九尾の末裔なので最強を目指します   作:斑田猫蔵

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甘言跳ねのけ報連相

「八頭怪! 貴様俺の前に何をしに来た!」

 

 源吾郎はわずかに身をかがめて吠えた。このような思い切った態度に出てしまった理由は源吾郎自身にもはっきりとは解らない。ただ、恐怖が裏返ったがための行為である事はうっすらと感じていた。恐怖心を表に出せば呑まれると本能的に感じていたのかもしれない。もしかすると、それこそ玉藻御前の末裔であるという矜持がなせる業なのかもしれないし。

 八頭怪は源吾郎の様子を一瞥し、意味ありげに目を細めた。うっすらと笑みが貼りついたその顔は仮面のようで本心が窺えない。それが却って不気味でもある。

 

「やぁおにーさん。いや玉藻御前の末裔という事で名高い島崎源吾郎君。今日も今日とて元気そうだねぇ。いやはや、ボクも結構な歳だからさ、仔狐ちゃんが元気にキャンキャン啼いてるのを見ると癒されるんだよねー。ほら、君だって仔犬とか仔猫の出てくる動画は好きでしょ?」

 

 幸いな事に八頭怪はにこやかに言葉を紡ぐだけだった。源吾郎を仔狐扱いした所には、萩尾丸以上に相手を小馬鹿にした気配がはっきりと出ている。しかし源吾郎の言動に対して怒りを抱いたり敵意を持っている様子はない。というよりも、歯牙にかけていないと言った方が正しいだろう。

 

「君のしょうもない先輩たちと同じでさ、ボクだって若い子を応援したいって思ってるんだよ」

 

 願い事、あるんでしょ。八頭怪はいつの間にか源吾郎のすぐ傍まで来ていた。細めていた目も見開き、虹彩が暗い玉虫色に揺らぐのが見えてしまった。瞳孔の形は縦長にも横長にも見えた。少なくとも人間のそれとも、既知の脊椎動物のそれとも異なっている。

 

「源吾郎君。君は今戦闘訓練とかで困ってるんじゃないかな? 名門生まれの癖に躾のなってない雷獣の子供があんまりにも強すぎて、負け戦ばっかりでさ……」

「…………!」

 

 朗々と語る八頭怪の言葉に源吾郎は息を詰まらせた。何故彼がその事を知っているのか、と。源吾郎が雪羽と日々戦闘訓練を行っている事、負け戦が重なっている事は雉鶏精一派の面々、それもごく一部しか知らないはずなのに。

 源吾郎は明らかに動揺していた。すきま女のサカイ先輩が見ていたら「心の隙間が増えてるぅ」とでも言いだしたであろう。

 そしてそんな心の動きは、八頭怪にばっちり見抜かれてもいた。

 

「悔しいよね、歯痒いよねぇ? ふふふ。ボクが力を貸してあげるよ。そうすればあんな雷獣なんて目じゃない。何となればショタ狂いの天狗野郎も、マッドサイエンティスト気取りのメス雉だって蹴散らせるくらいの力、キミに分けてあげる事が出来るかもしれないよ」

 

 どうするの? 八頭怪の問いかけが、何重にも重なって聞こえてきた。首許を飾る小鳥の頭たちが震え、嘴を打ち鳴らしている所を源吾郎は見てしまった。耳鳴りではなく、八つの頭が口々に同じ事を言っているのだ。それで重なって聞こえてきたのだろう。

 問いかけに対し、源吾郎の答えははっきりと決まっていた。八頭怪の言葉を聞いているうちに、考えが定まったのだ。

 

「そんなん要らんわボケェッ!」

 

 関西弁丸出しでいささか乱暴な物言いであるが……拒絶こそが源吾郎の返答だった。源吾郎は珍しく目を吊り上げ、再び言い募る。

 

「八頭怪だか何だか知らないけれど、よくもまぁ俺の事を……俺と紅藤様の事を馬鹿にしてくれたじゃないか。お前も知ってると思うけど、俺は、俺はかの誉れ高き玉藻御前の末裔だ。何処の馬の骨とも解らんお前の力添えなんてはなから求めていないんだよ。しかも、俺の師範の紅藤様の事をメス雉だって言い捨てるなんて……」

 

 八頭怪の登場に当惑していた源吾郎であったが、皮肉にも八頭怪自身の言葉が危うい選択を回避する助けになったのだ。師範たる紅藤をメス雉呼ばわりするような暴言に憤怒し、八頭怪の誘いに乗らなかったという話だ。

 ちなみに萩尾丸の方については事実なのでさほど腹は立っていなかったりする。

 とはいえ、状況が変わった訳ではないのもまた事実だ。八頭怪の誘いに乗れば破滅する事は必至なのだが、八頭怪をはねのけたからと言って無事で済むという保証はない。それこそ怒りを買っていたらひとたまりもない話である。

 

「ふぅーん。今は別にボクの力添えは要らないって事だね」

「そ、そうだとも。今も今後も未来永劫な」

 

 八頭怪は今再び目を細め、何か考え事をしているようだった。数秒してから息をゆっくりと吐いている。興醒めした、つまらない。そう言いたげな表情だった。

 

「うーん。面白い子だって聞いていたけれど案外そうでも無かったね。可哀想に。あのメス雉の考えに毒されて、四角四面な考えになっちゃったのかな?

