九尾の末裔なので最強を目指します   作:斑田猫蔵

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雷獣は笑顔で本音を押し隠す

「紅藤様、紅藤様。お気持ちは解りますがあんまり気張らないでくださいよ」

 

 萩尾丸は部屋に入って来るなり、紅藤を見やりながらそう言った。口調は相変わらず軽いものであるが、その眼差しや口許には真剣そうな気配が珍しく漂っている。

 紅藤が何か言い返そうとするのを前もって察したらしい萩尾丸は、更に言葉を続けた。

 

「青松丸さんに扮した偽者に関しましては、僕の方から地元妖怪や地元の術者たちに情報を回しておきました。紅藤様が()()()()()()()()だって事はちゃんと伝えてるからさ、すぐに彼らが動いてくれるんじゃないかな」

「激おこぷんぷん丸って、なんか可愛い表現ですね……」

 

 萩尾丸の言葉に驚きを覚えた源吾郎は、素直に思った事を口にしていた。源吾郎は激おこぷんぷん丸という言葉を、この流れで萩尾丸が使った事に驚いていたのだ。彼が根回ししていた事に対する驚きはない。

 

「可愛い表現を使わないと、こちとらやっていけないんだよ」

 

 源吾郎の微妙なツッコミに、半ば呆れながら萩尾丸は言い返す。

 

「島崎君。雉鶏精一派で恐ろしいのは峰白様だけだと思ってたら大間違いだからね。我らがセンター長の紅藤様だって……」

 

 恐ろしいお方なんだからね。萩尾丸はそこまでは言わず言葉を濁しただけだった。源吾郎は萩尾丸や紅藤を見やり、微妙な表情で頷いておいた。今しがた静かに怒りを見せる紅藤を見た所であるから、彼女の秘めたる恐ろしさはよく解っていた。

 

「紅藤様。まぁ下手人を粛清するという心づもりである事は解っているのですが、誰の差し金なのか、目星は付いてらっしゃるのでしょうか?」

「第一候補として八頭怪でしょうね。私どもをここまで愚弄して挑発し、尚且つ外法さえ使っているのですから。マトモな組織がバックにいるとは考えられません」

「確かにマトモな連中なら、外法に頼らずに私兵を率いてこちらを潰しにかかるでしょうし」

 

 

 紅藤と萩尾丸はしばし源吾郎の存在そっちのけで意見交換を繰り返していた。源吾郎はぼんやりと聞いていたが、三國の名が何度か彼らの話題の中で上がっていたのははっきりと聞いた。

 そしてややあってから、所在なさそうな源吾郎に気付いて声をかけたのである。

 

「島崎君も落ち着いたみたいだし、雷園寺君に会わせようか」

 

 雷園寺の名を聞いて、源吾郎の表情が強張った。雪羽と顔を合わせねばならない事はもちろん解っている。しかしいざその段となると情けなくも緊張し、そして会うのが怖いとも思っていた。

 何せ蠱毒に侵蝕されていたとはいえ、源吾郎は雪羽を傷つけたのである。紅藤は軽傷であると言っていたが、問題はそこではない。

 端的に言って、雪羽が自分を憎んでいるに違いないと思っていたのだ。あの雪羽に憎まれているのではないか。その事で動揺しているのは自分でも不思議だった。自分は特に、雪羽の事を友達のように思っている訳ではないのに、と。

 

「雷園寺君の事について、島崎君が心配する事は無いわ」

 

 源吾郎の戸惑いに気付いたのか、紅藤が静かに言い添えた。

 

「雷園寺君が今回の件で島崎君を憎んでいるという事は無いから安心して頂戴。蠱毒に侵蝕されていると聞いて、あの子はすぐに事情を悟ったみたいなの。あまりにも聞き分けが良いから、むしろこっちが()()になるくらいにね」

 

 最後の一文を付け加えた時、紅藤は物憂げな表情を源吾郎たちに見せていた。

 

