ステイン妹のヒーローアカデミア   作:苗字ちゃん

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職場体験編(中)

 

 

「今日何食おうかなぁー」

 

 午前の授業が終わり、数人で集まって教室を出る。そして食堂へと向かう道すがら、今日のメニューを考えるとりとめもない長閑な時間。

 同じ考えの者は多いのか、廊下ですれ違うお腹を空かせた生徒たちは「今日はカレーにする!」「私はラーメンかな〜」と口にしていた。

 ランチラッシュの作る食事は何でも美味しいので、いつも迷ってしまう。とりあえず大盛りにしてもらうことは確定として、次に悩むのは米にするか麺にするかである。

 

「午後は実技訓練があるし腹持ちのいいやつがいいよな」

「今日はバトルだっけ?チームアップかなァ」

「天喰は食うもん考えなきゃいけねぇから大変だよな」

「そうだが、ランチラッシュは俺のために特製メニューを──ッ!?」

 

 そんな会話をしつつ曲がり角に差し掛かったところで突如彼らの視界に入った"何か"。

 あまりの勢いとスピードに、ヒーローではなくオフモードの彼らは反応できずその"何か"と衝突してしまう。しかし"何か"はよろめく様子もなく、そして謝罪もなしに一度動きを止めただけでそのまま横を通り過ぎていく。

 

「──あっぶねぇ、大丈夫か天喰」

「ものすごい速さで廊下走ってたな……」

「俺の……俺の存在が見えなかったというのか……今日はもう帰りたい……!」

「うわ、天喰がめんどくさいモードに入っちまった……」

 

 肩を抑え俯く男──天喰環は"何か"という名の女子生徒にぶつかってよろめいた。そしてよろめいた体勢のまま、自身の影がそんなに薄かったのかと落ち込んでいる。

 三年共にいれば彼のハートの弱さなど慣れたものだが、ヒーロー科の男性をよろめかせる力の強さは純粋に危ないと思った。

 ──俺達だったからよかったものの、他の生徒だったら怪我するぞ。

 しかしもうここにいない女子生徒のことを考えても仕方ないと、彼らはため息を吐きつつも気持ちを切り替える。一名気持ちを切り替えられていない者もいるが、慣れているので気にせず目当ての食堂へ足を進めようと思ったのだ。

 

「早く学食行こうぜ、席埋まっちまう」

「そうだな……ってあれ?」

 

 けれど振り返った先で、先程までそこにいた筈の友人が一人いなくなっていることに気が付いた。彼らはそのことを不思議に思い、目を瞬かせたのだった。

 

「──通形どこいった?」

 

 

 

 

 見上げた空は澄み切っていて、光り輝く太陽がその中央に鎮座している。それは直視できないほど美しく、瞳に納めようとすると焼き焦がされてしまいそうだった。

 けれど(みさお)はそれを無理矢理眺め続けた。白く染まる視界に、時々瞼を下ろして瞳から光を逃しながら。

 操は雄英高校にある市街地演習場のビルの屋上に来ていた。そのフェンスの外側で四肢を投げ出し、フェンスに寄りかかって空を眺めている。

 ──死ねずに吸い込んだこの息で、生きている。

 止まる事なく続いていく世界で、居場所をずっと探して彷徨いながら。

 

 正気を失っていた。けれど都合のいい母の幻覚を見て、今は目が覚めたような心地でいた。

 相変わらず身体は重いし怠いし目が回っていてコンディションは最悪だったが、それでも先ほどのような気の狂った言動はしないだろう。

 ──十中八九、空腹や寝不足による思考能力の低下だろうなぁ……と冷静に分析できるまでになっていた。

 雄英高校内で死体を出す事にならなくてよかった、本当に危なかった。これ以上先生たちに迷惑をかけたくないし泥も塗りたくないのだ。先程はその気持ちを忘れていた。

 眺め続けていた光に焦がされそうになって瞳を閉じる。そしてその闇の中で、先ほどのことを思い出した。

 

「……怒ってるよなぁ、相澤先生」

 

 先程突き放した相澤を思い出して、操は思わず眉を下げた。

 A組を離れたとはいえ、何処かのタイミングで毎日必ず顔を合わせる教師。操は相澤からもらった優しさも、かけられた期待も信頼も全て跳ね除けてしまった。

 彼は「お前が俺をどう思ってようがどうでもいい」的なことを言っていた気がするが、操が良くないのである。なによりも気まずくて会いたくない。

 ──冷たくされるのも優しくされるのも嫌だなんて、どんなわがままだ。

 操は穴があったら入りたいということわざの気持ちを初めて理解した。そう考えながら、投げ出していた足を折って頭を抱える。

 信頼してもらって嬉しかったくせに、彼を信じきれない自分の弱さゆえに手を振り払ってしまったのだ。

 そして気が付けばまた逃げ出していた。まるでどこに行けば傷付かないのか、無意識に心が選んだようだった。

 授業でしか使わない無人の街は居心地がいいけれど、酷く虚しい。逃げている自分が情けなく、安心してしまうのが憎たらしい。

 

『操、お前の兄は有名だ。雄英高校の生徒は全国的に目立つから、操とステインの関係に気が付く者も必ずいるだろう。

 お前の行く道は、時に酷く険しいものになるかもしれない』

 

 脳裏に虎との記憶を思い起こす。

 ──ヤワラさん。茨の道にはトゲがたくさんあって、それが刺さってすごく痛いよ。

 獣道なら獣に見つかって噛み付かれているだろうし、山道なら地滑りか何かで土砂に埋まっているだろう。

 薄氷の上を歩いているどころか薄氷は割れて今はもう溺れているし、背水の陣というより全方位水に囲まれている状況だ。

 何処へ行っても逃げられないような感覚に、逃げることは決して許されないような状況。操はどうすればいいのかわからなかった。

 

「……お腹すいたなぁ、」

 

 こんな時でも、身体は当たり前のように空腹を訴える。生きているから当然なのだけれど、その飢えは理性を食らおうとするのでこの状況下では酷く邪魔であった。

 このままでは良くないのはわかっている。大丈夫だと虚勢を張りたいけれど、大丈夫じゃない事なんて自分が一番よくわかっている。

 でもコンビニやスーパーで何も売ってもらえず、学食にも行けないので操にはどうしようもないのだ。

 身体を蝕む飢えが、抉り取られた心までも食らおうとする。ジクジクと痛み、てらてらとした赤黒い心の断片に牙を立ててくる。その感覚に耐えきれず、操は目を閉じた。

 皮肉なことに、どれだけ苦しくて倒れたくても兄という鎖が自分を繋ぎ、倒れることを許してはくれなかった。

 ──痛くて、苦しい。

 親に殴られた時よりも、自分で手首を切った時よりも、兄との訓練でたくさん怪我をした時よりも、今が一番痛くて辛かった。

 だれか、私を──。

 

「────。」

 

 その四文字の言葉は泡となって消えていく。それを言う資格は、私にはないと思ったから。

 けれど確かに、その言葉は届いていた。

 

 

「操ちゃんだ、こんなところで奇遇だね!」

 

 寄りかかっているフェンスの後ろから声をかけてきたのは大きな男で、操の肩は驚いて揺れてしまう。しかしその人物を視界に入れて、強張っていた身体の力を徐々に抜いていった。彼は雄英高校に入学したその日に出会った、通形ミリオであったから。

 彼は操と目が合うと軽々しくフェンスを飛び越えた。その大きな身体は操に影を作り、視界から空を隠していく。つぶらな瞳は依然変わりない色をしていて──彼はステインのことを知っているのか知らないのか、どちらなんだろうと操の心に巣喰う恐怖が騒めいている。

 しかし操が俯くよりも先に、ミリオは不思議そうに首を傾げた。

 

「なんでこんなところにいるの?危ないよ?」

「えっと……その……」

「……うーん、理由はよくわかんないけど──よっ」

「!?」

 

 「正気を失って飛び降りようとした」なんて言えるはずもなく、口ごもりながら視線を彷徨わせれば突如高くなる視線。そして太い腕に支えられて浮いた身体。

 驚いて声を上げる間もなく、ミリオは操を抱き上げてそのままフェンスを飛び越えた。そしてそのままフェンスの内側に優しく下ろしたのだが、力の入らない足のせいで操は地面に座り込む。

 そんな操の横に片膝をついたミリオは太陽の光を遮っているからなのか、金髪に光が反射してキラキラと光っているように感じた。

 

「ううん、ゴホン」

「?」

「──はじめまして(・・・・・・)、お嬢さん」

「……?」

 

 ──何を言っているんだ? ミリオの意図がわからず、操はその瞳をじっと見つめた。

 ミリオは以前私に会ったことを忘れたのか?いや、さっき名前呼ばれたからそれはないよな……?

