ステイン妹のヒーローアカデミア   作:苗字ちゃん

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林間合宿編(下)

 

 

 軽快な朝日を全身に浴びて、(みさお)はひとつ伸びをした。

 見渡す限りの森は陽の光に照らされ、陰陽の色彩を際立たせている。木立が密生しているせいか森の中は暗く、蝉はまだ眠っているようだった。

 そのため風が吹くと葉は音を立てて揺れている。そんな微かな音さえ拾うことができる、実に清々しい朝だった。

 

「いやぁ、いい朝だな!」

「……」

 

 操が笑って振り返るとそこには重たい瞼を擦る蛙吹、寝癖なのか髪の毛が盛大に跳ねている麗日、頭が働いていないのかぼんやりと何処かを見つめている上鳴に、欠伸をしている耳郎がいた。

 しかしそのような状況なのは三人だけでなく、眠気を殺そうと必死な真面目組や目をギラつかせている爆豪など、兎に角背後にいるクラスメイト達はみな眠そうであった。

 

「……お前たち、まだ二日目だぞ?」

「疲労消せる奴は黙ってろ!!」

「煩わしい太陽だ……」

 

 操が不思議そうに首を傾げると、クラスメイトの一部が苛々しながら声を上げる。眠すぎるせいで心に余裕がないのだろう。

 常闇はその横で太陽を睨みつけ、憎々しげに言葉を吐き捨てた。背後に隠れるダークシャドウは涙目で、少なくとも新鮮な朝日を浴びてダメージを受けているようだった。

 

「おはよう諸君」

「おはよう!相澤先生!」

 

 現在の時刻は午前(・・)五時半。

 朝早くから叩き起こされた生徒たちは眠く重たい体を引きずりながら体操着に袖を通し、宿泊施設の入り口へ集まっていた。

 そしてそこにはいつも通りの相澤が待ち構えていて、一部覚醒しきっていない生徒たちを見渡しては静かに口を開く。

 

「本日から本格的に強化合宿を始める。今合宿の目的は全員の強化及びそれによる"仮免"の取得。具体的になりつつある敵意に立ち向かうための準備だ。心して臨むように」

 

 それだけ言うと相澤は爆豪に向かってボールを投げた。それは入学初日に行った個性把握テストで使用したボールで、この数ヶ月でどれだけ個性が伸びたのか爆豪に試せと言うのだ。

 ボールを受け取った爆豪は軽く肩を回してから、体を捻り勢いをつけてボールを投げる。しかし結果は──709.6メートル。

 数字だけみると"凄い"記録なのだが、個性把握テスト時の爆豪の記録を考えると「思った以上に伸びていない」のだ。この結果には爆豪だけでなく周りで見ていたクラスメイトたちも驚き、当惑していた。──大変だったこの数ヶ月は一体なんだったのだろう、と。

 相澤はそれを知るや知らずや、入学してから行い、そして出くわした様々な出来事を思い返していく。

 

「約三ヶ月間様々な経験を経て、確かに君らは成長している。だがそれはあくまでも精神面や技術面、あとは多少の体力的な成長がメインで"個性"そのものは今見た通りでそこまで成長していない」

 

 ここ数ヶ月で戦闘メインの授業を受け、個性をどのように使うのか学び、実際に闘い、それぞれが新たな発見を得た。

 操は「赤刃(せきじん)・千本桜」や「赫血の恩恵(カーマイン ギフト)」など新技を開発したが、確かに今まで使用してきた赫血(せっけつ)飛動(ひどう)赤弾(せきだん)などは昔と変わらず"同じまま"であった。

 それを考えると個性の使い方は学んでいても、"個性"そのものは成長していないのだろう。

 生徒たちがその事に気付いた時、担任教員である相澤は珍しく口元に笑みを乗せた。それは穏やかで優しいものではなく、思わず一歩後退りをしてしまいそうになるニヒルな笑顔であった。

 

「今日から君らの"個性"を伸ばす。死ぬほどキツイが、くれぐれも死なないように」

 

 ──これは死んだな。

 生徒の何人かはそう思い天を仰いだ。操のイカれたカリキュラムと同じ領域に自分たちも足を踏み入れてしまったのだと、未来の己にエールを送っているところだった。

 しかしそんな中、真面目な飯田が空高く手を挙げて「質問よろしいでしょうか!」と声を上げる。彼はB組を含めたら四十人いる生徒たちを、たった六人の教員でどう対応するのか気になったようだ。

 

だから(・・・)彼女らだ」

「え……?」

「そうなの!あちきら四位一体!」

 

 相澤の言葉を待っていたのかたまたまタイミングが良かったのか、疑問符を浮かべる生徒たちの前に彼女ら──"ワイルド・ワイルド・プッシーキャッツ"の四人が颯爽と現れる。

 早朝だというのにいつものコスチュームに袖を通し、寝癖はなく瞼もパッチリ開いている。そしていつものように、"親しみを込めた"挨拶を!

 

「煌めく(まなこ)でロックオン!」

「猫の手手助けやって来る!」

「どこからともなくやって来る……」

「キュートにキャットにスティンガー!」

 

 ──ワイルド・ワイルド・プッシーキャッツ!

 最後にヒーロー名を告げながら元気よくポーズを決めた四人に、生徒たちは目を瞬かせている。彼らは早朝からこのテンションについていけないようだったが、操は違った。

 拳を握りしめ腕を上下にブンブンと振りながら、ワクワク、ウキウキといった雰囲気を醸し出しワイプシとクラスメイトたちを交互に眺めている。その頬は珍しい事に少しだけ紅潮しており、瞳はキラリと煌めいていた。

 

「お前たちよく聞け!ラグドールの個性"サーチ"は100人までの弱点や居場所を丸裸にし、それぞれの個性に合わせた訓練を提案してくれる!ピクシーボブの個性"土流"でそれぞれの鍛錬に見合う場所を形成できるし、マンダレイの個性"テレパス"は一度に複数の人間へアドバイスが可能なんだ!虎はとりあえず殴る蹴るが凄く強い!こんな凄い四人だから私たちが一人だろうが二人だろうが、四十人だろうが然程変わらない!心配せずとも気絶した方が楽なくらい徹底的に管理されるぞ!やったな!!」

「操ちゃんがデクくんみたいになっとる……!」

「赤黒がワイプシのファンってことはよくわかったよ!」

 

 

 こうして合宿二日目、個性伸ばし訓練は本格的に始まった。

 辺りを見渡せば麗日はひたすら斜面を転がり、轟は自身で沸かした熱湯風呂に入りながら炎と氷の調節をバランスよく行っている。尾白は尾で切島を殴り続け、切島は誰に攻撃されても硬化し続ける。峰田は血が流れていてももぎもぎをひたすらもぎもぎし続け、瀬呂はひたすらセロテープを伸ばし続けている。

 まさに阿鼻叫喚の地獄絵面だったが、みんな未来のために必死で自分の限界を超え続けていた。簡潔に言うとみんなプルスウルトラ教に片足を突っ込み始めていた。

 そして操の訓練はというと──。

 

「お前はこれだ」

「……輸血パック?こんな大量に?」

「これは赤黒の血液じゃない。A組B組全員分の予め採血しておいたものだ」

 

 相澤が操の前にドンッと置いたのはクーラーボックスで、その中には大量の輸血パックが所狭しと詰め込まれている。よく見ると確かにそれぞれの名前が記載されたシールが貼ってあった。

 さらによく見ると一人二つずつあるようで、その理由を尋ねると一つは「万が一大怪我をした時のため」にとっておくらしい。そしてもう一つは──。

 

「お前が飲むためのものだ」

「えっ」

 

 操の個性伸ばし訓練その一。

 複数人の体内に流れる血液を同時に、正確に操ること。

 操はラグドールを筆頭に教員達が"限界"だと感じた生徒の元に駆けつけ、彼らの血液を飲んでから体力を回復させる。そうすることで操は多種多様な肉体を持つ生徒たちの血液を操作することが出来るし、生徒たちは再び訓練に励むことが出来る、まさに一石二鳥の訓練だ。

 そのためにまずは全員分の血液を少しだけ口に含み、腐敗しないよう凝固して鉄に変えろというのだ。

 期末試験で砂藤の血液を同じように凝固し、錠剤ほどの大きさにすることで毎回怪我をさせることなく血液を摂取したが、今後も操作する機会は増えるだろうから今ここで全員の血液を凝固しておくのだという。

 

「吸血鬼になった気分だ……」

 

 操は一人一人の血液を口に含んでそれを凝固させていく。そして名前が記載された瓶に錠剤ほどの大きさにして詰め替えると、それは一見ドラッグストアで売られているサプリメントのようだった。

 瓶は相澤によって回収され、今後は使用するときのみ教員から渡されるらしい。つまりそれを渡されない限り、操が他者の血液を操作するのは"禁止"ということだろう。

 こうして全員の血液を摂取し凝固した操は、本格的な個性伸ばし訓練を行うことになったのだが──。

 

《845+796は?》

「……1641」

《正解。じゃあ原子核を構成する二つの物質のうち、電荷をもたないものは?》

「……中性子!」

《はい正解。次は……アメリカ合衆国で最初のヒーローになった人物の名前とその──》

 

 操の個性伸ばし訓練その二。

 複雑な操作を同時に行い、処理能力を上げること。

 操はワイプシとお揃いのヘッドホン型猫耳無線機──ヒーロー六人と通信可能──を装着し、施設を中心にして円を描くように森の中を駆け回る。

 処理能力や身体能力を底上げする赫血(せっけつ)飛動(ひどう)を使用し、行手を塞ぐ魔獣を破壊しつつマンダレイから出される問題を三秒以内に答えなくてはならない。それにプラスして血液で蜂や蝶といった生物を十匹ほど作り、自身の周りに漂わせている。

 ピクシーボブによって足場は幾度となく変えられ木や岩が飛び出してくるので、操はそれを破壊するか避ける必要がある。そして問題を三秒以内に答えられなかったり、蜂や蝶を破壊された場合はキツいお仕置きが待っているらしく、操は血液や思考回路を必死に回していた。

 操の訓練はそれだけではない。

 問題を答えながら魔獣を破壊しつつ森の中を駆け回っていると、B組の小森や骨抜が訓練をしている場所に差し掛かることがある。その場合彼らと戦闘をし、先に進まなくてはならないのだ。

 先手を打つためには目が合う前から勝負を仕掛けなければならないので、ポケモントレーナーもびっくりだろう。

 

「来たなーっ!今度こそキノコまみれにしちゃうノコ!」

「ハ、やれるものならやってみろ!」

 

 操はあたりに漂わせていた蝶や蜂をその形のまま赤刃(せきじん)に変えていく。息を止め血中の酸素を増やし"胞子"を吸わないようキノコだらけの大地を駆け、邪魔なものは瞬時に切り裂いていく。

 範囲攻撃持ちの二人と戦うのは厳しいが、"疲労回復"という大きなアドバンテージが操の道を切り開く。しかし休みなく迫る攻撃と脳に直接届く問題の猛追に加え、体内と体外の血中操作を同時に行なっているので脳が悲鳴を上げつつあった。

 

《赤黒、砂藤と八百万の所へ来い》

「りょう、かい!」

 

 そして生徒が疲弊するとその場に呼び出されるので、操は魔獣を蹴り飛ばしながら血で出来た昆虫を引き連れ二人の元へ駆けていく。

 施設前で訓練をしている生徒たちを横切って砂藤と八百万の元へ足を進めると、二人は個性を使いながら菓子やケーキをひたすら食べていた。それだけ聞くと一見楽な訓練に見えるだろうが、彼らは悲痛な面持ちであり、目をぐるぐると回している。これも個性の訓練だというのだから、"個性"というのは奥が深い。

 操は相澤に瓶を渡されるとその場で二人の血液を飲み、肩に触れて疲労を打ち消し体力を回復させていく。

 

 ──こうして"診る"と砂藤は血液中の糖質が、八百万は血中脂質が異様に少ないことがわかる。身体に触れると血液が何処を流れ、どんな"形"をしているのか操には手にとるようにわかるのだ。勿論サラサラかドロドロかの判別だって付く。

 例えば芦戸は"酸"という個性故、血管が自身の個性で溶けないよう他人とは違う作りをしている。操が治療する際は本人の体力を回復させて再生力を促すので問題はないが、"医者"としてはそれを理解しているのとしていないのでは大きな差が生まれるだろう。

 血液を飲み身体に触れるだけで大まかな構造や性質を理解出来るので、この行為は今後のために有意義な訓練であった。

 

「操さん、助かりましたわ……」

「助かったと言うべきか、もう終わらせてくれと言うべきか……」

「体力を回復させても喜ばれないことってあるんだな……」

《ほらそこ!サボってないで訓練続ける!》

 

 操による体力のコンテニュー、「もう一回遊べるドン!」状態となった二人は口角を上げていたものの、目は全く笑っていなかったので操の表情は思わず引き攣ってしまった。しかし目敏いマンダレイに叱責され、三人は口を噤む。

 そして一度目を見合わせると頷き合った。言葉はいらない、視線で語れ──プルスウルトラと。

 操は二人が眉間に皺を寄せながら菓子に手を伸ばすのを横目で見届けてから、再び魔獣の森へ足を踏み入れたのだった。

 

 

 

「しんどすぎる……!」

 

 時刻は午前七時半を迎えた。

 早朝から訓練に明け暮れていたものの、昨日の夜から食事をしていない生徒たちの身体は悲鳴をあげるばかり。しかしワイプシの四人は優しく朝食を振る舞うことはなく「昨日言ったね!"世話を焼くのは今日だけ"って!」「己で食う飯くらい己で作れ!」と言って疲れた身体にさらに鞭を打ってきた。

 四人のあまりのスパルタぶりに生徒たちは肩を落としたが、操は懐かしくなって思わず笑ってしまう。そんな操を見て「なんか笑ってるにゃん……」とラグドールと生徒たちは困惑していた。

 

「さあご飯を作ろうか!」

「笑顔眩しすぎない……?」

「赤黒めちゃくちゃ元気そうじゃん……」

「疲労ゼロが羨ましすぎる……!」

 

 操は地面に座り込み寝転ぶクラスメイトの横でテキパキと動き回っていた。休みたい気持ちは勿論あるが、朝食の時間は有限なので急いで作らないと食いっぱぐれてしまうのである。

 鬼キャットたちは時間厳守。そういう所も容赦はしないので、自分のためにも今動いた方がいい。

 操は鉄製のフライパンや飯盒を慣れた手つきで準備し、サニーレタスや卵などの食材を抱えて調理台に向かっていく。一日目から過激な運動を行い心身共に疲れ切っているクラスメイトたちのために、ここは疲労が蓄積していない操が一肌脱いでやろうと思ったのだ。

 

「朝食はサラダとスープと……あと目玉焼きとかでいいか?」

「肉……肉をくれ……」

「ソーセージとベーコンどっちがいい?」

「カリカリのベーコン……」

「じゃあベーコンを分厚めに切ってやろう」

 

 操は飯盒に生米と水を入れて置いておき、サニーレタスやきゅうりを洗って切っていく。形や厚さは不揃いだが食べられれば別に問題はないだろう。スピード重視で作られたサラダは乱雑にボウルに盛られ、ヘタをとって洗ったプチトマトも適当に放り込まれて彩られていく。

 続いてブロックベーコンを取り出した操はそれを分厚めにひたすら切っていく。朝食とはいえクラスメイトたちは運動後且つ食べ盛りであるため、一人数枚あってもいいかもしれない。

 そんな風に黙々と料理を始める操に、ぐったりとしたクラスメイトたちは感嘆の声を漏らす。

 

「赤黒料理できたんか……」

「出来ないイメージあったけど……」

「もう赤黒に任せてオイラ達は休もうぜ……」

「目玉焼きは弱火で3分、か……なら強火で1分でいいだろう。焦凍、疲れているとこ悪いがこっちきて火を出してくれ。最大火力でよろしく頼む」

「──お前ら気合いで立て!!」

「──朝食死守するぞ!!」

「なんか急に元気になったな……?」

「赤黒のおかげだよチクショウ!」

 

 ウオオオと勢いよく立ち上がったクラスメイトたちに卵とフライパンを奪われ、手持ち無沙汰となった操はとりあえずまな板と包丁を洗った。そして食器を準備し、料理が出来るまで待機する。

 数人かがりで作られた目玉焼きは形や黄身の硬さが違っていて面白かった。他にも油が足りずフライパンに張り付いて黄身が破けてしまったり、ベーコンが黒く焦げていたり、米が物凄く柔らかかったりエトセトラ。

 とにかく昨日の晩御飯に比べたらお粗末な朝食だったけれど、全員で作った食事はお腹が空いていたからなのか、とても美味しく感じたのだった。

 

 

 

 朝食を終えた生徒たちは再び訓練に励んだが、同じように昼食も自分たちで作らなければならない。

 朝食時から疲労困憊が続く生徒たちはその場に座り込んだりお腹を抑えていたりと、とにかくフラフラしながら食材に手を伸ばしていく。そんな彼らを見ても教員やプロヒーローは一切手伝おうとしなかった。鬼キャットプラスアルファめ……!

