ステイン妹のヒーローアカデミア   作:苗字ちゃん

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入寮/部屋王編

 

 

 

 森とは違った迫力を感じさせるビル群を見上げて、(みさお)は深く息を吐き出した。空に向かって大きく伸びをすると、関節がぽきりと鳴って筋肉は伸びていく。視界に入った大きな建物は日の当たる場所だけが鈍く光り、輝きを放っていた。

 彼女を下ろしたタクシーは颯爽と走り去り、その姿はもう随分と小さくなっている。操は横目でそれを見送ると足音を響かせ、人気のないビルに入っていく。すると直ぐに目当ての人物を見かけ、手を振りながら小走りで駆け寄った。

 

「おや、来たかい」

「おはよう、リカバリーガール!」

 

 ここは最先端かつ最高峰の治療が受けられるセントラル病院。操が医者として学ぶため休日研修を行なったり、世話になっている場所だ。しかし本日ここに足を運んだのは、研修を受けるためではない。

 操は無人の診察室に案内されるとリカバリーガールの治療を受けた。己の個性を使用して体力を回復させ、まだ残っていた傷を完全に修復していく。

 治療が終わると簡単に診察をしてもらい、心身ともに異常がないことを確認すると雄英高校に向かう──前に、一つ寄り道をする。

 

 操がリカバリーガールと共にエレベーターに乗り込むと扉は閉まり、緩やかな上昇感を感じながら鉄の箱は上へ上へと登っていった。エレベーターは最上階の特別病室フロアで止まると簡素なベルの音を鳴らし、ゆっくりと扉を開いていく。

 操はリカバリーガールが降りるまで「開」のボタンを押しつつ、彼女が降り立ったのを確認すると自身もそこに足を踏み入れた。

 白を基調とした清潔感のある豪華なフロアは、さながら特別室が並んでいるだけある。二人は迷うことなく奥へ進んでいくと、ネームプレートの無いとある一室のドアをノックした。すると内側から「どうぞ」と声が聞こえてきたため、扉を開ける。

 

 扉の先にいたのは、様々な管に繋がれたベストジーニストの姿だった。彼は神野の悪夢にて肺の一部や肋骨、腹部から胸部にかけての肉を失って緊急手術を受けていた。そして無事に一命を取り留めたらしい。

 彼が一命を取り留めたのは医者が尽力したこと、そして操があの場で血管を修復し、体力を回復させたからだそうだ。

 彼は操を見送った後、脂汗が染み続けるような苦痛を味わいながらも失血死する事なく意識を保ち続けた。文字通り引き裂かれるような痛みを感じ、骨の髄から脳天に抜けるような身体の叫びをじっと耐え続けた。そうしてあの悪夢から生還したのである。

 

「準備はいいかい、ステンレス」

「ああ、いつでもどうぞ」

 

 操はリカバリーガールから採血管を受け取ると、そこに入っていた血液を口に含んだ。そしてベストジーニストの身体に触れて体内の血液を感じとると──それを己の意思で操作する。

 赤血球の量を増やし酸素と栄養素の供給量を上げ、エネルギーを回し続ける。すると体温は上昇し、傷の再生を通常より早めていく。しかし操の個性で肺の欠損や肉の再生など、人智を超えた回復を施すことは不可能だ。

 けれど今回は欠損の修復ではなく、体力を回復させるために病院(ここ)にいる。

 

「さて、じゃあ治療を始めるよ」

 

 リカバリーガールの個性は【癒し】。対象者の治癒力を活性化させ、重症であろうとあっという間に傷を癒す事ができる個性だ。

 しかしそれには傷に応じた対象者自身の体力が必要となる。それ故、あまりに大きな傷は対象者の体力を奪い、逆に死なせてしまうデメリットもある。

 けれどそこで光るのが操の個性【操血】による体力回復だった。

 

 操が病院(ここ)に来たのは、ベストジーニストの治療をするためである。オールマイトが引退した日本で平和を牽引するのは、次の世代のヒーローに他ならない。それはエンデヴァー、ホークス、そしてここにいるベストジーニストが筆頭となるだろう。

 復帰の意思を持つ彼に操は"医療ヒーロー"として依頼されたのだ。免許を持っていないため通常ではあり得ない行動だが、操が行うのは"リカバリーガールの補佐としてベストジーニストの体力を回復させる"ことだった。

 ベストジーニストは「彼女が正しく個性を使えるか、その個性が治療に有用であるのか証明するために自らの身体を差し出そう」という言い訳を公安に告げ、無理難題を勝ち取った。

 しかし彼は既に操のことを信頼している。ただこの行動で操が世間的に信頼されるようになるのなら、いくらでも己の身を差し出してやろうと思ったのだ。

 

「気分はどうだい?」

「……先ほどより、大分楽になりました」

「そうかい、それはよかった」

 

 ベストジーニストの傷は完全に治っていないが、本日の治療はここまでだった。

 リカバリーガールの個性は強力故、対象箇所の回復上限を超えると対象部位が使用不可能になるらしい。そうなってしまうと困るので、大きな傷は数日に分けて治療を施すようにしているのだ。今回は操がいる事でベストジーニストの体力を消耗させることなく治療をする事が出来た。それだけで、通常より回復に向かっているだろう。

 彼は皮膚、脂肪、筋肉、神経と多岐に亘る部位を自身の身体から欠損部分に移植し、絶対安静の身だ。それ故まだ上体を起こせないが、ベッドに寝かされたまま手のひらを開閉し動きを確かめている。点滴によって鎮痛薬を投与されているため、今はあまり痛みを感じていないのかもしれない。

 ベストジーニストはリカバリーガールを真っ直ぐ見つめると「この体勢で申し訳ない」と前置きをしてから治療の礼を告げた。そして次は操に視線を移すと、ゆっくり口を開く。

 

「改めて……君にも礼を言わせてくれ、ステンレス。私の名前はベストジーニスト。あの日君に命を救われた者だ」

 

 ベストジーニストは操の赤い瞳をしっかり見つめ、そう告げた。瞬く彼女の瞳は蛍光灯の明かりに照らされているからか、赤に金を混ぜたような鮮烈な色彩を放っていて思わず目を奪われてしまう。

 Stainless(ステンレス)

 汚れのない、染みのつかない、清浄な、潔白な、そしてステインへの否定──己の名にその願いを込めた彼女は、残酷な過去を乗り越え様々な世界を見てきたのだろう。そして神野のあの場で、己がどう在るべきか貫き通し消えそうな灯火を必死に守っていた。

 あの時己の身体を駆け巡った熱い血潮は、彼女の想いそのものだった。

 後から聞いた話だが、あの晩彼女は心身共に重傷だったそうだ。近くでオールマイトとオールフォーワンが戦い、いつ巻き込まれてもおかしくなかった。そんな中繊細な治療を行い、他者を救おうとした精神力は学生ながら凄まじい。

 だからベストジーニストは操に直接礼を言いたかったのだ。

 

「守るべき筈の君にまた助けられてしまったな……ありがとう、感謝している」

「んふっ……ふへへ……んへへ……」

「!?」

「こら、だらしない顔するんじゃないよ!」

 

 礼を告げた瞬間操の顔がデレっと緩んだので、ベストジーニストは思わず目を見張った。どうやら礼を言われたのがもの凄く嬉しかったらしい。

 リカバリーガールに注意された操は、なんとかデレデレでゆるゆるな頬を抑えようとした。その頬は手で無理やり引き上げると元に戻っていく。

 そして操は一度咳払いをすると気を取り直してベストジーニストに視線を移した。にやついた顔を精一杯引き締め、ニッと笑ってみせる。

 

「こちらこそ、あの日は救けてくれてありがとう」

「私はヒーローとして当然の事をしたまでさ」

「フフ、なら私も!ヒーロー見習いとして当然の事をしたまでだ」

 

 ゆっくりと差し出された手に、己のそれを重ねた。大きな手はあの晩に比べて随分と温かく、力強い。その温度に操は神野の夜を思い出す。

 ベストジーニストは粉塵と砂埃に塗れて倒れていた。その胸部は深く抉られ、月明かりに照らされた肉がぬらりと光り、断裂された筋肉は小刻みに痙攣していた。欠損した様々な部位から血が噴き出し、彼の命を徐々に枯らしていた。

 辺りを見渡しても誰もいなかった。倒壊した建物が瓦礫となった惨状に恐怖を覚えた。どこからか漂う濃い血の臭いに目眩がした。それでも目の前で流れる赤がまだ体温に近い温度を保っていたから「私がやらなきゃ」って思ったんだ。

 操の行動が、彼の救いになったのなら良かった。目の前の彼が息をし、生きているだけでこの上なく嬉しいことだった。

 ──だからベストジーニストも、同じように思ってくれたら嬉しい。操は手を離してから、にっこり笑った。

 

「君に何かしてあげられたらいいのだが──……」

 

 まだ学生である操を呼び出したことに責任を感じているのか、ベストジーニストはそう小さく告げて考え込む。けれどリカバリーガールは彼の言葉にかぶりを振った。何故なら、医療ヒーローとして当然のことをしたからである。たとえ学生であろうと、ヒーローを志す者として救いに対価を求めてはいけない。

 しかし操は急に「ソワッ!ワクワク!」という雰囲気を醸し出しながらベストジーニストに詰め寄った。ぐっと近付いた顔は期待に満ち溢れ、瞳はこれ程になく輝いている。

 リカバリーガールは彼女を止めるのに後一歩及ばなかった。そしてベストジーニストは思った以上に子どもっぽい──年相応な操の姿に再び目を丸くした。

 

「じゃあ私のお願いを聞いてくれないか?」

「……お願い?」

「お前にしかできないことなんだ!」

「こら、およし!みっともない事するんじゃないよ!」

「別に構いませんよ。言ってみるといい、ステンレス。私に出来ることなら尽力しよう」

 

 リカバリーガールに睨まれながらも、操は意を決して「願い」を告げた。するとベストジーニストは──何度目になるかわからないが──驚いたように目を丸くし、次第にそれを柔らかく細めて笑う。

 その光景に、リカバリーガールは呆れたようにため息を吐くしかなかった。

 

 

 

 セントラル病院前。あれから少し時間が経過したが、操は人目も憚らず全力疾走していた。まだ病院が開院していないのが幸いしてか、人通りは少ない。

 操は走りながら鳴り続ける電話に出ると「今向かっている!」と叫び、一方的に電話を切った。ながらスマホは危ないから禁止されているのだ。そうして走り続けた先に車に寄りかかるプレゼントマイクの姿を発見し、操は大きく手を振った。

 

「プレ先ー!悪い、待たせた!」

「お、赤黒!お前遅──ブフォッ!」

「笑ってる場合じゃ無いぞ!法定速度ギリギリまで飛ばしてくれ、学校に間に合わなくなる!」

 

 操はプレゼントマイクの横を通り抜けると車の助手席に勢いよく乗り込んだ。しかしプレゼントマイクは車の外から操を眺め、腹を抱えて笑っている。どれほど笑っているかというと、奇抜なサングラスをわざわざ外して涙を拭うほど大爆笑していた。

 操は一つ息を吐くと車を降り、笑い過ぎてその場に踞るマイクを無理やり立たせ、運転席まで背中を押していく。

 

「ブハッ、ちょっ……待っ……!リカバリーガールの婆さん……は、ぶひゃひゃ!」

「リカバリーガールは他の患者に対応するらしく別行動だ。Hurry Up!プレ先、車出して!」

 

 そして再び助手席に乗り込むと、笑って何もできないマイクの腕をべしべしと叩く。すると彼は何度か深呼吸をして心を落ち着かせてからエンジンをかけ、パーキングブレーキを解除しゆっくりとアクセルペダルを踏んでいった。

 車は滑らかなアスファルトの上を転がり、それと同時に窓から見える景色も流れていく。車内は冷房が効いていて全身の汗がすっと冷えていくのを感じたが、血液を回して常に温かい身体には心地よかった。

 プレゼントマイクはバックミラーを確認する度に操の姿を視界に入れて吹き出していた。それに慣れた操は彼を気にせず、刻一刻と進む時間を眺めて一人焦っている。何を隠そう、本日から雄英高校は全寮制になるのだ。

 夏の日差しはまだ強く、じりじりと大地を焼いている。そんな八月中旬の今日から始まるのは、雄英での新生活だ。

 

 

 

 

 雄英高校敷地内、校舎から徒歩五分の学生寮ハイツアライアンス。

 雄英高校一年A組は夏休みにも拘らず制服を身に纏い、この建物の前に集合していた。そして夏休み前には無かった築三日の寮を見上げ、新生活を心待ちにしている──様に見せかけ、内心は一抹の不安を抱えていた。

 

「操ちゃん遅いね」

「アイツ大丈夫なん?どうなの爆豪?」

「……俺が知るかよ」

 

 言わずもがな、赤黒操の姿が見えないからである。

 合宿襲撃、そして神野の悪夢からまだ少ししか時間は経っていない。自分たちがヴィランに襲われ、クラスメイト二人とプロヒーローが攫われ、最終的に神野区が半壊してしまった事件は今もなお心の傷としてそれぞれの胸に刻まれている。

