ステイン妹のヒーローアカデミア   作:苗字ちゃん

20 / 22
仮免許試験編(上)

 

 

 

 【必殺技】とは。敵と戦う上で必ず効果があると期待されているとっておきの技。大打撃を与え、威力や破壊力を持つ技の総称。それは敵を"必ず殺す技"、若しくは"必ず殺さない技"とも解釈される。

 我々ヒーローが必殺技を取得するのなら、それは後者でなければならない。

 

「必殺!コレスナワチ必勝ノ型・技ノコトナリ!」

「その身に染み付かせた技・型は他の追随を許さない。戦闘とはいかに自分の得意を押し付けるか!」

「技は己を象徴する!必殺技を持たないヒーローなど絶滅危惧種よ!」

 

 【ヒーロー】とは。事故・事件・天災・人災──あらゆるトラブルから人々を救い出す職業。それには情報力・判断力・機動力・戦闘力・コミュニケーション能力・魅力・統率力など、多くの適性を必要とする。

 それ故ヒーロー免許を取得する試験では、ヒーローとしての"素質"は極めて重視される項目となる。

 

「仮免試験を受けるにあたって君らには一人最低でも二つ、必殺技を作ってもらう!」

 

 夏休み後半、入寮から二日目。

 我々一年A組は体育館γ、通称TDL──トレーニングの台所ランド──に集まり、仮免許試験に向けて圧縮訓練を行う事となった。

 生徒たちの前には教員且つプロヒーローであるミッドナイト、エクトプラズム、セメントスが立ち塞がっている。対する生徒たちもヒーローコスチュームに身を包み、セメントスによって形成されたフィールドを見上げていた。

 何故仮免許試験の取得に必殺技が必要なのか。飯田の問いにプロヒーローたちはわかりやすく、その重要性を説いていく。

 

「備えあれば憂いなし!技の有無は合否に大きく影響する」

「それに状況に左右される事なく安定行動を取れれば、それは高い戦闘力を有している事になるんだよ」

「技ハ必ズシモ攻撃デアル必要ハ無イ」

 

 エクトプラズムはそう告げると、体育祭の出来事を例に挙げていく。

 例えば飯田の【レシプロバースト】。それは簡略的に言えば一時的な超高速移動であるが、それ自体が脅威であるため必殺技と呼ぶに値する。プロヒーローでいえばシンリンカムイの【ウルシ鎖牢】などは模範的な"攻撃ではない必殺技"に当たるだろう。

 対して攻撃の必殺技は爆豪が披露した【榴弾砲着弾(ハウザーインパクト)】や(みさお)が披露した【赤刃(せきじん)・千本桜】などが該当する。つまり必殺技とは、攻撃であってもそうでなくても「これさえ当てれば有利・勝てる」という技全ての総称である。

 本来林間合宿で行われる筈だった個性伸ばし訓練は、必殺技を作り上げるためのプロセスであった。それが中断されてしまった今、夏休みの残り十日間を使ってそれぞれの個性を伸ばしつつ、必殺技を編み出す圧縮訓練を行っていくのだ。

 

「プルスウルトラの精神で乗り越えろ。準備はいいか?」

『──ッ、ワクワクしてきたぁ!!』

 

 相澤の言葉に生徒たちは笑い、自身を鼓舞してみせたのだった。

 こうして始まった圧縮訓練。クラスメイトたちはセメントスによって作られたフィールド上でエクトプラズムと対峙をしていた。

 エクトプラズムの個性は【分身】。それ故生徒たちはプロヒーローに付きっきりで個性の使い方や戦い方を学ぶことができるのだ。

 純粋な戦闘力が重視される尾白は戦い、芦戸はアドバイスを貰って酸の個性を伸ばしている。他の生徒たちも個性を伸ばしているのか戦っているのか、辺りを見渡せばビームや炎、そして電撃が空を駆け巡っていた。

 

 そんな中操はエクトプラズムと会話をしていた。操の戦闘経験値は同年代に比べると抜きん出ており、遠・中・近距離と様々な戦い方を状況によって選択できる器用さを持ち合わせている。使用できる技が多すぎるが個性によって脳を活性化しているため、最適な技を選別する判断力も申し分ない。

 ただ操とて"武器が無ければ戦えない"のだ。爆豪の【爆破】で血液を飛ばされたり、轟の【半冷半熱】で氷漬けにされてしまえば武器を失い、己の強化された肉体で戦うしかない。

 血液という武器が目に見えているからこそ、その武器を奪われてしまったら己の血液()を削って戦う以外に道はない。まさに諸刃の剣と呼べるような個性である。

 

「私は血の量に依存してしまうのが弱点なんだ。あと血液を散らされれば回収するのに時間がかかる。そこに隙が生まれるな」

「成程ナ……赤黒、オマエガ使エル技ヲ見セテミロ」

「ああ、わかった」

 

 操はエクトプラズムに頷くと、技を一つ一つ見せていく。

 血中の酸素やエネルギーを爆発的に増やし、身体や脳を極限まで活性化させる【赫血飛動(せっけつひどう)】。複雑な個性の操作もこれのおかげで瞬時且つ、同時に行うことが可能となっている。

 血液を弾丸のように飛ばす【赤弾(せきだん)】。これは拳銃と違って回転がないから殺傷能力は低く、自分の意思で操作できるのが魅力的である。

 血液を凝固させて壁にする【赤壁(せきへき)】。これを鉄に変化させることでより頑丈になり、分厚くすればする程さらに強固な壁となる。

 凝固させた血液で相手を拘束する【赤縛(せきばく)】。これも赤壁と同じく性質の変化や分厚さによって強度が変化する技である。

 これまた同じく凝固させた血液を身体に纏わせ装甲の役割を成す【赫鎧(かくがい)】。以下同文。他に何か付け加えるとするならば、防御にも武器にもなる優れ技ということだろうか。

 そして血液を刃物に変化させる【赤刃(せきじん)】。これには千本桜や太刀蓮華、そして徒花といった複数の種類が存在する。

 

「……とりあえずこんなものかな」

 

 あとは期末試験でブラドキング相手に使用した呼吸を必要としない技、【赫血の恩恵(カーマイン・ギフト)】。そして林間合宿でマスキュラー相手に使用した【あの技】もあるが──あれは非人道的すぎるので無しだろう。少なくとも操はあれを必殺技として積極的に使いたいとは思わない。

 操は【あの技】のことを伏せつつ、血液を操作しながら全ての技を披露する。するとそれを見ていたエクトプラズムは少し考え込んでから、ゆっくりと口を開いた。

 

「……随分多イナ。シカシ、ソノ多彩サモ赤黒ノ強ミニナルダロウ」

「フ、まあな!……でも千本桜以外で必殺技になりそうなものはあるかな?」

「フム……俺ナラ赤弾(せきだん)ニスルナ」

 

 エクトプラズムは続ける──「数ハ(ちから)ナリ」と。

 赤弾の数が数個であれば対処可能であっても、それが無数に繰り出されるのであれば防ぐのは難しくなる。そしてそれは操の意思によって操作可能であり、その攻撃を受けた者は必ず防御や回避・迎撃などその技に対処する行動を取らざるを得ない。

 つまり、数による制圧だ。それで仕留められずとも、相手の隙を作ることで自身や味方の行動に余裕を生み出すことが出来る。

 操が「ふむ」と考えていると、エクトプラズムは血液を指差した。

 

「後ハ新シイ血液の形デモ作ルンダナ」

「新しい血液の形……?」

「液体・固体トキタラ、後ハヒトツシカナイダロウ」

「!……成程、な」

 

 ニヤリと笑う操に、エクトプラズムは腰を低く落とした。「赤黒ハ考エナガラ身体ヲ動カセルダロウ?後ハ戦イナガラ考エロ」と告げて。

 どうやら操は戦いながら新しい技を編み出さなければならないらしい。──でもそれはなんて無駄がなく、合理的な考えなのだろうか。きっと相澤先生もそう言ってくれるに違いない。エクトプラズムにプルスウルトラ三億点!

 

 操は不敵な笑みを浮かべたまま血液を操作し、ノーモーションでエクトプラズムに襲い掛かる。純粋な地力でそれを捌くプロヒーローの死角を狙い、果敢に攻め込んでいく。

 打撃には壁を、隙には刃を。考える暇など与えず、技の多さで相手を翻弄し続けろ。

 しかし相手は操より経験値も戦闘力も上手なプロである。操が血液を固体から液体に、液体から固体に操作する隙を突いて打撃を与えてくるのだ。

 腕に纏わせていた赫鎧(かくがい)を太刀蓮華に変化させていたところで、操はエクトプラズムに腕を掴まれそのまま捻り上げられる。そして地面に叩きつけられれば、第一ラウンドは操の負けで幕を下ろした。

 

「……っ!」

「血液ニ依存スル……成程、確カニ格上相手ニハ致命的ダナ。技ガ多クトモ常ニ武器ヲ変化サセルンジャ、自然ト隙モ生マレテシマウ」

「そうなんだよなぁ。でも血液の量は限られているから、変化させないわけには……んん?」

 

 操が腕をぐるぐるまわして筋肉を伸び縮みさせていると、視界の端に爆豪の姿が映った。その腕には籠手という名のサポートアイテムが装備されていて、彼はその補助を受けながら分身であるエクトプラズムを爆破している。

 何かが閃きそうな予感がして視線を走らせると、次に視界に映ったのは青山だった。彼の個性【ネビルレーザー】は臍から直線上にしかレーザーを撃てないが、サポートアイテムを取り付けることで肩や足の発射口からもレーザーを撃てるように改良されている。

 その二人を見てから、操は自身のコスチュームを見下ろした。太腿にはレッグシースが装着され、そこには特殊な小型ナイフが数本収まっている。何が特殊かというと、血液で作られているため常時操作が可能なナイフなのだ。──それを見て操はようやく閃いた。

 

「……そうか、赫鎧(かくがい)や太刀蓮華は最初から装備すればいいのか」

 

 このナイフの様に特殊な加工にしなくとも、操は血液を操作して武器を作ることが出来る。即ち、それをコスチュームの装備品──サポートアイテムとして常時身につけてしまえばいいのだ。

 血液は量に限りがあるため決して無駄遣いは出来ない。しかし血液には生きている細胞が入っているため長期保存が出来ず、採血しても数多くの血液が無駄になってしまうのが現状であった。ちなみに操が使用している全血製剤は保存期間が二十一日となっている。

 それに加え輸血パックから取り出した血液は空気に触れると空気中の細菌に感染し腐敗してしまうのだ。さらに凝固が始まり、免疫細胞(リンパ球)は死滅する。

 このように体外から放出された血液は徹底した管理下でないと血液(その)形を保てない。無駄遣いしたくなくても無駄にしてしまうことが多いのだ。

 

 操が使用する血液が本来の形を保ったままなのは、操作し続けることで腐敗や死滅を一時的に防いでいるから。つまり、一瞬でも意識の外に出す──操作を放棄する──とその血液を二度と操作できなくなる可能性があるのだ(ただし完全に腐敗せず、少しでも細胞が残っている場合はそれらを死滅・増殖するなどしてリカバリーは可能である)。

 それ故、操は普段訓練で使用した400ccの血液を訓練後感染廃棄物として処理してしまっていた。「一度輸血パックから取り出した血液は二度と使用出来ない」と勝手に思い込んでいたのだが……。そもそも操作出来るのだから余った血液を鉄塊に変えて操作不要の状態で保管し、その後まとめて武器にしてしまえば良かったのだ。

 ──何故今までこんな単純なことに気付かなかったのだろう。操は思わずため息を吐きたくなった。これにはきっと「合理的じゃない」と相澤先生も怒り心頭だ。プルスウルトラマイナス三億点の失態である。

 

「答エハ出タカ?」

「ああ、ありがとうエクトプラズム!ちょっと保健室とサポート科に行ってくる、よっ!」

「フン、マダマダダナ……」

 

 操はエクトプラズムに殴り掛かると──避けられたが──そのまま彼の横を通り抜けて体育館γの入り口まで走っていく。そこには生徒を観察していた相澤とミッドナイトの姿があったが、操は彼らに「コスチュームを改良してくる!」と告げると勢いよく体育館から飛び出した。

 そして保健室で保管していた血液を預かり、サポート科で武器や装甲の型を作ってもらうため校内を駆け回ったのだった。

 

 

 

 

「必殺技が思いつかないよ〜!!」

 

 次の日、正午。A組の生徒たちは前日に引き続き体育館γで圧縮訓練を行なっていたが、現在は昼休み。各自食堂で昼食をとり、その後はその場で駄弁ったり体育館に戻って軽く運動したりサポート科に赴いたり──それぞれが思い思いの時間を過ごしていた時のことだ。

 一足先に体育館に戻った葉隠が、頭を抱えてそう嘆いた。それに同意するかのように、何人かは彼女の言葉に頷いて肩を落としている。

 

「わかる……イメージしていたものが上手く形にならないんだよね……」

「個性の限界というか、理想が高すぎたというか……サポートアイテムだけじゃどうにもならない技もあるからなァ……」

「エクトプラズム先生は攻撃じゃなくても必殺技だと言ってたけどよぉ……俺のはなんか地味なんだよな……!」

「硬化するだけだもんな」

「シンリンカムイの【ウルシ鎖牢】はなんだかんだカッコいいもんね」

「私の場合はそもそも思いつかなくて……ねぇ、操ちゃんはどうやって必殺技作ったの?」

「……私か?」

 

 必殺技が上手く作れない者や思いつかない者が数人集まり、悩みを吐露しお互いにアドバイスしていた時のこと。白羽の矢が立ったのはその場に居合わせた操であった。

 操といえばエクトプラズムに必殺技を持っていると言われた一人であり、派手さは無いものの既に複数の技を使い分けている器用さを持ち合わせている。

 葉隠は"透明なこと"が武器であるため必殺技どころか普通の技すら持っておらず、徐々に強くなっていくクラスメイトたちを見て焦っていた。故に、複数技を持つ操にアドバイスを求めたのだ。

 ストレッチをしていた操は葉隠の言葉に顔を上げると、彼ら──葉隠、芦戸、切島、瀬呂──の元に歩み寄る。そして赤刃・千本桜の原点を思い出すのだった。

 

「私は戦ってる中で思いついたかな」

「戦ってるとき?」

「こういう技あったらなって思うだろう」

「確かに……!」

「私は範囲技が欲しいと思ったから千本桜(あれ)を作ったってことだ」

「成程なァ、赤黒は足りないもんを補った感じか!」

「まぁ……私の個性はそれなりに自由が利くからな」

 

 実際操はワイプシと戦っている最中で範囲技が欲しいと思い、体育祭までに千本桜を作り上げた過去がある。それに災害派遣が多いワイプシには「血液を水に混ぜたら水害に対応出来るのではないか」という意見が出てきたのだ。それなりに戦い経験を積めば、技は自然と思いつくのだろう。

 自分が戦っていて足りない物を個性で補えたら理想だが、個性によってはそう上手くもいかない。葉隠は芦戸のように酸で滑って加速したり、何かを溶かしたり出来ない。個性によって身体能力を上げられないタイプだ。

 しかし個性そのものが強力であるため、彼女は将来必ず戦場へ出る事になる。この個性と同じタイプには担当教員である相澤や普通科の心操などが当て嵌まるだろう。

 相澤は個性【抹消】を活かすために視線を悟らせないゴーグルを装着。敵が「個性を使えない」と焦った隙を突くためサポートアイテムの捕縛布を使用し、どんな肉弾戦にも対応出来るよう極限まで身体能力を鍛え上げている。「ヒーローは一芸だけじゃ務まらない」とまさに体現しているヒーローだ。

 

「まず透の個性の強みと弱みを考えてみるか?」

「透ちゃんの個性の強みは……」

「葉隠の強みったらやっぱ透明だろ!見つかんなきゃ勝ち確定だよな!」

「でも入学当初轟の個性に捕まって動けなくなってたよな?」

「うう……見つかったり捕まった瞬間負け確定なんだよね……」

「んんー……なら見つかったあとに使える技やサポートアイテムを作るべきだろう」

 

 相澤は捕縛布を使って攻撃を上手く回避し、相手がどんな個性を持っていても【抹消】と身体能力でカバーしていく強さがある。しかしまだ経験も浅く女性という性差故、葉隠に「相澤と同じくらいに対人戦を極めろ」と言うのは限界があるだろう。

 それに葉隠は相澤のように相手の個性を消すことができない。たとえ強力なサポートアイテムを装備したとしても【透明】という強みが活かされなければ意味がない。

 葉隠は個性の関係上ヴィランと戦って足止めするようなヒーローにはなれない。けれどその身に宿る個性は血を一滴も流さずヴィランを制圧し、被害者を救出できる可能性を秘めている。

 それならば「居場所が悟られてもそこから逃げきる技」や「相手の不意を突く技」、もしくは「相手の隙を生む技」を作ればいい。

 たとえ敵を倒せなくても「見えない誰かがそこにいるかもしれない」という緊張感を相手に与えることが出来ればいい。──まあ、それが思いつかないから葉隠は悩んでいるのだけれど。

 

「んー!もう考えても仕方ない!みんな組み手付き合って!」

「戦って考えんのか!そりゃァ熱くていいな!」

「フ……いいな透、プラスウルトラだ!」

「おりゃあああ!プルスウルトラぁ!!」

 

 葉隠の言葉に操と切島は笑みを浮かべたが、それに対して瀬呂と芦戸は思わず目を見合わせた。しかしそんな二人にはお構いなしに、姿は見えないが可愛らしい雄叫びを上げた葉隠はまず操に向かっていく。操はそれを正面から迎え撃つため【赫血飛動(せっけつひどう)】を発動し、身体能力を底上げしていった。