 そんな操の考えを吹き飛ばすかのような、彼は初めて出会った時と同じように曇りのない、太陽のような笑顔を浮かべている。

 正面から吹いた優しい風が、顔にかかっていた髪をさらって頬を撫でた。

 

「俺の名前はルミリオン!ヒーロー、ルミリオンだ!」

 

 驚きのあまり丸くなった操の瞳を見て、ミリオはここに来た経緯を思い出したのだった。

 ──通形ミリオは授業が終わり、クラスメイトと共に食堂へ向かっていた。その途中で、天喰環とぶつかって走り去る操の姿を見かけた。

 操の存在に気づいたのは環とぶつかったほんの一瞬で、目も合わなかった短い時間だった。けれどその一瞬、操の顔を見たミリオは後を追いかけずにはいられなかったのだ。

 彼女の心は傷だらけで、赤い血液がとめどなく滴り落ちているように感じた。その瞳は涙を流していなかったけれど、泣いているように見えたのだ。

 ──ヒーロー科一年A組の赤黒操は、ヒーロー殺しステインの妹らしい。

 その噂はあまりに有名なのでミリオも当然知っている。彼女が兄と同じくヴィランと呼ばれているのも、雄英高校で過ごしていれば嫌でも耳に入ってきたから知っている。

 けれどミリオは操がヴィランだとは思わなかった。だって彼女はこんなにも救いを求めた瞳をして、苦しくてもがいているのだから。

 

「……ルミリオン?」

「そう、俺のヒーロー名」

 

 だからミリオは笑顔を向ける。

 傷だらけの操を怖がらせないように、安心させるように。

 

「キミの名前は?」

 

 その問いにはなんの意味があるのか疑問に思うかもしれない。知っている人の名前を再び聞くことに、なんの意図があるのかと思うかもしれない。

 通形ミリオは知っているはずだ。赤黒操の名前を、そして操がヒーロー殺しステインの妹だと知っているはずだった。

 ──それなのに、お前は()の名前を聞くんだな。

 

「……わたしは、私は、赤黒操」

「うん、それで……なんて呼べば良いかな?」

 

 ──ステインの妹ではなく、()を見てくれるんだな。

 

「気軽に、操ちゃんと呼べ……!」

「オッケー!なら操ちゃんって呼ぼうかな!」

 

 これは茶番だ。

 知っている事に対して知らないフリをするなんて、茶番以外の何ものでもなかった。

 それでも意味はあった。少なくとも、操にとっては意味のあるものだった。

 その茶番はステインの妹ではなく、ただの赤黒操として見てくれたような気がしたから。そして操の元にヒーローは来ないという根底を覆したものだったから。

 眩しいのに焼き焦がす事のない温かい笑顔に、操は救われたような気がしたのだ。

 ──消えたはずの「たすけて」の四文字は、確かにルミリオンに届いていた。

 

 風が優しく二人を撫でて、その場には暖かな日差しが降り注ぐ。

 地獄の底で焼け焦がされる瀬戸際に、消えそうな操を照らした一筋の光は太陽よりも眩しく、それなのに太陽よりうんと優しかった。

 操が助けを求めて手を伸ばさなくとも、その手を力強く握った一人のヒーロー、ルミリオン。

 偶然(・・)操の前に現れたヒーローに、何とも言えない感情が湧き上がって──操の腹部はくぅーっと情けない声を上げたのだ。

 

「アハハハ!漫画みたいにお腹が鳴ったね!」

「だってお腹すいたんだもん……」

 

 ルミリオンがどれだけ温かい光であろうとも、地獄から掬い上げるような優しさを持っていたとしても、それで腹を満たすことはできない。

 思い出したかのように飢えを訴えた操の身体に、ルミリオンは面白そうに笑顔の花を咲かせている。操はその様子に、ちょっとだけ拗ねた。

 

「生きている証拠だね!いいよ、ちょっと待ってて!」

「え?ちょ、ルミリオン……!」

 

 しかし彼は勢いよく立ち上がると、操の横を通り過ぎ階段を駆け下りていった。思わず視線でその背を追うけれど、その背中が完全に見えなくなった所で操は立ち上がる。

 力が入らなかった足はしっかりと操の身体を支えている。一歩進めばちゃんと歩き出した足でフェンスの前まで辿り着き、二つの瞳でもう一度向こう側を見下ろした。

 そこには何もなかった。

 そして操は、もう一度ここを越えようと思わなかった。

 

 見上げた空は澄みきっていて、なめらかな玻璃のような青が鮮やかに広がっている。その中央に鎮座する太陽は、今も輝きを放って空をきらめかせている。

 けれど不思議なことに、身体を焦がすような熱さを感じることはなかった。

 幼い頃に部屋の中から、そして路地裏から見上げた空は何処にいても、そしてどんな時でも変わることはなく依然として美しい。見上げればいつだって、私を見守っていてくれる。

 

「腹が減るのは生きている証拠、か……」

 

 自分の存在が、誰にも望まれず生まれ落ちた命だったとしても。そこに当たり前にあるべき愛と祝福が無かったとしても。

 生まれてきた意味がわからなくて、操は生きてきた意味を兄に求めようと傷だらけになりながら、必死に背を追い走り続けてきた。

 生きていることを誰にも喜ばれなかったのに、生きるために必死に命を燃やした幼い頃。生きようとしがみつく事を決して諦めなかったあの時は、常に心の炎に薪を焚べていた。

 ──今の私はどうだろう。

 昔と同じように、生きていて喜ばれることはない。むしろ死を望まれることの方が多いだろう。

 地獄だと思っていたあの部屋で、居場所を求めて扉の先へ手を伸ばしたのに。扉の向こう側は決して優しいものではないと私は理解してしまった。

 必死に薪を焚べている幼い頃の私にそう告げたら、彼女はなんと答えるだろうか。

 

「操ちゃんお待たせ!」

 

 空を眺めつつ想いを巡らせていれば、ルミリオンが再び背後から声をかけてきた。どうやらこの場へ戻ってきたらしい。

 彼の両手には二本のペットボトルといくつかのパンがあり、そのうちのパンをひとつ、操に手渡した。

 操は手渡された焼きそばパンを両手で受け取るけれど、食べるのに躊躇してしまう。ごくりと喉がなって視線は釘付けなのに、どうしてか操の両腕は石になってしまったかのように動かなかったのだ。

 

「食べないの? 先輩からの奢りだよ、遠慮しなくて良いのに」

 

 大きな手がパンを奪って封を開ける。そして口元に押し付けられるように渡されたのでそれを受け取って一口、そして二口と食べればもう止める事は出来ず、操は無心でパンを食べ続けた。

 

「うん、良い食べっぷりだ」

 

 久しぶりの食事は涙が出そうなくらい美味しかった。

 お礼も言わず無心になってパンを食べている操に気を悪くすることなく、ルミリオンはそれを眺めて笑っていた。そして隣で、同じようにパンを食べる。

 パンが無くなったところで手渡された飲み物も全部飲み干してしまった。「これも半分こする?」と見せられたチョコスティックパンも遠慮なく齧り付き、二人で三本ずつ食べた。

 食事のおかげか、なんだか思考がクリアになってきた気がする。

 ──なぜ子どもがこんな仕打ちを受けなければならないのだろうな。

 操が赤ん坊だったあの時、両親に対してそういった兄貴をぶん殴ってやりたい。何で妹ってだけでこんな仕打ちを受けなくてはならないんだって。

 なんだか悲しみを通り越して、怒りが湧いてきたのだ。

 

 でも、だからこそわかる。こんな私を助けようと差し伸べる手が、どれだけ貴重で尊いものなのか。

 ──よく考えれば、操に最初手を差し伸べてくれたヒーローはインゲニウムだった。

 あの時の操は差し伸べられた手に気づかず、その手を取らなかったけれど。彼は確かに操を心配してくれたヒーローだったのに。その手を取ることなく、彼のヒーローとしての側面は死んでしまった。

 操は手を差し伸べる勇気も、取ってもらえない寂しさも、救えない無力さも知っている。

 インゲニウムもあの時、そんな気持ちになったのだろうか?

