエニス聖女たちのせいだ。
その彼女もまたそろそろ訪ねてくる頃合いだろうと、何とはなしに壁にかけられた鏡で身だしなみを確認する。それなりに着古してきた教会の職員服。中身のない右袖。右目に巻いた黒い眼帯。見飽きた男の顔とは少し変わった、もう見慣れた己の姿が灰色の左目で見返してきた。服にも乱れは無い。片腕で着替えるのも慣れたものだ。
『おっと』
入り口の机に戻ろうとして、踵を返す。彼女が来るのであれば準備しておかなければ。
ドガシャン! と、苦労して運んできたそれを机に置くと、椅子で舟を漕いでいたファイサンが飛びあがる。安眠を妨害したのは悪いと思うが、今は仕事中である。正義はレーベンにある筈だ。そう開き直ってから、額の汗も拭ってその荷物――大短銃の弾薬を開封する。
特注品である彼女の銃は弾薬も同様であり、そしてそれを作ることが出来るのは技術棟の変人たちしかいない。特に質を追及するなら製作者本人に頼むしかなく、故にこれはレーベンが自腹を切って準備したものである。もっとも、馬鹿正直にそう言ってしまえば彼女は決して受け取らないだろうから、こうしてさりげなく並べておくのだ。
我ながら涙ぐましい作業を続けていると、椅子から転げ落ちていたファイサンがいつものうんざり顔を向けてくる。怪しげな品を勝手に置くなということだろう。
『そんな顔をしないでくれ先輩殿。これでも見て落ち着くが良い』
レーベンは懐の物を机に並べ、彼の機嫌をとることにした。世渡りも上手くなったものである。
机に並ぶのは幾枚かの写銀。茶髪の偉丈夫と金髪の美女、元騎士と元聖女である二人の友人が映っている。二人が役目を終え、このポエニスを去った後も頻繁に手紙は送られてきており、必ず写銀も添えられていたのだ。最初は聖都の新居やシルト海、大聖堂を背景とした二人の写銀が多かったが、その内に彼女の腹も大きくなっていく過程まで。そしてつい最近に送られてきた写銀の中では、二人の間に小さな幼子が映っていた。
レーベンにとっては幸せの象徴のような写銀だが、ファイサンは至極どうでも良さそうだった。それでも、いつものうんざり顔よりは多少やわらかく見えなくもない。己が言うのも何だが、この彼の表情が僅かでも変わるということは結構な大事だ。
『聖都か。俺から行けると良いんだが』
手紙には「落ち着いたらポエニスにも顔を出す」と毎回のように書かれていたが、新しい街の新しい家で新しい生命と共に新しい人生を歩んでいる二人にはなかなか難しいだろう。レーベンとて聖都まで向かうには体の面でも金銭の面でも簡単ではないが、時間だけはあるのだ。元より閑職な倉庫番など一日や二日休んだところでファイサンに迷惑がかかる訳もなく、試しに相談してみた際は嬉しそうな顔すらされてしまった。喜んでもらえて何よりである。
『お……』
そうこうしている内に、出入口の上から扉を開ける音が聞こえた。階段を下ってくる軽い足音に来訪者が誰であるのかをレーベンは察し、そしてファイサンはまたうんざりとした表情を浮かべた。
やがてレーベン達の前に一人の女が現れる。
清貧を表す灰色の装束。その上から巻かれた何本ものベルトが更に体を締め上げ、装束ごしにも細い身体の線が見て取れる。そこに括りつけられた鞘やホルスターは、そこに収まるべき武器を今か今かと待ちわびているようだった。聖女証こそ装束の中に隠してしまっているが、その理由をレーベンは知っている。
何よりも目を惹く真っ白な髪は雑に束ねられ、同じぐらいに白い顔の中では、黒い瞳がレーベンを真っ直ぐ射貫いていた。
その秘密をレーベンだけが知る聖女擬き。その彼女が、脇のホルスターから引き抜いた大型の短銃をレーベンに向ける。
そして。
「夢に決まっているでしょう」
「そうだな」
轟音と共に、レーベンの幸せな
◆
悪夢から覚めても、そこはまだ現実に見えなかった。
見渡す限りの灰色の大地。そんな場所でレーベンは座り込んでいる。視線を落とせば灰色の砂、あるいは灰。削った骨の粉にも見えるかもしれない。そんな得体のしれない何かを両手で掬ってみて、そうして初めてレーベンは己に両腕があることに気付いた。それも、新たに生え出でた白い腕ではなく、失う前の腕が。
視線を上げればどこまでも水が続いている。海辺にも似た光景だが、その無色透明の水は静かに凪いでおり、だが停まってもいない。緩やかに流れる様は川に見えた。世界の果てまで続く、巨大な川。
