ステイン妹のヒーローアカデミア   作:苗字ちゃん

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職場体験編(下)

 職場体験当日。

 赤黒操(あかぐろみさお)はプレゼントマイクと共に学校を出てから一時間程車に乗り、新幹線の乗り場へとやって来ていた。

 操にとって初めて乗る新幹線。視線の先には駅弁やお土産が売っている小さなお店やコンビニが手狭に並び、通路は大荷物を持った人々で賑わっている。

 その初めての光景に操は辺りを見渡すけれど、目があった人々が嫌そうに眉を歪めるのでそれからはプレゼントマイクの背中をじっと見つめていた。

 妹は兄のようなダイヤモンドメンタルではないのだ。

 

「オイオイ、あんま見つめっと俺の背中に穴が開いちまうぜ〜?」

「開いちゃえ」

「シヴィ〜なオイ!」

「……来たか」

 

 そんな会話をしながら二人が足を進めていると、一足先に駅に来ていた相澤と合流することが出来た。彼は一本前の新幹線に乗ったA組の生徒達を見送ったところであった。

 場所が場所なら、というより操と飯田が会わなければ新感線の時間をずらす必要はない。

 しかし敢えて操の時間をずらしたということは、そうしなければならない理由があったからだ。

 

「先生?」

「飯田は保須市のヒーロー事務所に行った」

「──!」

 

 それを聞いて蘇るのは、数日前の記憶であった。

 兄の信念に負けたくない、そう決意した操は職場体験に参加することを決め、どの事務所へ行くのか相澤に報告するため職員室へ足を運んでいた。

 操が手渡した書類には、一つのヒーロー事務所の名前が書かれている。その事務所の住所を確認して、相澤は目を細めてジッと操を見つめた。

 操が選んだヒーロー事務所は、ヒーロー殺しステインが潜伏しているであろう保須市の隣市にある事務所だったからだ。

 相澤の訝しげな視線に、操は頬を膨らませて腕を組む。相澤には本音を包み隠す事なく「兄が大切だ」と伝えたが、そう怪しまなくてもいいじゃないかと思ったのだ。

 

『やだなぁ、先生。もしかしてお兄ちゃんと合流するとか思ってる?』

『そうは思ってない、が』

『……?』

『お前がステインを止めに行くんじゃないかと思ってる』

 

 ──そういえば先生は私のことをヴィランの妹ではなく、良いヒーローになれる生徒だと認識していたんだっけ。

 数日前彼に掴みかかった朧げな記憶を呼び覚まし、操は組んでいた腕を解いて困ったように眉を下げた。

 

『……免許持ってないのに行けるわけなくない? ルールを破ったらそれこそヴィランじゃん』

『その言葉を忘れるなよ、赤黒』

『……』

『信じてるからな』

『……』

『返事』

『……うん』

『よし、しっかり学んでこい』

 

 判子の押された書類を受け取り、射抜くような真っ直ぐな視線から逃げるように操は俯いた。作り笑いもできなかった。

 事務所を抜け出して兄を探す様な事はしない。操なんかを受け入れてくれたヒーローの顔に泥を塗りたくないので、ちゃんと言うことを聞くつもりで参加する。

 けれどもしかしたら──なんて、そんな下心があるのは確かだった。

 操は相澤の信頼を裏切ることになるかもしれないと思うと素直に頷けなかった。けれど"信じてくれる"、その気持ちが嬉しかったので裏切りたくないと胸に刻んだのは、確かだった。

 

 

 そんなやり取りが数日前にあったのだが、まさか飯田が保須市のヒーロー事務所に行くとは知らなかった。驚きで操は言葉が出なかった。

 飯田と操の行き先を考えると同じ新幹線になってしまう。だから操の時間は、他の生徒とずらされたのだろう。

 

「隣の市っても結構広いから会うことはないと思うが、もしものことは想定しておけよ」

「……」

 

 保須市にはステインがいる。

 クラスメイトから聞いた飯田の様子はいつも通りを演じているようだったが、無理しているように見えると言っていた。憧れだった兄が再起不能にまで追い込まれたのだ、無理もないだろう。

 操は彼に胸ぐらを掴まれたとき、確かに殺意を感じていた。──飯田は、兄に会うために保須市に行ったのだろうか?

 操の兄は、いや、ヒーロー殺しステインは自身の信念に反する者であればたとえ子どもが相手でも決して容赦はしないだろう。幼い頃訓練と称してボコボコにされていた操が言うのだから間違いはない。

 普段の飯田ならまだしも、もし彼がステインに殺意を抱いているのだとしたら──ううん、これ以上考えるのはよそう。

 操はかぶりを振って、落としていた視線を前に向けた。コスチュームの入ったケースを片手に持って、相澤とプレゼントマイクの目をしっかりと見つめる。

 ──飯田だってヒーロー志望の学生だ。今更操が何かを考えても仕方がないし、彼の光を信じるしかないと思った。

 

「何かあったら連絡しろ」

「何もなくても連絡していい?」

「何かあったらにしろ」

「えぇ〜」

 

 ここにいる相澤が、プレゼントマイクが。

 そしてここにはいない教員や、友人達が操を信じてくれたように。操も飯田を陰ながら信じようと思ったのだ。

 ──それだけなら、許されると思ったから。

 

「相澤先生にプレ先、じゃあね」

「しっかり学んでこい」

「気をつけろよー!」

「うん、行ってきま〜す」

 

 こうして操は二人に見送られながら新幹線に乗り込んだ。新幹線に人は居らず、操は安心して寛ぐことができた。

 窓から流れる景色を見つめ、それを写真に収めて友人に送ったりと、実に長閑な時間を過ごしたのだった。

 実は雄英高校が操のために警備員を増やして一車両貸し切っていたのだが、それは操の知らぬ事である。

 

 こうして操の職場体験はようやく幕を開けた。

 数年前のあの日、別れ道を進んでから数年ぶりに顔を合わせる兄妹の運命はどう転がっていくのだろうか。長い因縁に終わりを告げるのだろうか。

 ──それは今の操には、知らぬ事である。

 

 

 

「お前を指名したのには理由(わけ)がある。お前にはステインを捕まえるための餌となってもらうぞ、赤黒操」

 

 操がやってきたヒーロー事務所はあまり名の売れたヒーローが運営している事務所ではない。保須市の隣市にある、ヒーローが一人しか在籍していないこじんまりとした事務所だった。

 それでもこのヒーロー事務所は操に送られてきた数少ない指名のうちの一つであった。何故彼が悪い意味で有名な操を指名したのか分からずここにきたのだが──開口一番に言われたその言葉に、操は呼ばれた理由(わけ)を理解する。

 

「……餌」

「そうだ。少しでもステインの犯行に責任を感じているのなら、俺のためにヤツを誘き寄せろ」

 

 眼光は鋭く、無骨な手足。顔は隈が酷く土色で、皺が刻まれている。髪は黒と白が混ざっていてうんと長く、手入れをしていない様子だった。その男はその見た目より随分と若く、まだ三十代らしい。

 ──彼はヒーロー殺しステインによって三年前、ヒーローであった恋人を殺されたそうだ。

 その恋人は学生時代から共に支え合ってきた大切な人だった。婚約して間もなく、路地裏で惨殺された死体が見つかり、不幸にも彼はその第一発見者となった。

 薄暗い路地裏で、むせ返るような血の臭い。地面を赤黒く染める血溜まりの中心に、苦悶の表情を浮かべる恋人の亡骸。

 音を立てて崩れ落ちた彼の日常と共に、その恋人は奈落の底へと消えていった。

 

 それから彼の人生は、大きく歪んでいった。

 大切な人を殺された怒りの矛先をステインに向け続け、怒りが風化せぬよういつだって己を奮い立たせ、ステインを探し出し、そして殺すためだけに刃を研いで生きてきた。

 ──俺は今でも覚えている。冷たくなって血の気の失せたアイツの体を抱きしめた、この両腕の感覚を……!

