ステイン妹のヒーローアカデミア   作:苗字ちゃん

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赤黒操:ライジング

 辺りは闇に包まれていた。

 街頭や車のライト、店内の灯りが頼りとなり星の見えない大地を照らしている。

 そんな陽の落ちた夜に、闇に紛れてしまいそうな衣服を身に纏った相澤はタクシーを拾ってとある病院名を告げた。そしてタクシーは、目的地に向かって走りだす。

 

 数時間前、雄英高校での勤務中。

 警察と複数のヒーローから連絡を受け、相澤は学校を飛び出して保須市へ向かうことになった。受けた連絡の内容が"自身の受け持つ四人の生徒がヒーロー殺しステインと戦闘になり、傷を負った"というものであったからだ。それを聞いて相澤が何よりもまず確認しなければならないのは、生徒達の安否だった。

 大怪我をした赤黒操(あかぐろみさお)と飯田天哉は緊急手術を行い、軽傷だった轟焦凍と緑谷出久は検査入院となるそうだ。相澤は前半二人の名前を聞いて、思わず頭を抱えたい気持ちになっていた。

 彼らの職場体験先に許可を出したのは自分だ。どちらもステインに因縁を持つ者だったが、ヒーローがマンツーマンで側に着くから信用して送り出したのだが……。 

 ヒーローは以前雄英高校に襲撃してきたヴィラン連合の脳無が保須市で暴れたため、生徒から目を離してしまったらしい。その結果、操と飯田の二人はステインによって大怪我をしてしまったという。

 相澤をはじめとする雄英高校の教員達は、仮免許すら取得していない生徒がこのような結果になったことを深く受け止めなければならなかった。

 

 駅弁なんて買う余裕もなく飛び乗った新幹線での移動中、相澤のスマホが震える。確認すると操からの着信であった。

 「何もなくても連絡していい?」と言っていた数日前のやりとりを思い出して、相澤は席を立つ。そして連絡通路にて電話をとったのだが、こちらがいくら声をかけても電話の主が何かを話す気配はなかった。

 

「赤黒?」

『…………』

 

 治療を受けているはずの病院でステインの妹という理由だけで酷い目に遭い、喋れない状況にでもなったのかと相澤が心配をしたとき、彼女は口を開いた。

 しかし飛び出してきた言葉は予想もしていないもので、彼女は相澤の返事を待つことなく言いたいことだけを言って通話を切ってしまった。

 その後どれだけ電話をかけても彼女が出ることはなく、3回かけたところで相澤は諦めて操のいる病院へ連絡した。すぐに駆け付けることの出来ない相澤は、操の様子がおかしくないか、自身が到着するまでよく見ておくようお願いをするしかなかったから。

 

 席に戻った相澤は黙って頬杖をつく。景色を眺める気持ちにすらならなかった。

 自身が今まで受け持ったクラスの中で、今年のクラスは圧倒的に手がかかるクラスであった。そしてその中でも、赤黒操は飛び抜けて手のかかる生徒だった。

 まだ入学してから数ヶ月であるというのに、彼女に降りかかる試練が大きすぎる。一度壊れかけた心は何とか持ち直したものの、電話の様子からしてステインや飯田とまた何かあったのだろう。

 ──まあ、また辛くなってもさ。きっと誰かが助けてくれるよ。

 プレゼントマイクが運転をする車内でそう微笑んだ操の顔を思い出して、相澤は焦る気持ちを落ち着かせようと深く息を吸った。そして、それをゆっくり吐いたのだった。

 

 そうして辿り着いた病院で、手続きを終えた相澤は真っ先に操の病室へと向かった。

 なんとか踏み留まったものの、数日前に自殺を考えるまで追い込まれた彼女だ。一人で抱え込まず自身に連絡してきただけ大きな一歩だが、あんな電話があった以上早いこと対応してやりたかったし、四人の中で一番酷い怪我をしていることから、最初に様子を見ておきたかったのだ。

 

 扉を開けた先、室内は真っ暗だった。

 けれどベッドには膨らみがあり、呼吸をするたびにゆっくりと上下に動いている。どうやら操は寝ているようだった。

 ベッドに近寄って見下ろせば、徐々に暗闇に慣れた視界は操の情報を拾っていく。

 線状骨折と報告のあった後頭部を守るように包帯が巻かれ、仰向けで眠ることが出来ないから酷く窮屈そうだった。頬や右目にはガーゼが貼られ、さらに首を覆い隠すように包帯が巻かれている。

 そして刃物が貫通した左手は、手の形がわからなくなるほど包帯が巻かれていた。それは以前の自分を見ているような酷い怪我だった。

 切り裂かれた首元はあと数ミリずれていたら喉を傷付けていたそうだ。そして操血の個性がなければ、失血死してもおかしくないほど深い傷が身体中に刻まれていたらしい。あまりの傷の多さに今は熱を出しているようで、寝息は酷く息苦しそうだった。

 ──自分を大切にしろと言った矢先に、これほどの怪我をするとはな。

 相澤は深くため息をついて、眠る操が固く握りしめていたスマホを手のひらから抜き取って枕元に置いた。

 そして男三人の様子を見に行こうと部屋を出れば、薄暗い廊下に淡く揺れる人影を見つけ、少しだけ警戒心を強める。

 

「今ちょっといいだろうか」

 

 しかしそこにいたのは操の職場体験先のヒーローであった。

 黒と白の長い髪に、薄暗くてもわかる顔色の悪さ。彼は操が大怪我をしたのだと、真っ先に雄英高校に連絡を入れてきた人物だった。

 

「……生徒の様子を確認しなきゃいけないんで、手短にお願いします」

 

 後手で病室の扉を閉めてから、相澤は男に向き合うように立ち止まる。

 足音の無い夜の病院は、まるで深海のように静かであった。

 

 

 

 

「……どこだ、ここ」

 

 体内を血潮のように駆け巡る慢性的な疲労に抗ってまぶたを開けると、そこには見たことのない天井があった。

 窓から差し込む日差しはレースのカーテンによって遮られている。蛍光灯には明かりが灯っておらず、部屋は寝起きにはちょうどいい薄暗さとなっていた。

 しかし部屋の明るさはともかく、目を覚ました操の気分は最悪であった。

 

 とにかく頭が痛かった。

 内側から殴られるようなその痛みを逃がしたくて身体を動かせば、全身に痛みが駆け巡った。結局動かさないことが正解なのだと思い大人しくした。

 しかし身体の至る所に分厚く巻かれた包帯は酷く熱を持って蒸れ、体を伝う汗とそれを拭えぬ気持ち悪さに不快感がふつふつと湧き上がる。

 そんな痛みと暑さと苛立ちで最悪な気分の中、ノックもせずに開いた扉。視線だけをそちらに向けると驚いて目を丸くした看護師と目が合って、操はようやく自身のいる場所を知ることができた。

 

「赤黒さん!起きたんですね!?」

「……ここは、」

「病院です!貴女半日寝ていたのよ!?」

 

 発した声はしわがれ、ひび割れていた。

 しかし看護師はそれを気にすることなく「先生を呼んで診察しますから、ここで待っていてくださいね!」と慌ただしく病室を出て行ってしまう。

 操はその背を見送ってからゆっくりと体を起こし、ベッドから足を下ろした。そして痛む体を引きずって、静かに部屋から出ていく。

 まるで看護師の言葉など聞こえていなかったかのように、静かな廊下を歩きだした。

 

「……暑い」

 

 身体に篭った熱をなんとか消したかった。

 そんな思いを抱きながら操は目に付いた階段を上り、そして屋上へと辿り着く。

 吹き抜ける風が髪を撫で、涼しくて心地がいいと思ったのは一瞬だけだった。身体の中から湧き上がる茹だるような熱は、消えることはなかった。

 それに無性に苛立って、熱を逃すことのない邪魔な包帯を引き千切ってしまいたい気持ちになる。ずっと殴られているような頭の痛みに顔を顰めながらも、なんとかフェンスの前へ移動した。