視線を更に上げれば漆黒の空が。月も星も無く、まるで果ての見えないそれは、空でありながら夜の海を連想させる。ただ水平線の彼方に、登りも沈みもしない太陽が白く輝いていた。
「女神の川」
そんな言葉をレーベンは思い出した。
曰く、すべての死者が最後に辿りつく場所。その水は名の無い女神の涙であり羊水。肉体は現世で土に還り、魂はその川へと還っていく。
その川はどこまでも広く、そして深い。故に何者をも受け入れ、また何者も逃れることはできない。死が誰しもの最後に待ち受けているように。
不公平な話だとレーベンは思っていた。善人も悪人も、信心深い者もそうでない者も、誰もが最後に同じ所に至ってしまうなど、不公平ではないかと。
そして今も思っている。何故なら、彼と彼女がレーベンなどと同じ場所にいるのだから。
「……久しぶりだな」
砂の上に座り、水の中に両脚を投げ出す、そんな姿勢で、レーベンは眼前の人影に声をかけた。
水の中に立つ、ふたつの人影――大きく逞しい影と、細く艶めかしい影。二人の姿は、どんなに目を凝らしてもはっきりとは捉えられない。手を伸ばしても触れられないのだろう、きっと。
「あぁ、誠に申し訳ない」
「だがな、約束を守らなかったのは貴公も同じだろう」
「お互い様なんだ。説教は勘弁してくれ」
静寂の中にレーベンの声だけが響く。己の聞いている声が二人のものなのか幻なのかは、もう分からない。ここが現実であろうと夢であろうと、どちらにせよ生者の理屈など通じない。
ここには、死者しかいないのだから。
「貴公にはずっと謝りたいと思っていたんだ」
「本当に申し訳なかった、蹴ってくれて構わない」
「そうしてくれると言ったじゃあないか、なぁ」
どれだけ謝ろうと、どれだけ彼女に蹴られようと、もう全ては遅い。二人ともが死んだ。
聖女と騎士の物語の、約束された結末そのままに。
「らしくないな」
「貴公が謝ってどうするんだ、貴公らしくもない」
「もうずっと、謝ってばかりじゃあないか」
そう、レーベンに謝るなど、まるで彼女らしくは……。
「どうして、こうなるんだ」
砂と水だけを見下ろしながら、レーベンは口走った。
「何故、貴公たちが死ぬんだ」
「俺は生きているのに、なんで」
「俺が、俺が死ねば良かったじゃあないか」
両目を覆った掌からは砂の感触だけがした。
「おかしいだろう」
「なぜ、なんで俺だけ」
「なんで」
俺はいつもそうだ。
何ひとつ上手くできない。なんにも思い通りにならないんだ。
俺はただ、騎士になりたかっただけなのに。
「なんで、いないんだ」
俺はただ、言ってもらいたかっただけなんだ。
俺の墓の前で、こいつはどうしようもない馬鹿で、でも立派な騎士だったんだって。
魔女と戦って、立派に死んだんだって。
貴公たちに、そう。
「あ、」
「ああぁ」
でも、もういないじゃあないか。
俺は貴公たちの他に友達なんていないのに。
貴公たちだけが友達だったのに。
もう、誰も言ってくれないじゃないか。
もう誰も、俺のことを褒めてくれないじゃないか。
川のほとりには何の音も無い。レーベンが立てる音しか。
二人の人影はもう何も言ってはくれず、ただそこに在るだけ。
何の音もないまま、それでも時間だけは過ぎていく。
「いくのか」
ようやく平坦な声を出せたレーベンが顔を上げれば、色のない川の中をいくつもの人影が歩いていた。
それらの影は皆が二人一組となって、寄り添うように遥かな水平線へと向かっていく。
二人も、また。
「俺は、いけないんだな」
なにも言わないまま背を向ける二人の影。その背をレーベンは追おうとはしなかった。きっと無駄なのだろうから。
だから、レーベンもまた無言で立ち上がる。立ち上がって、水平線へ、白い太陽へと歩いていく影たちを見送る。
ゆっくりゆっくりと、二人と無数の影たちが歩いていく。そのすべてを見届けることもなく、レーベンは背を向けた。
「くらい、な」
川へと背を向ければ、そこには灰色の大地と黒い空だけがある。
何の光もない。なにも。
灰の砂を踏みしめて歩き出す。足首まで埋まるそこはひどく歩きにくく、まるでレーベンが進むことを拒絶しているようだった。
今までずっと、なにもかもから拒絶されてきた
十歩と進まない内にレーベンは力尽きた。立ち止まり、膝をつき、砂の中に倒れ伏す。
灰色の目が、入った砂を排除しようとする。砂は冷たく、レーベンを受け入れようとはしない。進むことも下がることも立ち止まることも許さない。この川は生者を歓迎しないのだから。