 事務所を全国各地へ転々とさせながら、恋人が殺されてからの数年間、ステインとの邂逅をずっと待ち侘びていたそうだ。

 そしてようやく自身の構える事務所の隣市にステインがやって来て、運良く餌となり得る赤黒操を指名することが出来た。

 ──これは神によって与えられた最大のチャンスだ。

 そう語る彼の瞳には、深い闇の中で唯一復讐の炎が燃え盛っていた。

 

「お前がどういう目的でこの事務所を選んだかは知らねぇが……存分に利用させてもらうぞ」

 

 操を呼んだのはヒーローとして何かを教える為ではなく、自分の為。ステインはヒーロー殺しと言われている男だから、血縁がヒーローを目指していたら殺しに来るだろうと考えてのことだった。

 それを聞かされて、操は何とも言えない気持ちになった。

 指名された理由に残念だと思う気持ちもある。けれどそれ以上に兄によって未来を壊された人の、心の叫びを聞くのが苦しかった。操もその一端を担っている自覚があるから尚更のことだった。

 ──私があの時兄を止めていたら。

 彼もその恋人も、二人に関わる人たちも、そして飯田の家族も。苦しみで俯く事や、涙を流す事はなかっただろう。

 だからこそ、操はその瞳から絶対に目を逸らさなかった。その炎を心に刻みつけて、前を向くしかないと思った。

 

「──捕まえるためなら餌にだってなってやる」

 

 操が餌になる事で兄を止められるのならば、それで構わないと思った。

 そもそも操だって「もしかしたら保須市の近くに行ったら兄と会えるかも」と下心を胸に抱いてやって来たのだ。彼に文句を言える立場ではない。

 こうして、操の職場体験は不穏な空気のまま本格的に始まる事となった。

 役者は既に、保須市近隣に集まっている。

 

 

 

 操を受け入れたヒーローは彼女を手厚く歓迎することはなかったが、決して酷い扱いはしなかった。

 事務所の案内を終えたら仮眠室に通され、そこでコスチュームに着替える。それからはヒーローの卵として、彼の背を追っていく日々を過ごした。

 彼の目的は第一にステインである為、二人は保須市を中心にパトロールをした。ステインが潜伏している中、隣市のヒーローが保須市に出向くことは何も不思議なことではなかった。

 そして事務所に戻れば過去のステイン犯行資料に目を通し、犯行時間や次の犯行場所に目星をつけるための議論をする。

 ステインの個性や思想については操のわかる範囲で彼に説明し、積極的に情報や意見を落としていく。

 彼の集めたステインの資料は膨大で、操の知らなかった被害者の顔が一瞬にして浮き彫りになっていった。

 ──十七人の死亡者に、二十三人の再起不能者。

 操は彼らの顔と名前を絶対に忘れてはいけないと、刻みつけるように何度もなぞった。襲われた日、場所、そして亡くなった日を、自身への罪として深く深く刻みつけていった。

 

 ホワイトボード一つでは足りない情報量に、分厚いファイルが数冊。切り抜きの資料全てに書き込みの跡があって、角は擦り切れてボロボロになっている。

 これは彼の執念の現れだった。抑えきれない悲しみと怒りが形になったものだった。

 操はそれを受け止めて、噛み砕いて丁寧に心の中へ仕舞い込んだ。そして机に齧り付く彼に声をかける。

 

「なあ、ちょっといいか?」

「……何だ?」

「もう九時だけど、晩御飯どうすんの?」

「あぁ……もうそんな時間か」

 

 数年前の事件に、男は時間を忘れるほど没頭している。悲しみを受け入れることが出来ないから、彼はそうしないと生きていけないのだと知る。

 立ち上がった彼のデスクには伏せられた写真立てがある。そこに映っているのが誰なのか、そしてどんな表情をしているのか想像する事はできるけど、操にはそれを見る勇気は無かった。

 ただ兄のせいで彼と同じように人生を狂わされた人が他にもいるのだと、操は受け止めなければならない。

 赤黒兄妹が原因で十七人と二十三人以上の人生が悲しみで歪んでしまったのだと、しっかり受け止めていかねばならない。

 

「……面倒だな、出前でいいか?」

「いいよ。寿司とかどう?」

「クソガキ、遠慮って言葉を知ってるか?」

 

 彼の行いはヒーローとして正しいものではないだろう。実習生を預かっていながら自分の野望を優先し、生徒を放ったらかしにしているのだから。

 けれど操は彼の在り方を否定する事はできなかった。ヒーローだって、一人の人間だと知っているから。

 そして驚くことに、彼はステインの妹である操に対して決して差別をする事はなかった。憎い男の家族だからといって、冷たく当たる事はなかった。

 恋人が亡くなったことで酷く悲しみ、怒りで人生が歪んでしまっただけで、きっと根は優しい人だったのだろう。いいヒーローだったのだろう。

 操はただ、心が苦しみでいっぱいになっているこの人がいつか救われればいいと、そう願うことしかできなかった。

 

 

 

 そんな薄暗い職場体験の日常は早くも折り返し地点となり、三日目へと差し掛かっていた。今日も今日とて操は男と共に保須市へパトロールに来ている。

 保須市には、操以外にもクラスメイトがいるらしい。それは相澤が教えてくれた飯田と、エンデヴァー事務所にいる轟の二人だ。

 エンデヴァーの事務所は保須市内に無い筈だが、ステインが潜伏している事から応援要請を受けて保須市に来ているらしい。トップヒーローは名だけではなく、行動力も伴っていると実感せざるを得ない。

 しかしたとえ同じ市にいようとも、操はこの二日間二人の姿を目にすることはなかった。

 飯田はともかくエンデヴァーは有名なので「エンデヴァーを生で見た!」とはしゃぐ通行人の言葉を何度も耳にしたことから、きっとその時轟は近くにいたのだろう。

 しかし飯田の、あのガンダムみたいなコスチュームを噂で聞くことはなかった。

 

 もし操が保須市内で飯田に偶然会ったらどうするのだろう。

 お互いヒーローとして勤務中だから無闇に衝突する事はないと思うが、他人のように接されても傷つく自信がある。

 ──相澤先生にはああ言われたけど、今後のことを考えると、このままでいけないのはわかっている。

 例え操が餌となり、兄が捕まったとしても飯田の怒りが晴れるとは限らないのだ。その時操は何を選択しなければならないのか、わからないけれど。

 ──でも、進むよ。

 幼い頃の操がそう選択したように、今の操も同じ選択をするだろう。

 未来のことはわからないからこそ、今はとにかく前へ進むしかなかった。

 

「なんだか騒がしいな」

「近くにエンデヴァーでもいるのかな?」

 

 そんな風に思いを馳せながら保須市内を練り歩いていれば、建物の向こう側が騒がしいと思い足を止めて視線を向ける。

 エンデヴァーというトップクラスのヒーローが歩いていたら騒がしくなるのも頷けるが──。

 二人がそう思っていると、保須市から事前に渡されていた無線に一本の応援要請が入ってくる。

 

《保須市内でヴィラン出現!数が多く住民の避難が間に合ってません。ヒーローは直ちに現場へ急行してください──!》

 

 聞こえてきた切羽詰まった声色に、そしてその内容に、操たちは目を合わせることなく走り出す。

 逃げ惑うたくさんの市民とすれ違い、流れに逆らうようにその先へ向かって走れば、そこにいたのは──。

 

「んだコイツ!ステインの仲間か!?」

「知らない!けど雄英高校に襲撃してきたヴィランと似てる!」

「ヴィラン連合か……!」

 

 脳みそが剥き出しになった奇形のヴィランが二体、街を破壊し、市民に襲いかかっていた。

 理性も言葉も無いような、存在自体が暴力的なそのヴィランに人々はなす術なく傷を負っていく。

 バスは横転し、そこから逃げ出した人々を捕まえては握り潰すような、まるで無垢な子どもを連想させる純粋な暴力。

 投げられ地面に叩きつけられた人々が苦しみながらも、生きるため必死に逃げようとしている。

 そんな人たちを嘲笑うかのように、奇形のヴィランはその大きく太い腕を振り上げて、彼らにとどめを刺そうとしていた。

 

「やめろ!!」

 

 操はたまらず飛び出して、横からその腕を蹴り上げた。その勢いのまま上半身を捻り、地面に蹲る人を両手で抱え込んでそのまま地面を転がっていく。

 そして二撃目が叩き込まれる前に立ち上がり、被害者を抱えたまま地を蹴ってその場から飛び上がって離脱する。

 続々と駆け寄るヒーローの近くへ下がれば、何人かのヒーローが被害者を避難させるため、操たちの間に割って入ってくれた。

 

「あ、赤黒操!?」

「そんなことよりあのヤベェヴィラン止めるぞ!」

「怪我人は私が預かります!キミは避難誘導に従って避難しなさい!!」

 

 操が数秒動いた間にも沢山のヒーローがこの場へ集まって人々を守り、避難させようと全力を尽くしていた。

 しかし理性のない大型ヴィランを前に成す術なく倒れる者も多く、現状数でどうにかなっているようなものだった。

 そんなヴィランと戦っている最中、操と共にいたヒーローは辺りを見渡してこの場を離れようとしていた。

 操が慌ててそれを追いかければ、彼は止まる事なく人気のない路地裏へと足を進めている。

 

「オイ!こんな時にどこへ行くんだ!?」

「この騒ぎに生じてステインが動いている可能性がある!俺たちは奴を探──」

 

 しかしそこで、二人は倒壊した建物の下敷きになる女性を発見した。

 彼女は頭から血を流しており、朦朧とした意識の中で操達二人を見つけ、最後の力を振り絞ってゆっくりと手を伸ばしている。

 ──下半身が瓦礫に埋もれている……!

