「龍痘?」
俺の怪訝な声に、ミネルバは悲しそうな深刻な声で「ええ」と頷いた。
「はい…アブラクサスとベインが罹患しました。他にも騎士数名…騎士だけでなく、イギリス魔法界全土に広まりつつあります」
「厄介だな。…あの病気、致死率がそこそこあるし」
「ええ…聖マンゴで一部隔離病棟が設置され、罹患者を懸命に治癒してますが…」
ミネルバは言葉を濁した。
龍痘とは、魔法界にのみある病気だ。
龍の鱗のように皮膚が隆起し硬くなり、発熱する。完治したとしても、皮膚の色が緑になったり鱗のような痕が残って戻らなかったりしてしまうらしい。空気感染するその病気の死亡率は30%程だろう。
この病気を治す治療薬は無い、せいぜい熱冷ましと皮膚のひび割れを防ぐための塗り薬を塗る程度だ。
俺は自在に治癒魔法を使うことが出来るが、そんなことを出来る魔法使いは稀らしいな。ヒーラーであっても治せない病が多いと、最近知った。
症状が皮膚で終わるのならまだ軽いが──問題は病原菌が脳に侵入して脳炎を誘発する事だな。そうなると、死亡率はぐんとあがる。
うーん、魔法界って予防接種とか無いからなぁ。
……せっかく世界統一したんだし、その辺の体制も整えていこうかな。マグルの医療の進歩を組み合わせるように進言しよう。
魔法界って、基本的に対処療法しか進んで無いからな、予防に関して言えばそんな事全く考えてない、と言えるだろう。
マグル界でも似たような病気はあるが、子ども達は無料で予防接種受けてるし。
…あ、もしかして親がマグルの子が龍痘に罹っても軽症で済むのはそのおかげだったりするのか?
「じゃ、ちょっと診てくるわ」
「…ノアさん、危険です。もし、あなたが罹患してしまったら……」
「大丈夫だって、俺を信じろ」
「……わかりました。…私も、ご一緒します」
手を差し出せば、ミネルバは俺の手を掴んだ。
そのまま聖マンゴに姿現しで移動する。
現れた場所は聖マンゴのロビーに設定した。
そのためかいきなり現れた俺はとミネルバに周りから驚きの声が上がる。
「ノア陛下!どうされました?」
「龍痘患者の隔離病棟に案内してくれ」
すぐにパタパタと足音を響かせて現れたのは、聖マンゴのヒーラーだろう。俺の言葉に息を呑んだが──彼らにとって俺の言葉は絶対である。狼狽しつつもすぐに「こちらです」と答え、俺とミネルバを案内した。
縦移動だけではなく横にも移動するエレベーターのような箱型の乗り物に乗る。
体感的には……地下かな、たぶん。長い距離を降りている独特の鳩尾がひゅっとする感覚があるし。
チン、と小さな音を立ててエレベーターは止まり、俺とミネルバはその先に出る。
だがヒーラーは動こうとはせず、申し訳なさそうに俺たちに伝えた。
「陛下。…私は、ここまでしか…」
「オーケー、案内ありがとう」
「……お気をつけて」
後ろから扉が閉まる音と、離れていく音が聞こえる。
…この地下は、初めて来たな。聖マンゴは何回か来たことあるけど。
「…ノアさん。少し行った先にかなり厳重な魔法がかけられた扉があります。…罹患者を隔離するために…おそらく、病気そのものを封じ込めるつもりでしょう」
「ふーん?…ま、龍痘は怖いからなぁ。扉の前まで連れて行ってくれるか?」
「はい」
初めていく場所は、流石にどこに何があるかわからない。盲目なのはこういう時に辛いなぁ。…転ばないようにしなきゃダメだし、うっかり何かを壊さないようにしないと。
ミネルバに導かれるまま歩く。
数メートルほど行った時にミネルバはその歩みを止めた。
「…これが扉か?」
「はい、扉…というよりは、壁に近いですね」
手を上げればすぐに何かに触れる。
撫でてみればつるりとした、滑らかな手触りの扉だとわかるが──ドアノブらしきものはない。魔法でしか開けないようになっているのだろう。
まぁ、どれだけ強い魔法で閉ざされていても俺には関係が無いけど。
ぐっと手のひらに力を込めれば、俺の前にあっただろう壁は飴細工のように粉々になって消えた。
足を踏み出せば、ぱき、と壁の残骸を踏み締めたのだとわかる。
「よし、じゃあ行こうか」
「…はい」
ミネルバは静かに頷いた。
ーーー
聖マンゴ魔法疾患病院の地下深く。
