バスから降りた雄英高校一年A組は国立多古場競技場を見上げていた。
はるか昔、個性が出現する前。この競技場はオリンピックのシンボルとして建てられたらしい。主軸となる柱に吊り下げられたメインケーブルは屋根全体を吊っているそうで、その造形は視覚的な独特さはさることながら構造的な美しさを作り上げている。
この競技場はこれまでの長い年月、繰り返し改修工事が行われながらも原形を留めたまま多古場に鎮座していた。それは柱のない内部構造が関係しているのだろう。個性が出現した新時代においても柱のない大空間は国内外から高く評価され、様々な競技や公演を支え続けている。
──と、競技場の説明はここまでにして。何故A組の面々がこの建築物を見上げているのかというと、それは仮免許試験の会場がこの多古場競技場であるからに他ならない。
「多古場でやるんだ……」
「緊張してきたァ」
「試験って何やるんだろう。ハー、仮免とれっかな……」
しかしそんな空気を一刀両断したのは担当教員である相澤だった。彼は峰田の前に音もなく現れると身を屈め、背の低い彼の顔を覗き込む。
「峰田、取れるかじゃない……取ってこい」
「おっ、もっ……モチロンだぜ!」
「でも相澤先生、どう頑張っても緊張しちゃうんですけどぉ……」
「試験内容も合格人数も何もわかんねぇしなァ……」
「お前たちはヒーローになるためにここに来たんだろう。別に緊張するのは構わないが、それ以上に集中しろ」
「集中……」
「出来っかな……」
相澤は肩を跳ねさせた峰田と不安そうに眉を下げる芦戸を見下ろすと、静かに口を開く。
見渡す限り生徒たちは緊張していても冷静になろうと努める者、既に集中している者、緊張していて落ち着かない者と幾つかの分類に分かれている。けれど全員が相澤の言葉に耳を傾け、聞き入るように視線を向けていた。
「この試験に合格し仮免許を取得出来れば、お前ら
相澤からのわかりにくい激励にクラスメイトたちは顔を見合わせた。
不安はある、緊張もする。けれど目指すべきヒーローになる為にはこの感情を乗り越え、更に向こうへ進むしかないのだ。
冷たくなった指先を握りしめて、震えを力でねじ伏せる。そうしてなんとか笑ってみせれば、同じように笑うクラスメイトたちと目が合うので「不安なのはみんな同じなんだ」と仲間意識が芽生えていく。それは不安な心を立て直す原動力となった。
そんな中、操はドヤ顔で相澤を見上げていた。残念なことに彼女の思考回路は通常より少し斜め上へとズレている。
「卵にヒヨコ……なら
「そんなことよりもう一回円陣組もうぜ!気合い入れたい!」
「そ、そんなことより……!?」
「いいねー!その方が燃えるよー!」
「ニワトリ……」
「よっしゃ!やったろ!!」
「操ちゃんの話は後で聞くわ」
「あ、うん……」
「っしゃあ!なってやろうぜヒヨッコによォ!」
「いつもの一発決めていこーぜ!せーの、プルス──」
「──ウルトラァ!!!!」
しかし雄英高校の円陣は不発に終わった。何故なら、円陣に乱入者が現れたからだ。そしてその場にいる全員が、見知らぬ乱入者へ驚きの視線を向ける。そこには雄英とは別の制服を身に纏った、高身長の男がいた。
相澤を含めたA組の誰よりも大きい彼の表情はあどけない。つまり、自分たちと同じ高校生なのだろう。その場にいたクラスメイトたちは突然のことに呆然としていたが、轟と相澤だけが驚いたように目を見張っていた。
「勝手に他所様の円陣へ加わるのはよくないよ、イナサ」
「ああ、しまった……!!」
すると彼の背後から静かに言葉を投げかけたのは、同じ制服を身に付けた男子生徒だった。しかしその視線は雄英に一切向けられておらず、イナサと呼ばれた男にのみ注がれている。
円陣へ加わった男──イナサはハッとすると上半身を大きく逸らし、胸筋にグッと力を入れた。体格の大きな男が胸を張ると威圧的に見えるが、彼は決して雄英高校に威嚇している訳ではない。
そのため素早く腕を身体の横につけ、その大きな巨体を腰から折り曲げる。そして高いところに聳え立っていた頭部を勢いよく地面に叩きつけると、雄英高校の面々に向かって頭を下げたのだった。
──この間、二秒にも満たない出来事である。
「どうも大変失礼致しましたァ!!!!」
「ヒィィィ!!!?」
謝罪と呼ぶにはあまりにダイナミックで強烈。突然頭を下げられたクラスメイトたちはドン引きしながらも呆然とするしかなかった。完全に目の前の男が作り出す空気に支配されている。
かくいう操も突然の出来事に驚き、蛇を見た猫のように飛び退いていた。そして飛び退いた先、障子の背中から顔を出すとごくりと息を呑む。それはまるで毛を逆立てた猫を連想させるだろう。
操キャットは尻尾を狸のように膨らませ、物陰に隠れながら息を殺す。そして呟いた。
「シン・ゴリラ……!」
「落ち着け赤黒、人間だ」
「これが落ち着けるか障子……!私たちのゴリラの座が……今とても危うい……!」
「つか初対面のヤツにゴリラって言うなよ」
A組
その横では上鳴と瀬呂が「なんだこのテンションだけで乗り切る感じの人は!?」「飯田と切島を足して二乗したような……!」と口にしている。名前を出された飯田と切島は目を丸くして彼らと男を交互に見つめていた。どうやらその男に自分の要素が含まれている事が信じられないらしい。
しかし驚いていたのは雄英高校だけではなかった。試験会場前にいた他校の生徒たちは、同年代の中でも一際有名な雄英高校とのトラブルに何事かと目を向ける。そしてその目の前で頭を下げる男を見て、驚きを口にするのだった。
「まってあの制服……!」
「雄英と、」
「あ、マジでか!アレじゃん!西のあの有名な……!」
──東の雄英、西の士傑。
そう、目の前にいる男とその背後にいる数人の生徒は、日本の西側に拠点を構える士傑高校の生徒だったのだ。その言葉を認識した途端、操の脳内で士傑高校に関する情報が溢れ出す。
士傑高校は数あるヒーロー科の中でも雄英高校に匹敵する難関高校である。雄英と同じく数多くのトップヒーローが卒業しており、倍率は雄英には届かないもののいつだって高い数値を叩き出している。
雄英と何か違うところを挙げるのならば、体育祭がテレビで放送されないことだろうか。つまり、有名で実力があるにも拘らず、彼らがどんな個性を持っているのか一切不明なのである。
操はそんなことを考えていたが、ふと血の臭いを感じとって障子の背中から一歩足を踏み出した。そのタイミングでイナサは思い切り顔をあげ、雄英高校の生徒たちを見下ろしながら笑っている。その額からは夥しい量の血液が流れ出していた。
「一度言ってみたかったっス!!プルスウルトラ!!自分雄英高校大好きっス!!雄英の皆さんと競えるなんて光栄の極みっス!!よろしくお願いします!!」
「あ、血」
「行くぞ」
同じ学校の生徒に促されると、男は言いたいことだけを言って場の空気を乱したまま雄英高校の生徒たちに背を向けた。相変わらずその頭部は出血したままだが、彼は何の処置を施すこともなく歩き出している。男の「血?好きっス!平気っス!」という明るい声は背後にいるこちらまで響いていた。
そんな男の背中を見つめ、相澤は「夜嵐イナサ……」と彼の名前を口にする。その様子に葉隠が「知っている人ですか?」と聞き返せば、相澤は雄英高校の生徒に向けて彼の情報を話し始めるのだった。
「ありゃあ強いぞ。嫌なのと同じ会場になったな……」
「え!?なに、怖い!」
「そんな有名な人なんスか!?」
「夜嵐は昨年度……つまりお前らの年の推薦入試でトップだった」
「え……っ!?」
「トップの成績で合格したにも拘らず、何故か入学を辞退した男だ」
「推薦入試のトップって轟じゃねえの!?」
「……」
「雄英好きとか言ってた割に入学蹴るってよくわかんねぇな」
「ねー……変なの」
「変だが
「──待て、夜嵐イナサ」
相澤が夜嵐について話し終え、生徒たちを見渡した時だった。とある生徒の姿が見えないと思った瞬間、その声は背後から聞こえてくる。
雄英高校の面々が声の方に視線を向けると、そこには夜嵐を呼び止める赤黒操の姿があった。呼び止められた夜嵐は歩みを止めると、振り返って静かに操を見下ろしている。
その様子を見てクラスメイトたちは愕然とした。何故ならば、赤黒操は相澤の言うことを"ちゃんと聞く"生徒だと知っている。そして有言実行の鬼だということも、勿論知っているからだ。
「何してるの赤黒さんんん!?」
「相澤先生にマークしろって言われたからマークしに行ったとか……?」
「マーカーで引く的な?」
「マーカーの代わりに血でも浴びせるんじゃね?」
「えぇ……操ちゃんはそんな馬鹿じゃないやろ」
「……絶対やらない自信は?」
「うっ……ない……っ!」
「ダメじゃん」
「赤黒なら何かしらやりかねないって自信はあるよなァ……」
「
そんなクラスメイト達をよそに操は立ち止まった夜嵐に近づくと、ポケットからハンカチを取り出して背伸びをした。頭部の傷を抑えようと思ったのだろう。しかし操と夜嵐は身長差が50センチ弱あるため、どれだけ背伸びしようと、どれだけ腕を伸ばそうとその手が頭部に届くことはない。
操は諦めると夜嵐の手を取ってハンカチを押しつけた。そしていつになく真面目な顔で、彼の瞳をじっと見つめる。
「お前は血が好きだと言っていたが、世の中には血が苦手な者もいる。血恐怖症といって、血を見ただけで倒れてしまう者もいる。たとえ傷が浅くとも、お前がヒーローを目指しているのなら周りへの配慮は必要だぞ?」
「……」
「それに小さな傷だとしても細菌に感染し、大きな傷に変わってしまう可能性もある。自分のためにも、ちゃんと治療をしておくといい。傷薬とガーゼなら持っているが、必要か?」
「赤黒、操……!」
「……、……」
──……ああ、そうだった。
その言葉は音にならず、操の心の中で消えていく。操はこの時思い出したのだ。世間は操を、ヴィランの家族を決して認めていない。そして操を敵連合のスパイだと認識していると、今更思い出したのだ。
辺りを見渡せば他校の生徒が厳しい視線で操を見つめている。いや、睨みつけている。その視線に晒されると、心が冷水をかけられたような気分になった。
安全な学校で生活し、操を大切に思う人たちとしか接してこなかったから忘れていた。忘れてしまっていた。操はまだ、己の価値を示せていない。そんな大切なことを忘れていたなんて、いかに自分が甘やかされていたのかを実感してしまう。
操はその事実に気が付くと、夜嵐に視線を戻すことなく一歩下がった。心は鉛のように重たかった。夜嵐は突然声をかけられて心底不愉快だったろう、迷惑だったろう。謝るのが得策か、それとも口を開かないのが正解かわからなかった。
けれど夜嵐は大きく一歩前に進むと、自ら操との距離を埋めた。そして同じ目線の高さまで屈み、勢いよく顔を近付ける。その口から飛び出してきたのは、刃物のように鋭い言葉──ではなかった。
「ファンっス!!」
「──……は?え、あ?」
「ステインの時の、保須の動画見たっス!熱かったっス!自分熱いの大好きなんスよ!!ヒーローはやっぱ熱血だと思うんで、だから自分はアンタのファンっス!!」
何度瞬いても、目の前の夜嵐は笑顔を崩さない。その瞳に嘘は含まれておらず、操への好意に満ち溢れている。
その後も夜嵐はハンカチをくれた事への礼や心配してくれたことへの感謝を勢いよく口にした。けれどその言葉は操の右耳から入って左耳から出ていってしまった。つまり操は何も聞いていなかった。聞く余裕がなかったとも言える。
何故なら、操の脳内はとある言葉でいっぱいだったからだ。
──ファンです……ファンです……ファンです……。
山彦のように反響するその言葉は操の脳内で増殖し、ぐるぐると回り続けていた。どこからかやって来た着物の男性がボンゴを叩けば、辺り一帯にサンバが響き渡る。そして突然現れた人々は心ゆくまま、感情のまま踊り始めるのだ。それはまるで、南の島のカーニバル!