 血の量からして身体が潰れていることは無いだろうが、瓦礫が邪魔で逃げられなかったのだろう。そのせいで頭をぶつけてしまい、助けを呼ぶことすら出来なかったと推測できる。ここで二人が彼女を見つけたのは奇跡だといえるだろう。

 

 ──このままステインを探しにいけば、私たちはこの女性を見捨てることになる。

 操は一般市民の血液を操作する事が出来ない。何故なら、ヒーロー免許を持っていないため学校から禁止されているからだ。なので一刻も早く彼女を救助し、手当てをしなくてはならない。

 操は男に指示を仰ごうと思って視線を横に向けた。ステインを探すのも大事だが、それ以上に大切な事があると思ったから。

 しかし操が視線を向けた先、そこには誰もいなかった。

 ステインを追うためにあの場を離脱したヒーローは、気付けば被害者の元へと走り出していたから。

 

「オイ大丈夫か!返事しろ!」

「うぅ……」

「意識はあるな!?すぐ助けてやるからもう少し踏ん張れよ!」

 

 瓦礫を退かす、ヒーローの姿に。

 操は涙が出そうなくらい嬉しかった。そして同時に、とても悲しかった。

 操は奥歯を噛み締めて、男と同じように被害者の側に駆け寄って膝をつく。そして持っていた鞄から止血テープを取り出して男に手渡していく。

 

「無線借りるぞ、瓦礫を動かすのに向いてるヒーローがいるかもしれない」

「あぁ、頼んだ!」

「頼まれた!」

 

 操は少し離れたところで応援要請を出しつつ、二人の様子を見守った。

 操を指名したヒーローの瞳には、常に復讐の炎が宿っていた。それなのに、ステインへの復讐に囚われていた筈のその瞳には、今は被害者の姿しか映っていなかった。

 ヒーローの心を忘れていないその姿に、やはり彼の根本は温かなヒーローなのだと理解する。

 ──だからこそ、操は彼の運命を歪めてしまったことが申し訳なかった。

 彼だけではない。

 今ここにインゲニウムがいたら、その速さでどれだけの人を救えただろうか。兄が殺した十七人と、再起不能にした二十三人のヒーローがいたら、この先の未来でどれだけの命が救われただろうか。

 そう思うと、あの日兄を止められなかったことがどれほど重たい罪であったのかを改めて実感してしまうのだ。

 

「被害者はどこですか!?」

「──、あっちだ!瓦礫に挟まれて動けなくなっている!」

「了解!」

 

 次々と路地裏に現れるヒーローは、被害者を助けるためだけに動いていた。

 そこにヴィランの妹がいようがいまいが関係なく、ただ被害者の安全のために手足を動かしていた。

 

 ──ねぇ、お兄ちゃん。

 この人たちのどこが偽物だっていうんだよ……!

 

 噛み締めた奥歯から音が鳴り、握りしめた拳は白くなっていた。

 そもそもインゲニウムだって真っ先に民間人を助け、怪我をした操の心配をしていた。少なくとも操が出会った時は模範的なヒーローだったのに、何故兄の粛清対象になったのかわからなかった。

 兄の考えていることが、操にはわからなかった。

 

「うわ、風が……!」

「彼女を守れ!瓦礫が落ちてこないか注意しろ!」

 

 被害者の女性が助け出されようとする最中、突如吹き荒れた突風。

 それは砂埃を巻き上げ、街の悲鳴を一時的にかき消し、髪をかき混ぜて──そして操の元へ血の臭いを運んでくる。

 嗅いだ事のある血の臭いを、運んでくる。

 

 その瞬間、操の脳裏に浮かび上がったのは眼鏡をかけたクラスメイトの姿で──操は気付けば走り出していた。

 

「オ、オイ!何処へ行くんだ!?」

「なんつー速さだ……!」

 

 許可されていない個性を使用して、操はただ血の臭いの元へ足を動かした。

 一分でも速く、一秒でも速く。

 血を流したクラスメイトの元へ、飯田天哉の元へ駆けつけようと、ただひたすらに足を動かした。

 戦闘で怪我したとしても、彼の近くにはヒーローがいるかもしれない。避難誘導の際にたまたま傷を負っただけかもしれない。駆けつけた先で迷惑そうに、冷たい視線で射抜かれるかもしれない。また胸ぐらを掴まれるかもしれない。

 「ルールを破ったらそれこそヴィランだ」と相澤に言ったように、操は今でもそうだと思っている。

 相澤との約束を破ったら、もう元には戻れないかもしれない。信じてくれた先生や、友達や、たくさんの人たちを裏切る事になるかもしれない。

 

 でもそれでもよかった。

 飯田の未来が潰えないのであれば、操はもうどうなったってよかった。

 

 兄によって人生を歪められ、運命に翻弄されて苦しむ人々をこれ以上見たくなかった。これ以上、兄に生み出してほしくなかった。

 だから操は脳裏に浮かんだ教員や友人たちの顔をかき消して、躊躇わずに走り続けたのだ。

 飯田の、血の臭いの元へ。

 

 

 

 

 緑谷出久は新幹線の移動中、脳無の襲撃に遭い保須市へ辿り着いていた。

 そして降り立った先は地獄のような光景だった。

 脳無が二体暴れ、倒壊した建物に横転したバス。至る所に血が流れ、数で何とか抑えているものの成す術なく脳無に蹂躙されつつあるヒーロー達の姿。

 緑谷はそんな保須市の一角で、飯田を探すヒーローの声を聞いたのだ。そして緑谷の脳裏に駆け巡ったのは、ここ数日間の記憶であった。

 ──こんな大事件を前にして消えた飯田、保須市で再起不能へと追い込まれたインゲニウム、暴れる脳無、逃亡中のヴィランであるヒーロー殺しステイン。

 そして赤黒操に掴みかかった、鬼のような形相の飯田の姿を彼は思い出していた。

 

 そして緑谷が出した結論は「飯田はヒーロー殺しを見つけてしまい、その後を追ってしまったのではないか」というものだった。

 その考えを元に緑谷が虱潰しに路地裏を探せば、彼は地面にうつ伏せになり血を流した状態で見つかった。

 しかしそこには飯田以外にも人がいた。

 壁にもたれかかって動けない一人のヒーローと、凶悪ヴィランであるヒーロー殺しステインの、二人の姿が。

 二人を助けつつヒーロー殺しステインから逃げることは不可能だと悟った緑谷は、ヒーロー殺しステインと戦い、時間を稼ぐことを決意する。

 

「オールマイトが言ってたんだ、余計なお世話はヒーローの本質なんだって……!」

 

 こうして緑谷とヒーロー殺しステインの戦いは幕を開けたのだが──決着は思った以上に早く付いてしまった。

 攻撃を受けない様うまく立ち回ったつもりだったが、ステインは緑谷より何枚も上手だった。ステインに血液を舐められ、緑谷は身体の自由が利かなくなってしまう。

 

「口先だけの人間はいくらでもいるが……お前は生かす価値がある……」

 

 そしてステインは動けなくなった緑谷に見向きもせず、ただ真っ直ぐに飯田へ向かって歩き出す。

 その瞳には静かに燃える信念があった。ぐるぐると渦巻く深い闇があった。緑谷はこの時、初めて殺人者の瞳を知った。

 ステインは飯田の首筋にそっと刃を這わせ、彼を粛清しようとそれを振り上げた。

 ──そこには罪悪感も罪責感も何もなかった。

 何か一つでも上げるとするならば、この贋物を裁く事が出来た喜びであろうか。

 緑谷は首を斬られ血に染まる友人を想像してしまい、思わず大声を上げる。

 しかしいくら抵抗しようとも、身体はピクリとも動く気配がなかった。

 

「ちくしょう!やめろ!!」

「こいつらとは違──……!」

 

 しかしその刃が、飯田の首を斬ることはなかった。

 何故ならばステインの背後から弾丸のような何か(・・)が飛来し、それを察知した彼は首を斬るはずの日本刀でそれを弾いたから。

 鈍い金属がぶつかり合う音がして、何かは地面に落ちていく。

 しかしそれが何であるか確認する前に、背後から複数のナイフが迫っていることに気付いて彼は日本刀とは逆の手で大型のサバイバルナイフを抜き、それらを全て弾いていく。

 ステインが刃物を弾くその瞬間、真上から勢いよく人が落ちてきて、ステインに向かって踵落としを食らわせようとした。

 しかしそれすらも人を超えた様な反射神経でステインは避け切ったのだが──それでよかった。

 その人物はステインにダメージを負わせることが目的ではなく、出来るだけ距離を離す事が目的だったから。

 

「──キミは……!」

 

 踵落としが不発に終わった()は、ステインに休む間を与えることなく弾かれたナイフを操作し、再びステインを襲わせる。

 そしてステインがそれに対応している隙を突いて地面に倒れる緑谷と、壁にもたれ掛かるヒーローを乱暴に掴んだ。そして──。

 

「受け取れぇぇぇぇ!!」

 

 ──ステインとは逆側に、勢いよく放り投げた。

 

「何を──!?」

 