 見上げた空は雲によって青色が覆い隠されている。灰色のコンクリートと空、そして白い病院着と包帯のせいか、操はモノクロの世界にいるようだった。

 

『正さねば──……誰かが血に染まらねば……英雄(ヒーロー)を取り戻さねば……!!』

 

『来い』

 

『来てみろ贋物ども!!』

 

『俺を殺していいのは本物の英雄(オールマイト)だけだ!!』

 

 目を閉じれば脳裏に浮かぶ、数年ぶりに見た兄の姿。

 昨日の事は今考えると嘘のような出来事だった。けれど操の身体に刻まれたこの傷が、それが現実であると証明している。

 ──私は兄を、ようやく止めることができたのか。

 ずっと成し遂げたかったことだった。両親の死を目撃してから、操がずっと望んでいたことだった。なのに、おかしな事に喜びは一切湧き上がらなかった。

 けれど悲しい訳でもなかった。なんか、どうでもよかったのだ。

 

「──赤黒!」

「った……!」

 

 そんな時、操は後ろから勢いよく肩を掴まれ無理やり身体を反転させられた。

 鈍く全身を駆け巡る痛みに思わず顔を歪めてしまったが、見上げた先には相澤がいて操は少しだけ驚いてしまう。何故なら、彼が屋上に来たことにも気付かなかったし、保須市にいるとも思わなかったから。

 ──今日は平日だから雄英高校で授業をしている筈なのに、何でここにいるだろう。

 操はそう不思議に思っていたのだが、相澤は肩を握る手から少し力を抜いただけで、目を細めたまま操を射抜いていた。

 

「お前ここで何をしようとした」

「……暑かったから外に来ただけだよ」

「……医者がお前のこと探してたぞ」

 

 大きな手が操の肩から離れ、身体の横へと戻っていく。操はそれを目で追いながら、そういえば診察するとか言っていたっけとぼんやりとした記憶で看護師の言葉を思い返していた。

 ──けれど、どうでもよかった。

 看護師に怒られようが冷たくされようが、今はどうでもよかったのだ。この身体に走る痛みは操が受けるべき報いであって、わざわざ治して貰う必要などない。

 だから診察なんて、操にとっては心底どうでも良かった。

 

「ふーん……あ、先生に言いたいことがあったんだ」

「……」

「ごめんね、約束したのに破っちゃった」

 

 ここで言う約束とは、職場実習前に職員室で交わした事を指している。

 操はあの時相澤に「ルールを破ったらそれこそヴィランだ」と言っておきながら職場体験中にそれを破り、個性を使い、あまつさえ怪我までしてしまった。

 相澤がここにいるのは操が約束を破ったからか、怪我をしたからだろう。平日なのに雄英高校にいないという事は、きっとそういうことなのだ。

 

「あはは、ヴィランの妹はヴィランだって自分で証明しちゃったね〜。信じてくれたのにごめんね?」

 

 操の乾いた笑いに、形だけの心無い謝罪。

 相澤はそれを見抜いているのか、眉を顰めて黙ったまま何も答えない。でも別にそれでもよかった。

 だってどうでもよかったから。

 

「……怪我は?」

「大した事ないよ、こんなの」

「んな訳ねぇだろ。つかお前歩ける元気があんなら転院するぞ」

「なんで?」

「学校の近くに入院して貰う。そしたら婆さんの治療が受けられるだろ」

「……いらない」

「あ?」

「治療しなくていい」

 

 相澤の言う婆さんとは、リカバリーガールの事だろう。

 自らルールを破って負った怪我なのに、わざわざ個性を使って治す必要はない。この傷に、そんな価値はない。

 操に傷を治す理由は、もうないのだから。

 

「先生、私……ヒーロー目指すの、もうやめる」

 

 操は目が覚めてからずっと思っていたことを、ようやく口にした。

 静寂が二人を包んでいる。

 時々吹く風だけが、二人の髪や衣服を揺らしていた。

 

「もう、疲れたんだ」

 

 脳裏には飯田の顔や、恋人を亡くしたヒーローの顔が浮かぶ。

 傷だらけになって縛られ、警察に連行される兄の姿を思いだす。

 

「元々兄を止めたかっただけなんだ。ヒーローになる前にその夢叶ったし、やることないな〜って」

「……」

「人助けとか、私には向いてないし」

 

 もう操に戦う理由はないし、立ち向かう勇気もない。何より痛みを抱えて歩くのは辛かった。

 信じてくれた先生、支えてくれると約束した友達。その全てを裏切って、操は戦う事を放棄するのだ。

 ──それはすごく悲しいことだけれど。兄を止めるという理由もなく、操は頑張れないと思ったのだ。

 

「先生の期待には応えられない」

 

 操の傷は個性を使わずとも治るのに、飯田の怪我と心の傷は一生治らない。

 そんな中でヒーローを目指して走り続けるほど、操は強くなかった。

 これ以上身勝手な信念を振り翳して人を傷つけたくなかったし、何より自分自身が傷付きたくなかった。

 

「……前に言ったろ。お前は自分を責めすぎだって」

 

 相澤はとある映像を思い出していた。それはヒーローとして決して見るべきではなかったが、担任として見るべきだと判断したものだった。

 しかし刃物が何本も刺さった状態でステインに訴えかける操の動画を見て、相澤は思わず絶句してしまったのだ。

 ──また守れなかったのだと、そう思わざるを得なかった。

 だからこそ「また誰かが助けてくれる」と信じた操のことを、諦めるつもりはなかった。

 

「赤黒はヒーローに向いていると思う」

 

 真っ直ぐに操を射抜く静かな眼差しは、分かりにくくも優しさを孕んでいる。操はそれに居心地の悪さを感じて、思わず視線を逸らした。

 そもそもステインが捕まったとしても被害者家族の傷が癒えるわけでもなく、被害者が元に戻ることはない。むしろ飯田は後遺症を負ってしまったのだ、操のことを以前より恨んでいるだろう。

 それを理解しているのに、今の環境に居座ろうと思うほど操は強くないのだ。

 

「俺は、お前はいいヒーローになると思う」

「……」

「今は少し休め、赤黒」

 

 操はその言葉に返事をしなかったけれど、相澤が怒ることはなかった。そして彼に促されるまま、操は屋上を後にして病室へと戻ってきたのだった。

 慌ててやって来た看護師や医師によって篭っていた熱や不快感は拭われたのに、心の中のわだかまりは消えずに残ったままだった。

 それがなんだか気持ち悪くて、操はその後相澤と視線を合わせることをしなかった。

 

 

 

 ルールを破った罰として、操には一週間の停学処分が課される事となった。

 怪我とこの処分によって職場体験を続けられない操は、明日にでも雄英高校付近の病院へ転院させられるらしい。

 実はこの処分、目立ちすぎて批判の多い操を守るためのものであった。これは敢えて罰を課すことで世間を納得させ、そして同時に操を無理にでも休ませるためのものなのだ。

 仮免を持っていない生徒がヴィランであるステインを殴る。免許を持っていないその行為は、れっきとした違法行為であることは言うまでもない。その動画が世に出回ってしまった限り、操には必ず批判がついてまわる。

 それを少しでも軽減するためには、彼女に罰を与えるしかなかった。

 

「一週間ゆっくり休んで、それからよく考えろ」

 

 相澤はそう言って病室から出て行った。

 ──やめると言った操の言葉を、彼は聞き入れなかった。

 心身共に傷付き打ちのめされ、おまけに熱も出ている操は正常な判断が出来ないだろう。そんな状況では平行線のままだと思ったから、相澤は言葉を受け取らなかった。

 けれど一週間休んだところで操の気持ちが変わることはないだろう。

 操はそう思いながら、流れる時間に身を任せて目を閉じようとした。

 