……と、操の脳内はとても賑やかであった。「ファンです」、その言葉があまりにも嬉しくて、受け入れるのに時間がかかってしまった。そして受け入れてしまったら、もう元には戻れない。
操は目を丸くして夜嵐を見上げた。そして震える手で自身を指さすと、思わず声をあげる。
「……ファ、ファン!?私の!?ファン!?」
「? そうっス!」
「…………そ、そっかぁ〜!ファンか〜〜!私のファンかぁ〜〜〜!」
「「「デレデレしてるー!?」」」
操は眉を下げ、ゆるっゆるな頬でニヤけていた。ものすごくデレデレしていた。あまりの変貌っぷりにクラスメイトたちは思わず声を揃えてツッコんでしまったが、それは操には聞こえていないのか、彼女はにこにこデレデレしたまま夜嵐を見上げ続けていた。
しかしふと何かに気が付いたのかハッとし、勢いよくクラスメイトたちに振り返る。その表情は少し困惑したように見え、クラスメイトたちは何事かと前のめりになった。
「お前たち、どうしよう……サインとかあげたほうがいいかな!?」
「いや知らねーよ!」
「心配して損したわ!!」
「サインくれるんスか!」
「フフン、フフフン!勿論だ、ファンにはいくらでも書いてやろう!……あっ……お前たち、どうしよう……誰か色紙とか持ってないか!?」
「持ってるかァ!!」
「そうか……夜嵐、サインは制服に書けばいいか?」
「構わないっス!!」
「いやダメでしょ!?」
「ハッ……ペンがない……!血文字でもいいかな……?」
「いいっスよ!!」
「よくねーよ!お前さっき自分で言ったこと思い出せ!!」
芦戸と上鳴は浮かれきっている操を引きずって夜嵐から引き離した。二人は別れ際に固く握手を交わし、次はサインを渡すと約束している。「サインに"夜嵐イナサくんへ"って書いてもらっていいスか!?」「いいぞ」最後まで非常にやかましい。
夜嵐は「やったぁー!」と喜びながら再び去っていくが、その頭部は依然として血に塗れたままであった。操はニコニコしながらその背を見送っている。
──それでいいのか赤黒操!貰ったハンカチを使え夜嵐イナサ!この時クラスメイトたちの心は一つになった。
「むふー、ファンだって……!そんなこと初めて言われた!」
「……よ、よかったね赤黒さん……」
「うん!」
厳しい視線に晒され一時はどうなるかと危惧していたクラスメイトであったが、操の様子を見る限り問題はなさそうであった。それに安堵しつつ良かったと思う反面、浮かれきっている操を見ていると馬鹿らしくなって張り詰めていた緊張感は何処かに飛んでいく。尾白はにこにこしている操を横目で眺めながら、思わず苦笑いをしていた。
そんな生徒たちの腑抜けた空気に相澤はため息をついた。そして再び活を入れようと思ったところで、背後から聞こえてきた声に思わず表情は死んでいく。
「イレイザー?」
「……!」
「イレイザーじゃないか!テレビや体育祭で姿は見てたけどこうして直で会うのは久しぶりだな!──結婚しようぜ!」
「しない」
彼女の発言のせいで相澤の背後では「わぁ!!」「結婚!?」「プロポーズだぁ〜!」と様々な声が飛び交い、さらに空気が緩んでしまったことを痛感する。ため息を吐いても、もう遅かった。
そんな中、歩くヒーロー辞典である緑谷は自身のペースを崩すことなく「あの人は……!スマイルヒーロー"Ms.ジョーク"!個性は【爆笑】!近くの人を強制的に笑わせて思考・行動共に鈍らせるんだ!彼女のヴィラン退治は狂気に満ちているよ!」と褒めているのか貶しているのかわからない解説をしていた。要するにいつも通りの雄英高校一年A組に戻りつつあった。
「私と結婚したら笑いの絶えない幸せな家庭が築けるんだぞ」
「その家庭幸せじゃないだろ」
「ブハ!」
「仲が良いんですね」
「昔事務所が近くでな!助け助けられを繰り返すうちに相思相愛の仲へと──」
「なってない」
「「「(あの相澤先生が振り回されている……!)」」」
A組の生徒たちは珍しいものでも見るように相澤を凝視していた。それと同じように、カラカラと笑うジョークの背後には此方の様子を窺っている他校生の姿が見える。相澤は面倒な話題を逸らすためにも「お前のところもか」と背後の生徒に視線を投げかけた。
すると流石は教員。ジョークはすぐに切り替えると生徒たちを自身の近くに呼び寄せ、相澤率いる雄英高校の生徒に向けて紹介したのだった。
「傑物学園高校二年二組!私の受け持ちなんだ、よろしくな」
「おお!雄英だ、本物じゃないか!」
「すごいよ、すごいよ!テレビで見た人ばっかり!」
「一年で仮免?へぇー……随分ハイペースなんだね。まァ色々あったからねぇ……流石は雄英、やることが違うよ」
傑物学園の生徒たちはA組の生徒たちを遠巻きに眺め、まるでアイドルでも見るかのような眼差しで見つめている。
しかし黒髪の男がいち早く輪の中から飛び出したかと思うと、勢いよく緑谷の手を掴んだ。そして「俺は真堂!」と自己紹介をしながら笑顔を投げかける。そしてそのまま上鳴、耳郎、切島と続けて握手を求めながら、彼は一度も笑顔を絶やさず喋り続けていく。
「今年の雄英はトラブル続きで大変だったね。しかし君たちはこうしてヒーローを志し続けているんだね。素晴らしいよ!不屈の心こそこれからのヒーローが持つべき素養だと思う!!」
「まぶしい!!」
「ドストレートに爽やかイケメンだ……」
ウインクを決めた真堂は耳郎の"イケメン"という言葉にも爽やかな笑顔で応え、それ以上何かを言うわけでもなく、気分を害すこともなく佇んでいる。言葉ひとつでにやにやデレデレする操とは大違いであった。
しかし彼が次に視線を向けた先が悪かった。そして
「中でも神野事件を中心で経験した赤黒さんと爆豪くん。君たちは特別に強い心を持っている」
「あ?」
「……」
「今日は君たちの胸を借りるつもりで頑張らせてもらうよ」
「フかしてんじゃねぇ。台詞と面が合ってねぇんだよ」
しかし爆豪はその手を払いのけると真堂に背を向けた。その行動は「これ以上関わるつもりはない」という意思表示のようで、クラスメイトたちは思わず肝を冷やしてしまう。
しかし真堂は笑顔のままで、爆豪の言動に怒ることはなかった。その絵に描いたような善人にクラスメイトたちは心苦しくなり、爆豪の代わりに頭を下げた。
「こら爆豪おめー失礼だろ!すみません無礼で……」
「良いんだよ、心が強い証拠さ!赤黒さんは嫌だった?」
「……いや、別に。お互い頑張ろうな」
「ああ!必死に食らいついていくよ!」
真堂は操と握手を交わすと直ぐにクラスメイトたちの輪の中に戻っていった。ぼんやりとその背中を眺める操を見て、芦戸が不思議そうに首を傾げる。
二人の横では轟が女子生徒に詰め寄られてサインをせがまれていた。それを見た峰田がここぞとばかりに自身のサインを押し付けようとしている。
──試験が終わったら三人でサインの練習でもするべきだろうか。操はそんなことを考えていたが、ふと此方を見る芦戸の視線に気が付いて彼女に瞳を向けた。
「どうした?」
「なんか意外。もっと喜ぶかと思ってた」
「……ああ、さっきのか。神野の事件をきっかけに胸を借りたいと言われてもなぁ……あんまり嬉しくないというか、素直に喜べないというか」
「なるほど……フクザツなワケだ!」
「うん、そうだな」
「へっ、赤黒には貸す
操と芦戸の話を聞いていた峰田はサインを断られた腹いせか、操に対して毒を吐く。しかし次の瞬間、彼は背後から音もなく現れた蛙吹によって弾き飛ばされていった。
お決まりの流れに男子生徒たちは顔を引き攣らせるが、女子生徒は「最低」「峰田クソ」「許せん」と操の周りに立って睨みを利かせている。その一方、当の本人は「胸はあるだろ。大きくないだけで」とマジレスをしていた。
そんないつも通りのA組に声をかけたのは背後から現れたプレゼントマイクであった。彼は驚いたように「オイオイ!お前たちまだこんなトコにいるのかァ!?」と声を上げ、近くにいた相澤やジョークに視線を移している。
担任でもない彼の登場にA組は驚いて目を丸くするが、疑問を口にする者はいなかった。何故なら、それを制するように相澤が先に口を開いたからだ。
「マイクの言う通りだ。コスチュームに着替えてから説明会だぞ。時間を無駄にするな」
「ハーイ」
「委員長飯田天哉!更衣室までA組を引率します!」
「早よ行け」
「よしみんな行くぞ!出席番号順に二列に並ぶんだ!」
「大声出さなくても聞こえてるっつーの!」
「でもなんでマイク先生がいるんだ……?」
「さぁ?」
「てかさ、なんか外部と接すると改めて思うんだけど……雄英ってやっぱ凄いんだね」
「な!俺たちって有名人だなー」
「そこ!遅れてるぞ!!」
そうやって遠ざかっていく雄英高校の生徒を見て、ジョークは一抹の不安を覚えた。あまりに警戒心のない握手、言動。その全てを見て「流石雄英、肝が据わっている」と評価する事はできなかった。
握手をするだけで個性を発動出来る者もいる。言葉を交わすだけで個性をかけられる者もいる。目を合わせるだけで支配下における者もいる。それなのに握手を受け入れ、有名だと照れているのは何故だろうか。
その言動はむしろ、何も知らないような──。
「ひょっとして……言ってないの、イレイザー?」
「マジで!?オイオイ酷ぇなァ……そりゃないぜ」
「……」
二人の視線が注がれる中、相澤消太は何も応えない。
彼は"それ"を生徒に告げたところで、やる事は何も変わらないと思っていた。そして
相澤は遠ざかっていく複数の背中を一度視界に入れると、背を向けて観覧席への道を進む。そして競技場に足を踏み入れると、先程までの喧騒は完全にシャットアウトされたのだった。
更衣室で着替え終わった操は自身に突き刺さる視線を肌で感じていた。その鋭さに夜嵐と話していたときの笑顔は鳴りを潜め、表情はもはや無表情に近い。
芦戸と葉隠はそんな表情に職場体験前の出来事を思い出してしまって声をかけるが、操は頷くか首を振るかの二択でしか応えなかった。つまり喋りたくないという意思表示なのだろう。
芦戸は操を睨む人たちを一人一人睨み返すが、数えきれないほど人がいるためキリがなかった。それでも許せなくて、いっそのこと非難の声を上げるべきだと思ったのだが、そんな操の側に障子がぬっと近付いてきたため思わず口を閉じる。しかし彼は何も言わずに操の隣に並ぶだけであった。
そんな中、仮免許試験は幕を開けていく。
「えー……ではアレ仮免のヤツをやります。あー……僕ヒーロー公安委員会の目良です。好きな睡眠はノンレム睡眠、よろしく。仕事が忙しくてろくに寝れない……!人手が足りてない……眠たい!そんな信条の下ご説明させていただきます」
壇上に上がったのは草臥れた顔をした一人の男性であった。
本人が言うように彼は公安委員会の人物なのだろうが、何よりも目を引くのは隈が酷く痩せこけた顔だった。そして机に腕をついた、伏せるような前傾姿勢である。
