九尾の末裔なので最強を目指します   作:斑田猫蔵

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小鳥で始まる可愛い談義

 金曜日の朝。源吾郎はいつもの時間にホップを放鳥した。鳥籠の扉が開くや否や、ホップは一声啼き、扉の入り口で踏ん張ってから軽やかに離陸する。今までは源吾郎の手の平に一旦乗ってから離陸していたのだが。

 源吾郎はしばらく無言で飛び去るホップを眺めていたが、ややあってから小鳥の餌を入れている小箱を手許に引き寄せた。ふたを開けて取り出したのはおやつ用のペレットである。果物の成分が入っているそれは、ホップが唯一口にするペレットであった。あくまでもおやつ用である為にそう多く与える事は無いが、ホップの好物の一つである事には違いない。

 源吾郎はそのペレットをつまみ、手の平の上に数粒乗せた。手乗り十姉妹だったホップだが、蠱毒の一件があってから源吾郎の手の上に乗らなくなってしまった。少しずつ彼の態度も軟化してはいるのだが、それでもまだ源吾郎を警戒しているらしい。

 好物のおやつがあれば警戒心が薄まるかもしれぬ。それはある意味姑息で浅はかな考えなのかもしれない。しかしホップとの距離を縮めるのに丁度良い案はこれくらいしか思いつかなかったのだ。

 

「ホップ……」

「…………プ」

 

 ホップを驚かせないように小声で名前を読んでみる。ちらとこちらを一瞥してから、ホップは啼き返してきた。やはり前とは反応が違う。源吾郎は少しがっかりしたが、気を取り直して手の平とホップとを交互に見やった。

 

「プイッ、ピィッ!」

 

 ホップがふいに目を輝かせ、機敏な動きで方向転換を繰り返す。そう思っていると再びホップは羽ばたき始めていた。しかもこちらに向かってきている。源吾郎は占めたとばかりに笑みを浮かべた。やはり何のかんの言ってもホップも小鳥ちゃんである。お気に入りのおやつを発見し、そのまま源吾郎の手に飛び乗る算段であろう。

 中空を飛んでいたホップは高度を下げ、源吾郎の手の平付近までやってきた。よし止まれ。ほら止まれ。ホップの好きなおやつはいくらでもあるだろう……源吾郎の瞳は妙な熱を帯び始めていた。

 ところが、待てど暮らせどホップが降り立つ気配はなかった。ホップは確かに源吾郎の手の平付近を飛び回っている。ホバリング状態だった。その状況に首をかしげていると、ホップが動いた。何と彼は手の平の真上で旋回しながら、首を伸ばしてペレットを咥え始めたのだ。もちろん源吾郎の手の平の上には着陸せずに、である。

 

「ブ、ブプッ」

 

 くぐもった声を上げながら、ホップはそのまま飛び去って行った。皿状の巣が置かれた台座の上に降り立つと、嘴を動かして戦利品を味わっていたのだ。

 源吾郎は、それを呆然と見つめる他なかった。

 

 

「おはようございます、島崎先輩! まだ具合でも悪いんですか?」

 

 研究センターにやってきた源吾郎を出迎えたのは雪羽だった。朗らかに笑う雪羽からは湯気のように妖気が立ち上っており、源吾郎は少しだけ面食らった。蠱毒の一件があってからまだ日が浅いにもかかわらず、雪羽は心身ともに回復しきったらしい。それどころか、ここ数日彼の妖力は増えつつあるくらいだ。源吾郎などはそろそろ落ち着きを取り戻した所であるわけだから、雪羽のタフさ加減には恐れ入る。

 そんな事を思いつつも、源吾郎は愛想よく雪羽に笑いかけた。

 

「いや、具合は悪くないよ。ただちょっと……ホップがまだ塩対応なんだ」

 

 思っていた事を吐き出すと源吾郎はため息をついていた。ため息で脳細胞が死滅するとかいう知識が脳裏をよぎるがそれどころではない。

 雪羽は気づかわしげに源吾郎を見つめていた。

 

「そっか。それは気の毒だなぁ。先輩は小鳥ちゃんの事を大事にしてるみたいだし」

「弟みたいなもんだし、あいつには俺しか頼れる相手はいないからさ」

 

 源吾郎の言葉に雪羽は軽く驚きを見せている。クサいだのなんだのと思っているのかもしれない。しかし源吾郎とホップの結びつきが単純ではない事は真実なのだ。

 元々ホップは普通の十姉妹として、ルームメイトであるトップやモップと共に暮らしていくはずだった。それを源吾郎の薄皮を摂取した事で妖怪化した。その上元の飼い主の家を出て源吾郎の許にやってきたのだ。源吾郎がホップを養い、大切に扱わなければならないのは自明の話だった。

 

「弟みたいって随分入れ込んでますね」

 

 源吾郎の思いをよそに、雪羽はそう言って笑った。

 

「でも先輩って鳥が好きですもんねぇ。鳥の名前もたくさん知ってるし、それなら部屋で飼ってる小鳥ちゃんも大切にするなぁって」

「鳥の名前を知ってるのは、子供の頃に教えられたからさ」

 

 源吾郎と雪羽が行う座学の中には、鳥の名前を覚えるという物も途中から入っていた。恐らくは、紅藤たちが始末した妖怪、青松丸に化身していたという輩に付着していた羽毛の件があったからだろう。

 鳥の名前の件に関しては、源吾郎の方が多くの種類を知っていた。とはいえ、雪羽も共に図鑑や写真を見て覚えている最中だから、その差もいずれは埋まるだろう。

 

「俺は小鳥だけが好きなんじゃない。フワフワした生き物なら何だって好きだぞ。猫とかウサギとかモルモットとかもな。まぁ、今うちにはホップがいるから、あれこれと他の生き物を飼うのは難しいけど」