「おう、随分とシケた面してんな」

「……こんなところに来るとは随分暇そうだな、ヒーロー」

「あぁ……その事について話に来たんだ」

 

 しかし新たに病室へとやって来た訪問者によって、閉じた瞼を再び開けることになる。そこにいたのは、職場体験先のヒーローだった。

 彼は黒と白が混ざった長ったらしい髪をひとまとめにし、ヒーロースーツではなく私服を着ていた。そのことに、操は思わず眉を顰める。

 あの日保須市に現れたヴィランは捕まった。しかし壊れた建物の撤去や市民の不安を取り除くためのパトロールなど、ヒーローとしてやる事はたくさんあるはずだ。

 ──それなのに私服でここに来るということは、いったいどういう事なのだろう。

 男はそんな操の言動に気を悪くすることはなく、部屋の中に入るとテーブルの上に袋を置いた。袋の中にはプリンや果物のゼリーがいくつか入っている。

 操がそれを無言で眺めていると、彼は突然頭を下げた。

 

「……え、なに」

「大怪我をさせて悪かった」

「……これはステインにやられたんだ、お前が謝る必要なんてない」

「あるんだよ。ヒーローとしてお前を預かったんだから、俺に責任があるんだ」

「……」

「それに──……餌と言って悪かった」

 

 操は彼のつむじから視線を外す。

 そのまま俯けば、左手には手の形を覆い隠すように包帯が巻かれている。対して目の前にいるヒーローに、怪我はない。

 けれど操は知っている。彼の心が酷く傷付いているのだと、知っているのだ。

 

「……わたしこそ、謝ってなかった。お兄ちゃんが大切な人を殺して、ごめんなさい」

「それこそお前が謝る必要はねえよ。殺したのはステインだからな。それに……もういいんだ」

 

 顔を上げると、彼は穏やかに笑っていた。そして何故私服でここに来たのか、操に教えてくれた。

 彼は昨日を最後に、ヒーローを辞めたというのだ。

 ──私はまたひとの未来を潰してしまったのかと、心がぐしゃりと潰れしまいそうになる。

 しかしそんな操を見て、彼は困ったように眉を下げた。

 

「勘違いすんなよ?お前のせいじゃない……ただ、俺は戦い疲れただけだ」

「戦い、疲れた」

「おう。俺はもう充分戦ったからな」

 

 恋人が死んでから、心はずっと怒りに燃えていた。

 ステインのこと以外何も手が付かなくて、ふとした時は悲しくなって。彼女の声や顔を忘れてしまうのが苦しくて、その辛さをステインへの恨みに変換して生きてきた。

 ヒーローとして立派に戦ってきたかと問われれば、そうじゃないと首を横に振るだろう。そんな数年間だった。

 ──とても苦しい、数年間だった。

 

「ようやく終われる……戦うのを、ようやく終わることができる」

 

 あんなに恨んでいたのに、実際にステインを前にしたら一歩も動けなかった。

 奴の信念に呑まれ、その言葉に賛同してしまいそうだった。こんな凄いやつに殺されたのなら、仕方ないのだと彼女の悲惨な運命を受け入れてしまいそうだった。けれど──。

『ふざけるな……!』

『謝れ……!今まで傷付けてきた全ての人に謝れ!!』

 そんな自分の代わりに、怒ってくれる少女がいた。

 誰も言えなかったことを、言いたかったことを言ってくれる少女がいた。

 それを見て思ったのだ。

 自分のこの数年間はヒーローとして間違いだったとしても、人としては決して間違いではなかったのだと。

 がむしゃらに走り続けたこの数年間を、認められたような気がしたのだ。

 

「誰が何と言おうと、あの時のお前は俺にとってヒーローだった」

 

 もう戦う必要はない。

 そう思い安堵した自分がいるのは本当だった。そして自分が辞める事で、少しでも彼女に向けられる厳しい視線が減るのであれば、尚更いいと思ったのだ。

 

「……」

 

 今の操は以前の自分を見ているかのようだった。

 戦うのはとても疲れる事だと知っている。だから灰になったその心を、無理に燃やそうとは思わなかった。生きることは戦うことだから、それだけで充分だと思った。

 でもせめて、消えて灰になりそうなヒーローに伝えたい。

 

「俺の復讐に付き合わせちまって、悪かったな」

 

「でも、最後まで付き合ってくれて……ありがとうな」

 

 操は教員に連絡して、ずさんなヒーロー事務所を報告する事もできた筈だ。けれど彼女はそれをしなかった。

 食事の時間を知らせたり、休憩の時には飲み物を持ってきたり、夜は寝るようにしつこく声をかけてきた。兄が犯した過去の事件を焼き付けるように眺めて、捕まえるために協力してくれた。

 彼女は苦しみを投げ出す事なく全てを受け止めて、それでも走り続けていた。

 

「この復讐に終止符を打ってくれて、ありがとう」

 

 ──被害者(俺たち)のために怒ってくれて、ありがとう。

 兄の罪を背負う彼女が、この先どんな道を選択しようとも。己が彼女の背負う罪を積み上げてしまったからこそ、願わずにはいられなかった。

 自分が操に救われたように、どうか彼女を救う人が現れますように、と。

 

 

 

 

「ありがとう、か……」

 

 ヒーローがいなくなった病院で、操は一人天井を見上げた。

 褒められることをした覚えはない。だからその言葉を受け取っていいのかと考えるけれど、答えは出なかった。

 ──操は彼のように、戦い疲れたことを言い訳にヒーロー科を辞めようとしている。

 そんな考えの中脳裏に浮かび上がったのは今まで惜しみなく協力してくれたワイプシの四人と、ヴィランの家族を支援する会の人たち。そして操が誰であろうと関係なく側にいて助けるのだと、そう言ってくれたクラスメイトの姿だった。

 ──彼らは操がヒーローをやめても、側にいてくれるだろうか。

 操はベッドの上から、窓によって四角く切り取られた空を見上げる。

 

 幼い頃は、あの部屋から出れば自由になれると思っていた。たまに目にする青い空に憧れながら、その先に幸せな世界が広がっているのだと信じて疑わなかった。

 あの時伸ばした手は、どちらも包帯が巻かれていて今は伸ばせそうにない。

 そんな風に両手を眺めていると、机の上にあったスマホが震えだす。操は比較的無事な右手でそれを手に取って、誰からきた着信か確認することなく耳に押し当てた。

 

「……もしもし」

『あ、やっと出た!遅い!!』

「──……リュウコさん?」

『そうよ!ってかアンタ誰か確認せずに出るのやめなさいよ……』

 

 操に電話をかけてきたのは、ワイプシのピクシーボブこと土川流子だった。

 大きな声に、操は思わずスマホを耳から離す。しかし久しぶりに聞いたその声に、なんだか酷く安心して眉は下がっていった。

 無言のままスマホを握りしめていれば、スマホの向こう側でピクシーボブの声色は明るさを潜め、真剣なものへ変化していった。

 

『貴女いろいろ大丈夫なの?酷い怪我って聞いたけど』

「……」

『操?』

「……あんまり、大丈夫じゃないかも」

 

 操は気付けば弱音を吐いていた。

 だって家に帰ってポストを開けるのも、自宅の扉の前に向かうのも嫌だったから。学校や道で心無い言葉をかけられるのも嫌だった。

 誰かに「飯田がこうなったのはお前のせいだ」と言われるのも嫌だったし、かといって友達に気を遣われるのも嫌だった。

 操はもう、何もかもが嫌になっていたのだ。

 

『……ふーん、ならいつでも帰ってきなさいよ』

 

 しかし返ってきた言葉は意外なものだった。

 てっきり怒られると思っていた。ヒーローになると聞いたから協力したのに、目指さないとはどういう事だと小言を言われてもおかしくないと思っていた。

 けれどピクシーボブは、諦めた操を決して責めることはなかった。

 

