ノアは本部にある自室で大きなソファに座り、研究結果を聞きながら疲れたように目を閉じていた。
隣にはむすりとした表情のヴォルデモートがノアの手を握り「無茶をしすぎだ」と低く呟く。ノアは目を閉じたまま微かに笑うが、どう見ても生気が欠如し、顔色は悪い。
机を挟み対面するソファに座っているリーマスは、何を見せられているのだと少し思ったが──いい大人、それも男同士が恋人繋ぎをしている場面を見て冷静を保てる人がどれほど居るだろうか──何も言わず、ただ居心地悪そうに視線をあさっての方向に向けていた。
なんとも気まずい沈黙が落ちる中、ノアはゆっくりと目を開くとリーマスを見つめ、優しく僅かに微笑んだ。
「リーマス、この結果で分かったことは──人狼化を防ぐ事は可能だという事だ」
「…昨日の…実験ですね」
「うん、そうじゃないかなって思ってたんだけど…。ようは、月の光を浴びさえしなければ人狼にはならない。…地下は行けるかなって思ったけど…完璧な密閉空間じゃないと、難しいんだろうな。空気孔があると、光は入ってくる…から…」
ノアは転生前のハリー・ポッターの情報から、リーマスが満月の夜、
もし、天候の影響を一切受けず、ただ満月が空にあるかどうかならば、あの夜──つまり、スキャバーズがピーター・ペティグリューであるとハリー達が知った時──リーマスは叫びの屋敷に行く事なく、自身の研究室で人狼になっていなければおかしい。
満月そのものがトリガーではなく、満月の光がトリガーならば、人狼化を防ぐ事は不可能ではない。
そう、ノアは確信していた。
「…ノア陛下、その、大丈夫ですか?」
途切れ途切れで話すノアの顔色はかなり悪い。人狼化した翌日の自分ですら、そこまで生気を失う事はないだろう。リーマスは何故そこまで疲れ切っているのか知らず、心配そうに眉を下げて恐る恐る聞いた。
だがノアは困ったように笑うとひらひらと手を振った。
「ただちょっと魔法使いすぎて疲れただけ。…世界の天候を操作するのは、さすがに…かなり、疲れるって…新しい発見だな」
「天候…?…まさか、昨夜の…?」
「うん。この前は、本部上空だけ操作したんだけど、無理だったから…かなり広範囲で頑張ってみました」
リーマスは力無くガッツポーズをするノアを見て言葉を無くした。
たしかに、偉大な魔法使いは天候をも操る事ができるとは聞いている。過去、ダンブルドアがグリンデルバルドと戦闘した際には空が割れたと本に書かれてあった。しかし、世界全てを覆うほどの広範囲を操るとなれば──それは、偉大を通り越して脅威と言えるだろう。
「手っ取り早いのは、満月の夜に俺が天候を操る事だな」
「…駄目だ。その度に動けなくなるのは困る」
「えー?…そうだけど」
「それに、根本的解決にならないだろう」
「…それもそうか」
きっぱりとヴォルデモートがノアの提案を切り捨てれば、ノアはため息混じりに頭を掻いた。
リーマスは、人狼になる事が無いのなら勿論、それは夢にまで見た──渇望だろう。
だが、満月のたびにノアがこれ程体力と魔力を消耗してしまうと知った今、それを喜ぶ事は出来ない。
「じゃあ。別パターンだな。案は2つある。──ひとつめは、完璧な薬を作り上げる。まぁ…毎月飲む必要はあるかもしれないけど。…ふたつめは、月の光を防ぐ防御魔法を開発する。…さて、リーマス、どっちにする?」
「えっ…」
どっちにするか、と言われても。
それは選べるものなのだろうか、そもそも脱狼薬が開発されたのは去年で、満月の日に理性を保つ事が出来る、それだけでもかなり革命的な薬だというのに。
完璧な──人狼にならず、理性を保つ事ができる、人のまま過ごすことの出来る夢のような薬など、本当に出来上がるものなのだろうか。何百年も、開発されていないのに。
それに、月の光を防ぐ防御魔法を開発する、だなんて──そんな凄そうな魔法、一般人に扱えるものなのだろうか。
リーマスはそう考え、自分にはどちらも不可能だと、無言で俯いた。
「薬も、魔法も…僕には──…」
「…ああ、いや…心配するな、どっちも俺が作るから。ただ、これからも協力はしてもらわなくちゃいけないけど」