 操が二人を放り投げた先に突如氷塊が出現する。

 それはまるで滑り台の様な緩い傾斜になっていて、投げられた二人を上手いこと転がらせて、無理矢理ステインから距離を取らせたのだった。

 

「──緑谷、こういうのはもっと詳しく書くべきだ。遅くなっちまっただろ」

「次から次へと……今日はよく邪魔が入る……」

「それと赤黒、怪我人はもっと丁重に扱えよ。急に投げんな」

「轟くんに──赤黒さん!?」

「──……!」

 

 操は弾かれたナイフを回収しつつ、轟の横へと下がっていく。

 いくつかの視線を背中に感じながらも、正面にある二つの瞳と久しぶりに視線を合わせたから、操はステインから一時も目を離すことはしなかった。

 敵を前にして目を離す事勿れと、昔()に教えてもらったから。

 

 

 

 ──飯田の血の臭いがする。

 そう思い保須市内を走り出した操は、たまたま同じ方角に向かって走る轟の姿を見かけたのだ。

 少しだけ速度を落として並走すれば、彼の切長の目が少しだけ驚いた様に丸くなった。

 

『轟か、こんな時に会うとはな』

『赤黒……!お前も緑谷の連絡見たのか?』

『連絡?何の話だ……?』

 

 スマホの画面を見ながら器用に走る轟は、緑谷から送られてきた住所に向かって走っていたのだという。その住所の方角は、操の向かう先と同じだった。

 

『そっちでは飯田が怪我をしている筈だ。あともう一人、誰かわかんないけど血の臭いがする』

『……わかんのか?』

『わかる。私は血の臭いで人を判別できるんだ』

 

 ──飯田の血の臭いに、そこを示す住所。

 その二つの情報を元に二人が導き出した答えは「飯田が怪我をしていて、緑谷が応援を呼んでいる」というものであった。

 

『逃げられないから、せめて住所を送ってきたのか……?』

『脳無か、ステインか。どういう状況かわかんねぇが、急いだ方が良さそうだな』

『……轟、私は先に行くぞ』

 

 操はそういうと無人の車やバスを足場に建物の上へと飛んだ。操を見上げる轟を横目で眺めながら、焦る気持ちを何とか落ち着かせる。

 

『ステインが相手なら、血を流している状況が不味いんだ』

『……奴の個性か』

『あぁ。轟も気を付けろ、絶対に血を奪われるなよ』

 

 鼻先を掠めた緑谷の血の臭いに、操はただ真っ直ぐ前を見てビルの上を駆け抜けたのだった。

 

 

 

 そして辿り着いた路地裏で、操は数年ぶりに兄と対峙する。

 刃物の様な鋭い瞳が操を射抜く。けれど操も同じように、鋭い視線で真っ直ぐステインを見つめていた。

 

「こいつらは殺させねえぞヒーロー殺し」

「轟くん、赤黒さん!そいつに血ィ見せちゃ駄目だ!多分血の経口摂取で相手の自由を奪う個性だ!みんなやられた!」

「正解だ出久。ちなみにO(オー)A(エー)AB(エービー)B(ビー)の順で解除される。B型なら最大八分って所だ」

「何で知って……!?」

「兄妹だって前に言っただろう!」

 

 操は轟に向かって投げられたナイフを弾いて前に出る。

 全員を背で庇う様な立ち位置に轟から「オイ」と声をかけられるが気にする事なく、操は靴音をコツコツと鳴らして数歩距離を詰めた。

 

「お前……操か……」

「久しぶりだね、お兄ちゃん」

「……お前と遊んでいる暇はない、そこを退け」

「ねぇ、体育祭さ。お兄ちゃんに見てもらえるように精一杯アピールしたんだけど、見てくれた?」

「──反吐が出る」

「……」

「ヒーローを目指し、ここに来たということは、殺されに来た……そういう事だな……?」

 

 操の瞼の裏には、飯田の姿があった。

 そして職場体験先のヒーローもそこにいた。彼が集めた資料の中にいるステインによって殺された十七人と、再起不能へと追い込まれた二十三人も同じくそこにいた。

 操は潰えてしまった数え切れない未来と、溢れ出す悲しみや怒りに押し潰されてしまいそうだった。

 ──キミは平気な顔をしていられるのか!?

 兄のせいで傷付いた人たちが、あの日からずっと操の心の中で叫んでいる。

 苦しいと、叫んでいる。

 だから押し潰されるわけにはいかなかった。どれだけ重くとも背負って前に進まなければならなかった。

 そして二度と奪わせないために──ここで兄を止めるしか無かった。

 

 そのためならば、操はどうなってもよかった。

 

「答え合わせしないとわかんないのか?」

「良いだろう。お前は社会に蔓延る癌の一部。望み通り……俺が殺してやる……!」

 

 ──さぁ、あの夜の続きをはじめようか。

 ここでは弱い者が淘汰され、強い者が最後に残る。

 お互いの覚悟と、信念のぶつかり合いだ。

 

 

 

 

 赤黒血染(ステイン)との戦闘は、一瞬の隙が命取りとなる。

 操は幼い頃の経験からそれを知っていた。しかし現状操の持ち物はナイフが数本と少なく、武器になるものはそれしかない。輸血パックの所持は過度な戦闘を意識するものとして許されなかったのだ。

 ──ならば武器を増やせばいい。

 操は投げられたサバイバルナイフの刃を敢えて掴んで受け止める。刃を握りしめた事で鮮血が舞い、一見不利にも見えるが──。

 

「私の個性を忘れたわけじゃないだろうよ?」

 

 操の個性"操血"で、一本のサバイバルナイフを奪って武器にした。

 血の付着したそれを操作して次に投擲されたナイフを撃ち落としていく。傷口から血液を抽出し、武器とするため辺りに漂わせる。

 しかしステインはそれをものともせず、操に向かって突っ込んできた。複数投げられたナイフを弾く事に気を取られていたため操は簡単に距離を詰められ、直接的な攻撃が飛んでくる。

 刃物を操作する事で何とか対処しようとしたけれど、ステインが複数所持している大型のサバイバルナイフによって簡単に弾かれてしまい、操は無防備になってしまう。

 ステインがその隙を見逃す筈もなく、彼は手にしていた日本刀を操の首目掛けて横一文字に振り抜いた。

 

「──遅い」

「っ!?」

 

 刹那、操の喉元がバッと切り裂かれる。

 ブワッと飛び散る血飛沫が、路地裏を赤く染めていく──前に、操はそれを操作して自身の元へと引き寄せた。そしてそのまま後ろに下がって喉元を押さえる。

 

「赤黒さん!」

「……平気だ、元々避けようと下がってたから傷は浅い」

 

 反応が少しでも遅れていたら、操の頭は吹き飛んでいただろう。

 焼けるような痛みに、操の心臓はバクバクと騒ぎ出す。首元は既に傷が塞がって出血はしていないけれど、首が飛んでいたかもしれないと思うと冷静ではいられなかった。

 ──兄に日本刀を向けられたのは初めてだった。

 

「殺す気か!? 赤黒は妹じゃねぇのかよ……!」

「俺に妹などいない」

「……」

 

 ──そうか、私は。本当に粛清対象なんだな。

 殺す気だった。兄は昔のように、殺さないように手加減なんてしてくれない。本気で操を殺しに来ている。

 操は痛む心を無視して前を向いた。

 目の前では轟が操に代わってステインと戦っている。だから心の痛みなどで歩みを止める事は許されず、前に進み続けるしか無かった。

 

「──っ!?」

「行儀が悪いのは許せ」

 

 操は轟の頬に流れる血を舐めとって、体外に出た彼の血液を一箇所に集めて消滅させた。

 これでステインは轟に再び傷を負わせない限り彼の動きを止めることはできないだろう。そして例え傷を負わせたとしても、体外に出た血液なら操が操作して舐めるのを回避させる事ができる。

 

「変に害する気は無い、今だけは信用しろ」

「元々疑ってねぇよ……!」

「呑気に喋っている場合か?」

「う、ぐ!」

「赤黒!」

「……っお前は守りに入れ!」

 

 しかしステインは二人が喋っている隙を突き、操の眼球に二本の指を突き立てる。

 操はそれを何とか避けるが、あまりに咄嗟であったため完全に避けきれず目尻からこめかみにかけて赤い傷が走った。そしてその勢いで地面に転がってしまう。

 血液は舐められる前に操作して消滅させなければならない。その操作をしつつも、追撃が来る前に操は急いで立ち上がる。

 しかし立ち上がった操の目の前には既にステインがいて、刀を振りかぶっていた。

 

「弱いな……」

 

 その後操は休む暇も、怪我を治す暇も与えられることはなかった。

 頬がスパッと切れた。血を舐められないよう操作している一瞬の隙を突いて、腕もビッと切れて鮮血が舞っていく。

 避けているのに、戦っている筈なのに、操の体には次々と傷ができて、あっという間に傷だらけになってしまった。

 対するステインは無傷で、血の付いていない刃をひたすら振るうだけだった。

 傷を負うたびに飛び散る鮮血が、操の体を赤く染め、それはやがて黒く酸化していく。

 しかし操もただやられているだけではなかった。数々の攻撃を受けながらも、着実にステインの武器を減らしていたのだ。

 