 ──透の動きはグローブとブーツを見れば一目瞭然。それにたとえ視線を外したとしても、足音や息遣いで場所を捕捉すれば何も問題ない。

 手加減を一切するつもりのない操はそう考えて腰を落としたが、眼前にあったはずのグローブとブーツは跡形もなく消え(・・)てし(・・)まった(・・・)ので思わず目を丸くする。しかし一秒にも満たない間を置いて気持ちを切り替えると、操は辺りに意識を集中させた。

 不思議なことに足音は聞こえず、微かな布擦れと殺した息遣いがあたりを駆け巡るだけだった。──ならば姿を浮き彫りにしてやればいい。

 

「いいだろう……出血大サービスだ!」

「……っ、ひゃあ!?」

「そこ!」

「あぐ……!」

 

 操は葉隠がいるであろう場所に血液を噴射させた。すると何もなかった空間には真っ赤な人形が現れる。言わずもがな、それは血液を浴びた葉隠であった。

 操は驚いたように立ち止まる葉隠の一瞬の隙を突き、距離を詰めて容赦なく地面に叩きつけた。勿論、休憩中の簡単な組み手なので威力は抑えている。

 地面に倒れた葉隠は悔しそうな雰囲気を出したがすぐに切り替えると、時間をかけずに立ち上がった。その声色は、やけに明るい。

 

「あたたた……次は切島くんが相手だ!いくぞぉー!」

「よし来た!いいぜ葉隠!」

「おりゃあああ!」

 

 すぐに切島の元へ走り出す葉隠の背中を、操は血液を回収しながら眺めていた。その隣に、芦戸と瀬呂が近寄っていく。

 葉隠は先程と同様グローブとブーツを消し(・・)ながら(・・・)切島相手に戦っていた。しかし【透明】以外は純粋な体術で戦うしかないので、【硬化】の個性を持つ切島を倒すのは至難の業である。それでも、葉隠は何度も切島に打撃を与えていった。

 瀬呂は葉隠を見つめながら「なんかやる気あんなァ」とぼやいていた。確かにこの後圧縮訓練があるというのに、葉隠は体力を使い切る気迫で動き回っている。

 そのがむしゃらな様子に打撃を受けていた切島も、その場で見守っていた芦戸も次第に戸惑ったような表情を浮かべていた。操は「いつもより動きが雑だな」と思いながら眺めている。それでも、葉隠透は止まらない。

 

「……っ!」

「葉隠!」

「透ちゃん大丈夫!?」

「悪ぃ葉隠!」

 

 しかし当たりどころが悪かったのか、それともただ滑ってしまったのか。葉隠が転倒した事によって一方的な組み手は終わりを告げた。

 転ぶ音を聞きつけた切島たち三人は彼女に駆け寄るが、葉隠が何処にいるのか見え(・・)ない(・・)ため三人にはどうすることも出来なかった。手を伸ばすことも、支えることも、抱き起こすことも出来ない。だってグローブもブーツも【透明化】していて見えないのだから。

 

「透ちゃん大丈夫?怪我してない?」

「あんま無理すんなって、この後も訓練だしよ」

「そうそう、嫌でも夜にはヘトヘトに──」

「……っほっといてよ!!」

 

 しかしそんな空気の中、突如空間を切り裂いたのは葉隠から発された悲痛な叫び。それはまるで抑えつけていた感情が爆発したかのような絶叫だった。

 突然のことに三人は目を見張って茫然とした。その空気に気付いた葉隠はハッと息を呑んだが、もう遅かった。「えっと……その、」と今更取り繕っても、葉隠に向けられた気がかりな視線は変わらない。

 見えない彼女を探す視線は定まることはない。しかし六つの瞳には心配という感情が孕んでいて、居た堪れなくなった葉隠は勢いよく立ち上がる。

 

「その……ごめん!ちょっと外の空気吸ってくるね!」

「あっ……透ちゃん!」

 

 やけに明るい作られた(・・・・)声色は徐々に遠ざかり、あっという間に彼女がこの場を離れたことを知らしめる。伸ばされた芦戸の手は空を切り、その場に力無く項垂れた。

 だってその声が、とても泣きそうだったから。見えないその姿がすごく哀しそうに見えて、三人はどうするべきか戸惑っていたのだ。

 追いかけたくても葉隠がどこに行ったのかわからないから、追いかけることが出来ない。見えないことがこんなにも不便で、何もしてあげられないなんて。三人は自分たちの無力さをひしひしと感じて眉を下げた。

 しかしそんな中、操は口を閉ざしながらその場に佇んでいる。そして見えない筈である葉隠の背中を、じっと眺めていたのだった。

 

 

 

 

 葉隠透は真夏の陽射しを浴びながら走っていた。

 ──八つ当たりするなんてかっこ悪い、情けない、恥ずかしい……!そんな気持ちを抱きながら、息が乱れて脇腹に痛みを感じても、逃げるようにして走り続ける。

 先程まで戦っていたからか、グローブに包まれた拳が痛い。転んだ時に打ち付けた膝が痛い。けれどそんなちっぽけな痛みより、ずっとずっと痛い箇所がある。

 入学したときから感じていた小さな痛みは、林間合宿を機に罅が入ってしまったのか大きくなった。その痛みをどうにかしたくて走り続けていたのだが──。

 

「おわ!?びっくりした!」

「わっ……ごめ、尾白く……!」

「葉隠さん?……もしかして泣い、てるの?」

「……っ、」

 

 下を向いて走っていたからか、葉隠は体育館に戻ろうとしていたクラスメイトの尾白にぶつかってしまったのだ。対する尾白は葉隠が透明であったため見えなかったのだが、突如ぶつかってきた塊に驚き肩を跳ねさせる。

 けれどそれが友人だとわかるとホッと胸を撫で下ろすが、それも束の間。いつもは弾けるばかりの明るさを醸し出す彼女の声が震えていたのに気付いて、思わずそう声をかけてしまった。

 

「……う、うぅうう゛……!」

「えっ……!?」

 

 葉隠は泣かないように歯を食いしばっていただけで泣いていなかった。けれど確信めいた尾白の言葉に、震える声は徐々に涙で湿っていく。気取らせまいと歯を食いしばっていたのに、視界はぐにゃりと歪んで堰を切ったように涙はこぼれ落ちていく。

 ひとつ涙が流れてしまったら、もう感情の収拾はつかなくなってしまった。葉隠は自分の声じゃないような声でしゃくり上げ、その場で泣きじゃくってしまう。

 尾白は突然声を上げて泣き出した葉隠に酷く狼狽し、彼女の肩に手を伸ばそうとして慌ててそれを引っ込めた。助けを求めようと思わず辺りを見渡したが、誰も居ない。なのでとりあえず手に持っていたフェイスタオルを「(汗臭くない……大丈夫だ……!)」と匂いを確認しつつ、葉隠がいるであろう場所にそっとかけた。

 彼女の頭にかかったタオルは緩やかな曲線を描いて宙に浮いている。涙を拭っているのか、タオルの両端がくしゃっと歪んでは色を変えていった。

 

「えっと……」

 

 尾白は視線を地面に落とすと、だらりと横に垂らしたままの拳を握りしめる。葉隠に泣いている理由を聞くべきか否か迷っていたのだ。

 友達として、仲間として、ヒーローとして。何が正解で葉隠のためになるのか、どれだけ頭を捻ってもこの数ヶ月間ヒーロー基礎学の授業を受けただけではちっとも解らなかった。

 ただいつも明るく元気な葉隠がこうやって泣きじゃくるのは初めて見たから、驚かずにはいられない。それと同時に心配で、見えない涙が流れ落ちる度に「たすけて」と言われているようで、放っておくことなど出来そうにない。とにかく、心が波立ち騒いで落ち着かなかった。

 

「……最近無理してたみたいだけど、何かあったの?」

 

 尾白は意を決すると顔を上げ、葉隠がいる方向に視線を投げて言葉を紡ぐ。

 林間合宿を終えて全寮制になってから、葉隠はやたら明るかった気がしたのだ。クラスメイト全体が神野の事件の後で明るく振る舞おうとしていたのは、尾白もそのうちの一人だったから理解はしている。けれど被害に遭った葉隠が文句も悩みも言わず明るく振る舞っていたのは「無理していたのかもしれない」と尾白は考えたのだ。

 その言葉を受けた葉隠は込み上げる涙を呑み込むと首を左右に振った。そして鼻を啜りタオルで涙を拭って、過去の出来事を思い返す。

 

 それは職場体験前の出来事だ。

 ステインの妹だと世間に知られた操が被害にあった飯田と教室で揉め、別教室に移って暫く経ったときのこと。葉隠は芦戸と共に操の姿をずっと探していた。

 一度目は逃げられてしまった。だから二度目は相澤に協力して貰い、逃がさないよう教室に押しかけてその小さな身体を抱きしめたのだ。

 たった数日間会っていないだけなのに操は酷く窶れ、崩れ落ちてしまいそうだった。それが怖くて、許せなくて。葉隠は操を力強く抱きしめたのだ。敵意はないよ、守ってあげるよ──そう思いながら。

 

『ステインの妹だなんて関係ない』

『操ちゃんが苦しんでいたら、私たちが救けるよ!』

 

 そう、告げたのに。

 私は確かに、そう告げたはずなのに。

 

「救けるって約束したのに……わたしは、気絶して……っ、何も出来なかった……!!」

 

 うまく呼吸が出来ない中で絞り出した言葉は、酷く情けなかった。熱い涙は止まらずに流れ続け、俯くと目尻から頬を伝って鼻や顎に向かって流れていく。

 合宿先にヴィラン連合が襲撃した際、葉隠はガスを吸ってあっという間に意識を失った。そして目を覚ました時には既に数日が経過し、全てが終わっていた。

 葉隠が寝ている間、操と爆豪はヴィランに攫われたらしい。けれど三奈たちクラスメイト数人が救出に向かい、二人を救ってみせた。それ以外にも、合宿で操と緑谷はあの血狂いマスキュラーを撃破したそうだ。B組の拳藤と鉄哲はガスを発生させたマスタードを、常闇はムーンフィッシュを。撃破こそしていないものの、八百万は頭部に傷を負ってまで脳無に発信機を取り付け、ヴィラン連合のアジト発見に貢献したらしい。

 操はマスキュラーと戦って満身創痍だったところを攫われ、マスコミや何も知らない民間人にヴィランと疑われて叩かれ、帰ってきた時は攫われた時より傷が増えていたそうだ。

 ──それを目が覚めてから知って、私はどんな思いだったと思う?

 惨めだった。悔しかった。情けなかった。ルールを破って救出に向かうのは良くないことだけど、それでも、羨ましかった。六人の行動力と「強さ」が羨ましいと思ってしまった。

 

「私だって操ちゃんを……!救けてあげたかった……!!」

 

 ──私が気絶していなかったら、ヴィランを倒せるほど強かったら。傷付いている操ちゃんの元に駆けつけられたのかな。

 ううん、もっと強ければ駆けつけたのに。「もう大丈夫だよ」って抱きしめてあげたかったのに!

 

「わたし、わたし……っ、雄英に入ってから……何もできてない……!」

 

 思い返せば、葉隠は雄英高校に入学してから何も結果を残せていなかった。

 個性把握テストも下から数えた方が早く、初めてのバトル演習は何もできずに瞬殺された。USJは息を潜めて轟の後を追うだけで、体育祭はいつも一緒にいる操や芦戸だけが勝ち上がった。そして職場体験も、合宿も。葉隠は爪痕どころか何も結果を残せていない。

 クラスメイトたちはどんどん先へ進んでいくのに、自分だけが置いていかれるような焦りがいつも胸の中にあった。【透明化】の個性だからしかたない?いいや、そんなことはない。結果を残せないのは個性が悪いのではなく己の実力不足だ。そう思えば思うほど、葉隠は心が痛かった。

 いつだって戦うみんなの背中を見ていることしか出来なかった。合宿なんて真っ先に気絶した。ここでこそ【透明化】の個性を活かしてヴィランの意表を突き、戦わなければならなかったのに。この個性でしか出来ないことが絶対にあった筈なのに、葉隠は何も出来なかったのだ。

 

「情けないよ……すごい悔しいの……!わたし、弱い自分がすっごく恥ずかしい……!」

 

 葉隠は寮に入ってから酷く惨めな気分で毎日を過ごしていた。取り残されてしまったような、心に棘が刺さったまま抜けないような、砂を噛むようなそんな気持ちでいた。

 けれどなんとなく苦しい中で訓練を行なっても順調にいくはずがなかった。クラスメイトたちが新技を開発したときも、葉隠は素直に喜べなかった。サポートアイテムを強化したときも、焦りだけが募っていった。

 遠ざかっていく背中を必死で追いかけ、躓き、転びながらも葉隠は走り続けるしかなかった。「早く強くならないと」その気持ちが、葉隠を徐々に蝕んでいく。追い詰められた先で「強い自分」の理想を夢見ては、現実を見つめ直して落胆してしまう。そんな自分が嫌になった。

 

 葉隠は自分が情けなくて、でもこれ以上醜態を晒さないよう泣くのをずっと我慢していた。けれど気持ちを吐きだして涙を流してみると何かが一つ解決したような、そんな気分になったのだ。今は「泣いている場合じゃない」と心の底から奮い立つような、熱い気持ちが湧き上がってくるのを感じる。

 顔は涙でぐしゃぐしゃだったが、葉隠は個性故泣き顔を見られることはない。だから豪快に拭って、思いっきり顔を上げた。するとそこには戸惑ったような、迷っているような、何か声をかけようと口を開閉する尾白の姿があって思わず笑ってしまった。

 ここ数日間泣くのをずっと我慢していたのに、泣かせたのは目の前にいる尾白だ。だから泣き止むまで付き合ってもらったし、タオルだって遠慮なく使った。でも何も言わずに尾白が側に居てくれたから、葉隠は誰にも()えなかった本音を吐き出せたのかもしれない。

 

「尾白くん、私ね……」

「……うん、」

 

 だからこの件で泣くのはこれっきりにしよう。我慢せずにたくさん泣いたから、あとは強くなるためにまた走るだけ。ただでさえ遅れをとっているのに、これ以上立ち止まるわけにはいかないから。

 ──それに、以前体育祭で操ちゃんに言われたもんね。「あの時やればよかった」と二度と後悔しないように走り続けろって。

 葉隠は何度か深呼吸すると口角をぐっと上げた。それは最近見せていた無理やり作った笑顔ではなく、吹っ切れたような、晴れやかな笑顔であった。

 

「次は絶対に救けられるように強くなるよ!」

 

 ──操ちゃんを救けるって言ったのは三奈ちゃんだけじゃないから!

 葉隠は決意に満ちた声色でそう告げると、にっと笑った。その表情は誰にも見えないし涙で濡れていたけれど、視線を釘付けにするような素敵な笑顔だった。

 その様子に尾白は何度か目を瞬かせると、困ったように、そして安心したようにふっと笑って眉を下げた。泣いている葉隠を慰めるつもりが、彼女は自力で這い上がって前を向いているのだから、感服せずにはいられない。

 

「強いね、葉隠さんは」

「何言ってるのさ尾白くん!弱いからこれから強くなろうって言ってるのにー!」

「い、いや、そうじゃなくて……!」

 

 いつも明るい葉隠がこんな気持ちを抱いていたなんて知らなくて、尾白はつい呆然としてしまった。けれど葉隠の心の叫びが、そこに染み込む悔しさや悲しみがひしひしと伝わってきて、尾白はいくつか共感してしまったのだ。クラスメイトたちを見ていると、自身も同じ気持ちになったから。

 A組で過ごしていると嫌でも己の無力さを思い知る。戦闘力だけじゃなく情報力・判断力・機動力・統率力など、尾白がそれらの分類でクラスメイトに勝ることはない。つまり、常に上がいる状態なのだ。

 ヒーローといっても個性によって役割は色々あって、それらは細分化することが出来る。合宿でお世話になったプッシーキャッツを例に上げると、ラグドールは情報収集、虎は戦闘、ピクシーボブは地形変更や魔獣での撹乱、そしてマンダレイが全てを把握する司令塔かつ情報共有係。

 そのようにA組で役割を細分化しても、尾白はクラスでトップになれない。

 

 尾白は戦闘特化というには攻撃の幅が狭く、サポーターやヒーラーのような役割も担えない。ヒーローを目指しているのだから勿論トップヒーローやビッグスリーに憧れはあるが、そういう存在にはなれないと半ば諦めている。きっとそれは葉隠も同じだろう。

 彼女はサポーターとして自分より優秀だ。けれど戦闘メインな学校行事や授業ではどうしても活躍できなくなってしまう。クラスメイトと自分を比べ、劣等感を抱く気持ちは物凄く理解できるのだ。

 けれど葉隠はそれでも強くあろうと前を向く。その姿勢に、やはり感服せずにはいられない。元気付けるつもりが「自分も頑張ろう」と思えるくらい、尾白は葉隠から元気をもらってしまった。

 

「やっぱり強いよ。それに……絶対に強くなれるよ」

「あはは、なにそれ!……でもありがと!」

「うん、どういたしまして」

 

 尾白が本音を言葉にして笑えば、葉隠も花が咲くように笑った。

 きっと二人は一番になれないし、クラスメイトたちに埋もれて大した活躍は出来ないかもしれない。それでも未来で誰かを助けるため、大切な人を守るため、今は走り続けて強くなるしかないのだ。