「……ヒーロー目指すの、やめようと思ってるんだよ?」

『いいんじゃない?別にヒーロー以外にも仕事っていっぱいあるし』

「……」

『それに人を助ける仕事は、ヒーローだけじゃないわ』

 

 サポートアイテムを作る人も、警察も、医者も。たとえヒーローじゃなくとも、必ず誰かを助ける仕事をしている。

 それ以外の仕事だって、この世界のどんな人だって人の暮らしを支え、人を助けている。みんなで足りない何かを補って暮らしている。

 ヒーローを諦めて他の職に就くことは決して恥ずかしいことではないし、悪いことでもない。

 

『もしかしてヒーローを諦めること、申し訳ないって思ってる?』

「……」

『そんなこと思う必要はないのよ。──あんたは充分、頑張ったから』

 

 きっとピクシーボブは今、とても温かい瞳をしているのだろう。

 側にいなくても、なぜか操にはわかった。

 

『だから帰っておいで』

「うん……」

『好きなご飯作って待っててあげるから』

「うん……!」

 

 操はピクシーボブとの通話を切って、その言葉に甘えて帰ろうと思った。

 彼女達の拠点は居心地が良かったし、暫くの間はワイプシのサポートをしたり洸汰とのんびり過ごすのも悪くないと思ったのだ。何よりあの森の中では、人と会う事は滅多にないだろう。

 そう思って、操は再び部屋の外に出た。

 そして昼過ぎにも拘らずがらんとした廊下を通り過ぎ、数時間前と同じように階段を登っていく。

 そして辿り着いた屋上で、操はみっともなくコンクリートの地面に寝そべった。空はいつの間にか雲が散らされて、青色が顔を覗かせている。

 それはまるで少しだけ晴れた操の心を表しているようだった。身体を蝕む痛みも邪魔な包帯も、空を眺めている間だけは不思議なことになんとも思わなかった。

 

 操はそうやって空を眺めながら「あの雲の向こうにラピュタがありそうだな……」と考えていたのだが、そんな時間を邪魔するように屋上の扉が開く音がした。

 ──他の患者か、看護師が来たのだろうか。

 その音に、一瞬にして晴れていた心は曇り空になっていく。

 看護師によって部屋に連れ戻されるのも面倒だが、操が一番嫌だったのは他の患者に会うことで嫌な顔をされる事だった。

 何か言われる前に立ち去ろう、そう思って操が上体を起こせば、屋上へとやってきた人物は操の行手を塞ぐようにして立ち止まる。

 不審に思った操が見上げれば、そこにいたのはクラスメイトの飯田天哉だった。メガネのレンズの向こうで、真っ直ぐな瞳と視線が合う。

 ──ドクンと、心臓が嫌に軋んだ。

 しかし操が何か行動を起こす前に、彼は固く閉ざしていた口を開いた。

 

「相澤先生に聞いたぞ。ヒーローをやめようと思っているのだと!」

 

 そう言うと、飯田は操の隣に座った。

 操と同じように、コンクリートの地面に腰を下ろして。品の良い飯田がそれをするのは、少しだけ意外だと思った。

 ──辞めてせいせいするとでも言いに来たのだろうか?

 そうだとしても普通に話しかけてくる理由が操にはわからなかった。その腕には包帯が巻かれているというのに、その瞳には何故か怒りの色がなかった。

 けれど操は飯田の言葉を待っている場合ではなかった。彼に今、言わなきゃいけない事がある。それを言わずにワイプシの所に帰ることだけはしたくなかった。

 だから操は怖くて見つめたくないと思っても、レンズの向こうにある飯田の瞳を見つめた。そして想いを言葉にするため、口を開いたのだが──。

 

「「あの!」」

 

 しかし不運な事に、操と飯田の言葉は重なってしまった。

 勢いを削がれた二人は口を閉ざし、視線だけを合わせる。

 

「……」

「……」

「……先にドウゾ」

「いや、赤黒君から先に言うといい」

「……」

「……」

「「……えっと!」」

「……」

「……」

 

 しかし再び重なる言葉に、操と飯田の表情がスッと死んでいく。

 このままでは埒が明かないだろう。二度あることは三度あるというが、こんなもの三度あってたまるかと、操はやけになって口を開いた。

 

「──っああもう、私から言うから!」

「あ、ああ!」

 

 何度も出鼻をくじかれたが、それでもこれだけは勇気を振り絞って言わなければならなかった。

 最後になるのだから、ちゃんと伝えないと後悔すると思ったのだ。

 

「ごめんなさい!」

 

 そして操は、飯田に向かって頭を下げた。

 インゲニウムのことも、後遺症の残る腕のことも。決して謝って許されることではないけれど、それでも頭を下げないと気が済まなかった。このまま許されず、糾弾されたってよかった。

 けれどそんな操の思いと裏腹に、飯田も頭を下げたのだった。

 

「俺こそすまなかった。君はステインの血縁とはいえ、ステインではないのだから。君を恨むのは間違っていた!」

 

 被害者家族として望むのは加害者本人(ステイン)の償いと更正であって、その家族へのバッシングではない。

 ステインと対峙し、傷だらけになりながらも真っ直ぐに向き合う操を見て、飯田はようやくそれに気付かされたのだ。

『殺してやるなんて、そんなこと思わせてごめんね……!』

 あの時飯田は操と目が合うことはなかった。操は決してステインから目を逸らさなかったから、視線は合わなかったのだ。

 けれどあの時、飯田は謝り続ける操から深い悲しみを感じ取っていた。彼女は泣いていなかったけれど、泣いているように感じたのだ。

 

 ステインが捕まってから一夜が明けた今日、飯田は緑谷からたくさん話を聞いていた。

 体育祭が終わってから操が置かれていた悲惨な状況を、情けないことに飯田はその時初めて知った。慣れないSNSを駆使し、操が心ない言葉をかけられていると知って酷く驚いたのだ。

 後から来た相澤に確認したところ、操が誹謗中傷に晒され嫌がらせを受けているのだと彼は肯定していた。たとえ操がその場にいなくとも、学校では操の悪口が聞こえるのだと緑谷と轟は口にしていた。

 ──それなのに彼女は、自分や他者を決して非難することはなかった。真っ直ぐステインと向き合って、決して逃げなかった。

 ステインに対して自分が受けた仕打ちを怒ったのではなく、飯田やヒーローを傷つけたことに対して怒っていた。今まで被害に遭った人のために怒って絶対に許さなかった。ステインに家族として向き合って、そしてヒーローとして立ち向かっていた。

 そんな彼女が、ヒーローを辞めようとしている。

 相澤からその言葉を聞いて、飯田は居ても立っても居られなくなったのだ。

 

 飯田が顔を上げれば、そこには目を丸くした操がいた。

 頭に巻かれた包帯、顔に貼られた複数のガーゼ、手を覆い隠す包帯。それはとても痛々しかったが、彼女が今まで負ってきた傷はそんなものではないのだろう。

 ──そして自分も、彼女に傷を負わせた一人なのだ。

 

「俺はキミにヒーローを諦めてほしくない」

 

 胸ぐらを掴んで酷い言葉を浴びせておいて、事実を知ったら手のひらを返してこんなことを言うなんて、おかしいかもしれない。

 けれど、どちらも飯田の本音だった。

 不器用な飯田は思ったことを真っ直ぐに伝える方法しか、わからなかったのだ。

 

「ステインを前にして誰もが動けなかった。でも、キミだけが動いた。キミの言葉は、正しいと思った」

 

『正しき社会のためとか!そんな美談にすれば人を殺していいと思ってるのか!!』

『人の痛みも苦しみも理解できないお前に、理解しようとしないお前に! 正しい世界が作れるものか!!』

 少しだけ正しいと思ってしまったステインの思想を、間違っているのだと引き戻したのは操の言葉だった。

 そして、今になって飯田は思う。

 誰よりも痛みや苦しみも理解した操だからこそ、ステインの在り方を真っ向から否定することが出来たのだと。

 