──眠たい!そんな彼の切実な願いは仮免許試験を受ける若者たちにしっかりと届いていた。きっとここにいる誰もが「公安委員会には入らないようにしよう」と心に決めた事だろう。我々は今日、労働社会の闇を見た。
「今日はずばり、この場にいる受験者1500人一斉に勝ち抜けの演習を行なってもらいます」
目良の切実な願いを聞いて緩んでいた会場はその言葉を聞くや否や、一瞬にして気を引き締めた。動揺が走り、少しだけ騒めいた会場。しかしながら動揺せずに佇む者の方が多く、受験者たちはお互いの反応で心をかき乱されていく。
──勝ち抜けか。当たり前だが、この場にいる全員が二次試験に進めるわけではないということだな。
雄英高校でいうなら体育祭の障害物競争と同じだろうか。操はそう考えながら、特に動揺することなく目良を見つめ続けていた。大切なのは"どのような試験を行うか"である。
しかし目良はすぐに試験について話すことはなく、ヒーローの在り方について語り出すのだった。
「現代はヒーロー飽和社会と言われ、ステイン逮捕以降ヒーローの在り方に疑問を呈する向きも少なくありません」
「!」
「彼の意見はこうです。『ヒーローとは見返りを求めてはならない。自己犠牲の果てに得うる称号でなければならない』」
「……」
「まァ……一個人としては動機がどうであれ命がけで人助けしている人間に"何も求めるな"は……現代社会に於いて無慈悲な話だと思うわけですが……」
ステインの話が出た途端、操に集まる視線は多く、鋭さを増していく。
突然のことに思わず息を呑んだ。しかし目良の言葉が己に対する攻撃ではないことに気が付くと、操は固く握りしめていた拳をゆっくりと解いていく。
──大丈夫だ。「ステインの妹はお引き取りください」と言われたわけではないのだから、冷静でいろ。操は自身にそう言い聞かせると、肺に溜まった二酸化炭素をゆっくりと吐き出していった。
するとこの空間に溶け込んだ葉隠が、誰にも気付かれないよう操の手を握る。視線を横に動かすが、そこには誰もいない。けれど確かに彼女の温もりと優しさが存在していて、操は手を握り返してから再び目良を見上げるのだった。
今一番大切なのは、仮免許試験を取得すること。そのために、試験の内容をしっかりと聞くことだ。
「とにかく……対価にしろ義勇にしろ多くのヒーローが救助・ヴィラン退治に切磋琢磨してきた結果、事件発生から解決に至るまでの時間は今引くくらい迅速になっています」
何故目良はステインの話題を出したのか。
彼は「ステインがきっかけでヒーローの在り方が問われている」、そして「現時点で日本はヒーロー飽和社会である為ヒーローの数は多く、事件解決までのスピードは速い」と告げた。
意味のない雑談を挟む必要はないし、疲れ切った彼がそんな
操は通常の人より早く回る思考回路でそう結論付けると、目良が再び口を開くのを待ち続けた。
「君たちは仮免許を取得しいよいよその激流の中に身を投じる訳ですが、そのスピードについていけない者にはハッキリ言って厳しい。よって試されるのはスピード!条件達成者先着100名を一次試験の通過人数とします」
その条件を聞いた途端、会場は激震が走ったように揺れる。それもそうだろう。だって1500人いる受験者の中からたったの100人しか二次試験に進めないのだから。
二次試験もあることから、仮免許を取得するのはさらに狭き門となるだろう。それはこの場にいる者ならすでに理解している。理解、してしまっている。
まだ説明中にも拘らず試験内容に納得がいかないのか、至る所から声が上がった。「待て待て1500人だぞ!?100人って5割どころじゃねえぞ!?」「通過人数が厳しすぎます!」しかし目良は気を悪くすることなく淡々と「社会で色々あったんで……運がアレだったと思ってアレしてください」と何ともお粗末な回答を投げていた。
──成程、公安委員会はヒーローの数より質を求めているということか。
「100人ってマジ……?」
「
「君たちが何を言おうとルールを変えるつもりはないので悪しからず。で、条件というのがこれです」
様々なトラブルに見舞われた雄英高校ですら引き攣るような笑みを浮かべていた。しかし操、轟、爆豪など全く表情を変えない者たちもいる。それは他校の生徒でも同じだった。一部の人間は、動揺すらしていない。
目良は周りの反応など気にする事なく、己の独特なペースを崩すこともなく、どこからか取り出したターゲットとボールを受験者に見せていく。すると彼の背後にある巨大スクリーンにも、わかりやすい図解が表示されるのであった。
──仮免許一次試験のルールはこうだ。
受験者はターゲットを三つ、身体の好きな場所に取り付けなければならない。ただし常に晒されている場所に限るため、足裏や脇などは不可とする。
そして試験前に渡されたボールを六つ携帯することができる。このボールはターゲットに当たると発光する仕組みであるため、受験者は自身に取り付けられたターゲットが三つ発光した時点で脱落となる。
一次試験は二人を倒した者からの勝ち抜きとなる。そしてターゲットの三つ目を発光させた時のみ"倒した"と認定するため、受験者は一人に三つのボールを当てて"倒す"か、既に二つのターゲットが発光している人物を"倒す"必要がある。
「えー……じゃ、展開後ターゲットとボールを配るんで全員に行き渡ってから一分後にスタートします」
どこにターゲットを付けるのか、どんな戦略を組むのか。受験者にそんな暇を与える事なく、試験開始まで時は無慈悲に歩みを進めていく。
そして先ほどまでいた部屋の壁が倒れたかと思うと、受験者の視界には太陽の陽射しが差し込み、青空が顔を覗かせる。辺りを見渡すと、山ありビルあり橋あり市街地ありな、広大なフィールドが姿を見せたのだった。目良はその件について「得意不得意な地形があると思うので自分を活かして頑張って」と言葉を投げかけている。
操は試験官から受け取ったターゲットを衣服に取り付け、ボールをポケットにしまいながら辺りを見渡した。──集団で移動している者が多い。他校生は基本的に学校単位で移動しているのだろう。見知らぬ他人に背中を預けるほど、この試験は優しくない。
「先着順で合格なら……同校での潰し合いは無い。むしろ手の内を知った仲でチームアップが勝ち筋……!みんな、あまり離れず一塊で動こう!」
数多くの受験者が動揺を隠せぬ中、緑谷はターゲットを自身の身体につけながらもクラスメイトたちにそう声をかけていく。
その言葉にクラスメイトたちは目を見合わせた。クラスメイトなら信頼できるし、頼りになるから背中を預けやすい。何より授業でチームアップを何度か組んでいるため戦いやすいのだ。
しかしそんな中で輪を乱すのはいつだってこの男だった。
「フザけろ。遠足じゃねえんだよ」
「バッカ!待て待て!!……爆豪は俺が追いかける!」
「はぁ!?お前ら二人だけじゃキツいっしょ!」
「おお……爆豪だけじゃなく切島と上鳴まで行っちまった……!」
「でも爆豪ちゃんが一人じゃないなら安心だわ」
突然走り出した爆豪の背中を切島が慌てて追いかけていく。その後ろ姿を見て不安になった上鳴もこの場を離脱し、三人の背中は既に見えなくなってしまった。
爆豪は初めて行った戦闘訓練後の反省会も、合宿前の買い物も、仮免許試験前の円陣も不参加だった。お互いクラス内では競い合う相手だとしても、ヒーローという大きな括りで考えたら仲間であるのに。
トゲトゲしていていつまで経っても一体感の生まれないA組に一部はため息を吐くが、切島のような"対等に接する事が出来る相手"がいるだけまだマシなのだろうか。
しかし輪を乱す──わけではないが入学当初から集団行動が出来ず、マイペースを貫いてきたのは爆豪だけではない。一人で多数を制圧出来るほど強く、いつだって先頭を走って来た存在がもう一人いるのを、みんなは覚えているだろうか。
「俺も大所帯じゃ却って力が発揮出来ねぇ」
「は、ちょっと轟!?」
「轟くん!追いかけなきゃ──」
「待てよ緑谷!そんな時間もうねえよ!」
そのもう一人である轟は真面目な顔をしてそう告げると、クラスメイト達の反応などお構いなしに走り去ってしまった。
確かに、轟が全力を出している中で共に戦えるクラスメイトは数少ないだろう──力の差という訳ではなく、個性の相性的に──。しかし他校生がどんな個性を持っているかわからない以上、一人にならない方が有利である。そう思った緑谷は轟を引き止めようとしたがそれを峰田が制し、残ったクラスメイトたちは有利な地形を求めて走り出す。
人数が多すぎると却って動きにくくなるため、残った十六人は二手に分かれる事となった。しかし芦戸と葉隠は辺りを見渡してある人物の姿がないことに気が付くと、勢いよく振り返る。
「──操ちゃん!」
「な……赤黒さん……!?」
操はクラスメイトたちに背を向け、人混みの中を一人で歩いていた。彼女は既に、たくさんの人に囲まれている。彼女を囲む人々は冷たい視線で中心にいる人物を睨みつけていた。その光景に、クラスメイト達は思わず息を呑む。
しかし操はクラスメイトたちの声に気が付くと同じように振り返り、無表情とは一変してニッと笑った。それは周りの人々なんて見えていないような、いつも通りの強気な笑顔だった。
「じゃあな、お前たち。二次試験でまた会おう!」
操は笑って手を振るが、その言葉が彼らに届いたかは不明である。だって彼らの姿も声も、既に人混みに呑まれて聞こえなくなっているから。
──背の高い障子や飯田なら見えただろうか。まあ、見えていなくても別に問題はないか。
A組のみんなが無事に試験を突破すると信じて、操は自身のやるべきことをやるしかない。そのため、操は表情を引き締めると辺りを見渡した。
一度目を伏せた操が見せたのは無表情だった。それに対し操を取り囲む無数の瞳は嫌悪感や侮蔑、非難の色に染まっている。そのうちの一人が眉を顰めて操のことを見下ろすので見つめ返せば、もの凄く嫌な顔をされた。そして彼は舌を打ち、憎らしげに言葉を吐き捨てる。
「俺たち、ヴィランの妹がヒーローになるの認めてねえから……!」
"攻撃者"の基本的な特徴は、大半の人間が自分は優れていて常に正しいと考えていること。相手を見下す様な態度を取ること。相手を理解しようとする気はなく、相手が傷付こうが攻撃の手を緩めないこと。
相手が何も言えなくなるような言葉でねじ伏せ、押さえつけ、反論する余地を与えない。対等な立場で戦うつもりなど最初からなく、相手から武器を取り上げて常に己が優位に立ち、高いところから刃物を落としていくのだ。
「てかそいつ自身がヴィランじゃん。なんでここにいるわけ?」
「今日もスパイ活動ご苦労様……ほんと、どのツラ下げて生きてんだよ」
「ここはヒーローを目指す次世代が集う場所だ。冷やかしならご退場願おうか」
「こっ……今度はここにヴィラン連合を呼び込むつもりなんでしょ!?そうはさせないんだから……!」
それは、言葉や態度によって巧妙に人の心を傷つける精神的な暴力であった。日常的に行われるこの「見えない暴力」は相手の精神を不安定なものにし、酷い場合は自殺に追い込んでいく。これは歴とした傷害だった。