 そんな思いで二人は暫く微笑みあっていたが、葉隠は徐々に落ち着きのない様子になってタオルをこねくり回したり、シワを伸ばしたりしている。そして小さく「尾白くん……その、恥ずかしいからさっきの内緒にしてね?」と恥ずかしそうに告げるので、先程の強さとは違った一面に尾白は思わず早くなる鼓動を落ち着かせるよう頬を掻く。そしてその気持ちを悟られないよう、笑って誤魔化すのだった。

 

 

 

 その様子を、操たち四人は建物の陰に隠れて聞いていた。壁の向こう側では「笑わないでよー!」と声を上げる葉隠と、それに対して謝る尾白の明るい声が聞こえる。それに対してこちらの雰囲気は暗い。

 芦戸と切島は悲しそうに俯いているし、瀬呂は盗み聞きしてしまったことが心苦しいのか、気まずそうに視線を逸らしている。話題の中心にいた操は、なんとも言えない顔をしていた。

 操は葉隠の明るさや行動に充分救けられてきた。でも、葉隠が望む「救けたい」はそういう事ではなかったらしい。

 

「透ちゃん、なんで私たちに言ってくれなかったんだろ……」

「水臭ぇよな……。でも俺、悩んでたの気づけなかった……」

「……」

「……まァ、俺は少し葉隠の気持ちわかるけどなー……」

「え?」

 

 友達なのに話してくれないなんて水臭い。友達だからこそ話して欲しかった。そう思う切島と芦戸に対し、瀬呂は「友達(ダチ)だから話したくなかったんだろ」と告げる。これは決して尾白が友達以下という意味ではない。

 瀬呂は中学時代、ヒーローだった。成績は常に上位であったし、運動も出来る。個性は地味だが応用が利くし、何よりあの雄英高校ヒーロー科に合格する実力を持っていたのだから。

 みんなの憧れであるヒーローの切符を掴んだ瀬呂は友人や教師、親戚に至るまで様々な人に持て囃された。写真やサインをせがまれ、褒められ、未来を期待される。そんな境遇に「俺って凄いのかも」なんて思ったりして、雄英高校の門を(くぐ)ったのに──。

 

 けれどいざ入学してみたらどうだろう。周りにいるのは同じ試験を突破した同級生なのに、実技も筆記も驚くほど差がついているのだ。瀬呂の個性は攻撃に特化していない。だから戦闘で差がつくのはわかっている。

 けれどやはり轟や爆豪のような攻撃型に憧れるし、切島のような「決して倒れない」男らしさは頼もしいしかっこいいと思う。障子の力強さや緑谷の情報収集力、八百万の知識、耳郎の索敵、蛙吹の冷静さなど──考え出したらキリがないくらい、自分には持っていないものをクラスメイトたちは持っている。

 

「お前たちも神野に行っちまうしよ」

「ぐ……」

「すみません……」

「もう終わったことだし、別に責めてるわけじゃねえからな?とにかく……置いてかれるって葉隠の気持ち、俺ァわかるんだよなー……」

 

 神野に向かって救出を成功させた芦戸たち六人を、自分たちより前に進んでいると思ってしまった。ヒーローだけでなく医者の資格を取るため勉強に励む赤黒を「自分は絶対に同じことはできない」と思って見てしまっている。

 よく一緒に行動している上鳴は当たれば瞬殺可能な電気の個性だし、峰田は絶対に相手の動きを止める個性を持っている。それに対して自分はどうだろうか。

 遠距離使用が可能で機動力はそこそこある個性だが、攻撃力は皆無。テープを避けられ、あまつさえ切られてしまっては成す術がない。なんならテープで捉えても、体育祭では轟に完膚なきまでに叩きのめされた実績まである。つまり「あいつの個性は強力だ」とヴィランに牽制することも出来ないのだ。

 ──それでも、瀬呂はこの身に宿ったこの個性と共に戦っていくしかない。

 考え方は人それぞれだと思うが、瀬呂はいつも一緒にいる彼らにこの悩みを吐露して相談するのは何か照れ臭いし、恥ずかしいと思っている。彼らとは学校で馬鹿騒ぎして笑い、戦場では一歩後ろに立つのではなく、仲間として()に立ちたいと思うから。

 

「いつも一緒にいるからこそカッコつけてェんじゃねーの……多分」

 

 だから倒れたとき過度に心配されたり、個性で身体能力を上げられないからと手加減されたのが堪えたのだろう。瀬呂は少し前のやりとりを反省しつつも、空を見上げた。

 空は悩んでいるのが馬鹿らしくなるほど澄んでいて、雲一つない青空が広がっている。耳をすませばどこからか蝉の鳴き声が聞こえ、降り注ぐ陽射しはじりじりと身体を焼いていく。

 額から噴き出た汗を手の甲で拭うと、瀬呂は三人に視線を向ける。すると切島はその気持ちが理解できたのか、噛み砕いて納得しようとしていた。対して芦戸は眉を顰めて難しそうな表情をしているし、操に至っては手で口元を隠しているので何を考えているのか読めない。

 けれど仮免許試験まで時間はなく、悩んでいる暇はない。葉隠の言う通り、走り続けて戦って強くなるしかないのだ。

 

「だからさ、まァ……葉隠の気持ちも汲んでやろうぜ」

「ええ、そうね。青春って感じで良いわね……!そういうのは凄く好み!」

「!? うわぁもが!」

「しーっ……静かに、ね?」

「……!」

「フフ、いい子ね」

 

 そんな中、突如背後に現れたミッドナイトの姿に瀬呂は驚いて声を上げるが、彼女は形のいい手で瀬呂の口を塞いで物理的に黙らせる。逆の手は人差し指を立て、赤く色付いた口元にそっと添えられていた。

 一般的な「静かに」という合図なのに、18禁ヒーローがやるとこんなにも妖艶になるのは何故だろうか。芦戸はミッドナイトを見上げながらそんなことを考えていた。先程の悩みなどミッドナイトの妖艶さに吹き飛ばされている。

 ミッドナイトは力強く頷く瀬呂から離れると、その場にいた四人をざっと見渡す。彼女の黒髪は夏の陽射しに照らされて黒々と光り輝いていた。

 

「青春しているところ申し訳ないんだけど、そろそろ午後の授業が始まるからあなた達は体育館に戻りなさい」

「え……でも、」

「二人には内緒にしてあげるから……あなた達も、二人が話した内容は誰にも言わないこと。いいわね?」

 

 ミッドナイトにそう言われた四人はすぐに頷き、後ろ髪を引かれる思いをしつつもその場を後にする。

 背後では楽しそうに笑う葉隠と尾白の声が聞こえている。どうやら、四人がここにいたことはバレていないようだ。それに安堵しつつも、三人は聞いてはいけない悩みを聞いてしまった罪悪感を抱え、謝ることも出来ずにこれからの毎日を過ごさなければならない。

 

 けれど操は、罪責感とはまた別の感情を抱いていた。緩くなる口元を隠すために手で押さえ、視線はなるべく地面に落として三人の後を追う。

 操を「救けたかった」そして「救けるために強くなる」のだと涙を流す葉隠を見て、何故か心が温かくなったのだ。心の底から湧き上がるその感情は全身を満たし、外へ出ようとするので抑えるのに必死だった。だから、ずっと手で押さえていた。

 ──多分、私は透の気持ちが嬉しかったんだろうな。

 立ち聞きをしておいて罪悪感を抱かず、喜んでいるだなんてどうかしているかもしれない。けれど、操は確かに嬉しかったのだ。

 思わず足を止めて振り返るけれど、振り返った先は建物に阻まれて葉隠の姿を見ることはできなかった。けれどそこにいるのはわかっていたから、操は建物越しに彼女をじっと見つめてしまう。

 

「操ちゃん?」

「……ああ、今行く」

 

 芦戸に声をかけられたため、操は止めていた足を動かした。視線の先には葉隠と尾白を眺めて舌舐めずりをするミッドナイトの姿があったが、それに背を向けて小走りで芦戸の元へ駆けていく。

 見上げた空は雲ひとつない晴天で、慣れ親しんだその光景は過去の自分にとって得難い特別なものだったことを思い出す。

 今隣にいる友だちも、操を想う人たちも、この胸に抱く感情も。過去の操では絶対に手に入れることができなかった大切なものだった。だからそれを感じる度に、操は「生きていて良かった」と心の底から思うのだろう。

 

「試験、みんなで合格できるといいな」

「……うん、そうだね!」

 

 午後、体育館γではエクトプラズムに向かって果敢に挑んでいく葉隠の姿があった。何度倒されても、それより多く彼女は立ち上がる。戦い方を教わってそれを実践して、確実に経験値に変えていく。

 砂だらけになっても強者に喰らい付いていくその姿勢は、仮免許試験前のクラスメイトたちの心に火を灯した。盗み聞きをしてしまった芦戸たち三人も尾白も、彼女のその姿を見て「負けていられない」と闘志を燃やす。

 操は葉隠に付着(・・)していた血液をこっそり回収すると、エクトプラズムに向き直った。こちらも、新技は着々と完成している。

 

 

 

 

 圧縮訓練四日目。

 今日も今日とて一年A組は体育館γを使用し、必殺技取得に向けて訓練を積んでいた。

 しかし四日目の今日、いつもと違う要素が体育館(そこ)にはあった。そしてそれは生徒一人一人を見て回っては、彼らの闘い方に口を出している。

 

「赤黒少女!もう少し弾を大きくした方が相手にとって脅威になると思うよ。打撃もいいけど操作可能ならそのまま付着させて、別の技に繋げることも視野に入れてみようか!」

「成程……打撃だと思って弾いたら液体で、相手はそのまま拘束される……フフ、操ちゃんがどんどん強くなってしまうな……!」

「つ、強くなるのはいい事だからね!うん!この調子で……せーのっ」

「プルスウ「頑張ろう!!」ルトラ!」

「……」

「ごめん赤黒少女!!」

 

 そう、本日は圧縮訓練にオールマイトが参加しているのだ。

 勿論引退した彼が戦うことはなく、治っていない腕を包帯で吊り下げながら生徒たちを見て回るだけ。しかし平和の象徴であり神野区の英雄、たとえトゥルーフォームの姿だとしても生徒たちへのアドバイスは数々の経験を活かした一級品。毎日の訓練に躓いてきた四日目だからこそ、オールマイトの参加はA組生徒にとって頼もしいものであった。

 

 しかし彼はまた体育祭と同じ失敗を繰り返している。──今のはプルスウルトラと言うところだろうが!オールマイトはイカ耳になった猫のように不機嫌を露わにした操に謝罪をすると、慌てて別の生徒の元へ向かっていった。

 操はその後ろ姿を横目で見送りながら気持ちを切り替えると、アドバイス通り頭上に浮かぶ直径1メートル程度の赤い球体を細分化して弾にしていく。それをエクトプラズムの周りに漂わせ、いつでも射出できる準備を整えていた。しかし視界の端に青い光が煌めいて、二人は思わず動きを止める。

 エクトプラズムと操が反射的にその場から飛び退くと、地面を焼いたのは青白いレーザーであった。言わずもがな、青山の攻撃である。二人は一時的に訓練を中断すると青山がいるであろうフィールドを見上げた。するとそこには高いフィールドから落ちてくる青山の姿があったので、操は思わずそれを指さした。

 

「エクトプラズム、空から青山が!」

「ソウダナ」

「……あれは訓練か?それとも受け止めるべきかな?」

「恐ラク落チタノダロウ。コノ高サカラ落チタラ、青山ハヒトタマリモ無イダロウナ」

「だよな。フフ、では操ちゃんが受け止めてやろう!」

「ぐふっ……!」

 

 落下する人間を受け止めるのは至難の業であり、受け止める側にとっても危険が及ぶ行為である。

 だから操は自身の1メートルほど頭上で大きめの赤弾(せきだん)を複数生成すると、そこに青山のマントを引っ掛けて速度を殺した。その後、落下の勢いを失った青山を横抱きに受け止める。

 抱き止められた青山はとても大人しく、なんとも言えない表情をしていた。しかしその頬に打撃の痕があることから、エクトプラズムにやられて高いフィールドから落下したのだろう。そう判断した操は、青山を横抱きにしたまま彼の顔を覗き込んだ。

 

「青山、大丈夫か?」

「全く大丈夫じゃないよ……特に心がね⭐︎」

「心……?まさかエクトプラズムに嫌なことでも言われたのか!?」

「言ッテナイ」

「赤黒、トリアエズ青山ヲ下ロシテヤレ……」

 

 上と背後から二人のエクトプラズムが呆れたように言うので、操は抱えていた青山を地面に下ろした。すると青山はプルプルと震えながら胸元を抑え、膝をついて俯いている。やはりどこが痛いのだろうか。

 操はエクトプラズムの許可をとると相澤の元へ向かい、彼からタブレットケースを受けとった。そこには【YUGA AOYAMA/Can't stop twinkling.】と記載されていて、操は手のひらサイズのそれを持って青山の元へ戻っていく。

 ケースをスライドさせると、中にはタブレットを模した鉄の粒が収納されていた。言わずもがな、それは鉄に変化させた青山の血液である。操は躊躇なくそれを一粒口に含むと、手を伸ばして青山の頬に触れた。その瞬間、青山の体内で酸素とエネルギーが爆発的に増えていく。

 

Merci beaucoup(どうもありがとう)……⭐︎」

「どういたしまして」

 

 クラスメイトの体力を回復させるのは、現時点で教員の許可を得ないとやってはいけない事になっている。けれど回復したクラスメイトは再び訓練に励むことができるし、操は「回復させる」訓練を積むことができるので、この圧縮訓練中は積極的に行なっているのだ。

 操が座り込む青山に手を差し伸べると、彼は一瞬間を置いてからその手を取らずに立ち上がる。そしてキラキラと眩いオーラを発しながらポーズを決めていた。操は伸ばした手を引っ込め、ドヤ顔の青山になんとなく拍手を送る。

 すると少し離れた場所で大きな爆発音が聞こえ、二人はそちらに視線を移した。そこにはコンクリートで出来た壁を爆破する爆豪の姿があった。しかしただ爆破したのではなく、コンクリートの一箇所のみを撃ち抜く様にしてそれは破壊されている。

 ──爆発を一点集中させた新技だろうか。本当、爆豪の器用さには舌を巻いてしまうな。

 操がそう思ったのも束の間、破壊されたコンクリートは支えを失ってフィールドから落下してしまった。そしてその瓦礫は、オールマイトに向かって落ちていく。

 

「ッ!?」

「オールマイト!」

 

 遠くからそれを見ていた操と青山も思わず息を呑んでしまった。だってオールマイトはもう戦えないのだから。自力で瓦礫を破壊することも、それを避けることも不可能だろう。

 操は刹那の中、思考を巡らせる。──血液で壁を作るには距離的に不可能だ。赤弾を飛ばしたところで瓦礫から守れるかは不明瞭だし、オールマイトを移動させるには力が足りない。走っても操の速度じゃ間に合わない。

 一秒にも満たない時間の中でそう考えると、操は青山に視線を向けた。彼の【ネビルレーザー】なら即座に瓦礫を破壊し、オールマイトを救けることができると思ったからだ。

 

「青山!レーザー、を……」

「──、」

「青、山……?」

 

 けれど視線の先にあった青山の表情が恐怖に歪んでいたから、操は言葉を失ってしまった。その顔は青を通り越して白く、身体は石の様に強張っている。視線は、オールマイトに釘付けになっていて此方を見ることはない。

 そんなやりとりの中、どこからともなく飛んできた緑谷が瓦礫を破壊してオールマイトを救ってみせた。そのまま彼らはその場で話し込んでいるが、眉を顰めた相澤が声をかけていることからオールマイトは注意を受けているのだろう。

 操はホッと胸を撫で下ろしつつ、再び青山に視線を向けた。彼は俯いていてどんな表情をしているのかわからない。そんな彼が心配になり、手を伸ばそうとしたが──。

 

「僕、トイレに行ってくるね……⭐︎」

「あっ……おい!」

 

 顔を上げた青山はいつものように腹部を押さえ、前屈みになって操の横をすり抜けていった。先程の表情が嘘かと思うほど、いつもの青山だった。いつもの青山なのに──。

 伸ばした手は何も掴まぬまま、静かに下ろされる。徐々に小さくなっていく青山の背中を見つめて、操はぎゅっと拳を握りしめた。

 そんな操の背後では、エクトプラズムが青山の背中を見つめて悩ましげに呟いている。

 

「青山ノ課題ハ許容量ノ少ナサダナ……」

「……エクトプラズム」

「何ダ?」

「私もお腹痛いからトイレ行ってくる!!」

「待……!行ッテシマッタカ……」

 

 操は顔を上げて勢いよくそう告げると、腹痛を感じさせない俊敏な動きで青山の背中を追いかけていった。

 驚いた相澤やミッドナイトにもすれ違い様に「トイレ!!」と伝えて操は走り去っていくが、それを見ていた殆どの者が「嘘だな」と勘付いている。しかし内容が内容であるため止めにくいし、操は問題児であるが授業や訓練には真面目に取り組む生徒なので「何かあったんだな」と信用され、その場は見逃されたのであった。

 

 

 体育館から出た途端に感じたのは、騒々しく鳴く蝉の声。しかし壁に囲まれていない分、夏の熱気はいくらか落ち着いている様に思う。操は襟元をばたつかせて身体の熱気を逃しつつ、体育館の裏側へ足を進めていった。