 《雄英高校がなんとかしていたらこんなことにはならなかった》《あいつらが攫われなければ──》。ネット上ではそんな心無い言葉が飛び交い、さらに彼らを傷付けていた。

 報道で操の怪我は重症と言われていただけに、クラスメイトたちは中傷に耐えながらも不安な毎日を過ごしていた。あの場に赴いた六人は特に。

 

「……」

 

 芦戸や切島は何度も校門へ視線を走らせ、その姿が見えないとわかると落胆の色を見せた。飯田や緑谷は時々上の空で会話が成り立たないし、八百万は眉を下げて口を噤んでいる。そして轟はいつも以上に寡黙になっていた。

 クラスメイトたちはいつも騒がしい芦戸や切島が静かなこと、そして直ぐに仕切り出す飯田が何も言わないことに違和感を抱いていた。しかし例の事件があったから特に触れずに見守っていたのだ。【普通を装えないほど、辛い事件だった】と全員が思っていたから。

 そんな中一台の車が猛スピード──法定速度は守っている──で寮の前に止まる。そして勢いよく助手席のドアが開いたと思うと、そこから飛び出してきたのは全員が考えていた人物、赤黒操であった。

 

「お前たち!おはよう!」

「赤ぐ──ブフォッ!!」

「操ちゃん社長出勤──ブハッ!!」

 

 そしてクラスメイトたちは操の姿を見て思いっきり吹き出した。何人かは腹を抱え、地面に崩れ落ちている。勿論吹き出していない者もいるが、彼らは操を見て驚いたように目を丸くしていた。

 操は腹を抱えて笑うクラスメイトたちの前でニヤニヤしながらその光景を楽しんでいる。大方「上手くいった」とでも思っているのだろう。

 

「どうしたその髪!?」

「フ、似合うだろう?ベストジーニストにやってもらったんだ!」

 

 クラスメイトの疑問に、操は声高らかに答える。そう、何を隠そう──操の前髪はいつかの爆豪と同じようにぴっちりとしていたのである。

 深手を負った操がベストジーニストと同じ前髪で登場するとは、クラスメイトたちは一ミリも考えていなかった。ぴっちり前髪の操も面白いが、そこから以前の爆豪を思い出してクラスメイトたちはさらに笑う。新築寮の前ではそんな賑やかな空間が一瞬にして出来上がっていた。

 その様子に操は誇らしげで、自信満々な表情をしていた。つまりドヤ顔だった。物凄くドヤドヤしていた。

 

「ドヤ顔がドヤドヤしてるぞ赤黒くん!」

「フ……私の名前はドヤ黒操、気軽にドヤおちゃんと呼べ!」

「それでいいのかドヤ黒ォ!?」

「いや言ってんじゃん……」

「あー、これだわ。この騒がしさがA組って感じするわ……」

 

 声の大きな飯田、騒がしい切島や上鳴が通常運転となってクラスメイトたちはひとまず安堵する。そして「ベスジニ無事なんだ!」と声を弾ませる者や「いや怪我人に何やらせてんだよ……」と呆れる者もいた。しかしみな等しく表情は明るかった。

 攫われる前から操の怪我を見ていた者、そして救出後にぐったりとした彼女を見た者もその様子に頬を緩ませる。そしてあの晩意識不明となっていた葉隠は操に飛び付き、首元の包帯をじっと見つめた。

 

「操ちゃん怪我治ってないの!?」

「ああ……火傷はもう少しかな。数年は痕も残るみたいだが、そのうち消えるらしい」

「アバウト!でもよかったよ〜!」

 

 操は抱きつく葉隠を受け止めながら轟に視線を移し「暫くお揃いだな!」とサムズアップをした。しかし「ここまでときめかねえお揃い存在しねえよ……」と瀬呂がぼやき、上鳴がそれに深く頷いている。轟は何がお揃いなのかよくわかっていなかったので不思議そうな顔をしていた。

 少し遠くでは麗日が未だに操の前髪を見て笑っている。それに巻き込まれ、耳郎も口元を抑えていた。どうやらツボったらしい。

 

「見てみろ!それ以外の傷は治ったぞ、リカバリーガール様様だな!」

 

 操は葉隠から少し離れると、両手を広げて自身の身体をクラスメイトたちに見せびらかした。そしてその場でくるっと回れば、スカートがふわっと浮いた瞬間峰田が地面に這いつくばる。しかし即座に反応した蛙吹が舌で跳ね飛ばし、飛んできた峰田を障子が受け止めた。見事な連携プレーだった。

 そんな元気そうな操の様子に、あの晩神野へ赴いた六人は目を見合わせホッと胸を撫で下ろした。

 

「透も意識不明と聞いていたが……元気そうで何よりだ!」

「気付いたら色々終わってて……でもみんな無事でよかった!」

「な!」

 

 葉隠は喜びのあまり操の手をとり、その場でぴょんぴょんと飛び跳ねる。クラスメイトたちに会えてテンションが爆発している操も彼女に合わせてノリノリで飛び跳ねた。

 そんな中プレゼントマイクは「じゃあな!」と立ち去るので、操は葉隠と飛び跳ねながら彼に礼を告げた。セントラル病院に寄り道をする操のため、マイクはわざわざ迎えにきてくれたのだから。

 そうやって事件後の時間を比較的に楽しく過ごしていると、集合時間ぴったりに担任である相澤がやって来た。A組は相澤に"教育されている"ため、会話をやめて彼の方に向き直る。

 相澤は操の前髪を見て数秒停止したが、何も触れずに彼女から視線を外した。そして全員揃っていることを確認すると、静かに口を開く。

 

「とりあえず1年A組、無事にまた集まれて何よりだ」

「みんな許可降りたんだな」

「私は苦戦したよ……」

「フツーそうだよね……」

「二人はガスで直接被害に遭ったもんね」

「無事に集まれたのは先生もよ。会見を見た時はいなくなってしまうのかと思って悲しかったの」

「……俺もびっくりさ。まァ……色々あんだろうよ」

 

 肩を落とす葉隠に、耳郎は複雑そうな表情を浮かべつつ頬をかく。その様子を見る限り、どうやら彼女は苦戦しなかったらしい。

 そんな中、蛙吹は眉を下げて相澤の心配をしていた。その横で麗日もまた、彼女の意見に頷き眉を下げている。

 操はちゃんと会見を見ていないが、相澤が解雇される可能性はオールマイトから聞いているので知っている。──もし先生が解雇されたら、次は校長を脅そう。そう思いながら蛙吹の意見に頷いた。

 

「さて……これから寮について軽く説明するがその前に一つ。当面は合宿で取る予定だった"仮免"取得に向けて動いていく」

「そういやあったなそんな話!!」

「色々起きすぎて頭から抜けていたわ……」

「──大事な話だ、いいか」

 

 クラスメイトたちの言葉を相澤が遮った途端、場の空気が変わった。その空気を察したA組は口を閉じて彼に注目する。

 そんな中で相澤の視線はとある人物たちに向けられていった。「轟、切島、芦戸、緑谷、八百万、飯田」と一人ずつ名前を呼ばれれば、彼らは驚きを表情に出していく。

 相澤の視線は細められ、かなり鋭い。

 

「この六人はあの晩あの場所へ、赤黒と爆豪救出に赴いた」

 

 その途端、クラスメイトたちに激震が走った。六人を見つめて呆然とする者、愕然とする者、眉を顰める者、困惑を隠しきれない者など、反応は多種多様。

 しかし誰もが言葉に詰まり、何も言うことが出来なかった。けれどその表情には「信じられない」という気持ちを隠しきれていない。それを見抜いた相澤は、再び目を細めた。

 

「……その様子だと行く素振りはみんなも把握していたワケだ」

 

 相澤の声が静かに鼓膜を揺らす中、操はクラスメイトたちの反応に困惑を隠しきれなかった。隣にいる葉隠も、表情はわからないが息を呑んでいるのが空気でわかる。

 ──戦場に向かおうとする友達を、誰も止めようとしなかったのか……?

 操は全身を駆け巡る動揺をどうにかして抑えようと小さく息を吐く。そして手をグッと握りしめて考えるのは、相澤の性格(こと)だった。

 

「色々棚上げした上で言わせて貰うよ。オールマイトの引退がなけりゃ俺は、赤黒・爆豪・耳郎・葉隠以外全員除籍処分にしてる」

 

 ──やっぱり、そうだよな……!操は奥歯を噛み締めて、その言葉を無理やり咀嚼した。

 けれど相澤の言葉に納得してしまうのは、「知っていたのに止めなかった」のであれば除籍は妥当だと思ったから。そして「妥当だと思っているのに嫌だ」と思っているのは、やっぱりA組が好きだからだ。

 そう考えている間にも、相澤の言葉は続いていく。彼曰く、除籍にしなかったのは"オールマイトの引退によって世間は暫く混乱が続くと予測されているから。そしてヴィラン連合の出方が読めない以上、今雄英から人を追い出すわけには行かないから"という事だった。

 それは除籍にしなかったというより、"したかったけど出来なかった"ということだろう。そうなのだと誰もが感じていた。

 

「行った六人は勿論、把握しながら止められなかった十人も理由はどうあれ俺たちの信頼を裏切った事には変わりない。正規の手続きを踏み正規の活躍をして、信頼を取り戻してくれるとありがたい」

 

 相澤はそう告げると「以上!さ、中に入るぞ元気に行こう」と一人寮で向かって歩き出してしまった。しかし相澤はすぐに切り替えられても、クラスメイトたちはそうもいかなかった。

 耳郎と葉隠を含むクラスの十二人は、六人があの場に赴いたことに酷く驚いている。ショックを隠しきれていなかったし、消化もできていなかった。自分たちが六人の行動力を軽視していたことや、思った以上に事態が深刻だったこと、教員からの信頼を失っていたことに言葉が出ないのだろう。

 

 操はそんな様子を横目で眺めると、一秒ほど目を伏せた。

 当時の彼らがどんな思いを抱いていたのか、その場にいなかった操にはわからない。操がそっち側ならどうしたのか、わからないので何も言えない。止めたのか、止めなかったのか、共に神野へ行ったのか。

 ただ一つだけわかるのは、失言でラグドールを殺しかけた操と同じように、耳郎と葉隠と爆豪以外の全員が【間違えた】こと。取り返しのつかない未来にならなかったのは、運が良かっただけだった。

 

「ふぅん……除籍にならなくてよかったなお前たち!危うく四人クラスになるところだったぞ!」

 

 操は一度拳を握り直すと、それを解いて俯く彼らの二歩前に進みくるりと振り返る。そして彼らの視線が自分に集まったことを確認すると腕を組んで踏ん反り返った。

 その表情は不敵な笑みを浮かべている。そんな操の様子に何人かは苛立ちを隠せず表情に出し、苦しげに言葉を漏らす。

 

「おい馬鹿……空気読めよ……」

「ここまで空気読めねぇのは流石にヤバいって……」

「ハ、何故私が空気を読まなければならない? 六人は死んでもおかしくなかったんだぞ……お前たち、ちゃんとわかっているのか?」

「……!」

 

 しかし笑顔だった操は一瞬にして表情を引き締め、真剣な面持ちでクラスメイト見ている。もはや睨んでいるという表現の方が近いだろう。

 その鋭い視線と言葉に、クラスメイトたちは思わず言葉を詰まらせた。「だって本当に行くとは思わなかった」。そう思いつつも六人が死んでいた可能性を考えると、何も言えなかった。

 操はクラスメイトをぐるりと眺めると、あの日神野の地に訪れた六人を刃物のような鋭さで射抜いていく。

 

「いいか、規則を破ったことを一生忘れるな。お前たち六人のせいでここに居るみんなの夢が潰える可能性があったと、深く胸に刻め」

 

 六人は口を引き結んだまま何も言わなかった。何人かはクラスメイトを見渡して、みんなの夢を奪う可能性を考えては思わず目を伏せた。飯田は操の視線をまっすぐ受け止め、込み上げる自己嫌悪に苛まれていた。

 しかし操は彼らに返事を求めていない。だから続いて他の十人に視線を向けると、続け様に再び口を開いていく。

 

「お前たちも……止められなかった事で誰かが死ぬ未来があったとちゃんと想像しろ。全員が五体満足でいることは当たり前じゃ無いと理解しろ。そして、除籍にならなかったことを有り難く思え。二度目は無いと心に刻め!」

 

 あまりに鋭い指摘に、何人かは泣きそうになっていた。あまりの剣幕に、怯みそうになっていた。操はそれほど本気で怒っていた。

 クラスメイトたちは操が怒っているのを初めて見たので酷く驚いていた。けれどそれ以上に、この数日間の行動が【間違っていた】のだと痛いくらい身に染みて、苦しかった。とても痛かった。

 

 しんと静まり返る中、葉隠と耳郎が困惑したように辺りを見渡している。

 操は彼らに投げかけた言葉を、心の中で同じように反芻した。大切なものを二度と手放してなるものかと、己の身体に刻みつけていく。──クラスメイトたちの傷ついた顔を焼き付けろ。この顔をさせたのは私だと忘れるな、そして二度とこんな顔はさせないと己に誓え。