 

「もう何作ればいいのかわからないよー……!」

「暑いし疲れたからとにかくきゅうり齧ってもいい……?」

「透の昼食がそのきゅうり一本でいいならいいぞ」

「やだ〜!」

「葉隠さん、もう少し頑張りましょう!みなさんと作ればきっと美味しい食事になりますわ」

 

 昼食休みの直前に操が砂藤と八百万の体力を回復したからか、二人は比較的元気だった。それゆえ食材を用意し、話し合いながら献立を決め調理器具を準備している。

 料理を作り慣れている砂藤が「暑いから冷汁、でも肉も食いてぇだろうから唐揚げも作ろう」とレシピを決め、クラスメイトの疲労具合を見て八百万がテキパキと班を振り分けていく。

 それを見た委員長である飯田が「俺が不甲斐ないばっかりに……!」と膝をついていたが、まあそれは置いておいて。

 火を使わない冷汁は兎も角、飯盒での炊飯と鶏肉を揚げるポジションは暑いからか不人気であり、八百万の決定に不満の声を漏らす者も多かった。真上から照りつける太陽と熱の篭った身体では仕方のないことだが、疲労のせいか些かチームワークが乱れてきている。

 しかし操がここぞとばかりに手を上げ立候補すれば、クラスメイトたちの物珍しそうな視線が降り注いだ。操はそれを真っ直ぐ受け止め、ドヤ顔で胸を張る。

 

「私が唐揚げを作ろう!」

「え、マジ?いいの……?」

「こんなあっついのに……?」

「米よりしっかり見てなきゃいけないのに……?」

「ああ。揚げたてを味見できるのは作った人の特権だからな!」

「──お前らァ、唐揚げを守れ!」

「──赤黒を唐揚げから遠ざけるんだ!味見と称して全部食われるぞ!!」

「なんか急に必死になったな……?」

「赤黒のおかげだよこの野郎!」

「操さんは炊飯係でお願いしますわ!」

「唐揚げ……」

「オメェは米見てろ!」

 

 ウキウキしながら鶏肉を抱えて歩く操の首根っこを砂藤が掴んで、飯盒がある方へポイっと投げた。その隙にクラスメイトの何人かが鶏肉を持って走り、唐揚げ作りに取り掛かっていく。

 投げられた操は炊飯係に指名されたため大人しく米を洗って火の管理をした。真上から降り注ぐ太陽と炎の熱気に、拭っても拭っても汗が滴り落ちてくる。

 しかし炊飯係と唐揚げ係はみな同じような状況で、タオルやシャツで汗を拭いつつ火の番を交代しながら、みんなで声をかけ合って水分補給をしっかりとったのだった。

 

 こうしてみんなで力を合わせて作り上げた昼食は何杯でもかき込める冷汁と、熱々の唐揚げだった。

 きゅうりとミョウガ、豆腐にツナが入った冷汁は身体の奥に溜まった熱を冷やしてくれるような気がした。ずっと気分の悪かった麗日や腹痛が酷い青山も、これなら食べやすいようで黙々と口に運んでいる。

 熱々の唐揚げはニンニクと生姜がきいていて、噛めば噛むたび肉汁が溢れてくる。生徒たちは「はふはふ」と口の中で冷ましながらも次々と唐揚げを口に運び、さらさらと冷汁をかき込んでいく。──要するに朝食に引き続き、昼食もものすごく美味しかった。

 

「はぁ〜〜生き返るねぇ〜〜!」

「冷汁も唐揚げも最高に美味いな。お前たち、褒めてやろう」

「偉そうなのは相変わらずだな……」

「この後もう一回訓練が続くのかぁ……」

「それを言うならあと数日続くんだよ……」

「おいやめろ!せっかく天国にいるのに地獄に叩き落とすようなこと言うなよ!!」

「そうだよー!せっかく忘れてたのにー!」

「しかしこの困難を乗り越えてこそヒーローへの道が開けるのだろう!ならば俺たちは全力でやるしかない!今こそ校訓を思い出そう、プルスウルトラだみんな!」

「飯田くんもついにプルスウルトラ教に……!?」

「フフ、ようこそ。歓迎しよう」

 

 ワイプシの四人は、クラスメイトと昼食を囲み楽しく笑う操を優しく見守っていた。

 二年半前、初めて出会ったときはこんな未来になるなんて想像すらしていなかった。操は自分たちのもとで学校へ通い、ステインの妹とバレることなく守られて生きていくのだとばかり思っていた。

 ──子どもってあっという間に遠くまで走って行っちゃうんだから。

 これは以前ピクシーボブが言っていた言葉だが、本当にその通りだと思った。

 数ヶ月前には自殺未遂に追い込まれるほど叩かれ、傷付き、兄との過去を清算したばかりだというのに。あの時、無理矢理にでも連れ戻さなくてよかった。操が前を向いて歩くことを、信じてよかった。

 まさか合宿先が自分たちの所になるとは思わなかったが、学校での操の様子を直接見ることが出来たのは本当に良かったと思う。体育祭前に一度帰ってきた時学校の話を聞きはしたが、話を聞くより直接見た方が安心できるに決まっている。

 

「まだ操に批判は付いて回るだろうけど……」

A組(あそこ)なら大丈夫だろう」

「あちき達も一安心!」

「そうね、あとは──……」

 

 四人の視線は少し離れた木の影に向く。

 そこにはヒーロー科の生徒たちを睨みつける、出水洸汰の姿があった。

 

「……あっちの子どもも、なんとか前を向けると良いんだけどね」

 

 操と同じように、ワイプシに保護された子ども。

 彼は操よりうんと小さいけれど、操との出会いが、そしてこの合宿が彼にとって良いきっかけになればいいと、四人は願う事しか出来なかった。

 

 

 

 昼食を済ませた後はみんなで片付けをし、本日最後の訓練が幕を開けた。

 午後の訓練は四時までなので「あと三時間やれば終わる!」とやる気を出す者もいれば「まだ三時間もある……」と肩を落とす者もいた。しかしみな周りの生徒たちに触発され無我夢中で個性を使い、昨日の己はとうに超え、今の己も超えていく。

 操は午前に引き続き森の中を駆けていたが、"まだ余裕がある"と見做され午後は生徒たちの体力を回復させた後"追加訓練"と称し立ち寄る場所が増えてしまった。そして今、砂藤と八百万と別れその場所に向かっている。

 そう、訓練をする生徒たちの中で最も異質な空気を放つ場所に──。

 

「さァ獲物が来たぞ。我ーズブートキャンプの成果を見せてみな!」

「「「イエッサァ!!」」」

 

 そこにいたプロヒーローはワイプシの虎で、周りには増強系や戦闘特化の個性を持った生徒たちがいる。彼らはたった半日の訓練で我ーズブートキャンプに染まってしまった生徒たちだ、面構えが違う。

 追加訓練の内容はこうだ。操は彼らを振り切って逃げる事、そして彼らは操を捕まえる事。実にシンプルでわかりやすい訓練だった。

 虎の掛け声により一斉に群がった生徒たち──緑谷、尾白、切島、回原、宍田、拳藤──の攻撃を操は躱し、往なし、受け止めながらも森の中へ向かわなければならない。

 

 個性"獣化(ビースト)"により人間の身体能力を遥かに超えた宍田の攻撃を受け流すと、片足を軸に彼の力を利用して背後から迫ってきた回原に向かって放り投げる。

 死角から迫ってきた緑谷には裏拳で顔面を狙い怯ませ、硬化したまま突っ込んできた切島にはタックルをし腰を掴んで持ち上げ、上から攻撃しようと飛び上がった尾白に向かって勢いよく投げた。

 切島は拳藤の個性"大拳"により防がれ尾白に当たることはなかったが、彼ら三人の動きを止めることは出来たので操はその隙をついて森に向かって走り出す。

 しかし操より素早い緑谷と宍田が行手を塞ぐため、もう少し戦わなければならなかった。

 

「一人一人攻撃してたんじゃ対応される!」

「全員で一気に攻めますぞ!」

「うん!連携を意識し──」

「3,776メートル!」

「何が!?」

「気にするな、戦いに集中し──シアン化カリウム!」

「だから何!?」

「動揺を誘っているのか!?やるな赤黒(A組)!」

 

 操は赤甲(せっこう)──身体に纏った血液を鉄に変化させる技──を拳に纏い回原の個性"旋回"を受けとめるが、鼓膜を襲う金属的な音と共に衝撃に弾かれたたらを踏む。

 操は彼らと戦闘をしつつもマンダレイから様々な問題が出されているため答えながら戦わなければならないのだが、それを知らない生徒たちには動揺を誘っていると思われたらしい。

 こんな意味のわからない動揺を誘うわけがないのに、みんな疲れが溜まって正常な判断が出来ていないようだ。(ちなみに出された問題は「富士山の標高は?」と「青酸カリの正式名称は?」であった。)

 

 さらに追撃しようとする回原に対し操は一気に間合いを詰め懐に入り、下から思い切り顎を打った。その後即座に掴みかかって大内刈りを決め地面に叩きつける。

 回原の個性は近接戦闘をする上で厄介なので早急に潰したいところだが、緑谷、尾白、切島、宍田が四方向から迫ってくるためこれ以上の追撃は不可能であった。

 ──飛んで避けたら一佳の"大拳"に捕まるな。

 そう判断した操は緑谷と切島の攻撃を最小限の動きで避けつつ顔を目掛けて血液を浴びせ、尾白の尾と上段回し蹴りは身を低くする事で避けてから軸足に蹴りを入れる。

 尾により直ぐ体勢を持ち直した尾白だが、操はその場をすぐに離れる事で彼と後方から迫っていた宍田をお見合い状態にする。

 ──操の血液(臭い)がついた緑谷と切島がいるため、宍田の動きは多少慎重になるだろう。連携に慣れていないうちにさっさと一人か二人潰してしまおうか。

 そう思ったのも束の間、緑谷の素早さで一気に間合いを詰められた操は強かに身体を打たれ後方に吹き飛んだ。体重の軽い操は吹き飛びやすいのだが、後方にいるのが拳藤でなければ対処が可能だ。しかしそう上手くいくはずもなく──。

 

「捕まえた!」

「しまっ──ヒマラヤ山脈!」

「まだなんか言ってる!?」

 

 操は空中で拳藤の"大拳"に捕まり、そのまま地面に抑え込まれてしまった。

 操は問題に答えながらも暴れるが、纏っていた血液ごと抑え込まれたので脱出するには彼女の手のひらを深く傷付けるしか方法はない。

 ──訓練だろうが容赦なく、やる時は全力で。

 そう思い操は血液を赤刃(せきじん)に変化させようとしたのだが、ずっと見物していた虎から「そこまで」と声がかかった為、抵抗をやめ顔を上げた。

 

「虎、私はまだやれるぞ?ここから全員叩き潰せばいいのだからな」

「物騒だな!?」

「逃げることから倒すことに目的が変わってますぞ!」

「威勢がいいのは良い事だが……今日はここまでだ」

「?」

「もう四時だからな、訓練は終いだ」

 

 その言葉を受け、その場にいた者たちは瞳を輝かせてA組B組関係なく手を取り合って声を上げた。

 全員汗や泥まみれだったが、長く辛い訓練を共に乗り越えた仲間だ。今は同じ苦しみを分かち合い、今日という壁を乗り越えたことをただ喜びたかった。

 

《──訓練はそこまで!みんな、お疲れ様。施設に戻って着替えたら、夕食作りに取り掛かりなさい!》

 

 

 合宿二日目、午後四時。

 生徒たちは宿泊施設に戻ると汗を拭き、清潔な服に着替え再び外へ戻って来た。

 一日中使い続けた筋肉は悲鳴をあげ、身体は錘が付いているかのように重たい。しかし今日はもう訓練がないと思えば自然と足取りは軽くなり、みな心穏やかに夕食作りに取り掛かった。

 

「でもなんで一切手伝ってくれないんだろうね〜……」

「成程わかったぞ……!災害時など避難先で消耗した人々の腹と心を満たすのも救助の一環!さすが雄英無駄がない!世界一旨いカレーを作ろう!みんな!」

「そうだと思えば頑張れる〜……!」

「そうだな、これも未来のためだ……!」

 

 盛大な勘違いをしながらウオオオと手を上げカレー作りに取り掛かるA組を見て、担当教員である相澤は「飯田便利だな」と思っていた。しかし生徒たちには知らぬ事である。

 操は「野菜を切ってろ!」と言われたため大人しくじゃがいもににんじん、玉ねぎを黙々と切っていく。

 大きな寸胴で肉と野菜を炒め、水を入れて煮込んだカレーは少し水っぽく、具材が溶けずにごろごろと転がっていた。しかしスパイシーな匂いは食欲をそそり、疲れた身体に染み渡っていく。

 要するに、朝と昼に引き続き晩御飯もとても美味しかった。

 

「店とかで出たら微妙かもしれねーけどこの状況も相まってうめー!」

「言うな言うな!ヤボだな!」

「ヤオモモがっつくねー!」

「ええ。私の個性は脂質を様々な原子に変換して創造するので、たくさん蓄えるほどたくさん出せるのです」

「ウンコみてぇ」

 