 トイレに行くと言って飛び出した青山だが、操がトイレを確認したところそこはもぬけの殻。つまり、彼は別の場所にいるということだ。

 何故嘘をついてまで飛び出したのか、あの表情と何か関係があるのか否か。操にはわからない。数日前の葉隠のように、追いかけない方がいいのかもしれない。──でも、後で「追いかければよかった」と後悔するくらいなら、たとえ嫌な顔をされたとしても今追いかけるべきだと思ったんだ。

 

 体育館から少し離れた、日陰にある手洗い場。長方形のコンクリートに蛇口が複数ついているその前で、青山は俯きながら佇んでいた。

 彼のヒーロー名に合わせて煌めくマントが、熱気を含んだ重たい風に揺れてはキラキラと輝いている。しかしその横顔はやはり白く、日陰の中にいると闇に溶けて消えてしまいそうだった。

 片腕は腹部を抱きかかえるようにして押さえられ、もう片方は口元に当てられている。背中は苦しそうに曲がり、彼の身体は流しに向かって前のめりになっていた。その様子は腹痛というより、気分が悪そうに見える。

 

「青山?大丈──……」

「!?……っ」

 

 大丈夫か、そう声をかけようとしたとき。

 操の存在に気付いた青山はすぐに顔を上げた。しかし操を視界に納めた瞬間、込み上げてくる何かに耐えきれず胃の中のものを吐き出してしまったのだ。

 突然のことに目を丸くした操は咄嗟に青山の元へ駆け寄ると、苦しそうに丸まった背中を優しく撫でた。青山はまだ吐き足りないのか、苦しそうに嘔吐している。その間にも鼻につく胃液の臭いは、辺り一体に充満していく。

 流し台にぶちまけられた吐瀉物を流すために蛇口を捻ると、その臭いは幾分か落ち着いた。しかし未だ吐き気の波が押し寄せているのか、彼は流しの縁を掴んだまま苦しそうに浅い呼吸を繰り返している。

 

「苦しいな。でも大丈夫、我慢しなくていいよ。全部吐いてしまえ」

 

 操は青山の背中を撫でながら、優しい声色を意識してそう告げる。

 嘔吐とは何らかの"原因"によって嘔吐中枢が刺激されて引き起こされる現象だ。原因は病気、食中毒、乗り物酔い、または精神的ショックなど人によって様々である。その原因を探って取り除くのは非常に大切なことであるが、それは後でやることで今すべきことではない。

 操は片手で青山の襟元を緩めつつ、彼の様子を観察していく。──体勢的に窒息の心配はない。呼吸はやや速く乱れているものの正常で、自分の足でしっかりと立っていることから目眩の症状は無さそうだ。

 続いて片手ずつグローブを外していくと、彼の手のひらは汗でびっしょりと濡れているのに指先は氷のように冷たくなっていた。

 ──脱水症状になりかけている。これは早く休ませるべきだな。青山はもしかしたら、私が見ていない間に何度か吐いていたのかもしれない。そう思いながら、操は再び思案する。

 食事はみんなで同じものをとっていたし、血液の状態から病気や食中毒の線は薄い。なら一番に考えられるのは急激な環境変化や夏の事件によるストレスが原因だろうか。合宿から現在に至るまで心身ともに休まることは無かったし、仮免許試験のプレッシャーもある。体調不良を隠していたのもそれが理由かもしれない。

 ともかく、日陰とはいえ熱気のすごい外では体力を消耗していくばかりだろう。そう考えた操は少し落ち着いた青山の背中を支えると、移動するように促していく。

 しかし青山はその場から頑なに動ことしない。蛇口から流れる水を見つめ、視線を此方に向けることもない。呼吸は依然として浅いままだった。

 

「……ごめっ……僕、ぜんぜ、ん……紳士じゃない、ね……でも、もう大丈……夫さ……⭐︎」

「私は医者ではないが、素人目でもお前が大丈夫じゃないのはわかるぞ?」

「……Ne t’inquiète pas(心配しないで)

「それは無理なお願いだな。いいか?吐いた後は自分が思っている以上に体力を消耗している。胃も過敏になっているからちゃんと身体を休めるべきだ」

「でも、体力なら……キミが回復出来るよね……⭐︎」

 

 顔を上げた青山は依然として青白く、異常なほど汗をかいている。

 無理をしているのだろう。それなのに、彼は"いつものような"飄々とした笑みを浮かべてやり過ごそうとしている。それがなんだか悲しくて、無性に苛立った。

 しかしその苛立ちを彼にぶつけてはいけない。操は一度深く息を吸うと、ゆっくり吐き出した。そして青山に言い聞かせるよう、言葉を紡いでいく。

 

「残念ながら教員の許可がなければ回復は出来ない。でも、保健室に行けばリカバリーガールの許可を貰うことは出来る」

「……」

「……このこと、みんなにバレたくないんだろう?隠してやるから、一緒に保健室へ行こう」

「……でも、僕は……また、吐くかもしれないよ……?」

「ハ、それこそ心配しないで(ヌ タンキェトゥ パ)だ。操ちゃんはステンちゃん、つまり医療ヒーロー見習い。準備は万端だぞ!」

 

 操はドヤ顔で笑うと、腰に取り付けたポシェットに手を伸ばして携帯嘔吐袋を取り出す。そしてそれを青山に差しだした。その様子に彼は目を丸くしている。

 道端で吐くことに抵抗があり、その気持ちがこの場に青山の足を縫い付けるのであれば、操は彼に安心を与えるのが最善の行動であろう。そして速やかに青山を安全な場所に連れていき、適切な処置を行う。リカバリーガールの治癒と操の体力回復が合わされば、青山の体調不良はなかったことに出来る。

 心配、苛立ち、悲しみ──そんな感情は殺して笑え。目の前の青山(患者)が安心して身を任せられるよう、堂々とあれ。心身ともに安らげるよう、最善を尽くせ。

 

「身体は資本だ、無理をするとかえって悪くなるからさっさと治そう。それでみんなにはウンコしてたって言えばいい。ほら、いつもの青山に元通りだ!」

「それって、僕がいつもウンコしているみたいな言い方じゃないかい……?」

「事実だろうが」

「……ノン淑女……」

「フ、何とでも言え」

 

 操は青山に手を伸ばすと汗ばんだ手首を緩く掴んだ。そして脈を測りつつ、背を向けて保健室に向かってゆっくり歩いていく。

 彼は先程とは違って大人しく付いてきた。なので操もなるべく日陰や人気のない道を選び、溶けてしまいそうな闇の中から彼を連れ出していく。

 体調管理はヒーローの仕事の一つだ。けれど二人はまだ学生であるし、青山は八百万と同じように裕福な家庭で育っていたはず。ならば突然の環境変化にストレスが溜まるのは致し方なく、事件の後で精神的に疲弊しているのは突然である。これは青山だけの責任ではなく、ケアを怠った教員(大人)の責任とも言えるだろう。

 

 二人が保健室に到着すると、リカバリーガールは青山の顔色を見て状況を察したのか彼をベッドに寝かせて休ませた。操は棚に保管してあった経口補水液を取り出すと、少しずつ、間隔をあけて彼に飲ませていく。その間、リカバリーガールの許可を得て体力回復も忘れない。

 ──私からリカバリーガール以外に青山のことを告げることはない。ただ、リカバリーガールに口止めをするつもりもない。

 操はベッドサイドの椅子に腰掛け、相澤に返していなかった【YUGA AOYAMA/Can't stop twinkling.】と記載されたタブレットケースを握りしめる。逆の手は(ぬる)くなっていく青山の手首に触れ、視線は白い天井に嵌め込まれた蛍光灯に向けられていた。

 

「赤黒さん」

「なに」

「……僕は、キミが連れ去られる前の……燃やされる瞬間を見ていたよ」

「……何だ、急に」

「僕はまた、何もできなかった。何もできない、クズなんだ……」

 

 弱々しいその言葉に既視感を覚え、操はUSJの出来事を思い出す。あの時も彼は隠れていたことを恥じ、自己嫌悪し、自身のことをクズだと言っていた。──私はあの時、青山に何と言ったっけ。

 蛍光灯から青山に視線を移せば、彼はシミのない天井を眺めているだけでこちらに視線を向けることはなかった。ただ、顔色はだいぶ血の気を取り戻している。しかしその瞳は闇のように暗い。

 

「障子は、青山のおかげで常闇を取り戻せたって言ってたぞ」

「僕はずっと戦わずに隠れていただけさ」

「響香と透を避難させてたじゃないか」

「……でも、戦わなかった」

「ふぅん……お前は自分の行動、後悔してるのか?」

 

 ヴィランが目の前にいても、状況によっては戦うことができない時もある。操は神野区のアジトで同じ状況だったから、その気持ちは理解できる。

 そばにいても力が及ばず、助けることが出来なかった。それどころか逆に人質になり、最悪な状況を招いてしまった。──私の武器が目に見えないものなら、ヴィランを一瞬のうちに拘束できれば、もっともっと強ければ、勝てたかもしれないのに。

 そんなことを何度も考えては奥歯を噛み締めた。きっと青山も同じ気持ちで、だからこそ強くなるために体調不良を隠していたのかもしれない。

 操は身を乗り出すと、青山の視界に無理やり割り込んだ。青山の顔に影がかかる。その暗い瞳と目が合えば、耳にかけていた髪の毛は頬を掠め、彼に向かってさらりと落ちていく。

 バイオレットの瞳が困惑したように揺れた。秒針を刻む時計の音が、やけに大きく聞こえる。

 

「青山……」

「……、」

「トトトツーツーツートトトだ」

「……えっ?」

「SOSのモールス信号だよ。お前のレーザーなら空高く放てるだろう?ヒーローが一人で戦う必要はない。助けを求めてはいけない決まりもない。お前が困ってたら、私が救けるぞ!」

「……っ、」

「だから大丈夫。体調不良を隠し通すのは凄いことだが、それは美徳ではない。お前が苦しい時にそれを隠されるのは……少し、悲しいな。だからいつでもSOSを──……」

「……っ、フッ!!」

「うわっ!?」

 

 青山は操の言葉を最後まで聞くことはなく、腹筋に力を入れると勢いよく上体を起こした。操は眼前スレスレで横切った金髪に驚き、思わずのけ反ってしまう。反応があと少し遅かったら青山に頭突きされていたことだろう。

 青山は何故かドヤ顔で腕を伸ばし、よくわからないポーズを決めていた。「キミのおかげで体調……すっかり良くなったよ⭐︎」そう言う彼はいつも通り眩い輝きを放っている。操は「それは良かった」と返しつつも、青山に気付かれないくらい小さく息を吐く。

 ──何か誤魔化されたような気もするが……まあ、おいおい様子を見てまた声をかけようか。

 青山優雅というクラスメイトはミステリアスで、何を考えているのかわかりにくい。けれど今回の件で"苦しんでいるのを隠す"ということはわかった。ならば今後は注意深く観察し、彼が弱みを見せられる関係を築ければいい。

 操は靴を履いてからベットメイキングをする青山を眺めつつ、そう思うのだった。

 

 青山はリカバリーガールの診察を受けてから退室の許可をもらい、操と共に保健室を後にした。夏休みだからか廊下は閑散としていて、この場には二人しかいない。窓から差し込む陽射しが蛍光灯の灯りとぶつかって視界を白く染めるので、二人は思わず目を細めてしまう。

 青山は歩きながら緩まった首元や外されたグローブを整えていた。そして隣にいる操をそっと盗み見ると、彼女の首元はコスチュームで隠れているものの包帯が巻かれている事に気が付き、思わず立ち止まる。

 歩き続けていた操は立ち止まった青山に気がつくとその場で振り返った。窓から降り注ぐ光が、操を包んで輝かせる。対して青山は壁に遮られた日陰でそれを見つめているのだ。眩しいな、と目を細めながら。

 手を伸ばすことすら叶わないまま、光を眺めているのだ。

 

「青山?」

「キミは……ヴィランが近くにいたらどうする?」

「え?」

「例えばキミの大切な人……ラグドールの個性を奪ったヴィランが近くにいたとしてさ。勿論、許せないよね?キミはどうする?」

 

 いくら眩いマントを装備していても、太陽の光が届かない闇の中では輝けない。闇は自分の弱さも醜さも隠してくれるけれど、あまりにも強大で、心の叫びすら掻き消してしまう。彼の叫びは、光に届くことはない。

 世界が光に満ちれば、闇は跡形もなく消えるだろう。青山優雅というちっぽけな闇も例外なく、この陽射しに焼き殺されるのだ。

 だから彼はあと一歩踏み出すことが出来なかった。神野区のあの惨状を見て、傷付いたクラスメイトたちを前にして、戦えなくなったオールマイトを目にして。

 ──自分だけが「たすけて」だなんて、口が裂けても言えるはずがなかった。

 

「それを聞いてどうするんだ?」

「参考にしようと思ってねっ」

「参考、ねぇ……」

 

 操はラグドールの個性が奪われたことは知っていても、誰によって奪われたのかは知らない。ただ黒霧によってラグドールがアジトの外に連れ出されたことから、あそこにいたヴィラン連合以外の人物だと推測している。

 だからとりあえず、ラグドールを壊した死柄木弔で考えてみることにした。もし死柄木弔が目の前にいたら、操はどうするのだろう。

 その瞬間、鼓膜を揺らしたのは嗤い声だった。どろりとした黒い液体が心を濡らしては、眼前にパッと弾けるような赤が咲く。

 操の手には鈍く光る刃物が握られていた。その刃は赤く染まり、刃先からは雫が垂れている。

 足元には、赤く濡れた手が──……。

 

「手を……」

「手を?」

「……手足を、折る」

「ノン淑女……!」

「そしてそのあとぶん殴る」

「赤黒さんは……中々ワイルドだねっ……」

「だって手足を折れば動けないだろう。あとはムカつくから……うん、だからぶん殴る。参考になったか?」

「全く⭐︎」

「そうか……」

 

 操が歩き出せば、青山は距離を保ったまま同じように歩き出す。

 二人の手のひらはじんわりと湿っていた。それが夏の気温のせいではないと、お互いだけがわかっている。

 青山は前を歩く操の背中を見つめていた。彼は「救けてあげる」だなんて毒のように甘い言葉で心を突き刺されたのだ。だから平静を保つのに必死だった。期待と罪悪感で呼吸ができず、とても苦しい。今すぐ焼き殺されたいとさえ思っていた。でも、怖くて動けなかった。

 操は脳裏を埋め尽くした赤をかき消すために、自身の手を固く握りしめた。そのため注意深く観察しようと心に決めた青山のことを、振り返って見てあげることが出来なかった。自分のことに精一杯で、そんな余裕がなかったのだ。

 その距離がお互いにとって良かったのか、それとも悪かったのか。今はまだわからない。

 

 

 

 

 仮免許試験まで残り数日。

 操は対ヴィランの戦闘訓練を行うため芦戸と向き合っていた。向かい側にいる芦戸も仮免許試験で対人戦があることを予測し、真剣な表情をしている。

 今回はお互い必殺技を用いての本格的な戦闘訓練だ。それ故、全員ではないもののクラスメイトや教員が見守る中で行われる。芦戸は体育祭の決勝トーナメントで操に負けたことを思い出し、腰を落として足に力を入れた。

 

「前に言った通り、絶対に負けないから!」

「上等だ、返り討ちにしてやろう」

 

 既に試合を終えた障子と切島がストレッチをしながら此方を見ている。その他クラスメイトは休憩や軽い運動をしつつも、対人訓練を気にしている者が多いようだ。

 けれどそんな視線は意に介さず、操と芦戸はお互いのことだけを見ていた。そして張り詰めた空気が少し揺れると、二人は同時に地面を蹴る。

 戦う上で大切なのは「いかに自分のフィールドで戦わせるか」だろう。故に先手必勝!

 そう考えた操は赤弾を芦戸に向かって飛ばすが、芦戸は難なくそれを溶かしていく。──操と同じように、酸を弾丸のように飛ばして。

 

「アシッドショット!お返しだよ、ピリッとするからね!」

 

 芦戸は赤弾をアシッドショットで溶かしつつ、数多くの酸を操に向けて放つ。操はそれを最小限の動きで避けながら、少し溶けた地面に足を叩き込んだ。すると地面はあっという間に砕けてしまう。

 操とて先程の赤弾が当たるとは思っていない。芦戸がどう対処するのか確認したかったから、少量の血液を撃ち込んだに過ぎなかった。

 体育祭で操は芦戸に勝利したが、それは彼女がまだ対人戦に慣れていなかったからだ。操の攻撃──血液──は壊さない限り武器として残り続ける。たとえ弾が液体に戻ったとしても、その血液が忘れた頃に動き出すのだ。それは体育祭で操と常闇の試合を見た者なら知っているだろう。

 故に操の攻撃は「弾くのではなく壊す」と考え対処しなければならない。その手間が相手の動きを少しでも制限する利点となるのだが──芦戸三奈の個性は破壊(それ)を容易に実行できてしまう。

 血液は酸に溶かされてしまうため真向勝負は分が悪い。それに正面からの戦闘は芦戸の得意分野だ。身体能力を強化しているため力も素早さも操が上をとっているが、彼女の直感と反応速度を鑑みると打撃を与えたところで酸によるカウンターを食らう可能性が高い。

 故に、操が勝つには彼女の意表をつくしかない。

 

「血液を消耗するのは困るんだ……なら、武器を作れば良い。簡単な話だな?」

「上等!」

 

 操は大小様々な瓦礫を蹴り上げると芦戸に向かって容赦なく飛ばしていく。

 体育祭でも同じことをした。あの時の芦戸は避けた上で前に進んできたが、"もし対処できる必殺技があるなら彼女はそれを使う"だろう。芦戸の性格上、勝つために全力で戦ってくれるに違いない。

 ──戦場で大切なのはいかに自分のフィールドで戦わせるか。そして「どれだけ素早く相手の情報を手に入れられるか」だ。

 

「アシッドベール!」

 

 芦戸は溶解度マックスの酸を腕に纏わせると、それを振り抜いて壁のように張る。すると瓦礫はアシッドベールに絡めとられ、ジュッと音をたてて溶けてしまった。

 操は体勢を低くしながら前進し、目の前の壁に直進していく。──アシッドベールは粘度が高い酸の塊、恐ろしい技だな。けどそれがある以上、三奈も私に攻撃ができない!

