マルフォイ邸の大広間。
研ぎ澄まされた高貴で厳粛な空気が立ち込めるこの場所にはアンティークな長机が中央にあった。
その上座に座り、食後の紅茶を楽しむ幼き次期当主ルシウスは目を伏せカップを受け皿の上に置いた。
「坊ちゃん。本日の予定は10時から呪文学の復習。13時から忘れ薬の調合。──そして、16時から私と魔法訓練です」
「ああ、わかった」
「紅茶のおかわりは?」
「下げろ」
「かしこまりました」
白く清潔な布巾を渡せば、ルシウスはお上品に唇に当てる。そっと手を出せばルシウスは振り返る事もなく当たり前のように俺の手に布巾を乗せた。
立ち上がるルシウスの椅子を引き、胸に手を当て頭を下げる。
「ノア。時間まで私は──」
「こちらに用意してあります」
ぱちんと指を鳴らし机の上にルシウスが今言おうとしていた書物を3冊出現させる。ルシウスは特に感激も何もせず少し顎を上げて俺を見上げた。
「自室に行かれますか?」
「…ああ、そうしよう」
颯爽と歩くルシウスの後ろをつきながら、当然のように本を浮遊させ運ぶ。
扉に足速に近付き、片手で押し開け頭を下げた。
ルシウスはそのまま俺に一瞥する事もなく通り過ぎ、俺も少し後で扉をくぐり、音を立てないように閉める──。
再び大広間には静寂が落ち、いつもと変わらぬ荘厳さを見せていた。
「──どうだった!?」
ガチャリと再び扉を開けて、大広間にある長机の奥にいたアブラクサス、ミネルバ、ベイン、マートルに聞く。
「完璧です」
「ノア、君は何でも出来るね!」
「素晴らしいです。幼き君主と忠実な執事…最高です!」
「合格ですよ。よく頑張りましたね、ノアさん、ルシウス」
騎士達はスタンディングオベーション!見事執事と幼君主を演じ切った俺とルシウスに拍手喝采と賞賛を送る。
俺はぱっと笑って隣に立っていたルシウスの背中を軽く叩いた。
ルシウスはほっと安堵の息を吐き、俺を見上げて嬉しそうに笑った。
「ルシウス!良かったな!」
執事の姿を元に戻しても、ルシウスは動揺する事なく──頬は少し赤いが──俺を見つめ何度も頷いた。
「はい…何とか、間に合いましたね」
「ああ…これでホグワーツでもちゃんと執事と主人になれるな!」
ルシウスの手を引き騎士達の元へ戻る。
今日は俺とルシウスの訓練の成果を見てもらうテスト日だった、騎士達のお墨付きをもらった、と言う事は間違いなくホグワーツに行ってもバレる事は無いだろう。俺のする事は何でもイエスマンな3人とは違い、ミネルバは教えを乞う時に限りかなり厳しめ忖度なく俺を見てくれるし。
「見た目はあの姿だとして…名前はどうするの?」
ベインがふと思い出したかのように首を傾げる。
名前、変えた方が良いか?
「え?そのままのつもりだったけど。…ゾグラフは名乗らないけどな」
「今でもノアという名前は不動の人気を誇ってます、まぁ…変に疑われる事は無いでしょう」
俺の人気に比例し、我が子にノアと名付ける者がこのイギリスでは特に多い。勿論ノアという名前は元々英国圏で人気の高いものではあったが、ここ何年もぶっちぎりのNo. 1人気ネームとなっている。俺が消えてから落ち着いてきているとは言え、やはりノアという子どもは多い。
「後は年齢ですね。執事として控えるのか、それとも同年代として支えるのか…」
「…未成年の執事とか、貴族的にはありなのか?」
「勿論。貴族に代々仕える一族も居ますから。その者達は幼き頃より主人を決め、生涯支える事を美徳とします」
「へぇ…。…いや、未成年だと好きな時に魔法使えないし、このままの年齢でいくよ。俺はもう楽しい学生生活を満喫したからな!」
勿論、親世代の子どもたちと同じ目線で交流したい気持ちはある。一緒にスクールライフを過ごすなんて、想像するだけでめちゃくちゃ楽しそうだ!