 八百万の説明に操は「だから訓練中にクッキーを食べていたんだな」と思ったのだが、デリカシーのない瀬呂が爆弾を投下したためこの場の空気は一気に微妙なものとなった。

 八百万が本気で落ち込んでいるからこそ、みな笑い飛ばせない空気になっている。

 ──だってあの八百万だ。言い方は悪いが適当に話を流せる操や芦戸とは扱いが違ってくる。別にこれはウンコと流すをかけたわけではない。

 爆弾を投下した瀬呂のことは耳郎が責任を持ってぶん殴っていたが、それでも八百万のダメージは計り知れず、傷が癒えるまでは戻って来なそうだった。そんなクラスメイトとカレーを交互に眺め、操は口を開いた。

 

「カレー食べてる時にウンコと言うのはどうなんだ?」

「やめろ!その話題引っ張るな赤黒!」

 

 ──そんな感じで、比較的賑やかに夕食の時間を終えた生徒たちは食器や調理器具を片付け、晴れて自由時間となった。それぞれ思い思いの時間を過ごし、心身共に疲れた身体を休めていく。

 露天風呂で身体を癒し気持ちをリフレッシュさせた後、A組とB組の女子は同じ部屋に集まって恋バナをしていた。

 操は勉強をしていて特に口出ししなかったが、「赤黒操だ、気軽に操ちゃんと呼べ」とB組女子に自己紹介をすれば「キャラが濃い」と言われたのだが──"目立っている"と褒められたのだな、とそうポジティブに受け取った。

 そしてそんな穏やかな時間は終わりを告げ、操と芦戸は彼女たちを残して部屋を出る。

 

「うう……やだよぉ……二時まで勉強とか無理だよ……」

「昼間の訓練を乗り越えたんだ、これも乗り越えられるだろう」

「……むしろ操ちゃんはさぁ、こんな時まで勉強するの?」

「やらないと間に合わないからな。けどやれば間に合う、プルスウルトラだ」

「ダメだ、もう手遅れだ……!」

 

 補習組である芦戸と単に勉強時間が足りない操は午前二時まで勉強するため、特別室へと向かっていた。

 心なしか芦戸の触覚が下を向いているが、操は彼女の頭部に手を伸ばしてそれを上に押し上げた。プルスウルトラ!

 途中の廊下で顔を引き攣らせた上鳴と切島、そして瀬呂と合流し、操たち五人は比較的重い空気の中廊下を突き進んでいくが──。

 

「あ、洸汰」

 

 そこで暫く顔を見なかった洸汰を見つけ、操は彼に駆け寄った。洸汰は目を三角に吊り上げ、操を睨みつけている。

 その表情は昨日の夜と違って鋭く、近寄り難い雰囲気を醸し出していた。今日一日個性の訓練をしていたので、洸汰のヒーロー嫌いを逆撫でてしまったのかもしれない。

 

「話しかけんなよ気持ち悪いな」

「だからさ、悪口言うなよ」

「うるせェ、だったらあっち行けよ!」

「まあまあ落ち着けって……!」

 

 上鳴や切島が近付いて洸汰を宥めようとしたがそれは逆効果で、彼はギンッと二人を睨みつけると身を翻して元来た道を去っていく。

 困ったように頭を掻いている二人を尻目に、操は小さくなっていく背中に声をかけた。

 

「あ、そうだ洸太。明日の朝四時半に施設前集合な」

「……は?なんで」

「カブトムシ取りに行くぞ!」

「行かねーよ!ガキじゃねえんだし!!」

 

 捲し立てるように言葉を吐き捨てた洸汰は、大きな足音を立ててその場から走り去っていく。言動からして"怒っています"という雰囲気がありありと伝わってきたが、小さな子ども故あまり怖さは感じなかった。

 そんな洸汰の後ろ姿を眺めていた操は「ガキにガキと言われてしまったな」とクラスメイトたちを見上げて笑った。二人の様子に、彼らはため息を吐きながら再び足を動かす。

 

「四時半って……元気かオメーは」

「俺も補習なかったら行くのによぉ……」

「でもあの様子じゃ来なそうじゃない?」

「いや、洸汰は来るよ」

「どっからその自信が……」

 

 操は彼らにニッと笑うと、問いかけには答えず補習が行われる部屋の扉を開けた。

 中には相澤とブラドキングの姿があり、机上には山のような課題が積まれている。それを見た操以外の全員の顔がスッと死んでいく。

 こうして二日目の夜は、ゆっくりと終わりを告げるのであった。

 

 

 

 

 合宿三日目、午前四時半。

 顔を出した朝の日差しが闇を溶かし始め、潮のように夜を追い出していく。朝露に濡れた葉が陽の光に照らされて、つやつやと輝いている。

 操は一人、降り注ぐ朝日と鮮やかに色付き始める景色を眺めていた。すると宿泊施設の扉がゆっくりと開き、そこには目を吊り上げ口をへの字に曲げた洸汰が立っている。操は思わず口元に笑みを乗せた。

 

「おはよう洸汰、来てくれたんだな」

「行かねえとうるせえから来てやったんだよ。仕方なくだ、仕方なく!」

「フフ、今まで騒いだ甲斐があったな。さあ森へ向かおうか、コーカサスオオカブトが待っている!」

 

 操は洸汰に虫取り網を渡し、緑色をしたプラスチックの虫籠を首から下げた。

 ここ数日で慣れ親しんだ森の中に足を踏み入れると、生い茂る葉のせいか朝日が届かず森の中はまだ薄暗い。それでも落ち葉を踏みながら進んでいくと、それはくしゃりと音を立て葉は細かくなっていく。その度に湿った落ち葉の匂いがむわっと漂った。

 

 カブトムシやクワガタが好むのはクヌギやコナラの木だ。それらは湾曲に生える特性があるため、操たちはそれを目安に森の中を進んでいく。

 それ以外に二つの木を見分けるには、樹皮や葉を見る必要がある。クヌギの木は樹皮がゴツゴツとしていて、葉は細長く棘のようなものが生えている。コナラは樹皮全体に縦線が入り、葉は楕円形でギザギザしているのが特徴的だ。

 

「いいか、匂いに注目しろ。甘酸っぱい匂いがしたら樹液が出ている証拠だから、そこにカブトムシがいるぞ」

「何でそんなこと知ってんだよ」

「フ、操ちゃんは優秀なんだ。これくらいは知っていて当然のこと」

 

 実は一日目の夜から慣れないスマホを使って調べ、頭に叩き込んだのだが……格好付けたいのでそれは伝えなくて良いだろう。

 操は「フフン」とドヤ顔で胸を張るが、洸汰はそんな操に視線を向けることはなく木を見上げてカブトムシを必死に探している。少しくらいこちらを見て欲しかったが、操も負けじとカブトムシを探すため顔を上げた。

 

 しかし数時間たってもカブトムシを見つけることは叶わず、操は肩を落としながら洸汰を連れて宿泊施設へ戻ることにした。

 心なしか洸汰も残念そうで、「ここで諦めてはいけません……」とプルスウルトラ神が操の中で告げている。だから操は顔を上げ、ぐっと拳を握りしめた。

 ──そうだ、合宿はまだ終わりじゃない。ならば明日も明後日も、捕まえられるまで何度だって挑戦すればいい。

 そう決意した操はしゃがみ込むと洸汰に視線を合わせ、夏の日差しのようにニッと笑った。

 

「今日は残念だったが、夜に餌を仕掛けてまた明日挑戦しよう!」

「……」

「操ちゃんは餌の作り方も知っているぞ?バナナと砂糖、あと焼酎(お酒)があれば作れるからな。シノさんたちとあとで一緒に作ろうな」

「……ふん。どうせ付き合わないと騒ぐんだろ。仕方ないから明日も付き合ってやる」

 

 洸汰は帽子を深く被り直すと、操から視線を逸らした。

 操の行動は無理強いかもしれない。それでもこの子どもが「嫌だ」と思う時は絶対に着いてこないと知っているから、少しでも楽しんでくれていると解釈して何度だって誘うのだ。

 ──"キミは一人じゃない"って、知っていてほしいから。

 

「約束だぞ、とりあえず今夜餌を作るからな!」

「……ケッ」

「好きだなそれ、ニワトリの真似か?」

 

 ギンッと鋭い視線で操を睨みつける洸汰に笑いかけ、操は彼の小さな手を引いて施設の壁際に置かれたベンチに腰掛けた。繋いだ手を握り返されることはなかった、けれど振り払われることもなかった。

 ポケットからスマホを取り出して時間を確認すると、現在の時刻は午前六時だった。みんなが起きるのは午前七時の予定だから、一時間ほど余裕が出来てしまった。

 操は持ってきた水筒のコップに麦茶を注ぐとそれを洸汰に手渡した。大人しくそれを飲み干す彼に倣い、操も麦茶を注いでコップを空にする。

 

 暫く二人の間に会話はなかった。ただそれは気まずさを感じさせるものではなく、沈黙を苦に感じていないものだった。

 操はぼんやりと空に浮かぶ雲を眺め、久しぶりに長閑な時間を楽しんでいる。そして──あの雲の中にラピュタがありそうじゃないか?そう声をかけようとした時だった。

 気がつくと洸汰は操に体重を預け、静かに眠っていたのだ。

 触れた身体から分け与えられた体温は温かく、普段は鋭い眼光が今は穏やかに閉じられている。操は少しの間目を瞬かせて彼をじっと眺めていたが、そのうち前を向いて同じように瞼をおろした。

 

「……ふふ、朝早かったもんな」

 

 洸汰の部屋に置かれた、昆虫図鑑。

 開かれたままのページには艶々と輝くカブトムシやクワガタが並んでいた。

 今日はそれを見つけることが出来なかった。けれどとても楽しかったから、きっと明日も朝から楽しく過ごせるのだろう。

 

『なんか姉弟みたいに見えたけどな!』

 

 ──本当の兄妹は、こんな風に穏やかに過ごすのだろうか。

 操にはわからない、そして一人っ子の洸汰にもきっとわからない。操は洸汰の"姉"になろうと思っていないし、きっと洸汰も操に"姉"を求めていない。

 操の家族は血染(ステイン)と両親だけで、洸汰の家族も亡くなったあの二人だけだ。それでも、それでも──。

 たとえそうだとしても、操は洸汰と過ごすこの時間が嫌いではなかった。

 

 

 

「──、操、起きて、操。」

「……ん、」

「あ、起きたにゃん」

「あなた何やってるのよ……」

 

 午前六時四十分。

 操は呆れ顔のマンダレイと頬を緩めたラグドールに起こされ、今まで眠っていたことを知る。

 瞼を擦りながら隣を見下ろせば、数十分前と変わらず洸汰が穏やかな寝息を立てていて、彼はまだ夢の中を彷徨っていた。それをそっと眺めてから、操は二人に視線を戻す。

 

「洸汰とカブトムシを探してたんだ。見つからなかったんだけどな」

「カブトムシって……」

 

 網と虫籠を眺め困ったように笑ったマンダレイは、優しい手つきで操の頭を撫でた。

 そして洸汰を起こさないように優しく抱き上げると、部屋に運ぶため施設の中に消えていく。操はぱちぱちと瞬きをしながらその背中が見えなくなるまでずっと眺めていた。

 その様子をニコニコと見守るラグドールに気が付き、操は立ち上がって大きく伸びをする。身体の関節が音を立て、筋肉が伸びていく感覚が絶妙に気持ち良い。

 すると正面に立っていたラグドールも操の真似をするように伸びをしたので、二人は生徒たちが来るまで鏡合わせのように身体を伸ばして遊んでいた。

 

 

 

「補習組、動き止まってるぞ」

「オッス……!」

「すいませんちょっと……眠くて……」

「昨日の補習が……」

「だから言ったろキツイって」

 

 こうして始まった三日目の訓練。

 しかし三日目であること、そして補習組は睡眠時間が短かった事から集中力が途切れ、訓練に身が入っていないように感じた。

 それに目敏く気付いた相澤が声をかけるが、彼らは謝罪をしつつも言い訳をしている。それはやる気がないというより、本当に力が入らなくて言っているようだった。

 しかしそんな中砂藤が緑谷たちブートキャンプ組と戦う操を指差し、口を開いた。

 

「赤黒も補習組と一緒に勉強してたんだろ……?なんであんな元気なんだ……?」

「あのターミネーターと一緒にすんな……」

 

 相澤は彼らの様子にため息を吐いた。

 なにもこの個性伸ばし訓練は生徒たちを虐めたくてやっているわけではない。

 ヒーローは命懸けの職業だ。それは相澤は勿論のこと、ここにいるプロヒーローたちは身をもって知っている。そして生徒たちも、USJにてそれを見て来たはずだ。

 砂藤や上鳴の個性は容量(キャパ)が直接死活に関わるため、それを増やすには反復して使い続ける必要がある。そこは勉強と同じだろう。

 瀬呂も容量(キャパ)に加えテープの強度や射出速度を上げれば他に出来ることが増えるし、芦戸は溶解液を長時間使用すると皮膚が限界を迎えてしまうため、ヴィランを前にして困らないよう今のうちに限界を超えて強くするのだ。

 操は個性が"血液"であることから出血を止められる利点はあるが、使いすぎると死に至る危険性を孕んでいる。だから思考を回し、たとえ血液(武器)が無くとも戦えるよう訓練しているのである。

 

「何をするにも原点を常に意識しとけ。向上ってのはそういうもんだ。何の為に汗かいて、何の為にこうしてグチグチ言われるか常に頭に置いておけ」

 

 操の原点は、自分の生まれた意味を兄に見出す事だった。

 ──けれど今は違う。

 操は兄が殺した人、そして不幸にした数多くの人よりさらに多く、たくさんの人を助けるヒーローになってみせる。

 操が兄の代わりに罪を償ったところで被害者や被害者家族には何の救いにもならないけれど、それでも他の誰かの救いになると信じて、今後の操の人生は全て"人を助けるため"に捧げてみせる。

 

 操は空を見上げ、額に流れる汗を拭った。

 幼い頃は特別だった空だが、今は見上げればすぐそこにある。

 けれどその当たり前は"当たり前"ではないのだと、操はそれを胸に刻み付けて決して忘れてはならない。

 友と笑って過ごせる時間はかけがえのないもので、今日という日は二度と訪れないのだと、一日一日を大切にしなくてはならない。

 

「ねこねこねこ……それよりみんな!今日の晩はねぇ……クラス対抗肝試しを決行するよ!しっかり訓練した後はしっかり楽しいことがある!ザ・飴と鞭!」

 

 相澤の言葉にそれぞれが原点を思い出して気合を引き締めていると、ピクシーボブから突然甘い飴が投げ込まれる。

 身体に食事や睡眠が必要なように、心にも休息が必要だ。これはただ休むだけでなく、心から笑って楽しむことが重要である。そのため、今回の合宿にも訓練だけでなく飴となる"イベント"が用意されているのだ。

 