 傷となったそれを見たらいつでも思い返せるように。「みんな助かってよかったね!」と笑って終わらせないように、深く深く刻み込む。

 

「私も、もう絶対に攫われたりしない。お前たちと一緒に雄英を卒業したいから」

 

 ここにいる全員と出会えたこと、そして共に学んで育つことが操にとって何よりも価値のあるものだった。

 それが奪われるくらいなら、「上から目線で偉そうなやつ」と思われたって構わない。クラスのみんなに嫌われたくはないけれど、何かをする度にこの言葉を思い出してくれるなら、きっとそれも耐えられる。

 だからちゃんと考えて、後悔して、反省してほしい。一度しかない人生、一つしかない命を大切にしてほしい。

 私はA組のみんな(お前たち)が、大好きだから。

 

「……」

「……」

「……」

「…………んん、でも実は誘拐されるの二度目なんだよな。二度あることは三度あるって、嫌な言葉だと思わないか?」

「……」

「……」

 

 言いたいことは全て言った。しかし誰とも視線が合わないばかりかあまりに重たい空気に、操は思わずブラックジョークを捩じ込んでみる。しかし全くウケなかった。スベるどころかそのまま転んで爆発四散した。

 木っ端微塵になった操は困ったように眉を下げる耳郎と視線が合う。するとここぞとばかりにふっと笑い、ベストジーニストの真似をして人差し指と親指で前髪を撫で付けてみた。ポーズや腕の角度はサイドキックやベストジーニスト本人に見てもらったので、バッチリである。

 

 比較的傷の浅い耳郎は直ぐに吹き出したが、他のクラスメイトたちは復活できずにいた。──言い過ぎたか。そう思ったものの、操は自身の発言を後悔していない。

 ただ彼らが立ち直るのに自分の存在は邪魔だと思ったから、その場を離れて相澤の元に向かおうと思った、その時だった。操は爆豪と目が合い、思わず足を止めて目を瞬かせる。彼は物凄く口を尖らせ、見たことのない表情をしていたのだ。

 しかし爆豪はすぐにいつもの表情に戻ると、側にいた上鳴の首根っこを掴んで茂みの中へ連行した。「え?何やだ」の言葉を最後に、その場の空気は雷鳴に切り裂かれていく。うねる電光が、視界を真っ白に上塗りしていく。

 そうして次に現れたのは作画の崩れた上鳴電気だった。彼は「ウェ〜〜〜〜い……」と力無く言葉を発しながら、鼻水も拭かずにサムズアップをしている。

 

「バフォッ」

「何……爆豪何を……ブハッ」

 

 それを視界に入れたクラスメイトたちは耳郎を筆頭に次々と吹き出していく。そしてくすくすと笑い声が聞こえたかと思うと、それは次第に大きなものへ変わっていく。嫌に張り詰めた空気が、緩んだ瞬間だった。

 それに味を占めたのか、上鳴はウェイウェイモードでバク転をしたりステップを踏んでいる。やる気がなさそうな作画のくせして運動神経はかなり良いので、チグハグな組み合わせにクラスメイトたちはさらに笑ってしまうのだ。耳郎なんか笑い死にそうになっていた。

 そんな背後で爆豪は切島に近付き、ポケットから万札を取り出した。お金を渡しているのは爆豪なのに、カツアゲをしているように見えるのはその態度のせいだろうか。

 とにかく爆豪は切島が購入した暗視鏡の金を渡しているようだった。「いつまでもシミったれられっとこっちも気分悪ィんだ」の言葉を添えて。

 切島はその言葉を受け、クラスメイトたちを見回す。そして明るく振る舞おうと頑張っている彼らの姿を視界に入れて、受け取ったお金を高く掲げた。

 

「みんな……すまねえ……!詫びにもなんねえけど……今夜はこの金で焼肉だ!!」

「ウェーイ!」

「マジか!」

「買い物とか行けるかな?」

 

 その言葉に生徒たちは湧き立った。けれどそれは一部だけで、蛙吹は俯いたままだった。真っ先に喜んで飛び跳ねそうな葉隠は全く喜んでいなかった。

 盛り上がっている生徒たちも、いつもより笑顔がぎこちなかった。彼らは"普通"でいようと必死だったのかもしれない。

 操はそんなクラスメイトの様子をじっと眺めたあと、寮の前で待っている相澤の方に向かって歩き出したのだった。

 

 

 

 

「一棟一クラス、右が女子左が男子で分かれている。ただし一階は共同スペースだ」

 

 A組がハイツアライアンスに足を踏み入れると、真っ先に飛び込んできたのは大きなソファがある広々とした空間だった。そこには大型のテレビも置いてあり、みんなでくつろげるスペースとなっている。おそらくここが共有スペースなのだろう。

 食事はランチラッシュの手料理が寮に運ばれてくるらしいが、キッチンや冷蔵庫があることから自分たちで料理をすることも可能なのだろう。

 壁の一部はガラス張りとなっており、そこから見えるのは中庭だった。豊かな緑と空から差し込む日差しが、室内を明るく照らしている。

 

「食堂や風呂・洗濯などはここでやれ」

「広キレー!!そふぁぁぁ!!」

「おおおお!そふぁぁぁ!!」

「豪邸やないかい!」

「麗日くん!?気を確かに!!」

 

 おかしなテンションになっている一部は、寮の中でも騒ぎっぱなしだった。けれど予想以上の快適さに全員が驚いていたのだ。寮と聞いていたからもっと質素なものだと思っていたけれど、流石最高峰(雄英)といったところだろうか。

 これは急な全寮制に生徒たちがなるべくストレスを溜めないよう、教員陣が最大限に配慮した結果である。

 

「聞き間違いかな……?風呂・洗濯が共同スペース?夢か……?」

「男女別だ。おまえいい加減にしとけよ?」

「はい」

「相澤先生!冷蔵庫に名前の書いてないプリンやヨーグルトがあったら食べちゃダメかな!?」

「自分で買ったもん以外食うな」

「はい」

 

 クラスメイトたちは操の発言に、共同冷蔵庫に入れる物は絶対に名前を書こうと決意した。

 その後風呂場や洗濯スペースを確認してから、相澤は生徒たちを個室へ案内していく。個室は二階から五階にあり、部屋割りは雄英側で既に決められているようだった。

 部屋はなんと一人一部屋。エアコンとトイレ、冷蔵庫にクローゼット付きの贅沢空間。おまけにベランダもついていて、生徒たちのプライベートを存分に守っていく。

 しかし八百万は部屋を見ながら「我が家のクローゼットと同じくらいの広さですわね……」とぼやいていた。麗日はまた「豪邸やないかい」と倒れ、飯田に支えられている。

 

「とりあえず今日は部屋作ってろ。明日また今後の動きを説明する。以上、解散!」

 

 相澤のその言葉に、クラスメイトたちは振り分けられた個室でそれぞれ作業をする事となった。

 女子は人数の関係か二階は空室で、操は耳郎・葉隠と共に三階へ向かう。三つ並んだ部屋に葉隠が飛び跳ねて喜び、そして大きく手を振って自身の部屋に入っていく。耳郎はそんなテンションの高い葉隠に首を傾げつつ、自身に宛てがわれた部屋に入っていった。

 二人と別れてから操が端っこの部屋に入ると、そこには予め荷物が運んであったのか段ボールか高く積み上げられている。大きな段ボールを開けると木の板が複数収納されていて、小さな段ボールを開けると大量の本が出てきた。

 

「……さて、ちゃっちゃと片付けるか」

 

 操は本の下から体育着を引っ張り出すと、それに着替えて腕をまくる。そして何処からか電動ドライバーを取り出し、黙々と木の板を組み立てていくのだった。

 

 

 

 

 本のページを捲れば、知らない情報が頭の中に飛び込んでくる。操はそれを一つ一つ脳に刻み込むと、また次のページに飛び込んでいく。それをひたすら繰り返していた。

 それと並行して、目の前のパソコンからは英語で喋る教員の動画が絶え間なく流されている。操は彼らの質問に英語で答えると、時々要点をルーズリーフに書き込んでいった。──つまり、勉強をしていた。

 しかし操は外から聞こえてきたドアのノック音に顔を上げ、握っていたボールペンを机の上に置いた。動画を一時停止にし、脱ぎ捨てられていたスリッパに足を引っ掛ける。

 そして扉を開けると、そこには笑顔の芦戸がいた。その背後には蛙吹以外の女子がいる。

 

「揃ってどうした」

「操ちゃん部屋できた?」

「ああ」

「じゃあさ、男子の部屋見にいこう〜!」

「……」

「あっ、今"興味ね〜"って顔したな!?」

「こんな機会滅多にないんだから見にいこうよ〜!クラス屈指のイケメン轟くんの部屋とか……気にならない!?」

「いや……特には……」

 

 操は轟の部屋を頭の中で思い浮かべてみたが、心底どうでもよかった。なので身を翻して部屋に戻ろうとしたが、「頭のいい人の部屋を見たら、頭良くなるかもよ!」と言う芦戸の言葉にまんまと乗せられ、意気揚々と部屋を出る。それを見た葉隠が「ワァ、チョロい!」と呟いていた。

 体育着を身に纏った操の前髪がまだベストジーニスト仕様だったので、耳郎と麗日は吹き出しながらスマホ──麗日はガラケーだった──を構えた。操はニッと笑いながらカメラ目線でポーズを決めてやる。

 撮影会を終えてから共同スペースに降りていくと、片付けを終えた男子数名がソファで寛いでいた。芦戸は足早に彼らの元へ向かうと、笑顔で声をかける。

 

「男子、部屋できたー?」

「うん、いまくつろ──……ブハッ!」

「赤黒まだベスジニなの!?」

「ああ。今日限定だからしかと目に焼き付けておけ!」

「忘れたくても忘れらんねェよ!」

 

 その場にいた上鳴、切島、砂藤に瀬呂を笑わせた操は喜びのあまりドヤドヤしていた。峰田はタンクトップ姿の麗日をじっくり眺めていて、常闇に無言で呆れられている。

 芦戸は共同スペースを眺め、男子が全員いないことに気付いた。けれどいつもクラス全体を盛り上げている数名がこの場にいることから、「この企画通るぞ!」と自信満々に口を開いていく。

 

「あのね!今話しててね!提案なんだけど……お部屋披露大会しませんか!?」

 

 その言葉に峰田、常闇、緑谷の表情が固まった。特に緑谷は額から大量の汗を流し、視線を宙に泳がせている。

 その様子にニヤッと笑った芦戸と葉隠は「まず二階から行ってみよー!」と駆け出し、緑谷は二人の背後を慌てて追いかけていく。

 そんな三人の様子を見た切島と上鳴、そして瀬呂は他のクラスメイトを呼びに行き、部屋お披露目大会は幕を開けたのであった。

 

「わああダメダメちょっと待っ──!!」

「オールマイトだらけだ!オタク部屋だ!!」

「憧れなんで……恥ずかしい……」

 

 緑谷の静止も虚しく、彼の部屋は女子によって盛大に開け放たれる。その部屋は一言で表すと「オールマイト」。それに尽きる部屋だった。

 オールマイトカラーのカーテンと掛け布団、オールマイトの名が刺繍された絨毯。壁にはさまざまなオールマイトのポスターが貼られ、棚や机の上には数多くのフィギュアやグッズが並べられている。勿論、全てオールマイトだ。

 操はその部屋を見て「まるでオールマイトに監視されている部屋だな」とぼやいた。何処を見ても彼と目が合うのである。

 グッズもリアルなものからデフォルメされた物まであり、彼の人気の凄さを思い知らされた。

 

「やべぇなんか始まりやがった……!」

「でもちょっと楽しいぞコレ!」

「じゃ、次行ってみよー!」

 

 最初の生贄となった緑谷に同情しつつも、上鳴や瀬呂は楽しそうに口角を上げていた。

 そして芦戸が次の部屋を目指して廊下に出ると、そこには部屋の前で手招きをする青山の姿がある。どうやら自信満々らしい。

 先程と同様躊躇なく扉を開けば、視界いっぱいに飛び込んできたのは目を細めてしまいそうな輝きだった。

 

「まぶしい!!!!」

 

 彼の部屋は電灯がミラーボールとなっており、それ以外にも様々なスポットライトが部屋全体を明るく照らしていた。

 カーテンや掛け布団、枕カバー……とにかく布製品にはラメやスパンコールが散りばめられ、磨かれた銀の甲冑や金の額縁に反射して空気そのものが煌めいている。鏡がたくさん置いてあったり、机の上には卓上シャンデリアが置いてあったり……とにかく青山の部屋はギラついていた。

 

「ノンノン眩しいじゃなくて……ま・ば・ゆ・い!」

「思っていた通りだ」

「想定の範疇を出ない」

「……想像以上に性格(個性)が出るな」

 

 芦戸や葉隠は青山の部屋を「想定の範囲内」だとすぐに撤退したが、操は興味深そうに眺めていた。

 正直、部屋なんて何処も一緒だと思っていた。生活に必要なものが置いてあるだけで、ここまでインテリアに差がつくと思っていなかったのだ。

 操は青山にサムズアップをすると部屋を出て、ワクワクしながら次の部屋へ向かう。するとそこには腕を組みながら扉に寄りかかる常闇の姿があった。

 