生も死も、レーベンを歓迎してはくれない。
「……?」
滲む視界の端を、小さな光が掠めた。砂の中でもがき、手に取ったそれは。
銀の光。簡素な意匠。ふたつの指輪。
聖銀の光。表に刻まれた赤い双剣。裏に刻まれた、彼女の――。
首に提げた鎖から外れ落ちたそれを握る。握って、目許を拭いながら砂の中に立つ。見上げた空は黒く、灰色の大地になんの光明も恵んではくれない。
それでも。
「――貴公!」
最後にもう一度だけレーベンは振り返る。白い太陽へと向かっていた二人の影に、ふたつの指輪を投げ放った。
投げた拍子に、不格好に倒れる。砂まみれの顔を上げれば、こちらを向いた二人の手にはそれぞれ、銀の光が小さく輝いていた。
それだけを確かめてから、レーベンは川に背を向けて歩き出す。もう二度と、振り返らずに。
踏みしめた砂はレーベンの脚に絡みついて歩みを阻み、凍てつくような冷たさが立ち止まることも許さない。無明の空は何の
向かう先には何も無く、無為な大地がどこまでも続いている。それでも。
レーベンの手には聖女証だけがあった。何の力も持たない、ただの聖銀片。それでも、それでも。
レーベンはただ歩いた。冷たい空と大地の中を。どこまでも。どこに向かうでもなく。
握りしめた聖女証が、掌を刺す。
「痛いですよ」と、そんな声をレーベンは聞いた気がして。ひとり、笑う。
見上げた空は、彼女の瞳のように黒かった。
◆
見上げた空は、彼女の瞳のように黒い。
「……、……夢」
夢から覚めた先もまた夢。どこからが現実なのか、茫洋としたままのレーベンにはよく分からなくなってきた。左手で胸元を探ってみれば、服の下に固い指輪の感触は確かにある。つまり今こそが現実で、随分と都合の良い夢を見たものだと、ひとり自嘲に口元を歪ませた。
ひどく静かだった。だが耳を澄ませば夜風に草が鳴り、虫の鳴き声もたしかに聞こえてくる。つい今まで歩いていたつもりの灰色の世界とは違う、命のある静寂。
レーベンは生きているのだ。そして今、己に膝を貸してくれている彼女も。
「……シスネ」
暗い夜空と輝く月を背景にして、白い聖女の顔が逆さまになってレーベンの眼前に頭を垂れていた。座ったまま眠る彼女は頭から黒い外套を被っており、見慣れたそれは二人の体を雑に包み込んでいる。
頬をくすぐる、垂れた白髪。それを指先で弄ると、それだけで彼女の瞳は開かれた。
「……ようやくお目覚めですか」
「貴公もな」
「私はさっきまで起きていましたよ」と、何故か張り合うような事を言って彼女は不機嫌そうに顔を逸らした。それが可笑しくてかすかに笑うと、シスネが更に表情を歪める。
「っ、あまり動かないでください。脚が痛いのです」
「そ、そうか」
怪我をしたのだろうか。彼女のことだから既に応急処置は済ませているのだろうが、わざわざ怪我をおしてまで膝を貸してくれなくても良かったのではないかと、レーベンは思う。
言われるままに体を固め、ただ月と彼女の顔を見上げる。シスネは視線から顔を逸らすでもなく、だがレーベンを見つめ返すでもなく虚空を眺めていた。黒い瞳の周りには確かに、涙の跡が見て取れる。
「……終わりましたね」
吐息のようにシスネが囁く。
「……終わったのか」
何も考えずにレーベンは答えた。
視線だけで遠くのポエニスを見やれば、崩れた影のそこかしこから火の光が見える。だがそれは戦火によるそれではなく、まだそこに生きる命が残っていることを示す灯火に見えた。
鬨の声はもう聞こえない。戦いは終わったのだ。
そして。
「……カーリヤは」
「死にました」
口走った問いにシスネは即答した。レーベンを撃ち殺すような速さで。
「私が、狩りました」
シスネの声は震えていない。あるいはもう、震え尽くした後のように。レーベンも、それに返す言葉など無い。
カーリヤとライアーは死んだ。それだけが事実だった。
ライアーは死に、それに絶望したカーリヤは魔女となってレーベン達の前に現れた。そして動く死体となったライアーをレーベンが狩り、カーリヤをシスネが狩った。
それだけが事実。それだけが。
レーベンの
それだけが事実。現に、二人の指輪だって今ここに――。
シスネの手がレーベンの首を撫で、細い鎖を無遠慮に引き抜く。そこに通された彼女の聖女証と、二つの……。
「……貴公?」
「……いえ」
「ただ、」と指輪を撫でながらシスネは苦笑した。自嘲に満ちた笑みだった。
