ステイン妹のヒーローアカデミア   作:苗字ちゃん

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第一章 赤黒兄妹
幼少期編


 違う世界に生まれ変わったら、貴方はどう思う?

 何をして、どのような未来を思い描く?

 

 少なくとも私は、驚きつつも嬉しかった。

 漫画やテレビでしか存在しない架空のキャラクター。彼らが存在し織りなす物語の一端を担えるのかも、と未来に胸を膨らませたものだ。

 

 何故こんなことを思ったのかって?

 母と思われる女がぼんやりと眺めるテレビに、この世界が別の世界だという答えが転がっていたからだ。

 ヒーロー、ヴィラン、そしてオールマイト。

 その単語を咀嚼して、ああ私は別の世界に生まれ落ちたのだと、混乱しつつも喜びを感じたのだ──少しの間だけは。

 

「あ……あう、ばー……」

「……」

 

 恐る恐る声を出す、赤ん坊となった自分の小さな手を伸ばす。

 だけどその手を握り返す人はいない。感じるのは疎ましい感情をのせた氷のように冷たい視線のみ。

 

 大人を経験し生まれ変わったからこそわかったが、私は育児放棄をされていた。そう、育児放棄である。

 母と思われる女も、父と思われる男も、私のことなんて道端に転がる石のように、まるで興味がないのだと視線で早々に悟った。

 

 いや、石の方がまだマシだったろう。

 疎ましい、邪魔だと思われるのだ。時々降り掛かる暴言や暴力に、小さな私は成す術もなく受け止めるしかなかった。

 殺されないだけありがたい、害虫のような存在だったのかもしれない。

 

 ──いやいや、それはないって。

 違う世界に生まれ変わったのにこんなことってある?生存率の難易度ルナティックモードじゃん?

 焦りが募る。体は酷く重く、短い手足では思ったように動かせない。

 頭ではハッキリと理解している言葉も、小さな口では紡げない。私は助けを求めることができない。

 助けを求めたところで、両親に睨まれるのがオチだけど。

 

 この世界のキャラクターに対する憧れとか、会ってみたいなどという気持ちは泡のように消えていた。

 だって自分の明日の命すら危ぶまれる状況なのだ。将来ヒーローになって一緒に戦うぞ!とか、そんなことを考える暇さえない。

 ブラウン管の向こう側では、オールマイトがまた人を助けたのだと賞賛されている。

 

 私の元に、助けは来ない。

 

 助けを求めて手を伸ばしても、声を上げても。睨まれるか、罵倒され殴られるだけ。

 所詮世界が変わろうとも、オールマイトは私のいるこことは違う、向こう側の人間でしかなかった。それでも、

 ──私のところにも、いつか助けに来てくれるかなぁ。

 そう願わずにはいられなかった。

 

 八畳ほどの小さなアパートの一室、その端っこで一人。

 隣に居座る死に震えながら、首に掛かる鎌に怯えながら、長い一日を生き延びるために必死だった。毎日毎日、いつか来る助けを夢見てた。

 それがこの世界での私のはじまり。

 

 

 

「おなかすいたなぁ」

 

 畳をなぞれば、指の腹は黒く汚れた。

 散乱するティッシュ、中身の抜き取られたプラスチックのラベルや脱ぎ捨てられた衣服を避け、僅かな足の踏み場を探して小さな部屋の中でゴミを漁る。

 途中埃を吸い込んでは噎せ返って、それだけなのに酷く疲れて苦しくなった。

 

 煙草の吸い殻や化粧品、コンビニの袋が乱雑に置かれた机の上には、箸が突っ込んだままのカップ麺が冷たくなっていた。私は躊躇なくその中に残っていた汁を啜った。

 空っぽの胃の中に、刺々しい味の汁が注ぎ込まれる。

 腹は満たされないしちっとも美味しくはないが、今日の食事・・はまともだと思った。勿論、比較対象は昨日の私である。

 

 ただ朝が来て夜が来るのを繰り返すだけの、なんの意味があるのかわからない、消えそうな命に一人薪を焚べるだけの作業。

 しかし驚くことに、地獄のような赤ん坊時代から早数年の月日が流れていた。

 それでも、私は前と変わらず毎日を生き抜くのに必死な幼児である。

 

 あの日々をどうやって生き延びたかって?

 とにかく両親の前では泣かないこと。一番大事なことはそれだった。悲しいことに。

 両親を不快にさせなければ肉体的な暴力は飛んでこない。差し詰め私は空気の読めるサイレントベビーとなったわけだ。

 

 両親がいない時間を見計らって思い切り泣いてみたけれど、扉の向こう側から聞こえる足音は止まることはなく、泣くことで私の体力は尽きていくばかり。

 ──オイ、まともな人間はいないのかよ!と、心の中で頭を抱えてしまう。

 ヒーローを志す一般人って、この世界ではありふれたものだと思っていたけれどそれは緑谷出久主人公の周りだけで、他はそうでもないのか……?