「フン、くだらん……」

「「「……」」」

 

 操たち三人は視線を合わせると、常闇を退かすため扉の前から押していく。個性によってゴリラ並にパワーのある操のおかげか、常闇は呆気なく女子に押し負けてしまった。

 そして門番がいなくなった部屋は、葉隠によって容赦なく開け放たれてしまう。

 

「黒!!怖!!」

「貴様ら……出ていけ……!」

 

 常闇の部屋は黒で統一されていた。しかしそれはただのモノトーンではなく、思春期の心の闇──厨二病を感じさせる部屋となっていた。

 悪魔の羽根がエアコンの左右に貼られ、トナカイの骨でできたハンティング・トロフィーが壁に飾られている。それ以外にも真っ黒なローブや謎の剣や盾、「封」の札が貼られたタンス、その上に置かれた頭蓋骨のライトや怪しげな蝋燭など……とにかく前二人に劣らず個性的な、厨二病満載な部屋であった。

 

「このキーホルダー俺中学ん時持ってたわぁ」

「ふーん……男子ってこういうの好きなんだね」

「何これ……カッコいい〜!」

「えぇ……」

 

 操は部屋をぐるりと眺めると、切島が持っていた剣のキーホルダーを見つめてそう呟いた。ドキドキしながら頭蓋骨のライトに触れ、「封」のお札を険しい顔で眺めている。

 そして「この棚……悪いものが封印されている気がする!」と目を輝かせて呟けば、側にいたクラスメイトたちは心を無にしてにっこりと笑った。なんなら芦戸や数人のクラスメイトは少し引いていた。対して常闇は少し嬉しそうであった。

 続いて操はサービスエリアやお土産コーナーでよく見かける、"男が昔一つは買ったであろう剣のキーホルダー"を摘んでみる。ドラゴンが巻き付いたそれは、黒と赤の二色でコーティングされていた。

 

「……ひとつやろう」

「え!?いいのか!?」

「フッ……その剣が赤と黒で彩られているのは、同胞であるお前に選ばれる為だったのだろう。これもまた"必然"……」

「! フフ、"ありがとう"。……確かこの世界ではこう言えばいいのだろう?」

「次行こ」

 

 操と常闇が二人の世界に入ったところで、興味をなくしたクラスメイトたちは身を翻して次の部屋に向かっていく。

 操は常闇とニヤニヤしながら一つの剣を携え、その後に続いた。同じ闇を抱えるもの同士、波長が合うのだろう。

 

「楽しくなってきたぞ!あと二階の人は──」

 

 部屋を出た麗日がそう振り返ると、半開きの扉から顔を出している峰田と目があった。彼は息を荒くし、主に女子を見て手招きしている。

 その姿を無言で見つめたクラスメイトたちは、何も触れずに背を向けて歩いていく。

 

「入れよ……すげえの見せてやんよ……」

「三階行こ」

「入れよ……なァ……」

 

 こうして二階の三人──実際は四人──の部屋を見た一行は、舐めるような視線を無視して階段を登っていく。後から部屋を出た操と常闇も当たり前のように峰田を素通りして、階段に足を掛けていった。

 そんな流れから辿り着いた三階。まずは角部屋である尾白から部屋をお披露目する事となったのだが──。

 

「ワァー普通だァ!」

「普通だァ!すごい!!」

「これが普通ということなんだね……!」

「……言うことないならいいんだよ……?」

 

 尾白の部屋はクラスメイトたちのコメント通り、操が想像していた一般的な部屋であった。つまり普通の部屋である。

 必要最低限の家具、癖のないインテリア。前三人の癖が強すぎただけに、特筆することのない部屋であった。

 

「難しそうな本がズラッと……さすが委員長!」

「おかしなものなどないぞ」

「メガネクソある!!」

「な、何が可笑しい!激しい訓練での破損を想定して──!」

 

 続いて飯田の部屋に訪れると、麗日の言う通り三段のウォールシェルフにはズラリと眼鏡が並べられていた。これはお洒落ではなく予備の眼鏡であるため、姿形はどれも同じ物。均等に並ぶそれは確かに笑いを誘うだろう。

 彼の部屋に本が多いが、それらはきっちりと整頓されている。ゴミ箱には「可燃」「不燃」と紙が貼られてゴミの分別にも抜かりない、真面目な飯田らしい部屋であった。

 操は「頭のいい人はゴミの分別もできる」と脳に刻み込んでから、飯田の部屋を後にしたのだった。

 

「チャラい!!」

「手当たり次第って感じだナー」

「えー!?よくね!?」

 

 上鳴の部屋は散らかってはいないものの全体的に纏りがなく、騒がしい部屋であった。

 壁には腕時計やスケートボードの他にポスター、プレート、ダーツ、時計などが飾られ、それ以外の小物はワイヤーネットで吊るされている。

 多種多様でカラフルなスニーカーやキャップ、雑誌のラック、音楽を聴くためのコンポ、アロマスティックなど……とにかく色々な物が置いてあり、操はきょろきょろと視線を動かしてしまう。

 瀬呂は上鳴の部屋を見て真っ先に「ヴィレヴァンみてぇ」と言っていた。ヴィレヴァンとは何だと操が尋ねると、「上鳴の部屋みてーな店」と言われる。きっとごちゃごちゃした店なのだろう。

 

「さ、じゃあ次は四か──」

「釈然としねぇ」

 

 上鳴の部屋を出てから、芦戸と葉隠は足早に四階へ向かおうとしていた。しかしそれを引き止めたのは上鳴だった。彼は珍しく真顔で、それに驚いた女性陣は思わず足を止める。

 すると上鳴の後に続いたのは部屋お披露目の犠牲者──尾白、常闇、青山、そして下心を隠しきれていない峰田であった。彼らは女子の前に、行手を塞ぐようにして立っている。

 

「ああ……奇遇だね俺もしないんだ」

「そうだな」

「僕も⭐︎」

「男子だけが言われっぱなしってのはぁ変だよなァ?大会っつったよな?なら当然!女子の部屋も見て決めるべきじゃねぇのか!」

 

 彼らの表情は上鳴と同様に険しく、誰もが不平不満を訴えていた(勿論峰田は違うが)。

 既に犠牲となった彼らからすれば突然部屋にクラスメイトが乗り込んできて、頼んでいないのに勝手に評価されているようなもの。そんな事、許せるはずがない。

 

「誰がクラス一のインテリアセンスか!全員で決めるべきなんじゃねぇのかぁ!?」

「……いいじゃん!」

「えっ」

 

 女子による容赦ない舌剣が、既に犠牲となった男子の競争心に火をつけた。そして彼らを代表して提案する峰田の言葉に、芦戸は面白そうにニヤリと笑う。

 けれど耳郎は困ったように声を漏らしていたし、興味のない障子はスマホを眺めていた。切島や轟は自身の手元を見ていて話を聞いていないし、砂藤に至っては鼻くそをほじくっている。

 そして操はクラスメイトたちの部屋を見るのが楽しかったので、ついでに女子の部屋も見る事が出来るなら「何でもいいや」と思っていた。

 

「じゃあ……部屋王決めるって事で!」

「部屋王……」

「別に決めなくてもいいけどさ……」

 

 こうして【第一回A組ベストセンス決定戦】がぬるっと幕を開けた。部屋王の座は誰の手に渡るのか。今宵、誕生する部屋王は一体誰なのか。

 芦戸や葉隠は先ほどより張り切りながら四階へ足を進める。どうやら己の部屋に自信があるのだろう。対して耳郎は足が重いのか、クラスの最後尾を歩き始める。峰田は自然な流れで女子の部屋を見ることができ、内心涎を垂らしていた。

 

「部屋王か……」

「なんだ赤黒、もっと騒ぎそうなのに」

「そうだよ、王様!操ちゃん好きそう!」

「私は既に血の王だからな……。フ、部屋王の座など他の奴にくれてやる」

「(あ、自信ないんだな……)」

「(勝ち目がないと諦めてるんだな……)」

 

 操にとって部屋とは、屋根があり隙間風はなく、ついでにゴミが散乱していなければどれも等しく都。何ならゴミまでは許容範囲だ。

 これまで見てきたクラスメイトたちの部屋は、操の知らない世界であった。それはとても幸せなことなのだろう。彼らが欲しいものを買い与えられ、好きなものに囲まれて生きてきた証拠だ。だから操は、彼らの部屋を見るのが楽しかった。

 あのような地獄は、誰にも味わってほしくないから。操はそう思ってニッと笑ったが、操の内心など知る由もないクラスメイトたちからすると「部屋王の座を諦めた乾いた笑い」にしか見えていなかった。

 

「四階到着〜!」

「四階は爆豪くんと切島くん、それに障子くん……だね」

「そういえば爆豪くんは?」

「"くだらねぇ先に寝る"ってよ、俺も眠い……」

「じゃあ切島部屋!ガンガン行こう〜!」

 

 クラス一の才能マン且つ素行の悪さで目立っている爆豪の部屋を見ることが出来ないのは残念だが、彼がこういう行事に参加しないのはわかりきっているので、クラスメイトたちはそこまで気にしなかった。むしろノリノリで参加した方が解釈違いだったりする。

 峰田なんて「爆豪や他の野郎共はどうでもいいから、早く女子部屋を!」と考えていた。勿論、声には出していない。

 そんな中クラスメイトたちは切島先導の下、彼の部屋を評価するため後に続いていく。

 

「どーでもいいけど、多分女子にはわかんねぇぞ。この男らしさは!」

 

 その言葉と共に開け放たれた切島の部屋は、全体的に熱かった。「エンデヴァーのファンですか?」と言いたくなるような、炎モチーフの暑苦しいカーテン。筋肉質な腕が左右から生えているむさ苦しい壁掛け時計。

 部屋の真ん中に置かれたサンドバッグとダンベル。「大漁」「必勝」「漢とは燃えてこそ!」「気合い!」「寝るな!」といった暑苦しい言葉の数々。

 清潔であるはずの部屋が、なんだか汗臭く感じる。そんな部屋がそこにはあった。

 

「……うん」

「彼氏にやってほしくない部屋ランキング2位くらいにありそう!」

「アツイね!アツクルシイ!」

「ホラな!!」

 

 言わずもがな、女子からの評判も散々であった。その酷評に、切島は目に薄い水の膜を浮かべている。

 しかし操は「お前のプルスウルトラがよくわかる部屋だな。切島にはプルスウルトラ10点!」と一人切島を褒め称えていた。切島は少しだけ嬉しそうだった。

 

「次!障子!」

「何も面白いものはないぞ」

「そんなこと言ったってこの大会からは逃げられないからな〜!いざ!」

「って面白いものどころか何もない!!」

 

 続いて障子の部屋に向かうと、本人の言っていた通り何も面白い物はなかった。

 それどころか家具すら必要最低限で、机と座布団、そして綺麗に畳まれた一組の布団のみである。机の上にすら何も置いていないのだ。

 それはまるで誰も住んでいないような、生活感皆無な部屋であった。

 

「ミニマリストだったのか」

「まァ……幼い頃からあまり物欲がなかったからな」

「広々としてていいな。大の字で寝れそうだ」

「そう……だな」

「オイラ知ってるぜ。こういうのに限ってドスケベなんだ」

 

 これには今まで言葉を発しなかった轟すら反応した。峰田に至っては根拠のない言い掛かりを付けている。

 操は広々とした空間で身体の大きな障子が大の字で寝ている姿を想像しながら、にこやかに笑っていた。障子は少し困惑しながら、操の意見に同意している。おそらく大の字で寝たことはないのだろう。

 

「次は一階上がって五階男子!」

「瀬呂からだ!」

「まじで全員やんのか……?」

「ふざけんなよ馬鹿野郎!全員やるに決まってんだろォが!!今更逃げんな!!」

「なんで峰田がキレてんの……?」

 

 目をバキバキに見開いている峰田にドン引きしながら、一行は瀬呂の部屋へ辿り着く。そして部屋主が扉を開けると、驚きの光景が舞い込んできた。

 彼の部屋はアジアン調の家具で統一されていた。物は多いが統一されているため違和感はなく、纏まりも見栄えもいい。ハンモックがあったり観葉植物があったりと、むしろ同年代の高校生にしてはセンスが飛び抜けているほど洒落ていた。

 

「エイジアン!」

「ステキー!」

「瀬呂、こういうの拘るやつだったんだ」

「へっへっへ……ギャップの男瀬呂くんだよ!」

「なんかリゾートホテルみたいでいいな」

 

 今までの男子とは打って変わって、女子からの反応も頗る良かった。その様子に瀬呂は安堵し、ニッと口元を緩めていく。

 瀬呂によってお披露目大会のハードルが物凄く上がった中、続いての挑戦者は轟であった。彼の部屋は「クラス屈指の実力者……!」「クラス屈指のイケメンボーイ」「クールな轟くんの部屋……ちょっとドキドキ……」とどうやら女子の一部も気になっている様子。