──ヴィランじゃない。スパイじゃない、ヴィラン連合を呼び込むこともない。ただヒーローを目指しているだけなのに。お前たちと同じで、ヒーローを目指しているだけなのに。どうして理解してもらえないんだろう。どうして
──"
いつだって見えない暴力を振るった側は傷を負わない。自分の主張が正しいと思って振り返ることをしない。それどころか、相手が悪いのだから言われて当然なのだと自分の正当性を主張する。
相手の心に刃を突き立てて、もう刺す場所がなくなったとしても、またそれを引き抜いて捻じ込み、見えない傷口をさらに広げていく。相手がどれだけ傷付こうがその傷は見えないのだから、罪悪感など微塵も感じることはない。
「さっきはヘラヘラ笑ってさぁ……正直不愉快なんだよね」
「クソヴィランが平然と日常を謳歌してんじゃねえよ」
「お前のせいで被害者は苦しい思いしてるのがわからないのか?加害者が平然と笑ってんのおかしいだろ!被害者の気持ち考えたことあるのかよ!?」
「普通の人間だったらこんな状況で笑えないと思いますけど」
「ハッ……普通じゃないから平然としてられるんだろ」
「本当に迷惑……!」
自分の気持ちは言葉にしないと、態度で示さないと相手には伝わらない。けれど操はそれをしなかった。そうした所で理解する気のない相手には伝わらないとわかっているからだ。
操に対して不平不満を抱えている人がいるのはわかっていた。突き刺さる視線が、剥き出しの感情が、操に教えてくれたから。試験会場に到着した瞬間から「言いたいことがあります」と訴えかけてくるから、自分がヒーローになるためには乗り越えるべき壁だと思って操はそれを受け止めに来た。来たのは、よかったけれど。
──でもこれは、想像以上にキツイなぁ……。
相手のタイミングや許容量を考えずに自分の気持ちを吐き出し、一方的に怒りをぶつけるのは暴力と変わらない。けれどそれだけの人間がステインの犯行に怒りを抱き、被害者やその家族の為に心を痛めているのだ。これはその証明であろう。
これでも操に直接意見を述べるのはほんの一握りの人間なのだから、自分がどれだけ"望まれていない"のかを考えると気が狂いそうだった。誰も直接言葉にしないけれど、「消えろ」と、そう言われているように感じて。
塞がったはずの瘡蓋が、乱暴に剥がされていくようだった。
「オールマイトが引退したのだってアンタ達のせいよ!」
「そうだよ!酷いよ!オールマイト……ううっ……あんなボロボロになるまで戦って……本当に可哀想……!」
「つか誘拐されるほど弱いんだからヒーロー向いてないんじゃねえの?」
「もうやめちゃえって」
「はは、次はクラスメイトの誰を襲うのかな〜?」
「こんな奴が同じクラスとか……マジで今年の雄英一年は可哀想だよね」
「呑気にヒーロー目指しやがってよォ……!」
「私たちはこれ以上被害者が生まれないために言ってるんだからね!?ヒーローになれると"勘違いしている"貴女を止めにきたんだから!」
「黙ってないでなんとか言ったらどうなんだ!!」
彼らは操を殺したくて非難をしているわけではない。操を叩きのめし、表社会から消し去り、被害者と同等かそれ以上に苦しませ、笑わない人生を過ごさせることが"誰かのためになる"と思ってやっているのだ。
それは被害者への葬いか、被害者家族への救済か、単なる自己満足か。どのみち善意が抱えている凶暴さと、その善意がもたらす結果について一度考えたほうがいいだろう。「誰かのためを思って」という善意の暴力を平気で振るっていることに、気が付いたほうがいい。
──そういう事を気付かせてくれるだけ有難い存在なのかなぁ……なんて、強がってみたけれど……。オールマイトやクラスメイトを引き合いに出されると結構しんどいなぁ……。
夏なのに冷え切った指先を握りしめて、震える身体を無理やり抑え込んだ。そして心に刻むのだ。──これが
洸汰が『ヴィランのせいだ』と言ってくれた様に、操だって現状全てが己の責任ではない事くらいわかっている。兄を止められなかったけれど、殺人を実行したのは兄だから操だけに非難が集中するのは間違っていると思っている。
でも、時々わからなくなる。多数の人に「間違っている」と言われると、自分の価値観は本当に正しいのか、わからなくなるんだ。
それでも操は何を言われても冷静でいよう、誹謗中傷を無理に受け止める必要はないから、流してしまおう。そう考えていたのだが……それが気に食わなかったのだろうか。最初に口を開いた男が操を睨みつけながら再び口を開くのだ。
「教師も教師だよなァ。何が"赤黒操は必ずヒーローになる"だよ……頭沸いてんじゃねぇのか」
操は何を言われても表情を変えなかった。言い返すことはなかった。けれどその言葉を告げられた途端、彼女の瞳は何かを決心した様な、力強さを感じる色になる。
──
一瞬にして血液が沸騰したかのように煮えたぎった。彼らに萎縮している自分が馬鹿らしくなって鼻で笑ってやった。今どれだけ努力しようとも、結果を出さない限り彼らとは決して分かり合えないだろうと理解してしまった。
操の生きる理由は常に問われている。赤黒操がこの世界で息をする意味は、今まさに問われている。──問われている?あはは、馬鹿みたい。こちらの言い分も状況も理解しようとしない奴らに、わざわざ答えてあげる義理はないだろうが。
価値観の相違は仕方がない。けれど、平気で他人を見下す奴には絶対に負けたくなかった。
「……成る程、言いたいことは概ね理解した。お前たちは私がヒーローになるのが
操が口を開けば、視線はこれまでにないほど鋭さを増していく。それが答えだった。誰かのためだと謳っておいて、要は自分が気に食わないだけ。それが彼らの掲げた正義なのだろう。
この世に「絶対正義」が存在しない以上、それぞれが掲げる
──やめだ、彼らとは対話しても分かり合えない。だから完膚なきまでに叩き潰して、私がヒーローになることを認めさせてやる。
元々操は向かってくる相手には容赦のない性質だ。自身や兄のことなら兎も角、
けれど、誹謗中傷で打ちのめされたから同じことをやり返すなんてダサいことはしない。正統法で「お前らより私の方がヒーローに向いている」と知らしめてやる。
「来い。それが許される試験だ、私を止めてみせろよ。──全力で叩き潰してやる」
──
目があっただけで背筋が凍るような冷たさを感じて、何人かは後退りをした。刃物のような鋭い視線は皮膚を切り裂こうと鈍く輝いている。
けれど己の信念を胸に、彼らは踏ん張った。やはり赤黒操は倒すべき悪なのだと再認識して、心を燃やしていく。"赤黒操をヒーローにさせるな"という正義感が、彼らを突き動かしていく。
《試験開始まで残り五秒……》
これは百人だけが通過できる椅子取りゲームだ。この試験では強い者が生き残り、弱い者は脱落していく。脱落者がどんな信念を抱こうと、どれだけヒーローの適性があろうと関係ない。
既に操の心は傷だらけだ。真新しい傷が皮膚や肉を引き裂いて、刃物が突き刺さったままで、生温かな血液が全身を濡らしている。
けれど
《4...3...2...1...》
たとえ、誰にも望まれなかったとしても。向かう先が今より地獄だったとしても。ここで1400人の受験者を蹴落としても、ステインの被害者に不快な思いをさせたとしても。
それは兄に言われたから?友達と約束したから?先生に信じてもらえたから?──違う。何よりも、操自身がヒーローになりたいと思っているから戦うのだ。
《──START!》
開戦の狼煙があがるや否や、操に向けられる敵意は物理的なものに変わっていった。
地面から生えてきた無数の腕を飛んで避け、目の前に現れた岩のゴーレムを叩き割る。迫ってきた植物を
受け身を取りながら体勢を立て直した操は瞬時に辺りを見渡すが、先程砕いた岩を投げてくる人物を横目にその場から飛び退いた。なんだか嫌な予感がしたのだ。すると岩が地面に接した瞬間、それは爆発する。──触れたものを爆弾に変える個性だろうか。そう考えながらも、操は一瞬にして粉塵と煙幕に飲まれていく。
視界が塞がれたのは相手も同じだ、この煙幕が晴れた瞬間が勝負になるだろう。操はそう思いながら体勢を低くし、息を殺す。しかし此方に向かってくる足音が聞こえたため"空気中に張り巡らせた血液"で相手の位置を捕捉すれば、相手はどうやら真っ直ぐ操の元へ向かって来ているようだった。
煙幕の中で繰り出された回し蹴りを難なく受け止めれば、相手は腕に装備されたプロテクターの硬さに顔を顰めた。──これで終わるほど、私は優しくない。
「
「ぎゃっ──!」
操はアームプロテクターである赫鎧を剣山に見立てて変形させていく。するとそれは相手の足に突き刺さり、その場から退くことを許さない。
煙幕が晴れる。操に捉われた相手は異形型なのか、獣の様な耳が生えていた。──獣人故耳がいいのか、それとも鼻が利くから煙幕の中で動くことができたのか。
そんなことを考えていると視界の端で何かが光ったため、操は相手の足に突き刺したままの赫鎧を腕ごと引き寄せて獣人の陰に身を隠す。すると何かが焼け焦げる様な臭いと共に「熱ッ!!」という悲鳴が聞こえたので、熱による遠距離攻撃でも飛んできたのだろうと推測した。
──遠距離攻撃が厄介だがまずはコイツから潰しておこうか。私より速いし、まともな肉弾戦に持ち込まれたら対処するのが面倒だし。
操は逆の手で男の足を掴むと、その骨をへし折ろうと力を込めた。機動力を削れば戦力も戦意も削れると思っての行動だった。
しかし再び背後に現れた人物に気が付くと、手のひらではなく足と腕に力を込めていく。そして男をバットのようにスイングして背後の相手にぶつければ、二人諸共地面に沈んでいった。
「瞬間移動か?いい個性だな。救けを求める人の元へすぐに向かえる」
「刀+地面──
操は倒れた二人にボールを当てようとしたが、周りを囲む人数が多すぎるためそれは不可能だった。突如隆起した地面──というより、一部の地面が刀になって飛び出してきた──を宙返りで避けると、そのタイミングを見計らってか、様々な攻撃が飛んでくる。
途中で二つに分裂するクナイ、地面から顔を出す牙を剥いた植物、おかしな回転をするボールに、トランスフォーマーのように手足が生えて立ち上がった車。宙を駆ける者、手のひらを大きなハサミにして振り翳す者、触れた部分を抉る者、全身に蜂を纏わせる者。
これは、試験開始から一分経たずしての出来事だ。戦場の趨勢に合わせて思考を巡らせる事が出来るのは、ひとえに操血の個性のおかげだろう。
操は
それなりの速度とそこそこな火力を携える操はそう簡単には落とせない。同じように宙を駆ける女は飛んでくる攻撃を気にしてか距離を取ったし、触れた部分を抉る男はプロテクターで対処可能だった。しかしハサミの男は力が強く、打撃を受け止めた操は後方に吹き飛ばされてしまう。
