ステイン妹のヒーローアカデミア   作:苗字ちゃん

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ヴィジランテ編

 見上げた空は美しく、太陽が煌めいてまるで宝石のようだった。

 朝の白んだ空はアクアマリン。日中の空は、ブルートパーズに近いかもしれない。

 ──うん、今日も綺麗な空だ。

 あれ程焦がれていたものは、見上げればいつだって私を見守っていてくれる。

 けれど手を伸ばしても届かないからこそ、私は一層焦がれてしまうのだと改めて思い知った。

 

 ──しかし、空を見て現実逃避をしている場合ではない。

 私は傷の癒えてきた体をゆっくりと起こして、辺りを見渡した。

 ここは駅前の公園にあるベンチ、その上。

 風が砂埃を運んで髪や頬に戯れつくけれど、私は黙ってそれを受け入れる。

 そんな事よりも、視界に入る人々の方がよっぽど印象的であったから。

 

「うーん。おもったいじょうに、せいきまつ!」

 

 あの八畳間のアパートは、薄汚れた鳥籠だと思い知った。

 何故なら、外の世界は決して天国などではなく、無法地帯だったから。

 例えるならば──ジャングルだろうか。

 

 まずは人々の見た目。

 私の両親や兄は人間らしい見た目をしていたが、外に出てみると奇形──ここでは異形というらしい──な人間が沢山いたのだ。

 蛇人間や犬人間、など。

 恐竜の頭を持った大きな体の女性が、化粧をして着飾っているのを見た時には少しだけ宇宙を背負ってしまった。

 あれは恐竜なのか、トカゲなのか。いや、重要なのはそこではないが。

 動物ならまだしも、頭だけパソコンのような人や、足が車輪のような形をした人まで見かけたことがある。もう意味がわからないよ。

 

 そして行動。

 両親は個性を使わず私に対して肉体的な暴力を振るってきたが、一歩外に出るともうそれは酷い。

 一体何が酷いかって?

 この世界では、一般的にヒーロー免許を持っているもの以外公の場での個性の使用は禁止されている。

 しかし、誰だって肉体の一部を使いたがる。そういうこと。

 

 警察やヒーローの見ていない所ではみんな当たり前に個性を使用し、喧嘩し、通報されれば捕まる前に逃げていく。

 突然自転車程のスピードで横を通り過ぎる人や、腕を長く伸ばして遠くのゴミ箱にゴミを捨てる人。指先に小さな火を灯してタバコに火をつける人、など。

 とにかく、当たり前のようにびっくり人間が溢れかえっていた。

 

 そして、暴力への慣れ(・・)

 出会い頭に殴りかかってくる、とかそういうものではなくて。

 この世界にはヒーローがいる。なので勿論、ヒーローを育成するヒーロー科という学校が数多く存在していた。

 この世界では、そのヒーロー科の体育祭という名ばかりの個性の殴り合いが全国中継されていた。それ毎年を楽しみにしている人だって、数多く存在する。甲子園じゃねえんだぞ。

 

 それだけではなく、ヴィランが暴れれば人々は野次馬しヒーローが到着するまでその場を見物。

 後にマスメディアも駆けつけて、ヒーローがヴィランを倒す瞬間をライブで放送する。やめなさい!

 倒れたヴィランを映しては、メディアはヒーローを讃えた。そして「私たちの世界はこうして守られているのだ!」と高らかに締めくくる。

 勿論過度な人体欠損や、臓器や骨が見えるような大怪我は配慮されているのか、それともヒーローの非難に繋がるためか流さないが。たまに放送事故として流れているときは、ある。

 

 人が人と戦って怪我をし、血を流し、苦しんでいる。そしてそれを平然と放送している日常。

 それらを当たり前に見る人々が「頑張れ!」って普通に応援しているような世界。いや、応援できるような世界。

 

 ──恐ろしいと思った。

 この世界の人たちは個性で人を傷つけることに、少なくとも見慣れているのだ。

 実際テレビや新聞ではニュースとして、または娯楽として数多くのヒーローが世に出回っている。

 以前の世界のように人種の差別はなくとも、個性の差別は数多く。「蛙の子は蛙」といった、個性が発覚する前にあったことわざもタブー視されている。そんな世界。

 ──思った以上に世紀末だなぁ。

 あの地獄から飛び出しても、至る所に危険が転がっている。

 この世界は息苦しいな、と思いつつ。

 私は再びベンチに大の字になって寝そべった。

 

 今更だけれど、私の名前は赤黒操(あかぐろみさお)というらしい。

 逃げなくてはと扉へ向かってゴミの中を這っていた私は、扉の先の兄を見て気絶をしたそうだ。

 それを見かねた兄がその場から連れ出して、今は兄の家にいる。

 あれから数週間が経つが、外で好き勝手暴れる人々に関わらなければ、実に平和な日々を過ごしていた。

 

「ヒーローとは見返りを求めてはならない!何故ならば、自己犠牲の果てに得うる称号でなければならないからだ!──なのに今のヒーローはどうだ!?」

 

 ──絶賛、やかましい演説が耳をついているけれど。

 兄である血染(ちぞめ)は、少々、いや、かなり変わった人物であった。

 駅を転々と移動しては、そこに居る人々に向けて『英雄回帰』という名の演説を日々行なっている。内容は"正しいヒーローの在り方について"だろうか。

 何が凄いかって、睡眠・食事・仕事・その他諸々の必要最低限以外は全て演説に時間を費やしているのだ。

 どう考えても変わっている。コレが変わっていると言わずに何という?