「……わたしは」

 

 しかし飯田の思いも虚しく、操は俯いた。

 俯いた先で包帯の巻かれた飯田の腕を見つけて、思わず眉を顰めてしまう。

 飯田の未来が失われる。その痛みを操が理解することはできないのに、痛いと勝手に心が悲鳴をあげている。

 

「お前の未来を潰してまで、ヒーローになりたくないんだ」

「……僕の未来?」

「そう。腕、後遺症が残るんだろう? お前がヒーローを辞めるというのに、私が続けるわけには──」

「ま、待ってくれ!」

 

 操の言葉を静止させた飯田は傷の少ない片腕を動かして、必死に自身の傷の説明をした。

 確かに後遺症は残るが私生活は問題なく送れることと、手術で神経を移植すれば後遺症はなくなる可能性があること。そしてその移植を、自ら断ったことを。

 

「断った?ドナーがいないのか?ならば私の神経をやろう」

「あぁ、そうじゃなくて──!」

 

 腕を差し出してきた操に、飯田は頭を抱えたくなった。しかし頭を抱える前に、操に説明をして理解してもらわなければらない。だから差し出された腕を押し返し、彼は再び口を開いたのだった。

 飯田は後遺症を残したまま、A組ヒーロー科に在籍してヒーローを目指すという。何故そんなことをするのかと聞けば、戒めなのだとか。

 意味がわからなくて操が瞳を瞬かせていると、飯田はぐっと何かを堪えて、重い口を開いた。

 

「俺は、キミの兄を殺そうと思った」

「……家族の未来を潰されたのだ、そう思うのは自然だろう」

「そうだとしても、ヒーローとしてはやってはいけないことだった」

 

 飯田はあの日、路地裏でステインを見つけた。

 襲われているヒーローを助けず、私情を優先しステインに立ち向かった。轟はそれを「殺意を向けられたのに立ち向かって凄い」のだと言ってくれたが、自分はそうだと思わなかった。

 今でもステインは憎い。しかし殺そうと立ち向かった己に対し「まずはアイツを助けろよ」と言った彼の言葉は、正しいものだった。

 

「この手は、それを忘れないための戒めなんだ。僕の、覚悟なんだ」

 

 もう二度と違えないようにと、この手に誓ったのだ。

 だから飯田の未来は潰えていないし、操がヒーローを辞める理由はない。

 飯田は腕から視線を離して、もう一度操の瞳を真っ直ぐ見つめた。

 

「赤黒くん、A組に戻ってきてくれないか。僕と一緒に、ヒーローを目指してくれないか」

 

 そう告げても、操の表情は曇ったままだった。

 それを見て、飯田は今朝電話で()と話したことを思い出す。

 兄である飯田天晴に、ステインと戦ったことを酷く叱られたのだ。けれど最終的に彼は無事でよかったと安心したように笑っていた。

 

『入院中にさ、天哉の体育祭の映像見たんだけど……強くなったな』

 

 それを見て、やはりインゲニウムの名を継いでほしいと電話越しに再び言われたのだ。弟である天哉は、涙ながらに頷いた。

 しかし電話は、それだけで終わりではなかった。

 

『それと……雄英にあの子がいて驚いたよ』

「……あの子?」

『赤黒操。天哉のクラスメイトなんだろ?』

「……あぁ、彼女はステインの、」

『あ、いや違うそうじゃなくて!兄さん昔に彼女に会ったことがあるんだ、だから懐かしくってさ』

「──!」

 

 そこで聞いた兄の話は、飯田の知らないものであった。

 兄の声色に操に対する恨みや怒りは微塵もなく、ただ懐かしい過去に思いを馳せるだけだった。それは数分にも満たないものだったが、兄は朧げな記憶の断片を懐かしそうに話してくれたのだ。

 

「俺はインゲニウムを、兄の名を継ぐことにした。インゲニウムの名に恥じぬ行動をし、もう迷わないとこの名に誓うことにした」

 

 飯田は操の瞳を真っ直ぐ見つめて、言葉を紡いでいく。

『兄さんは、昔彼女を助けられなかったんだ。それがずっと心残りでさ。……でも、彼女が雄英にいるってことは、きっと誰かに助けてもらったんだろうな』

 路地裏で異常なほど痩せ細り、サイズの合わない服を着た少女は誰も信用していない野良猫のような瞳をしていた。手首に赤く刻まれた傷を、なんとも思わない日々を過ごしていた。

 インゲニウムはその子どもと会わなくなってからずっと、無理にでも助ければよかったと後悔していたのだ。

 だからこそ、彼女が今ステインの代わりに受けている報復をどうにかしてやりたかった。けれど駆けつける足は自分にはもうないから、弟に託そうと思ったのだ。

『いいか天哉、これは兄さんが出来なかったことだ。俺の代わりにインゲニウムとして、お前があの子を──』

 

「──僕はキミを支えるヒーローになりたいんだ」

 

 そう告げて、インゲニウムは操に向かって手を差し出した。

 包帯だらけのその手をジッと見つめる瞳に、続けて言葉をかけていく。

 

「でも僕はまだ未熟だ。だから僕のことは、キミが支えてくれないか」

 

 ステインにしたように、道を間違えたら真っ直ぐにぶつかって、殴り飛ばして引き止めてほしいのだ。

 その代わり、操が転び倒れたら何度だって駆けつけて助けよう。肩を支えて、一緒に歩いていこう。ヒーローという、終わりのない未来に向かって。

 

「インゲニウムとして、今度こそ君を助けさせてくれ!」

 

 ──兄の果たせなかった事を、同じインゲニウムを継ぐものとして成し遂げさせてほしい。

 インゲニウムは真っ直ぐにそう願っていた。広大な青空を背景にしながら、操から視線を逸らさなかった。

 そこには悲しみも怒りも憐れみもなく、あの日見た時と同じ瞳をしていた。ただ操を助けようと思っている、真っ直ぐな瞳をしていたのだ。

 

 操は知っている。

 手を差し伸べる勇気と、その手をとってもらえない悲しさを、知っている。

 二度(・・)手を差し伸べられたのに、その手をとらないほど操は子どもではなかった。だから操は、その大きな手に自分の手を重ねた。

 真剣な表情を一変させ花が咲くように笑ったインゲニウムに、操もつられて口角をあげたのだった。

 

「……なんかテレビで見たなぁ、こういうの」

「ム?」

「あれだ。なんかプロポーズみたいだな」

「──っ!? ぼ、ぼぼぼ僕にそんな意図は!!」

 

 飯田はその言葉に驚いて、繋がれた手を勢いよく離した。そして突如顔を真っ赤にさせて、カクカクと謎の動きをしながら必死に弁明をしている。

 そんな飯田が面白くて、気付けば操は声をあげて笑っていた。

 

「あはは!なんだその動き」

「キミが揶揄うからだろう!?」

「別に揶揄ってない。思ったことを言っただけだ」

「ぐっ……!」

「いやぁ、キミを支えたいし僕を支えてくれだなんて、初めて言われたなぁ〜〜?」

「それはわざとだろう!?」

「あはは、バレた?」

 

 操は勿論、飯田にそんな意図がないとわかっている。万が一そうだったとしても、彼のプロポーズを受け入れるほど操の心臓に毛は生えていない。

 ──でも、嬉しかったのだ。

 飯田の真っ直ぐなその気持ちが、なによりも嬉しかった。

 後遺症がいずれなくなることも、そのおかげで飯田がヒーローになる未来が潰えていないのも、操にとっては嬉しかった。

 けれど、心にわだかまりは残るもので。

 

「でもな、私がヒーローに向いてると言ってくれたが、そんなことはないんだ」

「……どうしてそう思ったのか、聞いてもいいか?」

「身勝手なんだよ。私がヒーローを志す理由は」

「身勝手……?」

 