──爪の形からして魚類の異形型だと思っているが、もしかしてシャコだろうか。操はそう思いながら空中で回転し、赤壁で足場を作りながら跳躍する。そして宙を駆けたり地を駆けたりしながら、遠距離攻撃を次々と避けていった。
プロテクターがあるとはいえ、腕は痺れて暫く使い物にならなそうだった。操はそれを表情に出さないよう気をつけながら、腕にエネルギーを回して回復させていく。
《あ、ようやく一人目が通過しました》
すると会場内に響き渡ったのは、試験通過者のアナウンス。──一人目が通過したか。今後はこのアナウンスで心が乱され、焦る者が増えるだろうな。
操は誰一人として倒せていないが、それは向こうも同じである。しかし拮抗する戦場の中でわかったことは幾つかある。
それは、近接戦闘が得意な相手と拳を交えれば遠距離攻撃はあまり飛んで来ないこと。補助個性は攻撃を躊躇ってこちらの様子を窺っていること。そして近接戦闘が得意な者は遠距離攻撃に気を取られ眼前の操に集中できていないこと。
それは、彼らの連携が取れていないという確固たる証明であった。──こいつら、お互いの個性や戦い方を理解していないのか?一対多数のアドバンテージの中でも操が立ち回れるのは、おそらくそこが穴となっているからだろう。
《一人目に続いて二人目……あ、三人目も通過です。いいですねドンドンいきましょう》
「……っ、おい!合わせろよ!」
「知らないわよ!アナタがなんの個性持ってるのかわからないし!」
「痛ェ!ちょ、今俺に当たったぞ!!」
「邪魔なのが悪いんだろ!?」
「はぁ!?遠距離個性なんだからちゃんと当てろよ!役に立たねえな!」
「あんただって仕留めるのにいつまでかかってるのよ!!」
「……」
鬱憤を溜めた彼らの言葉が、その答えだった。
つまりこれは学校単位での襲撃ではなく、"操を気に食わないと思った個々"が集まって落としに来ているだけのもの。この場には操を許せないと思う無数の人が集まっているだけで、試験に勝ち上がろうと思っている者は存在しないのだ。
いや、試験に勝ち上がろうとは思っているのだろう。通過者がアナウンスされるたび焦っているのがその証拠だ。しかし試験より己の"私情"を優先しているから、彼らは操の前に立ち塞がっているのだろう。
──試験に乗じて私を叩きたいだけじゃないか。ヒーローになる前からヒーローごっことは、随分と悠長な連中だな。
「私情を挟んで合格できるほどこの試験も、ヒーロー活動も甘くはないと思うぞ。なあ?」
「……っな!?なんで気づいて──!」
操は再び背後に移動してきた男を目視することなく
──
そしてこの血霧は液体にも固体にも変化する万能の
酸化した血液のような瞳が男を貫く。燃えるような、眼を射すような強烈な色彩はこの状況下でも決して輝きを失わず、この空間を赤く染め上げていた。
「いいか、私のヒーロー名はステンレス!決して悪に染まることはなく、明日を望む誰かを救う者。暗い未来の中で輝く光になる者。──覚えて帰れ!」
操はそう告げると、ボールを握りしめた拳を相手の身体に叩き込んだ。するとターゲットは光ることなく砕け散る。男はそのまま後方に吹き飛び、ガラクタとなった車に突っ込んで気を失ってしまった。
その瞬間、辺り一体の空気は操に支配された。先程まで男を拘束していた赤縛は空に溶け、跡形もなく消えていく。自分たちは常に包囲されているのだと、誰かがごくりと固唾を呑む音が聞こえた。身体を伝う汗が、嫌に冷たくて気持ちが悪い。
《……あー……えーっと……言い忘れておりましたが、ターゲットを破壊された場合審査の続行は不可能となります。よってターゲットを破壊された者は脱落者とみなしますので、ご了承下さい!》
張り詰めた空気が漂う中、それを壊すように割り込んだのは会場に響き渡るアナウンスだった。それは先程まで通過者や脱落者の報告をしていた目良の声であったが、彼の声は少し困惑しているように聞こえるものの、先程と変わらず淡々としている。しかし受験者にとって問題だったのは彼が告げた内容であった。
ターゲットが三つ光らなくとも、壊されてしまえば試験は脱落。その事実に、何人かは冷や汗が流れ、腹の底から焦りが湧き上がる。しかしそれを聞いても、操は冷静だった。
目良はどこかに設置されたカメラで見ていたのだろうか、それともたまたまタイミング良く思い出したのだろうか。真意は不明だが、わかったことはただ一つ。操は今"一人の受験者を脱落させた"ということだ。
「な……お前……」
「言っただろう、全力で叩き潰すと」
「……っ、潰れるのはテメェだよヴィラン!」
試験のルール上ボールを三つ当てないと相手を倒せず、二人倒した時点で勝ち上がってしまう。ならばこの人数を倒すにはどうすればいいのだろう。どうすれば操の実力を示せるのだろう。彼らを叩き潰して、先に進む事ができるのだろう。
操はそう思っていたが、ターゲットを破壊して脱落させればいいのなら、話は早い。破壊は故意ではなく予想外の出来事であったが、先程より格段と戦いやすくなった状況に表情を引き締めていく。
嫌なやつだと指をさされても、悪だと叫ばれたとしたも。未来で救けを待つ誰かのために、その歩みを止めることはない。
「どうりでテメェの周りは血生臭ぇと思ったんだよ!!」
焦りか、怒りか、己の正義を貫くためか。先程より攻撃は苛烈さを増していく。しかし操のターゲットを光らせ、破壊するには目視できない血霧を突破するしかない。そしてたとえ突破出来たとしても、本人の体術や空を切るように走る無数のナイフに阻まれ、決して思う様にはいかないだろう。
一人、二人、また一人とターゲットを破壊されれば、何人かは怯んでその場から撤退した。操は去る者を追い、叩き潰す趣味はない。しかし"赤黒操をここで潰す"と信念を貫いた者たちだけは、その場に残り続けた。
足を止めれば赤弾でターゲットを撃ち抜かれ、足を動かせば赤縛で捕捉される。常に見えない武器が周りにあるストレス、思考を巡らせ策を講じなければ脱落してしまう緊張感。周りとの連携が取れず、思うようにいかない苛立ち。その全てが、操に立ち向かう全ての人間に襲いかかっていた。
しかも肝心の
「──っ!?」
しかし爆弾を飛んで避けた操の視界は突如移り変わり、眼前には対面を避けていた異形型の男──シャコの個性を持った男が腕を振り翳していた。
瞬時に展開した
問題なのは相手の行動だ。操が容赦なく戦うように、相手も同じように戦うのは想定済みだ。しかしこの攻撃を喰らったら不味いのは誰がどう見ても明白である。──試験への焦りか、操への恨みか。冷静さを欠いているのは仕方ないとはいえ、コイツはヒーローになってヴィランを殺すつもりなのだろうか?
操は二発目が来る前に男の懐に潜り込んで、腹部に太刀蓮華を宛てがう。そしてそのまま太刀蓮華を長く伸ばせば、相手との距離を取ることに成功した──が、操の視界は
「また、──っぁぐ……!」
「今だ!みんな早く!」
先程から誰かが操と"何か"の位置を強制的に入れ替えている。特定の範囲にいる人物、または物の場所を入れ替える個性だろうか。とにかく非常に厄介であった。
操は瞬時に辺りを見渡して情報を手に入れるが、どうやら吹き飛ばされていたはずのシャコ男に変わって何もない空間に投げ出されているようであった。手の中にあったはずの太刀蓮華は側にない。しかし己の血液で出来た太刀はいつでも回収出来るし、それは大した問題ではない。問題なのは、操の背後に突如現れた透明な壁であった。
いつもの操だったら後方に吹き飛ばされた場合、赤壁を足場に体勢を整えていた。しかし無理やり場所が変わってしまったこと、そして直前に血霧を壁に変化させていたことで"反応は出来ても対応をすることが出来なかった"のだ。
突如現れた透明な壁に叩きつけられた操は背中を強打する。一瞬呼吸ができなくなるが、瞬時に
「──……!」
「よし、捕まえたわ!」
透明な壁──側から見たら何もない空間──から無数に伸びる腕は操の四肢を壁に縫い付ける。それは徐々に増え続け、次第に首や肩を抑えるだけではなく、操の視界や口を塞ぐまでに至った。
これぞ数による制圧であろう。操の脳裏にはとある人物がチラついたが、その傍らで赫鎧や小型ナイフを操作して邪魔な手のひらを切りつけていく。切り刻まれた腕は血液を流すことなく消えていくが、全てが消えた時にはもう遅かった。
「……っ痛!……ああ゛っ……ちょっ、と!早くしてよ!」
「"影縫い"!──……問題なし、拙者の術は掛かっている。奴はもう動けまい」
「〜〜っあぁ……ったく、ようやく動きを止める事が出来たぜ」
「油断しないで!アイツは遠距離攻撃を持ってるわよ!」
「僕が毒攻めで弱らせようか?」
「いい案ね!さっさと倒して試験に戻りましょう」
「……」
操は影でも縫われたのか、思うように身体を動かせなかった。しかし思考は乗っ取られておらず、血霧や太刀蓮華、小型ナイフを動かす事は可能だ。──お互いの個性を把握し、連携を取ってきたか。動けなくてはただの的になってしまうだろうな。
しかしやる事は変わらない。赤弾でターゲットを破壊しつつ、赤壁で自身を守ろう。操はそう思っていたが、視界の端で何かが光った瞬間肩には焼かれるような痛みが走り、一瞬思考が停止する。その時、死角から飛んできたオオスズメバチに足を刺されてしまった。正面から飛んできた暗器は弾いたが、次の瞬間身体に空砲が撃ち込まれる。
毒は白血球を強化して解毒できるから問題はなかった。しかし空砲は目視できないため常に血霧を張り巡らせておかないと対処が難しいし、肌を焼くレーザーに関してはどうすることも出来なかった。──青山のレーザーより細いのが、唯一の救いだろうか。
「みんな今よ!」
「いけ!やれ!」
「よォし……いいぞ、倒せ!」
「畳みかけろ!」
「この武器邪魔だなぁ……壊しちゃう?」
「まだ動くな……もっと毒盛って!」
「潰せ!」
「動かなくなるまで痛めつけるの!」
防御は出来る。解毒もできる。けれど、攻撃に転じる事は出来なかった。
いくら
これ以上レーザーを喰らうのは身体へのダメージが大きいから避けたい。けれど、そのためにはこの劣勢を覆さないといけない。そして操は、形勢逆転の一手を
「ぁっ──ぐ、」
その一手を打たないのは、躊躇っているから。それを使ってしまったら、その後しばらく動けなくなってしまうからだ。
それはその言葉の通り指一本動かすことが出来なくなる諸刃の剣。そんな状況で二次試験に挑んで突破できるとは思えないし、操の回復を待ってくれる試験だとも思えない。体力の配分もヒーローとして大切な素質だろう。だから、操はこの状況になるまで躊躇っていた。
玉砕覚悟の全力も、力を発揮せずに脱落することのどちらも操の意に反する行動だ。けれどどちらか片方を選ぶとするなら、操は未来に繋がる方を選択するだろう。不透明な二次試験に不安を覚えるが、ここで窮地を脱する事ができるのに実行しないのは間違った選択だと言わざるを得ない。