 むしろその時間を割いてまで私に会いに来てくれたのが奇跡に近い、と数週間兄と共に生活をして思ったのだった。

 

 

「いいか(みさお)。ヒーローとは見返りを求めてはならない。自己犠牲の果てに得うる称号でなければならないからだ。……なのに!最近のヒーローは有名になりたいだのそんな戯言ばかり言っている!俺はそれが許せない!何故なら、人を救うのが真心から思う"目的"である事が、真のヒーローたり得る姿であるからだ!収益や地位を得るための"手段"のために、ヒーローの名を語ることは断じて許してはならない!今のヒーロー科は教師も生徒も腐敗していて、このままだと数年後にはヒーロー全体が腐ってしまい、さらに社会まで腐乱していく!だから俺は──」

 

 ──わたし、ようじょだから。お兄ちゃんがなにいってるのか、わかんなぁい!(白目)

 私を家から連れ出した兄は、毎日のようにヒーローについて語っていた。

 兄の思う、理想のヒーローについてだ。これが演説の内容でもある。

 いやフツーに考えて四、五歳の幼女に聞かせる内容じゃないだろ。もっとわかりやすく五文字で説明しろ?

 それとも洗脳したいのかな?それが目的なの?

 ──と、最初は疑っていたが、兄にそんな気はないのか、ただ思っていることを話したいだけのように感じた。

 誰にも同意されないから、同意してくれる人を探していたのかもしれない。

 

 演説をしている兄を見る人々の視線は、とても冷たいものだった。

 私はそれを側から見て両親を思い出したくらいだ。

 配ったチラシをわざわざ受け取っては捨てて、踏み潰すような人として終わっている人もいた。兄の演説に「うるせぇ」と罵声を浴びせる人もいた。

 ──それでも、それでも。兄は毎日演説を続けていた。

 いつからやっているのか聞いてみれば、もう数年はやっているらしい。メンタル強すぎだろ。ダイヤモンドか?

 

 兄の言っていることに理解が出来ないわけではない。

 事実、私は腐敗したヒーローに出会った事があるのだから。あの時の衝撃は忘れないし、忘れられない。

 ──ただ、完全に同意はできないと思った。

 人を助ける気がないのなら、ヒーローをやめろとは思う。被害者にとって、期待させるだけ酷だから。

 けれどヒーローを志しながらも芸能界で活躍したり、富を築いたりするのは少なからず本人の自由だし、努力だとも思う。

 ヒーローをちゃんと(・・・・)行っているのなら、それ以外ルールを破らなければ何をしてもいいのでは?と思うのが私の見解。

 

「言葉では限界があるのか……このままでは社会全体に癌が蔓延り、腐敗してしまう……」

 

 ──ねえ、お兄ちゃん。

 貴方は一体何をそんなに恐れているの?

 演説をするのは兄の自由だ。だけど兄の思想を人々に押し付けるのは違うと思うし、ちゃんとヒーローをしている人を否定するのも、違うと思う。

 それに、見向きもされない事を毎日続ける意味ってあるのだろうか。兄にとっても、社会にとっても。

 

 遠回しなそんなことを伝えれば、兄はギンッと目を鋭くして私の頬を大きな手でガッと掴んだ。

 ──ギャァ!目付きが悪い!怖い!!

 

「俺はまだ社会を正す事を諦めてはいない。なのにお前が勝手に諦めるのはどうかしている。俺はそれが心底気に食わない……」

 

 そう凄まれて、思わず納得してしまった。

 確かに、兄は諦めていないのに私が「人の心を変えるのは無理」だと諦めていた。

 無理かどうかなんてわからないのに、私の物差しで勝手に測って、勝手に決め付けていた。それは、よくないことだな。

 ──ならば、

 

「じゃあおうえんする!」

 

 兄は、人はいつか正しい社会に辿り着けると信じてやまず、夢を追いかけている途中なのだ。

 助けてもらった恩が数えきれないほどあるし、私は兄の側で支えよう。

 ここまで来たら一蓮托生、二人三脚だ!

 ──ということで、一緒にチラシでも作ろうか。

 そう思いサムズアップすれば……

 

「必要ない、落書きならこの裏にでもしていろ」

 

 そう言って手渡された、スーパーの特売チラシ。

 ──この、お兄ちゃんのわからず屋!!

 私は思わず受け取ったチラシを破り捨てた。

 

 

 最近の私は、演説や兄が仕事に行っている時間を使って本を読むことにしていた。

 ボロボロで破れていたり、黄ばんでいる本を取り出して、紙のページを捲る。

 状態からわかるように、これはゴミ捨て場で拾ったものだ。

 

 この世界の知識を得るために手っ取り早いのは本を読むこと、テレビを見ること、パソコンで調べることだろう。

 保育園や学校に通っておらず、本を買えるほど裕福でもない私が出来るのは拾ってくることくらいだ。資源ゴミの日は毎回チェックをしている。

 有難いことに文字は前の世界と同じなので、難なく読む事ができた。

 しかし教育を受けていない幼女が漢字の使われた本を読んでいるのはあまりに不自然である。

 ──ので、私はわざわざ幼児向けの本を探したり、幼女ムーブをかまして兄に尋ねたり、ひらがな一覧表まで作った。抜かりなくいこう。

 

 そして今日は資源ゴミの日!

 ゴミの日は好きだ、状態の良いものを探して拾ったり出来るから。

 だから私は昨日の夜からとても気分がいい。こんな物好きな幼女、世界的に天然記念物であろうな。

 そんな事を考えながらゴミ漁っていると、いつもゴミの日に会うオッサンがこちらをじっと見つめていた。

 ──ヤベ、ゴミ漁りとして通報されるかもしれない。

 そう思ってニコっと、害はないよと幼女スマイルで相手を見つめ返す。頼むから通報はしないでー!