 これで尾白のような部屋だったらクラスメイトたちもガッカリだろう。勝手に期待されている分、イケメンとは大変な生き物である。

 轟は彼らの期待やハードルの高さを一切気にすることなく「俺も眠いからさっさと済ませてくれ」と扉を開けた。その先にあったのは──。

 

「和室だ!!」

「造りが違くね!?」

 

 日本男児を連想させる和室であった。天井や床、壁も含め他の部屋とは材質が異なっている。その格の違いに、瀬呂のセンスは徐々に霞んでいった。

 ほのかに香る畳の匂いに、落ち着くダークグレーの木で造られたあんどんや階段箪笥。盆栽や手毬など、轟の部屋は小物に至るまで和一色であった。

 操は「畳ってこんな綺麗だったのか」と色褪せた幼い日々を思い出し、思わず顔を引き攣らせてしまう。

 

「実家は日本家屋だからよ、フローリングは落ち着かねぇ」

「理由はいいわ!」

「当日即日リフォームってどうやったんだお前!!」

「…………頑張った」

「何だよコイツ!?」

「あはは、大物になりそ!」

「イケメンのやる事は違えな……」

 

 瀬呂・轟の二名がセンスと造り込みで度肝を抜いてきた中、続いての挑戦者は砂藤であった。彼は男子最後のお披露目でもある。

 しかしその表情は暗く、自信なさげであった。あの二人の後なら仕方ないと、クラスの男子は砂藤に同情していた。

 

「つまんねー部屋だよ」

「轟の後は誰でも同じだぜ」

「……この匂いは!!」

 

 砂藤の部屋は尾白の部屋に似て、必要最低限の家具が癖のないインテリアで纏められていた。しかし掛け布団がぐちゃぐちゃであることから先程まで寝ていたのか、それとも雑な性格なのだろうか。

 操は比較的クラスメイトたちの後方にいたが、とある匂いを嗅ぎとって前にいる彼らを押し退け進んでいく。そして部屋に鎮座するオーブンレンジの前で瞳を輝かせた。

 

「ちょ、どうした赤黒!?」

「ん?なんか良い香りしない?」

「砂藤!これはお菓子だな!?」

「ああイケね!忘れてた!だいぶ早く片付いたからシフォンケーキ焼いてたんだ!みんな食うかと思ってよォ……」

 

 その言葉に女子たちは操と同様、一斉に瞳を輝かせた。砂藤はオーブンからシフォンケーキを取り出すと、申し訳なさそうに眉を下げる。「ホイップがあるともっと美味いんだが……食うか?」と言葉を添えて。

 一日中部屋を造り、夕食を食べてから数時間経った現在……お腹が減っていないわけがない。女子たちは手を挙げ、満面の笑みで砂藤に群がった。もちろん前列にいた操も例外なく、両手を上げて喜んでいる。

 

「あんまぁい!フワッフワ!」

「瀬呂のギャップを軽く凌駕した!」

「エッ」

「表面は狐色、中は鮮やかな黄色、生地はきめが細かくしっとりとしている……いざ実食!……んん、んふ、ふふふ〜……!卵の風味が最高で上品な甘さだな!噛むとフワフワなのに舌の上でほろほろ溶けるように崩れていく……確かにこれは生クリームがあったら最高だろう。フルーツと合わせてもまた違った味わいを感じられるだろうな。けどそのままでも充分美味しくて、後味もさっぱりしているからいくらでも食べてしまいそうだ!なんならワンホール……いや、スリーホールくらいいける……!」

「いや食レポ上手いな!?」

「赤黒の唐突な食レポに草しか生えねえ」

「私は毎日砂藤の部屋に通ってしまいそうだよ……おかわり!!」

「ねーよ!でも食レポありがとな!!」

「素敵なご趣味をお持ちですのね砂藤さん!今度私の紅茶と合わせてみません?」

「オォ……こんな反応されるとは……」

 

 女子たちの幸せそうな表情を見て、上鳴と峰田はキレ散らかしていた。ギャップ王の座を上書きされた瀬呂も同じくキレ散らかしていたが、シフォンケーキの出来に「美味!」と言葉を漏らし勢いよく口に運んでいる。

 そんな夜食で心身共に満たされた一行は、ついに女子棟へ足を踏み入れた。

 一部の男子は批判の仕返しを、とある男子は女子の部屋を思う存分眺めるため、【第一回A組ベストセンス決定戦】は後半戦に差し掛かっていく。

 

「えー……まじで全員やるの……大丈夫?」

「大丈夫でしょ多分」

「…………ハズいんだけど、」

 

 乗り気ではない──部屋を見せたくない耳郎は何とかして中断させたかったが、女子棟三階に男子が足を踏み入れた時点で既に後の祭り。

 むしろ誰よりも恥ずかしがっている耳郎が面白いまである。一部の面々は両手で顔を隠す彼女を可愛らしいと思っていたが──。

 

「思ってた以上にガッキガッキしてんな!!」

 

 耳郎の部屋は上鳴の言う通り、物凄くガッキガッキしていた。

 部屋の中央に置かれたアンプ、その奥にはドラムセット。そして壁や棚に立てかけられた数多くのベースやギター。素人には名前のわからないような機器まで、所狭しと詰め込まれている。

 床は市松模様の絨毯が敷かれ、それと同じ模様の壁紙シールが天井一面に貼られていた。好きなバンドのポスターも複数貼られていることから、本当に好きなのだと見ただけでわかるだろう。

 

「耳郎ちゃんはロッキンガールなんだねぇ!」

「これ全部弾けるの?」

「……まァ一通りは」

「へぇ、凄いな響香」

「別に……大したことないし」

 

 操は"レベルの高い雄英高校に通っているのに、趣味も本格的"な耳郎に感心していた。

 これらの楽器を使いこなすには、それなりの時間を有したはずだ。それなのに彼女は趣味と学業を両立させている。耳郎にプルスウルトラ教の片鱗を感じた瞬間であった。

 しかし上鳴と青山はここぞとばかりに「女っ気のねぇ部屋だ!」「ノン淑女⭐︎」と耳郎の部屋を否定していく。耳郎はそんな彼らにイヤホンジャックで制裁を加えながら、部屋の扉を閉めたのだった。

 

「次はー?」

「次は私!葉隠だ!」

「お……オォ……!」

「フツーに女子っぽい!ドキドキすんな!」

「えへへ、でしょ〜?」

 

 葉隠の部屋は「彼女にしてほしい部屋ランキング」上位に食い込めそうな、可愛いがたくさん詰まった部屋だった。

 白いふわふわの絨毯、花柄の布団。ベッドの上には抱きしめて眠れそうな大きなぬいぐるみ。

 ウォールラックにはぬいぐるみが、そして棚の上には子供っぽいおもちゃが複数置かれている。しかし卓上ライトや細身の椅子、折りたたみ式テーブルがベビーピンクで統一されているからか、子どもっぽすぎない可愛さで纏められていた。

 耳郎からの温度差に男子もドキドキしながらその部屋を眺めていた。そして峰田は「プルスウルトラ」と呟きながら棚を開けていたので、葉隠に怒られていた。操的にもプルスウルトラマイナス1000点である。

 

「次は私か」

「赤黒の部屋か……なんか障子みたいな部屋のイメージあんなー」

 

 葉隠の部屋を出てすぐ隣のドアノブに手をかけると、瀬呂がそうぼやいたので操は思わず目を瞬かせる。

 確かに操も障子同様物欲はあまりない。服にも拘りがないからワイプシが用意した物を適当に着ているし、電灯の明るさがなくとも太陽光でなんとかする貧乏根性だって持ち合わせている。

 けれど幼い頃から何もない部屋に住んだことは一度もなかったので、そう思われているのは少し意外だったのだ。

 瀬呂は操の過去を知った上での発言であったが、流石にゴミ部屋の中でゴミを漁って生きてきたとは思っていないのだろう。操はフッと笑うと、自室の扉を開いて告げる。

 

「ならばその目で確かめるといい!操ちゃんの部屋をな!」

「予想に反してめちゃくちゃゴチャ付いてる!?」

 

 扉の先にあったのはゴミ──ではなく、堆い本の山だった。

 壁一面の本棚、その中に所狭しと詰め込まれた分厚い本。L字型の机の上にはノートパソコンと卓上ランプ。そしてルーズリーフが大量に散らばり、それにはどれも文字が書きなぐられている。そして本は本棚だけでなく、机や床の上にも大量に積まれ、付箋や栞がたくさん挟まったそれらは突いたら一気に崩れ落ちてしまいそうな危うさを醸し出している。

 机の下にはキャスターのついたブックシェルフ。そして扉の横にはブックラックが置いてあり、どこを見渡しても本、本、本──!

 

「何これ書斎!?」

「つかすげぇ汚ねぇ図書館!?」

「さっきまで勉強してましたって感じの部屋だ……」

「ああ、さっきまで勉強してた」

「マジかよ!!!!」

 

 クラスメイトたちは操の部屋を見渡してドン引きしていた。ここがギャグ漫画の世界だったら、全員後方に吹き飛んで壁にめり込んでいたくらいにはドン引きしていた。

 大量の本はきっと医学のためだろう──それにしても多いが──。しかし本でごちゃごちゃしている部屋だが、よくみたら家具は最小限……どころか、一切見当たらないのだ。

 エアコンも本棚のせいで消え、ベッドも見当たらず、冷蔵庫もどこにあるのかわからない。部屋というより書斎、それか図書館の一角みたいで、クラスメイトたちはプルスウルトラ教の本気を"見た"。

 

「つかなんか狭!!」

「ベッドはどうした!?」

「ああ……本棚の裏にある」

「本棚の後ろォ!?」

「うん。ほらここ、本棚の一部が押せるようになってて……通路!」

「忍者屋敷かここは!?」

「本が重すぎて、力ないと開けられないね……」

「え、てかベランダは……?」

「ベッドで封鎖したから開かないぞ」

「(絶句)」

 

 本棚の一部を力尽くで押し、身を屈めてその隙間を通ると、その奥にはベットがギリギリ入るスペースが存在していた。言わずもがな、本棚の裏側である。

 そこには消えたと思っていたベッド、そしてエアコンや冷蔵庫が存在し、真っ白なシーツの上にはツギハギだらけの黒猫のぬいぐるみがポツンと転がっている。

 そんなベッドもベランダの窓に密着するように置いてあることから、操の言う通りベランダを開けることは不可能なのだろう。そんな狂った操の部屋を見たクラスメイトたちは、思わず彼女に掴みかかって肩を思いっきり揺さぶった。

 

「部屋だぞ!?阿呆か!?リラックス出来ねぇだろここじゃ!」

「そうか?布団とエアコンがあるだけで物凄く快適だが……」

「コ、コメントし辛え……」

「過去が過去なだけにツッコミできない……」

 

 操には時間がない。医者になるためには、膨大な知識が必要不可欠である。特に個性社会である現在は人によって身体の作りが異なるため、学ぶことが多いのだ。

 酸によって肌や眼球の色が変わった芦戸は通常通りメスを入れても大丈夫なのか。障子の複製腕はどこから神経が伸び、複製した口で食べた物はどのようにして胃袋に収まるのか。透明な葉隠は、中の筋肉や臓器まで透明なのか。

 全人類の人体を学ぶのは不可能だ。ただ幾つかパターンを覚えてしまえば、あとは細心の注意を払って治療を施せる。しかしそのパターンを学ばない限り、患者と医者の両方に危険が及んでしまう。

 それを避けるため、操は可能な限り勉強に集中できる部屋を作ったのだ。そこには娯楽も趣味も安らぎも一切必要ない。操はこの部屋にある本を卒業するまでに頭に叩き込む、それを目標にしているのだから。

 そんな決意に満ち溢れた操の瞳を見て、クラスメイトたちはやっぱり引いていた。シフォンケーキを頬張ってふにゃふにゃの笑顔でクソ長食レポをしている操が、目の前の彼女と同一人物には思えなかった。

 少しの恐怖と覚悟の重さを感じつつ、気を紛らわすために峰田は冷蔵庫に手をかける。

 

「……さ、さすがによォ!食いしん坊の赤黒だし冷蔵庫の中はジュースとかアイスでも入ってんだろォ!?」

「ああ……残念。それは訓練用の血液保管庫だ」

「血だらけだ!!」

「もう怖いよこの部屋!!」

「プルスウルトラ教の本気や……」

 

 真っ赤な冷蔵庫を閉め、クラスメイトたちはゾロゾロと操の部屋を後にした。

 なんだか凄いものを見た……そんな胸焼けを覚えながらも、気持ちを切り替えて四階に向かうため階段に足を掛けていく。

 

「……」

「葉隠さん?」

「ちょっと待ってて!」

 

 しかしその場に立ち止まったままの葉隠は尾白に声をかけられると、弾かれたように自室へ戻っていった。そして数秒の間をおいて出てきたかと思うと、腕に抱いていた物を操に押し付ける。

 操が突如手渡されたのは、丸みを帯びたニワトリのぬいぐるみだった。言わずもがな、葉隠の部屋にあった物である。

 操は目を瞬かせると、葉隠に対して首を傾げた。ぬいぐるみを渡される理由か全くわからなかったのだ。

 