「こうすれば武器は減るだろう?」

「浅はかな考えだ……」

 

 操の身体には大小さまざまな刃物が突き刺さったままだった。

 ステインに切られる度に飛び散る血液を利用し、それを瞬間的に凝固させて刃物を抜き取られない様自身に埋め込んでいたのだ。操の身体は針刺しならぬ、刃物刺しのようになっている。

 そんな操を見て、ステインのギラギラした瞳が刃物のように鋭くなった。

 

「赤黒伏せろ!」

「──!」

 

 轟の声に操は伏せたが、目の前に現れた氷塊は一瞬にして壊される。

 そして眼前まで距離を詰めたステインによって顔面を掴まれ、そのまま思いきり頭を壁に叩きつけられた。

 

「己より素早い相手に対し自ら視界を遮る……愚策だ」

 

 ステインは左の炎を使おうとする轟にナイフを投げようとしたのだが、それよりも先に右腕を掴まれて思わず視線をそちらに向ける。

 そこにはカッと目を見開いたままの操がいて、己の指の隙間から目を離す事なく此方を睨んでいる。そしてその両手が腕を掴んでいたのだ。

 操はステインの腕を折る気持ちで勢いよく力をこめていた。

 しかしそれに気付いたステインは轟に向かって勢いよく操を投げ飛ばした。

 

「赤黒!」

「受け止めなくていい!前を見ろ!」

「──っ」

 

 咄嗟に受け止めようとした轟を制し、操は受身をとって地面に転がった。

 背や腕に刺さったままの刃物がその衝撃でより深々と身体に刺さり、脳が痺れるような痛みを訴えて思わず声が漏れる。

 轟はそんな操を庇う様に前に出ることしか出来なかった。

 

「赤黒さん……!!」

「へいきだ、出久……」

 

 それでも操は立ち上がる。

 二本の足で力強く大地を踏み締めて、再びステインの前へと立ち塞がる。

 しかしすぐ迫るステインの手によって二の腕に刺さっていた刃物を無理矢理引き抜かれ、声にならない声で、獣のように叫ぶことしかできなかった。

 

「弱いな操……!」

 

 轟の氷結が迫ってステインは後退するが、その視線は操を射抜いて離さない。

 しかしステインの個性が解けて動ける様になった緑谷のおかげで、距離を離すことが出来た。

 その隙を使って、操は何度だって立ち上がる。その目は決してステインから逸らさなかった。

 ぱたた、と血液が地面を汚す。

 操はそれを操作して自身へ引き戻し、汚れた地面は綺麗になった。

 

「お前は何をしに此処へきた!?」

 

 きらりと光った刀身が見えたので、操はそれを転がって避けた。

 その動きを予測していたのか、逃げた先にナイフが飛んできて何度目かわからない傷を付けられる。

 轟と緑谷が操を守るために動くけれど、どの攻撃もステインを捉えることは出来なかった。

 

「私は──!!」

 

 どれだけ血だらけになっても操は立ち上がる。

 体に刺さったままの刃物が食い込んで肉が裂けても、何度だって立ち上がった。

 

 

「やめてくれ……」

 

 飯田天哉は、ステインが憎かった。

 兄の未来をぐちゃぐちゃにした男を、自身の手で殺してやりたかった。

 だから操がステインの妹と知って、真っ黒い感情で心は埋め尽くされてしまった。よく自分の前に顔を出せたなと本気で思っていた。

 

「やめてくれ……やめてくれよ……」

 

 ──でも、こんなのは望んでいなかった。

 刃物が何本も刺さって、誰よりも赤黒く血に染まって、それでも立ち上がる操を前にして、このまま死んでしまえだなんて一ミリも思わなかった。

 動けない飯田は、懇願する事しか出来なかった。

 

「もう、やめてくれ……!!」

 

 それはステインに向けての言葉なのか、それとも操に向けての言葉なのかはわからなかった。

 ただやめてほしいと思うのは心から溢れ出した飯田の本音だった。

 しかしステインはそんな言葉で止まる筈もなく、操を壁に叩きつけその小さな手のひらに刃物を突き刺した。

 操の手のひらの、骨や肉を突き破って反対側から刃が飛び出している。

 それでも彼女は立ち向かうことをやめなかった。その姿があまりにも痛々しくて、飯田は思わず顔を歪めた。気付けば涙がこぼれ落ちていた。

 

「もう良い!やめてくれ!!お前が狙ってるのは僕だろう!?僕を狙えよ!!」

 

 鮮血が舞う。

 舞うのに、何事もなかったかのように消えていく。

 血の臭いだけが辺りに立ち込めて、その傷の深さを知らしめるのに、何事もなかったかのように消えていく。

 

「もうやめてくれ、逃げてくれ!キミが傷付く必要はない!!キミが戦う必要は──」

「うるさいな!いい加減黙れよ!!」

「でも……!」

「私はもう引き下がれないの!!」

 

 煩わしい声を掻き消すように、操は大声を出した。

 身体中が痛い、命が削り取られていく感覚が酷く恐ろしい。

 身体中の傷が息をするたびに熱を持って痛みを訴える。手の感覚が徐々に消えていく。

 指一本動かすのが億劫で、気を抜くと意識が飛んでしまいそうだった。

 それでも操が立ち上がるのは、譲れない信念(もの)があるから。絶対に負けたくない信念(もの)があったから。

 

「悲しんでいる人がそこにいる!苦しんでいる人がそこにいる!

 ──その元凶が目の前にいて、引き下がれるわけないだろう!!」

 

 昔の操は、ただ兄を止めたかった。

 人を殺してほしくなかった。だって一緒にいたかったから、そばにいて欲しかったから。

 操の生きる理由は兄以外何もなかったから止めたかったのだ。

 ──でも今は違う。

 思想や信念は、変化する。

 兄がそうであったように、操の気持ちだってこの数年で変化していた。

 例えそれが兄の嫌う「信念なき力」だったとしても、操は側で悲しむ人を見たくないと思ったのだ。

 

「こんな傷、時間が経てば治る……!」

 

 血はぱたぱたと地面に落ちていく。

 ──でも、心の傷は簡単に癒えない。操はそれを、知っている。

 

「飯田、ごめん」

 

「たくさん傷ついたよね、家族をみんな、傷つけたよね……」

 

 私たち兄妹は、いったいどれほどの人を傷付けてきたのだろう。

 謝っても許してもらえないのはわかっている。それでも、謝らずにはいられなかった。

 

「ごめんね……!」

 

 ──父を殺して、自殺した母はそれほど追い詰められていた。

 操はその追い詰められる気持ちを知っている。けれど、飛び降りる気持ちは理解できても、人を殺す気持ちは理解できなかった。

 あの真面目な飯田がステインを殺したいと思うほど、私たち兄妹は彼を追い詰めてしまったのだ。

 その理解できない領域にまで、私たちは飯田を追い詰めたのだ。

 

「殺してやるなんて、そんなこと思わせてごめんね……!」

 

 飯田の真っ直ぐな心を知っているからこそ、謝っても許されないくらい歪めてしまったことに悔いている。

 飯田だけじゃない。殺され、傷付けられたたくさんの人たちの未来が歪んで、崩れ落ちていったのだ。

 ──だから操は、もう後には引けない。

 引き下がれないし、引き下がりたくないのだ。

 

「お兄ちゃん……いや、

 ──ヒーロー殺しステイン!」

 

 操は兄のように、社会のために全てを捧げる事は出来ないだろう。兄の言う、本当の英雄(ヒーロー)にはなれないだろう。

 兄のように非難されても尚貫く信念も、誰に感謝されずとも進み続ける覚悟もない。茨の道を一人進み続ける勇気もない。

 ──それが何だというのだ。

 立ち止まったら側にいてくれる人がいて、背中を押してくれる人がいて、苦しくなったら支えてくれる人がいて、一緒に走ってくれる人がいる。

 操はそんな世界で、生きていたいと思う。

 そんな人たちを支えられるような、助けてあげられるような人になりたいと思っている。

 

「私はお前を許さない」

「──ほう、ならば問おう」

 

 だから、飯田(友達)を苦しめる兄は絶対に許さない。

 苦しむ人を見たくないと思う操の信念を踏み躙る兄を許さない。操から大切な過去を、そして色々な人から未来を奪う兄を許さない。

 ──そんな身勝手で自己中心的などうしようもない理由で、私は兄の前に立っている。

 

「お前の覚悟と、信念を!」

「私はヒーローとしてここにいる人を守る!そのために、全てを懸けてお前を止める……!」

 

 全てを捨てて、全てを懸けて刃を振るう兄だからこそ、操は全てを懸けて、側にいる人を守るために戦おう。

 