「ああ……忘れてた」

「怖いのマジやだぁ……」

「闇の狂宴……」

「イベントらしい事もやってくれんだ」

「対抗ってところが気に入った……!」

「──というわけで、今は訓練に全力で励むのだぁ!!」

「「「イエッサァ!!」」」

 

 虎により教育された我ーズブートキャンプのメンバーが口を揃えて気合を入れる。

 その他生徒たちは彼らの声を聞きながら、心の炎を無理やり燃やして訓練に励むのであった。

 

 

 

 合宿三日目、午後五時。

 既に本日の訓練を終えた生徒たちは私服に着替え、晩御飯の準備を進めている所だった。

 本日の献立は肉じゃがである。B組の物間が「A組とB組!どっちが美味しい肉じゃがを作れるかな!?まあトラブルを呼び寄せるだけの君たちがB組に敵うわけ──」「ごめんな」と煽ってきたので、みんなやる気満々になっていた。

 物間以外のB組も"純粋に"やる気を出し、どちらが美味しい肉じゃがを作れるか対決をすることになったのである。

 

「どちらの肉じゃがも美味しいと感じた場合、優劣はどうやって付ければ良いんだろうな?」

「"どっちも美味ぇ"でいいんじゃねえのか」

「それじゃ勝負にならないだろう……いやでもB組の肉じゃがが美味しかった場合、不味いと嘘はつきたくないな……」

「やっぱ"どっちも美味ぇ"でいいんじゃないか?」

「そうだな、そうしよう!」

 

 操は火を起こす準備を整えるため薪を抱え、鍋を持つ轟と共に歩いていた。この時既にまだ食べていない肉じゃがの評価を決めていたのだが、ツッコミ担当が不在なため誰に何かを言われることはなかった。

 そして既に火起こしの準備を始めていた緑谷と合流し、操は彼の隣にしゃがみ込んで薪を並べていく。そんな二人の姿を轟は眺め、そして気になっていたことを聞くため口を開いた。

 

「オールマイトに何か用でもあったのか?相澤先生に聞いてたろ」

「ああ……っと、うん、洸汰くんのことで……」

「洸汰?誰だ?」

「ええ!?あの子だよ……ホラえっと……」

「勝己に似た目つきの悪い子どもだよ、黒髪の」

「ああ……あいつか……」

 

 それを聞いた緑谷は「それで伝わるんだ……」と苦笑いを浮かべたが、ふと辺りを見渡して、そしてすぐに眉を下げた。

 どうやら洸汰を探していたらしい。マンダレイから洸汰の過去を話したと聞いていたが、操の知らぬ間に何かあったのだろうか。

 

「……またいない」

「秘密基地にでも行ってるんだろう」

「赤黒さん知ってるの?」

「知ってるも何も、あそこは私が教えた場所なんだ。一人になりたい時に使えってな」

 

 洸汰は通常であれば保護者の目が届く位置にいなければならない子どもである。

 しかしラグドールの"サーチ"があるから、操は彼にあの場を教えたのだ。ラグドールには緊急時以外で他の人に教えないでほしいと声をかけている。それが良い事なのか悪い事なのか、わからないけれど。

 

「そっか……いや、その子がヒーロー……いや、個性ありきの超人社会そのものを嫌ってて。僕は何もその子の為になるような事言えなくてさ。オールマイトなら……何で返してたんだろうって思って。……轟くんならなんて言う?」

「…………場合による」

「っ……そりゃ場合によるけど……!」

「素性もわかんねぇ通りすがりに正論吐かれても煩わしいだけだろ」

 

 緑谷がかけた言葉で心が簡単に動くようなら、洸汰の"重さ"はそれだけの軽さであるということだ。そんな事より大切なのは、緑谷が何をし、何をしてきたかということ。

 痛みも重さも知らない通りすがりに何を言われても、決して心には響かない。正論を上から投げつけるだけでは、鬱陶しいだけになる。

 

「言葉には常に行動が伴う……と俺は思う」

「……そうだね、確かに。通りすがりが何言ってんだって感じだ」

 

 ──君はヒーローになれる。

 緑谷はオールマイトと初めて出会い、そしてかけられた言葉を思い出していた。

 あの言葉を通りすがりの人に言われていたら何とも思わなかっただろう。いやむしろ、無個性ゆえ劣等感に苛まれていたかもしれない。

 自身と同じく無個性で誰よりも走り続けてきたオールマイトに言われたからこそ、あの言葉は緑谷の心に"響いた"のだ。

 

「お前がそいつをどうしてぇのか知らねえけど、デリケートな話にあんまズケズケ突っ込むのもアレだぞ。お前意外とそういうの気にせずぶっ壊してくるからな」

「……なんかすいません……」

「それに聞くなら俺じゃなくて操ちゃんのがいいんじゃねぇか?」

 

 会話に入らず黙々と薪を並べていた操に、二人の視線が降り注ぐ。操は薪をじっと眺めながら二年前のことを思い出していた。

 操が初めて洸汰と出会ったのは彼がまだ三歳の頃だ。

 彼は何が起きたのか状況を理解する事が出来ず、今のように鋭い目をしていなかった。いつだって迷子のような、不安そうな目をしていた。

 

『泣かないで。貴方のご両親はとても立派だったのよ』

『立派なんかじゃない。親としては、立派なんかじゃないよ』

『──パパとママをわるく言うな!!』

 

 洸汰と同じように、まだ一人(迷子)だった操はそんな言葉を吐き出した。

 今考えると「もう少し言葉を選べ」と過去の自分をぶん殴ってやりたい所だが、依然としてその気持ちに変化はない。

 彼らの行動はヒーローとしては立派だが、子ども目線でみたら決して立派なんかじゃない。

 

「これは持論なんだけどな、心に空いてしまった穴を違うもので埋めるのは、とても大変なことなんだ」

 

 そばにいることが当たり前だったのに、その人は別れの言葉も告げずに突然いなくなる。寂しいのに、みんなその死を立派だと褒め称える。

 ──彼はどんな気持ちでその言葉を聞いていたのだろう。

 寂しい気持ちを押し殺して、必死に涙を飲み込んで。受け入れたくない大切な人の死を無理やり口に詰め込まれて、息ができなくて苦しかっただろう。

 

「悲しい時に立ち上がるのも、苦しい時に前を向くのも、とても大変なことなんだ」 

 

 きっかけなんて、人それぞれだ。

 操にとっては、兄がステインになったことが立ち上がるきっかけだった。ワイプシのみんなが支えてくれたから、ここまでずっと前を向いて走ってこれた。

 ──それでも心に空いた穴を埋めるのは大変で、きっとまだ完全に埋まっていない。もしかしたら一生埋まる事はないのかもしれない。

 洸汰は操と違って幸せな家庭に産まれ、育ち、そして全てを失った。

 死んだ人間と違って、生きている人間は大切な人が死んだ後もずっと生きていかなければならない。残された人は"生きている"という理由だけで、半強制的に時の流れに飲み込まれ、先に進まなくてはならない。

 

「それでも無理に背中を押すことは、洸汰の心を置き去りにするということだ。そうなるとそこに残るのは"抜け殻"だけになってしまう。だから私は、疲れていたり、前に進めない時は後ろを振り返ったり、立ち止まっても別にいいんじゃないかと思っている」

 

 立ち止まって下を向いた時、「帰っておいで」と言ってくれた人がいる。

 打ちのめされて苦しんだ時、「守ってあげる」と抱きしめてくれた人がいる。

 今後操が転んで倒れた時は、「真っ先に駆けつける」と約束してくれた人がいる。

 

「話を戻そう……そうだな、私は洸汰に何か特別な言葉をかけようとは思ってなくて、」

 

 でもいつか、悲しみを笑顔に変えられる日が来ると信じている。

 私がそうだったように、洸汰にもそれが出来ると信じている。そうなってほしいと、心から願っている。

 操はここに来た時、一人ぼっちだった。

 けれどワイプシの四人が時間をかけて、大切なことを教えてくれたんだ。

 

洸汰(おまえ)は一人じゃないって、それだけは知っててほしいんだ」

 

 ──あなたは一人じゃない、それだけは忘れないで。

 それは大切な人から貰った、大切な言葉。

 灰色で荒んだ操の世界に落とされた、キラキラと輝く光。そんな四つの一等星がうんと輝いていたから、操の世界は色鮮やかに変化したのだ。

 

 言葉には常に行動が伴う。

 轟がそう言ったように、彼女たちは操を一人にしなかった。だから操も同じように洸汰のそばにいたいと思っただけ。

 ──ヒーローになっても死なずに帰る。それがきっと、操が洸汰にしてやれる精一杯のことだから。

 

「私と焦凍の意見は参考程度にして、出久は自分の思ったように洸汰と接すればいい」

 

 受け取るのか否か、それはその時洸汰が決める事だ。こちらが受け取って欲しいと思っても相手が望んでいなければ、無理に押し付けてはいけない。

 けど誰かを思い慈しむ気持ちは、きっと無駄なことじゃない。

 

「……僕が、思ったように」

「……ま、相手の気持ちを考えない善意の押し付けは最早暴力だからな。お互いそれだけは気をつけような」

「う、うん……その、教えてくれてありがとう……!」

「フフ、大した事ではないが……どういたしましてと言っておこうか!」

 

 きっかけなんて、人それぞれだ。

 緑谷の言葉が、もしかしたら洸汰にとって光になるかもしれない。

 ──操にとっての、インゲニウムのように。

 あの時は鬱陶しく感じても、数年後になってようやく有り難みを感じることだってある。

 

「ま、出久には前例があるからな」

「えっ……前例?」

「そうだ。ほら、そこにいるだろう?」

 

 そう言うと操は後方に視線を送った。緑谷が視線の先を追うと、そこにいたのは鍋を持ったまま話を聞いていた轟だった。

 しかし彼は不思議そうに首を傾げているので、操は轟に向かってニッと笑ってみせた。

 

「焦凍、お前は随分丸くなったもんな?」

「丸く……? 別に太ってねぇよ」

「…………」

「(赤黒さんの顔が……!なんとも言えない顔になってる……!?)」

「君たち手が止まっているぞ!最高の肉じゃがを作るんだ!!」

「あっ……うん!ごめん!」

 

 長らく話し込んでいた三人は飯田の声で手を止めていたことに気付き、慌てて準備を再開する。

 火をつけて鍋を置き、落とし蓋をしながら具材を煮込んでいく。三日目となれば火の番も手慣れ、砂藤監修のもとあっという間に肉じゃがは完成する。

 食べ比べた肉じゃがはA組のもB組のも、どちらも文句なしに美味しかった。

 白黒つけようと躍起になる生徒たちを眺め、クラス関係なく食卓を囲み笑い合う時間が何よりも楽しかった。

 結局肉じゃがでの勝敗が決まらなかったから勝負は肝試しで決めることになり、脅かし役先攻のB組は気合を入れて森の中へ入っていく。

 そして私たちは、いつ終わるともない恐怖へと落ちていく──。

 

 

 

 

 

「さて!腹もふくれた!皿も洗った!次は──……」

「肝を試す時間だー!!」

「その前に大変心苦しいが……補習連中はこれから俺と補習授業だ」

「嘘だろ!?」

 

 合宿三日目、午後七時。

 肝試しという心踊るイベントに芦戸と上鳴は合宿の疲れを忘れ手を上げて喜んでいたが、相澤がその背後に音もなく近付いていく。

 彼らは本日の訓練に身が入らなかったため、教員たちの話し合いの結果睡眠時間を確保することになった。そのかわりに犠牲になったのが、今まさに彼らが楽しみにしていたイベントであったが……。

 

「すまんな。日中の訓練が思ったより疎かになっていたのでこっちを削る」

「うわああ堪忍してくれぇ!試させてくれぇ!」

「肝を試させてくれぇぇぇ!!」

 

 相澤は咄嗟に逃げようとする彼らを捕縛布で縛り上げると容赦なく施設へ引き摺っていった。さすがプロヒーロー、無駄のない鮮やかな動きであった。

 操はそれについていくべきか悩んだが、ピクシーボブに「アンタは存分に肝を試しなさい」と言われたため、この場に残ることになった。

 

「はい、というわけで脅かす側先攻はB組。A組は二人一組で三分おきに出発。ルートの真ん中に名前を書いたお札があるからそれをもって帰ること!」

 

 肝試しのルールはこうだ。

 脅かす側の直接接触は禁止とするが、個性を使った脅かしネタの披露は可能とする。

 つまり轟の個性で空気を冷やして雰囲気を出したり、服を脱いだ葉隠がわざと足音を立てて後をつけることは可能だという。

 近接戦闘組は個性を使った脅かし方があまり出来ないが、それはそれで何をするか考えるのも楽しいだろう。

 操はやる気を出して両手をぐっと握り締めた。これは勝負だ。やるからには全力でやり、全力で楽しむのが操のモットーである。

 

「闇の狂宴……」

「(また言ってる……)」

「脅かす側にもなるのか……私はとびきり怖い妖怪になってみせるぞ!」

「妖怪?」

「ああ、その名も『血液サラサラマン』!」

「(名前ダサッ!?)」

「(弱そうだ……)」

 

 いつもは盛大にツッコミを入れる上鳴や切島、芦戸に瀬呂がいないからかA組は普段より静かであった。

 その中で操はいつものペースでドヤ顔をし、自身がなりきる"妖怪"について語り出す。しかしそこに真面目な飯田が口を出し、彼らの会話は徐々に収拾がつかなくなっていく。

 

「赤黒くんはManじゃなくWomanではないか!?」

「(突っ込み所そこなんかなぁ……)」

「まあそれはどっちでも良い、好きにしてくれ」

「(いいんだ……)」

「なら『血液サラサラウーマン』に改名だ!」

「(やっぱりダサい……!)」

「フフ、台詞も既に決めている!『お前の血液をサラサラにしてやろうか……?』」

「地味に良い妖怪ではないか!ブラボー!!」

 

 飯田の拍手を受け、操のドヤ顔はさらにドヤドヤしていく。

 クラスメイトたちは今日ほど"ここにツッコミ役の彼らがいて欲しい"と願った事はないだろう。肝試しで勝負をすると言っているのに健康に気を使う意味がわからないし、爆豪なんかは二人の会話にイライラしすぎて舌打ちをしている。

 そんな微妙な流れで幕が開けた肝試し。

 A組は二人一組のペアを決めるため恒例のくじ引きを行ったのだが、その結果は──。

 

 常闇、障子

 爆豪、轟

 耳郎、葉隠

 青山、八百万

 麗日、蛙吹

 尾白、峰田

 飯田、砂藤

 緑谷、赤黒

 ──という組み合わせになっていた。

 この結果にイライラしていた爆豪はついに爆発し、ヴィランのような形相で何も関係のない尾白に詰め寄っていく。

 

「おい尻尾……変われ……!」

「青山オイラと変わってくれよ……」

「俺は何なの……」

「あはは!尾白くんドンマイ!」

「勝己、私が変わってやろうか?」

「喧嘩売ってんのかクソチビ……!望み通り買ってやるよ……!」

「よさないか爆豪くん!」

 