「勿論です!…人狼にならずに済む可能性があるのなら…なんだって…なんだってします!」
リーマスの強い言葉に、少し顔色が戻ってきつつあるノアは優しく微笑んだ。
「じゃあ、また…そうだな、次の満月の1週間前に迎えにいくから、もう今日は帰っていいよ」
「はい…」
リーマスは何度も頭を深く下げ、静かにその部屋を後にした。
ノアは長いため息を吐くと、隣で魔力を分け与え続けるヴォルデモートに静かに問いかける。
「俺って、酷いやつかな?」
「…今更、何を言ってるんだか」
「….ま、そうだな」
ノアは指を鳴らし、被験体Aについて書かれた研究報告書の内容に耳を傾ける。
朗読魔法により無機質な声で読み上げられるそれは、淡々と「異常無し」と繰り返していた。
「人狼化は、…龍痘と同じで魔法界特有の病気だ。…マグルには感染しない事が判明した。──魔法族が持つ、魔法遺伝子と魔力に反応し、発病するんだろうな。…まぁ、マグルも感染するんなら、今ごろ世界は人狼で溢れてるだろうしな」
被験体Aとは、マグルの女性だった。
ノアに対し盲目なまでに心酔しているその女性を、ノアは被験体──いや、実験体にした。人狼は、はたしてマグルに感染するのかどうか。
人狼化という病気は魔法族固有の病気なのかを調べるためにはどうしても必要な事だった。
過去の文献を探してもマグルで人狼となったものが居ない事から、きっと魔法界特有の病気だとノアは確信していたが、それでも確かな証明の為に──ノアは非道な手段を選択した。
幸運にも、ノアの予想は当たり、そのマグルは人狼になる事はなかったが──もし、マグルにも感染する病だったのなら、ノアはそのマグルを処理していただろう。
「…魔法族とマグルとで遺伝子情報が異なるのなら…やっぱり、別の種族なんだね」
ヴォルデモートはマグルの事などどうでもよかった為、その実験体の運命や生死など気にもしていなかった。
それよりも、やはりマグルと魔法族とでは揺るぎない差が明確に存在していたのだと知り、珍しく嬉しそうに目を細めて笑う。
ノアはその嘲笑交じりの言葉を聞き、苦笑した。
「…この事は…まだ、広めるつもりは無い。魔法族とマグルとで優劣をつけたくないからな」
「…明確な答えがあるのに?」
「答えがあっても、明かさない方がいい事だってあるだろ」
ノアはヴォルデモートの手を離し、ぐっと大きく手を上に伸ばしながら立ち上がった。
ついでに、被験体Aについての報告書を燃やして消滅させ、無かったことにする。
被験体Aは後数回満月の夜を経験したのち、何も変化がなければマグル界に帰される。勿論、忘却魔法をかけた上で。
「…さて、薬を作るのは簡単だけど。割と高額になるしリーマスの今後を考えるのなら魔法を開発する方がいいな」
「…簡単、って…」
「あれ、研究結果、ヴォルも読んだだろ?わからないか?」
新薬の開発は簡単な事ではない。怪訝な顔をするヴォルデモートにノアは楽しげに笑いくるりと振り向いた。
ヴォルデモートは暫し沈黙する。彼は世界の真理を垣間見たノアには及ばないとはいえ、最も優秀な頭脳を持つ魔法使いだ。
とんとん、と指でソファの肘置きを叩いていたヴォルデモートは眉をひそめたまま「まさか…?」と呟く。
「それは…。──冒涜だな」
「そう?魔法族じゃなくなるのって、そんなに嫌?」
「僕は、耐えられない」
「えー?」
ノアはぼすんとソファに座ると腕を組み首を傾げる。
ノアの思考は単純明快──マグルが人狼にならないのならば、マグルになればいいじゃない。──どこぞの姫君のような思考である。
勿論簡単にはいかないだろう。
何より難しいのは、魔法族をマグルに変える魔法薬やその方法を生み出したとして──治験することが困難だということだ。
誰だってそんな恐ろしい薬を飲みたいとは思わない。効果の不確かな魔法をかけられたいとは思わない。果たしてそれが本当に一時的なものなのか、わかったものではない。
ノアは満月の夜のみ魔法族では無くなる薬を開発するつもりだったが、それを治験する為にはノアはさらに複数の罪を重ね人権を無視する必要がある。
さながらB級映画のマッドサイエンティストのように無慈悲に自己中心的に数々の実験を行わなければならない。