 そう思いながらも長くこの場にいるのはまずいと感じたため、私はニコニコしつつ状態のいい本や、興味のある本を両手いっぱいに抱えた。

 そしてオッサンに会釈して駆け足で横を通り過ぎたのだった。

 これが私の日課である。エブリデイ・ゴミ漁り!

 

 

 一人、部屋で大人しく本を読んでいると兄が帰宅した。

 何やら部屋の隅でアタッシュケースを取り出し、中身を念入りに確認している。

 私は本をその場に置き去って、兄の背後からケースの中身を覗き込む。

 ──どれどれ……ボディースーツに袖のないダウンジャケット、そして顔一面を覆う仮面、だろうか?

 しかし兄は私に見られていることに気付くとケースの蓋を閉め、それを押し入れにしまった。ご丁寧なことに、椅子を使っても私が届かない程高い位置に、である。

 ──ハハーン、よほど見られたくない物と見た。よかろう!ならば!

 

「あれれ〜?お兄ちゃんいまのなに〜?」

「お前には関係のないものだ」

 

 全力でコナソ君ムーブをしたのだが、見事に一刀両断されてしまった。

 ──くっ!なんて手強い兄なんだ!

 しかしこんなことで諦める私ではないぞ!なんせ今の私は見た目は子ども、頭脳は大人な名探偵である。

 

「いまのってもしかしてヒーロースーツ?お兄ちゃん、ヒーローになるの?」

 

 食らえ!コナソ君の「わかっている癖に再確認して言質を取る」戦法!

 小首を傾げて可愛らしく聞くが、兄は鋭い目つきで私を見下ろすばかり。

 ──ヤベ、怒らせたかな? そう思ったのだが、兄はため息をつきながら私に背を向けるだけだった。

 

「ヒーローにはならない。俺はただの、英雄の理念に奉仕する凡骨に過ぎないのだからな……」

「りねんにほうしするぼんこつぅ……?」

 

 まーた難しい言葉使ってるよ、と思いつつも幼女らしく小首を傾げた。

 しかし兄は私を見ることはなく、アタッシュケースをしまった位置をじっと見つめている。

 その目には、演説をしている時のように信念がぐるぐると渦巻いていた。

 その目は少しだけ、怖い。

 兄の理想や、願いが叶わなかった時に。酷く変貌してしまいそうだったから。

 

「言葉で伝わらないのなら、俺が断罪者になればいい。そう思って用意した物だ」

 

 ──なんか物騒な単語が聞こえた気がする。

 そうは思ったものの、兄はもう話す気がないのか口を頑なに閉ざしてしまったので、私も大人しく本を読むことにした。

 幼女ムーブとして喚き散らして駄々を捏ねることも出来たが、精神が大人である故の恥ずかしさと──恐怖には叶わなかった。

 

 兄は両親ほど心が狭くない。というか両親が狭すぎるだけかもしれないが。

 寡黙で目つきの悪い兄だが、話しかければちゃんと答えてくれるし、何かを尋ねても知っていることなら教えてくれる。

 兄の服を布団にして爆睡していても怒らないし、寒い時に兄の布団に潜り込んだら何か言いたげな顔はしていたが、結局好きにさせてくれた。──許せ、脂肪が無いもんで寒さに弱いんだ。

 閑話休題(話が逸れた)

 とにかく、そんな兄ではあるが機嫌を損ねたら──私は捨てられるのではないか。

 そういう恐怖が、私の心を巣食って、常に渦巻いていた。

 いやぁ、ろくでなしの両親のせいでトラウマになっちゃったな〜!と思いながら、今日も今日とて私は兄の顔色を窺って言葉を発するのだ。

 

 床に座り込む兄の背中に、己の背を預けて座る。

 冷たい背中だなぁ、と思いながら。私は黄ばんだページをゆっくり捲る。

 その瞳が、世界に失望して迷わぬようにと。

 二人で行く未来を、少しだけ案じながら。

 

 

 

「お兄ちゃん、ちょっとゴミあさ──……ほん拾ってくる!」

「……こんな時間にか?」

 

 今週もみんな大好き(当社比である)資源ゴミの日がやってきたが、朝盛大に寝坊した私は兄に連れ出され演説をBGMに暇をつぶし、気付けば夜になっていた。

 本の回収がまだであった為こんな時間に家を出ようとしたのだが、そんな私を見て、兄は少しだけ目を細めた。

 

「お兄ちゃん。にんげんは、ルールをまもらない」

「……今更だな。それに何の関係がある?」

 

 ──つまり、ゴミの回収時間が過ぎても資源ゴミが置いてあるということだ!

 どーん!と声高らかに宣言すれば、兄からは呆れたような視線が返ってきた。

 兄と住むこの家の立地は悪い。安さ故に近所に住む人々の素行も良くない。そういうことなんだよ……!

 

「またむずかしい本があったら、字をおしえてね!」

 

 そして私は兄に見送られ、家を飛び出した。

 日は傾き、あたりは暗く。

 月は雲に隠れ、姿を見せない。

 頼りない街灯の光だけが道導であった。

 ゴミ捨て場の近くまで来て、そして。

 ──やっぱり私の読み通り!と、紐で括られていない本や新聞が山積みになっているのを見つけて駆け足になる、が。

 

「!?」

 

 操がゴミ捨て場にたどり着くことはなかった。

 夜だったからか、意識が本に向いていたためか。

 闇に潜む人影に気づけなかった操は、その太く大きな腕に体を攫われる。

 ──な、なに、だれ!?