──こうなった己の弱さと過信を嘆くのは後だ。想像していたより向けられる矛先の数が多かったが、それもちゃんと予測できなかった私が悪い。
この状況はピンチに変わりないけれど、
操は小さく息を吐き出すと、変わらず冷静さを保とうとした。焦る必要はない。この技を使えば、確実にこの窮地から突破できる自信があるのだから。
背後の壁が既にない事は血霧で確認済みだった。あとは目に見える攻撃と目視できない攻撃の速さと大きさ、距離を計測しつつ的確な場所に壁を貼る。そして厄介な個性を持つ者に奇襲をかける。解毒は一旦後回しで大丈夫だろう。
一秒にも満たない時間で簡単な道筋を立てると、操は身体を巡る血液に意識を集中させた。そして、叛逆の狼煙をあげる。
「赫血飛動・
しかし、その言葉が最後まで紡がれることはなかった。血の霧が、操に二人の侵入者を知らしめたからだ。
普通だったら反射的に攻撃を仕掛けるか、壁を作って行動を妨げるだろう。しかし操は脳を活性化させているからこそ瞬時に気付けたことがある。
それは"操が遠距離攻撃の的となっているのに、近づいてくる敵がいるのはおかしい"ということ。そして"侵入した二人が、操の知っている姿形をしていること"だ。
「アシッドベール!」
「──っな!?」
様々な攻撃は、突如現れた酸の壁に阻まれる。驚いたように目を見張る人々の前で、その人物は身を覆い隠す
珍しいピンク色の皮膚、胸元がざっくりと開いたターコイズブルーと紫の迷彩柄コスチューム。ふわふわに揺れる桃色の髪、そこから飛び出す黄色い触覚。
彼女は操に背を向け、多数の人の前に立ち塞がる。そして酸の壁では防ぎきれない攻撃を次々とアシッドショットで撃ち落としていった。
「三奈……!」
「操ちゃん、一旦退くよ!動ける!?」
「悪い、動けない!影っぽい個性で動きを封じられてるんだ」
「影?」
「フハハ!!まさか一人で救出に来るとは……笑止!しかし拙者の術はそう簡単には解けん。スポットライトでもあれば別だが……クク、主らは持ち合わせておらんだろう?」
雄英の芦戸三奈だ!誰かがそう呟けば、攻撃は再び再開される。前方を芦戸が、後方や目視できない空砲を操が対処するが、操が動けないままでは埒が明かない。それどころか、人数差で押し切られる可能性があるだろう。
しかし二人は高らかに笑う男──おそらく影の個性を持っている──の言葉を聞いて思わず口角を上げてしまった。スポットライトは持ち合わせていないが、誰にも見えない眩い光なら
「ふふん、なら私に任せて!集光屈折ハイチーズ!」
突如視界を覆い尽くした眩い光に操は思わず目を細めたが、微動だにしなかった身体はまるで氷が溶けたかのように自由を取り戻す。その瞬間操は地を蹴り、厄介な個性──位置を入れ替える──を持つ者との距離を詰めた。目が見えなくとも、相手の位置はずっと捕捉している。
彼女は目を細めながら両手を前に突き出していた。視界が開けたら個性を使用するつもりなのだろうが、もう遅い。既に赤縛は彼女の顔を多い隠し、その視界を塞いでいる。
「な、眩──……しまった!拙者の術が!」
「おりゃああああ!」
「がっ……!」
「前が、見えな──!」
「次は闇の中でも位置を変えられるよう、訓練しておくんだな!」
「かは……っ!」
どこからか飛んできた太刀蓮華を振り抜き、操は眼前の敵を叩き斬った。勿論、刃に変形させていないので鈍器による殴打だ。しかしその威力のせいか、腹部という場所が悪かったのか。彼女は息を詰まらせた後、気絶しその場に倒れてしまう。
操の背後では空間に溶け込んだ葉隠が影の個性を持つ者に打撃を与え、同じように地に沈めていた。操はそれを確認しつつ、様々な攻撃を避けながら後ろ向きに撤退する。そしてここまでやって来た彼女たちと合流することが出来たのだった。
「一体どこから!?」
「よく見て、何もない空間にターゲットだけ浮いてるわ!」
「透明人間!?もしかして、雄英高校の──!」
「……透!」
「も〜!操ちゃん勝手にいなくならないでよ!心配したんだから!!」
多数の人に囲まれながら、三人はお互いに背を向ける。背中を預け合う。
二人はこの状況に怒っているのか、忙しなく流れ続ける通過者のアナウンスに焦っているのか、いつもの雰囲気とは違っていた。軽い怪我もしている。多少の疲労も感じ取れる。
それでも操にとって背後にいる二人の存在は大きく、温かく、心強く感じた。だから操も二人のためになる行動をしようと思ったのだ。
「なんで……!?そいつはステインの妹なのに……!」
「ふん、それがどうしたって感じ!」
「操ちゃんは操ちゃんだもん、関係ないよ!」
対話をすればなんとかなるだろうという過信。全て受け止めるべきだという自責。何かあっても自分なら切り抜けられるという傲り。正直今思えば、試験前の操の行動は間違っていたと言わざるを得ない。
──あなたは一人じゃない、それだけは忘れないで。
──操ちゃんが苦しんでたら、私たちが助けるよ!
その言葉を忘れたわけではなかった。けれどステインの件で周りを巻き込むべきではないと勝手に判断し、操は誰にも相談せずに行動した。その結果、
「三奈、透。私は見ての通りギリギリの中で戦っていてな。二人が来てくれて助かった……救けに来てくれて、ありがとう」
「本当だよ!助けるって何度も言ってんのに……操ちゃんってば本当にわからずやなんだから!」
「でも……間に合ってよかった!本当に、本当によかった!」
二人のターゲットはいくつか光っている。ここに来るまでの間、誰かにボールを当てられたのだろう。けれどボールを当てられても尚、操を助けようと走り続けたのだろう。
救けるために強くなろうと努力して、自らの危険を顧みず、本当にピンチを救ってみせるのだから。操は思わず笑ってしまった。それは挑戦的な笑顔ではなく、柔らかな笑顔で。戦場には不釣り合いだったけれど、決意を感じさせる強さを孕んでいた。
──
「申し訳ないが、もう少し付き合ってくれないか?」
「当然!どんと来い──って危な!」
「ふんっ!レーザーなら私に任せて三奈ちゃん!……でもそれ以外の遠距離攻撃は無理〜!」
「それこそ操ちゃんに任せろ。フ、ここら一帯は私の手のひらの上なんでな」
厄介だったレーザーは葉隠がいることで対処が可能になった。近遠両刀な操と芦戸が受験者と戦い、姿の見えない葉隠が不意を突く。二人の隙を突く者は血霧で捕捉し、拘束。または打撃を与えて牽制していく。
芦戸の強力な防御も攻撃も、葉隠の行動も目眩しも、三人を狙う数多くの受験者も、操が全て把握する。把握した上で足りないものを補い、相手を追い詰めていく。一人ではなく、三人で。
「好きに暴れろ、
一人でも突破することは可能だった。でも、二次試験に参加できる望みは限りなく低かった。
二人が救けに来てくれたから操の未来には陽が射し、二次試験への道が開かれていった。ならば操がすべきことは、二人と同じように救けて勝つ──それだけである。
「……
操は気絶した受験者のターゲットにボールを当てながら、芦戸の言葉を繰り返した。それに対し、二人は頷いている。
あれから操たち三人は多数の受験者を戦闘不能に陥らせ、なんとか窮地を乗り越える事が出来た。しかし操がターゲットを破壊してしまったため"勝ち抜け"には至らなかったのだ。
なんとか気絶したまま倒れている者を発見してボールを当てたものの、三人が倒した人数は試験的にいうと"一人"のみ。つまり、あと一人ずつ倒さないと試験を通過することができないのだが──先程からアナウンスは七十台の数字をカウントしている。残された時間は少ないのかもしれない。
「そー!結局分断させられちゃったんだけど、みんな大丈夫かなぁって」
「人の心配してる場合じゃないんだけどね〜……私たち、まだ一人ずつしか倒せてないし……」
試験開始直後、二人はクラスメイトと共にいたが操を探すためにその場を離脱しようとしたらしい。しかし離れる直前に受験者の攻撃で無理やり分断させられてしまったそうなのだ。
その後の二人は受験者と戦いつつ透明マントやコスチュームのインビジブルモードを駆使してなんとかその場を切り抜けた。しかし、その中で聞こえた言葉が──……。
「雄英潰し、ねぇ……」
雄英潰し。それは、体育祭が放送される雄英のみが受ける仮免許試験の洗礼。要するに、個性が判明している雄英高校の生徒を真っ先に潰して合格しようということなのだろう。実にシンプルでわかりやすい。
芦戸と葉隠はおそらくクラスメイトたちが潰されていないか不安なのだろう。爆豪や轟は兎も角、戦闘に不向きなクラスメイトたちが一人で行動していたら、この試験を通過するのは厳しいと言わざるを得ない。
しかし現状、通過できる人数が残り少ない事からこの広い会場を探し回ることは不可能だ。
《現在の通過者は80名です。早く終わらないかなぁ……》
「操ちゃん、右危な、やば!ギリッギリ!……ちょ、痛っ、待っ、わぁーーー!!」
「ひゃあ〜〜〜〜!!」
「舌を噛むぞ!指示以外は口を閉じてろ!」
だから操たち三人が行うべきことはただ一つ。クラスメイトを信じた上で速やかに受験者を"倒し"、試験を通過すること。そう話し合って受験者を探したのはいいものの──想像以上に数が多く、何処もかしこも乱戦が繰り広げられていたのだ。
現在三人は一緒になって行動をしている。操が右肩に芦戸を担ぎ、左腕で葉隠を小脇に抱えながら全力で走っている。背後の攻撃は芦戸が撃ち落とし、前方の攻撃は操が対処して何となっている状況。
一度でも止まれば受験者たちの猛攻を喰らってしまうだろう。三人はそんな、先程と変わらない戦場の中にいる。脱落者がそれなりにいるとはいえ、元の人数が1500人だから受験者が多いのは当然だろうか。
せめてあと一人か二人味方がいれば戦況は覆せるだろう。現時点では敵の数が多すぎるため、血霧を使ったとしても"反応はできても対処はできない"状況に陥ってしまうのだ。二人が合格することを視野に入れるなら、尚慎重にならなければならない。しかし、悠長に逃げ回っている時間もない。
冷静でいなければいけないが、早く決断しないと仮免許への道は閉ざされてしまうだろう。操がそう考えていると、視界に黒い影が伸びてこちらを指差したのだった。
「フミカゲ!アレ見ろ!操チャンダ!」
「ダークシャドウ……!?」
《82人目が通過しました。残りは──》
「赤黒!!」
「と、常闇くんだ〜〜!!」
「あ!砂藤もいる!」
「赤黒!芦戸に葉隠も!……よし、これで何とかなりそうだ!」
そんな乱戦の中、突如現れたダークシャドウによって操たち三人は砂藤、常闇と合流することが出来たのだ。この上ない幸運に、五人は思わず口元に笑みを浮かべてしまう。
操は常闇の足元に膝をつくと芦戸と葉隠を地に下ろし、側に留めておいた血液を辺り一帯に散りばめた。
──血霧はもう必要ない。受験者の隙さえ作れば、このメンツなら突破可能だろう。
《ハイ、ここで一気に8名通過来ましたー!残席は10名です》
「……っ!?」