「なんだ、どうした?」

「操ちゃんにあげる!」

「……は?」

「可愛いでしょ?私だと思って大切にしてあげてね!」

 

 葉隠は操にそう告げると、何かを言われる前に階段を駆け上がる。そして一度振り返り、ぽかんとしながらぬいぐるみを抱える操を見て少しだけ眉を下げた。

 操の覚悟は普通に生きてきた同年代の子どもには重い。しかし彼女はこのまま突き進んでいくのだろう。振り返ることなく、一人で。

 だからこそあの部屋で、そして雄英高校を卒業したどこかの未来で。操がこのぬいぐるみを見て少しでも楽しい記憶を思い出してくれたらいいなと思ったのだ。そして心を休めて、ヒーローという人生だけ(・・)でなく、赤黒操という人間として楽しい人生を過ごしてほしい。

 

「な……なんだったんだ……?」

 

 そんな葉隠の想いは操に届かない。言葉にしていないのだから、それは当然だろう。

 しかし葉隠と同じような感情を抱いていた女子たちは、彼女の行動に笑った。そして顔を見合わせて頷いている。

 

「いいじゃん!私もあとでぬいぐるみあげるね!」

「操ちゃんの部屋少しでも可愛くしたろ!」

「私は今手元にないので……家から送ってもらうよう連絡しておきますわ!」

「ええ……そういうノリ?ウチなんか持ってたかなー……」

「え?いや……何でだ?」

 

 操の言葉に彼女たちは笑うだけで、何も答えない。

 ただニワトリを抱えた操の前髪がいまだにベストジーニスト仕様だったので麗日は吹き出してしまった。そして大笑いしながら四階へ向かっていく。

 操は女子たちの言動に首を傾げつつ、腕の中にいるぬいぐるみを抱え直してその後を追っていくのだった。

 

「じゃーん!カワイーでしょー!」

「おぉ……」

「なんかギャルっぽ!」

「ピンクだ!」

 

 そして辿り着いた女子棟四階。真っ先にお披露目されたのは男子部屋を酷評しまくっていた芦戸の部屋である。

 しかし彼女の部屋に悪いところはあまり見当たらず──好みはあるだろうが──、派手なインテリアで上手いこと纏まっていた。

 豹柄のカーテン、水玉の掛け布団、大柄なハートの絨毯。主に黒やビビットピンク中心の家具が多いが、肌が淡い桃色な芦戸にはとても良く似合っている。机の上にミラーや化粧品が置いてあるのも男子的にはポイントが高かった。

 

「ハイこれ!わざわざ寮に連れてきた子だから大切にしてね!」

「いや別に大切なら──」

「さ、次行こー!」

 

 芦戸は座椅子の横に置いてあったピンクパンサーのぬいぐるみを手に取ると、それを操の腕の中にねじ込んだ。操が見下ろすと、真っ白なニワトリと奇抜な色合いのピンクパンサーが腕の中で行儀良く並んでいる。

 ──何か貰っても、返せるものなんてないんだけどな。遠ざかる芦戸の背中を見て操は少しだけ困った表情を浮かべたが、「貰えるもんは貰っときゃいいじゃん」という上鳴の言葉に「……そうだな」と笑った。

 二人の意図はよくわからないが、黒猫ぬいぐるみの横にでも置いておこうと思ったのだ。そうして操が吹っ切れた後、一行が向かったのは麗日の部屋である。

 

「味気のない部屋でございます……」

「おお……!」

「質素だけどなんかイイ……!」

 

 麗日の部屋は全体的にモスグリーンと茶色の家具で纏められており、柄のないインテリアが多いことから派手さはない。クラスメイトたちの言う通り質素な部屋だ。

 しかし畳のラグや棚上のサボテン、ベッド脇の蚊取り線香──豚の形をしている──など細やかな小物がイイ味を出している。机の上に置いてある煎餅や湯呑みも渋いが、それもまた麗日お茶子らしい味が出ているだろう。

 

「ちょっと待ってね〜……うーんと、確かこのあたりに……あ、あった!」

 

 麗日が引き出しを漁ると──飛びつこうとした峰田は瀬呂の個性によってぐるぐる巻きにされていた──、そこから出てきたのは手のひらサイズの小さなぬいぐるみ。

 彼女はボールチェーンを摘むと、小さなそれを恥ずかしそうに操に差し出した。操の目の前で、真っ白な四角がゆらゆらと揺れている。

 

「……これは……?」

「お餅のぬいぐるみです……。前にガチャガチャで当てた、その、300円のやつで申し訳ないんやけど……」

 

 ふわふわとした四角いぬいぐるみは、よく見ると丸いコブが出来ている。おそらくそれがお餅要素なのだろう。どこの企業がどんな理由でこの商品を作ったのかわからないが、お餅が好きな麗日はこれを目当てにガチャガチャを回したに違いない。

 操は片手で餅のぬいぐるみを受け取ると、ボールチェーンを指に引っ掛けて落とさないようにした。そして恥ずかしそうに頬を赤らめている彼女に笑顔で礼を告げれば、麗日も明るい笑顔に変わっていく。

 こうして操は麗日と並びながら五階に向かうが、そこでクラスメイトたちは蛙吹の姿が見えないことに気が付いたのだ。

 

「次は蛙吹さん……」

「って、そういや梅雨ちゃんいねーな」

「あ!梅雨ちゃんは気分が優れんみたい!」

「優れんのは仕方ないな。優れた時にまた見せてもらおーぜ!」

「そーだね!」

 

 けれど体調が悪いのなら仕方ないと一行は彼女の部屋を通り過ぎ、お披露目大会最後の挑戦者、八百万の部屋へ足を進めていく。

 瀬呂に縛られた峰田はここぞとばかりに暴れているが強力なテープの前に成す術はなく、結局抜け出すことは叶わなかった。日頃の行いが悪いからか、誰も助けようとはしない。

 

「じゃあ最後は八百万!」

「それが……私、見当違いをしてしまいまして……みなさんの創意あふれるお部屋と比べて少々手狭になってしまいましたの」

「でけぇー!?狭!!どうした八百万!」

 

 八百万の部屋は想像を遥かに超えて手狭であった。

 部屋の大きさは他のクラスメイトと同じはずなのに、家具の一つ一つが大きすぎて圧迫感が凄まじい。ベッドと机の間は人が一人やっと通れる狭さで、おそらく身体の大きな障子や飯田などは通れない可能性も高いだろう。

 しかし置いてある家具は設計、デザイン、材質から見てどれも一級品。操や麗日などは見たこともないような、そして値段を予測する事すらできないような高価なものばかり。

 

「私の使っていた家具なのですが……まさかお部屋の広さがこれだけとは思っておらず……」

「(お嬢様なんだね)」

「(これが格の違いというやつか……)」

「(そういやクローゼットと同じくらいって言ってたもんな……)」

 

 恥ずかしそうに目を伏せる八百万に、クラスメイトたちは改めて家柄の良さを思い知るのだった。

 

 こうして全挑戦者の部屋お披露目が終わり、一行は共有スペースに戻っていく。

 そこでは参加者全員が紙に"良かったと思う部屋の家主"の名前を書き、集計係を買って出た芦戸に手渡していく。勿論、学級委員決めの時と違って自分への投票は無しとなった。

 

「それでは!爆豪と梅雨ちゃんを除いた【第一回部屋王】暫定1位の発表です!!」

 

 一位は得票数六票。

 圧倒的独走、単独首位を叩き出したA組頂点の部屋。その家主は──!

 

「砂藤力道ーーーー!!!!」

「はぁぁ!?俺!?」

「ちなみに全て女子票、理由は"ケーキ美味しかった"だそうです」

「部屋は!!」

「んなもん贈賄じゃねーか!!」

 

 ケーキを思い出して笑顔を浮かべる女子に対し、男子の一部は目を吊り上げて砂藤に掴み掛かっていった。砂藤はまさか自分が初代部屋王になるとは思わず驚いていたが、理由がどうであれ一位は嬉しいのか笑顔で上鳴や峰田の攻撃を躱していく。

 そんな騒がしい中、操はとある人物を探すため視線を走らせていた。そして真っ先に見つけたのは紅白頭──轟で、彼は飯田や緑谷と共にいたので"丁度良かった"。

 けれど「もう寝てもいいか?」と言っていることから、早く声をかけなければ明日になってしまうだろう。それだけは避けたかったので、操は三人に歩み寄った。

 

「あっ轟くん!ちょっと待って!」

 

 しかし操が声をかけるより先に麗日が彼を引き留め、そのまま緑谷と飯田、芦戸と切島、そして八百万を引き連れ寮の外に出てしまう。

 ──うん、完全に出遅れた。操はそう思いながら共有スペースのソファに腰掛けた。麗日は一度女子棟へ駆けて行ったが他の六人は外から戻ってこないため、まだ"用"は済んでいないのだろう。操も丁度その六人に用があったのだが──どうしようか。

 

「なァ赤黒、お前いつまでその前髪にしてんの?」

「……うーん、もしかしたら明日までこのままかもしれない」

「え……風呂には入れよ……?」

 

 操が一人考え込んでいると、隣に座った瀬呂が前髪を見て口角を上げる。しかし「明日までこのままかも」と言えば物凄く引いていた。どうやら風呂に入らない奴だと思われたらしい。

 操がへらっと笑いながらぬいぐるみを机の上に置いていると、何人かが同じようにソファに座ってスマホを弄ったり、会話に花を咲かせていた。どうやら共同スペースには、外に連れ出された六人以外のクラスメイトがいるようだった──爆豪や蛙吹、そして麗日は不在だが──。

 既に月は空高く、もう部屋王決めも終わったというのにみんな寝ないのだろうか。

 操がそう思っていると、女子棟から蛙吹と麗日がやって来て神妙な面持ちで外に足を進めていく。クラスメイトたちはその様子を、静かに見守っていた。

 

「……、」

 

 先程まで騒いでいた上鳴たちも、会話に花を咲かせていた耳郎と葉隠も、そして隣にいる瀬呂も。共同スペースにいる者たちはみな口を閉じ、考え込んでいるように見えた。

 いつもは空気が読めず、または敢えて空気を読まないことが多い操だが、今は何も喋ってはいけない気がして同じように口を閉じる。疲れたから、眠いから静かなわけじゃない。それだけはわかったのだ。

 

「あ……梅雨ちゃん!」

「よ、よお!体調大丈夫なん?」

 

 そして寮の玄関が開いた音に、全員が反応する。そこにいたのは泣き腫らした蛙吹と、彼女に寄り添う麗日の姿で──クラスメイトたちは心配しつつも、敢えて触れないように明るく声をかけた。

 しかし蛙吹は彼らに軽く言葉を返すと、真っ直ぐ操の下へ歩み寄る。そしてソファに座る操を見下ろして、ゆっくりと口を開いた。

 

「私ね、今朝操ちゃんに言われたこと……結構ショックだったの」

「……」

 

 その場にいた者は、静かに蛙吹の言葉に耳を傾けていた。唇を噛み、拳を握り、眉を顰め、俯きながらも──全員が、同じことを思っていた。

 今朝、操は相澤と違って明確にクラスメイトを非難した。間違いを事細かに指摘し、命と天秤にかけて事の重大さを知らしめた。ヒーロー志望としての自覚が足りていないのだと、嫌でも思い知らされた。

 

「でもね、私……操ちゃんが私たちのこと嫌いじゃないってわかるの。きっと心を鬼にして、辛いことを言ってくれたのよね」

「──、」

 

 操は両親を亡くしている。そして兄は凶悪ヴィランで、彼はたくさんの人を殺している。明るい未来を奪っている。きっと操はここにいる誰よりも、命に敏感なのだと蛙吹は思う。

 誰かを失ったことへの喪失感、事件に関与したことへの罪悪感、そして二度と戻ることのない「当たり前の時間」が消えてしまったことへの絶望感。その全てを体験したからこそ、操は心を鬼にしたのだと蛙吹は考えている。

 操は彼女の言葉を咀嚼すると、眉を顰めて小さく息を吐く。蛙吹は眉を下げ、表情をさらに曇らせた。それでも視線を外さない彼女を見て操はソファから立ち上がり、その視線に応えるよう赤い瞳を向けていく。

 

「そんな綺麗な感情じゃないけどな……でも梅雨ちゃん、そういうのは思っても口にすることじゃないぞ?」

「 私……思ったことは何でも言ってしまうの……」

「……そういえばいつも公言していたな。ならば梅雨ちゃんらしいと言うべきだったか」

「……でもね。私の言葉で操ちゃんを傷つけてしまったのなら、ごめ──」

 

 操は手を伸ばし、蛙吹の口を塞いだ。

 気持ちを見抜かれたのは恥ずかしいことだが、別に怒るようなことでもない。嘘をついて誤魔化すことでもないし、でも全員に理解してもらおうとも思わない。

 ただ今朝あの言葉を告げ、みんなで部屋王を決め、蛙吹の言葉を聞いてから、操も感じた事がある。

 いつもより明るいクラスメイトたちも、いつも以上に寡黙になったクラスメイトたちも、悲しそうに眉を下げる蛙吹も、その隣に寄り添う麗日も──きっとみんな六人と同じように友達を「救けたかった」のだ。