 操は活性化させた脳で誰よりも早く思考を巡らせていく。そしてギリギリまで身を隠しつつアシッドベールの右側から飛び出すと、芦戸の身体がこちらに向いたと同時に上空へ飛び上がった。勿論、簡易的に血液の足場を作っている。

 

「っ、飛んだら逃げ場ないよ!?」

「ハ、逃げる必要なんてないだろうが!」

 

 慌てて体勢を整えた芦戸は上空に向かってアシッドショットを撃つが、今度は操がそれを赤弾で相殺していった。そしていつの間にか構えていた赤刃・太刀蓮華を振り下ろすと、酸の弾を防がれた芦戸はその場を飛び退いて避けるしかない。

 確かに爆豪のように空中で方向転換が出来ない操が上から攻めるのは愚の骨頂だろう。けれどそれでいいのだ。今は操自身(・・・)が囮(・・)なのだから。

 ──目に見える武器が対処されてしまうのなら、視界から消してしまえばいい。

 

『液体・固体トキタラ、後ハヒトツシカナイダロウ』

 

 芦戸が作り上げた必殺技はどれも強力だ。酸の個性と彼女のポテンシャルが合わされば操の攻撃はどれも防がれ、溶かされてしまう可能性が高い。

 けれど操だってこの数日間、着々と必殺技を作り上げてきた。既に(・・)芦戸は(・・・)血液に(・・・)包囲され(・・・・)ている(・・・)

 

「ぐっ……!」

 

 操は飛び退いた芦戸を追いかけると太刀蓮華を振り抜いた。彼女は小さく展開したアシッドベールでそれを受け止めるが、操は酸が触れた部分のみを切除し、息をつく間もなく短くなった太刀蓮華で追い討ちをかけていく。

 肩を殴打された芦戸は後方によろめくがすぐに体勢を整え、反撃と言わんばかりに蹴りを繰り出した。その足は、酸で覆われている。

 操は左足を軸に身体を回転させてその攻撃を避けた。しかし芦戸は腕に酸を纏わせると、追撃しようと操に向かってくる。

 なので操は特殊加工された小型ナイフを飛ばすと躊躇なく芦戸の足に突き刺した。勿論、芦戸は攻撃を中断してそれを避けている。その額にはじわりと汗が浮かんでいた。

 訓練であろうとなかろうと、芦戸は操が手を抜かないことを知っている。それは体育祭の時に身をもって体験したからだ。

 

 赤黒操は攻撃を躊躇しない。そして向かってくる相手には容赦しない。

 それは訓練で手を抜いてもお互いのためにならないと思っているからだ。そして練習で出来ないことが本番で出来る筈がないと思っている。だから操は訓練であっても相手をヴィランと想定し、救う(勝つ)ために思考を巡らせるのだ。

 ──三奈の個性が厄介だ。必殺技を使っても良いが万が一それが不発に終わってしまった時を考えると、安易に繰り出していいとは思わない。ならばまずは彼女の動きを止め、疲弊させ、隙を作る他ない。

 操は持久戦が得意だ。何故なら、彼女は疲労を感じないから。

 だからまず厄介な芦戸の個性をどのようにして止めるかがポイントとなるだろう。彼女は全身から酸を出すことができる。ならば皮膚を、

 

 

 剥 ぎ 取 れ ば い い 。

 

 

「……っ、!?」

 

 その思考に、操は思わず息を呑んだ。

 脳裏を埋め尽くす赤が、視界を真っ赤に染めていく。どろりとした黒い液体が、心を包んで真っ黒に塗り潰していく。

 嗤い声が聞こえる。鼓膜を揺らす不快な声が、何処からともなく聞こえてくる。

 

 思わず立ち止まった操の腹部に芦戸の足が食い込むと、彼女はそのまま後方に飛ばされた。そして力無く地面に叩きつけられたところで、様子を見ていたミッドナイトから「そこまで!」と合図がかかったのだった。

 芦戸は数秒の間瞬き、足を下ろすことすら忘れて操を眺めていた。──勿論攻撃を当てるつもりでいた。けれど、当たるとは思っていなかった。

 操は避けるなりカウンター技を放ってくると警戒していたのだ。だからこんなにも呆気なく吹っ飛ばされるとは思わず、しばらくの間呆然としてしまう。周りで見ていたクラスメイトたちも同様に、目を丸くして操を眺めていた。

 視線の先にいる操は砕けたコンクリートに埋もれながらも意識はあるようで、痛みに身体を震わせている。その顔は深く顰められ、思うように動けないのか手は瓦礫を掴み損ねていた。

 

「……っあ〜……痛いな……」

「っ、そりゃめっちゃクリーンヒットしてたからな!?」

「赤黒くん大丈夫か!?」

「……ああ、うん。平気」

「よかった〜……!」

「対人戦で操ちゃんが負けるの、珍しいわね」

「せやけど、三奈ちゃんこう、ぐわーって!なんか凄かったね!」

「語彙力……!」

「……でもさ、操ちゃんあの時一瞬立ち止まったよね?」

 

 操が上体を起こすと、何人かのクラスメイトはハッとして足早に駆け寄った。芦戸も同様に近寄るが、その表情は暗い。何故なら、操に手を抜かれたと思っているからだ。

 操は痛む腹部と背中の状態を確認し、異常のない事がわかると立ち上がる。受け身を取ることすら出来なかった身体が悲鳴をあげたが、エネルギーを回して再生力を高めれば次第に痛みは引くだろう。そう考えつつ、操は眉を顰めている芦戸に向き直った。

 

「もしかして……手、抜いた?」

「抜いてない、全力だった。ただなんか……んん……頭が真っ白になって、一瞬動けなくなったんだよなぁ……」

「ナニソレ、金縛り的な?」

「え、それ大丈夫なん?」

「……疲れてるんだよ、赤黒」

「え?」

「だってほら、訓練終わったらずっと勉強してるし……」

 

 話を聞いていた耳郎は操に近寄ると、髪の毛についていた砂埃をそっと払った。彼女は操と隣の部屋なので、訓練が終わった後すぐに部屋に籠って勉強に励むのを知っている。疲労を感じないとはいえ、耳郎は操の心配をしていたのだ。

 勉強の単語が聞こえた芦戸はゲッと表情を歪めるが、操は不服そうに眉を顰めている。まるで「それくらいどうってことない」とでも言いだけな顔だった。そんな操の様子にクラスメイトたちは呆れている。

 

「仮免前くらいちゃんと休めよな」

「ちゃんと五時間寝てる。私は充分休んでいる」

「けれど注意散漫は命取りよ。訓練に身体が慣れてないうちはもう少し寝なさい」

「ほらァ!ミッナイもこう言ってる!」

「そうですわ、操さん。休む事も大切ですわよ」

「えー……」

「もう、イレイザーに言いつけるわよ?」

「わかった、仮免終わるまで六時間寝るようにする」

「(判断が早い……!)」

「(一時間増えたな……)」

「(相澤先生に怒られたくないんですね……)」

「まったく……。あと保健室に行ってきなさい、怪我してるわよね?」

「……バレたか」

 

 呆れたミッドナイトが指差す先には、ぱっくりと裂かれた操の皮膚があった。しかしそこから血は一滴も流れておらず、指摘されなければクラスメイトたちは気付くことが出来なかっただろう。

 芦戸は思わぬ怪我に狼狽えたが、これは瓦礫にぶつかって切っただけである。綺麗に切れているので治るのも早いだろう。

 操はクラスメイトたちに心配されつつも、手をひらひらと振って「大丈夫」とアピールした。そして背を向けて体育館から保健室に向かって歩いていく。

 次の試合が見られないのは残念だが、怪我を放っておいてもいいことはないので早く治すべきだろう。そう、わかっているのに。

 

「……痛い、な」

 

 操は立ち止まり、心臓の部分をコスチュームの上から押さえつけた。しかし早くなる鼓動を制御することは叶わず、呼吸は次第に浅くなっていく。

 全身から汗が噴き出るのは、身体を動かした後だからだ。それか夏の暑さのせいだ。そう自身に言い聞かせるが、冷たい汗は止まることはない。鼓膜を揺らす嗤い声は次第に大きくなっていく。操はたまらなくなってその場で耳を塞いだ。

 目を閉じると、瞼の裏に血だらけの芦戸が横たわっているのだ。操の手には、鈍く光る刃物が握られている。足元には、剥ぎ取った皮膚が──。

 どろりと、黒い何かが心から溢れ出した。赤い花は操の足元に咲き誇っている。友人を苗床に、鮮烈に煌めきながら真っ赤に咲いている。

 

「……大丈夫だ」

 

 譫言のように、一人呟く。

 その言葉は誰もいない廊下で反響し、操の心に染み込んでいく。まるで暗示のように、自身に言い聞かせるように染み込ませていく。

 

「…………まだ、大丈夫」

 

 目を開ければ、足元に友人の亡骸はない。そこにあるのは何の変哲もない学校の廊下。何か違いがあるとするならば、眩しい夏の陽射しが大地を照らしているだけ。その様子に、操は安堵の息を漏らす。

 窓の外は陽が出ている限り灼熱の炎に焼かれ続けている。コンクリートは熱を吸収し、収まりきらない熱気は再び空へ昇っていく。それは、晩夏の陽炎。

 たちこめたそれは緩く揺れ、視界を虚に上書きしていく。──事件の後、たまに聞こえる嗤い声も、視界を彩る赤い花も。きっとこの夏の暑さのせいだ。暑さの、せいなんだ。

 

「──オイ」

 

 そう考えながらぼんやり立ち尽くしていると、背後から聞こえたのは鋭い声。

 突然のことに思わず肩が跳ねたが、まるで目が覚めるように操は現実に引き戻されていく。振り返ると、そこにいたのはクラスメイトの爆豪勝己だった。

 

「……勝己?」

 

 彼は目元を覆うマスクや両腕の籠手を外しているものの、先程まで訓練していたのかコスチュームを身に纏ったままであった。しかしその表情は鋭く、まるで刺すように操を射抜いている。

 ──どうやら怪我をしたから保健室に向かう、なんて雰囲気ではないな。

 操はそう考えつつも彼の方に身体を向けた。爆豪は操から少し離れた位置で立ち止まると、威圧的に見下ろしてくる。

 

「ビビってんのか」

「え?」

「戦うのが怖ェのかって聞いとんだ」

「……!」

 

 爆豪のその言葉に、操は先程の訓練を見られていたのだと察する。つまり爆豪は、操と話をするために追いかけてきたのだろう。

 確かに操はあの時立ち止まった。側から見たら手を抜いた、もしくは集中力が足りていないように見えたかもしれない。けれど爆豪はそれを「ビビっている」と解釈したらしい。

 彼が操の本心を見抜いたのは、勘が鋭いからか。それとも同じ経験をしたから?同じ思いを抱いているから?──それをいくら考えても、きっと操にはわからない。

 

「勝己は鋭いな……でも、少し惜しい」

「アァ?」

「別に、戦うのは怖くないんだよ」

「ハッ、ビビってることは事実だってか?」

「まあ……そうだろうな。うん、多分そうなんだろうな」

「てめェの事だろォが、ハッキリしろ」

 

 操が怖いと思っているのは「戦う」ことではない。

 悲しむ人がいるなら手を差し伸べるし、そのために戦う必要があるなら操は武器を手に取るだろう。そこには躊躇いも戸惑いも一切ない。

 そして「大切な人が死ぬ」ことを恐れているわけではない。勿論そんな未来は嫌だし、怖いけれど。それを恐れて戦いをやめることはない。そんな未来にならないために、むしろ戦うべきだと思っている。

 なら、何故あの時立ち止まったのか。

 

「なぁ、この手を見てみろ」

「……」

「これは兄に刺された傷だ。骨すら砕いて貫通してな、結構痛かった。勝己はそういう経験あるか?」

「雑魚の気持ちなんて理解できるかよ」

「ざ、雑魚!?……まあ、その通りかもしれないが……」

 

 雑魚と言われた左の手のひらは一部皮膚がつっぱり、色は薄い桃色に変化している。これは一生消えることのない傷だ。完治することのない、永遠に刻まれた傷だ。

 幸い問題なく動くし、別に傷が消えなくても生きていくことに何の問題はない。けれどそれは操の考えだ。適切な治療をしてもらった、操の価値観だ。

 視線を傷から爆豪に戻せば、彼は苛立ちを隠さずに此方を見ている。彼が何に苛立っているのか、操には理解できない。何故なら、操は爆豪の価値観を共有してもらうほど仲良くはないし、理解できるほど彼のことを知らないからだ。

 きっとそれは誰もが同じなのだろう。だから操も、青山の時は苛立ったのだ。

 

「……あれから考えるんだ。ヴィランは、病院には行けない。ならどうやって傷を癒すんだろうな」

 

 爆豪の赤い瞳は、血の色よりずっと綺麗だ。朱色に近いのだろうか。彼が放つ爆破で生まれた熱や光のように、その瞳はいつだって燃えている。

 それは、操の()とは違う色だった。瞬きをする度に視界を染めていく赤が、心に警鐘を鳴らしている。いつの間にか握りしめている刃物が、他者の血を浴びて赤く染まっていく。

 操は爆豪に本心を話さない。何故なら、この価値観を共有できるほど仲良くないから。そして、爆豪が操の気持ちを理解しようとすると思わないからだ。

 

「勝己、私は死柄木に同じことをした」

「──……は、?」

「覚えてるか?神野で、私はあいつの手のひらを刃物で……」

 

 言葉が最後まで紡がれることはなく、それは痛みによってかき消された。先程よりもうんと距離を詰めた爆豪によって、操は壁に叩きつけられたのだ。

 大きな手のひらは胸ぐらを掴み、首元を容赦なく締め上げている。打ち付けた背中が痛い、閉じていない傷が痛い。けれど個性のおかげで、息苦しくはなかった。

 閃光のような瞳は、怒りで震えていた。操はそれを、理解できないものとして眺めることしかできなかった。

 

「てめェ、クソヴィラン共に同情してんじゃねえぞ……!!」

「……同情、ねぇ。同情するのって悪いことか?ヴィランだったら傷付けて当然なのか?怪我をしても因果応報で済まされるのか?……違うだろ!ヒーローってのは、ヴィランを傷付けていい権利じゃないだろう……!」

 

 罪を犯した人は償わなければならない。

 それはヒーローだって同じだ。止めるためとはいえ、身の危険を回避するためとはいえ、人を傷つけたのなら謝るのが筋だろう。

 傷付けたのがヴィランだから賞賛される?許される?人を救けるためなら何をやってもいい?──私はそうだとは思わない。いや、思いたくない。

 目を閉じていないのに、操の視界は赤く塗り潰されていく。すると黒く染まった心が顔を出し、勝手に喋るのだ。『正しい社会のためなら、赤く染まれ』と。

 操は、その()には絶対屈したくなかった。

 

「そのクソ共に人生狂わされた奴が何人いると思ってんだ!てめェだってそう(・・)だろうが!」

「ヴィランだって、生まれた時からヴィランじゃないんだよ!ヴィランになった理由や原因が必ずある筈だ!私はそれを──」

「ハッ、どんな理由で何があったかなんて関係ねェ!ヴィランはヴィランだろうが!!」

「関係なくない……!」

 

 閑散とした廊下には怒号が飛び交い、凄まじい憤りが空気を揺らしている。

 二人はお互いのことが理解できない。そして、理解する余裕を持ち合わせていなかった。何故なら、自分たちが拐われたせいで大勢の人が死に、大切な人が傷付き、憧れの人がその座を退いたから。

 己の弱さと無力さに打ちひしがれた。けれどそれに屈しないよう、気合と根性で前を向いているのだ。前を向くことだけが自分にできることだと信じて、どれだけ苦しくても前を向く事しか許されない。立ち止まり、振り返ることは決して()が許さない。

 二人はお互いのことが全く理解できないけれど、それだけは同じだった。

 

「……勘違いするなよ。私は、ヴィランを逃がそうとか、罪を肯定しようとか、そんなことを言ってるんじゃない」

 

 操は、自身を締め上げる爆豪の腕を掴んだ。その腕は太く丈夫で、操の小さな手では指が回ることはない。

 ──そのクソ共に人生狂わされた奴が何人いると思ってんだ!てめェだってそう(・・)だろうが!