「それが私の、覚悟だ」

 

 だから操は立ち上がって、絶対に引き下がらない。

 ここでは弱い者が淘汰され、強い者が最後に残る。

 お互いの覚悟と、信念のぶつかり合いだから。

 

 

 

「赤黒さん!!」

 

 操の背後から素早い動きで走り出した緑谷は、高く跳び上がりステインに襲い掛かっていく。その隙に轟が操の腕を引いて後ろに下がらせた。

 先程からステインは異常なほど操だけ(・・)を狙っている。そんな状況の中、身体中に刃物が刺さったままのクラスメイトを前線に出すほど彼らは腐っていなかった。

 

「何を──ッ」

「お前は血ィ流しすぎだ!下がってろ!」

「血は流れてない!それにステインが狙っているのは私だぞ!?下がるわけには……!」

「お前も下がれ緑谷!」

 

 轟の氷結によりステインは後退せざるを得ない。その隙をついて緑谷が轟の隣へ、操の前へ戻ってきた。

 

「赤黒さんは血を流しすぎてる。轟くんと僕で戦うしかない」

「いやだから血は流れてない!」

「その傷じゃ満足に動けねぇだろ。赤黒に前に出られると俺たちが動きにくいんだよ、下がっててくれ」

「……!」

「僕が奴の気を引きつけるから轟くんは後方支援を!」

「相当危ねぇ橋だが……奴の個性が切れるまであと少しだ」

 

 轟に言われ、操はようやく自身の身体に視線を向けた。

 見下ろした身体の至る所に赤い線が走り、刃物が突き刺さり、血が流れていないのが逆に不気味な状態となっていた。

 刃物が刺さったままの手のひらは指一本動かせず、腕を動かしただけで脳が殴られたような痛みを訴える。

 ナイフが刺さったままの腕や足も同様で、無理に動けば新たな肉を割くような感覚に全身から嫌な汗が噴き出した。

 ──ボロボロになるまで戦い続けることと、自身を破壊しながら戦うことは別だろう。

 以前緑谷に対して操が言った言葉が脳裏に蘇る。操は間違った戦い方をしていたと、今になってようやく気付いたのだ。

 そんな自分の状況を理解したからこそ、操は前に立つ二人の背中に声をかけた。

 

「……私も後方支援を担当しよう。動かなければ問題はないだろう」

「……赤黒さん」

「一人で前には出ない、約束する。そもそもステインと一人で戦えるほど強くないからな……だから一緒に戦わせてくれ」

「……うん。赤黒さんの後方支援があるのは心強い!」

 

 操は一人狙われ、焦っていた。

 傷を負った飯田やヒーローの未来を潰されないようにと、一人肉壁に徹してしまっていた。

 これは操が望むヒーローの姿ではないと、二人のおかげでようやく気付くことが出来たのだ。

 緑谷と轟の後ろで深く息を吸い、呼吸を整えながら間に合っていなかった傷の修復をしていく。出来る限り身体全体にエネルギーを回していく。

 刃物を抜いたら傷を塞ぐのが面倒なのでそれはそのままに、地面に散らばっている刃物と自身の血液を操作して辺りに漂わせた。

 

「なら……三人で守るぞ」

 

 兄の土俵で戦う必要はない。

 操には操の信念があるように、操の戦い方がある。一人で挑んで敵わないのなら三人で戦えばいいのだ。

 

 

 前に出た緑谷が斬り付けられ、飛び込んできたステインを牽制しようと轟が氷結を繰り出す。

 すぐさま叩き壊された氷塊の裏を縫って操が刃物を操り、そんな操を斬り付けようとしたステインを轟の炎が襲った。

 

「ごめん轟くん!赤黒さん!」

 

 緑谷の血液は舐められてしまった。

 氷塊も刃物も炎も無傷で避けたステインは操の腹部を殴りつけ、緑谷の方へと投げ飛ばす。

 

「ごめん出久!どいて!」

「動けな──痛っ!!」

 

 操は緑谷を下敷きにするようにして倒れたが、視線はステインから離さなかった。

 そして斬り付けられた轟の血液を操作する。

 

「轟の血は私がいる限り舐めさせないぞ」

「邪魔だな……お前は……!」

 

 ステインは苛立ったように操や轟を睨みつけた。

 操がいる事で個性の使用を封じられ、轟によって時間を稼がれているこの状況に焦っているのだろう。

 それでも彼がこの場から逃げ出さないのは、自身の信念を貫くためだった。

 

「暫く寝ていろ(・・・・)……!」

「しまっ──!」

「赤黒さん!!」

 

 操はステインによって頭部を蹴られ、その勢いのまま路地裏の奥へと一人離れて転がった。

 幸い意識が飛ぶことはなかったが、脳が揺れて視界がぼやけた。その痛みから個性を使うことすら許されず、身体は鉛のように重くて動かせそうにない。

 考えることが億劫になり、迫り来る暗闇に身を任せてしまいたくなる。

 

「だからもう……以上……流させる……」

「お前は私欲を……贋物……社会のガン……正さねば……」

「時代錯誤……人殺しの……」

 

 それでも、遠くなった耳は飯田の声を拾うのだ。

 ──彼は動けるようになったのだろうか?

 ステインと轟の声も聞こえることから、操は急いで立ち上がらなければならないと思った。

 だから石のように重たくなった身体に無理矢理力を込めて、奥歯を噛み締めてなんとか立ちあがろうとした。

 飯田の未来を守らないと、操は一生後悔すると思ったから。彼にこれ以上苦しい思いをさせたくなかったから、ステインを殺させたくなかったから。

 だから操は立ちあがろうとした。

 

「──俺が折れれば、インゲニウムは死んでしまう!」

 

 けれど何故かハッキリと聞こえたその言葉に、操は徐々に身体の力を抜いていく。

 アスファルトに顔をくっつけたまま彼らのやり取りを一旦意識の外に放り投げ、目を閉じてある一つのことに集中する。

 脳のダメージを回復させるために、そして身体の疲労を回復させる為ただひたすら個性を回していく。

 操は飯田の言葉を、その光を信じて。今はただ自身を回復することに努めたのだ。

 

「……赤黒さん聞こえる?」

「ああ……ようやく身体が正常に戻ってきたところだ」

 

 近くで同じように倒れていた緑谷がそっと立ち上がる。それに合わせて操もゆっくり上体を起こした。

 辺りに散らばった血液を回収し、傷口からも出血性ショックに至るギリギリの量を新たに抽出する。

 緑谷と視線は合わない。

 何故ならば、二人ともステインを真っ直ぐ見つめていたから。

 

「動きは私が止めてやる、行け」

「うん!」

 

 走り出した緑谷を見送って、操は飛び上がったステインに向かって血液を操作し纏わせた。

 刀を持つ手と、両足の関節を狙って。

 

「──!?」

「体育祭を見てたら避けれたかもな!赤縛(せきばく)という技だ!覚えておけ!!」

 

 驚いたように丸くなった瞳を、操はただ真っ直ぐ見つめた。

 空中で動けなくなったステインに、緑谷と飯田の二人が迫っている。拳と脚を、ステイン目掛けて振りかぶっている。

 

「教えてあげるよお兄ちゃん」

 

「ヒーローだって人間で、だからこそ不完全だ」

 

「だからみんなで支えあって、足りないもん補って生きていくんだ!!」

 

 

 

 

 ヒーロー殺しステインは関節を封じられ、動けない状況の中緑谷と飯田の攻撃を食らい意識を失った。

 轟の生み出した氷塊の上で四肢を投げ出す彼を、操は目に焼き付けるように眺めていた。

 

「大丈夫か赤黒」

「ああこの通り……問題ない」

「その見た目は問題しかねぇよ……」

 

 地面に座り込んだままステインを眺めていると、轟にそう声をかけられたので操は足に力を入れて立ち上がる。その身体には様々な刃物が刺さっていた。

 立ち上がった瞬間操の身体はふらりと傾いたが、支えられたことで倒れることはなかった。

 

「ほら見ろ、大丈夫じゃねえだろ」

「出血性ショックを引き起こすギリギリまで血を抽出したからな……まあ、ただの立ちくらみだ。別に死に至るものじゃない」

「……」

 

 倒れる寸前の血液量に、身体中に刃物が刺さったままの状態は決して大丈夫ではないのだが、良くも悪くも疲労を感じない操は一人で立ち上がり、歩けてしまった。

 戦闘後故にアドレナリンが分泌され、痛みをあまり感じていないのもその原因の一つかもしれない。

 とにかく轟は操を心配しつつもヒーロー殺しが目覚めては困るので、急いでゴミの中に手を突っ込んだ。

 轟の突然の奇行に操が目を瞬かせていると、彼はステインを縛るための何かを探しているらしい。それならば操の出番だと思って、操は当たりを付けてからゴミの中に手を突っ込んだ。そしてその手は数本のロープを掴んで返ってくる。