 とかなんとか一悶着あったが、組み分け変更を許さなかったピクシーボブにより爆豪は轟と共に森の中へ消えていく。

 そして「あの二人がペアとかお化けの方が逃げていきそう!」と朗らかに笑う葉隠と共に青ざめた耳郎も森の中へ消え、八百万と青山、そして蛙吹と麗日も続けて森に足を踏み入れ、広場にいるクラスメイトたちは徐々に少なくなっていく。

 操は最後の組みであるため比較的待ち時間が長いのだが、はじめての肝試しに待ち時間すら楽しいと思った。ワクワクする心をそのままに、隣に立つ緑谷に声をかける。

 

「出久は怖いの平気か?」

「うーん、どうだろう……苦手じゃないけど、得意でもないかな……?」

「ならいざとなれば全力で走ろうか。私と出久なら五分くらいでゴールできるだろう」

「肝試しの意味!?」

「芦戸たちが泣くぞ!?」

 

 この時、操はいつも通りクラスメイトたちと笑っていた。

 濃密な林間合宿で自然と深まったクラスメイトとの絆、久しぶりに帰った慣れ親しんだ施設に、B組と結んだ新たな縁。

 ブラドキングに掴みかかろうとしたり、それを相澤に止められたり、洸汰と共にカブトムシを探したり、それをワイプシの四人に笑われたり。

 汗と泥に塗れた毎日だったけれど、操にとってかけがえのない特別な日々だった。

 

 しかし突然は、伏線など貼る暇もなくやってくる。

 

 

「何この焦げ臭いの──……」

「黒煙……?」

 

 マンダレイとピクシーボブの声につられ、生徒たちは夜空を見上げる。

 暗くてわかりにくいが、確かにそこには黒煙が昇っていた。そのせいで星が消え、空は墨で塗りつぶされたようになっている。風がふわりと吹いて、焦げ臭い煙が鼻腔を刺激する。

 予想だにしない非常事態に、一気に心臓が冷たくなって思わず唾を飲み込んだ。

 

 そんな操の横を、ピクシーボブが通り過ぎていった。

 不自然な動きで後方に飛んでいった彼女と、操は目が合った。その目は丸く開かれていて、これは彼女の意思ではないのだと直感する。

 しかし伸ばした手は空を切り、届かなかった。

 

 重く硬い衝突音が鼓膜を揺らした。

 噎せ返る血の臭いに、弾けた鮮血。倒れた彼女の額は見る間に真っ赤に染まっていく。 

 

「──飼い猫ちゃんはジャマね」

 

 頭が現実に追いつかない時は涙なんて出ない。怒りや驚きさえも身を潜め、私たちを大地に縛り付ける。

 この場にいた者たちは、今目の前で何が起こっているのかわからなかった。

 

「何で……、万全を期したハズじゃあ……!」

 

 ただ地面に倒れたヒーローがいて、見覚えのない男たちがいて。

 地面に流れ出す血液と、血で汚れた武器を見れば嫌でも理解する。──ヴィランが現れたのだと。

 

「何で、何でヴィランがいるんだよォ!!」

 

 峰田の声にサングラスの男は喉を鳴らした。その足元にはピクシーボブが倒れ、頭から血を流している。頭の上には武器であろう大きな筒が押しつけられていて、それは徐々に彼女の血で染まっていく。

 突然現れたヴィランに萎縮した生徒は勿論、ヒーローも迂闊に動けなかった。

 ここには守るべき子どもたちがいて、ピクシーボブが人質になっているからだ。しかしマンダレイは即座に"テレパス"を飛ばし緊急事態を全員に伝えていく。

 

 そんな中、操はピクシーボブから目が離せなかった。

 力無く閉じられた瞼、ピクリとも動かない身体。額から流れる血液がまるで生き物のように進み、赤く細いすじとなって彼女の肌を、そして地面を汚す。

 瞳にこびりついて離れない赤が、操の耳元で静かに告げる。

 

 ──"戦え"と、焚き付けてくる。

 

 

 

「ご機嫌よろしゅう雄英高校!我らヴィラン連合!開闢行──」

 

 固唾を飲むヒーローと生徒たちに向け、異形のヴィランが両腕を広げて高らかに叫ぶ。

 しかしその言葉が最後まで紡がれる事はなかった。

 

「返せ」

「──ッ!?」

 

 気が付くとサングラスをかけたヴィランの足元に操がいて、男は刃物のように鋭い灼眼に射抜かれたかと思うと下から武器を持つ手を蹴り上げられた。

 痺れるような痛みに襲われ男は武器を手放してしまう。しかし直ぐに腰を落として戦闘体勢を整えるが、操は男に追撃を加える事なくピクシーボブを抱いて後方に下がっていった。

 

「マグ姉!?」

「もうっ……突然蹴るなんて酷いじゃない!」

「させない!」

「いかせるか!」

 

 操を追おうとしたヴィラン二人の前に、マンダレイと虎が立ち塞がって行方を阻む。

 操は二人の背後でピクシーボブを横たわらせると頭部の傷にそっと触れた。

 力無く横たわるピクシーボブを見て、個性とは関係なく心臓が走り出す。嫌な汗が全身から噴き出して、寒くないのに全身が震えだす。

 ──だって、力無く横たわる彼女の姿を見たのは初めてだったから。

 

「ぁ……リュウコさん……リュウコさん……?」

《……操、落ち着いて!》

「……!」

《深呼吸をして、背筋を伸ばして前を見て!》

 

 脳に直接響くシノの声に、操の乱れた呼吸は徐々に落ち着きを取り戻していく。

 震えた肺で空気を吸い込んで、それをゆっくり吐き出していく。言われた通りいつの間にか丸まっていた背中を伸ばして前を向けば、そこには二人のヒーローの背中があった。

 

《個性の使用を許可します。ピクシーボブの怪我を診なさい──ステンレス!》

 

 はっとした操は目を見張ると、直ぐにヒーローの顔付きになった。

 ──何のための個性だ、私は何のために今まで学んできたんだ!

 操は自分を叱責して、指で掬った血を舐めた。温かな身体に触れると操の脳には血液を媒介してピクシーボブの情報が駆け巡る。そしてその情報を元に、傷付いた血管を血液で修復していく。

 

「──報告!額の怪我だけで脳への損傷はなし。小さな出血と額の傷共に止血完了、血管修復済み!今は体力を回復させているところだ!」

「ありがとう!そのままもう少し下がって!」

「了解!」

 

 操は再びピクシーボブを抱き上げてクラスメイトの元まで下がると、そのままヴィランの二人を警戒する。

 ピクシーボブは脳震盪で倒れた。本来ならば動かさない方が良いが、ヴィランがいる以上そうも言っていられない。それに操が体力を回復させていることから、早ければもうすぐ目を覚ますだろう。

 

「……やはり、誰も動けない中で唯一動くのだな」

「……あ?」

「生殺与奪は全て"ステイン"の仰る主張に沿うか否か!よってお前は必ず俺が討ち取ろう!」

「ステイン……!あてられた連中か……!」

「アァ、そうだ!メガネ君に──赤黒操!」

「……!」

「お前たちは保須市にてステインの終焉を招いた人物。申し遅れた、俺の名はスピナー、お前達に引導を渡す者。そして──彼の夢を紡ぐ者だ」

 

 異形のヴィランは操と飯田を鋭く睨みつけると、背負っていた武器を取り出し両手で構えた。大小様々な刃物が鎖で縛られた鈍器は、月の光を受けてギラギラと鈍く鋭く輝いている。

 ──ステインにあてられた者。

 それは過去操が兄を止めていたら、彼は犯罪者になっていなかったということだ。

 操はピクシーボブを抱き抱える腕に力を込める。俯いて瞳を伏せてしまいそうになるけれど、それでも無理やり前を向く。

 兄の過去が違うものであったら、きっと彼の未来も違うものだったろう。──それでも、それでも!

 犯罪者になろうと決めたのは操が原因ではなく"彼の意志"だ。

 

「──赤黒操、異形(俺たち)の苦しみがお前に理解できるか?」

「……何を言っているのかわからないが、その服装は兄の真似か?コスプレとは随分可愛いじゃないか」

「なんだと……?」

「引導を渡すと言ったな?来い、スピナー。その挑戦を受けて立つ」

「……煽ってる場合じゃないから、アンタは下がりなさい」

「……ピクシーボブ!」

「あらやだ。せっかく潰したのにもう起きちゃったじゃない!」

 

 操の腕の中で目を覚ましたピクシーボブが瞼を震わせ、ゆっくりと身体を起こす。操は彼女をそっと地面に下ろしたが、その身体はまだフラリと傾いていた。

 心配になって手を伸ばそうとするけれど、その手を避けたピクシーボブは操の頭に手を置いて軽く撫でた。そして両足に力を入れ、真っ直ぐ立って、

 

「でも、ありがと!」

 

 そう笑って、彼女は直ぐに前を見据えた。

 ラグドール以外の三人がヴィランに対峙し、そこでようやく張り詰めていた生徒達の空気が少しだけ霧散する。

 緊張感はそのままに、操はひとつ息を吐いた。

 

「何でもいいが貴様ら……女の顔キズモノにして男がヘラヘラ語ってんじゃあないよ」

「ヒーローが人並みの幸せを夢見るか!」

「虎!ピクシーボブ!指示は出したから他の生徒の安否はラグドールに任せよう!私と虎の二人でここを押さえる!ピクシーボブはみんなと一緒に行って!」

「みんな行くよ!ついてきて!」

「承知しました、行こう!」

 

 マンダレイはピクシーボブにこの場の生徒を任せ、虎と共に向かってきたヴィランを迎え撃つ。

 ピクシーボブは身を翻し、生徒たちに声をかけ走り出した。頭部を打ったが故の采配だろうが、このまま生徒を送り届ければラグドールと合流し"サーチ"と"土流"の魔獣で生徒を守りつつヴィランと戦うのだろう。

 しかし操は、そして緑谷は気付いていた。

 マンダレイが何かを気にして集中に欠けていると、そしてその"何か"が()なのか、気付いていた。

 

「赤黒さん……!」

「ああ!ピクシーボブ、先に行っててくれ!」

「は、ちょっと──!」

「マンダレイ!僕知ってます!」

「──!」

 

 そして二人は列を外れ、森の中を全速力で走っていく。

 操は先をいく緑谷の後を追う。細い枝が肌を引っ掻くけれど、それは足を止める理由にはならなかった。一刻も早く洸汰の元に駆けつけて、安心させてあげたかった。

 

 生い茂る木々の闇を抜け、見慣れた山肌の崖に辿り着く。秘密基地は夜のせいか暗くてよく見えない。しかし岩を砕く爆音が聞こえてきたから秘密基地(そこ)にヴィランがいるのだと嫌でも理解してしまう。

 鼓動がうるさく、心臓が耳の横に移動してしまったようだった。

 がむしゃらに山肌を駆け上がると見えてきたのは、隆起した暴力的なまでの筋肉を腕につけ、それを洸汰に振りかぶるヴィランの姿。

 そして、洸汰の涙だった。

 

「ぐあ!」

「……っ!」

 

 ヴィランの攻撃から洸汰を救い、あまりの衝撃に吹き飛んだ緑谷は地面を転がった。そして直ぐに体勢を整えると即座に状況を確認する。

 スマホは今の衝撃で壊れてしまったようだ。操は自身に背を向けて立ち、真っ直ぐヴィランを見据えている。

 

「──赤黒さんスマホある!?」

「悪いけど携帯してない。明日から携帯すると決めたところだ」

「ん?お前らはリストにあったな……」

「ぁ……み、みさお……っ」

「うん、大丈夫だ洸汰。操ちゃんはウルトラハイパー強いからな……死なないし、お前を絶対に死なせないよ」

 

 その声は酷く平坦で、凪いだ海のようだった。

 しかし操の中では血が真っ赤に弾けて、激しい波のように全身に広がっていた。荒々しく吹き荒れる何かが、疾風のように操の心を満たしていく。

 満たされた感情は、怒りだった。

 

「血狂いマスキュラー」

「あ?」

「おまえ、洸汰を泣かせたな?」

 

  今筋強斗(いますじごうと)、ヴィラン名をマスキュラー。

 個性は"筋肉増強"。過去にヒーローウォーターホース夫妻との交戦で左目を失ったが、その後彼らを殺害。人を嗜虐的に嬲り殺す事で快楽を見出す危険人物。

 ──コイツは洸汰の両親を、そして洸汰の"心"を殺したヴィランだ。

 

「そのガキが悪いんだよ、俺は帽子をくれって言っただけだ」

 

 マスキュラー相手に逃げることは不可能だ。

 操に武器はない。肝試しに輸血パックは必要ないから持っていないし、サポートアイテムである小型ナイフは学校にある。そんな状況でマスキュラーと戦うのは不可能に近いだろう。

 なりふり構わず全力で逃げて応援を要請すべきだと普通なら考える。それすら難しいのだが、彼はそれほど危険人物であった。

 ──それでも絶対に引けない戦いがあって、絶対に譲れない"信念"がある。

 無傷では何も勝ち取れない。

 ならば殺されずに勝ち取る、それだけの話だ。

 

「やるぞ、出久」

「──……うん、やろう。洸汰くん、必ず救けるから!」

「必ず救けるって……はぁはははは……さすがヒーロー志望って感じだな。どこにでも現れて正義面しやがる」

 

 マスキュラーは全身を覆うマントから屈強な腕を出すと、一歩、また一歩と前に進む。個性を使用した腕は奇妙に形を変え、太く大きく隆起していく。

 緑谷は思わず息を呑んで一歩下がるが、操はその場から動かなかった。

 

「お前ら緑谷と赤黒ってやつだろ?ちょうどいいよ、率先して殺しておけってお達しだ──……じっくり甚振ってやっから血を見せろ!!」

「ああ、別にいいぞ」

「!?」

 

 操は手首から血を噴射させると、マスキュラーの顔にべったりと飛ばしてやった。

 ──『それを外す時は、本当に危機が迫った時だけにして欲しいな』

 操の足元にはワイプシの四人からもらったレザーのバングルが、千切れて転がっている。

 マスキュラーは眼や鼻に入った血液を手で拭い、唾と共に口から吐き出し、鬱陶しそうに操を睨みつけた。

 

「……んだコレ、血か?んな子ども騙しの頓知で俺を萎えさせるんじゃねえよ!」

 

 マスキュラーは操に狙いを定めると、個性を使用し即座に距離を詰めて腕を振りかぶった。

 洸汰への攻撃は既に見た。マスキュラーの速さは操を上回るため、近距離での回避は間に合わない。しかし身体を強化して受け止めても力を殺しきれず、操の身体は骨が砕けて肉が潰れてしまうだろう。

 だから操は己の身体に流れる血液を咄嗟に抜いて赤壁(せきへき)を展開、直接的なダメージを受けないよう身を守った。

 

「赤黒さん!!」

「──く、……っ!」

「あ、いけね」

 

 一瞬にして真っ白に染まる視界に意識が途切れそうになり、命がごっそりと抉り削り取られた感覚がとても恐ろしかった。操はそんな感覚に襲われながらも、血液を操作して自身の体()に戻していく。

 ドクン、と躍動する心臓の音を聞きながらその場を飛び退けば、前に出た緑谷がマスキュラーの攻撃を受け山肌に叩きつけられたところであった。

 操より速い緑谷ですら避けきれない攻撃に、思わず奥歯を噛み締める。

 

「知ってたら教えてくれよ、爆豪ってガキはどこにいる?一応仕事はしなくちゃな……」

「(かっちゃん……!?)」

「……勝己?さぁ、知らないな」

「そうか、なら遊ぼう……ぜッ!!」

 

 "仕事"に"爆豪"。その内容についてもう少し聞き出し考察したかったが、思考能力を上げていてもそこに割く余裕はなく、操は足に力を入れて駆け出した。

 そしてマスキュラーによって蹴り上げられ再び山肌に叩きつけられそうな緑谷を受け止めると、斜面を蹴って急いでその場から離れる。背後ではマスキュラーの追撃で山肌が抉れているところだった。

 ──危なかった……!