 ルールを守ったみんなが悔しくて悲しい思いをするのは、きっと爆豪と操が生き延びたから。六人の救出が成功したからだろう。

 そうだと理解していても、納得できない感情があると知っている。操も答えのない複雑怪奇な感情を抱いているから、知っている。

 操は蛙吹の口元から手を離すと、少しだけ眉を下げた。けれど視線は、絶対に外さない。

 

「傷付いていないから謝罪は不要だ。むしろ私はお前たちを傷つけたのに、謝る気はないしな」

「……とても操ちゃんらしいわ」

「謝らずに開き直る事が?」

「いいえ……決めた事を、一直線に貫き通すこと。それはとても貴女らしいと思ったの」

 

 蛙吹は手を伸ばすと操の手を握りしめた。

 身長のわりに大きな手は、個性のせいかなんだかひんやりしている。対して操の手は、個性のおかげでとても温かい。

 

「操ちゃんに爆豪ちゃん……それに緑谷ちゃんたちが……生きてて本当に良かったわ……」

 

 そう言いながら縋るように手を握られ、操は彼女を支えるように強く握り返す。大きな瞳からこぼれ落ちた涙は、柔らかな頬を滑っては消えていく。

 そんな涙を見て、操は思わず空いた片手で蛙吹を抱き寄せた。背中に腕を回してゆっくりと撫でれば、肩口に凭れ掛かる温もりに心まで温かくなっていく。

 

「……操ちゃん、三奈ちゃんたちに言いたいことがあるのよね」

「……うん」

「なら行ってあげて。きっとそうだと思って、引き止めてるの」

 

 蛙吹は操から離れると、繋いでいた手をするりと離した。そして「私はもう言いたいことを言ったの。操ちゃんも我慢すべきじゃないわ」と笑う。いつもの、蛙吹の優しい笑顔だった。

 操はふと顔を上げ、共同スペースを見渡す。するとクラスメイトたちはいつもの笑顔で此方を見ていたから、だから操もいつものように不敵な笑みを浮かべた。そして背を向け、みんなに見送られながら寮を飛び出していく。

 

 ──笑顔を隠した二人だけは、誰にも気付かれないようきつく拳を握り締めていた。

 

 

 

 

 

 扉を開けると、生温い熱気が全身を包み込んだ。汗をかくほど暑くはないが、日中容赦のない陽射しに晒され続けた空気は秋になるまで冷めることはないのだろう。

 都会の空だから星は見えないと思っていたが、見上げた夜空は薄い雲に覆われて月すら姿を隠していた。寮の前にポツンと立つ街頭だけが、六人を静かに照らしている。

 

「あっ……」

 

 操の姿を見かけた六人はハッとしたように顔を上げたが、次第に視線を落としていく。切島や芦戸は目尻に涙を浮かべていたので、蛙吹と話した時に泣いてしまったのだろうと思った。

 操は彼らの前に立つと、それぞれの顔をじっと眺める。その姿に、飯田は奥歯を噛み締め五人より一歩前に出た。そして自分より小さな操を見下ろすと、彼女との約束を思い出す。

 

 あれはまだ少しだけ肌寒い六月、青空が一望できる屋上での出来事だ。あの日飯田は保須市の病院で、操と約束を交わしていた。

 操を支えるヒーローになりたいと言った。けれど結局、何もできなかった。

 あの事件の戒めとして腕の傷を残した。けれど結局、四人を止める事ができなかった。

 操に何かあったら最速で駆け付けると約束した。けれど結局、駆け付ける事ができなかった。

 支えるどころか、彼女やクラスメイトを深く傷つけてしまった。止めるために神野へ同行したのに、結局戦場に飛び出してしまった。ヒーロー免許を持っていないから、真っ先に駆けつけることが出来なかった。──言い訳はたくさんあるが、操にそれを告げることはしない。

 飯田は大きく息を吸うと、決意に満ちた瞳で操を見つめ直す。道を間違えたとき、どうしてほしいかは既に彼女に告げている。だから覚悟を決めて、口を開いた。

 

「赤黒くん!僕を殴っ──グハッ!!」

「飯田ァ!?」

「飯田くん!?」

「操さん、何しているんですの!?」

「"殴ってくれ"と言われる気がしたから、殴った」

「それでも殴るかフツー!?」

 

 突如殴られた飯田に、五人は驚きを隠せず目を見張る。そして飯田の周りに駆け寄って責めるように操を見るが、操はフンと鼻を鳴らしただけだった。

 保須市の事件後、飯田は操にこう告げた。『もし僕が間違えたら、ステインにしたように殴り飛ばしてでも引き止めてほしい』と。

 過ぎ去ったあの日の夜に戻り、彼を引き止めることは不可能だ。けれど飯田が間違いを認め、約束を破ったと後悔するのなら──それを正面から受け止めるのが、操の役目である。

 殴られた飯田はズレた眼鏡を直すことなく、顔を上げて操に詰め寄った。彼は頬を殴られた衝撃で数歩後退したが、それは予想に反して軽いものだったから驚いたのだ。

 ──赤黒くんが本気で殴ったら、こんなものでは済まない筈だ……!そう思ったから。

 手加減をしたのかと、操に問い詰めたかった。なんで本気でぶつかってくれないのだと、責め立てたかった。

 

「……な、なんで……キミは──!」

「勘違いするなよ、今のは本気だ」

「……!」

 

 操は不機嫌そうに告げると、真っ赤になった右手をぷらぷらと揺らしていた。その様子に、聡明な飯田はすぐに察するだろう。操は"個性を使わずに本気で殴った"のだと。

 個性【操血】で身体強化を施していない操の身体は貧弱で、人を殴っただけで簡単に負傷してしまう。けれど約束を破った飯田に対し、個性を使わずに殴った理由は二つある。

 一つは個性を使用して殴ったら、威力が強過ぎて飯田の首が捩じ切れると思ったから。そしてもう一つは──。

 

「……寮に入る前、みんなの前で言ったことは私の本音だ。今でもお前たちは馬鹿なことをしたと思っているよ」

「……」

 

 そう告げると芦戸は泣きそうになり、切島は目を伏せた。轟は一切表情を変えずに此方を見ているが、疎い操には彼が何を考えているのかわからない。

 けれど六人の身勝手な行動のせいで、クラスの大半は除籍処分になる所だった。それを一生忘れてほしくないし、今後は注意して行動してほしい。

 ──でも、今操が伝えたいのはその話ではない。

 

「でもね……お前たちが来てくれて、私はすごく安心した」

「……え、」

 

 目を丸くした六人に、操は少しだけ目を細めて笑う。

 あの日の夜は、身体がとても痛かった。

 空腹で気持ち悪くて、喉は焼けて苦しくて、悲しくて心が壊れそうで──体内から飛び出した刃物の鋭さを、操は今でも覚えている。

 戦うことも、救けることも出来なかった操はただ祈るしかなかった。血の臭いが充満した瓦礫の中で、不安に押し潰されないよう血だらけのベストジーニストに縋るしかなかった。彼が弱々しくも呼吸をしていたから、操はなんとか希望を繋ぐことが出来たのだ。

 そんな絶望の中、六人は戦場に飛び込んできた。そして戦況を瞬く間に変えていった。操と爆豪は、そのおかげで戦場を離脱する事ができたのだ。

 

「私は救かったんだって、安心した……これも私の本音だよ」

「……操、ちゃん……」

「だからお前たちに伝えたかったんだ。救けに来てくれて、ありがとうって……!」

 

 視界の端で煌めいた光と、伸ばされた桃色の手のひら。

 あの日六人があの場所にいなかったら、操はここにいなかったかもしれない。

 彼らの行動を肯定してはいけない。絶対に許してはいけない。でも、本音を隠して前に進めるほど操は強くない。

 息をして、何かを食べて、眠って、笑って。そうやって生きていると実感する度に、あの光景を思い出す。だから感謝の気持ちを伝えずにはいられなかった。

 だって操は生きていることが、こんなにも嬉しいのだから。

 

「三奈お前……あんな所によく飛び出して来たよな」

「〜〜〜〜っ、だって……!」

 

 操が困ったように笑えば、芦戸はあの日のことを思い出したのか大きな瞳にいっぱい涙をためた。そしてそれがこぼれ落ちる前に、勢いよく操を抱きしめる。

 操は彼女を受け止めて、震える肩を優しく撫でる。『──操ちゃん!!』あの勇ましさは、今は見る影もない。

 

「すっごい怖かったよ……!でも、操ちゃんが死んじゃうかもって、そっちのが怖かったんだもん!!」

「……そうか」

「操ちゃんあの後ぐったりしちゃうしさぁ……!ほんと、死んじゃったらどうしようって、私、ずっとずっと不安で……!!」

「……うん、」

「生きててよ゛かったぁ〜〜〜!!」

「三奈、ありがとう」

「う゛ん……!」

 

 操は大泣きする芦戸を受け止めたまま、他の五人に視線を移す。芦戸につられたのか、切島は目尻に涙をためていた。

 それに少し笑いながら、五人を順番に見つめていく。

 

「焦凍、あの時ずっと背負っててくれたよな。ありがとう」

「いや……別に、操ちゃんが無事ならよかった」

「見知らぬパーカーがあったんだが……創ったのは百だよな?あと治療もしてくれてありがとな」

「いえ……いいえ……!そのように仰らないでください……!」

「飯田と切島と緑谷は……悪いな、意識が朦朧としていて具体的には覚えてないんだ。でもずっと声掛けてくれたよな、ありがとう」

「俺たちがこんな事を言える立場ではないが……赤黒くんが無事で本当に良かった!」

「今朝もよォ……それに今も!言いにくい事言わせちまってごめん……!」

「僕も……!その、えっと……お礼を言いに来てくれてありがとう……僕らの行動は誰からも称賛されるべきではないけれど……でも、その……!」

 

 緑谷の纏まらない言葉に、操はふっと笑った。彼の言いたいことはわかっている。そして後ろめたさを感じているだろうから、最後まで言わなくていい。

 だから操は彼の言葉を遮って、口を開くのだった。

 

「お前たちも無事でよかった。またみんなで学校に通えてさ……私は凄く、うん、本当に嬉しいんだ」

 

 過ぎ去った時間は戻らない。過去に戻ってやり直すことはできない。

 けれど過去を後悔し、反省し、その気持ちを糧に前に進むことはできる。二度と繰り返さないよう強くなることは出来る。

 少なくとも操は、生乾きの傷跡にそう誓ったのだ。

 ──強くなろう。A組、みんなで。

 

 空を見上げると星が見えないからか、雲のあるところがようやくわかる斑らな夜空だった。けれどその雲がベールのようになり、月光の輪郭を淡く浮かび上がらせている、朧月夜。

 月を隠している雲が、時々輝きを洩らしては大地を優しく照らしていく。雲が風に乗って移動すれば、きっと明日は晴れるだろう。

 ──晴れるといいな、操はそう思った。

 

「焦凍、眠くないのか?」

「蛙吹ので一旦目ぇ覚めた。でも今は少し眠い」

「もう11時過ぎてるもんな〜」

「ごんな……泣いてたら、寮に戻れないよぉ……っ」

「芦戸くん!ずっと外にいたら怒られてしまうぞ!門限はとっくに過ぎている!」

「きっとクラスの皆さんも心配していますし、戻りましょうか」

「うぅ……っ」

「だ、だだだ大丈夫だよホラもしかしたらみんなもう寝てるかもしれないし!もう11時過ぎてるから!」

「多分みんな共同スペースにいるぞ」

「え゛」

 

 七人は比較的晴れやかな表情で寮に入っていく。

 そこには同じような表情をしたクラスメイトたちが待ち受けていて、彼らはそこでようやく本当の日常を取り戻すのだ。取り戻すことが、出来たのだ。

 ──まだ数人は泥の中にいるけれど。

 それでも夏の不安を拭い去り、彼らは前を向いて歩き出していく。ヒーローへの大きな一歩、"仮免試験"に向けて。

 

『────』

 

「……っ!」

「赤黒さん……?」

「……ん、ああ、何でもないよ」

 

 誰かの嗤い声が聞こえた気がして、操は辺りを見渡した。けれど直ぐに勘違いだと気付いて、不思議そうな顔をする緑谷に笑いかける。

 

 どろりとした黒い液体が、操の心を濡らしていく。そこに赤い花が咲いては、瞬く間に散っていった。

 

 

 

【入寮/部屋王編:了】

 

 


 

 

【間話:ハルジオン】

 

 

「あっ……赤黒」

 

 ニワトリとピンクパンサー、手のひらサイズの餅を抱えて部屋に戻ると、耳郎が自室の扉に背を預けて立っていた。そして操に声をかけると、「ちょっと待ってて」と告げて扉の向こうに消えていく。