 

「……ルミリオン」

「なに?」

 

 そしてお礼を言われることの嬉しさを、操は知っている。

 だから今度はちゃんと伝えよう。

 あの時言えばよかったと、二度と後悔しないように。

 

「ありがとう」

 

 真っ直ぐ目を見て、そう告げた。

 ポカンとした彼の表情は、その言葉を飲み込むと一瞬にして色を変えていく。何よりも眩しく、誰よりも温かい笑顔になる。

 

「──どういたしまして!」

 

 今のミリオにマントはないけれど、操の傷だらけの心はそれに包まれていた。

 痛くて辛くて苦しんでいる人がそこにいるなら、助けるのがヒーローとして当然のことである。その人がどんな血縁で、どんな生まれで、どんな個性なのかは関係ない。

 そんな誰かを救うために、ルミリオン(ヒーロー)は存在しているのだから。

 

「そろそろ昼休み終わるけど、教室戻ろっか!」

「あー……私は、教室より先に行きたいところがあるんだ」

「行きたいところ?」

「……相澤先生のところに、行かないと」

 

 ミリオと話していて思ったのだ。操に手を差し伸べてくれた人は、ミリオだけじゃないのだと。

 相澤は体育祭が終わったあの日から、ずっと操のことを心配していた。側で見守って、いつだって助けようとしてくれていた。

 操は一度その手を振り払ってしまったけれど、酷い八つ当たりをして癇癪を起こしてしまったけれど、今からその手をとりに行っても遅くないだろうか。

 

「なにか約束でもしてるの?」

「ううん、会いたいから会いに行く」

「……なるほど!じゃあ一緒に行こうか」

「いや、別に一人でいいんだけど」

「いいからいいから!さ、行こうか!」

 

 ミリオに背中を押され、操は市街地演習場を後にする。その後職員室に向かうまで何故か遠回りをして人気の少ない道を進んだけれど、その間も二人の会話は途切れることはなかった。

 それはひとえにミリオのコミュニケーション能力のおかげなのだが、学校に対して僅かな恐怖を覚えていた操にとっては有り難いことであった。

 そしてやってきた職員室前。

 一人でいいと大口を叩いたけれど、正直ミリオが一緒にいてくれるのは心強かった。

 入った瞬間教員たちから冷たい視線が送られたらと思うと、立ち向かう足は震えてしまう。でもそれはきっと間違いなんかじゃ無い。

 生きているからこそ人は飢え、恐怖を感じるのだ。それを勇気に変えて立ち向かうことは、決して恥ずかしいことなんかじゃない。

 幼い頃から私はそうやって生きてきた。貰った優しさに一つ一つ気付かされながら、そうやって今も生きている。

 息をしている意味を探しながら、今日も生きている。

 

「あ、相澤先生」

 

 職員室は先ほど打って変わって忙しない空気が広がっていた。しかしそれは張り詰めたようなものではなく、授業前故の日常的なもの。

 そして相澤は先ほどと同じ席に座っていた。操はその横に立って、言葉を詰まらせて視線を彷徨わせる。

 

「その、えっと……」

 

 操は誰かと喧嘩をしたことがない。言い合って仲違いしたり、泣かせたり、それに対して謝ったこともない。だから先程酷いことを言ったけれど、どう切り出せばいいのかわからなかった。

 けれど相澤は操を真っ直ぐ見たまま視線を逸らさなかった。だから操も決心して、その瞳をまっすぐに見つめる。彼の瞳が冷たい色になるのが怖いけれど、それでも真っ直ぐ見つめ返した。

 相澤に伝えたいことがあったから、恐怖を勇気に変えた。そして想いを言葉に乗せていく。

 

「さっきはごめんなさい……」

 

 情けない声だった。

 小さくてか細くて、笑ってしまうくらいに震えている。

 それでも相澤も、隣にいるミリオも。職員室にいる教員たちも、誰も操を笑わなかった。

 

「別に怒ってない」

「うん……」

「……それをわざわざ言いにきたのか?」

「うん……あと、さっきのやつ食べるからちょうだい……」

「(まだ(・・)食うのか)」

「(まだ食べるんだ)」

 

 相澤に両手を差し出せば、その手に乗せられるゼリー飲料。冷たくて独特な感触のそれを、操は大切に受け取った。

 

「ありがとう、先生」

「そんなもんしかあげられないけどな」

「これ、食べたことないから気になってたんだ。だから嬉しい」

「……そうか」

 

 プレゼントマイクだったらここで頭を撫でただろう、ミッドナイトだったら寄り添って背中を軽く叩いただろう。相澤はそう思いつつも、そういうのは不慣れで出来なかった。

 けれど彼の不器用な優しさはちゃんと操には伝わっていた。少しだけ眉を下げて偽りなく笑ったのが、その証拠だった。

 操の本当の笑顔を見て、相澤は少しだけ、誰にもわからないように本当に少しだけ口角を上げたのだった。

 

 

「さァ!授業に遅れるからそろそろ行くわよ!」

 

 相澤と手の中にあるゼリー飲料を交互に眺めて少しだけ頬を緩ませていた操の背後に、いい笑顔のミッドナイトが立っている。

 彼女は相澤と同じく操の側でずっと様子を気にしていた教員の一人だった。操が相澤に掴みかかったところも、そして謝ったところもバッチリ見ている。

 恐怖を乗り越え勇気を振り絞った一人の生徒の成長に、心の底から安堵したし喜んでいた。

 けれどそれだけで問題は解決したことにならない。だから操の次の授業を担当するミッドナイトは、せめて悪意から彼女を守れるように教室まで一緒に行くことに決めたのだ。

 

「え……あ、ミリオ……!」

「操ちゃん、またね!」

「──うん、またね」

 

 同じように職員室から出たミリオは操とは逆の廊下を進んでいく。その背を慌てて引き止めれば、彼は大きな手を左右に振って笑っていた。

 操は廊下の角を曲がってミリオが見えなくなるまで、見送る彼を何度も振り返っては手をふり返した。そんな様子の操をミリオは困ったように笑い、ミッドナイトは微笑ましく眺めていた。

 

 

「とはいっても赤黒さんはだいぶ先進んじゃってるのよね〜……もしかして予習してる?」

 

 場所は変わって一人ぼっちの教室。正面に座るミッドナイトは授業が始まったにも拘らず教科書を開くことはなく、腕を組んで操を眺めている。

 

「してるよ。勉強はそんなに得意じゃないからな」

「真面目ね!でもかっ飛ばし過ぎだから少し休んでもいいんじゃないかしら?」

 

 カーテンを揺らし、教室には柔らかな日差しが差し込んでいる。

 それに照らされた操の顔色は午前中に比べたらうんと良くなっていたけれど、瞳の下に刻まれた黒い影が消えることはなかった。

 しかしミッドナイトの言葉を聞いた操は、眉を寄せて俯いた。

 

「休む?ちゃんと家で休んでるから問題ないよ。みんな授業してるのに、私が休むわけには──」

 

 その言葉を聞きながら、ミッドナイトは個性を使う。

 漂う眠り香に包まれた操は重たくなった瞼を瞬かせ、必死で眠気に抵抗している。

 

「……やすむ、なんて……そんな、の……ゆるされないよ……」

「いいのよ、私が許してあげるわ」

 