 操は冷える心臓を落ち着かせながら、楽しそうに嗤うマスキュラーから距離をとっていく。緑谷の左腕は折れ、頭部は岩に叩きつけられた関係で出血している。

 操は行儀が悪いと思いつつ、両手が塞がっているため緑谷のこめかみに流れる血を舐めとった。そして瞬時に傷を修復し、エネルギーを回して体力を回復させていく。

 

「はっはっは!血だ!これだよ楽しいや!」

「ごめ、赤黒さ……!」

仕込み(・・・)はした、少し時間を稼ぎたい」

「……!」

「私は速さもパワーも奴に劣る、出久には負担をかけるが──」

「二人でコソコソ話してんじゃねぇ、俺も混ぜてくれよ!」

「「──っ!!」」

 

 容赦なく突撃してきたマスキュラーは緑谷の拳を難なく受け止めると地面に叩きつけ、回避する操を執拗に追いかけ薙ぎ払った。

 地面に叩きつけられ転がった操は受け身を取ったものの背中を強打し、息が出来なくなる。しかしすぐさま血中の酸素を増やして立ち上がり、傷を癒やして体力を回復させた。

 ──一撃が重すぎる……!

 操は回復しながら戦えるが、緑谷はそうもいかない。可能ならば今すぐ駆けつけて回復させたいが、敵が強すぎて触れる機会を作ることすら出来ない。

 操は口の中に入った砂を吐き出した。

 "遊ぼう"だとか"楽しい"だとか、そんな気持ちで平然と人の未来を絶つ男に腹立たしさと怒り、そして嫌悪感が湧き上がる。

 ──決して癒えない傷を、埋まらない穴を被害者(洸汰)は負ってきたというのに!

 

「俺の個性は筋肉増強!皮下に収まんねぇ程の筋繊維で底上げされる速さ!力!何が言いてぇかって!?自慢だよ!つまりお前は俺の完全な劣化版だ!わかるか今の俺の気持ちが!?笑えて仕方ね──」

「話が長い!寝てしまいそうだ!」

 

 血を流し倒れる緑谷目掛け腕を振り上げたマスキュラーの背後から、操は彼の頭部より大きな岩を直接脳天に叩き込んだ。

 勢いよく砕け散る岩に、マスキュラーの頭部から流れる血液。それは彼の金髪を赤黒く染め上げ、月明かりにてらてらと鈍く光る。

 

「て、めぇ……!」

「どうやら脳天に筋肉はないらしい、一つ学んだな?」

 

 実は前頭筋と後頭筋の間に筋肉はない。操はそれを知っていたから、隙だらけの背後から迫ってそこに岩を叩き込んだのだ。

 マスキュラーは緑谷から視線を外すと後ろを振り返って操に向き合った。そして頭部から流れた己の血を眺め、冷淡に嗤う。

 

「面白え、ならお前から遊んでやるよ……!」

「……がっ……!」

 

 操が反応出来ない速さで繰り出された攻撃は彼女の腹部を捉え、その小さな身体を容赦なく岩壁に叩きつける。

 臓器は瞬時に血液を凝固させて守ったが、あまりに重い衝撃が身体を突き上げ、肉が弾け飛んでしまいそうだった。

 操は身体をくの字に折って胃の中のものを吐き出した。神経が感電をしたかのようにびりびりと震え、痺れるような感覚に生理的な涙がこぼれる。

 しかしすぐに顔をあげ、マスキュラーを視界に収めた。

 

「楽しいなぁ、なァ!?」

「ごほっ……げほ、はっ……」

「救けるなんて大口叩いてこの様だ!実現不可のキレイ事のたまってんじゃねぇよ!」

「は……っ、はっ……」

「自分に正直に生きようぜ!それが一番楽しいからよ!!」

 

 血液を回して千切れた血管を修復していく。エネルギーを増やして疲労を打ち消し、体力を回復させていく。

 しかし視界は狭く、深い闇が脳を焼き尽くしてしまいそうだった。絶え絶えになる呼吸や痛みに震える身体が、いうことを聞きそうにない。

 ──けれどそれは、決して引く理由にはならない。諦める理由にもならない。

 操は拳を握りしめ、刃物のように鋭い灼眼でマスキュラーを睨みつける。その瞳は烈火の如くゆらめいていた。

 

「ふざ、けるな……」

「……あ?なんつった?」

「ふざけるなって、言ったんだよ……!そんな理由で、人の命を弄んだのか……そんな理由で、お前はっ……洸汰を泣かせたのか……!」

「はっ……だったらなんだ?俺を止めてみろよヒーロー!はっはっは!!」

 

 地面に膝をつき、立ち上がることすら出来ず、操は今にも倒れそうだ。それでも尚闘志を燃やして怒るから、マスキュラーはそれを楽しそうに眺めていた。

 マスキュラーは操や緑谷のような死ぬ瀬戸際まで諦めない人間が死の恐怖に屈服する瞬間が堪らなく好きだった。だから彼は仕事を放棄して二人で遊び、最期(・・)まで甚振って楽しもうと思っていた。

 しかしそんな彼の思考を途切れさせたのは、後方から飛んできた小さな石だった。

 

「……あ?」

「ウォーターホース……パパ……ママも……そんな風にいたぶって……殺したのか……!」

「……こう、た」

「ああ……?マジかよヒーローの子どもかよ?運命的じゃねぇの。ウォーターホースねぇ……この俺の左眼を義眼にしたあの二人じゃねぇか!」

 

 洸汰は両親の死に際を見ていない。

 けれど操と緑谷が血や嘔吐物で汚れ、地面に膝をつき、苦しみながらも必死に立ち上がろうとしている姿を見ると、思わずそこに両親の姿を重ねてしまったのだ。

 ──パパとママもこうやって、誰かを守ろうと必死だったのかな、と。

 だから嗤いながら二人を甚振るマスキュラーを見てとてつもない怒りが込み上げてきたのだ。このままでは二人が死んでしまうと思い、迫り上がる恐怖を噛み殺して、勇気を振り絞って声を上げたのだ。

 もう大切な人(・・・・)が殺されるのは嫌だったから。

 

「お前のせいで……お前みたいやつのせいで……!いつもいつもこうなるんだ!!」

 

 それはずっと本音を押し殺してきた洸汰の心の叫びだった。ずっとヒーローや個性社会に矛先を向けて誤魔化していた、マスキュラー(ヴィラン)に対する怒りだった。

 しかしマスキュラーは洸汰の言葉を咀嚼することなく吐き出した。嗤って、勇気を振り絞った小さな子どもを見下した。

 だって彼には弱者の気持ちはわからないし、理解するつもりもなかったから。

 

「…………ガキはそうやってすぐ責任転嫁する。よくないぜ?俺だって別にこの眼のこと恨んでねえぞ?」

 

 マスキュラーは静かに言葉を紡ぐと一歩、また一歩と洸汰に歩み寄る。その目は狂気に満ちた光を放っていて、たとえ子どもであろうと手加減なんてしてくれないと理解してしまった。

 洸汰は恐ろしさから後退りをするけれど、歩幅が小さく距離は詰められていくばかり。

 そうやって怯え、自分から逃げていく獲物を甚振るのが堪らないからマスキュラーは嗤うのだろう。

 

「俺は殺す(やりたい)ことやってあの二人はそれを止めたかった。お互いやりてぇのとをやった結果さ」

 

 操は立ち上がった。

 ここで立たないと一生後悔すると思ったから、全身の血を燃やして痛みも恐怖も全てを焚べて、それを力に立ち上がった。

 ──"戦え"と焚き付けるのは、己自身だ。

 悲しんでいる人がそこにいる。苦しんでいる人がそこにいる。その元凶が目の前にいて、引き下がるわけがない。

 譲れない信念(もの)を貫くために、操はここにいるのだから。

 

「悪いのは出来ねぇことをやりたがっていたてめェのパパとママさ!!」

 

「「──悪いのはお前だろ!!」」

 

「──っとなったらそうくるよなボロ雑巾供!!」

 

 洸汰を狙えば自ずとヒーローの卵たちは飛び込んでくる。それをわかっていてマスキュラーは敢えて洸汰を狙った。全ては二人を誘き寄せるためだった。

 でも二人にそんなことは関係ない。

 ──勝てないからなんだ? 勝てなくても勝つんだよ!

 操はマスキュラーの血に濡れた頭部目掛けて赤弾(せきだん)を撃ち出した。

 そして緑谷はマスキュラーの個性に折れた左腕を絡ませると、右腕破損の覚悟で右腕に"個性"を乗せていく。

 

「できるできないじゃない、やるって決めたらやるんだよ!」

「ヒーローはそうやって、命を()してキレイ事を実践するお仕事だ!!」

 

 ──ワン・フォー・オール100%!

 凄まじい衝撃波によって吹き飛ばされた洸汰は崖の下へ落ちそうになって、思わず叫び声を上げる。

 粉塵が視界を覆い尽くして周りがよく見えなかった。どこが上でどこが下なのか、自分がどこにいるのかさえわからなかった。ただ身体が落ちていく感覚だけが、洸汰の心を恐怖で雁字搦めにしていく。

 そんな状況では操や緑谷、そしてマスキュラーがどうなったのか、何もわからなかった。けれど──。

 

「洸汰!!」

 

 冷たくして暴言を吐いても、髪を引っ張って睨みつけても。

 それでも隣にいてくれた操の声が聞こえたから、洸汰は空に向かって必死に手を伸ばした。あの時振り払わなかったけれど決して握り返さなかった手を、掴むために必死に伸ばしたんだ。

 そして操は伸ばされた手を、しっかり掴んだ。

 

「操……ッ!」

 

 操は洸汰と同じように吹き飛ばされながらも彼の手を取り、その小さな身体を腕の中に抱え込んだ。

 そして粉塵の中、緑谷の血の臭いを辿ると彼を担ぎ、マスキュラーから距離を取ったところまで下がる。

 

「──ハァ、ハァ……ッ」

「ちょっと耐えろよ、出久」

 

 操は膝をつき緑谷を自身に寄り掛からせると、近くに降ろした洸汰の涙を拭う。

 緑谷の両腕は折れ、腕の肉は形が歪み、岩によって細かい傷が無数に刻まれている。操は緑谷の血液を摂取すると身体に触れ、傷を修復しつつ疲労を消して体力を回復させていく。

 骨が折れ力無く揺れる赤い腕を見て洸汰は戦慄を覚える。緑谷だけでなく操にも傷は多く、得体の知れない恐怖が心の中に湧き上がった。

 

「赤黒さん、もう平気……だから、先に施設まで行こう……」

「残念ながらまだ行けそうにない」

「え……?」

「奴はまだ倒れてないぞ」

「……ウソだろ?」

 

 操がそう告げると山肌の一部が崩れ落ち、そこからマスキュラーが現れる。

 隆起した筋肉を元に戻すとそこにはほぼ無傷の男が立っていて、緑谷の心中は一瞬にして絶望が巣食った。緑谷が今出せる全力で戦ったのに無傷だなんて、「こんなのどうやって倒せばいいのだろう」と希望を見失ってしまう。

 しかし操は緑谷の肩を抱いたまま、動揺する事なく真っ直ぐマスキュラーを見つめていた。何かを決心したような、力強さを感じさせる表情をしていた。

 ──操は知っている。彼が無傷なのは外見だけで、内面(・・)がそうだとは限らないと。

 

「緑谷、おま……え……何を……した……!?」

「え……?」

 

 マスキュラーは全身の水分が全て汗になって噴き出されるような感覚に襲われていた。

 呼吸が乱れ、深く息を吸っても肺に水が溜まってしまったかのようにうまく息ができない。まるで常に溺れているような感覚で、こんなに息をするのが辛いとは思わなかった。

 吐き気がする、眩暈がする。動悸が激しくなり、何をすればいいのか考えが纏まらない。

 気がつけば胃の中のものを全て吐き出していた。視界がチカチカと点滅し、身体が異常を訴えて震えてだす。

 ──まるで終わりのない地獄の中にいるようだった。

 頭部に、指先に、顔に、焼けるような痛みが走って思わず掻きむしる。皮膚が破けて、血が滲んで、爪の間に入って──赤黒い血が、血が……!

 

「──テ、メェか……!」

「死ぬのは誰だって怖いよな。 少しはその気持ちが理解できたか、マスキュラー」

 

 命の炎が消えていく感覚がどれほど恐ろしいものか。誰にも助けてもらえない時間がどれほど耐え難い苦痛であるのか。

 ──知らないというのならば教えてやろう。

 その痛みを理解できるまで、何度でも。

 

 マスキュラーの弱々しくも鋭い視線が操を射抜く。しかし操の灼眼も、刃物のように彼を射抜いていた。

 彼は今までに味わったことのない恐怖を感じているだろう。見えない恐怖、これから何が起こるのか想像出来ず、得体の知れない何かが体内を侵し破壊していく暴力的なまでのいい知れぬ不安。

 これが敵わぬ力に抑え込まれ、屈するしかない弱者の気持ちだ。遊びで傷付けられ、嗤われ、甚振られた者たちの恐怖だ。散々命を弄ばれた人たちの苦痛だ!

 

「安心しろ、死ぬ前にちゃんと治してやる。私はヒーロー志望だからな」

「──……! おおお、おおおお!!!!」

 

 マスキュラーは焦点の合わない瞳孔を震わせると、力を振り絞って個性を使用した。皮下に収まりきらない筋肉が山のように盛り上がって、彼の形を歪に変えていく。

 足はふらつき、一歩一歩踏み締めるように歩いていた。口からはダラダラと涎を流し、息は絶え絶えで、その個性(かたち)を保つのがやっとだった。

 ──それでも、それでもお前が自分の"正直"を貫こうというのなら。

 

「私は全てを懸けてお前を止めるだけだ」

 

 だから操も絶対に引き下がらない。

 戦場(ここ)では弱い者が淘汰され、強い者が最後に残る。

 お互いの覚悟と、信念のぶつかり合いだから。

 

 

「あ、か……黒さん!」

「出久!? お前何をして……!」

「赤黒さんより……僕の方が適任だから!」

「!」

一緒(・・)に戦おう!」

「……ああ!」

 

 マスキュラーを迎え撃とうとした操の前に、両腕が折れたままの緑谷が割って入る。

 彼は折れた右腕に個性を乗せた。バチバチと溜まるエネルギーは折れた骨を刺激して、緑谷は生理的な涙をその瞳に浮かべる。

 普通ならば止めるべきだ。けれどここでの最善はこれしかないと理解してしまったから、操は歯を食いしばって自分の思いを飲み込んだ。そして緑谷の背後に回り、その肩に手を乗せる。

 ──赫血飛動(せっけつひどう)・共鳴!