 突然のことに驚いて声が出ない。しかし見上げた先にいたのは、いつもゴミ捨て場であうオッサンで。

 

「きょ、きょうは……随分と、お、おお、遅いんだね……!」

 

 荒い息遣いに、熱をどろどろに煮詰めたような瞳。

 ──あ、コレヤバいかも。

 そう思っても、小さな体では抵抗することすら難しく。

 背筋に嫌な汗が伝ったまま、操は口を塞がれて男にその場から連れ去られたのだった。

 

 ギシギシと軋む、錆びた階段の先。

 連れて来られた部屋は最悪だった。

 両親のいた、八畳のアパートと酷似したゴミだらけの汚い部屋。

 暫く干していないのか、湿って冷たい布団。薄汚れてシワシワのシーツ。

 ──壁一面に貼られた、幼児の写真。

 盗撮だろうか、ブレているものや不自然に写っているものが多い。そして吐き気を催す裸体のものまであった。

 ──コイツ、ペドフィリアだ!

 連れ去られた理由が明白になる。何たって、私は何処からどう見ても幼児なのだから。

 

 硬い布団に乱暴に私を投げ、上に跨る男は興奮しているのか。服を押し上げて反り立つソレに背筋が凍る。

 慌てて逃げようとするが、貧弱な幼児である私の腕を捉える力は強く、振り解けそうにない。

 小さな体にのしかかる、重たい体。故に私は動くことが出来なかった。

 気持ちの悪い息遣いが頬を撫で、体を這う無骨な手のひらが、服を弄る。

 

 ──続いてのニュースです。街中で暴れていた大型のヴィランを、オールマイトが一瞬にして倒しました。

 

 そんな最中で、ラジオの音が耳に飛び込んでくる。

 オールマイトは、今日も人を救ったらしい。

 助けを夢見た私はもういない。

 自分の身は自分で守るのだと、あの日気付いたから。けどさ、

 ──自分の力じゃどうしようもない事態に陥った時は、どうしたらいいの?

 

「だれか、誰かたす──」

 

 口を鼻ごと塞がれて、息が出来ない。

 ──助けて、と。

 口にすることすら、許されないのだろうか。

 

 ねぇ、オールマイト。

 私の声は、一体いつになったら貴方に届くのかな。

 

 どうしても届かない光に、手を伸ばす。

 視界が黒く塗り潰される、その瀬戸際に。

 一筋の赤い光を、見たような気がした。

 

「──ここにいたか」

 

 扉が音を立てて吹き飛ばされた。

 その向こうに青空は見えない。だって今は夜だから。

 けれど、その先にはやっぱり兄がいた。

 押入れの奥にしまった、あの衣装を身につけて。

 

「な、なんだ貴様は!」

「俺の名はスタンダール、悪を裁く者」

 

 兄は一振りの刀をその手に持っていた。

 何処に隠していたのだろう、とそんなことを思っていると背中の重みがなくなった。

 そして、

 ──降り注ぐのは鮮血の雨。

 それは赤黒(・・)く、私たちを()()めていく。

 

「──貴様という罪を断つ、断罪者だ」

 

 視界が黒く塗り潰される、その瀬戸際に。

 一筋の赤い光が、私の目の前に現れた。

 それは赤黒く、とても綺麗だとは言えなかったけれど。

 伸ばされた私の手を、力強く握り返してくれた。

 

 私の危機を救ってみせた兄は、一つの灯火を躊躇なく断ち切った。

 

 

 

 

 あれから数日。

 あの日の夜から、変わった事がある。

 まずは家。

 あの男の近場にあった家では暮らすことが出来ない為、兄は私を連れて別の家へと引っ越した。

 次に、兄。

 

 私は一人、駅のゴミ箱に乱雑に突っ込まれた新聞を引き抜いた。

 一面にはあの(・・)錆びた階段とアパートの写真が印刷されている。

 『幼児連続誘拐犯、死亡。部屋の中から四人の腐乱死体が見つかる。警察は彼が何者かに殺害されたとみて、捜査を続けている──』

 私は用済みになった新聞をぐちゃぐちゃに丸めて、再びゴミ箱へ戻した。

 

 兄は変わった。

 どのように変わったのかといえば、兄は今まで演説という言葉で人々を変えようとしていた。

 しかしあの日から、兄は演説することを辞めた。

 行動に移してしまった。直接訴えかけるのではなく、向き合うのではなく、排除という形で。

 腐敗したヒーローを変えるのではなく、救う価値のない悪を裁く断罪者と変貌したのだ。

 ──そのきっかけは、私だった。

 

「……お兄ちゃんなにしてるの?」

「スタンダールだ。公私混同はしたくない、兄と呼ぶのはやめろ」

「ういっす」

 

 昼下がりの路地裏。

 目の前に現れた「スタンダール」は腕を組みながら、私を仮面越しにじっと見下ろした。

 これは兄の自称であるが、演説をしなくなっただけで兄は昔と変わらず理想のヒーロー(オールマイト)のため社会に奉仕する一般人らしい。

 しかし。夜になるとあの仮面をつけ、スーツを身に纏い、兄から「スタンダール」へ変貌を遂げる。

 

 スタンダールはヴィジランテだ。

 ヒーロー免許を持たない無許可の非合法(イリーガル)ヒーロー、その通称を自警団(ヴィジランテ)

 兄はそんなヴィジランテの中でも過激派に属する。

 信念なく力を振るうことを罪とし、罪が容貌を成した者をヴィランとし、罪人を容赦なく断罪する。

 

 兄は変わってしまった。

 他の誰でもなく、私のせいで。

 赤黒く血に染まっても何とも思わず、自身の信念を貫き続ける凶悪なヴィジランテ(ヴィラン)へと。

 

 ──一蓮托生、二人三脚だ。

 いつか思ったその言葉を、頭の中で反芻する。

 この姿が私のせいならば。私は兄の側にずっといよう。

 例えその手が、二人で進む未来が。

 どれほど赤黒く、血に染まろうとも。

 