 しかし操は眠気に耐えきれず、ゆるゆると机に突っ伏していく。その頭をするりと撫でて、ミッドナイトは優しく笑った。

 本人は休んでいると言っていたが、家では休まらないのだろう。体育祭の時より痩せたし窶れているのがその証拠だ。

 隈も酷く集中力も欠け、表情だって暗い。人と話すときは笑顔でいる努力をしている様だが、作り物のそれが逆に痛々しい。

 ステインの犯行は操の意志でコントロール出来るものではない。

 それなのに加害者の家族というだけで彼女が責められるのは理不尽だと思う。彼女が責められどれだけ傷ついても、その先に何も良いことは生まれないのに。

 事件と直接関係ない人を責めても、次の事件が防げるわけじゃないのに。

 

「おやすみ、せめて良い夢を」

 

 だから安全な場所で、どうか幸せな夢を。

 寝息を立てる彼女の髪を梳いて、ミッドナイトは切に願った。

 

 

 

 

 ──気がつくと、操は大きな背中を見上げていた。

 その背中はひどく懐かしいものであり、突然のことに理解が出来ず辺りを見渡してしまう。

 そこにあったのは懐かしい駅の風景だった。頬を撫でる風、暖かな木漏れ日、澄み切った青空。そして、演説をしている赤黒血染の後ろ姿。

 これは操の中にある、やさしい記憶の断片だった。

 ──これは夢だろうか? そう思ったけれど頬を撫でる風がやけにリアルで、見上げた木々に止まった小鳥が枝を揺らして葉を落としていく。

 そして飛び立った小鳥の背を見送って、操はもう一度『英雄回帰』の演説を行う兄の姿を眺めた。

 兄が道行く人にチラシを配っても、そのチラシは冷たい目をした人々に捨てられていく。踏み躙られて、ゴミになる。

 操はたまらずベンチから飛び降りて、小さな身体を必死に動かして踏み潰されたチラシを拾い上げた。それを丁寧に伸ばして、両手で大切に持つ。そして静かに見下ろす兄の目の前に立って、彼を見上げた。

 ──私の作り出した都合のいい夢でも何でもいい。ただ操は、ずっと前から兄に聞きたかったことがある。

 幼い頃の操は、兄の思想が誰に理解されずとも自分だけは味方でいようと思っていた。操の味方は兄だけだったし、いつ消えてもおかしくない命を繋いでくれた、大切な人だったから。

 だから操は兄と共に、地獄の底まで堕ちようと思ったんだ。

 

「操か、俺は今忙しい。邪魔を──」

「お兄ちゃんは、どうして私を助けたの?」

「……」

 

 刹那、駅前で演説をしていた兄はゆらりと消える。

 そして辺りは薄暗い路地裏へと変化し、目の前には仮面をつけたスタンダールが現れた。

 

「あれはお前を助けたのではない。社会に蔓延る悪を断罪したまでだ」

「……じゃあさ。もしあの時止めていたら、私が襲われなかったら。お兄ちゃんは人を殺さなかった?」

 

 刹那、ゆらめく。

 血に染まったスタンダールが仮面を外し、それを地面に投げ捨てる。仮面の下からはステインが顔を出した。

 

「お前がいてもいなくても……俺がこうなる事は決まっていた……!」

「……そうだよね。本当、運命はクソだよね」

 

 兄がステインになることは決まっていた。

 そこに操の存在なんて関係なく、こうなる運命だった。

 操は自身に向かって投げられた刃物を片手で叩き落とした。もうあの時のような弱い私ではない。兄の背中を追いかけるだけの私じゃない。

 

「許さないよ、お兄ちゃん」

 

 いつの間にか、路地裏は二人で過ごしたアパートの一室へ変化していた。

 開いた窓から入ってくる風がカーテンを揺らしている。外は深い闇が渦巻いている。

 小さかった操はいつの間にか大きくなっていた。見上げていた兄を真っ直ぐ見つめて、想いを言葉に乗せていく。

 ギラギラと鈍く光る瞳を刃物のように鋭く細めた兄は、それで操を射抜いた。たった一つの信念のために全てを捨てた兄の瞳が、ぐるりと渦巻いた。

 

「──ほう、ならば問おう」

 

 血だらけの兄が、電気の付いていない部屋の中で操に問いかける。

 それはあの日の再現だった。

 けれど一つだけ違うのは、操があの時よりうんと成長したということだった。

 窓から吹き込む風がカーテンを揺らし、月明かりが朧げに室内を照らしている。

 

「貴様の信念と、覚悟を!」

 

 ──私の答えは決まっている。

 あの時と同じように兄を止めるため?それとも兄に人を殺してほしくないから?──いいや、違う。

 操はたくさんの人に出会って、いろんな感情を知って、あの時とは見違えるほど成長した。

 叛逆の狼煙は既に上がっている。USJの時から既に、自分勝手な信念で力を振るうと決めたのだ。

 二人で過ごした日々が悲しい過去にならないように、戦うと決めたのだ。

 

「私は────!」

 

 

 

 

「起きろ、赤黒」

 

 肩を揺すられて、操は目を覚ます。

 視界には見慣れない天井と蛍光灯、そして相澤の姿があった。

 暗いアパートの一室もそれを照らす月明かりも、血だらけのステインもそこにはいなかった。先程の光景は夢だったのだと、操は改めて実感した。

 

「……先生、いま何時?」

「七時間目が終わったところだ」

「はぁ!?」

 

 驚いて思わず飛び起きれば、操の身体から布団がずり落ちて──いや、なんで布団!?

 混乱しつつも辺りを見渡せばいつもの広い教室に、ぽつんと置かれた一つの机。そして窓際にあるベッド。勿論、操はその上にいた。

 結いていた髪はほどかれ、ネクタイは枕元にあり、首元のボタンがひとつ外されている。上履きもベッドの下にお行儀よく並んでいた。

 

「それやったのミッドナイトさんだからな」

「……」

 

 相澤のその言葉に、操の脳内に現れたミッドナイトはこちらに向かってウインクを飛ばしていた。

 彼女の個性"眠り香"によって眠らされたのだろう。五時間目の授業が始まってすぐの記憶が最後である事から、操は三時間以上寝ていたことになる。

 ──どうりで、体の重さも怠さも感じないわけだ。

 

「それと……このベッドはどこから……?」

「寝てたから運んでもらった、気にすんな」

「いや授業……」

 

 スッと相澤の目が細められ、操は反射的に口を閉じた。A組の生徒として、操も例外なく訓練されているのである。

 相澤は操が黙ったのをいいことに、一番気になっていたことを聞くことにした。

 

「……よく眠れたか?」

「なんかお兄ちゃんの夢みた」

「……」

「あ、悪い夢じゃなくて……懐かしい夢だったんだ」

 

 決していい夢ではなかったけれど。

 それでもあれは操の原点で、幼い頃の全てだった。

 赤黒く血に染まっているけれど、兄と二人で過ごした大切な過去だった。

 

「先生、お兄ちゃんは私の全てだったんだ」

 

 真っ直ぐ過ぎて融通が利かなくて、その上メンタルはダイヤモンド。そして自分の信念にそぐわない者は斬り捨てる、どうしようもない人殺し。

 

「それでも私にとって、今でも大切なお兄ちゃんなんだ……おかしいよね……」

 

 命の灯火が消えそうな操に、薪を焚べたのは兄だ。

 その瞳に温かさはなかった。けれど、冷たくもなかった。

 手を伸ばしたら助けてくれた。誰も助けてくれなかったのに、兄だけは操を助けてくれたんだ。

 一緒に罪を背負って地獄に堕ちてもいいと思うくらいに、操は兄のことが大好きだったんだ。

 

「でもね、でもね……嫌いじゃないのに、許せないんだ……」

 

 大切で大好きで嫌いじゃないのに許せないだなんて、我ながらどうかしている。

 自分の感情が理解できなくて、操は視線を落とした。視界に入った指先はささくれだっていて、心にぽたりと墨が落とされ広がっていく。

 飯田の家族を傷つけた兄を「大切」だなんて、軽蔑されるかもしれない。

 それでも操は心からこぼれ落ちた本音を、決して偽りたくはなかった。

 相澤に対しても、自分に対しても、兄に対しても。ちゃんと向き合いたかったから。

 