だとしても、この世界から人狼という病気がなくなるのならば良いんじゃないか。
不思議そうな顔をするノアを見て、ヴォルデモートはその目が微塵も曇っていないのを理解し──胸の奥がざわついた。
世界を変えた、世界中を呪った事は間違いなくノアの精神と価値観に多大な影響を与えている。ノアは世界全てを愛していると何度も群衆に向けて甘く囁くが、一方で今まで無かった残虐性、非道性が生まれているといって過言ではない。
世界の神として、世界の秩序を守る為に火種を踏み消す。
神に服従させる為に、抗えない強い呪いを何度もかけ、時には闇に葬る。
その手で沢山の命を救う一方で、その手は誰よりも血に濡れている。
本人は無自覚だろうが──いや、無自覚だから、タチが悪い。
それとも、神であり続ける為に、世界を保つ為に行っている行動が、途方もない矛盾を孕んでいる事に──気がつかないフリをしているのだろうか。
そうしなければ、精神が破壊されてしまうとでも、言うのだろうか。
「…ノア、そもそも人狼の為に治験を行おうとする魔法族はいない」
「そっかなぁ。両親とかは?」
「………」
さらりと返された返答に、ヴォルデモートは沈黙した。
ノアはいくら待ってもヴォルデモートから返事が無いことが分かると諦めたようにため息をつき、ソファの背に腕を置き、天井を仰ぎ気だるげに「じゃあ、やっぱ魔法開発かぁ」と呟いた。
しかし、「あ」と小さく呟くと体を起こし、目をキラキラと輝かせ、ヴォルデモートを見た。
「──っていうかさ。脱狼薬とポリジュース薬はどうだ?1週間前から脱狼薬を飲んで、満月の夜にポリジュース薬を1時間飲み続ける。ポリジュース薬は外見を変える…性別も変えることが出来るし、足が欠損している者の薬を飲めば、その通りになるし…思考は元のままだから──多分ポリジュース薬は、脳には…効果がないんだ」
「……。…その方が可能性はあるかもしれない。問題は薬を同時摂取した時の副作用かな」
「あー、そうだな。じゃあリーマスじゃなくて、捕らえてるグレイバックで試そうか。新薬も一応作って、飲ませちゃおう、サンプルは多い方がいいし」
「……」
フェンリール・グレイバック。彼は今騎士団の要塞に閉じ込められている。
ノアの呪いがかかっていても、子どもを噛む事に熱意を燃やし続け──彼は、ノアの為に強固な人狼の軍隊を作ろうとしていたのだが──あっさりと捕まった。
何度かノアは服従の呪文を重ねてかけたものの、彼の強い信念は揺るぎる事はなかった。今はノアにより半分死んでいるような状態のまま眠らされている哀れな男である。
ヴォルデモートは、ノアが持つ大きな矛盾と、世界を愛する博愛性の中にも明確な線引きがある事を理解していた。
ノアは人間でありながら世界の支配者であり、神だ。一線を引くのは当然かもしれない。
だが──その基準が、ヴォルデモートには理解が出来なかった。
上級騎士の4人や自分はわかる。長い付き合いであり、ノアの確かな方舟に乗っている。
相当に大切に思ってくれているのだと、理解出来る。
だが、時々──初対面にも関わらず、ノアはその方舟に当たり前のように人を乗せるのだ。
ノアがその者を見る目は、限りなく慈愛に溢れ、まるで旧知の友のように声をかける。会いたくて、会いたくて堪らなかったとでも言うように声が弾み嬉しげに笑ってみせるのだ。──そう、リーマス・ルーピンはそれに何故か選ばれた。
リーマス・ルーピンという男と、ノアに接点は無い。母校が同じという共通点しか見当たらない。
それにも関わらず、数多いる人狼ではなく、ノアは彼を選び、そして慈しみ、実験の時だって彼の身を第一に考えていた。
何故なのか、いくら考えても答えは見つからない。
ヴォルデモートはノアの美しい瞳を見つめ、その答えを探したが──ノアの心を見る事は叶わない。
人狼化が魔法界独自の病気というのは私の妄想が大きいです。
マグルでも人狼になった者って居ましたっけ?探したのですが見つから無かったので、記載がありましたらこっそり報告お願いします…。
魔法遺伝子云々は、ハリポタwikiからです。