「また危ない目にあっては困る。お前は強くなれ、操」

 

 スタンダールからの申し出は、正直願ってもない事だった。

 

「しかし、信念もなく力を振るうのは許さない。お前が力を使うのは、その身を守る時だけだ。約束できるか?」

 

 その問いかけに、私は力強く頷いた。

 そこから兄と──いや、スタンダールとの修行の日々が幕を開けた。

 自分の身は自分で守れるようにするために、二度と助けを求めなくて済むように。

 ──あの日から、私も変わったのだ。

 

 それは第三者が見たら一方的な暴力にも見えただろう。

 兄は人に何かを丁寧に教えたことがないのだろうな、と思う。それは体験すればよくわかった。

 けれど兄は兄なりに、私の身を心配してくれた──と都合よく解釈することにしよう。

 ともかく、私は数日おきに兄、いやスタンダールによってボコボコにされていた。

 

 容赦なく蹴られ、殴られた。

 おかげで殴られたり蹴られることに耐性が付き、怯んで目を閉じることがなくなった。

 次に蹴り飛ばされ、投げ飛ばされた。

 おかげで受け身を自然に取れるようになった。衝撃を緩和しようとする人類の進化を、身を以って経験した。

 長い月日が経った頃。私がある程度避け、防御し、立ち回れるようになったら彼は刃物を取り出してきた。

 流石にそれにはギョッとしたのだが、彼は私の血が付着した小型の刃をべろりと舐めとる。

 ──瞬間、私は動けなくなった。

 兄はそんな私を容赦なく蹴り飛ばした。受け身が取れなくて、叩きつけられた背中が痛い。

 すぐに起き上がって体勢を整えなければ再び蹴りが飛んでくるだろう。

 しかし、私の体は不思議なことにピクリとも動く気配がなかった。

 

「これは俺の個性。血を舐めることで、相手の体の自由を奪う個性だ」

 

 ──そういえば個性の存在を忘れていた。

 目を白黒させる私の目の前にしゃがみ込んだ彼は、淡々と自身の個性について説明をしてくれる。

 そして最後に、兄妹である私にも同じか、似たような個性があるはずだ、とも。

 そして判明した、私に宿った個性は兄とは違うものだった。

 血で動きを封じるのではなく、血を操るモノ。自身の血は勿論の事、舐めた相手の血を一定時間操ることができる個性だった。

 

 個性が判明してからも、スタンダールとの修行の日々は続いた。

 スタンダールは時に小型のナイフを投げ、容赦なく殴り、蹴ってくる。

 流石に日本刀を使うことはなかったが、性差だけでなく体格差もある大人が相手なのだ。私にとっては十分脅威だった。

 手加減をされているのに、全く勝てる気配がしない。

 しかしいつしか私は、殴打されることの痛みも、飛んでくる刃物への恐怖も無くなっていた。

 深く肌を切り裂かれたとしても、血液を操作して瘡蓋にすることが出来たからだ。

 

「お前は血中の成分も操作できるのだろうな」

 

 ヘモグロビンとか、赤血球とかだろうか?

 しかし意識してもよくわからなかったので、基本的には傷口を瘡蓋で覆うか、自身から流れ出た血液を操作する訓練をしていた。

 故に、私の左手首には何度も何度も刻まれた傷があった。それは赤黒く存在を主張している。

 ──うーん、個性の訓練のために自傷をしているのだけれど。

 パッと見虐待されて精神的に苦しんでいる子どもにしか見えないな!

 私は傷口を眺めながら、まあいいかと地面に寝そべった。

 ビルの合間に見える空の位置は高く、遠い。

 しかしいつ見ても、色褪せずに綺麗だと思った。

 

 私は成長しとっくに幼児ではなくなっていて、間も無く二桁へ突入する年齢になっていた。

 戸籍があるのかは不明、身分証明書も手元にない私は兄の脛を齧って生きていくしかなかった。

 ──万引きとかしようものなら、スタンダールに切り殺されるだろうなぁ。本当にやりそうな所が地味に笑えない。

 

 私はあの日から強くなっただけで、それ以外はあまり変わっていなかった。

 資源ゴミの日には相変わらず本を拾っていた。チラシの裏をノート代わりに、知識を埋めるのが楽しかった。

 廃墟の屋上で空を見上げて、風を感じた。空は遠いけれど、とても綺麗だった。

 家電屋の前を通り過ぎた時に、薄型のテレビの中にオールマイトを見かけた。今日も人を助けているんだなぁと思った。

 路地裏で痩せ細った猫を見かけたので、持っていたパンを分け与えた。誰かと一緒に食べるご飯は、嫌いじゃなかった。

 

 兄と共に住む場所を転々としながらも、私の生活は昔から大きくは変わらない。

 夜に血に染まった兄を出迎えては、その血を舐めて跡形もなく痕跡を消す。

 顔の前で漂う赤黒い血液を蝶の形に操作して、ヒラヒラと部屋の中に羽ばたかせた。

 ──見て見て、蝶々〜!