「……大切だからこそ、許せないんだろう」

 

 相澤のその言葉は不思議なことに、埋まっていなかったパズルのピースがハマるようにしっくりくるものだった。

 ──そうか、私は。お兄ちゃんのことが大切だから許せないのか。

 大切だから、操が嫌だと思うことをしてほしくないんだ。置いていったことにも怒っているし、人を簡単に殺すことも、傷つけることも許せないのだ。

 大切だからそれを直してほしくて、この気持ちを理解してほしいのか。

 

「……それって変じゃない?」

「別に変じゃねえだろ」

「……そっか、なら、うん。よかった」

 

 消せない過去から這い出す必要はない。

 わからなくなっていた気持ちの分別が、ようやくできたような気がして操は顔を上げたのだった。

 

 

 

 操が気持ちの整理をつけていると、静かだった部屋にノック音が響き渡る。言わずもがな、この教室の入り口である扉が何者かによって叩かれたのだ。

 操の心臓が少しだけ音を立てるが、相澤はそんな操の気持ちを知ってか知らずか扉へ向かっていく。

 そして彼は扉を開ける前、操へ振り返る。

 

「一時間後にまた来る、それまでに帰る準備しとけよ」

「え……?」

 

 そう告げて操の返事を待たずに扉を開け放った。そして扉の先にいたのは──。

 

「操ちゃん!」

「やっと会えたよ〜〜!!」

 

 目を引くピンク色の肌に、浮かぶ制服。

 操がそれを理解する前に、彼女たちは操に向かって駆け寄っていて──気がつけば操は二人によって力一杯抱きしめられていた。逃げないように、逃さないように。

 ──心臓の音が複数聞こえる。柔らかくて、温かい。

 現状がうまく飲み込めていない操はそんなことを考えていたのだが、温かな体温の向こう側に複数の声が聞こえ、放心したまま入口に視線を向けたのだった。

 

「すげぇ、この教室ベッドある」

「赤黒〜!めっちゃ久しぶりじゃん、なんか痩せた?」

「それセクハラだよ上鳴」

「えっこれセクハラなの!?ごめん!」

「でも確かに痩せたようにみえるわね」

「久しぶりですわ、操さん」

「ね、寝起きの赤ぐ……ゴフッ」

「ブレねーな峰田……」

「ナイスだ梅雨ちゃん!」

 

 視線の先には、全員ではないけれどA組のクラスメイトがいた。

 心配そうな、安心したような、辛そうな、いつもと変わらないような……クラスメイトたちはそれぞれ色々な感情を瞳にのせていた。ただ、誰一人として冷たい瞳をしている者はいなかった。

 目を瞬かせても擦っても、彼らは消えることはなかった。つまり、これは操が見ている都合の良い夢ではないということだ。

 一人ぼっちで一つの机しかない教室の筈なのに、いつも通りの、体育祭前と同じような光景にA組の教室を錯覚してしまう。

 操を抱きしめる芦戸と葉隠の二人も、この教室にいるクラスメイト達も。何故ここにいるのかわからなかった。ただ、久しぶりの感覚に心の底から温かい何かが湧き上がってくるような気がしたのだが──。

 ──ヴィランの友達はヴィランなんだろうね。

 脳裏に浮かんだ言葉が、操の気持ちの邪魔をする。

 

「私と一緒にいない方がいいと思うけど」

 

 そして開口一番に飛び出した言葉は、なんとも可愛くないものであった。

 その言葉に、クラスメイトたちの動きが一瞬にして固まっていく。自分の言葉のせいなのに、操は心臓が掴まれたような気持ちになって目を伏せた。

 

「──そんなの関係ないよ!」

 

 操から離れて、肩を掴んだまま葉隠が声を上げる。

 その声に顔を上げれば、操にくっついていた芦戸もゆっくりと離れ、俯いていた顔を上げた。

 その瞳には大粒の涙を浮かべていて、操は次々と頬を伝って流れ落ちるそれに、釘付けになってしまった。

 

「私たちが一緒にいたいと思ってるだけなのに、操ちゃんはどうしてそんなこと言うの!?」

「……、」

「操ちゃんのバカ!アホ、マヌケ……っう、ええぇぇぇ!!」

 

 突然泣き出した芦戸に、操はどうしていいのかわからなかった。ただ黙って、頬や顎を伝って落ちていく涙をじっと見つめることしか出来なかった。

 すると八百万が芦戸の隣にやって来て、ハンカチを差し出しその背中をそっと撫でる。そして操を見て優しく微笑んだので、それを見て少しだけ安心した。

 

「……操ちゃんさ、前マスコミが来た時"自分のことは自分しか助けられない"って言ったの覚えてる?」

 

 葉隠が言っているのは学級委員決めの後、食堂で起こったマスコミ侵入事件の事だった。葉隠と二人だった操は人の流れに飲み込まれないため、食堂の机の上に避難した記憶がある。

 事件のことは覚えていたが、自身が話した内容までは覚えていなかった。

 ──そんなこと言ったっけ?

 そう思ったけれど「自分の身は自分で守るしかない」というのは操に深く根付いた思いであるため、恐らく言ったのだろう。なので頷いておく。

 

「あの時言えなかったこと、今から言うね!」

 

 ──何かあった時、自分を助けられるのは自分だけだよ。

 

「そんなことない!操ちゃんが苦しんでたら、私たちが救けるよ!」

 

 驚いて目を丸くした操に、葉隠の手が伸ばされる。そして操の手を離さないように、振り解かれないように、強く握りしめた。

 

「私さ、透明なだけで頼りないと思うけど、すっごく弱いけど……! でも、操ちゃんを傷付ける奴がいたら、絶対にぶっ飛ばしてやるんだから!操ちゃんが傷付かないように、守ってあげるんだから!」

 

 操の手を握りしめる葉隠の"見えない手"は震えていた。声だってそうだ。時々鼻水を啜っているから、葉隠も芦戸と同じように泣いているのかもしれない。

 ──助けてあげるなんて、守ってあげるなんてはじめて言われた。

 心の中を一瞬にして鮮やかに色付けるようなその言葉に、操の心が騒ぎだす。

 けれど自分には眩しすぎて勿体無いと思った。ゴミを漁って兄の犯行を見過ごした自分には、そんな言葉を受け取る資格なんてないと思った。

 

「……私は、守られる資格なんてないよ」

「何で……何でそう思うの?」

 

 芦戸が涙を拭って、操をまっすぐに見つめる。

 拭ってもこぼれ落ちる涙を見て、操はその先の言葉が紡げなくなる。

 

「わからず屋な操ちゃんに教えてあげる。操ちゃんが好きだから、大切だから!一人で悲しんで欲しくないの、一人にしたくないの!わかった!?」

 

 わからないよ、だって私は──

 

「──私は、ステインの妹だよ?」

「「それがどうした!!」」

 

 強い言葉で跳ね除けられた。

 ヴィラン(ステイン)の妹だなんてどうでもいいのだと、操の言葉も心の壁も、たった一言で跳ね除けられてしまった。

 もはや操に退路はなかった。色鮮やかな言葉も温かな想いも受け止めるしか、選択肢は無かった。

 そう言ってもらえて嬉しいのだと、認めざるを得なかった。

 

「ステインの妹だとしても、私たちは"操ちゃん"が好きなんだってば!」

「もー、本当わからずやなんだから!」

「頑固すぎ!いい加減観念しろ〜!」

 

 強がってばかりで涙も見せず、信じることが怖くて手を伸ばさない操の手を、二人は握る。

 ──操ちゃんには笑っていてほしいから。操ちゃんと一緒に笑っていたいから。

 私たちが側にいて守るから、強がらなくていいのだと、この想いが伝わればいい。

 どんなに世界が変わったとしても、きっとその想いだけはずっと変わらない。

 

 揺れる操の瞳は、やはり涙を流さなかった。

 けれど一度俯いて、再び顔を上げた時。

 眉を下げて頬を緩ませている彼女を見て、二人はやっぱりその笑顔が好きだと思ったのだ。

 