 

 縁あって十姉妹のホップを飼育している源吾郎であるが、実の所フワフワとした動物であれば何であれ関心を持っていた。中学生の頃、部員たちと共に保護した猫を飼いたいと思っていた事もあったくらいだ。親兄姉から猫を飼う事を反対されなければ、源吾郎はきっと保護した仔猫を喜んで引き受けていただろう。

 

「先輩って結構可愛い物好きだもんなぁ」

「可愛い物が好きで何が悪いんだ」

 

 可愛い物好き。そう言った雪羽がニヤニヤしているように見えて、思わず源吾郎は目を吊り上げた。女子力研鑽に励む源吾郎の事を雪羽はかつて変態呼ばわりしていた。だから今回も、馬鹿にされたのかもしれないと思ったのだ。

 

「良いか雷園寺。可愛い物好きは女子の専売特許じゃないんだぜ。そりゃあ確かに女子の方が可愛い物が好きな子は多いけどさ、最近はオッサンとかも可愛い物好きを自称し始めてるじゃないか。

 それにだな、可愛い物とかお洒落な物とか、女子に近い趣味を共有する事もモテ男への道なんだよ……俺は見た目で勝負できないから、そう言った戦略を持っているんだ」

 

 源吾郎の怒涛の主張に雪羽もたじたじとなっていたようだ。だが事実なのだから致し方ない。驚いたように目を丸くしていた雪羽だったが、頬を動かして笑みを作った。

 

「先輩、別に俺は先輩を馬鹿になんてしてないよ。先輩の事はさ、男の中の男だと思ってるよ。ちょっと変態ぽいけど」

 

 それに――息継ぎするように呟く雪羽の顔は真顔になっていた。

 

「可愛い物が好きとか、そういう事を素直に表現できるのは良い事だと思うし、羨ましいんだよな、正直言って」

 

 自分も可愛い物には興味がある。そう語る雪羽の顔は僅かに陰っていた。

 

「まぁ確かに俺は女の子には困らなかったけど、一応強くて硬派なイメージみたいなのがあっただろ? なのに可愛いのが好きだとかって解ったら周りが抱いてたイメージが崩れるかなとか思ってたんだよ」

「他の連中のイメージに左右されて顔色を窺うのはそれこそ漢らしくないぜ」

「だよなぁ……」

 

 源吾郎の言葉に雪羽も納得したらしく、晴れやかな笑みを浮かべていた。雪羽の事は大分気分屋であるように思える。だがそれも、切り替えが上手な雷獣の特性なのかもしれない。

 そんな事を思っていると、雪羽の翠眼が源吾郎をしっかと捉えていた。

 

「俺もちょっとずつ、自分に正直に生きていこうかなって思うんだよ。先輩みたいにさ」

 

 いやいや雷園寺。お前元から自分に正直だっただろ。そうでなけりゃあ生誕祭の時にウェイトレスに化身した俺をエロ目的で捕まえたりしなかったんじゃないか? そんなツッコミを、源吾郎は思わず心の中で行っていた。

 しかし雪羽はそんな事など気にせず言葉を続ける。周囲で揺らめく彼の妖気が一層濃くなった気がした。

 

「だからさ、また先輩とタイマン勝負やりたいなって思ってるんだ。そんなわけで先輩、早く元気になってくださいね」

「お、おぅ……」

 

 清々しいまでに身勝手な発言を目の当たりにし、さしもの源吾郎も戸惑ってしまった。元気になるまで待つ、というあたりには雪羽なりの配慮はあるにはあるのだろうけれど。

 身勝手な発言と思いつつも、実の所源吾郎はそれほど腹を立ててもいなかった。雪羽と言わず妖怪が大なり小なり身勝手な存在である事は既に知っている。というか源吾郎とて身勝手な存在でもある。おのれも身勝手であったからこそ、今こうして研究センターに所属しているのだから。

 快復したら再び戦闘訓練は始まるだろう。しかし前のように雪羽に立ち向かっていく自信はなかった。闘うのが怖かったのだ。別に雪羽の強さに怖気ついている訳でもないし、戦闘に不慣れなおのれに嫌気がさしている訳でもない。今再びおのれの裡に潜む残忍な本性が姿を現さないか。その事が恐ろしかったのだ。

 

「――戦闘訓練の方は、来週も見送る予定なんだけどね」

 

 ああだこうだと考えていた源吾郎のすぐ傍で声がした。いつの間にか萩尾丸がこちらに来て、源吾郎たちを見下ろしていたのだ。雪羽は驚いているというよりもやや不満そうな表情でもって萩尾丸を見つめている。

 だが萩尾丸は臆した様子を見せずに言い添えた。

 

「島崎君も雷園寺君ももうちょっと休んだ方が良いからね。雷園寺君。君だって元気になったと思ってるかもしれないけれど、単に気が張っているだけかもしれないしさ。明日明後日も、難しい事は考えずにじっくり静養したまえ」

「はい……」

 

 雪羽は神妙な面持ちで返事を返す。生誕祭の一件以降萩尾丸の許で暮らしている雪羽だったが、今週末は三國の許に返される事になっていたのだ。雪羽の心身の状態を慮っての処置である事は言うまでもない。

 

「力もあるし血の気も多いから勝負事とかにも興味はあるのは何となく解るよ。だけどまだ二人とも本調子じゃあない気がするんだ。それに立派な妖怪に育つには勝負だけじゃなくて勉強も大事だし」

「確かに仰る通りですね」

 

 本調子じゃない。そう言われて源吾郎は腑に落ちたような気分だった。雪羽との勝負を恐れているのもそのためだろうと思うと気が楽にもなった。それこそ、気休めかもしれないけれど。


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