 

「うん。俺は大丈夫だよ島崎君。いうてちょっとした引っ掻き傷みたいなもんだし」

 

 悪友を前にしたかのような口調と表情で語る雪羽を前に、源吾郎の視線は一点に向けられていた。傷を負った彼の左腕である。紅藤たちが控えているためか、いつもの修道服――あの時も着ていなかったのだが――を着用せず、会社員らしく半袖のワイシャツとズボン姿であった。ほっそりとした腕に巻かれた白い包帯を、源吾郎は痛ましいものを見るような眼差しで眺めていた。無論謝罪した。だが雪羽は気にしていないと言わんばかりに受け流したのである。

 源吾郎を憎んでおらず、尚且つ蠱毒にあてられた事情も把握している。そう聞かされてはいたが……雪羽の陽気な態度には何処か不気味さ不自然さを感じずにはいられなかった。

 

「俺がさ、好き放題に遊んでたって事は島崎君も知ってるだろ? その時に繁華街とかをぶらつく野良妖怪共と闘って……殺し合いごっごとかもやった事があるんだ。そん時に較べれば今回の傷なんて可愛い物さ。カマイタチの野郎にバッサリ斬られた事もあるしね。まぁ斬られた後にきっちりシメてやったけど」

 

 包帯を撫でながら笑う雪羽を、源吾郎は半ば驚きの念をもって眺めていた。殺し合いごっこという不吉な言葉にまず驚いていた。それから……タイマン勝負で雪羽が今もなお優位に立つ理由をはっきりと悟ったのだ。総合力は源吾郎の方が勝るのだろうが、経験値が段違いではないか、と。ちょっとした悪意にさえ尻込みをするヘタレ野郎と、殺し合いに近い決闘を遊びと称するチンピラ小僧。どちらに軍配が上がるかは明らかな話だろう。

 その殺し合いごっことやらで手下や取り巻きを得ていたのだと、雪羽は付け加えた。その面には誇らしげな笑みが浮かんでいたが、それでいて何処か寂しげでもあった。

 

「三國の叔父貴は、闘って強くなる事とか、それで手下が出来る事は良い事だって言ってくれてたんだ。春兄《はるにい》、春嵐《しゅんらん》さんからはそんなの野蛮だからやめなさいって言われてたんだけどな。

 まぁ、そんな風に殺し合いみたいなのには実は慣れてんだよ。俺も雷園寺家の当主候補だし、歳喰ってるってだけの雑魚に見下されたりしちゃあ黙っていられない訳。それで、そうやって力を見せたら雪羽様って慕ってくれるし、良い事づくめだなって思ってたんだ――そいつらは、俺が叔父貴から引き離された時点でみんな離れちゃったけどね。あ、でも別にそれも気にしてないよ? 所詮は力で従えただけだって、俺も解ってたから」

 

 いつの間にか自分の取り巻きについて熱弁を振るう雪羽を、源吾郎は微妙な眼差しで眺めていた。取り巻き連中の裏切りについて自分は傷ついていない。これが雪羽の本心なのか強がりなのか源吾郎には解らなかった。ただ源吾郎の脳裏には幹部会議での光景がぼんやりと浮かぶだけだったし、どちらにしても寂しい事だと思えてならなかった。

 源吾郎の視線に気づくと、雪羽は一瞬だけ真顔になり、それからまた笑みを作った。

 

「まぁ、そんな感じで俺は気にしてないから。だから島崎君。後ろめたいとかそんな事は思わないで、これからも普段通りに接してくれれば大丈夫だよ。だって君は――」

「お前が気にしなくても、俺は気になるんだよ!」

 

 源吾郎は思わず声を上げてしまった。雪羽の顔から笑みが消え、驚いたように目を丸くした。源吾郎自身は雪羽が目を瞠るのを確認すると目を伏せた。突発的に言い返してしまったが、次に何を言えば良いのか、それは解らなかったからだ。