 拾った図鑑の蝶のページを眺めながら、羽の細部まで細かく再現させた蝶を兄の眼前に羽ばたかせる。

 兄はそれを鬱陶しそうに眺めていたので、それにいたずらっぽく笑って、赤黒い蝶は風呂場の浴槽の中へ溶けて消えていく。

 そんな赤黒い光に照らされた、数年間を過ごしていた。

 

 

 とある夏の日の夜。

 けたたましく鳴るサイレンの音に、私たちは叩き起こされた。

 時刻を確認すれば深夜の二時半。

 瞼を擦りもう一度眠ろうとするけれど、サイレンがうるさすぎて寝れそうにない。

 ただでさえ暑くてイラつく心に、燃料を投下されているようだった。

 

「なんなの!?うるさいんだけどー!」

「見ろ、火事だ」

 

 窓の外で、黒煙が空へ登っている。

 その煙があまりに黒く汚れていたので、明日の空が汚れてしまうんじゃないかと心配になった。

 ──いや、心配すべきはそこではないか。

 眠い目を擦りつつ、兄と共に現場に向かえば、私たちと同じように数多くの野次馬が、燃え盛る家を離れた場所から眺めていた。

 現場には一人のヒーローがいる。

 二階のベランダには「助けて」と泣き叫ぶ女性がいた。

 ヒーローは、二の足を踏んでいた。

 その様子に野次馬は口々に非難するが、彼は狼狽えながら「俺は火に弱いんだ!」と助けに行かない。

 ──わからなくもないけどさ、火の中にいる人からしたらそれってないよね。

 火の中に飛び込め、とは言えないけどさぁ。もっと違う言葉があるんじゃないの?

 そう思って私は兄を見上げたが……え、ヤバ。

 

「──お兄ちゃん?」

 

 兄は、もの凄く怖い顔をしていた。

 火をつけたヴィランに対して?

 いいや、違う。

 兄はヒーローを見ていた、睨み付けていた。

 ──怖かったけど、指摘できなかった。

 指摘してしまったらなんだか"また"兄が変わってしまいそうで。

 私はただ兄の手をそっと握って、消防士や別のヒーローが到着するのを、他の野次馬と共に見守っていたのだった。

 

 

 

 鳴羽田(なるはた)市。

 ビル街が多い首都に近い街。私たちは今、そこに潜伏している。

 ──操、今晩は家を出るなよ。

 兄はスタンダールになる日の夜、必ず私にそう告げる。

 兄がスタンダールになってから五年近く経ったが、あの日以来私は兄の犯行(裁き)を目にしてはいない。

 それが兄なりの優しさなのか、別のものかはわからないけれど。

 私は手を振りながら返事をして兄を見送りながらも、後に頭を掻いて布団にダイブした。

 

 自分の個性が血に関係するものだからか、私は血の臭いには敏感である。

 数日前から兄が複数の人の血を持っていることに気がついたので、私はこっそりと荷物を漁ってみたのだ。

 そこにはラベルの貼られた採血管が四つ。ご丁寧に名前まで記載済み。

 後日図書館のパソコンで名前を調べてみた所──指定敵団体、暴力組織の幹部の名前がヒットした。簡単にいうとヤクザだ。

 ──うん、スタンダールが嫌いそうな肩書きだね!しかも彼らの所在地はこの鳴羽田市だ!

 私は頭を抱えたくなった。あれは完全に標的を殺すために用意されたものだと気付いたから。

 

 数年前のあの日、兄が変わってしまった。

 その原因の一端を担ったからこそ、私は兄と共にいようと決めた──が、

 兄が人を殺すのは嫌だった。

 私を二度も私を救ってくれた兄は、一体いくつの命を葬ったのだろう。それを考えるのがとても恐ろしかった。

 私に流れる血は温かく、朝日が登れば当たり前に明日がやってくる。

 けれど兄に付着した赤黒い血は恐ろしいほど冷たくて、明日がないのだと嫌でも気付いてしまった。

 止めるべきだろう、普通ならば。けれど私には止められなかった。

 ──だって止めてさ、兄に捨てられてしまったらどうしよう。

 その気持ちが心に蓋をして、私は見て見ぬふりをした。その方が楽だった。

 私はあの日より、何倍も強くなった。

 でも、兄を、この心をどうにかできるほど、強くはなかった。

 

 

 

 見上げた空は青く、綺麗なまま。

 見上げている私は赤く黒く、あの時より随分と汚くなってしまったね。

 骨の浮き出た猫を横に侍らせ、私は路地裏で空を見上げ黄昏ていた。

 足に擦り寄る猫を指先でそっと撫でて、時々パンを分け与える。

 そんな平凡な空間に、乱入者が現れた。

 

「なんだガキィ〜?この時間は学校に行く時間だろうが!」

 

 よくわからない絡まれ方だった。

 高校生くらいだろうか?制服を着崩した男の顔はほんのり赤く、手には缶ビール。

 犯罪だな、未成年の飲酒は禁止されている。──兄の犯行に目をつぶる、私が言えたことではないが。

 私が怯むことなくゆっくりと立ち上がれば、猫は身を守るために駆け出し、逃げていった。正しい判断だと思う。

 ──自分の身は、自分でしか守れないからね。

 私は男の前に迎え撃つように立ち塞がって、躊躇なく自身の手首を切った。

 太い血管からどくどくと血が流れ、それを見た男の顔は青ざめ、一歩身を引く。

 おやおや?酔いが覚めたようでなによりですねぇ?

 

「お、お前、気持ち悪い!ヤバいんじゃねぇの……!」

「気持ち悪いのはアンタだ。まず口が臭いんだよ、ばーか!」

「シンプルに罵倒!?」

 

 私が一歩近づけば、彼は一歩後ろに下がる。

 彼の視線は手首から滴り落ちる血液と、私の顔を交互に行き来していた。

 ──向こうから仕掛けてくれなきゃ、やり返せないんだけどな。

 私は兄の顔を思い出しながら、どうしようかと思案していると。

 

「そこで何をしている!?」

 

 路地裏に、新たな乱入者の声。

 二人の間に割って入ってきたのはフルフェイスヘルメットに、似たようなスーツを身に纏った──ガンダムみたいだ──男だった。彼はヒーローだろう。

 こんなコスプレじみた格好をして平気で外を歩いているのは、ヒーロー以外にはいない。この数年できっちりと学んでいる。

 ヒーローが割って入ってきた所で、絡んできた男は缶を投げ捨て慌ててその場から立ち去った。

 待て、と追いかけようとするヒーローは目敏く私を視界に入れて──その足を止めた。

 そしてそのまま私の目の前に来ると、血が流れたままの腕をとった。

 