だけど、今の俺の目的は、ヴォルと会う事──何とかして死喰い人の収集にルシウスが呼ばれるように補佐しなければならない。
楽しい学生生活を送っている場合じゃないだろう。うん。……いや、でも魅力的だな…!
「名前なー…うーん。ノア……。…ノア・キャンベルにしよう」
俺の呟きに、騎士達は息を呑んだ。
どう思う?と言えば、少し悲しげに微笑み、皆が頷く。
「キャンベル…いいと思います。珍しいファミリーネームではありませんし、
ミネルバが静かに言った。その目は少しだけ潤んでいるように見える。
「じゃあ、報告しに行ってくるよ」
「どこに──…いえ、いってらっしゃいませ」
俺の言葉にアブラクサスはどこへ行くのかと聞きかけたが、すぐに察すると胸に手を当て頭を下げた。
俺は笑って、執事姿に姿を変えて、その場から姿を消す。
俺は独り、メイソンの墓の前で立っていた。
その墓標には死者の魂を弔う言葉と、メイソンの親の名前。そして本人の名前が亡くなった日とともに記されている。
「……メイソン…」
メイソン──メイソン・キャンベル。
世界が離れていたとしても、俺はずっとメイソンを忘れない。その身に起きた悲劇を、過ごした日々を忘れない。俺自身が決めたこの名前は、その誓いだ。
そっと、そのメイソン・キャンベルと書かれた名前を撫でる。冷たいひやりとした感覚に、一瞬、指が震えた。
「……本当に、死んじゃったんだなぁ…」
魔法界では無い、マグル界にあるそのひっそりとした墓地には誰も居ない。
──ああ、今日は丁度満月だ。
指を鳴らし時を止める。
墓前の奥にあった大きな木から散った葉や上空を流れていた雲も、ぴたりと動きを止めた。
俺は姿を戻し、その墓前の前にしゃがみ込む。
「……少し、話そうか──メイソン?」
墓石の上の景色が歪み、ふわりと黒いモヤがかかり1つの影を形成する。
目を閉じていた人は、そっと目を開け──どこか呆れたような目で俺を見下ろす。
「…ノア、君って何でも出来るんだね」
「俺は、世界最強の魔法使いだからな。死者の魂を呼び寄せるくらい何でもないさ」
「……何でも有ると思うけど」
ゴーストにしては色彩があり、生者にしては薄いメイソンは、ちょっとだけ笑った。
重さを感じさせない、ふわりとした軽さで俺の隣に並ぶと、目線を合わせるように膝を抱えて俺の顔を覗き込む。
「会いに来てくれたんだね、ありがとう」
「…礼を言われる事じゃねぇよ。…メイソン、お前は……」
俺のせいで死んだかもしれない。その言葉はどうやっても俺の口から出る事はなく、俺はぐっと唇を噛み締めた。
メイソンは困ったように笑い俺に手を伸ばし頭を撫でる。
「ノア。──僕の大切なノア。…僕は君と会えて幸せだった、ノアと出逢ってから僕の世界は変わったんだ、ノア。…君に感謝こそすれ、…恨んだり、憎んだりしないよ?」
「…でも、メイソン…お前の死は……俺のせいで…!」
「……ノアのせいじゃないよ」
メイソンは何かを悟ったような優しい目で俺を見る。
「僕は幸せだった。…ノアが生きていてくれて、本当に嬉しいんだ!僕はずっと見守ってるからね!」
「…メイソン、俺は多分…死者を蘇らせる事も出来る。……だけど…」
蘇りの石がある。
つまり、それを使わなくとも、
「僕は、蘇ることは望んでない」
「……そっか」
きっぱりと断言するメイソンに、俺は少し黙った後で笑った。
…そうだよな。この世界に縛り付けて、輪廻を邪魔するのは、俺のエゴだろう。
「
メイソンは立ち上がって俺に手を差し出した。俺はその手を掴み、立ち上がる。
質感はある、だが、温度は一切ない。冷たくもなければ、暖かくもないその手。
「ありがとう、ノア。僕は…僕は幸せだった!」
「メイソン、俺もだよ。お前に会えて良かった。…さよなら、メイソン」
「さようなら、ノア」
メイソンの輪郭が歪み、空に溶ける。
最後までメイソンは優しく笑っていた。
最後の残滓まで見送った俺は、姿を変えて時を進める。
さわ、と風が吹き俺の髪を揺らした。