面会など一切できない隔離病棟。感染力と致死率が高い病気が蔓延した時のみ開かれるその扉をノアとミネルバは──半無理矢理──通った。
その先は真っ白な廊下だった。
清潔、といえば聞こえがいいだろうが、どこか薄寒い印象を与えるほどの白さ。
壁そのものが発光している為か地下であっても薄暗くはない。無機質なその廊下には等間隔に扉が向かい合うようにあり、その先一つ一つに、龍痘を患っている魔法族が半ば軟禁されている、と言えるだろう。
ヒーラーは数時間おきに患者の様子を見るためにここを訪れるが、龍痘患者に出来ることは少ない。自身が持つ抵抗力と生命力に賭けるしかないのだ。
「…ここが、アブラクサスの病室です。…ああ、ベインもいるようです。他にも5名…7人部屋ですね」
「入るぞ」
ミネルバは扉の脇にある名前を読み上げ、ノアに2人がいる病室を伝えた。すぐにノアは手を伸ばしその扉を躊躇いもなく開く。
だが、ミネルバは──僅かに、身構えた。
龍痘は空気感染する。自分達は顔を守る泡頭魔法をかけていない。
ノアが、それをしていないのに──ミネルバは、自分だけその魔法をかけることができなかった。
「やぁ、体調はどうだ?」
「ノア様!?」
「ノ、ノア!──ここに来ちゃいけない!」
ベッドの上で寝たきりになり、苦しんでいたアブラクサスとベインは現れたノアを見て驚愕し、すぐに叫んだ。
その他の患者達も、呆然とノアを見つめ「ノア様…?」「陛下、何故…」と動揺する。
だが、ノアはふわりと優しく微笑むと、アブラクサスが横になっているベッドに近づいた。
途中で足をベッドの端でぶつけたが、ノアは気にすることなく手をベッドに添わしながらアブラクサスの頭上あたりで止まると、そのまま手を伸ばす。
「──いけませんっ!」
アブラクサスは悲鳴を上げ、痛む体をなんとか捩り、ノアが伸ばす手から逃れようとした。
だがノアは変わらず、慈愛に満ちた表情でくすりと笑うと、ひび割れ、深緑色の鱗のような瘡蓋に覆われたアブラクサスの頬を撫でた。
アブラクサスは血相を変え、ノアを見つめる。
アブラクサスだけではなく、ノアの挙動を信じられないベイン達も同じだ。
ヒーラーですら、素手で自分達に触れることは無い。
「…大丈夫。俺は世界一の魔法使いだぜ?──俺を信じろ」
ノアの言葉は甘く、優しくアブラクサス達の鼓膜を震わせる。
ダメだ、早く拒絶しないといけない。──そう思っても、アブラクサスはノアから目を離すことも、その手を振り払うことも出来なかった。
ノアは身を屈め、アブラクサスの乱れた前髪を払うと、カサつきヒビが入っているその額に軽く口付けた。
途端に白い光がアブラクサスを包み、体内が一度カッと燃えるように熱くなりアブラクサスは小さく呻く。
「──ほら、な?」
「な──え?…こんな…本当に?」
ノアは体を起こすと、アブラクサスの肩をぽんぽんと優しく叩き、辺りを見渡して「ベインー?」と声をかけた。思わずベインが「えっ!?あ、…ええ?」と素っ頓狂な声を上げれば、ノアはすぐに今度はベインの元に移動する。
アブラクサスは呆然としたまま、自分の手を見下ろしていた。
鱗のような瘡蓋が消えている。
絶えず自身を襲っていた痛みや苦しみも消えた。ただ、体の中がじんわりと心地よい暖かさはあるが。倦怠感も何もない。
先程までは起こせなかった体を起こし、アブラクサスは側の低い棚に置いてあった自身の杖を取り軽く振るう。
手鏡を出現させ、恐る恐るその先に映る自分の顔を見てみれば──龍痘にかかる前と変わらぬ自分の姿があった。
いや、少しやつれてはいるし髪もボサボサだが、しかし、あの特徴的な鱗は綺麗に消えている。
「本当に…治癒を…?龍痘の、治癒だなんて…」
アブラクサスが信じられず自分の頬をぺたぺたと触りながら見つめている間に、ノアはベインやその他の罹患者の元を訪れ全員の龍痘を治癒した。
「空気も清めとこうか」
ノアがぱちんと指を鳴らせば、この病室の中に蔓延っていたどこか重い空気は清い空気にすっかりと入れ替わった。
「…神様……」
ぽつり、と1人の魔法使いが涙を流し呟いた。
その男は重症化し、死の縁を彷徨っていた。もって2日の命だろうとヒーラーに言われ、会うことができない家族への遺書も用意したほどだ。