 確かに操は、兄がヴィランというだけで謂れのない中傷を受けている。別の人間であるというのに、血が繋がっているだけで等しくヴィランであると一部の人々には認識されている。

 兄のせいで操の人生はめちゃくちゃだ。けれど兄がいて(・・)くれた(・・・)から操は生きているし、大切だと思える人々にも巡り会えたのだ。

 兄の行いは決して許されることではない。けれど罪を犯した人間を"必ず見離さなければいけない理由"なんてない。

 

「どんな理由があって、どんな思想を抱いていようとも。罪を犯した時点で捕まえる。でも私は、それだけで終わりたくないんだ。何故罪を犯したのか、その理由を知りたい。知って、どうすれば生きやすくなるのかちゃんと考えたい」

「それはてめェのエゴだろ。つか、ヒーローがやる事じゃねえ。思想(それ)を理解してやればヴィランが改心すんのか。被害者が生き返んのか」

「……改心はしないだろうな。でも、それって無駄なことなのかな。無意味な時間なのかな」

 

 自身の信念を貫き通した兄の背中を思い出す。続いて、神野のアジトで対話した彼らを思い出した。

 個性や生育環境、思想や信条など、ヴィランの要素を調べるのは犯行動機の解明には必要不可欠だ。それは彼らの犯罪を肯定するためではなく、類似事件の再発防止のため。何の学びもなく、ヴィランを捕まえ罰を与えて終わるのでは、何の進展もない。それでこそ被害者は"無駄死に"だ。

 それらは未来を生きる人のために、ヒーローとして知るべきだと思う。ヴィランと戦って捕まえて「ハイ、おしまい」だなんて──それではただの作業だ。繰り返される歴史に何の対策を講じない方が、よっぽと人を救う意思がないだろう。

 ──私はヴィランの信念に同意は出来ずとも、そういう生き方なのだと否定をせずに受け入れたい。

 と、操はそこまで考えて思考が停止した。

 

『じゃあ、なんで私は普通のことをしたらいけないんですか?』

 

『趣味嗜好は人それぞれでみんな違ってみんな良いって? うふふ、反吐が出るほど綺麗事! 結局は普通(自分)を殺せってことでしょ……本末転倒ね。そういう世界が"生きにくい"って私たちは言ってるのよ!』

 

 ──受け入れて、それで私はどうする?どうしたらいい?どうしたら、みんなが幸せになれるの?

 操は自身が抱くこの気持ちを簡単に変えることができない。そんな状態で、相手を変えようとするのは無理だ。そう、思ってしまった。

 ヴィランが改心しなければ生きやすい世の中にはならない。その場合、改心できない誰かを犠牲にして多数の幸せを優先すべきなのか。人は、必ずしも全員が幸せな未来を歩むことができないのだろうか。

 人生の焼き直しが本人にできるのであれば、その程度の過去ならば、彼らがヴィランになるには至らなかった。だから他者の手が、救済が必要だと思っていた。けれど操には、何をしていいのかわからなくなってしまった。

 どうしよう、答えが、見つからない──。

 

「私の思いは……無駄なのかな……」

 

 先程まで刃物のようだった視線は鋭さを失い、その声色は力なく消え入るような音を紡いでいる。その様子に爆豪は無性に苛立って手の力を強めた。けれどどれだけ怒りをぶつけても、操の視線に覇気は戻らない。

 オールマイトの引退は、爆豪勝己の心に深い影を落としていた。痩せこけた身体を見る度、気が狂いそうだった。

 だからこそ(・・・・・)理解できる。自分の大切な人があんな殺され方をしたら、頭がおかしくなって当然だ。偽物だと分かっていたとしても、あの光景が操にとって傷にならないわけがない。あの時操が発狂してしまったのは当然の出来事で、そのせいで戦いに恐怖を覚えることは決しておかしくない筈なのに。

 それなのにどうだ?赤黒操は怒りで死柄木弔を殺そうとしてもおかしくはないのに、ヴィランに恨みを抱いても仕方がないはずなのに、手のひらの傷を心配している。ヴィランの未来と心を案じている。

 操の家庭環境を考えれば、ヴィランに対して深く考えてしまうのは理解が出来なくもない。しかし自分の痛みを一切念頭に置いていないその価値観は、全くと言っていいほど理解が出来なかった。

 ──気持ち悪い。

 同じ人間とは思えないほど、気味が悪い。気色が悪い。湧き上がる嫌悪感に、反吐が出そうだった。

 

「……クソカス連合に同情してんじゃねェぞ。何とかしてえと思うならてめェに出来る事はただ一つ、ぶっ殺してでも止めることだろォが」

「……」

 

 ──平和の象徴を終わらせた自分に出来るのは、平和を作ることだけだ。そこには自分の意思も、ヴィランの意思も関係ない。誰よりも強くなって平和を害するヴィランを叩きのめす。そう、平和の象徴(オールマイト)のように。

 無反応な操に舌を打った爆豪は乱暴に手を離すとその場を後にする。操はその背中を眺めながら、答えの出ない問題をひたすら解こうとするのだった。

 被害者、被害者家族、加害者、加害者家族、ヒーロー、民間人。全ての人間が笑って幸せに過ごせる未来が、思い描けない。思い描くことすら出来ない。それが悔しくて歯痒くて、もう何も考えたくなかった。

 相手の都合や気持ちを考えない善意の押し付けはいわば暴力だ。相手のことを考えない善意はただの"自己満足"だ。

 ──ならば私のこの気持ちは、一体何だろうか。

 

 

 操は爆豪に背を向け、別の道を進んでいく。保健室で治療を受け、血液を回して傷口の再生を促して、そうして再び歩き出していく。しかし体育館には戻らなかった。

 当てもなく彷徨うのは、きっと答えが見つからないからだ。強くなるために時間を無駄にする暇はないと分かっていても、喉に小骨が刺さってしまったように、何をするにも集中できそうにない。

 けれど意味もなく校内を歩き回っても、答えが落ちているわけではない。だからこの行為は"無駄"だと言えるだろう。それなのに、前に進み続ける事しか許されていない操は足を止めることが出来なかった。

 

「赤黒……?」

 

 そんな操の足を止めさせたのは、たった一人の声。

 操が振り返ると、そこには体操着を身に纏った心操と、捕縛布を手渡す相澤の姿があった。ここは体育館ではなく、校内の外れた場所にある土地。何の施設も、ベンチすらない草木が生えただけの土地。

 しかしそこは合宿前に心操と操が二人で特訓していた場所だったと思い出す。

 

「……ああ、人使か。久しぶりだな」

「うん……その、怪我は平気?」

「見ての通り、大丈夫だ!」

「……そっか、よかった」

 

 力こぶをつくってニッと笑った操に、心操は安堵のため息を吐いた。林間合宿で友人がヴィランに拉致された、その報道を見てから今日までずっと気が気ではなかったのだ。けれど操は前と同じように笑って、自身の目の前に存在している。それを見ただけで心操は酷く安心できたのだった。

 たった数週間前の出来事なのに随分と懐かしく感じるのは、きっとその間にあった時間が良くも悪くも色濃かったからだろう。操はそう思いつつも、心操が受け取った捕縛布が真新しくも汚れていることに気が付いて口角を上げる。

 きっと、夏休みであろうと強くなるために努力していたのだろう。ならばここに長く滞在することは、彼の邪魔をしてしまう。

 

「じゃあな、頑張れよ」

 

 フッと笑って身を翻す操は、いつも通りだった。いつも通りの、完璧な(・・・)笑顔(・・)だった。

 その後ろ姿を黙って見送った相澤は、心操に視線を向けると口を開く。その言葉は簡潔で、最低限であった。

 

「……悪い心操、少し自主練してろ」

「え、あ、はい」

 

 そうして視界から消えてしまった操を追いかけるため、相澤は駆け出していく。何故なら、操の異変に気が付いたからだ。

 ──あの笑顔は作り笑いだ。

 二度に亘ってそれを目にしてきた相澤は知っている。USJの前、マスコミを見て操は作り笑いをした。職場体験の前も、誹謗中傷や嫌がらせを受けて操は笑っていた。「大丈夫」の言葉と共に、なんてことのない顔をして、綺麗に笑っていたのだ。

 相澤は操の本当の笑顔を知っている。そして、無理をしている時に笑って隠すことも知っている。だから操は今、何かを隠している。

 そう考えながら暫く走っていると、相澤は操の背中を見つけた。その気配に気が付いたのか、操は立ち止まると驚いたように目を丸くしている。

 

「先生?どうした?」

「どうしたじゃねぇ……お前こそ訓練はどうした。こんな所で何をしている」

「…………えっと、散歩?」

「すんな」

 

 相澤がこれみよがしにため息を吐くと、操は困ったように眉を下げて笑った。どうやら珍しいことに、操は訓練をサボっているらしい。

 けれどそれが怠慢ではない事はわかりきっている。だから相澤は操を見下ろすと、事情を聞くべきだと判断したのだった。

 

「赤黒、お前先日も訓練抜け出してたな。青山と何してた?」

「……何って、トイレだよ?青山はカンケーナイゾ?」

「……」

「か、カンケーナイッ!」

「……」

「な、ナイッテバ……!」

 

 相澤に無言で見つめられた操は耐えきれなくなって思わず目を逸らすが、視線は外される事なく自身に突き刺さったままである。

 操は患者(青山)の意見を尊重したい。しかし、相澤に嘘はつきたくない。そんな二つの気持ちが入り乱れ、心をぐちゃぐちゃにしていく。

 たまらなくなった操は両腕を胸の前でクロスさせるとバツ印を作った。そしてドヤ顔で相澤に告げる。

 

「フッ……バリアの個性!」

「抹消」

「ぎえぇぇ!?先生強すぎ……!」

 

 それは実際に個性を使っていない、茶番に過ぎない言葉遊びだ。けれど操は相澤から逃げられるとは思えず、胸元に作ったバリアは呆気なく決壊していく。

 操が力なく視線を落としても、相澤の視線は操に向けられたままだった。

 

「俺に言えないことか」

「……言えないと言うか、言いたくない。私はウンコしてたとしか答えない。……だから、その、リカバリーガールに聞いてくれ……」

「……青山の件はわかった。で、お前は?」

「ん、私?」

「そうだ。何があった?」

 

 確信めいたその言葉に、操は思わず目を瞬かせる。

 顔を上げると相澤はふざけてなどおらず、いつも通り至って真面目。教師として操を心配し、わざわざ追いかけてきたのだろう。

 それを理解すると、操はとても嬉しく思った。しかし咄嗟に出てきたのは取り繕った笑顔と、本心ではない言葉。先程の出来事をまるで忘れてしまったかのように、操の心は嘘を紡ぐのだ。

 

「いや別に?何もないぞ!」

「……そうか」

 

 ──そっちがその気ならやってやる。

 操のその言動が、相澤のヒーロー心に火をつけた。職場体験前の出来事から、操が弱音を吐かないことは知っている。そして、吐かせようと距離を詰めると逃げ出すことも経験済みなので知っている。ならば話は簡単で、実力行使で吐かせればいい。

 じり、と一歩距離を詰める相澤に操は一歩後退した。驚いて彼の顔を見る。すると"目が合ってしまう"。

 相澤の髪の毛は逆立っていた。それは、個性を使っている証拠であった。操のこめかみにつつ、と汗が流れていく。

 

「……先生?な、何故個性を──」

「赤黒、もう一度聞いてやる。何があった?」

 

 その雰囲気にたじろいだ操は一歩二歩と後退するが、その動きを見た相澤は首元の捕縛布に手をかける。どうやら、本気で逃すつもりはないらしい。

 一方、逃げられないと察した操は両手をあげて投降した。しかし、相澤はそんなものが見えていないとでも言うように問答無用で操を捕縛する。

 勢いよく胴体を縛られた操はバランスを崩して地面に倒れると、歯を食いしばって相澤を見上げた。既に個性を使用していない相澤は長い前髪の間から、じっと操を見下ろしている。

 

「投降したのに〜!!」

「隙をついて逃げるだろお前」

「ニッ……ニゲナイゾ!?」

「目ぇ泳いでるぞ」

「ぐっ……!」

 

 必死に暴れる操はまるで地に打ち上げられた魚のようであった。しかし相澤が図星を突くと、彼女は次第に大人しくなっていく。

 なるべく優しく、相澤は何があったのかもう一度尋ねた。先程と同じように「言いたくない」というのであれば解放するつもりだった。他の教員やヒーローを仕向けて、操が話せる人に話を聞いて貰えばいいと思っていた。けれど操は口をつぐみ、相澤から視線を逸らすだけである。

 この反応を見る限り、誰が聞いても同じことをするだろう。そうして、壊れるまでじっと耐え忍ぶのだ、この問題児は。

 そんな中で相澤が思い出したのは、誹謗中傷の手紙が溢れた部屋で立ちすくんでいた操の姿。屋上のフェンスを飛び越え落ちる寸前だった操の背中。そしてヒーローを辞めると力無く俯く表情に、ラグドールに対してごめんなさいと謝り続ける痛々しい姿だった。

 ──粉々に砕け散った後に手を差し伸べるなんて、二度とごめんだ。

 

「わかったよ……ならお前が言うまでこうしていよう」

「え?──アギャッ!?」

 

 見上げた相澤の表情は逆光でよく見えなかった。しかしちゃんと確認する前に、操の視界は急速に移動していく。

 どうやら、操は捕縛布によって木に吊るされたようだった。まるでミノムシのように揺れる操は、呆然としながら相澤の後頭部を見下ろしている。

 けれど相澤は操の様子なんて気にすることなく、木の根元に胡座をかいて座り込んだ。そうしてどこからか取り出した寝袋を広げ、閉まっていたファスナーを下ろしている。──待て、どんな状況!?

 

「ちょ、オイ!先生寝るな!生徒を縛って吊し上げて寝るな!暴力反対!暴力反対〜〜!!」

「……」

「……マジで?無視するつもりか……?くそ、こうなったら……!とっておきをやるぞ!いいのか!?操ちゃんの"とっておき"だぞ!?私はやると決めたら本当にやるからな!?いいのか!?」

「……」

「ピピピピ!ピピピピ〜!!アラーム!私はアラーム!起きろ、先生〜!!起・き・ろぉ〜〜〜!!ピピピピィ〜〜〜〜!!」

 

 操は相澤が寝ない様、木に吊るされながら必死に騒いでいた。しかし相澤はそれを聞こえていないかの様に無視し続けている。

 何故相澤がこの様な行動をとるのか。普段だったら、彼は生徒の悩みを無理に聞き出す様な真似はしない。しかし操に限っては"それ"を放っておいたせいで自殺未遂になるまで追い込まれてしまった前例がある。

 そんな過去を経て何の対策もしないのは、教員としてもヒーローとしても愚行を重ねるようなもの。それに今は神野区の事件があって操は精神的に不安定だ。だから、絶対に放っておくのは嫌だった。まだ暴れる元気があるうちに、心に蔓延る悩みの芽を摘んでおきたかった。

 ワイプシが側にいない今、たとえ無理矢理だとしても苦しみを吐き出せる場所を作るべきだと思ったのだ。だから相澤はクソデカボイスで騒ぎ続ける操を無視して目を閉じるのだ。

 ここから始まるのは、意志を曲げない二人による我慢比べである。

 

「せ……先生ぇ……」

「……」

「……話すから……話すからぁ……下ろしてよ……無視しないで……」

「……その言葉忘れんなよ」

「ぐっ……操ちゃんに二言はない……!絶対に!本当に!」

 

 先に根を上げたのは数分間"とっておき"のアラームになっていた操であった。疲れを知らない彼女は永遠にアラームになっていられる筈だが、精神的に辛くなったのだろう。心なしかぐったりとした表情をしている。

 相澤は寝袋から出るとそれを片付けることなく真っ先に操を下ろした。捕縛布を解けば、操は力無くその場に正座をしている。どうやら本当に逃げるつもりはないらしい。

 なので相澤は捕縛布を首元に巻き付けると、操の側でしゃがみ込んだ。操は、地面と相澤を交互に見つめて口を何度も開閉している。

 

「えっと……その……あー……んんと、」

「はよ言え」

「う……先生のせっかち……」

 

 ぐちゃぐちゃの心は整理整頓が出来ておらず、何から話していいのかわからないままだった。しかし相澤は話す順序や纏まりがあるかなどは気にしておらず、操の悩みを吐き出させることを重視している。だからこそ綺麗(・・)に取り繕った言葉を並べられる前に、本音で話して欲しかった。

 相澤の視線に急かされた操はぎゅっと拳を握りしめた。話すと約束したからにはちゃんと話すつもりだ。爆豪の時の様に誤魔化して話すつもりはない。ただ操が怖いのは「話したことで幻滅されないか」ということだった。その不安が操の口を塞いで、言葉を形にするのを邪魔している。

 操は相澤のことが好きだ。だからこそ、汚い気持ちを見せたくなかった。笑って逃げて綺麗なまま、誤魔化したかったのだ。

 

「私さ、たまに……死柄木弔の嗤い声が聞こえるんだ……」

 

 視界が真っ赤に染まるとき、決まって彼の嗤い声が聞こえる。

 ラグドールを砂に変えた時の、楽しそうな声。愉快で愉快で堪らないって嗤い声。そんな時、真っ黒に染まった狂気が操の中から顔を出すのだ。

 ──お前もヴィラン(こちら)側だろう?そう告げて。

 操は左手を広げて、そこに刻まれた傷跡を見た。死柄木弔にも同じ傷を負わせた。そしてマスキュラーには、命の危険を与えて精神的に苦しめた。

 

「私ね、一瞬考えたんだ。死柄木の手が無くなれば誰も傷付かないって」

「……」

「ならいっそのこと腕を切り落としてしまおうかって……。だって腕を切り落としたくらい(・・・)じゃ、人は死なない」

 

 操は学んでいる。人を救うための医学を学んでいる。

 たとえ腕を切り落としても操が止血し、その後然るべき治療を受ければ命は助かるだろう。個性は無くなってしまうが、崩壊による被害者は今後出ることはない。そして死柄木も更生に向けて歩き出せる。

 ──そんな恐ろしいことを、あの時の操は考えていた。

 手足を折れば動けない。操は青山にそう告げたが、その考えに至ることが凶悪なのだ。そして操は体育祭で爆豪の腕を実際に折っている。そんな危険な思考回路で、いとも簡単に実行してしまう自身が恐ろしくてたまらない。