「君!怪我しているじゃないか!?彼らにやられたのか!?」

「んーん、自分でやった」

「……そうか、手当てするからこっちに──」

「や、そーゆーんじゃなくて。個性で」

 

 ──ほれ、と。

 血を止めて見せれば彼は驚いたように固まった。ヘルメットで表情は窺えないが、きっと目を丸くしているのだろう。

 個性の説明を軽くして、男を撃退するために使おうとしたのだと言えば怒られた。何故怒られたのかはわからない。

 そんな私に気がついたのか、彼は「自分の体に簡単に傷をつけるな」と。そう付け足したのだ。

 ──自分の体なんだから、自分でどうしようが私の勝手じゃん。傷は塞げるし、問題はない。

 私は彼の話を適当に聞き流しつつ、じっと睨みつけた。

 

「てか、アンタだれ?」

「俺か?俺はターボヒーロー、インゲニウムだ!」

「だから誰?知らないんだけど」

「はは、知らないか!俺もまだまだだな」

 

 ジトっと睨む私に、困ったように笑うインゲニウムとやら。

 それを無視して路地裏から大通りへと出れば、彼は私の隣を並んで歩く。

 

「なに?まだなんか用あんの?」

「いや、送ってくよ」

「いらない、ついてこないで」

「まあまあ、そう言わずに」

 

 ──ヒーローという肩書きを利用して、収益や地位を得ようとする。俺はそれが許せない。

 何故だか、幼い時に聞いた兄の言葉を思い出した。

 このヒーローがどんなヒーローかは知らない、知ろうとも思わない。

 だって私には、関係ないから。

 

「これ以上ついてきたら通報するからね」

 

 適当に駅前まで歩いてからそう言えば、彼は相変わらず困ったように笑っていた。

 

「気をつけて帰るんだぞ」

 

 と、そう言って。

 彼は私が見えなくなるまでずっと、私の姿を見守っていた。

 それがなんだか無性に気に食わなかった。

 理由は、わからなかったけれど。

 

 

 

 今日は生憎曇っていて青空は見えそうにない。

 時々見える雲の切れ間から差し込む太陽の光は神秘的で素敵だとは思うけど、やっぱり一面の青空が一番好きだとも思った。

 ──空を飛べたら、雲の上に行けるのになぁ。

 そんなことを考えながら歩いていると、突然視界の端に大きな物体が映り込み、反射的に手で握り潰してしまった。

 嫌な感触を感じつつも手を開くと、手のひらには握り潰された蜂がいた。

 ──こんなビル街に蜂?

 疑問に思ったが、咄嗟とはいえ見事にお尻の針以外を握り潰している自分の才能が憎い。少しだけ気分が良くなった。

 

 しかしそんな気分も束の間、すぐ近くを歩いていた大人が「ア、アアア──」と自身の体を抱きしめながら蹲る。

 ──ワァ、映画なんかで見かけるよね、こういうの。このままゾンビになったり、体が肥大化して暴れまわるタイプのやつ!

 その予想は良くも悪くも当たっていて、彼はみるみるうちに大きくなって、八本の足をくねらせ、振り回し始める。

 パッと見タコの個性だろうか。タコは力が強いから厄介だなぁと思っていると、足の一つは此方へ伸びてきたので──私は躊躇なく手首を切った。

 切りながらも血を巡らせ、身体能力を向上させてその足を難なく避ける。

 別の足に囚われた人々が握り潰されそうになって、苦痛に顔を歪めていた。

 再び迫ってくる足は、二本に増えている。

 それを避けつつも攻撃に転じようと血の流れる手を向けて──私は躊躇してしまった。

 

「信念もなく力を振るうことは許さない」

 ──何故だろうか。兄のその言葉が、脳裏を掠めたから。

 

「体の制御が利かないんだ!逃げて!!」

 

 視界の目の前に迫った足をギリギリかわしたが、体勢を崩して地面へ転がってしまう。

 慌てて体勢を立て直そうと体を起こした時──既に、彼は地面に伏せていた。

 

「皆さん大丈夫ですか!」

 

 ターボヒーロー・インゲニウムが個性を暴走させた男を取り押さえていたのだ。

 近場にいたのか、事件を聞きつけて駆けつけてきたのだろう。

 そして次々と現れるサイドキックにより、捕まっていた人も解放されていく。私の元にもサイドキックの一人が手を差し伸べたが──私はそれをとらず一人で立ち上がった。

 

「キミは……また怪我を!」

「別に平気だって」

「平気じゃないだろう!……痛くないのか?」

「? このくらいの痛み、どうってことないケド」

 

 普通の人と違って簡単に血も止まるしね。

 私があっけらかんと答えれば、彼は悲しそうな顔をした。

 ──よくわからないな、その表情の意味は。

 居心地が悪くて、目を逸らした。そのまま私はヘルメットを外した彼に半ば無理矢理連れられて、渋々傷の手当てを受けていた。

 間も無く警察が到着し、拘束されていた男は連れていかれる。

 野次馬も引いて行き、いつもの日常に戻りかけた時。インゲニウムは同じく立ち去ろうとした私の横に並んで歩いてきた。

 

「送っていくよ」

「断る。知らない人には気をつけろって、お母さんが言ってたから」

 

 真っ赤な嘘である。

 私の母はそんな事を言うような優しい人間ではない。

 

「これでもヒーローなんだけどな」

 