ノアは声のした方を振り向き、優しい笑顔で微笑む。
彼らは今、奇跡を目撃した。
そして──その奇跡により、さらに深くノアを信仰する事になるが、それも当然の事だろう。
「体力は戻ってないだろうから、後はヒーラーの診断を受けるように。たぶん1週間もせず退院できると思うから」
「っ…ありがとうございます…!」
「陛下、本当に…ありがとうございます!」
「いいって。──お前達はみんな、俺の大切な家族だから」
ノアは笑ったまますぐに病室を後にし、静かに扉を閉めた。
ぱたん、と扉を閉めたノアはそのまま数歩よろめく。すぐにミネルバがノアの体を支え、なんとか転倒を防いだ。
「ノアさん!」
「…大丈夫。…あー…いや、ウソ。大丈夫じゃない。…ヴォル、呼ぶわ…」
ノアのこめかみから汗が流れ、顎まで伝い落ちた。顔色の悪いノアに、ミネルバはすぐに杖を振るい椅子を出現させるとそこに座らせた。ノアは今にも眠そうなほど瞼をゆっくりと開閉させながら、気だるげに自身がつける銀の腕輪に触れる。
この腕輪を持っているのは、今ではベイン、アブラクサス、ミネルバ、マートル、それにヴォルデモートだけだった。
すぐに呼ばれたことがわかったのか、ヴォルデモートがノアの前に現れる。
辺りを見渡し怪訝な顔をしていたが、椅子の上でぐったりと力なく目を閉じるノアを見ると顔をこわばらせ駆け寄り手を握る。
「…ミネルバ、何があった」
「……龍痘患者を7名、治癒されました」
「何?龍痘を?……どれ程の魔力を消費したんだ…」
ヴォルデモートは苦々しく呟き、顔色の悪いノアの頬を軽く──優しく叩いた。
ぴくり、とノアの瞼が震え、目が開く。
ブルーグレーの瞳は何の色も映さない筈だが、しっかりとヴォルデモートの目を見た。
「いやー……龍痘って思ったより治療に魔力使うんだな?」
「そもそも、龍痘の治癒魔法など存在しない」
「あー…まぁ、だろうなぁ…だから難しかったのかぁ…」
余程疲れたのか、気だるげにノアは呟き苦笑する。
「んー…ミネルバ、ヒーラーに龍痘患者何人いるか聞いてきてくれるか?重病者から治していくからさ、1日では無理かもしれないから…」
「…わかりました。…大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫」
ミネルバは心配そうにノアを見つめる。血色のなかった頬は僅かに赤みを取り戻して来ている。…魔力切れが原因ならば、私に手伝えることはない。
すぐにミネルバは踵を返し、ヒーラーが居るだろうロビーに向かった。
「…ノア、龍痘を治癒するのはいい。…けれど、その度に魔力切れを起こすつもり?」
「いや、ここまで消費するとは思ってなかったんだよ…普通の治癒じゃ無理だったから、色々魔法かけまくって…ま、何とかなってよかったけど」
「…次からは、僕が付き添うから」
「そうだな」
動けるほどに回復したノアはヴォルデモートの手を離し立ち上がるとぐっと大きく伸びをした。
気合を入れるために自分の頬をぱちんと叩く。
──俺は、ノア・ゾグラフだ。何も知らない市民の前で、こんな顔を見せるわけにはいかない。俺は彼らにとって神であり、絶対的な力を持っている存在でなければならない。
心の奥で唱え、ノアは瞬き一つする間にすぐにいつものような慈愛に満ちた微笑を取り繕った。
その日、ノアは重症患者の4名を治療した。
その中にはベインの兄──つまり、ジェームズの父も居たのだが、ノアは気が付かなかった。
そして1週間後には、イギリス魔法界の龍痘患者全員を治癒し、1ヶ月後には、各国を周り、世界中の龍痘患者を治癒した。
そしてその数年後には、マグルの医療と魔法界の医療が結束し、何度も治験を重ね──龍痘の予防薬が生まれる事となる。
余談だが、本来なら注射器で行われる予防接種だが──魔法族があまりに針を体内に刺すという事に拒否感を現した為、経口摂取できる予防薬である。
こうして、龍痘は魔法族にとって恐ろしい病の一つではなくなり、またノア・ゾグラフの伝説が一つ、増えた。
アブラクサスとジェームズの両親の死亡回避です。
世界が変わってしまった今、ノアが本心で話せるのは呪いがかかっていない人物だけになってしまいました。