 

「両腕、折れて──……!」

「「大丈夫!!」」

 

 か細く紡がれた洸汰の声に被せるように、そして自分自身に言い聞かせるように二人は声を上げた。

 操は自身の手首から血液を抜いた。倒れる限界まで抜き出して、それを緑谷の右腕に纏わせる。

 赤甲(せっこう)により補強された彼の腕は赤黒く、月の光に反射して鈍く輝いていた。

 

「血ィィ……みせ、ろ……やああああ!!」

 

 ──思い出せ、私たちの原点を。

 ただ悲しむ人を救けたいと思う気持ちを!

 

「殺させて、たまるかあああああ!!」

 

 個性が、信念が、それぞれの思いがぶつかり合って衝撃となる。

 あまりの重さに押し潰されてしまいそうだった。衝撃で肉が裂け、鮮血が舞っては身体に戻って、体力が消えては回復してを繰り返す。身体の骨が軋んで、裂けた肉が弾けそうになる。

 けれど地面を壊しながらも足に力を入れて、倒れないよう緑谷を支えて、支えられて。

 たとえ骨が折れたとしても心は絶対に折れたくないから、二人は最後まで諦めなかった。

 

「……ッこの勝負、お前の負けだ! マスキュラー!!」

 

 ──ワン・フォー・オール1000000%

 ──デラウェア・デトロイトスマッシュ!

 

 

 

 

 

 

「……よし、これでいいだろう」

 

 戦闘は操と緑谷の勝利で幕を下ろした。

 操はマスキュラーから()の血液を取り除くと、正常に(・・・)戻して(・・・)から(・・)彼の血液を限界まで抜いて傷を塞いだ。そして屈強な手足を彼の血を凝固することで封じ、軽い診察をしてから立ち上がる。

 こうする事でたとえ目が覚めたとしても彼は満足に動くことが出来ないだろう。

 

 操は意識のないマスキュラーを見下ろした。一度だけ目を閉じて、ゆっくりと息を吸う。

 ──感情で動くな、冷静でいろ。

 息を吐きながら、その言葉を自身の心に言い聞かせる。

 感情は原動力になるが、大きすぎるそれは時に判断を見誤る事もある。感情を殺さずとも常に冷静に、己や戦況を俯瞰して見なければならない。

 先程の操はそれが出来ていなかった。

 

「さて、と……」

 

 ──嘆く時間は後にしよう、今はやるべき事がある。

 操はマスキュラーから視線を外すと、後方にいる二人の元へ歩きだす。緑谷は膝をついて少し休みながら洸汰と何か話しているようだった。

 森は一部が焼けて明るく、青い炎が燃え盛っている。悲しいことに黒煙の臭いはとっくに嗅ぎ慣れてしまった。

 

「君が必要なんだ。君の"個性"で僕らを助けてほしい」

「個性で……救け、られるかな……?」

「何も一人でやる必要はない。ワイプシもいる、私たちもいる。一緒にやろうな」

 

 涙を浮かべる洸汰の頭を帽子の上から撫でれば、彼は操を見上げて鼻を啜った。操はそれに笑って、心の中の本音を隠していく。

 ──この火災は、ピクシーボブの"土流"である程度は鎮火出来ると踏んでいた。

 けれどそれはラグドールの"サーチ"あってのことだ。生徒が何処にいるかわからない以上、ピクシーボブは大規模な"土流"を使うことが出来ない。

 未だ鎮火出来ていないということは、ラグドールと合流出来ていないということだろう。

 

「さぁおぶさって!まず君を施設に預けなきゃ!」

「その怪我で動けるのかよ……?」

「そのために足を残し──」

「フフ、そのために操ちゃんがいる!」

「──フェッ!?」

 

 操は洸汰をおぶろうとする緑谷を横抱きにした。

 そして突然首を絞められた鳥みたいな鳴き声を発した彼を無視し、操は洸汰に緑谷の腹部に乗るよう指示をする。そのまま操の首に腕を回してもらって、操は崩れかけた山肌を一気に駆け降りた。

 

「あ、ああああああああ、ああ赤黒さん!?」

「出久、お前が暴れたら洸汰が落ちる。わかっているな……?」

「イ、イエッサァ……!」

 

 操は緑谷を見下ろし、洸汰を人質にして彼を脅した。

 触れた身体から血液を媒介して伝わる情報が、彼が相当無理をしているのだと教えてくれる。だから少しでも回復出来るように移動しながら操は個性を使うのだ。この合理的な考えにはきっと相澤先生も褒めてくれるだろう。

 操は二人を抱えながら森の中を進む。

 操に疲労はない、そして傷も既に塞いでいる。けれど受けたダメージは残っていて、走るたびに腹や背中が分離してしまったかのような痛みを訴え脂汗が滲む。吐いたせいか喉は焼け付いていて、空っぽの胃の中が寂しさを主張する。

 

「もうすぐそこだ……!」

「おい、操!あれ!」

「ん?……あ!相澤先生〜!!」

「赤黒に、緑──……!」

「先生、よかった!」

 

 宿泊施設に戻る途中森の中を走る相澤を見つけ、操は走るのをやめた。

 獣道の草木をかき分けて彼のいる整えられた道へ歩み寄ると、操は相澤が眉根を寄せたことに気が付いた。その視線は緑谷の身体に向けられている。

 しかし緑谷はそれに気が付いていないのか、捲し立てるように相澤に声をかけていった。

 

「大変なんです……!伝えなきゃいけないことがたくさんあるんです!とりあえず僕マンダレイに伝えなきゃいけないことがあって……」

「おい」

「あ、赤黒さんありがとう!もう降ろして貰って大丈夫!先生は洸汰くんを!この子水の個性なんです!守ってあげてください!」

「おい、緑谷……!」

「とにかく僕は行くので!先生あとはよろしくおね──」

「フンッ」

「痛ァ!?」

 

 操は緑谷に頭突きを喰らわせた。

 そしてしゃがみ込み洸汰に降りてもらうと、そのまま緑谷も地面に下ろす。しかし地に足をつけた彼の肩に手を置いて、ぐっと力を込めた。

 

「先生、時間がないから簡潔に報告するぞ。血狂いマスキュラーと会敵し、戦闘になった」

「──……!」

「その際に個性を使用した。罰は後で受けるとして、問題なのはそこじゃなくて。マスキュラーが"仕事"で"勝己"を探していると言っていた。この襲撃は少なくとも勝己の誘拐もしくは殺害が目的の一つだと思う」

「何だと……!?」

「そうなんです!だから僕マンダレイに伝えて来ます!」

「あっ……おい出久!!」

 

 個性を使って操を振り切った緑谷は森の中を再び駆け出した。小さくなるその背中を見つめ、操は奥歯を噛み締める。

 ──こんな事になるなら体力なんて回復させなければよかった……!

 操は自身の血を回して相澤に背を向けた。

 操が洸汰を施設に連れていき、相澤にマンダレイの元へ行ってもらった方が状況的に最適なのはわかっている。けれど万が一またマスキュラーのようなヴィランに会敵してしまえば、操一人じゃ洸汰を守ってあげられない。

 

「先生!出久は私が必ず連れ戻す!だから洸汰をお願い!この子は──……」

 

 振り返ると、不安そうに揺れる瞳と目があった。

 操と洸汰の関係は言葉で簡単に表せない。

 同じ場所で保護されただけの、一人ぼっちの同族。

 姉弟みたいだと言われた他人。

 それでも洸汰には一人じゃないと知っていて欲しくて、そのために操は死なずに彼のところに帰ろうって、そう思える人。彼の悲しみが笑顔にかわりますようにと、操が心から願っている人。

 ──そんな感情を操に教えてくれた、かけがえのない人!

 この関係に適切な言葉はない。ただ敢えて何か言葉を当て嵌めるのであれば──。

 

「この子は私にとって……大切(・・)な!()みたいな子なんだ!!」

「……!」

「洸汰、明日は約束通りカブトムシを取りに行くぞ! だから、いってくる」

 

 こぼれ落ちた涙を、今は拭ってあげられない。

 だから操はいつものようにニッと笑った。暗い夜なんかに負けないように、夏の日差しみたいに笑ってみせた。

 

 

 

 

 

《──ヴィランの狙いの一つ判明!生徒の「かっちゃん」!わかった!?「かっちゃん」!!「かっちゃん」はなるべく単独では動かないこと!!》

 

 脳に直接響くマンダレイの言葉を聞きながら操は走っていた。

 怪我の酷い緑谷を連れ戻すため、そして相澤からの"伝言"をマンダレイに伝えるため痛みを堪えて全速力で森の中を駆け抜ける。

 視線の先に見えた開けた広場では、二人のプロヒーローと二人のヴィランが戦闘を行っていた。しかし何故か走る緑谷の背後をサングラスのヴィランが狙っている。

 操は咄嗟に落ちていたヴィランの武器──布の巻かれた筒のようなもの──を手に取るとサングラスのヴィランに向かって投擲した。それはヴィランの背中に当たり、男は勢いよく地面に叩きつけられる。

 

「ぎゃっ!?」

「手を出──マグ姉!?」

「操!」

「マンダレイ!イレイザーヘッドから"伝言"だ!テレパスで伝えてほしい!」

 

《──A組B組総員!プロヒーローイレイザーヘッドの名に於いて戦闘を許可する!!》

 

「伝達ありがと!でもあなた怪我酷いよね!?すぐに戻りなさい!」

「わかってるけど……! 出久を連れ戻したら戻るよ!」

 

 操はそれだけを伝えると、緑谷の後を追うため先ほどとは別の道を走り出す。

 緑谷は操より素早いため既に後ろ姿は見失っていた。しかし彼のことだ、おそらく爆豪を探しにいったのだろうと予想している。

 爆豪は肝試しの二番手で、ゴール付近にいる可能性が高い。だから操も爆豪の元へ向かえば、自ずと緑谷と合流できると踏んだのだ。

 

 緑谷の怪我は酷く、簡単な言葉で表すならば"重傷"だ。

 操が疲労や体力を回復させて血管を修復したとはいえ怪我は治っていないのだ。骨は折れ筋肉は傷付いたまま、ダメージは確実に蓄積されている。想像を絶する痛みが彼の中を走っているだろう。

 それでも緑谷が動けるのは本人の性格と、脳から分泌されたエンドルフィンのおかげだろう。だからといって重傷な事に変わりはないし、下手をすれば今後腕が使えなくなってしまう可能性がある。

 

「(私のせいだ……!)」

 

 操は少しでも苦痛を和らげるため彼を回復してしまった。緑谷の性格を考えたら、走り出すことなんて容易に想定できたのに。

 操は眉を寄せ、奥歯を噛み締めた。

 相澤から戦闘許可が出たがこれは「戦闘をしてヴィランを倒しなさい」という意味ではなく、「やむを得ない場合は個性を使ってでも生き延びろ」という指示だ。決して爆豪の元に向かって救け出せという意味ではない。

 あの時あの怪我で走り出すとは思わず、操はちゃんと緑谷を抑えなかった。だからこそ操には彼を連れ戻す責任がある。

 ──嘆くのは後にしろ、今はとにかく前へ進め!操は自分にそう言い聞かせ、前を向いた。

 

 すると視界を覆い尽くすような"闇"が蠢いて、操に牙を剥いていた。

 

「──……!」

「避けろ赤黒!」

「獲物ガ一匹!!」

 

 操の真上を、黒い何かが通り過ぎていく。

 障子の声に反応した操の()は身体に信号を送り、心を置き去りにして地面に伏せた。

 黒い何かは木々を薙ぎ倒し、地面を抉り、荒々しく森を破壊している。

 置き去りにされた心は何が起きたのかすぐに理解できなかった。けれどそこに切断された障子の複製腕を見つけ、操はそれに手を伸ばす。血の滴るそれは本体と切断されたからか、ピクリとも動かない。

 

「赤黒、こっちだ!」

「障子……!?」

「急げ!ダークシャドウが──」

「ア゛ア゛アアア!!」

「──暴走している!!」

「はぁ……!?」

 

 地面を大きく揺らす衝撃がドンッと操の身体を突き上げた。木が根本から折れて、砂埃が舞い上がる。

 操の真横にはダークシャドウと思わしき黒い腕が振り下ろされていた。そして伸びてきた障子の複製腕が、何度も警告を発している。それを咀嚼すると、操の全身からは冷たい汗がブワッと滲み出た。

 ──いやいやいやいや!!

 操は身体の痛みを忘れて慌てて駆け出した。先程まで喋っていた障子の複製腕は「複製腕(これ)は囮で本体はもう少し右──」とそれだけ言うとダークシャドウに薙ぎ払われる前にするりと消えていく。

 言葉の通り右を見ると、緑谷を背負った障子が森の中を走っていた。背後に迫ったダークシャドウの猛追から逃げながらも、複製腕を駆使してなんとか走っている。

 

「ダークシャドウ落ち着け!なんで暴走しているんだ!?」

「ア゛アアア゛!!暴レサセロ!!」

「駄目だ会話にならない……!」

 

 マスキュラーとの戦いは力や経験の差から絶望的であったが、こちらも同じように絶望的だった。操も緑谷も障子も、彼の弱点である"光"を持っていない。

 操の背後では木々が簡単に薙ぎ倒され、それは時々身体を掠めて倒れていく。

 暴走したダークシャドウはマスキュラーより会話が通じず、敵味方関係なく目に付くものを攻撃しているようだった。彼を止めるには弱点(・・)をつく以外に方法がない。

 そこまで考えて、操はとあるクラスメイトを思い出す。──そうか、だからこっちに向かって走っているのか……!

 

 操はこの先に爆豪と轟がいる事を願って必死に足を動かした。

 そして手に持ったままの障子の複製腕を握りしめると、そこから滴り落ちる血を舐める。

 ──赫血飛動(せっけつひどう)・共鳴!