「やっぱ何とかならねぇかも!?ヤベェ!」
「えっ……これやばくない!?ちょ、あと何人って言ってた!?」
「残りの席は10……俺たち5人分は確保できる」
「諦めないで通過しようよ!みんなで!」
「とはいってもよォ!この状況は──!」
残された時間はもうない。ほぼゼロと言っていいだろう。
それでも攻撃は最大の防御というように、操は冷静さを失わず一滴一滴の血を操作する。狙うのは此方に向かってくる受験者と、ターゲットが二つ点滅している受験者だ。
勝負は操が攻撃を開始した一瞬で決まるだろう。赤刃・千本桜で受験者を切り付け怯ませたところを、全員で"倒し"にいく。そう、思っていたのに──。
「え、なにあれ……」
「光?」
「あれは、」
「青山くんの……!」
空高く昇る青白い光に、操たち五人は目を奪われる。それはその場にいる受験者も同じで、全員がそのレーザーに一瞬意識を割いてしまった。
──今、自分だけが勝ち上がるために動けば簡単に受験者を"倒す"事ができるだろう。
その場にいるA組の誰もが、そう思っていた。そう思っていたのに、彼らの足は動きを止めた受験者ではなく、レーザーの元へ向かっていく。
「なんだこれ、雨?水?」
「違う……これは……血……?」
「今日は晴れの予報だが、生憎雨が降ってしまったな。傘は差さなくて大丈夫か?」
「は、……ぁ?」
「──赤弾・
雲ひとつない青空から、血の雨が降り注ぐ。
赤弾・
無数に降り注ぐ赤弾を防ぐのは難しく、その場にいた──青山の元へ向かっていた──受験者は思わず防御や回避・迎撃などその技に対処する行動を取らざるを得ない。
これこそ、数による制圧だ。たとえその攻撃で受験者を仕留められずとも、隙を生み出すことは容易であった。
「何だ!?いって……痛ァ!!」
「とにかく、やられる前に……!」
「
──黒き
隙だらけの受験者に闇の
それでも、彼らはヒーロー科として訓練している高校生だ。体勢を崩され、倒れたくらいではターゲットは狙えない。──でも、動きたくても"動けなかったら"どうするのだろう。
「な、動けな──……!」
「取れるやつから取ってけぇ!オイラはさっさと取るからなァ!!」
「みんな早く!他に取られる前に!」
別方向からやってきたのは峰田と尾白であった。峰田は頭部から血を流しつつも、大量のもぎもぎを地面に撒いていく。たとえそれが外れたとしても、尾白が尾で追撃してくっつけてしまえば何も問題はなかった。
けれど動けなくなっても遠距離攻撃を持っている者はいる。そして動きを封じられていない者は、それ以上に存在する。
彼らはどんな個性を持っているかわからない受験者より、個性が判明している雄英を狙おうと躍起になって駆け出した。しかしその近くに、誰にも見えない伏兵が存在しているとは思っていなかったのだろう。
「はいはいみんなこっち向いて〜!集光屈折ハイチーズ!」
「った、まぶしっ……!」
「アシッドベール!青山、だいじょぶ?」
砂藤はもぎもぎが付着した瓦礫を受験者に投げつけ、時には盾にし、芦戸と背を守り合いながら青山に群がる受験者を薙ぎ払っていく。
青山の側で酸の壁を展開した芦戸は、一度彼の顔を見るとニッと笑った。そして向かってくる受験者を捌きながら、逆境にもかかわらず尚笑い続ける。
「うん、大丈夫そう!……あのね、焦ってみんな大雑把になってきててさ、敵も味方もぐっちゃぐちゃで周り全然見えなかったんだよー!ほんと……もうダメかと思っちゃった!」
けれど、天に昇る青い光が道を切り開いてくれたから。
体勢を立て直せた。またみんなで集まれた。乱闘ではなく
「青山のおへそレーザーのおかげ!このままみんなで一次試験を突破しよ!」
峰田が、尾白が、葉隠が次々と受験者を倒していく。カウントは凄まじい速さで減っていった。だから芦戸も受験者を倒し、常闇や砂藤もクラスメイトたちを横目に倒していく。
青山は地面に倒れ込んだまま、それを呆然と眺めていた。クラスメイトを呼び寄せるつもりはなかった。助けてもらう為にレーザーを放ったのではなかった。
なのに、現状はどうだ?飯田と二人きりの時に比べて、驚くほど形勢逆転の兆しが見えている。
《続々と!この最終戦で一丸となった雄英がコンボを決めて通過していく!》
「全く、SOSの信号はちゃんと教えただろうが……まあ、救けを乞うのも勇気がいるよな」
操は倒れたままの青山にため息を吐くと、彼の背後に迫った受験者の頭部を掴んで己の膝に叩き込んだ。
鮮血と唾液が飛び散る中、青山は操から何かを投げ渡される。手の中に収まったのは、試験突破の鍵となるボールだった。
既に試験を通過したクラスメイトたちは戦闘に参加できない。だから青山のことは守れない。自分の足で立って、試験を突破するしかない。
──立て。そう言われたような気がした。
「先に行くぞ」
操はそう告げると受験者の中に割って入っていく。そして直ぐに試験通過のアナウンスが流れたので、青山はそれを見届けながら腹部を押さえて立ち上がる。
飯田にチャンスを与える筈が、クラスメイト達によってチャンスを与えられてしまった。これじゃあもう、逃げられない。光の中で燻らないよう、光の真似事を続けていくしかない。
──
その問いに答える者はいなかった。そして過去をなかったことには出来ないだろう。だけど、彼は絶望の中で何処にあるかもわからない希望を見つけられたような気がしたのだ。
《──100人!試験終了です!!》
青山優雅は、その時初めて自分の力で立ち上がった。見えない道の中を手探りで歩き出した。
その先に何があるのかわからない。光が見つけられるとは限らない。けれど、誰に言われるまでもなく自分の"意識"で歩き出したのだ。
たとえそれがどんなに小さな一歩だとしても、彼にとっては意味のある大きな一歩だった。
《これより残念ながら脱落してしまったみなさんの撤収に移ります。通過者は会場内にある控え室へ速やかに移動してください。繰り返します──》
「何とかなったねー!」
「ほんとギリギリだったけどね……」
「ね〜!……時間ないのわかってたけど、青山のおへそレーザー見たら体動いちゃってさぁ」
「結果的には良かったかもしれないな」
「ナ!」
「僕のキラメキは止まらないってことだよね……⭐︎」
「ああ!多分な!わからんが!」
「雑だなァ……」
操、青山、芦戸、飯田、尾白、砂藤、常闇、葉隠、峰田の九人は胸を撫で下ろしながら控え室までの道のりを歩いていた。
A組の約半数がこの場にいる事実に操は肝を冷やしたが、他のクラスメイトは大丈夫だろうか。クラスメイトを探していた飯田曰く、他のみんなは分断されてから見ていないそうだが──試験が終わってしまった今、通過したことを祈るしかない。
しかし試験会場とはいえ、街を模した辺り一帯は悲惨な状況だった。様々な武器や個性の一部が床や壁に散乱し、建物は所々倒壊している。何より撤収のアナウンスが流れていても涙を流し、その場に蹲って動けない受験者が数多くいるのだ。通過した我々を、恨めしそうに睨みつける瞳の数も多い。
「な、なんで俺たちが悪者みたいになってんだよォ……」
「別に何かを言われたわけじゃないんだ、放っとけ」
「でも峰田の言う通りだろ。喜びにくいっつーか、なんつーか……」
「それでも、奴らは抑えている。感情のコントロールはどうにかできても、湧き上がる感情はどうしようもないから仕方ないだろう」
悔しい、悲しい。そう思うから涙が流れるし、目の前が真っ暗になって立ち上がることが出来なくなる。でも涙を呑んで立ち上がる事はできるし、悲しみや苛立ちを他者にぶつけないよう努力することは誰にだってできる。
けれど、自分の中で湧き上がる感情はどうすることも出来ない。制御しようがない。その感情が瞳に色濃く現れていたとしても、言葉や行動に変換しない努力をしているのであれば、此方もある程度は気付かないフリをするのも大切だろう。
「ルール上勝者がいれば必ず敗者がいる。俺たちは何も悪くないんだ、堂々としているべきだろう」
「──待って!」
「そうだな。とにかく速く控え室へ向かおう」
「みんないるといいけどー……」
「緑谷くんたちなら大丈夫さ」
「ねえ、待ってよ!」
「一人だった轟くんは大丈夫かなぁ?」
「"轟"だぞ?」
「名前から滲み出る謎の安心感……!」
「待ってよ──……っ待て!赤黒操!!」
九人で固まって行動している時だった。背後から聞こえた声は、最初自分たちとは関係のない言葉だと思っていたが──告げられた己の名前に、操は振り返る。
そこにいたのは一人の女性だった。受験生だろうか。サポートアイテムを装備したヒーロースーツは所々汚れ、髪は一つに纏めているにも拘らず乱れている。
しかし何よりも目を引いたのは彼女の表情だった。紙のような顔色をして、恨めしそうに操を睨みつけている。その視線には様々な感情が乗せられていた。湧き上がって抑えきれない何かがあるのだと訴えていた。
操はクラスメイトたちに「先に行ってろ」と告げると輪の中から抜け出して、彼女の前まで歩みを進める。すると強く噛み締められていた彼女の紫色の唇は、震えるように動きだした。
「赤黒、操……!」
「……何だ?」
「"導きヒーロー・シーイングレディ"……この名前に、聞き覚えはあるか……?」
「……!」
「それは、三年前に殺されたヒーローの名前……私の、私の母親の名前……!」
導きヒーロー・シーイングレディ。それは"ありとあらゆるものを見つけられる個性"を持つヒーローの名前だ。彼女が見つけられるものは数多く──捜索に条件はあるものの──、この世に存在しないもの以外なら何でも見つけられたそうだ。
彼女は主に紛失物や行方不明者の捜索に貢献していたヒーローである。何より彼女の凄いところは形があるものだけでなく、進むべき道や解決策をも見つけることが出来たということだろうか。
彼女のことは
身体に刻まれた刃の形状、切口、抵抗できないまま殺されたであろう肉体の状況からヒーロー殺しステインによる犯行だと断定された事件。
操はステインの犯行と、彼によって血塗られた被害者の名前は全て頭に入れている。だから、その先の言葉は告げられる前に理解してしまった。
「ステインによって殺された……!私のお母さんは……っステインに殺されたんだ……!!」
「……っ、」
「ねえ……どうして私のお母さんだったの?お母さんは殺されなきゃならなかったの……!?毎日人を助けて、感謝されてたのに……誰からも……っ誰からも愛されるヒーローだったのに……!どうして殺されなきゃならなかったの……!?」
自分の母に落ち度はないのに、何故殺されなければならなかったのか。抵抗できない状況で、怖い思いをしたまま斬り殺されなければならなかったのか。
──その時の母の心情を考えると、恐ろしくて気が狂いそうだった。
ヒーロー殺しステインが憎かった。そもそも人の命を奪っておいて何が"正しい社会の為"なのだろうか。母の人権や名誉を傷付けたくせに、殺して無に還したくせに、偉そうに社会を語るな……!