「ずいぶんと、都合の良い夢を見てしまって」
二人の魂は、女神の川になど……。
「…………そうか」
◆ ◇
「ところで」
月の位置も変わるまで続いた沈黙を破ったのはシスネだった。その間ずっと遠慮もなく人の膝を枕にしている馬鹿を揺すって起こす。見上げてくる二色の双眸は、未だ慣れない。
「そろそろ返してくれませんか、それ」
「……あぁ」
彼女の膝に頭を預けたまま、レーベンは左手で聖女証を手に取る。そもそも、これを無理矢理に押し付けてきたのはシスネの方なのだが。それを口に出せるほど、もうレーベンも彼女のことを無理解という訳ではなかった。
「っ、あぁ、ひどいな。全身が痛い」
「私もですよ。脚が痺れて立てそうもありません」
あれだけ無茶をすれば全身が動くことを拒否して当然だろうとシスネは思う。そしてそれは同等の無茶をした自分も同じだ。何時間も膝を貸してやっていたこともありがたく思ってほしい。なにせ五発も撃たれているのだ、シスネは。
やはり起き上がれなさそうなレーベンに溜息を一つついてから、適当に聖性を流してやる。それで多少はマシになったのか、顔を顰めながらようやく起き上がった。
「癖になりそうだな、これは」
「高いですよ」
「勘弁してくれ」
冗談なのか本気なのか、どうも判断しかねる軽口にレーベンは内心で冷や汗を流す。聖性を流される度に金貨でもよこせと言うのか、この聖女は。銀貨でも良いだろうか。
ようやく動き出した両手で鎖を外し、シスネに差し出すも彼女は手を出そうとしない。ただ不機嫌そうに唇を尖らせるだけ。
「腕も痛いのです」
「そうか」
「気が利きませんね」
「そ、そうか」
「あなたが着けろと言っているのですよ、馬鹿」
この
押し付けてきた物を今度は返せと言う。しかも罵声つきである。内心穏やかでなくなってきたレーベンであったが、そのおかげで特に遠慮も覚えず彼女の首に手を回すことができた。
月明りに浮かぶような白髪。眠っている間に手袋も手甲も外されていた素手を、髪の中に差し入れる。ふわりと揺れた髪から漂ってきた血と汗と彼女の香りを感じ、呼吸を止めた。
努めて指先に集中しようとするも、間近に迫った黒い瞳はじっとレーベンを見つめてくる。視線に耐えながらも慣れない作業をなんとか終え、体を離そうとした瞬間――。
「シ……」
「動かないで」
無警戒に近付いてきたレーベンの体を、思い切り抱き寄せる。そうやって、いつか姉に言われたように彼の頭を胸に埋めてやった。こんな事をすればシスネの羞恥心なんて容易に弾けそうだと思っていたけれど、思っていたよりは平気。それとも、そんな余裕も無かったのかもしれない。
「力を抜いて、喋っても駄目です」
もう見ていられなかった。
この馬鹿はきっと自覚していないのだろうけれど、目覚めてからもうずっと、哀しそうな目をしていた。もうずっと、泣きだしそうな。
だから。
「だから、あなたはこのまま泣けば良い」
そんな風に言われれば、レーベンとて平静ではいられない。まるで動かない顔のせいで誤解されがちだが、レーベンも人だ。人並の感情はある。
まして、生涯の友人を二人ともに亡くしてしまえば、耐えることなど。
「……貴公、らしくも、ないな」
「良いでしょう? たまには聖女らしいことをしたって」
「ちがい、ない」
穢い人だと思っていた。シスネと同じ、どんなに哀しいことがあっても心の底からは哀しめない、そんな人だと。でもそうではなかった。
なら、もう彼は限界なのだろう。こんな穢いシスネでさえ、あれだけ泣いたのだ。ましてレーベンなら。
現に彼の両腕はもう、シスネの背中にしがみついていて。
「だから、ほら」
そんな風に、彼女の方が泣きだしそうな声で。
どこまでも、やさしい声で。
耳元で囁やかれてしまえば、もう。
「泣いて」
戦いは終わり、戦場跡となったポエニスも静かに眠ろうとしていた。
屍と瓦礫の山もそのままに。今はただ、生き残った者たちが、その命だけを噛みしめて。
故に、遠く離れた平原の中で響く慟哭を聞く者はいなかった。
ただ一人の聖女を除いて。
この戦いで、二人は何を得て、何を失ったのだろうか。
その問いを投げる者はなく、答えを返す者もない。
あるいは誰も。永遠に。
聖女と騎士の物語は、いつだって悲劇で終わる。
もしも、望んだものを永遠に失うことを悲劇と呼ぶならば。
この日、レーベンはようやく騎士になれたのだろうか。
己を抱く聖女の胸の中で、レーベンはそう思った。