 ──特技のゴミ漁りがここで活かされると思わなかったなぁ。

 操はそう思いながら、四人から少し離れたところで縛られるステインの姿を眺めていた。

 

「プロの俺が完全に足手纏いになって悪かった……キミは特に怪我が酷い、俺が背負うよ」

「足は無事だから必要ない。出久を背負ってやってくれ」

「お、おい!」

 

 ステインを拘束し、身柄を警察へ引き渡すため五人は路地裏から出ることになった。

 最初にステインに襲われ、血液型故に最後まで動けなかったヒーローネイティヴはプロであるにも拘らず一番傷が浅いことに罪悪感を抱いていた。

 そして唯一の女性であり一番見た目のインパクトが強い操に声をかける。彼女は刃物が刺さっているのに操血の個性故出血していなかったが、顔は青白く動きも鈍かった。

 しかし操はそれを断ると、ステインを縛っているロープを轟から奪った。そしてそれを引き摺って路地を出ようと足を進めていく。

 

「お前怪我酷いぞ、俺が運ぶ」

「これは私の兄だから気にするな。大丈夫、逃すつもりはない」

「そういうんじゃなくて──」

 

 一人でステインを引きずる操の後を轟が追いかけた。

 ロープを奪おうと手を伸ばしても操がそれを避けるので、轟はムキになって再び奪おうと手を伸ばす。しかし頑固な操もムキになってその手を掻い潜るため、二人はステインの存在を忘れて暫くロープの奪い合いをしていた。

 

「細道……ここか?」

「子ども!?なんでこんな所にいるんだ!」

「何故お前がここに!?」

「グラントリノ!!」

 

 しかしそんな五人の前に続々とヒーローが集まり、この場は一気に騒がしくなった。

 轟がプロの応援を呼んでいると言っていたが、あれはハッタリではなく本当のことだったのだろう。

 そんな様子をぼんやりと眺めていれば、子ども達の様子に気付いたヒーローが目を見開いて酷く狼狽えた。

 

「酷い怪我だ!救急車を呼べ!」

「ちょっと貴女刃物刺さってるじゃない!大丈夫なの!?」

「血は止めてる。今引き抜くと処置が大変だから病院でやる」

「そ、そう……ってそれヒーロー殺し!?」

 

 集まったヒーローは子どもたちの怪我に、そしてヒーロー殺しを拘束したことに酷く驚いていた。

 操はそんな彼らを気にすることなくステインを引き摺りながら足を進めていく。そして飯田、轟、緑谷の雄英三人組とは離れたところで立ち止まると、ステインの目の前でしゃがみ込んだ。

 

「……ボロッボロだなぁ」

 

 ステインは操の記憶の限り、過去に類を見ないほど傷を負っていた。でもそれは操も同じなのかもしれない。

 ステインから視線を外し、手のひらに突き刺さったままのナイフを眺める。そして頭を動かすたびにズキリと痛む後頭部に、操は一つの疑問を抱いたのだ。

 ──最初は殺そうとしていたくせに、お前は何で途中から手を抜いたんだ?

 それをステインに問いただしたくても、彼の意識は落ちていて聞けそうになかった。

 

「──ここにいたか!」

「お、お疲れ」

「おうお疲れ……ってその怪我どうした!?」

「そんな事よりこれを見ろ」

「そんなことって──……ステイン!?」

 

 操の元に駆け寄ってきたのは職場体験先のヒーローだった。

 白と黒が混じった手入れのされていない髪はぐちゃぐちゃに乱れ、酷い隈と土色の顔は不健康そうでよく目立つ。

 彼はそんな瞳を大きく丸めて操の怪我の心配をした。しかし操がステインを指差すと、視線はステインへ釘付けになっていく。

 ヒーローの瞳は、一瞬にして怒りに染まっていった。

 拳を固く握りしめて、体を震わせている。瞳の中で復讐の炎が空高く燃え上がり、ゆらめき、そして──彼はその瞳を閉じた。

 

「ようやく、ようやく……終わるんだな……」

「……」

「俺がなんとかしたわけじゃねえ、倒したわけじゃねえけど……」

 

 再び開いたその瞳に、復讐の色はなかった。

 ただひたすらに悲しみに染まっていて、抑えきれない涙をたくさん溜めていた。

 

「こいつが捕まれば、俺はようやく前に進めそうな気がする……!」

 

 ──心の傷は、そう簡単に癒えない。

 それでも私たちは生きているから、それを乗り越えて前に進まなければならない。

 操は彼の復讐の色も、悲しみの色も、こぼれ落ちた涙も。決して忘れたくないと思った。

 

 

 

 こうして保須市で起こった事件は幕を下ろした。

 ステインは既に拘束され、脳無もエンデヴァーが対応している。だから戦いはここで終わりなのだと──誰もがそう思っていた。

 

「伏せろ!!」

 

 しかし現実はそう簡単にはいかず、運命は此方を指さして笑っていた。

 大きな翼を持った脳無が、彼らの背後から飛来し接近していたのだ。

 グラントリノと呼ばれたヒーローだけが唯一気付いて声を上げたのだが、全員が臨戦体勢をとった頃には既に遅く──。

 

「う、わあぁぁ!?」

「緑谷くん!!」

「──出久!!」

 

 緑谷は脳無によって空高く攫われていたのだ。

 ──届かなくなる前に、一刻も早くアイツの翼を撃ち抜くしかない!

 操はそう判断して立ち上がる。そして血液を得るため、身体に刺さったナイフを勢いよく引き抜こうと柄を掴んだ。

 しかしそれを引き抜くことは出来なかった。

 何故ならば、後ろから伸びてきた大きな手がそれを制したから。

 

「──偽物が蔓延るこの社会も、(いたずら)に力を振りまく犯罪者も」

 

 そしてその人物は操の横を通り過ぎ、電池が切れたかのように動かなくなった脳無へ一直線に走っていく。

 そしてその剥き出しの脳に、隠し持っていた小型のナイフを躊躇なく叩き込んだ。

 

「粛清対象だ……!」

 

 緑谷が地面に叩きつけられないよう小脇に抱え、脳無と共に地面に降り立った男はヒーローではなく、ヴィランであるステインだった。

 彼は脳無にとどめを刺すかのように、脳に刺さった刃物を乱暴に引き抜いた。そしてゆらりと立ち上がる。

 

「全ては、正しい社会の為に」

 

 ──己の信念を形にして。

 その執念を原動力に、ヴィランに裁きを与えたのだった。

 

「ヴィランが子どもを助けた……!?」

「バカ人質をとったんだ!躊躇なく人を殺しやがったぜ」

「いいからとりあえず戦闘態勢をとれ!」

「何故一塊になっている!そっちに一人逃げたハズだが!?」

「エンデヴァーさん!!」

 

 そんなステインの行動にヒーローたちは狼狽え、掴まれたままの緑谷を守るべく戦闘態勢をとる。

 しかしそんな中、この脳無を逃したであろうエンデヴァーがやって来る。そして視線の先にヒーロー殺しステインを捕らえると、口角を上げて走り出した。

 

「エンデヴァー……」

「待て轟!!」

「──贋物……!!」

 

 しかし一瞬にしてステインから溢れ出した"何か"に、エンデヴァーは思わず足を止めた。

 そしてそれを眺めていたヒーロー達も同様に、足が地面に縫い付けられたように動けなくなっていた。

 それはまるで、ステインに個性を使われたかのようだった。

 

「正さねば──……誰かが血に染まらねば……英雄(ヒーロー)を取り戻さねば……!!」

 

「来い」

 

「来てみろ贋物ども!!」

 

「俺を殺していいのは本物の英雄(オールマイト)だけだ!!」

 

 

 ──操は知っている。

 崩れ落ちていったたくさんの未来を知っている。

 悲しみに染まる瞳も、怒りに燃える心も、追い詰められて命を絶つ苦しみも知っている。

 だからその言葉を聞いて、操の中で張り詰めていた糸がプツンと切れたような気がした。

 

「──ふざけるな……!」

 

 だから一歩前に進んだ。

 一歩進めば後は簡単で、操はステインの元へ一直線に向かって走る。

 

「ふざけるな……っふざけるな!!」

 

 そのまま一気に距離を詰め、ステインの胸ぐらを掴んだ。

 見開かれたその瞳を鋭く射抜いたまま、操はその顔面に拳を叩き込んだ。

 

 ──ねえお兄ちゃん。

 貴方が殺したヒーローは、何人が命乞いをしましたか。それを言葉にしなくとも、何人の人が生きたいと願いましたか。

 貴方が未来を奪ったヒーローが生きていたら、これから先何人の人が救われましたか。

 

「正しき社会のためとか!そんな美談にすれば人を殺していいと思ってるのか!!」

 

 操は倒れたステインの体に容赦なく馬乗りになって、胸ぐらを掴んで再度瞳を合わせる。

 両親を失ってヒーローを憎み、塞ぎ込む子どもがいた。家族の未来を壊されて、苦しむ友がいた。恋人を失って、復讐に取り憑かれたヒーローがいた。

 ──そんな世界の、何が正しいっていうんだ!!