 操は兄のように、全てを捨てて世界を救う事はできない。

 側にいてくれる人がいて、友がいて。そんな世界で愛されながら生きていたいと思っている。

 そんな操の側で悲しみ、苦しむ人がいたら助けてやりたいと思うだけなのだ。それを見ているのが嫌だから、自分のために人を助けるだけなのだ。

 

「……それのどこが身勝手なんだ?」

「え?」

「少なくとも僕は、その信念に助けられた」

 

 ステインを前にして、彼女が倒れるまでの数分間。身動きが取れない飯田は一切傷を負わなかった。

 苦しむ飯田を見て操が怒らなかったら、あの場に来なかったら。自分は今ここにいなかったかもしれない。

 

「ヒーローとして、立派な志じゃないか」

「……そう、かな?」

「そうだとも!不安ならクラスのみんなに聞いてみるといいさ」

 

 ──まあ、みんな俺と同じことを言うだろうが。

 そう笑う飯田は、操を安心させるためだけにこんな嘘はつかないだろう。

 何度も操に本音をぶつけてきた飯田だからこそ、ステインという因縁に苛まれた飯田だからこそ、操はその言葉を信じてみようと思えたのかもしれない。

 自分の心を信じてあげようと、思ったのかもしれない。

 

「赤黒くん、改めて聞かせてほしい。キミはどんなヒーローになりたいんだ?」

 

 風が頬を撫でる。髪をさらって、優しく吹いている。

 視界を遮るもののない屋上から見えた青空には雲一つなく、今日も操を見守っていた。

 操の脳裏ではワイプシが、教員達が、そしてクラスメイトたちが笑っている。操はその中に混ざって一緒に笑いあえるような、そんな世界で生きていたいと思うのだ。

 ──そのために戦おうと、改めて思ったのだ。

 

「私は……友達や大切な人が笑って過ごせるような世界を作りたい。それを側で支えて、見守れるようなヒーローになりたい。そして近くで悲しむ人達を助けられるような、そんなヒーローになりたい」

 

 灰になった心に薪を並べて、火を灯す。

 炎を絶やさぬように、次々と薪を焚べていく。

 その炎は徐々に大きくなって、空高く燃え上がった。

 

「キミならなれるさ。なるために、これからも一緒に頑張ろう!」

「──フ、仕方ない。ヒーローになるまで、これからずっとお前を支えてやろう」

 

 笑顔の飯田につられて、操も自然と笑顔があふれた。

 そして立ち上がった彼に倣って、操もその場から立ち上がる。

 

「だから飯田も、私がまた迷った時は助けてくれないか」

「勿論だ!最速でキミの元へ駆けつけると約束しよう」

 

 差し出しれた手を固く握って、二人は改めて正面から向き合った。

 操が誰かと握手をしたのは初めてだった。しかし、案外悪くないものだと思った。

 

「これで仲直りだ、赤黒君」

「……これが仲直りかぁ」

「ム、何か不満が?」

「いや、私は今まで友達がいなかったからな。喧嘩も握手も、初めてなんだ」

 

 操はずっと一人だった。

 側に兄はいたけれど、彼は決して隣に立ってはくれなかった。

 誰かと共に生きるということは言葉を選ばなければならないし、自分の都合だけで自由に過ごす事はできない。面倒に感じることはあっても、それでも一人じゃないと感じることは悪くないと思った。

 未来は一人で作るものではなく、みんなで作り上げるものだから。

 

「なら俺はキミの友人第一号というわけか!」

「いや、一号は三奈か透だな。お前は三号にでもしてやろう」

「そこは否定しないでくれよ!? 三号でもいいけど!」

 

 子どもの頃に見上げた空は青く、どこまでも飛び立つことができる自由な空だった。

 

「どうした?」

「いや、空が綺麗だなって」

「──ああ、本当だ。綺麗だな」

 

 それから暫くは二人で並んで、空を見上げていた。

 

 

 

 

 赤黒操(あかぐろみさお)の人生は、赤黒く血に染まりつつ、常に兄の影があった。

 乳幼児の頃、飢えと孤独の苦しみから救ってくれたのは兄だった。

 幼少期の頃、助けを求め二度伸ばした手をとってくれたのは兄だった。

 それは目を細めてしまうような、暖かくて眩しい光ではなかった。煮詰めたようなジャムのような赤黒い光だった。それでも操を掬い上げたのは、そんな赤黒く血に染まった兄だった。

 

 兄に手を振り払われ、置いていかれて。全てがどうでも良くなって少女は非行に走った。

 兄に両親、ヒーロー、身近な人たち。たくさんの人に傷付けられて、傷付いて。でも操もたくさんの人を傷付けた。

 愛されなかった彼女は上手に生きられなかった。このまま誰に見向きもされず、奈落の底に堕ちていって、眩しい空に骨の髄まで焼き焦がされる運命──の筈だった。

 

 皮肉な事に、操を救ったのは二度ならず三度までも兄だった。

 

 堕ちていく操に前を向かせたのも、折れそうな心を無理矢理繋ぎ止めて、立ち上がらせたのも、兄だった。

 彼が直接何かをしたわけではない。手を引いて導いたわけではない。

 それは赤黒血染がヒーロー殺しステインになった、来るべき当たり前の未来を目の当たりにしただけだった。

 

『──運命なんてクソ!!』

 

 風に揺られて流されるだけの、決められた運命。

 操が兄と積み上げてきた過去を全て否定するような原作通りの兄(あるべき姿)

 お前が居ようが居まいが変わらないのだと嘲笑う運命に、あの日立ち上がった操は一矢報いてやろうと決意したのだ。

 

 自分の存在が、誰にも望まれず生まれ落ちた命だったとしても。そこに当たり前にあるべき愛と祝福が無かったとしても。

 生きてきた意味を兄に求めようと、傷だらけになりながらも必死に背を追い走り続けた。

 

 走り続けていると、いろんな人に出会った。

 傷付いて立ち上がれない子どもがいた。差し出された手から目を逸らし、けれど自分の足で立ち上がる力もなく。座り込んでは一人隠れて泣いているような子どもだった。

 そんな彼を救いたいのだと、真剣に悩み嘆く大人がいた。

 

『貴女は一人じゃないのよ、私たちがいる。一人で抱え込まないで』

 

 走り続ける事に迷って立ち止まった時、声をかけてくれる人がいた。

 腐り切った過去を、決して否定されることはなかった。それでも前を向いて走り続けていいのだと、彼女たちには背中を押されたのだ。

 

『ヒーローは悪を倒すためにいるんじゃなくて、捕まえて、未来に導くためにいるんだよ』

 

 赤の他人(操のこと)を真剣に考えて、悩み、心配して、時間を割いて共に過ごしてくれる人がいた。

 本来他人が踏み入れる筈のないテリトリーに、快く手を引いてくれる人たちがいた。

 

『──いってらっしゃい!』

『──いってきます!』

 

 彼女たちに見送られ走り続けた先には、たくさんの出会いがあった。

 襲い掛かる悪意や降りかかる正義は、操にとって初めて体験することばかりだった。

 けれど悪いことばかりではなかった。叩き壊された心を大切に集め、治してくれる人たちがたくさん居たから。操は回り道をしても、走り続けることが出来たのだ。

 

『操ちゃんが苦しんでたら、私たちが助けるよ!』

『ステインの妹だとしても、私たちは"操ちゃん"が好きなんだってば!』

 

 だからね、もうやめたんだ。

 自分の生まれた意味を兄に見出すのは、もうやめた。側にいる人が傷つかないように、泣かないように力を奮おうと決めたんだ。

 例えそれが兄の嫌う「信念なき力」だとしても。痛いのだと、悲しいのだと、側で苦しんでいる人を見たくなかったから。

 兄ではなくその人たちのために、操が生きている意味を見出そうと思ったのだ。

 

『赤黒のおかげで助かった、ありがとう』

 

 ──お兄ちゃん、知ってる?