 私は絶望していた、このままでは確実に死ぬからだ。

 

 しかし絶望していた私にも、生き延びるための微かな希望はあったわけで。

 まずひとつ、両親が連れ込む男や女の存在だ。──いやいや、配偶者がいるのに別の男女を家に連れてくるなよ、と最初は思っていた。

 けれど彼らは時に私を哀れみ、時に両親に命令されて私の世話をした。

 その手つきは優しいものではなく、作業のようなものだったし必要最低限のことだったけれど。何もできない私は人に頼るしかなったから、名もわからない彼らには一応感謝している。

 

 そしてふたつ、どうやら私には兄がいたらしい。

 ──チッ、と舌を打つ音が聞こえ目を覚ました私を見下ろしていたのは若い男。その目つきは鋭く、どこか見覚えのあるものだった。

 どこで見たんだっけ?そう考える私に手を伸ばして、酷く不慣れな手つきで、その男は最低限の世話をした。

 

 ──ろくに世話も出来ない癖に、何故子を産んだのか。俺には理解ができない。

 ──本当にね、と私は心の中で彼の言葉に同意した。手を動かす元気があったら、サムズアップの一つくらいしたかったのだが。

 

 彼は両親や愛人達が家にいるときは現れないが、誰もいない時にふらりと現れては私を鋭い目付きで見下ろした。

 数日おきの、数十分の短い時間だったけれど。それでも彼は私の命を首の皮一枚繋ぎ止めた存在だったと言えるだろう。

 

 そんな彼が兄だと知ったのは、ろくでなしの父が「コイツの兄なんだから世話をしろ」と言っていたのを聞いたからだ。どの口が言っているんだ、と驚いたのを覚えている。

 そしてその目つきが父と母にそっくりなのだと気付いて、あぁ、だから見覚えがあったのかと呑気に思いながら、父を無視して扉の向こうへ消えていく背中を何度も見送った。

 

 その時見える、扉の向こうの青空がすごく綺麗で。

 いつかオールマイトや、ヒーローが助けてくれる時。私はあの青空を好きなだけ眺めることができるだろうか、と。

 なんてことのない空を綺麗なものだと思って。私は誰かが助けてくれることを、この地獄から掬い上げてくれることを夢に見ていた。

 

 兄の目付きは鋭かったけど、両親のように冷たくはなかった。ただ、暖かくもなかったけれど。

 温度のない視線は、この世界の私にとっては優しいものだった。

 これが、地獄の赤ん坊時代を生き抜いてきた時のはなし。

 

 

 大人の助けが必要な幼女とはいえ、自分で歩けるようになった私に差し伸べられる手は多くなかった。なので出来ることは自分でやらねばならない。

 不衛生はよくないから、両親の目を盗んでお風呂に入った。

 幼児が出来ることなんて少ないから、勿論浴槽にはつかれない。溺れて死ぬ。

 シャワーも届かないから硬い水栓の蛇口を捻って汚れを落とす毎日。服の洗濯は諦めてたまに差し出されるものを待った。

 

 食事は全くと言っていいほど取れていないだろう。たまに分け与えられるものでは明らかに栄養は足りず、私の手足は細く頼りない。

 子供特有のふっくらとしたフォルムは見る影もなく、ガリガリでアンバランス。ガイコツみたいで酷く不気味。

 両親の残したものをこっそり食い漁るか、兄が来るのを待つ日々。

 

 ブラウン管の向こう側では、今日もオールマイトが人々を救ったのだと賞賛されている。

 私はそれをもはや他人事のように眺めていた。

 助けてほしいと願ってしまったら、期待してしまったら。現状がとても苦しく感じるから。

 

 ──これから先、どうしようかな。

 最初胸に抱いた輝かしい未来など、とうの昔に消えていた。

 とりあえずドアノブに手が届くようになったら、この小さな世界から飛び出す。それだけは決定している。

 飛び出した先はここより地獄か、天国か。飛び出してみないことにはわからないけれど。

 きっと空は綺麗なまま、青いのだろう。

 

「てんせいしてなかったら、しんでたな」

 

 転生することのない、ただここに産まれた赤ん坊だったら。私はとっくに死んでいただろう。

 ──ろくでなしの両親よ、感謝しろ。お前たちは私が生きているおかげで、捕まることがないのだから。

 そんなことを思っていると、数日ぶりに兄が家にやってきた。彼は辺りを見渡して両親がいないことを確認すると、相変わらず鋭い目で私を見下ろした。

 