「私達からもいいかしら?」

「声かけるの、遅くなってごめん」

「飯田さんのことも、これからどうしていくのかも、一緒に考えていきましょう!」

 

 芦戸と葉隠の言葉を皮切りに、皆口々に思い思いの言葉を、ずっと言えなかったことを音にしていく。

 それを一つずつちゃんと聞いて、受け止めて、操はふとある日の記憶を思い出した。

 ──あなたは一人じゃない、それだけは忘れないで。

 そう教えてくれた四人のヒーローを思い出して、操は手首のバングルをそっと撫でた。

 

 自分の存在が、誰にも望まれず生まれ落ちた命だったとしても。そこに当たり前にあるべき愛と祝福が無かったとしても。

 生きていることは誰にも喜ばれないと思っていたのは操だけで、本当は、こんなにも望まれていただなんて。

 ──こんなの、忘れたくても一生忘れられないだろうな。

 今日という日を、操は一生忘れないだろう。

 操の目の前で笑うクラスメイト達を見て、そう思ったのだった。

 

「てか学食全制覇の約束、破るつもり?」

「それは嫌だな……まだ食べたいメニューがある」

「一人で食べるより三人で食べた方が美味しいよ!」

「うん……そうだね」

 

 操は二人の手をそっと握り返した。

 涙でぐちゃぐちゃになった顔を見つめて、思わず頬を緩ませる。

 心配して泣いてくれることが嬉しいなんて言ったら、彼女達は怒るだろうか。

 

「無視してごめんね」

「ほんとだよ、連絡もスルーされるしさぁ」

「スマホは……数日前に電源が切れたんだ」

 

 そういえばスマホはブレザーの中で冷たくなっていた。

 存在をすっかり忘れていたそれを取り出して見せてみれば、二人は顔を見合わせて呆れるように笑った。

 

「上鳴ぃー、操ちゃんのスマホがまた息してないんだけど」

「スマホ携帯してても充電なきゃ意味ねぇだろ!」

「俺をAED扱いするんじゃありませんって何度言えばわかるんだか……」

「そこを頼むよ上鳴くん!」

「ったく、仕方ねぇなぁ〜!」

 

 文句を言いながらも嫌そうな顔は浮かべず、上鳴は笑って操のスマホを受け取った。

 鞄からモバイルバッテリーを取り出して、慣れた手付きで操のスマホに繋いでいく。

 

「つーか最初から貼ってあるペラッペラなフィルムまだ剥がしてねぇのかよ」

「剥がす必要性があるのか?」

「普通は剥がして別のフィルム貼るんだって」

「そうなの?」

「そうそう、赤黒今度の土日暇?一緒に買いに行こうぜ」

「オイ上鳴ィ!テメェ抜け駆けか!?」

「ちょっと〜!ナチュラルに操ちゃんデートに誘わないで!」

「そうそう、事務所通してよね!」

「事務所って」

 

「つか、見ろこの電話とメールの数!ヤベェ!」

「多すぎてむしろ怖いな!?」

「ちょっと貸して……赤黒、何件か消していい?」

「別にいいよ」

「いいんだ……」

「非通知着拒しようぜ耳郎」

「登録してない番号も着拒する」

「そんな事もできるのね、凄いわ響香ちゃん」

「これが深淵(アビス)か……なんと愚かな……」

「でた常闇語……!」

 

 会話の速さについていけず、操はそれを聞きつつもぼんやりと眺めていた。

 けれどみんなの会話を聞き、表情を眺めるのは嫌いじゃ無かった。むしろ好きだったから、それでよかった。

 

 ──その後の時間は、いなかった時を埋めるように色々な話をしていた。

 一位の爆豪より二位の轟の指名が多かったとか、葉隠のヒーロースーツの試作ができて職場体験に着て行くのだとか、この間の授業で上鳴がアホになったのだとか。

 ブレザーのポケットから出てきたズタズタに切り裂かれた猫のぬいぐるみを見て何人か悲鳴を上げたが、事情を説明したら八百万が道具を出して直してくれた。

 ツギハギだらけだけど、ちゃんと綿が入って傷の塞がれた猫が操の手の中に返される。取れていた瞳もボタンが縫い付けられていて、その猫はとても可愛い表情をしていた。

 

「ありがとう、百」

「これくらいお安い御用ですわ!」

「しっかし悪質な悪戯すぎねぇ……?」

「悪戯ってレベルじゃないわ」

「この猫、直るとは思ってなかった……死んだスマホと一緒に土の中に埋めてあげようと思ってたんだ」

「いやスマホは埋めんなよ」

「スマホ埋めてどうすんだよ……」

 

 操一人では、スマホも猫のぬいぐるみも直すことは不可能だったろう。埋葬することに関しては、まあ──今朝の私は正気ではなかったから仕方ない。

 操はその後も、癒えた猫を両手に抱えながら相澤が痺れを切らして扉を開けるまでずっとずっと友と語らっていた。

 この先永遠に忘れることのない大切な一日を、記憶に刻み込むように。

 

 

 

 クラスメイト達と別れ、相澤によって詰め込まれた四人乗りの車の後部座席にて。

 操は助手席に座る相澤をミラー越しに見つめた。

 

「先生」

 

 声をかければ、ミラー越しに目が合う。

 

「私さっき飛び降りようとした」

 

 その言葉をいい終わるや否や、突如急ブレーキが掛かって操は前のめりになった。

 シートベルトがなければ操の顔面は前の座席に強打していただろう。操の発言に動揺を隠しきれなかった運転手が、ブレーキを踏んでしまったのだ。

 この状況に苛立ちを隠すことなく、相澤は運転席に向かって鋭い視線を向けた。

 

「……オイ」

「悪い!続けてくれ!」

 

 運転席に座るプレゼントマイクがそう謝るが、話していた内容が内容である。

 きっと勇気を出して話したことだ。普通だったら出鼻を挫かれ、会話を続けることを躊躇うかもしれない。そう思うと、プレゼントマイクは先ほどの自身の行いを悔いていた。

 しかし操は空気の読めない人間であったので特に問題はなかった。むしろ勇気を振り絞って話すというより「コンビニ寄ってほしい」くらいの感覚で「飛び降りようとした」と相澤に話していたので、プレゼントマイクの動揺など然程気にしていなかった。

 

「えっと、どこまで話したっけ……あ、そうそう、飛び降りようとしたんだけど」

「……なんで」

「消えたら楽になると思ったから」

 

 あの時、気付いたら市街地演習場にあるビルの屋上にいて、フェンスの向こう側で地面を見下ろしていたのだ。

 母の幻影を見なければ、操はここにいなかっただろう。今ごろ望み通り消えていたか、病院のベッドの上だったに違いない。それだけはなんとなくわかっていた。

 

「……今は?」

「今?別に平気だよ?」

「……」

「あ、信じてない?本当だよ?ご飯食べて寝て友達と話したら──なんかスッキリしたんだ」

 

 加害者家族がこんな清々しい気持ちになっていいのかと思ってしまうこともあるけれど、それも含めて一緒に考えようと言ってくれた友がいる。

 

「私は一人じゃないから、だから平気だと思う」

 

 私を一人にしたくないのだと言ってくれた友がいる。

 一人ではないのだと、それを忘れないでほしいと願ってくれたヒーローがいる。

 

「また無理になったとしても……うん」

 

 両手で数えきれないくらいには、操が生きている事を喜んでくれる人がいるから。

 

「きっと誰かが、助けてくれると思う」

 

 友達もミリオも、そして助手席に座る相澤も。操が傷付いたら、きっと誰かが支えてくれると信じている(・・・・・)

 どこかに逃げて隠れたとしても、きっと誰かが見つけ出してくれると信じている。

 この先どんな痛みが襲おうとも、一人で傷を負う事なく誰かが側にいてくれると信じている。

 だから操は、まだ頑張れる。

 ──正直に言おう、誹謗中傷は結構キツイ。

 明日になって学校へ向かう時、怖くて足が震えてもおかしくはない。

 でも立ち向かう足が震えていても、操はもう迷いたくなかったし、逃げたくなかった。

 操を信じてくれた人たちを、なによりも信じたいと思ったから。

 