 彼はそんな私の態度に気を悪くせず、困ったように笑っていた。

 私は彼に背を向けて、黒に染まりつつある街の中を歩いていく。

 それから彼に会うことは、二度となかった。

 

 

 

 

 手首の傷口から、血が滴り落ちる。

 それは床に落ちる前に、形を変えて──部屋の中を飛び回る蜂となった。

 飛び交うそれを握り潰せば、手のひらからは鮮血が滴り落ちる。

 兄は、血で作った蜂を見て露骨に嫌そうな顔をした。理由を尋ねても答えてはくれなかったが、私が以前向かってきた蜂を叩き潰したのだと言えば兄は口を閉ざした。

 兄のその反応で気付いたのだが、きっと兄はその蜂の出所を知っているのだろう。

 十年近く一緒にいればそれくらいは気付くことが出来る。

 何も言わない兄、向かってきた蜂、近くで起きた個性の暴走。

 そこから推理するに、蜂を使う・または生み出す個性を持ったヴィランでもいるのだろうか。

 ──その人を、兄は殺したりするのだろうか。

 

 そんなことを考えながら膝を抱えていれば、噎せ返る様な血の臭いが鼻腔を付いて、私は思わず立ち上がり腰を落とす。

 ──兄の血の臭いだ。

 それ以外の人の血も臭うが、一番濃いのは兄だった。兄が怪我を負ったか、兄をやった誰かがここに来たのだろうか?

 扉に鍵が差し込まれ、ゆっくりと開く。

 その先にいたのは兄だった。兄だったが、その姿に私は思わず目を疑った。

 

「──お兄ちゃん!? エッ!? ちょっとどうしたの!?」

 

 顔面血だらけの兄には、鼻がなかった。

 顔から流れる夥しい血液からして、鼻が切り落とされたのだと気付いてしまう。

 滅多に怪我を負わない兄が、一体どうして?

 

 しかし兄は私を一瞥しただけで、気にもとめない。

 ふらりと覚束なくもしっかりとした足取りで、何やら荷物をまとめていた。

 

「怪我酷いよ……!病院いかなきゃ──」

「必要ない」

「……え?」

「俺は社会を正す必要がある……そのために、ハァ……血に染まる必要があるのだ……」

「……相変わらず意味わかんないけど、とにかく、血を止めよう?」

 

 いつも以上に血に染まった兄は、決していつも通りではなかった。

 異変を感じて手を呼ばしても、その手は振り払われる。

 こっちを真っ直ぐ見つめる瞳は、まるで私を見てはいなかった。

 

「……お兄ちゃん?」

「俺はもう……お前の兄ではない……」

「……は?」

「俺に足りぬのは……覚悟だ……仮面も、存在も、お前も……足りないものを補う為には、必要の無いものだ……」

 

 ──一体、何を言っているんだ?

 目の前が真っ暗になりそうだった。手が震え、汗が噴き出る。

 しかしそんな私の様子を気にかける事なく、兄は部屋を出ようと身を翻した。

 

 その背中を止めないと。

 二度と兄は戻ってこないのだと思った。

 

「──愚か」

 

 背後から兄に蹴りかかるが避けられる。

 冷たく鋭い目が私を捉えるが、その目を狙って指を突き刺した。

 しかし指が目に刺さる前に兄によって腕を掴まれ、私は地面に叩きつけられる。

 

「──愚か!信念もなく振るう力をお前に与えた覚えはない!!」

「──信念? あるからこうしてるんだよ!」

「──ほう? ならば問おう」

 

 転がって距離をとり、立ち上がる。

 兄は特に攻撃の意思がない。傷のせいで出来ないのかもしれないけれど。

 出血が酷く今にも倒れそうなのに。

 その目は鈍く光って、信念と覚悟に燃えている。

 

「貴様の信念と、覚悟を!」

「……私はもう、お兄ちゃんに人を殺してほしくない!それだけだよ!」

「それが愚かだと言っている!!」

 

 突如、視界から消えた兄によって私は壁に叩きつけられた。

 息が詰まり、呼吸ができない。

 飛んできたナイフを避けられず、私の血は舐めとられて──私の体は指一本動かせなくなってしまった。

 

「俺が正すべきなのはヴィランより罪深き英雄紛いなのだ!英雄に奉仕する偽りの顔も、悪を断罪する虚飾の仮面も必要無い!

 俺がやらねらばこの世界は腐敗したまま朽ちていく!俺はそれを正さなければならない!正すために全てを捨て!そして全てを懸けて!自ら流し流させる血が!その覚悟の証なのだ!

 そして俺は贋物が蔓延る世界を粛清する!!

 一人で生き抜く力も、覚悟もないお前に──俺を止められるものか!!」

 

 兄は、赤黒血染はそう吐き捨てるとその場を去っていった。

 鼻腔をつく血の臭いを残して、その場から消えた。

 私の前から、いなくなってしまった。

 

 

 

 誰も居なくなった部屋で、私はひとり。

 月明かりを遮るカーテンが、静かに揺れる。

 

 ──一蓮托生、二人三脚。

 私は兄の側に、ずっといよう。

 例えその手が、どれほど赤黒く血に染まろうとも。

 

 それはもう、叶わない。

 だって兄は、もういないのだから。

 

 見上げた空は、無情にも闇に覆われていた。

 私と共に、望まぬ明日へと崩れ落ちていく闇夜。

 その明日に、兄は存在しない。

 

 ──私を一人にしないでよ、と。

 

 誰も居なくなったこの部屋で、私はひとり。

 月明かりを遮るカーテンが、静かに揺れている。

 開いた扉の先には黒い闇が渦巻いているだけで、そこには誰もいなかった。

 

 

 

 

【ヴィジランテ編:了】

 

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