 兄の名前は赤黒血染あかぐろちぞめという。随分と物騒な名前だ。

 見たところ高校生くらいの年齢。身なりは整っているし荷物はこの家にないので、別の場所で暮らしているのだろうと想像できる。

 

 彼はいつものように部屋の隅にいる私の目の前でしゃがみ込んで、コンビニで買った食事を差し出した。黙って受け取ってお礼を言わない私に、彼は何も言わない。

 封を開けられず苦戦をしていると大きな手が伸びてきて、黙ってそれを開けてくれる。

 

「何故子どもがこんな仕打ちを受けねばならないのだろうな」

 

 ──ほんとにね、と。そう返したかったけど。

 ここで食いそびれたら次いつ食べられるかわからない。それが当たり前になってしまった私は、兄の言葉に返事をせず目の前の食事を咀嚼するのに必死だった。

 

 

 ゴミのような家庭環境で育ったからか、家から出た事がないにも関わらず、私はヒーローに出会ったことがある。

 彼は光沢のある、体にフィットしたスーツを着ていた。若い男だった。

 その格好で街の中歩いているのかな?と想像してみたら面白かったのを覚えている。

 

 ──会ってみた感想だけ言えば「最悪」。この二文字に尽きる。

 彼は近所からの通報で来たらしい。おそらく虐待の通報だろうか。しかし家の中の惨状を見渡し、突き放すような態度の両親を一瞥。そして──部屋の隅で縮こまる、被害者わたしと目があった。

 

 オールマイトじゃないけどようやくこの世界とおさらばできるな〜と思っていたのも束の間。

 彼は両親の「あの子は人見知りなんです」の言葉に頷いて身を翻して去っていく。いや、何でやねん。その目玉は飾りか?

 

 うん、まあ。最初顔を見た時からやる気なさそうだなぁって思っていたけどさ。少しは期待するじゃん?ヒーローに助けてほしいって思うじゃん?

 ──助ける気がないならヒーローなんかになるなよな、と。

 私は父親からの拳を受け入れながら、少しだけ。ほんの少しだけ。彼を、ヒーローを呪ったのだった。

 

 体が痛い。

 ベランダに放り出されて、寒い。

 けど体は熱い。

 死ぬ。

 

 ヒーローが我が家にこんにちはしてから半日、いや一日くらい経った。

 身体中が痛くて、意識が朦朧としている。

 これはヤバイ〜!人生数年目にして最大のピンチ〜!!

 ──と、まあ。心の中でおちゃらけてみるけれど。このままだと死ぬ、それだけは、何故だか、はっきりと分かった。

 けどね、手足も、指先さえも。

 力が入らなくて、動けないんだ。

 

 ただ朝が来て、夜が来て。

 同じようにこの世に生まれた私は、死んでいく。

 何の意味もなく、部屋に散乱したゴミの一部のように。

 

 ──ドクリ、と。

 心臓が一際大きく、躍動した。

 

 ……火事場の馬鹿力というやつだろうか?

 先程まで指一本動かせなかったのに。痛いけど、苦しいけど、何とか体は動かせるようになった気がする。

 私は地面を這いながら、窓に手を伸ばした。窓は重たいけれど、なんとか開いた。どうやら鍵をかけていなかったらしい。

 

 そのままゴミの中を突っ切った。雑巾掛けのように、体を黒く汚しながら。ゆっくりと、みっともなく地面を這って外へ繋がる扉へと向かっていく。

 

 両親がいない、今しかない。

 ここで外に出ないと、私は死ぬだろう。

 自分の名前もわからず、外にも出れず。ゴミみたいな人生にゴミのまま幕を下ろすだろう。──そんなの、嫌だ。

 

 オールマイトに助けを願っても、彼は来ないのだ。私と目があったヒーローだって、助けてくれなかった。

 

 ねぇ、私。

 キミは一体いつまで夢を見ているんだ?

 ──自分の身は自分で守らなきゃ、死んでしまうというのに!

 

 ドアノブは高く遠く、手を伸ばしても届かない。

 頭が痛い、眩暈がする、視界がぼやける。

 それでも、それでも。私はただ手を伸ばした。

 薪をくべた心から、微かな炎を燃え上がらせる。

 

「──しんで、たまるか……!」

 

 その瞬間。

 ドアは開き、柔らかな風が左右を吹き抜けて、頬を髪が撫ぜる。

 扉の向こうには、青空を背景にこちらを見下ろす兄がいた。珍しく、鋭い目を丸くさせている。

 それを見て、私は手を伸ばして──

 

 ──その後の記憶は黒く塗り潰されて、覚えてはいない。

 

 

 

 

【幼少期編:了】

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