 雪羽自身が大丈夫だと言い張って流してくれるのは、源吾郎にとってはありがたい事なのかもしれない。しかしありがたい事として素直に受け流す事が源吾郎には出来なかった。蠱毒があるじの願いを叶える。この文言が源吾郎の心中に突き刺さっていたのだ。もちろんあの時の源吾郎は正気とは言い難かった。雪羽を襲ったのも、血肉に餓えた蠱毒に操られての事だろう。しかし、雪羽を打ちのめしたいと()()()()()()()()()()()()()()

 おのれの心の暗部をまさぐっていた源吾郎は、手許に伝わる感触で我に返った。所在なく組んでいた手の甲に、暖かく滑らかな物が触れていた。雪羽が静かに手を添えていたのだ。源吾郎の手に触れる程に近付いており、顔を上げるとすぐ傍に雪羽の顔があるという状況だった。

 

「お願いだからそんなに自分を責めないでくれ。俺も……俺も蠱毒の恐ろしさは知ってるんだよ」

 

 雪羽の物言いは先程までとは異なっていた。明るくおどけた調子はなりを潜め、ただただ切迫したものが言葉の端々に漂っている。

 

「雷園寺家当主だった俺の母さんは、蠱毒で死んだんだ」

 

 翠眼を揺らしながら雪羽は語る。原因が蠱毒であると知った時、雪羽はその事情を即座に悟った。紅藤が先程そう言っていたのを源吾郎は思い出した。

 

「その蠱毒とやらはな、本当は俺や弟たちや妹を狙ったものだったらしいんだ。ご丁寧に子供向けのおもちゃに仕込んでいたんだからさ。本当なら俺たちが襲われるはずだった、の、を……母さんが……」

 

 表向きは事故死って事になってるよ。雪羽はやるせない笑みを浮かべていた。

 

「本当の事は俺たちしか知らないんだ。もちろん、三國の叔父貴も知らないよ。そんな話してないもん。叔父貴は知らなくていい話なんだから……」

 

 だからさ、俺には解るんだ。一呼吸置いてから雪羽が続ける。

 

「島崎君は単に蠱毒に取り憑かれておかしくなってただけで、俺を襲った事について島崎君自身には何の罪もないってな。そもそも俺だってぼんやりしてたし、傷自体も大したことないしさ。

 俺は知ってるよ。お前は本当は優しくて、良い奴で……俺の本当の仲間になってくれるかもしれないって。故意に俺の事を傷つけようなんて思わないってな」

「…………」

 

 源吾郎は何も言えなかった。雪羽の昏い光を宿した翠眼を眺め、おのれの裡で渦巻く疑問を解決しようとするのでやっとだった。

 何故雷園寺はここまで俺を信じようとするんだ? それが最大の疑問だった。例えば二人が気の置けない親友であるならば雪羽の発言はまだ解る。だが実際には、源吾郎と雪羽の間にはまだ溝らしきものはあるにはある。ついでに言えば先日変態だのドスケベだのと仲良く(?)言い合った位の間柄に過ぎない。

 そんな間柄に過ぎない雪羽が、何故こうも源吾郎に全幅の信頼を寄せ、あまつさえ源吾郎の善性を疑わないのか?

 あれこれ考えているうちに、源吾郎はある一つの答えに至ってしまった。

 雪羽は源吾郎の善性を疑わず、全幅の信頼を寄せているのではない。源吾郎が善良で優しく、おのれの信頼に値すると思いたいだけなのだ、と。要するに雪羽は()()()()()()を口にしただけに過ぎないのだ。

 あまりにも身勝手で、いっそのこと愚かしい願望ではある。しかし源吾郎には、そうして笑い飛ばす資格など無い事は解っていた。むしろ、雪羽のためにその願望が真実であると思わせるべきなのだと思っていた。

 紅藤が雪羽を心配していた理由は、源吾郎もここではっきりと解ったのである。


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