 

「私は、事件(あれ)から……人を救けるために学んだ医療を悪用して、攻撃に使った自分の凶暴性に怯えている……」

 

 人を救うために学んだ知識で、操はマスキュラーに死の恐怖を味わわせた。ラグドールを壊した死柄木の手のひらを、同じように壊してやろうと思った。

 ──可笑しくて嗤ってしまう。昔は個性の存在するこの世界が怖かったのに、他人を平気で傷付けるこの世界を嫌悪していたのに。

 今の操はその個性を使って、当たり前の様に他人を傷付けている。

 

『俺の名はスタンダール、悪を裁く者』

 

 その日の天気は晴れだった。

 しかし、そこは血の雨が降り続けていた。

 

『──貴様という罪を断つ、断罪者だ』

 

 闇がどろりと溶けて、赤い花が咲く。

 首が落とされた人間はその断面から血を噴き出していた。しかし操は力無く倒れるそれに目を向けることはなく、血だらけの手を必死に伸ばしている。

 そして握り返された手の温かさを感じながら「救かった」と思っていたのだ。背後で人が亡くなったというのに、自分のことだけを考えていた。

 あの時から操はこの世界に染まってしまったのだろう。それに気が付くこともなく、操はここまで来てしまった。そして今になって自身の異常性に怯えているのだ。

 

「……先生、私、思うんだ。いつか誰かを救うために……別の誰かを、殺してしまいそうだと……」

 

 ──兄と同じように。

 容赦なく首を刎ねてヴィランを殺してしまいそうだ。守るという信念を持って血に染まってしまいそうだ。救けるためならば殺してもいいのだと当たり前のように吐き捨ててしまいそうで、恐ろしいのだ。

 血は争えない。操には、兄と同じ血が流れている。

 

「……私は、いつかお兄ちゃんみたいになっちゃう気がする……」

 

 視線を上げることは出来なかった。操は地面を見つめたまま、譫言のように言葉を呟いていく。

 こんなこと、誰かに話せるはずがなかった。ヴィランの妹だからといって差別せず、操のことを大切に思ってくれる人たちに、話したくなかった。

 話したら嫌われそうだ、軽蔑されそうだ。だから、知られたくなかった。

 ──ヒーローになる。そう断言してくれた相澤に、操は失望されたくなかったのだ。

 

「……そうならない為の学校だ」

 

 相澤は俯く操にそう声をかけた。

 いつも通りの静かな声だった。しかしその声色は優しさを孕んでいて、そこには失望も軽蔑の色もない。

 ゆっくりと顔を上げた操の瞳は恐怖で揺れていた。だから相澤は、真っ直ぐその瞳を見つめ返した。

 怯えている彼女が、少しでも安心できる様に。

 

「そうならないために教師(俺たち)がいて、授業があって、お前は雄英(ここ)で学んでいく」

 

 相澤が思うに、赤黒操は戦場に出るのが早すぎた。

 まだ未熟な精神状態である子どもが何度も身の危険に晒される命のやり取りをし、身を削って死にかける深い傷を負い、大切な人を失いかけたのだ。

 むしろ笑顔で平然と過ごしていた方がイカれていただろう。だから相澤は操の本音を聞いて少しだけ安心したのだ。この子はまだ、壊れていないのだと。

 

「それに、そんなの俺だって考えたことはある」

「……え?」

「個性を物理的に使えなくすりゃあヴィランは無力化できる。そんなの、誰だって考えたことはある。でも考えるだけで、ヒーローは実行しない」

 

 プレゼントマイクの声帯を切り、相澤から視力を奪えば、二人は個性を使えない。そんなこと、誰だって一度は考えたことがあるだろう。けれど非人道的な実力行使をせずにヴィランを制圧するから、我々はヒーローと呼ばれ支持されるのだ。

 操の個性は血液だ。液体の臓器だ。他者のそれを操作することが出来るから、そういった命に関わる戦い方をしてしまうのは仕方がないと言えるだろう。

 けれど操はマスキュラーをちゃんと治療した。そして、死柄木弔の腕を切り落とすことはなかった。そして何より彼女は──。

 

「人を傷つけることに恐怖を抱くのなら、お前は正常(・・)だよ」

「──……」

 

 ヒーローになれば、ヴィランを傷付けることに抵抗がなくなる。全くないわけではないが、一般市民よりはうんと少ないだろう。戦って倒す事が当たり前な職業だからこそ、麻痺していく感覚に相澤は時々ヒヤリとする時がある。

 勿論殺すことに抵抗はあるし、殺さないように考えて戦っている。でも、"戦えてしまう"。

 個性は使い方次第で簡単に人を殺す事が出来る。操のそれは殺すことも容易だが、誰よりも救けることに向いていると相澤は考えている。

 操の個性は命に関わる大切な血液(もの)だ。だからこそ命に対して誰よりも敏感なのだろう。誰よりも、奪うことと失うことを恐れて悩んでいるのだろう。

 

「赤黒、その恐怖を忘れるな」

 

 操は情けない顔で相澤を見ていた。その表情は、作り込まれた完璧な笑顔よりも人間らしくてずっといい。

 人を傷付けるのが当然だと思いたくない。兄のようなヴィランになりたくない。──その気持ちが消えない限り、操が闇に堕ちることはないだろう。

 その感情はヒーローとして戦う時、もしかしたら障害になるかもしれない。それでも人としてとても大切なものだった。だから相澤は操の恐怖を否定しなかった。

 ──辛いだろうが、乗り越えろ。そして更に強くなれ。

 

「何度でも言ってやる。お前はヒーローになれるよ」

 

 気が付けば、嗤い声はもう聞こえなくなっていた。

 視界を染めていた赤は、どれだけ瞬いても見つからない。操の視線の先にあるのは、揺れる木陰の中にいる相澤だけだった。

 操は事件の後からずっと心の中に燻っていた何かが救われたような、そんな明るい気持ちになっていた。ゆったりとした歓喜が全身を照らすように、操は限りない喜びに満ちていく。

 ──こんな私だけど、ヒーロー、目指していいんだ。

 目の奥が熱くなるのを、唇をぐっと噛んで堪えた。俯けば手のひらの傷が目に付いて、あの時の痛みを絶対に忘れないと心に刻む。

 そして操は今ので理解した。信念や価値観に同意は出来ずとも、受け入れられることはとても嬉しく、救われることなのだと。

 そこまで考えて、操は何かを思いついたようにパッと顔を上げた。相澤だったら答えが見つからないあの問題を解いてくれる気がしたからだ。

 

「じゃあ先生!その、ついでに他の悩みも聞いてくれないか!」

「断る」

「……!?は、おま、この流れで断るか普通!?え、私は今めちゃくちゃ驚いているんだが!?」

「人には向き不向きがあるんだよ。それに……向いているやつがそこ(・・)にいるだろう」

「……え?」

 

 相澤の視線の先を追い、操は振り返る。するとそこには何の変哲もない木があったが──その後ろから、気まずそうな飯田が顔を出したので、操は思わず目を丸くしてしまう。

 飯田は顰めっ面で、唇を固く引き結んでいた。その表情を見るに彼は話を聞いていたのだろう。しかし操が何かを言う前に背後にいた相澤が「じゃ、俺は寝る」と寝袋に入ったことで、飯田は覚悟を決めた表情で操の前まで歩み寄る。

 そして勢いよく地面に膝をつくと、これまた勢いよく、先程と同じように手のひらを地面につけていた。

 

「赤黒君!!」

「え、うん」

「立ち聞きしてしまったこと、申し訳ないと思っている……!本当に、すまなかった……!!」

「ヒョワッ……!?」

 

 そしてその言葉を告げると、これが最後だと言わんばかりに思いっきり己の額を地面に叩きつけたのだ。絵に描いたような、見事な土下座である。

 驚いた操は思わず相澤の後ろへ飛び退いたが、飯田と操の間に寝袋姿の相澤がいることから、第三者から見たらとてもシュールな構図であろう。

 操はドキドキと速まる鼓動を落ち着かせながら、何とも言えないこの場の空気に飲まれないよう気を引き締める。そして相澤の背後に隠れながら──相澤は寝そべっているので、まるで隠れられていない──飯田の後頭部を見つめるのだった。

 

「話、聞いてたのか」

「キミが戻ってこないと芦戸君から聞いて……最近悩んでいたように見えたから、探していたんだ」

「……私、悩んでいるように見えたか?」

「入寮のあと、赤黒くんはいつもと違う笑い方をしていた気がしてな。俺は少し違和感を覚えていた」

「……笑い方、ね……。ちなみにどこから聞いていた?」

「…………赤黒君がピピピピ!ピピピピ!と言っているところあたりからだが……」

「あぁ……」

 

 ──それって、最初からじゃないか。

 飯田曰く、赤黒・アラーム・操の声が大きすぎてすぐに場所を特定できたらしい。しかし相澤と深刻な会話をしていたから割って入ることができず、内容が内容だけに立ち去ることも出来ずに聞いてしまったとのことだ。

 それを聞いて操はため息を吐きたくなったが、聞いてしまったものは仕方がない。操の考え方に対して軽蔑したり嫌悪していたら悲しいが、価値観は人それぞれなのでそれはどうしようもないだろう。というか、飯田ならその辺はハッキリ言ってくれると信じている。

 さん、にい、いち、ポカンで記憶を忘れられる訳がないし、本人も謝っているのでこの件は水に流そう。

 そう、思ったが。

 

「……頭を上げろ、飯田」

「無理だ。立ち聞きだなんて、君に向ける顔がない」

「いいから上げろ。悪いと思っているのなら、私の相談に乗ってくれないか」

「……相談?」

「うん」

 

 恐る恐る顔を上げた飯田は、困惑の色を浮かべていた。しかしその額と鼻は打ちつけたせいで赤く、眼鏡のフレームは歪んでいる。いったいどれだけ強い力で顔を打ちつけたのだろうか……。

 二人の間には寝袋に包まれた相澤が横たわっている。操は視界の端にそれを入れながら、彼の言葉を思い出したのだ。

 ──人には向き不向きがある。向いているやつがそこにいるだろう。

 それはきっと、飯田に相談してみろという意味だと思ったのだ。

 

「さっきの件は先生と話して吹っ切れたから気にするな。……だが、知られて気分のいい内容じゃないから、みんなには言わないでもらえると助かる」

「勿論だ!誰にも言わないと約束しよう!」

「うん、ありがとう」

「……それで、その、相談というのは?」

 

 力強く頷いた飯田に、操はそっと安堵の息を漏らす。真面目な飯田のことだ、口約束をしたならば滅多なことがない限り破りはしないだろう。しかし相談について急かされたため、操は気持ちを切り替えて彼の顔──とひしゃげた眼鏡──をじっと見つめた。

 飯田天哉は被害者だ。彼はステインによって兄の未来を破壊され、ヴィラン連合によって何度も危険な目に遭わされた、被害者。そんな被害者の立場だったからこそ、加害者側にいた操と衝突し、現在に至るのだが──。

 

「私はずっと加害者側だった。けどね、あの時初めて被害者側に立ったんだ。……そうすると、見えていた世界は変わってくる」

 

 洸汰の両親を侮辱し、彼を泣かせたマスキュラーに怒りが込み上げた。ラグドールの個性を奪ったヴィランを、見つけ出して気が済むまでぶん殴りたいと思っている。

 ──私の大切な人を傷付けたのだから、それ相応の報いは受けるべきだ。被害者側の立場に立つと、そう考えてしまうのだ。

 けれどヴィラン連合のアジトで彼らと話をした時、よくわからなくなった。彼らは本当に、歴とした"悪"なのだろうか。

 

「お前には以前話したと思うが、私は悲しんでいる人を救けたいんだ」

 

 最初は、ヴィランによって苦しめられている人を救けたかった。兄に苦しめられた操だからこそ、身勝手なヴィランの言動が許せなかった。

 けれど色々な人と出会って話をすると、操の考えは変わっていく。そして思ったのだ。ヴィランは、生まれた時からヴィランだったわけではない。何かのきっかけでヴィランに"ならざるを得なかった"人もいるのだと。

 操はヴィランを倒すために戦うのではない。倒して「ハイ、おしまい」ではなく、彼らの未来を導くために戦いたい。彼らの思想や信念を肯定できずとも、そういうものなのだと受け入れたい。受け入れて、どうしたら彼らが生きやすい世の中になるのか考えたい。

 

「でもさ、これってヒーローがやることじゃないかな……?それに……被害者からしたら、何でそんなことするのって思ってしまうよな……」

 

 操は洸汰の前で「マスキュラーの未来を支えたい」「彼は生まれた時からヴィランだったわけじゃないんだ。だから未来は奪われるべきじゃない」と言えるだろうか。──いや、言えるわけがない。

 被害者の目線に立つとこの考え方は呆気なく崩壊してしまう。そして、彼を許したくないと思う自分が顔を出すのだ。

 けれど、そんな時は決まって彼女の話を思い出す。自分にとって当たり前の世界を目指すヴィラン、トガヒミコ。彼女は生まれ持った価値観が一般的なものとはかけ離れていたから、ずっと苦しみながら生きていたのだろう。

 しかし操がどれだけ彼女の価値観を受け入れても、彼女が生きやすいと思う世界を作ってあげることはできない。彼女には引き続き普通を押し殺して生きてもらうことしかできない。操には、彼女が得るべき当たり前の幸せを提供してあげることが出来ない。

 

「でも、せめて受け入れてあげたいって思ったんだ……変だよな。マスキュラーのことは、そうは思えないのに……」

 

 ──操の気持ちはエゴ?偽善?自己満足?それとも、時間の無駄?ヴィラン(あなた)たちにとっては、必要ない?

 操がヒーローであり、誰かを"守る"のならば、どう足掻いても救うことができない人が存在してしまう。それはヴィランだったり、被害者だったり、被害者家族だったり様々だろう。

 全ての人々が幸せになれる未来が存在しないから、人類はずっと戦い続けている。

 感情を理解し合えない人がいる。交わらない世界の中では共存すらできない。だから争いが生じ、ヒーロー(私たち)は武器を手に取ってヴィラン(彼ら)と戦うのだろう。

 少数派の人間は自分の世界のために、救いを求めて戦う。その手を跳ね除け、「この世界で生きたいのならお前が変われ」と上から言いつけるのは多数派だ。少数派の意見を殺し、共存を押し付けるのは、いつだって多数派だ。

 きっとヴィラン(彼ら)にとってヒーローは、そういう存在なのだ。

 

「勝己に言われたんだ、ヴィランは殺してでも止めるべきだと」

 

 わかっている。

 操だって兄のことは刺し違えてでも止めるべきだと思っていたから、その気持ちはよくわかっている。

 

「でもヴィランとか……ヴィランの家族とか、そうじゃなくとも、人を傷つける個性を持ってたりとか、貧乏だとか、どんな理由があるにしろ……見捨てたくないんだ」

 

 操は悲しんでいる人を救けたいと思っていた。

 そこにヴィランは含まれないのか。そう考えた時、操の答えは一つだった。

 

「私は彼らの人生と、抱いた感情を。見て見ぬ振りはしたくない」

 

 どんな人生を歩んで、どんな感情を抱いたのか。何故武器を手に取り、社会に訴えかけたのか。それをよく理解して、二度と同じ被害者(ヴィラン)を出さないよう尽力したい。

 操のこの考えを不満に思う者は数多くいるだろう。悲しむ人も、傷付く人もたくさんいるだろう。

 でも救けたいと思ったのだ。見捨てたくないと思っているんだ。操のこの気持ちがヴィランにとって望まれなかったとしても、エゴや偽善だと蔑まれたとしても。

 

「ヴィランだからって、一括りにして一蹴したくない。……こんなヒーローは、おかしいかな?」

 

 飯田は、操の話を黙って聞いていた。

 操が発したのは纏まりがなく、整理整頓のされていない言葉の羅列だった。けれど彼は一つ一つ丁寧に噛み砕き、脳内で纏め、そして操の言いたい本質を理解してみせたのだ。

 飯田は少し考え込むと、時々驚いたような顔をしたり、眉を顰めたりした。そうして最後には、穏やかに笑うのだった。

 

「正直、僕にその考えはなかったが……赤黒君らしくていいんじゃないか?」

 

 全てのヒーローが同じ考えを持って、決められたことをする必要はない。

 人がそれぞれ違う価値観や趣味嗜好を持っているように、操にしかわからない救いがある。きっとそれに救われる人は、たとえ全員ではなかったとしても、一人や二人はいるかもしれない。

 

「キミはそのたった一人を取りこぼしたくないんだろう?」

 

 それはきっと、取りこぼされた操だからわかること。

 そして、取りこぼされた中で掬い上げられたからこそ、操は取りこぼしたくないと思うのだろう。相手がヴィランであろうと関係なく、どんな人であろうと救けたいと思うのだ。

 たとえその救いが相手にとって不必要だったとしても。最後まで手を差し伸べ続けることが、操が目指すヒーローの形なのだろう。

 

「人生は一度しかない。だからキミはキミが思うままに、救いの手を差し伸べればいい。それが間違ったほうに進みそうになっても、安心したまえ!僕が……俺が責任持って、殴ってでも赤黒君を止めてみせるさ!」

 

 整理整頓の出来ていなかった心に、その言葉はすとんと落ちていった。

 シュッシュッと腕を動かしシャドーボクシングをする飯田は、晴れやかな笑みを浮かべている。すると操も自然とつられて、同じような笑みを浮かべてしまうのだ。

 ──そうだ、そもそも私は全ての人を幸せにしようだなんて、そんな英雄じみたことは考えていなかった。目の前に悲しむ人がいるから、手を差し伸べる。寂しそうな人がいるから、寄り添う。苦しそうな人がいるから、救ける。