 彼女は数秒後再び扉を開けるが、顔だけを出してきょろきょろと辺りを見渡していた。心配せずとも、女子棟の三階は今二人以外誰もいない。

 それに気付くと耳郎はホッとしたような面持ちで廊下に出て、操に何かを手渡した。

 

「ウチ、葉隠たちと違って可愛いもの持ってないけど……」

「……」

「ウチだけ渡さないのもなんか……アレじゃん……」

 

 耳郎はイヤホンの先端同士をつんつんと突き合わせると、「ヤオモモもなんか渡すみたいだし……」とそっぽを向きながら言葉をこぼす。

 操の手の中にあったのは、紫色をした生物がギターを持っているぬいぐるみであった。水色の刺々しいトサカが、毒々しい色合いのせいでやけに目立っている。

 

「何これ、トカゲか?」

「ポケモンのストリンダーってキャラ。好きなギターのメーカーとコラボしてたから、限定のぬいぐるみ買ったんだよね……」

 

 徐々に声が小さくなっていく耳郎はぬいぐるみを持っていることが恥ずかしいのか、そうではないのかわからない。操が耳郎を見つめても、視線が合わないから読み取れない。

 けれど"好きなギターのメーカー"という言葉から、簡単に手に入るものではないのだろう。

 

「いいのか?大切なものなんじゃないのか?」

「そりゃ愛着はあるけど……実は色違いも持ってるんだよね。だから別にいいよ」

 

 耳郎はそう言うと、ポケットからもう一つぬいぐるみを取り出した。それは紫と黄色の組み合わせで、操が貰った青色とは確かに違う色である。表情やポーズにも微細な変化があるようだ。

 操は手の中にあるぬいぐるみをじっと見つめる。お世辞にも可愛いといえないキャラクターだが、操にはとてもキラキラして見えた。そして耳郎の大切を分けてもらったからには、操も大切にしようと心に決めたのだ。

 

「ってことは響香とお揃いだな、ありがとう」

「お揃いって……大袈裟なヤツ」

 

 頬を緩ませてにぱっと笑う操に、耳郎は呆れたようにため息をついた。けれどその表情は明るく、ゆるく笑みを浮かべている。

 そして二人は隣同士の扉を開けて、一日の終わりを告げるのだ。これから何度も交わすことになるであろう、「おやすみ」の言葉を。

 

 

 数日後。

 この日、操の部屋に足を踏み入れていたのは蛙吹と八百万だった。この部屋は相変わらず本が山のように積まれ、八百万の部屋とはまた違った圧迫感を感じさせる。

 操の部屋に初めて訪れた蛙吹は「凄い部屋ね……乾燥しそうだわ」と率直な印象を告げていた。蛙吹は湿気が多い方が好きなのだろう。

 

「で、何しに来たんだ?」

「お茶子ちゃんたちから話を聞いたの。だから私も持ってきたわ」

「持って来たって……ん、コップ?」

 

 蛙吹が操に手渡したのは、緑色のマグカップだった。表面にはデフォルメされたカエルのイラストがプリントされており、それはカエルの個性を持つ蛙吹を連想させる。

 蛙吹は操に視線を合わせると「勉強も大切だけれど、水分補給も大切よ」とケロケロ笑った。操は勉強に集中して水分補給を疎かにすることが多いので、苦笑いをしながらそれを机の上に置く。そしてこれを見て蛙吹の言葉を思い出し、ちゃんと休憩しようと心に決めた。

 

「…………で、百。そのおっきな荷物は何だ?」

「ビスクドールと言いますの。私の部屋にあったものを送ってもらったのですが……すみません、やっぱり大きいですわね……」

 

 八百万が手にしているのはガラスケースに入ったアンティークドールであった。あまりの大きさに、操と蛙吹はまじまじとそれを見つめてしまう。

 大きは人形だけで40センチ程だろうか。それがガラスケースに入っているため、全体的にかなり大きい。そして八百万が持ってくるということは相当高価なものだと嫌でも理解してしまう。

 

「素敵なお人形ね」

「そうでしょう!これは19世紀のフランスで作られたものですの。着ているお洋服は当時貴族の間で流行していたファッションでして、こちらはその中でもかなり状態の良いものなんです!ベベドールという種類なのですが、瞳はちゃんとガラスを嵌め込んだもので──……」

 

 二人は黙って八百万の説明を聞いていたが、ほとんど理解できなかった。しかし言葉の断片を拾う限りかなり価値の高いものだと察し、操は思わず顔を引き攣らせる。

 ──そんな貴重なものをほいほい渡すんじゃない……!

 彼女は人形をガラスケースごと操に押し付けると、「大切にしてくださると嬉しいです」と言って微笑んだ。操は同じように笑顔で返しつつも、「ビスクドールについてイチから勉強しよう」と固く決意したのだった。

 

「……はぁ、」

 

 訪問者がいなくなった自室で、操はひとりため息を吐く。

 ぐるりと室内を見渡せば、ドア横に設置されたブックシェルフの上には、八百万から貰ったアンティークドールが置かれていた。そして勉強机には蛙吹から貰ったマグカップが、卓上ライトの首元には麗日から貰ったお餅のぬいぐるみキーホルダーがぶら下がっている。

 本棚の一部を押して寝室スペースに足を踏み入れると、ベッドの上には複数のぬいぐるみが転がっていた。言わずもがな、ニワトリとピンクパンサーと紫のポケモン、そして黒猫である。

 それら一つ一つを眺めていると貰った時の状況を鮮明に思い出すのだから、物というのは不思議であった。ツギハギだらけの黒猫も、嫌な思い出もあったがいい思い出もある。

 

 たった数日で賑やかになってしまった部屋に、やはり操はため息をついた。何処を見ても何をしていても、クラスメイトから貰ったものが視界に入るのだ。

 しかし気分は悪くなく、口元は柔く緩んでいる。

 

「晩御飯まで時間があるし、勉強でもするか」

 

 操はパソコンを起動し、本棚から数冊の本を抜き取ると椅子に座った。そして机の上に積み上げられたままの本を横に退かし、今持ってきたものを空いたスペースに積み上げていく。

 パソコンで授業動画を流しながら本を読もう。操はそんなプランを立てながら目の前に散らばったルーズリーフを纏め、新しいものに手を伸ばそうとする。するとニッコリと笑うカエルと視線が絡んで、思わず手を止めた。

 

「……」

 

 一度手を止めた操はルーズリーフではなく空のマグカップを手にすると、パソコンをスリープモードにして立ち上がる。そして餅の揺れる卓上ランプのスイッチを切り、アンティークドールを横切りながら扉の向こう側へ歩いていく。

 家主不在の暗くなった室内では、四つのぬいぐるみが寄り添うようにして並べられていた。

 

 

【間話:ハルジオン 了】

 

 


 

 

【間話:behind the scenes】

 

 

「私の前髪をお前とお揃いにしてくれないか?」

「……前髪?」

 

 セントラル病院、ベストジーニストの病室にて。

 ベストジーニストから治療の依頼を受けたステンレスとリカバリーガールは入寮初日の午前中、ベストジーニストの下を訪れていた。

 個性を使用して彼の傷を癒やし、神野での出来事を話していた時のこと。治療を終えたベストジーニストが「何かお礼をしたい」と言った事が、冒頭の台詞のきっかけである。

 

 操の言葉にベストジーニストは目を丸くして驚いたが、対してリカバリーガールは眉間に皺を寄せて苦言を呈す。

 操とて、救いに対価を求めるつもりはない。何もふざけて「前髪を同じにしてください」と美容師でもない怪我人に頼んでいるわけではない。

 無理なら無理で仕方ないが、可能ならばやってほしいと思う理由があったのだ。

 

「……とりあえず、どうしてその願いに行き着いたのか聞かせてくれないかな?」

 

 それを察したのか、ベストジーニストはリカバリーガールを宥めると静かに耳を傾ける。

 だから操は意を決して、彼に「願い」の全貌を語るのだ。

 

 雄英高校は度重なるヴィランの襲撃、そして平和の象徴が居なくなった事をきっかけに全寮制を導入した。これは雄英高校に通う生徒たちを守るための措置であり、今まで以上に警備や防犯システムを強固にする覚悟の現れでもあった。

 それは即ち、クラスメイトと数日ぶりに再会することを指している。そして今後彼らと、卒業するまでずっと生活を共にすることを意味している。

 

「神野にうちのクラスメイトが来てたの、気づいてるよな?」

「……」

 

 ベストジーニストは何も答えない。子どもたちを守るために"答えてはいけない"のだろう。

 操は彼の返答を求めていない。だから彼が知っている前提で、このまま話を進めていく。

 

「相澤先生と約束したんだ。神野に来た六人を除籍処分にしないでって」

「……」

 

 実際操が何かをしなくても六人は除籍処分にならないのだから、約束を交わしたという言葉は不適切で、語弊がある。

 それでも操は実行するつもりだ。相澤に告げた言葉──『だから、私がちゃんと言う。死んでほしくないから、嫌われてでも、強く言ってやる。"お前たちのしたことは間違いなんだ"って!』──を。

 それで彼らに嫌われたとしても、彼らを傷つけたとしても。大切に思うなら、言うべきだと思うのだ。

 

「でもね……勇気が出ないんだ」

「……それはどうしてかな?」

「みんなに嫌われたくないし、傷付けたくないから」

 

 自分でも笑ってしまうほど、矛盾している。

 嫌われてもいいだなんて嘘。傷付けてもいいだなんて嘘。本当は、嫌われたくないし傷付けたくない。言わなきゃいけないと思うのに、言ってやりたいと思うのに、伝えるのが怖いのだ。

 自分でも、この相反した感情の名前がわからない。そしてあと一歩踏み出す勇気も見つけられなかった。

 

 けれどベストジーニストから依頼を受けたとき、操はある話を思い出したのだ。

 六月の職場体験で、爆豪勝己はベストジーニストによって前髪を"矯正された"こと。そしてクラスメイトたちは、あの時腹が捩れるほど大爆笑したこと。

 操に、ベストジーニストを笑い物にする意図はない。けれど操は、彼の手のひらを覚えている。

 あの晩、操は血の臭いが充満した瓦礫の中で、不安に押し潰されないよう血だらけのベストジーニストに縋るしかなかった。彼が弱々しくも呼吸をしていたから、操はなんとか希望を繋ぐことが出来た。折れそうな心を保ったまま、戦場を離脱する事ができた。

 救けたつもりが、操はずっとベストジーニストに救けられていた。

 

「怪我をしているヒーローに頼む事ではないが……ベストジーニスト、私に勇気をくれないか」

 

 申し訳なさそうに眉を下げ、懇願する操をベストジーニストは静かに見つめる。

 赤黒操がヒーロー殺しステインの妹だという事は周知の事実である。故にヒーローの殆どが、体育祭の時には彼女の言動に注目していた。

 ──彼女はヒーロー足りうる存在か。ヴィランの兄と繋がっていないか。思想はどうなのか。戦い方はどうなのか。

 ベストジーニストは操のことを、体育祭で見た限り爆豪勝己と同じで「矯正をするべき子ども」だと思っていた。しかし保須市の事件や今回の合宿で、彼女は答えを得たのだろう。

 今の操を見て、ベストジーニストは「矯正をする必要はない」と思っている。そしてヒーローとして、救けを必要とする子どもを見捨てるつもりはない。

 

「顔を上げろ、ステンレス。そのくらいお安い御用さ」

 

 前髪のセッティング(こんなこと)でクラスメイトたちと向き合えるのなら、喜んで力を貸そう。たとえ遠く離れていたとしても、この前髪のおかげで勇気を与えられるのなら、ヒーローとして嬉しい事この上ない。

 ベストジーニストが目を細めて笑うと、操はぱっと表情を明るくして同じように笑った。その満面の笑みは思っていたより年相応で、申し訳なさそうな顔をしているより何倍も良い表情だった。

 リカバリーガールはため息を吐きながら「仕方ない子だね……」と呆れて部屋を出て行ってしまったが、きっと今回のことで操を責めることはないだろう。

 

「でもさ、私が頼んでおいてあれなんだが……傷に響くよな……?」

「大丈夫だ、問題はないよ」

 

 ベストジーニストは大怪我のせいで手術をしたばかりだ。直前に操とリカバリーガールが回復したといっても、傷が治ったわけではない。だから操は今更ながら彼の負担になるのではないかと心配したのだが──……。

 リカバリーガールと入れ替わるようにして病室に現れたのは、彼のサイドキックだった。どうやら前髪のセッティングはサイドキックの人たちがやってくれるらしい。

 ベストジーニストは操に座るよう告げると、サイドキックに事細かく指示を飛ばしていく。操はワクワクしながら「ベストジーニストみたいにカッコよくしてくれ」と笑った。

 

「いいかステンレス、指は曲げずに真っ直ぐ伸ばすんだ」

「シュア!ベストジーニスト!」

 

 そして前髪をセットしてもらった操はベストジーニスト監修の元、決めポーズまで指南してもらう。それはプレゼントマイクから連絡が来るまでずっと続いていた。

 素直に教えに従いサイドキックと同じ返事をする操のことを、ベストジーニストは目を細めて眺めていたのだった。

 

 

【間話:behind the scenes 了】

 

 

 

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