ステインは自身の罪を正当化する、身勝手な殺人鬼。そして目の前にいる
「母が死んでからずっと……ずっと苦しくて辛いの……ねえ、知ってる……?お母さんがステインに殺されたその日から、家にはマスコミが殺到して……毎日毎日、毎日毎日毎日毎日っ!家に、押しかけて来て……!こっちの都合なんて気にすることなく、あいつらはカメラを向けるの。マイクを向けるの……!」
事件直後に殺到したマスコミは我が家だけでなく、近所や親戚、友人の家に群がった。
無作法にカメラやマイクを向け、死んだことを受け入れる時間も、悲しみに暮れる時間もくれなかった。そしてこう告げたの。
『シーイングレディの写真はありますか?』
『どんな人でしたか?思い出のエピソードを教えてもらってもいいですか?』
『最後に交わした言葉は何でしたか?』
──なんて、心の無い言葉なのだろう。
被害者遺族は悲しみのどん底にいるのに、受け入れ難い現実に向き合う時間が欲しいのに、彼らはそんな人たちに群がって傷を抉っていく。
報道合戦のネタにするために、いい情報を仕入れようと必死になる。そこには被害者を弔う気持ちも、被害者家族に寄り添う気持ちもなかった。
保須市でステインが捕まった時なんてもっと酷かった。最近ようやく落ち着いたと思っていたのに、家には再び報道陣が押しかけて来てカメラやマイクを向けるのだ。
『ステインが捕まりましたが、今のお気持ちをお聞かせください!』
『ステインの妹についてはどう思いますか?』
『シーイングレディに会えるとしたら、どんな言葉をかけますか?』
──私たち家族は、また傷口を抉られた。
それだけなら、それだけならまだ耐えられた。でも耐えられなかったのは、ステインを信仰する人々によって亡くなった母親を侮辱されたことだった。
『シーイングレディが殺されたのはステインが贋物と判断したからなんだって!』
『なんだ、悪いのって贋物だったシーイングレディじゃん。ステ様、ゴミ掃除してくれてありがとう〜!』
『お前の親、本物のヒーローじゃなかったから殺されたんでしょ?自業自得じゃね?』
『貴女も親と"同じ"で贋作ヒーローになるんじゃないの?ヒーロー目指すのやめたら?ステインに殺されちゃうかもよ(笑)』
「何が……何が贋作だ……!ふざけるのも大概にしろよ人殺し!!」
──ふざけるな。ふざけるな、ふざけるな!私の母親は二度殺された。ステインに一度、そして心無い世間にもう一度!
死体を何度蹴られても、死んでしまった母は叫び声すらあげられない。踏み躙られてぐちゃぐちゃにすり潰されても、血を流せない。永遠に耐え続けるしかない。
加害者は裁かれて罪を償うことができても、被害者はどうしようもない。母は勿論、私も当然。本当に不条理だと思う。なんで私だけがしんどいんだろうって、すごく思うの。
それなのに
──ふざけるなって思うの。どれだけ被害者を馬鹿にするつもりなんだって、そう叫び散らしたいの。
「毎日毎日、感情堪えるのに必死なの……!貴女を、ぶん殴りたい気持ちでいっぱいなの……!」
どうして
どうして加害者家族は守られるのだろう。加害者は塀の中で誹謗中傷受けずに守られるのだろう。被害者は守ってもらえないのに、被害者家族は守ってもらえないのに──!
「赤黒操!お前は……っ、お前だけは……!」
どうしても許せなかった。許したくなかった。
湧き上がる感情が、胸に刻まれた傷口が悲鳴を上げる。彼女が報われ、幸せになることを許したくないと思ってしまう自分がいる。
母に落ち度はないのに、何故ここまで言われなければならないのか。そもそも
──加害者なら、加害者家族なら!被害者と同等かそれ以上の苦しみを味わえよ!
「すみませんでした」
苦しめたかった。傷付けたかった。なのに
膝を折って、額を地面に押し付けて。彼女ができるなりの、精一杯の謝罪をしている。それを見ていると何故か無性に腹が立って、苛立ちのまま砂を投げつけた。
目が熱くなる。頭が痛い。胸が苦しい。謝ってほしかった、罪を償ってほしかったのに──どうしたって許したくなかった。自分のことなのに、自分の感情がわからなかった。
「私の兄は、身勝手な理由で貴女の大切な人を殺しました。本当に、申し訳ございませんでした」
「──……っ、やめてよ!あんたが謝ったってお母さんは帰ってこないの!!もう死んだ人は帰ってこないのに、簡単に謝って許されようとしないで!!」
「はい、その通りです。それでも、申し訳ございませんでした」
「うるさい!……うるさいうるさい、うるさい!消えろ!お前なんて……っ消えろ!!」
「──っ、そこまでだ!」
たとえステインが更生したとしても、理不尽に失われた命は戻ってこない。ステインが罪を償っても、操が代わりに謝っても、被害者遺族には何の救いにもならない。
──そんなの、操だってわかっている。けれど操は砂を投げられても、石を投げられても決して頭を上げなかった。これは先程とは違う、操が受け入れるべき言葉だと思ったから。ちゃんと向き合わなければならない人だと思ったから。
しかしそんな中に割って入ったのは飯田だった。彼女が大きな石を手にしたからか、友人が謝り続けているのを見ていられなくなったからか。理由は定かではないが、女は飯田の姿を見ると驚いたように目を見張る。
「……なんで……?何で庇うの?なんであんたが……?何かの、冗談よね……?だって、貴方だって、私の気持ち、わかるでしょう?……インゲニウムは、ステインに──!」
「そうだ、兄に傷を負わせたのはステインだ。
「……!」
力なく項垂れるその肩を、飯田は痛ましげに見下ろした。彼女の痛みを理解できたからこそ、心臓が絞られるような気持ちになった。
彼女は決して操を見下していなかった。本当に、心の底から恨んでいた。やり場のない感情をぶつけることしかできなかった。大切な人の死を受け入れられなくて、悲しみを全て憎しみに変えることしかできなくなっていた。
感情が堰を切って溢れ出したように、彼女はその場で泣き崩れた。啜り泣く声が、異様な空間に響いて消える。操は頭を上げることができなかった。この謝罪に意味がないと分かっていても、簡単に頭を上げることはできなかった。
「なんで……なんで、私ばかり……っな゛んでこんなに、しんどいんだろう……!」
被害者からしてみれば、加害者家族が謝罪や賠償もなくのうのうと過ごしていたら腹が立つだろう。加害者家族も被害者だとか、そんなことはどうだっていい。加害者や加害者家族の不幸な境遇や生い立ちなんて、被害者には全く関係がない。
操は大切な人が殺された時の絶望と苦しみを知っている。血縁のない人でも胸が引き裂かれるような痛みを感じたのだから、一体彼女はどれだけ苦しい思いをしたのだろう。
操は顔を上げぬまま、拳をぎゅっと握りしめた。そして少し震える唇を動かし、恐る恐る言葉を紡ぐ。
「私のことも、兄のことも……許さなくて構いません。許されるとは、思ってません」
「……じゃあ、ヒーローにならないで。……幸せにならないで、一生苦しんで生きていて」
「……できません。ヒーローになるなという約束だけは、できません」
「……っふざけてんの……!?」
「私がヒーローになったところで奪われた命は戻って来ません。わかってます。この行動は、被害者や被害者家族の罪滅ぼしにはなり得ない。……でも、私はヒーローになります。償いにはならないけど、悲しむ人を救いたいんです」
瞼の裏には、赤黒い血が染み付いている。
ゴミだらけの一室で飛ぶ首。降り注ぐ血の雨。血塗れで帰宅する兄。届かなかった手のひら。自殺した母。母に殺された父。痩せ細ったオールマイトの背中。神野区の惨状。被害者家族の、悲痛な叫び。
操は兄を止められなかった。オールマイトを終わらせてしまった。
だから止まらないんだ。止まりたくないんだ。止まるつもりもないけれど……でも、もう
「たとえ手足が千切れても、腹が抉れていても……生きていれば絶対に救ってみせます。私は誰かを救けられる
操はオールマイトの代わりにはなれない。目を細めるような眩しい光にはなれない。でも、暗闇の中で遠く光る小さな輝きくらいにはなってみせる。
その光がどれだけ赤く汚れていようとも。誰にも救われることのないたった一つの命だけでも、掬い上げたいと思うから。だから──。
「私のこと、一生恨んでいい。許さなくていいから……本当に、ごめんなさい……」
「……っ……あんたに、言われなくても……!わたし、は……あんたを絶対に許さな゛い……!」
「……はい、ごめんなさい」
「……っ、うぅ……ううう゛うう……!」
大切な母親が殺されて悲しかった。自慢の母親が侮辱されて許せなかった。湧き上がる負の感情が、とても苦しかった。誰かに救けてほしかった。
その人が大切だったからこそ、抑えきれない悲しみが生まれた。自分が壊れないよう、誰かを恨むことで心を守った。そこに幸福があったからこそ、この感情が生まれた。生まれてしまった。
試験官に促された操は最後にもう一度頭を下げると、静かに立ち上がってこの場から立ち去っていく。その背中を見つめて、女は嗚咽を漏らしながら涙をこぼした。乱暴に拭っても、瞼の裏で輝く赤が消えることはない。
『ふざけるな……ふざけるな!謝れ……!今まで傷付けてきた全ての人に謝れ!!』
保須市の映像を見た時からずっと思っていた。
その真っ直ぐさが眩しかった。その強さが羨ましかった。前に進めない自分が惨めに思えてしまった。だから彼女に怒りをぶつけてやった。ズタズタに切り裂いて、その心に傷を付けてやった。
「……もっと他人事にしてくれれば……っ私には関係ないって言ってくれれば……!……あなたのこと、嫌いになれたのに……!」
嫌な奴だって周りに言い振らせたのに。ステインの妹は兄と同じで酷い奴だと非難できたのに。こんなに苦しい思いには、ならなかったのに。
──ごめんなさい。
複雑な感情で雁字搦めになった心は苦しいままだった。けれどはじめて聞いた加害者側からの謝罪に、昨日よりは母の死を受け入れられそうな、やっと一歩前に進めるような、そんな気持ちになったから。
偉そうなことは言えない。でも、一人の被害者として「赤黒操がどんなヒーローになるのか」最後まで見届けようと思ったのだ。
──ヒーローにならなかったら、今度こそ罵ってやる。嘘つきだと罵倒してやる。でも、でも……たくさんの人々を救うヒーローになったのなら、その時はちゃんと謝るから。ごめんなさいって、今度は私が謝るから……。
試験官に促され、彼女は更衣室へ向かって歩き出す。
それは小さな一歩だったけれど、彼女にとっては意味のある大きな一歩だった。そしてようやく過去から抜け出せた、再起の一歩でもあった。
【仮免許試験編(中):了】
【新技紹介】
『
装備しているプロテクターを変形させ、相手を攻撃、拘束する技。主にカウンター技として使用する。
『
血液を細かい粒子にし、空間に漂わせることで周囲の状況を把握する
『赫血飛動・
肉体を活性化させる赫血飛動の派生必殺技。使うとしばらく動けなくなるらしい。今回は未使用。
『赤弾・
それは断続的に、激しく降って過ぎる雨。一つ一つが雹のような強度を保ち、意思を持って打ち付ける雨──をイメージした赤弾の派生必殺技。(雹って大きさにもよるけど車とか破壊するので普通に危ない^ ^)
無数に降り注ぐ赤弾を防ぐのは難しく、攻撃対象は防御や回避・迎撃などその技に対処する行動を取らざるを得ない。