 そこに個性や人種に隔たりなどなく、ヴィランであっても同じようにする。それだけなんだ。

 

「ふふ……お前がそう言ってくれるなら安心だ」

「それはよかった!今後も共に切磋琢磨しようじゃないか!」

「私を支えるヒーローになるんだもんな?フッ、さっそく仕事をしているじゃないか」

「……ッ!?揶揄うのはよさないか!!」

「アッハッハッ」

 

 これにきっと正しい答えなんてない。だって人がそれぞれが求める「救い」は違うから。

 操はヴィランであろうと関係なく、悲しむ人の力になりたい。誰であろうと手の届く範囲にいる人は取りこぼしたくない。それは突き詰めると、同情なのかもしれない。

 でも操が、たくさんの人に救われて感謝をしているから。同じ気持ちを未来に繋いでいきたいと思うのは、当然の感情である。

 

「……まあ、マスキュラーのことは救けたいって思えないんだけどな。私はダメなヒーローだ」

「好き嫌いは誰にだってあるさ。赤黒君がどうしても出来ないことは、他の人で補えばいい。キミが全てを抱える必要はないと思うぞ。それに経験を経て、様々な者と語らい、出る答えもある。……僕だってそうだった」

 

 操の考えを否定する者もいる、そして肯定する者もいる。無意味だと切り捨てる者もいれば、エゴだと釘を刺す者もいる。

 どのみち考えるのは自由で、重要なのは考えた上でどう行動するかである。口にしただけでは未来は変わらない。未来を変えるためには、動くしかない。

 操は自分のなりたいヒーローになるためにこの学校で学んでいく。どうすれば人を救えるのか知識を身につけ、考え、戦うための力を付けていく。

 私たちの手は一体何のためにあるのか。私たちの個性は、一体何のために生まれたのか。それを考えながら。

 

 見上げた空は、澄み切った青空。

 夏の陽射しを浴びた、燃えるように青い空。それはまるで私たちの心のようだった。

 いつだって全てを溶かすほど熱く、全てを包み込むように眩しい、果てなき大空。

 

「先生ー」

「……」

 

 操はしゃがみ込んだまま、寝袋をつんつんとつつく。

 薄らと瞼を開けた相澤が寝ていなかった事などわかっている。けれど操を信じて受け入れてくれた人だからこそ、そんなことはどうでも良かった。心配し、見守っていたのだとわかっていたから、操は何も言うつもりはなかった。

 言うつもりは、なかったんだけど。

 

「……もういいのか」

「うん。先生、ありがとう」

「……」

 

 操は感謝を述べられるのが好きだから、有難いと思った相手には同じように感謝を述べたいのだ。

 ──この胸に抱くたくさんの「ありがとう」の気持ちが、少しでも相手に伝わりますように。そう、願いながら。

 操は眉を下げて頬を緩ませて、ふにゃふにゃな顔で笑うのだった。

 

 

 

 

 後日。操は葉隠透と共に廊下を走って──いや、競歩をしていた。

 二人が向かう先は訓練でお馴染みの体育館γである。その表情は、何か楽しいことが始まるかのような、わくわくとした気持ちに満ちていた。要するに心が弾んでいたのである。

 仮免許試験までもう残り時間は少ない。そんな中、二人は新しいコスチュームに身を包んでいた。そう、何を隠そう。変更届を出していたヒーロースーツが完成したのである。

 

「お前ら、注目!新ステンちゃんのコスチュームに刮目するがいい!!」

「みんな〜!見て見て〜!!」

 

 体育館の扉を勢いよく開け放つとちょうど休憩中であったのか、クラスメイトたちは水分補給をしたりストレッチをしたりして身体を休めているところだった。なので訓練に携わっていた教員たちも自然と操と葉隠の声に反応し、視線を此方に向けている。

 ──爆豪だけは目があったら思いっきり逸らされてしまったが。まあ仮免許試験が終わったタイミングを見て、また話をすればいいだろう。

 操はそう思って気持ちを切り替えると、口角を上げてニッと笑ったのだった。

 

「おお〜!赤黒も葉隠()めちゃくちゃコスチュームいじってね!?」

「なんかカッケェな!なんだ……あれみてぇだな!」

「語彙力ないなぁ……」

「操ちゃんは軍服モチーフなのかしら?」

「それだ!!」

「イカつ〜!でもカッコいい〜!」

「フッ……暗闇によく映えるな……」

「フフフ……フフ、そうだろう?そうだろう?」

 

 ドヤ顔の操は濃紺のコスチュームを身に纏っていた。

 その形は蛙吹のいう通り軍服をモチーフにしており、詰め襟に筒袖、着丈は短い。しかし無地というわけではなく、肩には金色の肩章があり、腰には黒いベルトが巻き付けられている。

 ベルトの背中側にはポシェットがついていて、小さな荷物が幾らか入りそうだった。そして左側には赤黒い日本刀を差している。

 下半身は膝上15センチ程のキュロットスカートを履いているが、その下は黒いタイツで覆われているため素肌が見えることはない。また、太ももにはレッグシースが装着され、そこには特殊な小型ナイフが収められていた。

 足元は脹脛まですっぽりとブーツで覆われている。これにはショック吸収機能がついているらしく、激しい動きをしても負担は軽減されるだろう。

 

「つかなんかその膝と肘、ゴツくね?」

「フ、腕も触ってみろ」

「かっった!硬い!何これ!?」

「フフ……!」

「もの凄いドヤ顔だ!?」

 

 操の肘にはエルボーパッドが、そして膝にはニーパッドが装着されていたが、どちらも黒く光沢があり、とてもゴツい。それらは金属でできているような、そんな重々しい見た目をしている。

 そして芦戸が触れた腕もコスチュームの中にアームプロテクターを装着しているためとても硬くなっていた。実はブーツの中も同じようになっている。

 操は驚くクラスメイトたちの反応をひとしきり楽しむと、満面の笑みを携え装備品について説明をするのだった。

 

「輸血パックを毎回持ち歩くのは芸がないしな、これは私の血液で作った装備なんだ!」

「血液で作った装備品?それって……!」

「フフ、こいつらはいざとなった時、私の武器として変形する!」

 

 そう、エルボーパットとニーパッド、そしてアームプロテクターや帯刀している日本刀は操の血液で作られた武器である。

 これらは以前赫鎧(かくがい)赤刃(せきじん)・太刀蓮華として使用していた技を武器にしたもの。エクトプラズムとの戦いの最中で閃いた、操専用のサポートアイテムである。

 普段は赫鎧として装甲のような役割を果たしつつ、それらは膝や肘を守るための装備となる。しかし鉄で作られているため相手にダメージを与えることもできるし、自在に変形できるため隠し武器として使用することも可能であろう。

 体重の軽い操は打撃の威力が弱いが、重いサポートアイテムを身につけることで少しは威力の底上げも出来る。幸い赫血飛動(せっけつひどう)で身体能力を上げているためパワーは充分であるし、万が一重いと感じたら着脱すればいい。

 ──なんと隙がない装備品であろうか。操はそう言いながら、ドヤ顔でドヤドヤしていた。

 

「ざけんな……ふざけんなよォ!オイ!赤黒はともかく葉隠まで(・・)露出がねェとは、一体どいうことなんだ!?アァ!?」

「峰田がブチ切れてら」

「峰田サイテー」

「でも確かに……透ちゃんのは少し驚いたかも!」

「でも何も身に付けていないのは危険でしたし、私はいいと思います!」

「ヤオモモが言うんだ、それ……」

 

 操は軍服モチーフのヒーローコスチュームであるし、足はタイツ、手元は指抜き手袋をしているため露出しているのは顔と指先だけとなる。医療ヒーローであるというのに実に物々しいコスチュームであった。

 しかし峰田が怒っているのはそこじゃない。どちらかというと、というか100%葉隠のコスチュームが原因である。

 

「へっへ〜ん!もう峰田くんのスケベ心に悩まされる心配はなくなったよ!」

「チクショウ!!!!」

 

 そう笑った葉隠がお披露目した新コスチュームは、麗日と似たような身体にフィットした全身スーツ。首から下が全て布で覆われている、随分昔に流行っていた戦隊モノのヒーロースーツにとてもよく似ていた。光沢のある素材は光に反射してキラリと輝いている。

 淡いグリーンと白色で構成されたスーツは操のものと違って威圧感はなく、どちらかというと蛙吹のスーツとカラーリングがよく似ている。しかしそれは誰も目にしたことがない葉隠の雰囲気によく似合う、綺麗なグリーンであった。

 常時全裸──と手袋にブーツ──であった葉隠が服を着たことにクラスメイトたちは安堵した。しかし問題はそこではなく──。

 

「手袋とブーツだけだったのに、わざわざ着たの?」

「いや、着たほうがいいのはわかるんだけど……危ないし」

「でも透明の個性は死んでしまうよね⭐︎」

「言うと思った!だからさ、みんな。私を見て(・・)いて(・・)!」

 

 葉隠がそう告げると、間も無くして彼女の姿は消失する。そこには手袋とブーツすらなく、クラスメイトたちは驚きのあまりに目を見張る。そして見覚えのある者数名がハッとしたように息を呑んだ。

 そんなクラスメイトたちの様子に葉隠はにっこりと笑う。そして過去の出来事を思い出すのだった。

 葉隠は入学してすぐ、USJの事件が起こる直前に操からとある話を聞いていた。

 

『そういえばミリオが言ってたが、髪の毛を使ったスーツを作ればいいんじゃないか?』

 

 透過の個性を持つ三年生の通形ミリオは服すら透過してしまうため、ヒーローコスチュームは脱げないよう自身の髪の毛──透過の個性因子を含む──を使用して作成しているらしいのだ。

 それを聞いた葉隠は長かった髪の毛を肩の上までバッサリと切ってサポート科に持ち込んだ。そしてサポート科協力の元、葉隠の髪の毛を使ったヒーローコスチュームが出来上がったのである。

 流石に完全に見えないのは作成する上で困難であるし、戦闘中に味方を困らせてしまうため、透明化をオンオフで切り替えられるスーパー仕様となっている。

 最初は手袋とブーツだけだった。しかし今日、全身のコスチュームがようやく完成したのだ。余談だが実は手袋とブーツは全身スーツと繋がっておらず、手袋とブーツのみ透明化させずに以前と同じような見た目にすることも可能である。

 

「どうだ!インビジブルモード!」

「すっっげぇ!消えた!」

「凄いじゃないか葉隠君!」

「そのスーツの機能だけで必殺だよね最早……」

「透ちゃんの厄介度が爆上がりだよ!」

「えっへへ〜!それにね、見て!マントもつけたの!」

「見えねぇよ……」

「だって透明マントだもん!」

 

 スーツのインビジブルモードを解除した葉隠は指で何かを摘んでいた。しかしその摘まれたものが透明であるため何も見えないが、本人曰くそこにはマントがあるらしい。

 透明マントの名前に惹かれた操はそれに手を伸ばすと、キラキラした瞳で葉隠から受け取った。そして操がマントで身を隠すと──。

 

「赤黒の身体が消えた!」

「すげぇ!本物の透明マントだ!」

「ハリーポッターかよォ!?」

「見ろ!操ちゃんの生首だ!」

「ぬるぬる動くな赤黒!」

「インビジブルモードが可能なコスチュームに透明マントのサポートアイテム……この二つだけで葉隠さんの出来ることの幅が一気に広がったよね。元々潜入向きの個性だったけど完全に消えることが出来るのは大きいアドバンテージだ。しかも服を着ているから怪我をしにくいし、見たところブーツにも消音機能が付いている。そして透明マントがあれば被害者をヴィランから隠すことができ──ブツブツブツ」

 

 葉隠の透明マントにテンションが上がっていた一行だったが、緑谷のブツブツモードに気を取られ思わず苦笑いをしてしまう。操が緑谷の目の前で生首ダンスを披露しても、緑谷のブツブツは止まることを知らない。

 考え出すと止まらないのは彼の長所であり短所であるが、同じヒーローとしては頼りになる一面だった。そんなクラスメイトたちの様子に、葉隠は嬉しそうに笑う。そして拳をぐっと握りしめるのだった。

 

「まだまだだよ!スーツが強くても私が強くならないと意味ないし!でもね、耳郎ちゃんや障子くんに見つからないのが目標なんだ!」

「へぇ……いいね。そう言われると頑張らなきゃってウチも思うわ」

「俺もだ。葉隠を見つけられるようこれからも技を磨いていこう」

「仮免もすぐだし、みんなのコスチュームも完成したし!あとは受かるだけだね!」

 

 葉隠はクラスメイトたちを見渡した。

 消音効果のブーツがあっても、それは完全ではない。葉隠自身が音を立てないよう歩かなければ意味がないし、索敵個性に弱いのは昔と変わらない。でも、在学中絶対に耳郎と障子を出し抜いてヒーローになってやると決めたのだ。

 スーツを身に纏ったおかげで防衛面が飛躍的に上昇したが、あくまで全裸に比べたらの話であってスーツ自体に強度はない。つまり爆豪や轟のような範囲攻撃にはなす術がなく、そこが葉隠の今後の課題になるだろう。

 範囲攻撃はともかく、体術を極めれば奇襲や肉弾戦にはとても有利になる。だから葉隠透は今後も前を向き、走り続けるのをやめることはない。

 でも、クラスメイトたちに驚かれ、褒められたことは素直に嬉しかった。──少しは私も、前に進めたかな……?

 葉隠はクラスメイトたちの中から尾白を見つけると、手を振って合図する。そして彼の視線が自身に向いたところで、ピースサインを送るのだった。

 

「オイ……どういうことだァ……?」

 

 目敏くそれを見ていた峰田が尾白に詰め寄っていたが、それはまた別の機会に語ることにしよう。

 こうして雄英高校一年A組は紆余曲折がありながらも仮免許試験当日を迎えた。合宿から休まることはなかったが、それでもそれぞれが未来に向けて心身ともに調整をしてきたのだ。ヒーローとしての大きな切符を掴むため、彼らは制服姿で目の前に停められたバスに乗り込もうとする。

 しかしバスに乗り込む直前、燃えたぎった切島が「円陣組まねェか?」と提案する。すると同じく燃えたぎっていたクラスメイトたちは肯定の意思を見せるのだが、爆豪だけがそれらを無視してひと足先にバスに乗り込んでしまったのだ。クラスメイトたちはその後ろ姿を眺めながら、落胆のため息を吐く。

 

「アイツは本当……!」

「まァ爆豪が嬉々として円陣に参加する方が怖ぇよ」

「どーする?爆豪抜きでやる?」

「爆豪だけ仲間はずれには出来ねェよ……!」

「なら連れてくるか?」

「いや……やめといた方がいいんじゃないかな」

「そうですわ。静かに集中したいのかもしれませんし」

「なら話は簡単だな、勝己を作ればいい。フフ、操ちゃんに任せておけ」

 

 操はクラスメイトたちにドヤ顔で告げると、血液を使用して爆豪の像を作った。操が作成した爆豪はやたら黒光りしていて、やたら髪の毛がトゲトゲしている。

 しかし仮免許試験前でテンションが上がっているクラスメイトたちは「ワッ!」と盛り上がった。そして上鳴は爆豪(仮)の肩を組むと「爆豪だと思って円陣しよーぜ!」と笑い、切島も反対側から爆豪(仮)の肩に腕を回す。そうすると自然とクラスメイトたちは円になり、肩を組んでいくのだった。

 

「なんかこういうのいいね!」

「うん、やったろ!って気持ちになるよね!」

「みんなで円陣……!なんだかワクワクするぞ!」

「あはは、操ちゃんにっこにこ〜!」

 

 操の隣には芦戸と葉隠がいた。それぞれの腕がお互いの肩に回り、力強く円になる。それがなんだか嬉しくて操は辺りを見渡すが、視線の先にも心強いクラスメイトたちの姿が見えるのだ。

 触れ合っていなくても繋がっているような感覚に、思わず頬は緩んでしまう。そしてクラスメイトたちも全員が笑顔というわけではなかったが、表情は明るく、その瞳は決意に満ち溢れていた。

 

「委員長号令!」

「了解した!ご指名に預かりまして、委員長であるこの飯田天哉が──」

「そういうのいいから早くしようぜ!相澤先生に怒られちまう!」

「ム!すまない、それもそうだな!」

 

 前置きが長すぎる飯田に、焦った砂藤が声を上げる。バスに寄りかかる相澤はため息をついていた。合理的ではないと思っているのだろう。しかし、彼らの行動を咎めることはしなかった。

 飯田は一度咳払いをすると、クラスメイトたちをざっと眺める。そして──。

 

「みんなで仮免──!」

『取るぞ!!』

 

 腕を離した一行は各々掛け声を上げつつバスに乗り込んでいく。

「おー!」「プルスウルトラ!」「よっしゃー!」とバラバラな言葉が辺り一体に響き渡っていたが、A組のみんなは気合十分。そして心は一つだった。

 

 彼らの声は夏の陽射しが照りつける中、青い空にこだましていく。

 その場にはバスのエンジン音だけが取り残され、熱に溶けていくのだった。

 

 

 

【仮免許試験(上):了】

 

 

 





あけましておめでとうございます。
年末はえふごの箱イベや新章、ポケモンをやっていて更新が遅れました。申し訳ございません。
今年もよろしくお願いいたします。

活動報告にて操のコスチュームのイメージ画像を用意したので、よろしければご覧ください。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。