「ずっと自分の身は自分で守るしかないって思ってたけど……私のこと助けてくれるって、友達が言ってくれたんだ」

 

「……正直私なんかがこんな言葉をもらっていいのかって、今でも不安はあるんだけど」

 

「これは私が貰った、私だけの言葉だよね」

 

 兄と二人で生きた過去が、操の全てだった。

 ──でもそれは過去の話だ。

 今の操には、兄以外にも沢山の人々が側にいてくれる。兄より弱くても、一人で戦う覚悟や信念がなくても。

 操は操のやり方で、信念を貫いて戦ってみせる。

 

「だから私は、兄の信念には絶対に負けたくない」

 

 凛とした声は、その表情は。

 沢山折られ傷ついたからこそ、より真っ直ぐで強く、清らかなものとなっていた。

 昼の時間に掴みかかってきた時とは別人のような操の表情に、相澤は胸を撫で下ろしたのだが──運転席から鼻を啜る音が聞こえて、二人は思わず音の方へ視線を向ける。

 そこには運転しながら泣いているプレゼントマイクがいて、操は不思議そうに首を傾げた。

 

「え、なんで泣いてんの?」

「俺たちだって、いつでも赤黒を助けるからなァ〜!!」

「……うん、ありがとうプレ先」

「プレ先!? お前俺のことマイク先生じゃなくてプレ先って呼んでんの!?」

「その方が文字数は少ないだろう」

「イレイザーみたいに合理的な考えすんなって!?」

 

 操にそんなつもりはなかったのだが、相澤と同じと言われて喜ばないわけがない。

 「え、そ、そんなつもりは……」とかなんとかゴニョゴニョ言いながら、ゆるむ頬をなんとか抑え、操は話題を変えるべく相澤に視線を移したのだった。

 

「ていうか先生、ねえ、聞いて! 私ね、大好きってはじめて言われた!」

「よかったな」

「うん!」

「俺も赤黒のこと大好きだぜ!!」

「あ、うん。ありがとねー」

「喜び方の差!!」

 

 そんな感じで比較的車内では明るい会話が多かったのだが、操の家に到着してからは違った。

 そもそも普段送迎を嫌がる操のことを無理矢理車に乗せたのは、SNSに書き込まれていた自宅への嫌がらせを確認するためだった。

 扉の落書きや手紙の有無などを確認し、内容次第では操をここから離すつもりで二人のヒーローは家まで着いてきたのだ。

 例え操が食事をし、睡眠をとり、友人と話して精神的に回復していたとしても見過ごしてはいけないものがある。──操が飛び降りようとしていた瞬間(・・)を見ていた相澤からしたら尚の事。

 だから二人はエントランスの中まで入って、操に不審がられても適当に受け流して着いていったのだが──。

 

 郵便受けには蓋が閉まらないほど手紙が詰まっていた。それを当たり前のように両手で抱え、操はエレベーターを使わず階段を登って行く。

 部屋の前へ辿り着けば、スプレー缶の落書きと誹謗中傷の貼り紙が所狭しと敷き詰められて扉が見えないほどになっていた。

 唯一貼り紙が貼られていないドアノブも謎の袋が掛けられていて、その中には得体の知れない何かが入っている。そして扉の前にはバラバラになったカッターの刃が落ちていた。

 思った以上に酷い惨状に、ヒーロー二人は愕然としていた。

 

「赤黒、お前……コレ……」

「あぁ、もう慣れたから平気だ」

「──っ、こういうのには慣れんな!」

 

 プレゼントマイクに両肩を掴まれ、大きな声で正面から怒られれば、それに驚いて操の肩は跳ねてしまった。

 そんな操を見てプレゼントマイクは「悪い」と謝って手を離したけれど、操は目を丸くしたままとりあえず頷いておく。

 プレゼントマイクはあくまで怒鳴ったことに対して謝ったのであって、内容については否定したくなかった。こんなものに慣れてほしくなかったし、当たり前のように受け入れてほしくなかった。

 扉の落書きも貼り紙も、そして誹謗中傷であろう手紙も。それを平然と見ている操が一番いけないと思った。

 それは操が悪いと言っているわけではなく、心の痛覚が麻痺していて危ないという意味だ。

 先程から黙ったままの相澤も、扉を見て難しい顔をしている。

 

「赤黒、ドアを開けろ」

「え……先生たち帰らないの?」

「別に泊まる予定はねぇよ」

「えぇ……開けなきゃだめ?」

「はよしろ」

「部屋、散らかってるんだけどなぁ……」

 

 鞄から部屋の鍵を取り出して解錠すれば、扉の先は家主の操ですら記憶にないほど散らかっていて、思わず二人のヒーローと共に目を丸くして驚いてしまった。

 

「うわ汚な……怖……」

「……荒らされたのか?」

「いや……多分自分で散らかしたのかなぁ……あんま覚えてないや……」

「……」

 

 部屋の中は酷い有様だった。

 まず目につくのは机の上に山積みになった手紙。それは雪崩のように崩れ、床にも散乱している。

 割れたグラスや食器が所々に落ちているし、それを踏んだのかフローリングは血で汚れている。何より狂気的なのが全ての棚や引き出し、そして扉が開け放たれている事だった。

 それを見て操は冷蔵庫の扉を一目散に閉めた。電気代が勿体ないからね……。

 そんな部屋を見てプレゼントマイクは入り口付近で絶句していて、相澤は遠慮なく部屋に上がって床に散らばった手紙を拾って読んでいる。

 ──これは気が狂うだろうな。相澤はそう判断し、操をこのままここにいさせてはいけないと思った。

 

「赤黒、なんで相談しなかったんだよ!」

「え?」

「いや……今のは言葉が悪かった。相談できない環境にいたんだよなァ、赤黒は……」

「えっと、うーんと……まあでも大丈夫だ、私は一人じゃないからな」

 

 家主の操も部屋の有様にドン引きしていたが、入り口で謎にダメージを受けているプレゼントマイクを励ますように両手で拳を作った。珍しくプレゼントマイクのテンションが低いので、驚いた操が珍しく気を遣っている。

 しかし今の操は昨日の操と違うのだ。一人じゃないと理解しているし、スマホも猫のぬいぐるみも息を吹き返している。

 そう安心させるように拳を作ったのだが、黙って手紙を読んでいた相澤の鋭い視線がこちらに向いた。

 

「そういう問題じゃねえ……おいマイク、赤黒と外いろ」

「おう」

「え?ちょっとプレ先押さないで──え、相澤先生?」

「ほら、あっちでイレイザーの高校時代の話してやるから」

「──……!」

 

 操はプレゼントマイクの甘い誘いに乗ってしまい、相澤を部屋に残して車の後部座席へと戻った。実にチョロかった。そして雄英高校に通っていた相澤の話をわくわくしながら聞いていた。

 一方相澤は部屋の惨状を見て警察、そして雄英高校に連絡を入れていた。どう考えてもこの状況は悪戯では済まされないと思ったからだ。

 エントランスにロックがかかったこのマンションでは、部外者が簡単に中へ入ることは不可能である。それは即ち、扉への嫌がらせはこのマンションの住人による犯行であるということだ。

 そんな所に生徒を置いていくほど、相澤は腐っていなかった。

 

 暫くすると警察が到着し、部屋の中や嫌がらせに対する調査が始まった。そしてそれから少し遅れて、私服姿のミッドナイトもやってくる。

 雄英高校へ連絡した際、本日操はヒーローと共にホテルへ泊らせることに決定したのだ。しかし男性である相澤やプレゼントマイクが一緒に泊まるわけにはいかず、同性であるミッドナイトに白羽の矢が立ったのだ。

 

「辛かったわよね、気付かなくてごめんね」

 

 操を見るなりそう言って抱きしめたミッドナイトだったが、当の抱きしめられた本人は瞳を瞬かせて、ミッドナイトをジッと見つめていた。

 