 

「人の痛みも苦しみも理解できないお前に、理解しようとしないお前に! 正しい世界が作れるものか!!」

 

 命の炎が消えていく感覚がどれほど恐ろしいものか。誰も助けてくれない時間がどれほど耐え難い苦痛であるのか。

 ──兄は知らないだろう、けれど操は知っている。

 それを理解せず、ただ斬り捨てるだけの兄にこの世界に生きる人々の明日を語る資格なんてない。

 

「人の未来を奪うお前に……っ正しい社会を語ってほしくない!!」

 

 ステインの顔に、ぱたた、と生暖かい何かが落ちる。

 それが何かを理解する前に、操はもう一度彼の顔に拳を叩き込んだ。

 

「謝れ……!今まで傷付けてきた全ての人に謝れ!!」

 

 痛かった、苦しかった。

 悲しくて辛くて消えてしまいたくなった。

 ──助けてほしくて手を伸ばしても、誰もその手を取ってくれない。

 操はそんな苦しみを知っている。だからこそ、誰にも助けて貰うことなく路地裏で息を引き取った十七人は、どれだけの恐怖に襲われたのだろう。

 それを考えると、気が狂いそうだった。

 

「何でわからないの……!」

 

 ──死にたくないという心の叫びを。

 

「なんで理解しようとしないの!? お兄ちゃん!!」

 

 操が赤く染まった拳を再び振りかぶったところで、突如羽交締めにされる。

 その勢いで掴んでいた胸ぐらを離してしまい、ステインの頭部は地面に叩きつけられた。

 

「赤黒さん!!」

「離せ……っ離せ出久!!」

「傷が開いてる!血が凄いから!!」

「こんなの生きてりゃ治る!でも死んだらどうしようもないんだぞ!!」

 

 操は緑谷によって力ずくでステインの上から動かされる。

 しかし自由が利かないのは上半身だけなので、自由な足で地面に倒れたままの兄を蹴り飛ばした。

 

「赤黒さ──」

「死んだ人は!こうやって怒ることも悲しむこともできないんだぞ!!」

「──ッ」

「記憶以外の全てから消えるんだ!それがどういうことなのか……お前はわかってるのか!!」

 

 現場は騒然としていた。

 動けなかったプロヒーロー、息絶えた脳無、そして赤黒操が発した心からの叫び。

 駆けつけた警察官、そして逃げ遅れた通行人が見守る中、暫くその場には操の慟哭ともとれる声が響き渡っていた。

 

「聞いてんのか!? オイ!!」

 

「私はお兄ちゃんが人の痛みを理解するまで……!」

 

「絶対に、絶対に許さないんだから!!」

 

 

 

 ──こうして、保須市の事件は今度こそ幕を下ろした。

 この出来事はたまたま現場を目撃していた一般市民によって撮影され、瞬く間にネット上へ拡散された。

 その動画は空へ攫われた緑谷をヒーロー殺しステインが救うところから始まるが、終わり方は二種類ある。ステインが信念を語って終わる短いものと、その後赤黒操が思いの丈をぶつけてステインを殴り続ける長いものの二つだ。

 ここで操がステインに対して「お兄ちゃん」と言っていることから、噂されていた兄妹説は本当だったとネット上は湧いていた。

 動画は警察が見つけ次第削除しているものの、いたちごっことなっていてネット上から完全に消えることはなかった。

 

 報道番組ではトップニュースで、そして新聞では一面を使ってヒーロー殺しステインの逮捕は全国各地へ伝えられた。

 そして週刊誌には、彼ら兄妹の情報がありありと書き込まれる事となる。

 

 ヒーロー殺しステイン、その本名は赤黒血染。

 彼はオールマイトのデビューに感銘を受けてヒーローを志す。

 私立のヒーロー科高校に進学するも「教育体制から見えるヒーロー観の根本的腐敗」に失望し、一年の夏に中退。

 十代終盤まで『英雄回帰』を訴え街頭演説を行うも、言葉に力はないと諦念。以降の十年間は義務達成の為独学で殺人術を研究する。その間に両親は他界する。

 赤黒氏の主張する『英雄回帰』とは。

 ヒーローは見返りを求めてはならない、自己犠牲の果てに得うる称号でなければならないというもの。

 現代のヒーローは英雄を語るニセモノであり、粛清を繰り返すことで世間にその事を気付かせる意図があったという。

 

 そして氏の妹である赤黒操。

 彼女は十五歳以上離れた氏の実の妹である。その人生は順風満帆なものではなく、悲劇に見舞われたものだった。

『両親に虐待されていたと思いますよ。あんな骸骨みたいな赤ん坊、忘れたくても忘れられませんから。でも気付いた時には居なくなっていたんですよねぇ……』

 そう証言するのは、赤黒兄妹を幼い頃からよく知る人物である。両親からの虐待と育児放棄を受け、彼女は氏と六年ほど行動を共にする。

 その間かの有名な【幼女連続誘拐殺人事件】のヴィランに襲われ彼女はその被害者となり、警察に保護された後、両親の死を目撃している。

 氏と違い彼女は義務教育を受けておらず、街頭演説を行なっていた氏の側にいたとの目撃証言もある。

 何故そんな彼女が有名国立高校に入学できたのか、我々の知らないところで見えない力が働いていたのかは謎である。

 

 

 これはここ数日とある週刊誌に載せられたヒーロー殺しステインに関する記事であった。

 しかし何の罪もない操の個人情報が載せられた事で警察は直ぐさま動き、その記事は出版停止となった。

 しかし一度世に出回ったものは動画と同じで消えることはなく、それはネットを賑わせる材料となっていた。

 

 しかしそれらの記事や動画は奇しくも操にとって追い風となっていた。

 賛否両論はあるものの、少なくとも以前のように操一人が袋叩きにされる様な事はなかったのだ。

 

《ステインの妹がどんな過去だとしても私は同情出来ません。だってステインがしたことは本当に酷いことで、悲しいことだから》

《いやでもこれステイン妹も被害者じゃね?》

《凶悪なヴィランの家族が自分は関係ない、むしろ被害者だというのは間違っていると思うけど》

《関係ないなんて妹ちゃん一言も言ってませんが?論点すり替えないでもらっても?》

《普通にヒーローじゃねぇか……誰だこの子叩いてたの》

《特定班はよ》

《妹も可哀想だけど、でもやっぱ幸せそうに笑ってるのは何かモヤる……ううん……》

《謝れって言ってるけどお前がまず謝れって思うのワイだけ?》

《お前だけだよ。妹悪いことしてないんだから謝る必要ないだろ》

《なんで誰も刃物刺さりまくってる事に言及しねーんだ?そこにいるヒーロー何してんだよ》

《あれコスチュームじゃねぇの?》

《怖えよどんなコスチュームだよそれ》

《兄妹喧嘩は家でやれ、保須市でやるな》

《保須市「まったくだ」》

《私は応援したいと思ったけどな〜赤黒操ちゃん》

《俺は無理、顔も見たくない》

 

 そのような内容が、暫くの間はネット上を飛び交っていた。

 

 

 

『──もしもし』

「…………」

 

 しかし当の本人は一切笑っていなかった。

 頭蓋骨線状骨折をはじめ六箇所の刺し傷に十二箇所にも及ぶ切り傷。腹部と背部、腰部の打撲に肩関節の脱臼。

 左手のひらを貫通したナイフと身体中に刺さった刃物は緊急手術によって取り除かれた。

 それ以外の傷も腱は切れていても幸いな事に神経は傷付いておらず、手術とリハビリを繰り返せば日常生活に支障はきたさないとの診断を受けている。

 

『赤黒、お前手術終わったのか? 今連絡受けてそっち向かってる所だからもう少し待ってろ』

「…………」

『……赤黒?』

 

 しかし熱に浮かされ意識が朦朧とする中で、聞こえてきたのは医者のとある言葉だった。

 ──飯田天哉の左腕は腕神経叢を傷つけた為、今後指が動かしづらく痺れを伴う後遺症が残るだろう。

 その言葉を耳にして、操の目の前は真っ暗になった。

 失いたくなかった未来が音を立てて崩れ落ちていく様を、目の当たりにしてしまったから。

 

『……喋れない状況か?この声が聞こえてたらスピーカーの部分を──』

「ごめんなさい……先生、ごめんなさい……」

『どうした、何に対し──』

「信じてもらったけど……もう、むりだ……ごめん……私はもう、頑張れない……」

『……』

「もう、戦いたくない……」

 

 ──あぁ、私は。

 守りたかった飯田の未来も潰してしまったんだなと、そう実感してしまったから。

 

 

「ヒーロー目指すの、やめる」

 

 

 薪を焚べ、炎が燃えている。

 そして全てを燃やし尽くして──。

 

 その全てを灰にした。

 

 

【職場体験編下:了】

 

 

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