 障子は先程より走る速度が格段に上がった。不思議なことに握りしめた複製腕と血液を媒介し、障子本体の情報が流れ込んでくる。

 操は自身と障子の血液を回し、エネルギーを増やして身体能力を強化しつつも体力や疲労を回復させていく。

 そうして走り続けた先に大きな氷塊を見つけ、二人は思わず声を上げた。

 

「いた!氷が見える!交戦中だ!」

「!?」

「勝己! 焦、とおわ゛っ!?」

「どちらか頼む……ッ光を!!」

 

 操の真横で大きな音を立てて氷塊が砕け散った。言わずもがな、ダークシャドウによる無差別攻撃である。

 何か「あ゛!」という声が聞こえた気がするが誰か巻き込まれたのだろうか。二人が交戦中であることから、巻き込まれたのはヴィランだろうか。

 

「操ちゃんに障子に緑谷と……常闇!?」

「早く光を!常闇が暴走した!」

 

 ダークシャドウの無差別攻撃は障子の複製腕を狙ったが、障子はそれを上手く躱す。

 同じように狙われた操は咄嗟に氷塊を叩き割って標的を増やしつつ、身を低くして前方に飛んだ。薙ぎ払われた氷塊は木の幹に叩きつけられ粉々になっている。

 ──もしかしたら自分がああなっていたかもしれない。

 そんな状況に肝を冷やしつつ、操は地面を転がって爆豪と轟の後ろに滑り込んだ。

 

「見境なしか……!っし、炎を──」

「待てアホ」

「肉〜〜駄目だあぁぁぁ〜〜肉〜〜にくめんんんんん……駄目だ駄目だ許せない!」

「ヴィラン……!」

「その子たちの断面を見るのは僕だぁあ!!横取りするなぁぁああああ!!」

「──見てぇ」

 

 無差別攻撃に巻き込まれ一度地面に倒れたヴィランは立ち上がると、気味の悪い奇声を発しながらダークシャドウに攻撃を仕掛ける。

 彼は口から伸ばした無数の刃をダークシャドウに容赦なく突き刺した。しかしその攻撃はダークシャドウにダメージを与えられていなかった。

 闇に浮かぶ獰猛な眼光が、鋭くヴィランを捉える。

 

「──強請(ねだ)ルナ三下!!」

 

 ダークシャドウは武器をいとも簡単に手折るとヴィランを掴み、木に叩きつけた。そしてそのままヴィラン握りしめ大小様々な木を薙ぎ倒し、大地を抉りながら見えなくなるほど遠くまで押しやっていく。

 それは瞬く間の、一瞬の出来事であった。

 猛烈に香った血の臭いに、操はヴィランの容態が只事では無いと察してしまう。

 ──この場は既に、深く蠢く"闇"が支配していた。

 その圧倒的且つ暴力的な力と勢いに操は座ったまま呆然としてしまう。しかし轟から「操ちゃんコイツ頼む!」とB組の円場を渡され、はっとして慌てて受け止めた。

 

「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛暴れ足リンゾォア゛ア゛──ひゃん!」

 

 ダークシャドウの咆哮は耳を劈き大地を震わせた。しかし爆豪と轟の個性を受けると、忽ち小さくなり涙を流して常闇の中に消えていく。

 その場に残された常闇は息を切らして膝をついていた。彼はかなり体力を消耗しているようで大量の汗をかき、その表情には疲労が滲み出ている。

 

「てめェと俺の相性が残念だぜ……」

「……? すまん助かった」

「俺らが防戦一方だった相手を一瞬で……」

「常闇大丈夫か、よく言う通りにしてくれた」

強請(ねだ)るな三下、か……(今度使お……)」

「あ、操ちゃん」

 

 操は常闇たちから離れたところで円場を横抱きにしたまま待機していた。そしてダークシャドウが発した言葉の格好良さを胸に刻んでいると、その場には轟が小走りでやってくる。

 轟も爆豪も見る限り目立った怪我はなさそうで安心したが、対してこちらは重傷揃いであった。

 

「急に投げて悪かった、円場は俺が背負うからこっちにくれ」

「別に私でも背負えるぞ? 力持ちだしな」

「そういうんじゃなくて……おまえ怪我酷いぞ。だから俺が背負う」

「……成る程、それもそうだな。じゃあお願いしようかな」

 

 操は一つ頷いて納得すると円場の脇の下に手を入れ、轟の肩の位置まで持ち上げた。それを見てなんとも言えない顔をしている轟の背に彼を預け、前に移動して腕を肩にかけてやる。

 円場はいくら動かしても硬く目を閉ざし、一向に起きる気配がない。脈拍は正常で体温も平熱、それなのに意識がないのは昏迷か昏睡をしているからだろうか。

 

「こいつ、大丈夫かな……?」

「この辺りはさっきまでガスが充満してたから、それを吸っちまったんだと思う」

「ガス?……ならなんとかなるかもな」

「え?」

「解毒ならできるぞ。私の手に掛かればちょちょいのちょいだ」

 

 白血球は病原菌を分解し、病気を防ぐ免疫機能を持っている。だから操が白血球を強化すれば耐毒防御が可能となり、毒に侵された円場も目を覚ますだろう。

 ──まぁ、毒ガスが原因で眠っていればの話だが……。

 とにかく、それを確認するには彼の血液を診なくてはならないので、操たちは一刻も早く施設に戻らなければならない。

 操は轟との話を切り上げて常闇たちの元へ向かう。するとそこではダークシャドウが暴走した原因について話しているところだった。

 

「障子……悪かった……緑谷も……俺の心が未熟だった……」

 

 常闇は先ほどのヴィラン──ムーンフィッシュ──によって障子の複製腕が切られた瞬間、怒りに身を任せてダークシャドウを解き放ってしまったらしい。

 夜という闇の深さ、そして常闇の怒りに"個性"は反応し、それはダークシャドウの狂暴性に拍車をかけてしまった。

 その結果収容出来ないほど増長し、ダークシャドウは暴走してしまったらしい。

 

「赤黒も……その怪我はもしかして……」

「ん? ああ、これはヴィランとの戦闘で負ったやつだ。だから常闇のせいじゃないよ」

「では何故ここに……?」

「私も暴走する出久(バカ)を追いかけてきたんだ」

 

 操は障子の背にいる緑谷を指差すと、彼はバツが悪そうに視線を逸らした。

 しかし緑谷は一度咳払いをすると、辺りを見渡し気持ちを切り替えていく。

 

「と、とにかく……プロの二名がいる施設が最も安全だと思うんだ!」

「成程。これより我々の任は爆豪を送り届けること……か!」

「ただ広場は依然プッシーキャッツが交戦中。道なりに戻るのはヴィランの目につくしタイムロスだと思う」

「なら最短で森の中を進めばいい、シンプルでわかりやすいな!」

「でもヴィランの数わかんねぇぞ。突然出くわす可能性だってある」

「障子くんの索敵能力があるよ!そして轟くんの氷結と赤黒さんの遠近両攻撃。更に常闇くんさえいいなら制御手段(ひかり)を備えた無敵のダークシャドウ……このメンツなら正直オールマイトだって怖くないんじゃないかな……!」

 

 爆豪を置き去りにして飛び交う言葉に、彼はそれぞれの顔を見渡していく。しかし彼らはそんな爆豪の様子を気にかける事なく"爆豪を無事に施設へ送り届ける"ための話を進めていった。

 そして話が纏まるとみんなで頷き合い、爆豪を置き去りにしたまま彼の周りを囲み出す。それは"オールマイトだって怖くない"の布陣が完成した瞬間であった。

 

「なんだこいつら!!」

「おまえ中央歩け」

「俺を守るんじゃねぇクソ共!!」

「行くぞ!!」

 

 前を索敵の障子と防御兼牽制役の轟が。そして中央に爆豪を置き、その後ろを操と常闇で守って歩く。

 あまりにも鮮やかな行動に爆豪は目を見張って声を上げたが、そんな彼には慣れているので全員無視をして辺りを警戒しながら進んでいく。その様子に爆豪は更にキレていた。

 森の中は生い茂る葉のせいで空が見えず視界が悪い。

 しかし障子の索敵能力を、それぞれの咄嗟の判断を信じているからこそ六人はそのまま道なき道を進んで行った。

 

「──こんな時なんだが閃いた」

「アァ!?何をだ!!」

「私の血液を霧状にして辺りに漂わせれば、誰かが来た時に気付くことが出来るじゃないか? 索敵も出来ちゃうステンちゃん、もはや無敵か……?」

「本当に突然だな……」

「凄い量の血を使いそうだ」

「そうなんだ、そこが難点なんだよな。まぁ、今は無理だな……」

「出来ねぇなら口に出すんじゃねェ!」

 

 緑谷が障子の背でソワソワしだしたので操は話を切り上げた。

 緑谷の発作(・・)は為になるが、それを聞くのは今では無い。有り難いことに爆豪が強い言葉を吐き捨てた為、それ以上その会話が続くことはなかった。

 操の左手首には、生々しい傷跡が深く刻まれている。そこについていたはずのバングルは、もうどこにも無い。

 

『包帯の代わりね!これがあったら簡単に傷つけないでしょ?』

『……邪魔なだけじゃん』

『守るためのアイテムだにゃん!』

 

 傷を付けないためのおまじないなのだと、あの日ラグドールはバングルの上から操の傷をそっと撫でた。

 それを外す時は本当に危機が迫った時だけにして欲しいと四人に言われ、操は今までこれをずっと外してこなかった。けれど洸汰を守るためにバングル(あれ)を外して戦ったことを、後悔なんてしていない。

 ただ心の穴が少しだけ広がったような気がしたから、あれは操の心を埋めてくれた大切なものだったのかもしれない。

 ──施設に戻ったら四人に謝って、そしてもう一度「ちょうだい」って、わがままでも言ってみようか。

 きっと四人は呆れて文句を言いながらも、最終的には笑ってまた付けてくれると思うんだ。

 

 そんな事を考えていると、突如吹き荒れた突風。

 それは黒煙を散らし、木々を揺らし、六人の髪をかき混ぜて──そして、操の元へ血の臭いを運んでくる。

 嗅いだ事のある血の臭いを、運んでくる。

 

「──……っ!?」

 

 肺が凍りついたような気がした。

 手がじっとりと汗ばみ、呼吸が浅くなっていく。

 奥歯を強く噛み締めても何も変わらなくて、操はどうしたらいいのかわからなかった。

 

「どうした、赤黒?」

「……え」

「……泣きそうな顔をしているぞ」

「操ちゃん怪我痛ぇのか、」

「赤黒、平気か……?」

 

 隣にいた常闇が操の異常に気が付いて声をかけると、前にいた者たちも全員振り返って彼女の様子を窺った。

 緑谷より酷く無いものの、操が大怪我をしているのは見てわかる。しかし彼女の個性故出血はなく、疲労も体力も回復してしまうから操本人が自身の怪我を甘く見てしまうきらいがあった。

 ──けれど今、そんな事は関係ない。

 

「もしかしてさっきの戦闘で骨でも折ったんじゃ……!」

「ハッ……それなら場所変わってやってもいいぜ? つか変われや」

「……ラグドールの血の臭いがする」

「!?」

「え……!?」

「出血量が多い……だから、ちょっと心配になったんだ……」

 

 操は"もしも"を考えて、慌ててかぶりを振った。震える体をなんとかするために頬を叩き、不安に揺れていた瞳は強さを取り戻す。

 ──今は考えるな、ラグドールを信じろ。私は自分のやるべき事をやって、行動に移すのならそのあとだ。

 操は自身にそう言い聞かせると前を向いた。そして五人にニッと笑顔を向ける。

 

「早く爆豪を施設に届けて、そしたら先生に報告しよう。だから大丈夫だ……心配かけたな」

「……ラグドールはプロヒーローだ。心配しなくても、きっと大丈夫だ」

「……うん。そうだな」

 

 六人は多少の不安を抱えつつ、森の中を再び歩いていく。

 しかし森を抜けて道に差し掛ろうとしたところで操は再び血の臭いを感じ取った。だから「お茶子と梅雨ちゃんの血の臭いがする!」と前方を指し示し、障子と轟は弾かれたようにそこに向かって走り出す。

 それに爆豪も続いて、常闇と操も続く。続こうとした、筈だった。

 

「ごほっ……!」

「……!?」

 

 操は突然血の気が引き、体内から迫り上がってきたものを吐き出した。

 それを受け止めた手のひらは真っ黒に染まり、浅い息を整えようと身体は小刻みに震えている。血中の酸素を増やそうとすると脳は焼き切れるような痛みが走り、個性を使用することが出来ない。

 血生臭さに気付いた常闇と爆豪は足を止める。見開かれる目に、操は思っていた以上にダメージを負っていたのだと今になって気が付いた。

 そして最悪なことに、日中から個性を使いすぎた関係で許容量超過(キャパオーバー)している。

 

「二人とも、先に──」

 

 顔を上げた時、爆豪と常闇の背後に人影を見たような気がした。

 ──そして操の視界は暗転する。

 

 

 

 

 

 気が付いたら先程とは景色が変わっていた。

 眠っていないのに目が覚めたような、不思議な感覚だった。目の前には緑谷がいて、右には常闇と障子がいて、そして左には地面に伏せた轟がいる。

 

 操は辺りを見渡そうとしたが、それは出来なかった。

 まるで首の筋肉が固まってしまったみたいに、後ろから強く首を掴まれていたから。

 そしてそれを理解すると同時に背後から息が吹きかけられた。体温さえ感じられそうな近い声に、操の鼓膜はふるえて揺れる。

 

「──ついでにオマケもゲットだ」

 

 身の毛がよだつ声だった。

 これは不味いと判断した操は咄嗟に身体を捻り、後ろにいる人物に向けて腕を振りかぶる。

 しかし刺すような鋭い痛みを感じて、操の身体からは力が抜けていった。痛みは脳天を駆け抜け、全身に染み渡っていく。

 

 蒼炎が、空高く揺らめいている。

 喉が焼け落ちてしまいそうだった。

 

「ぁ゛っ……!」

「……ッ操ちゃん!」

「赤黒!!」

「赤黒さん!……ッかっちゃん!!」

 

「──来んなデク」

 

 思ったより近い位置にいる爆豪の声を聞きながら、操の視界は再び闇に染まっていく。

 

 最悪な状況に思わずため息を吐きたくなるが、なす術はなかった。

 

 

 

【林間合宿編下:了】

 

 

 





赤甲(せっこう)
 拳(腕)や足に血液を纏って凝固させてから攻撃、または防御する技。

血濡れの女王(ブラッディ・メアリー)
 自身の血液を相手の血管に入れる事で相手の血液を破壊する。破壊は操作ではなく"自動"。
 なぜ破壊されるのかというと、血による拒絶反応である(輸血の際血液型を合わせるのはこれによるもの)。そのため同じ血液型の人には効果がない。
 今回のマスキュラー戦では最初に血液を浴びせる→戦闘中その血液を赤刃(せきじん)に変化させ体内に侵入、という流れで使用。
 途中怪我をしている頭部に向けて赤弾(せきだん)を撃ったのは追加の血液を侵入させたため。

 5〜15分以内に静脈に沿った熱感,血管痛,発熱,悪寒戦慄,胸部痛,呼吸困難,腹痛,血圧低下,嘔吐などの症状が現れる。
 最終的には心停止を引き起こす恐ろしい技だが、操は自身の血液であれば遠隔操作できるため死亡する前に血液を相手の体内から消滅させることが可能。

 本編で技名を出さなかったように、これは「技」ではない。
 ただ作者が名前を付けただけで、操は覚えた医学知識を使ってヴィランを弱体化させただけである。
 かなりアウトな戦い方であるため、今後使う機会はない(と思う)。
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