「……」

「なに、どうしたの?」

「ミッドナイトが服着てる……」

「いつも着てないみたいな言い方!」

 

 露出狂一歩手前のヒーロースーツを身に纏うミッドナイトの私服はあまりに普通だったので、操はそのことに驚いていた。

 けれど抱きしめられた時の温かさと柔らかさに芦戸と葉隠を思い出して、後で二人に連絡を入れようと決めたのだった。

 その後、三人のヒーローと操を乗せた車はユニシロへと向かい、操の数日分の衣服や下着など必要なものをミッドナイトが購入したのだった。

 お金が勿体ないから操は断ったのだが「あらどうして?お金は使うためにあるのよ」と微笑むミッドナイトに衝撃を受けたのであった。

 ──カッコいい。私も稼げるようになったらいつか真似しよう……そう思っていた。

 店内の試着室にて、操はミッドナイトによってパーカーとジーンズに着替えさせられ、そして帽子を目深に被せられる。

 ミッドナイトとしては、悪いことをしていない操には堂々としてほしい気持ちがあった。しかし心無い言葉を浴びせられるくらいなら、こうやって隠すことで少しでも被害を減らすべきだと考えたのだ。

 お洒落も何もしていないただの私服だが、制服やヒーローコスチュームを見に纏う姿より僅かばかり幼く見えて、ミッドナイトは思わず微笑んだ。

 

「可愛い、よく似合っているわ」

「──可愛い?」

「? ええ、可愛いわよ」

「……んふふ」

「(嬉しいのね……)」

 

 そんなやりとりを挟みつつ、二人は荷物を抱えて車へ戻ろうとしたのだが──悲しいことに、どこで聞きつけたのか店の近くでは数人の記者が張り込んでいて、目敏く操の姿を見つけては駆け寄ってきたのだ。その手にカメラとマイクを持って。

 しかし彼らが操の元へ辿り着くことはなかった。何故ならば「うちの生徒を取材するなら俺を通してもらわないと困るぜ!」と割って入ったプレゼントマイクに足止めを食らい、その隙にミッドナイトは操の背を押して車に乗り込んだから。

 するといつの間にか運転席にいた相澤が車を発進させ、その場を鮮やかに離脱することができたのだった。

 

「えっ……プレ先は?」

「マイクは自分でなんとかするだろ」

「えぇ……」

 

 ──この車、プレ先のものじゃないのか?そう思って操は困惑していた。しかし車は持ち主を置いて走り続けている。

 相澤もミッドナイトも、プレゼントマイクが操を守るため壁になったのを承知の上で置いていったのだ。この場にいるヒーローの中でメディアに対する扱いに慣れているのは彼だろう、所謂適材適所というやつだ。

 警察による確実な情報が出ていないため、テレビで赤黒操とヒーロー殺しステインの関係性を放送する事はなかった。しかし、それでも本人の証言を得ようと記者が操を追いかけては張り込んでいる。

 この状況に関しては警察に注意喚起を行って貰っているし、ヒーローも見つけ次第追い払っている。しかし記者にとって情報をいち早く手に入れるのは仕事であるため、その動きは執拗であるし、何とも言えない執念を感じてしまう。

 ヒーローだったら対応できても、まだ学生であるクラスメイト達には荷が重いだろう。別の手を考えるべく、相澤もミッドナイトも頭を悩ませるのだった。

 

「ああいうマスコミとか、赤黒さんが対応することないのよ」

「マスコミの事は割と無視してるよ」

「でもお前手紙全部読んでたろ。封開いてたぞ」

「……まぁそれは、ちゃんと受け入れるべきかと思って読んだけど」

 

 兄を止められなかった責任を感じているからこそ、操は苦しくても誹謗中傷を受け止めるべきだと思ったのだ。

 ──その結果飛び降りようとしたワケだが、それでもこの気持ちが変わることはない。

 そんな操の様子をバックミラーで確認した相澤は、隠すことなくため息をついた。

 

「お前は自分を責め過ぎ(・・)だ。そこまで責めなくていい」

「……でも、」

「受け止めることは誰にでも出来るわけじゃない。それは赤黒の美徳でもあるが、欠点でもある」

「……欠点?」

「誹謗中傷と意見は別物だ。今後誹謗中傷と意見をちゃんと見極めて、必要なものだけ受け止めろ」

 

 人としての尊厳を傷つける誹謗中傷を受けとめる必要はない。だってそれは悪意の刃であるから。操を傷つけるだけ傷付けて、何の生産性もない残酷なものだから。

 ただ、意見は大切なものであるから、受け入れる覚悟があるならそうするべきだ。厳しい意見だってあるけれど、それでも一人で抱え込まなければ、操なら乗り越えられると思うから。

 それを受け止めて、自分の学びに変えて、さらに成長できると思うから。

 しかしそれを聞いた操の表情は暗く、納得している様子はなかった。頑固で良くも悪くも真っ直ぐで、融通が利かない性格はこういうところに現れていると思う。

 ──ただ、赤黒操は人の話をちゃんと聞いて、理解しようと思う気持ちはあるのだ。

 だから相澤は、操が納得するまで向き合おうと決めていた。

 

「赤黒が誰かを助けるために進む道が二つあるとする」

 

 一つはアスファルトで舗装されている道で、もう一つは刃物が敷き詰められた道。

 

「お前はどちらに行くか選択できる。なのに自ら刃物に突っ込んで行くか?」

「……ううん、安全な道を選ぶと思う」

「それと一緒だ。自分の心もちゃんと守ってやれ」

「……こころを、」

「自分の心を守ることは何も悪いことじゃない」

 

 自分を守るために身を隠したり、行動することは決して悪いことではない。それは肉体的なものだけでなく、精神的なものだって当たり前に含まれている。

 むしろ心の傷は目に見えないからこそ、自分自身で守る必要があるのに。

 ──USJで怯えて隠れていた青山を見て笑うヴィランに、そう啖呵を切ったはずなのになぁ。

 幼い頃は理解していたそれを、操はいつの間にか忘れてしまっていたらしい。

 ただ生きたいと願う真っ直ぐな気持ちを、自ら否定してしまっていた。

 

「……うん、気をつけます」

 

 ミラー越しに合った目を真っ直ぐ見つめて、操はそう頷いた。

 そしてそのまま窓の外に視線を移して、星の見えない空を眺める。見上げた空は墨をこぼしたような暗闇だったけれど、不思議と闇が渦巻くような不気味さを感じることはなかった。

 

 

 

 初めて泊まったホテルは所詮ビジネスホテルというもので、ミッドナイト曰くそんなにいい部屋ではないらしい。

 けれど二つ並んだふかふかのベッド、窓際に並んだミニテーブルと二脚のイス。そして大きな鏡のついたドレッサーに、大きなバスタブ。ちゃんとトイレとお風呂が分かれていて、それだけで操のテンションは上がっていた。

 電気を消して目を閉じる。

 瞼の裏に住み着いていたはずの飯田は、今日はいなかった。目を開ければ暗がりの中で、枕元に置いてある猫のぬいぐるみと目があった。

 そして自然と、意識は落ちていく。

 優しい香りに包まれて、次第に落ちていく。

 二度と忘れることのない今日という色濃い一日に幕を下ろして、それは優しい過去になる。操は明日へ落ちていく。

 

「おやすみなさい、よい夢を」

 

 

 

 

 地獄だと思っていたあの部屋で、幼い操が居場所を求めて扉の先へ手を伸ばしている。

 扉の向こう側は決して優しいものではないと、今の操は彼女を引き止める。

 ──この先は地獄だぞ。

 必死に薪を焚べている幼い頃の操にそう告げれば、彼女は折れしまいそうなほど細い体に力入れて、それでも立ち上がった。

 

「でも、進むよ。(キミ)もそうでしょう?」

 

 例えこの先にどんな未来が待ち受けていようとも。

 未来への希望がこの胸の中にある限り、優しい過去(記憶)を抱いて進んでいく。

 

 薪を焚べ、心を燃やし続けていく。

 

 

 

【職場体験編中:了】

 

 

 

 

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