 ありがとうって言われることは、とても嬉しいことなんだよ。

 自分の生きる意味を満たすために戦うだなんて、兄がいたら身勝手で自己中心的だと言わてしまうだろう。

 でも一度でも感謝されたら、帰りを望まれたら、大切だと言われたら。何度でも欲しいと思うのは仕方ないでしょう?

 

 自分の存在が、誰にも望まれず生まれ落ちた命だったとしても。そこに当たり前にあるべき愛と祝福が無かったとしても。

 ──私だって、愛されて生きたいと願っても別にいいでしょう!

 

 兄のような信念と、誰にも感謝されず非難されようとも進み続ける覚悟はない。茨の道を血に染まりながらも、一人で進み続ける勇気はない。

 立ち止まったら側にいてくれる人がいて、背中を押してくれる人がいて、苦しくなったら支えてくれる人がいて、一緒に走ってくれる人がいる。

 ──私はそんな世界で、生きていたいと思うのだ。

 そんな人たちに、自分も寄り添えるような、支えてあげられるような人になりたいと思ったんだ。

 

 だから赤黒操は、走り続けた。

 粉々に割れた薄氷の下で溺れながらも、鋭い茨の道を進んで真っ赤に染まりながらも、歩みを止めなかった。

 手を伸ばしても届くことのない大きな背中をただひたすら追いかけて、たとえ倒れそうになったとしても、罪という鎖を解くことなく背負ったままここまで走り続けたのだ。

 

『インゲニウムとして、今度こそ君を助けさせてくれ!」』

 

 そしてこれからも。

 罪という鎖を解くことなく、背負ったまま走り続けると決めたのだ。

 薄氷も茨の道も、きっと大丈夫。

 だって操は一人ではなく、たくさんの人と一緒に走り続けていくのだから。

 

 

 

「もしもし、リュウコさん」

『操、どうしたの?』

「ごめん、私はやっぱりまだ(・・)帰らない」

『……随分と急ね、何かあったの?』

 

 ベッドに腰掛けながら、足を揺らす。

 刺すような痛みを感じてすぐにやめたが、それでも操の顔は晴天であった。

 もう、一人で俯く少女はいなかった。

 

「ヒーローになるの、まだ諦めたくないって思ったんだ」

『……そう。別に謝る必要なんてないわよ!背中は押してあげるって前に言ったでしょう?』

「……うん」

『操、頑張れ!』

「うん……!」

 

 操は悲しむ人を守るために戦い、そして彼女が教えてくれたように"ヴィランを導くため"に戦いたいと思う。

 ただ捕まえるために拳を振るうのではなく、ヴィランが何を思って、どうしてそんな事をしたのか理解をする努力をしたい。

 同意は出来ずとも、そういう生き方なのだと否定をせずに受け入れたい。

 ──曲げられぬ己の信念故に、その行いを許すことはなかったとしても。

 それを悪だと認めた上で、そういう生き方しか出来ないのだと受け入れて、正面からぶつかっていく。操はそんなヒーローになりたいと思ったのだ。

『キミならなれるさ。』

 飯田がそう言ってくれたように、操は自分のことを信じてみようと思った。

 

 

『あ、もしもし操ちゃん?怪我大丈夫?』

「うん、今は酷いが……リカバリーガールに治してもらうことになったんだ」

 

 身体の傷は癒えても、心の傷はそう簡単に癒えない。しかし時と共に和らいでいくものだと知っている。

 自身の受けた痛みは他人の痛みを知る一番の近道であると、知っている。

 

『あ〜!笑ってるな?こっちは本気で心配してるのに〜!』

「ふふ、うん。ありがとう」

『喜んでるの?本当に心配したのに!』

「悪い。心配してくれる人がいるのが嬉しくてな」

『うーん……まあ、それをわかってるならヨシ!今回は不問にしてあげる!』

 

 思い出すと辛いことも苦しいこともある。

 そしてそれは今後もたくさん降りかかるだろう。

 でも過去を乗り越えた時と同じように、今後もきっと乗り越えていけるし、乗り越えていこうと思うのだ。

 

 

 

 

 

 対個性最高警備特殊拘置場。

 ──通称「タルタロス」。

 

 それは本土から約5km離れた海上沖に建造された収容施設である。

 便宜上拘置所とされているが、実態は国民の安全を著しく脅かす、または脅かした人物を厳重に禁固し監視下に置くものであり、刑の確定・未確定を問わず様々な個性の持ち主が収容されている。

 居房は六つに区分されており、個性の危険性や事件の重大性によって区分は振り分けられている。危険性の高い人物程、地下深くに収監される事となるのだ。

 そこは一度入れば生きて出ることは叶わないといわれており、個性社会の闇とも呼ばれている施設だった。

 

 そんな施設に、操の兄である赤黒血染(ステイン)は収容されることとなった。

 そしてそこに収容される前、操は兄と最後に対面することを許されたのだ。厳重な警備の中、隅々まで身体チェックをされ見張りを数人付けることが条件であったが。

 いつ何が起こっても対処できるような万全な体制の中、たくさんのヒーローや警察に囲まれながら、二人は再び対峙することを許された。

 

「許さない……」

「は?」

 

 何故操が兄と面会する事を許されたのかはわからない。

 転院すると思い相澤が運転をする車に乗り込んだら、気付けばここに辿り着いていたのだ。

 そして透明な壁に阻まれ、たくさんの人々に囲まれながら決められた時間内ではあるものの兄と再び話す機会を得られたわけだが──開口一番に「許さない」と言われ、操は思わず聞き返してしまった。

 

「いいか操。ヒーローになるのならば必ず本物になれ……でなければ俺はお前を絶対に許さない。道を違えてみろ、他の贋作共々貴様も粛清対象とする」

 

 その言葉を咀嚼して、操は思わず引き攣った笑みを浮かべてしまった。

 

「お兄ちゃんブレないねぇ……。もしかしてあそこから出れると思ってるの?」

 

 どう考えても兄は死刑か、よくても終身刑だろう。それなのにどうして出てくる気でいるんだろうかこの兄は。

 しかし呆れる操のことなど気にする様子はなく、兄は自分の信念をひたすら貫いていた。

 

「お前は正しき社会の為、オールマイトのような本物の英雄になれ。なれないのならヒーローなどやめてしまえ」

「いやだ」

「……なんだと?」

「嫌だって言ったんだよ、お兄ちゃん」

 

 操の脳裏には、側で支えてくれるたくさんの人たちが浮かび上がった。

 それは一人じゃないと、操を支えてくれる大切な人たちだった。

 

「私は私の道を行く、私がなりたいヒーローになる。お兄ちゃんに、私の未来は奪わせない」

「……」

「気に入らないならかかってこい、いつだって受けて立つ」

「……自分と相手の力量を測れないとは、愚かだな」

「好きに言いなよ。私は仲間と共に、何度だって立ち塞がってみせるから」

「……」

 

 ──お前に出来るものかと、その視線が物語っている。

 操はそれに、自然とあふれた笑みで返してやった。

 一人で出来なくても、仲間と戦えば負ける気がしないから。操はもう八畳間のアパートで差し伸べられる手を待つ、一人ぼっちの子どもじゃないのだ。

 

「もう会えないだろうから、お兄ちゃんに言っておきたいことがあるんだ」

 

 今の操は、過去の積み重ねの上に立っている。

 あの過去があるから、今の操がここにいる。

 だから誰に非難されようとも、理解されなくても。自分の想いを言葉に乗せて、ちゃんと伝えようと思ったのだ。

 

「私はお兄ちゃんの妹に生まれてよかったよ」

 