 同じ玉藻御前の子孫でも、玉面ちゃんは中々面白い子だったのに。残念だなぁ」

 

 滑らかな口調で八頭怪が言ってのけるのを、源吾郎は黙って聞いていた。他の玉藻御前の末裔を、それも玉面公主を引き合いに出されるとは思っていなかったのだ。それにしても何故こいつが大伯母の事を知っているのか。やっぱりどっちも大陸出身だから面識があるのだろう。源吾郎はぼんやりと思っていた。

 さてそんな事を思っている間にも、八頭怪の方にも動きがあった。仕立ての良い衣装を身に着けた青年姿はそのままなのだが、その背に二対の翼を顕現させていたのだ。鳥の翼とも蝙蝠の被膜とも昆虫の翅とも異なる、奇怪で冒涜的な翼である。しかしそれでも飛ぶ機能を有しているらしく、八頭怪の姿は少しずつ浮き上がってもいた。

 

「面白いというのは、所詮は自分の思い通りに動くからなんじゃないのか?」

「他妖《ひと》を思い通りに動かしているのは、君の師範だって同じだよ、仔狐君」

 

 八頭怪は既に一、二メートルばかり浮き上がっていた。淡い玉虫色に輝く不気味な翼に目をつぶれば、天使か何かに見えなくもない。

 

「考えてごらんよ? 彼女は胡喜媚の息子でボクの甥でもある胡張安を頭目に据える事が出来なかったから、わざわざ胡喜媚の孫を用意して、そいつを傀儡《かいらい》にして雉鶏精一派に君臨してるじゃないか。

 そう言うろくでもない目論見に気付いていたから、胡張安もあいつの父親も雉鶏精一派から逃げたんじゃないかな? まぁ、ボクはあいつらの事なんて嫌いだけど。特に胡張安なんかは、胡喜媚から時……巻※※……力を受け継いだ癖に、せせこましく暮らしているんだからさ」

 

 玉面公主の次は胡張安だって……一体何が言いたいんだろうか。源吾郎はそう思って声をかけようとしたが、その間に八頭怪は忽然と姿を消してしまった。そのまま上空へと舞い上がって飛び去るのかと思っていたのだが。

 八頭怪との接触は不穏極まりなかったが、ともあれ危機は去ったようだ。というのも、結界に囲まれていた時の異様な空気が消え去り、いつもの馴染みの往来に戻っているのを肌で感じたからである。

 

 

 少しの間状況を確認した源吾郎は、足早に研究センターへと向かった。八頭怪との出会いに動揺していた事もあったし、何よりこの件はすぐに紅藤に知らせないといけないと思っていたからだ。

 源吾郎はややうぬぼれの強い青年である。だが今回八頭怪が源吾郎に恐れをなして逃げたなどと思う程思い上がってはいない。八頭怪は単に源吾郎を見逃しただけに過ぎない。そこにどういった意図があるのかは定かではないけれど。

 

「あらこんばんは。島崎君、だよね」

「あ、紫苑様……」

 

 研究センターの入り口付近にて思いがけぬ妖物に声をかけられた。第五幹部の紫苑である。確かに紫苑も幹部の一人ではあるが、萩尾丸と違って研究センターと直接関係がある存在ではない。

 源吾郎が戸惑って首をかしげていると、たおやかに笑いながら紫苑は告げた。

 

「今日はね、紅藤の伯母様の所で少し話し込んでいたの。ほら、あのお方も色々と大変そうですから」

 

 ()()()と敢えて紫苑が強調したのを聞いて、源吾郎は半ば納得した気持ちになっていた。紫苑が紅藤の姪に当たる存在である事を思い出したのだ。彼女の母と胡張安が異母姉弟であり、紫苑と胡琉安は従姉弟同士だった。紅藤と紫苑は直接血の繋がりがないのだが、紅藤が胡琉安の母親なので、紫苑にとっては叔母と見做せる存在なのだ。

 

「大変と言えば……どうしたのかな島崎君。汗までかいて、とっても焦っているみたいだけど」

「紫苑様っ。僕、今さっき八頭怪に出くわしたんです」

「そうだったの……」

 

 八頭怪。包み隠さず放ったその名に、日頃おっとりとした様子を見せる紫苑も驚きの色をありありと見せていた。彼女も大妖怪の一人と言えども、やはり八頭怪の名を聞いて動揺しているのかもしれない。

 しかし源吾郎の視線に気づくと、ふわりと優しく微笑んだ。姪と名乗っているだけあって、彼女の笑みは何となく紅藤に似ている気がした。

 

「とりあえずは大丈夫そうね……八頭怪がこの辺りにやってきて、君の許に姿を現した事、紅藤様に私から報告しておくわ。だから島崎君。あんまり不安がらないでね」

「報告までしてくださるんですか」

 

 問いかけると、紫苑は笑顔のまま頷いた。

 

「紅藤の伯母様は普段は落ち着いて穏やかだけど、時々烈しい所を見せちゃう事もあるでしょ? 八頭怪の事になったらさすがの伯母様も落ち着きを失うでしょうし、島崎君に割と烈しく問いただしちゃうかもしれないわ。それよりも、私が君から話を聞いて、それを紅藤の伯母様に伝えようと思っているんだけど……どうかな?」

 

 源吾郎は少し考えてから、紫苑に伝言を頼む事にした。紫苑は紅藤の姪であり、紅藤も彼女の事を娘のように可愛がっているらしい。信頼に値する妖物であろうと源吾郎は信じて疑わなかった。




 八頭怪と玉面公主の関係……西遊記では玉面公主の夫である牛魔王が万聖龍王の屋敷に遊びに行く描写がある。九頭駙馬(=八頭怪)が牛魔王と話す描写はないものの、万聖龍王の婿である九頭駙馬と、牛魔王の妻である玉面公主は互いにその存在を知っていたのではないかと思われるし、面識があった可能性も十分に考えられる。
 なお、玉面公主が玉藻御前の娘という設定は拙作中の設定なので注意されたし。

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