 兄に救われて、捨てられて。

 数多くの人からゴミのように見下されたからこそ、人を助ける事の凄さや尊さを知る。側で支えてくれる人のありがたみを知る。隣で共に走る人の、温かさを知ることが出来たのだ。

 だから操は兄の行いを悪だと認めて許すことはなくとも、これまでの人生全てを否定したくなかった。

 

 赤黒血染、通称ヒーロー殺しステイン。

 彼は身勝手に人の命を奪う、最悪で最低なヴィラン。

 けれど確かに、操の命は彼が繋いだもので。だから操はどんなに厳しい道であろうと兄の名を背負って、最後まで妹でいようと思ったのだ。

 辛いことはたくさんあった、今でも怖いと思うこともある。それでも、あの日ずっと言えなかった感謝を。

 

「私を、助けてくれてありがとう」 

 

 驚きで丸くした瞳を見て操は──あ、懐かしいなと思った。

 操がアパートから逃げ出すために必死に扉に向かって這っていた時、扉を開けた兄は今と同じ目をしていたっけ。

 ──今の私がここにいるのは、あの日助けてくれたお兄ちゃんのおかげだから。

 兄の行いは絶対に許されるものではない。

 それでも兄が積み上げてきた過去の一つに感謝をする人が一人いるってことくらい、伝えたっていいだろう。

 伸ばした手を取って貰えたことがどれほど嬉しかったのか、少しでも、お兄ちゃんに伝わるといいなぁ。

 

「本当に、ありがとう」

 

 ──私はずっと、言ってこなかったもんね。

 何度も助けてくれた貴方に、一度もありがとうと言ってこなかったね。感謝の気持ちを、伝えるのが遅くなってごめんね。

 少しでも兄が、私の大好きなこの言葉を好きになってくれたら、嬉しいんだけどなぁ。

 

「……ねえお兄ちゃん、空は青くて綺麗だと思わないか?」

 

 昔とは逆だった。昔閉じ込められていたのは兄ではなく私で、扉の先に進めるのは私ではなく兄だった。

 操は兄のように手を引いて、ここを一緒に出ようとは思わない。

 

 ──だから代わりに。

 抱えきれぬほどの罪を、貴方と共に抱えて生きよう。これからも、ずっと。

 

 

「空は青いのではない。大気中に散らばった微粒子によって光が散乱され、太陽からの光のうち青い光が目に入ってくるだけだ。だから青く見えるだけであって、青いわけじゃない」

 

「──ふふ、何言ってるのかわからないな!わかりやすく五文字で説明しろ!」

 

 昔と変わらず、長々としてロマンのかけらもない解答に操は思わず笑ってしまった。

 しかし隣に立つ警察に促され、操はその場から立ち上がる。

 座ったままの兄を見下ろせば、真っ直ぐ射抜く瞳は昔と変わらないままだった。

 

「じゃあね、お兄ちゃん」

 

 操は振り返ることなく、扉の外へ出る。

 あの時と違って、室内に取り残されたのは兄だった。それでも決して振り返ることはしなかった。

 背後で扉が閉まる音がする。

 操は一度だけ俯いてから、空を見上げた。

 

 見上げた空は青く澄んで綺麗だった。

 その空の青さに飲まれぬように、過去に背を向けて、未来へと羽ばたく。

 空を見上げながら地を蹴りあげて、私は私の道をゆく。

 この広い大空に、未来に向かって飛び立つのだった。

 

 

 

 

「ねぇ、先生〜」

「なんだ」

「ルール破ったのにさ……なんで私は除籍とか、退学にならなかったの?」

 

 未だ包帯が巻かれた痛々しい顔で、操は隣を歩く相澤を見上げる。

 しかしその表情は、昨日見たものが嘘であったかのように晴れやかであった。

 

「……お前の行動は、命令に従っただけだと聞いている」

「ん?」

 

 相澤が思い出していたのは、保須市へと駆けつけた日の夜のことだった。

 あの日眠る操の病室から出た相澤は、操の職場体験先のヒーローに声をかけられたのだ。少しの時間だけなら、と答えた相澤に対して彼は頭を下げたのだった。

 そして彼はその姿勢のまま、自分の監督不行き届きで操に怪我を負わせたこと、彼女を心身共に傷付けたこと、ヒーローとして最低なことをしたのだと続けた。そして──。

 

『俺が命令したんだ。罪の意識があるならばステインを探して捕まえてこい、と』

 

 ──頭を下げたまま、そう告げたのだった。

 だからこそ彼はエンデヴァーたちとは違って重い処分となり、責任を取ってヒーローを辞職することになったのだ。

 

「それは違う」

「……」

「私、命令なんてされてない……!」

 

 操は立ち止まって、思わず相澤の腕に縋り付いた。

 操が言われたのは「ステインを捕まえるために協力しろ」という言葉であって、相澤の言ったことではなかったから。

 ──そんなの、そんなの……! 操のために罪を被ったようなものではないか!

 

「信じて先生!ステインは自分の意思で探したし、私は自分の意思で戦ったんだ!」

 

 操の真っ直ぐな瞳が訴えている。

 彼が嘘をついていると、自分を庇っているのだと揺れている。

 相澤は大人の嘘と子どもの誠に気付いているからこそ、隠すことなくため息を吐いた。

 

「ごめん、ごめんなさい……!本当にもう嘘つかないから、約束破らないから、信じてよ……!」

「……赤黒、お前は俺が受け持ってきた生徒の中で一番手のかかる問題児だ」

「なに!? 急に悪口!?」

「悪口じゃない、本当のことを言ったんだ」

「だからごめんってば〜〜!」

 

 操の真っ直ぐなところは美徳であって、欠点だ。

 相澤はそう思いながら、真っ直ぐすぎる瞳をジッと見下ろした。そして彼女の言葉を聞いていなかったかのように背を向けて歩き出す。

 操がその背を小走りでついてきては、相澤に向かって何か文句を言っている。

 しかし車に乗って暫くしたら諦めたのか、多少不満げではあるものの大人しくなった。

 

「……ねぇ、先生」

「なんだ」

「私さ、ステインの妹だけど……ヒーローになれるかな」

 

 空を見上げている操と目は合わない。だからどんな表情なのかはわからない。

 けれど相澤は自分なりに向き合おうと決めたから、そんなことはどうだってよかった。

 

「ヒーローはなれるかじゃなく、なるもんだ」

「……そっかぁ。ならさ、私はお兄ちゃんが殺したり、不幸にした人よりたくさんの人を助けるヒーローになるよ」

 

 ──それで兄の罪が消えるわけでも、被害者の傷が癒えるわけでもないけれど。

 やると決めたからには走り続ける、それが操なのだ。

 もしかしたら道に迷ったり、躓いて転んだり、立ち止まったりする時もあると思うけど。

 

「だからやっぱヒーローやめない。昨日辞めるって言ったやつはなし! 約束破って本当にごめんなさい!」

 

 相澤に向かって頭を下げる操に、彼は一度だけ正面から視線を外してそれを眺めた。

 そして視線は、直ぐ正面へ戻したのだった。

 

「……次はないからな」

 

 ヒーローに向いていない、ヒーローになるべきではない。これからもずっと、操はそう言われ続けるだろう。

 それでも兄を止める為ではなく、ヒーローになってたくさんの人を救うと決めたから。私はもう迷わないし、迷いたくない。

 向かい風を切り裂いてでも、前に進んでやる。

 

 進み続ければきっと、ずっと迷いながら探していたここに存在する理由(ここにいる意味)を、見つけられる気がするから。

 

 

「うん!これからもよろしくね、先生」

 

 

 ──これはステインの妹に転生したので、過酷な人生を歩みながらも兄の罪を背負ってヒーローを目指して生きていく。

 そんな少女の、物語である。

 

 

 

 

【ステイン妹のヒーローアカデミア】

 

 第一章:赤黒兄妹 了

 赤黒操:ライジング 了

 

 

 

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