「それでさ先輩。米田さんとはあの後どうなんです?」
「あの後って……何だよ急に」
人型変化実験もつつがなく終わり、源吾郎と雪羽はごくごく普通に世間話に興じていた。話題はバラバラながらも、盛り上がるのは至極当然な事であった。妖怪的に考えればほぼほぼ同年代であるし、力のある貴族妖怪と言う部分でも共通点が多いのだから。
それでいて、考え方や得意分野などが真逆であるのもまた、話し合うのには互いに刺激になって興味深さや面白さを引き出していたのだ。
「それにしても、どうして米田さんの事を聞き出したりするのさ?」
とはいえ、唐突に米田さんの事を聞かれても源吾郎は困るばかりである。おろおろしながら問いかけてみても、雪羽はニヤニヤ笑いを浮かべて見つめ返すだけだった。宮坂京子に絡んだ時の、悪ガキらしい笑顔だ。だがそれを見ても懐かしさを感じるだけで、源吾郎は実の所腹立たしさや忌々しさは感じてはいなかった。
「どうもこうも無いっすよ」
笑顔から一転、雪羽は澄ました表情をその面に浮かべた。
「先輩は前に言ってたじゃないですか。友達として、俺に妖怪としての生き方を指南してほしいって。お金とかプレゼントをもらうよりもそっちの方が嬉しいって。ふふふ、もちろん今回はその一環ですよ」
「お、おう……」
源吾郎は緩やかに頷くほかなかった。雪羽の主張には一理あったからだ。妖怪としての生き方を指南する。源吾郎としては戦闘の手ほどきを受ける事が出来ればそれで良いと無邪気に思っていた。だが、雪羽は元々チャラ男だった。要するに女の子をよく侍らせ、女遊びに耽っていた手合いなのだ。であれば、色恋についての経験値も雪羽の方が源吾郎よりも多いのは別におかしな事でも何でもない。
それでどうしたんです? 思案に耽っている間にも、雪羽は上目遣い気味に源吾郎を覗き込んでいた。
「どうって言われても、特に何もないよ。米田さんも年末年始だから仕事とかで忙しいって言ってたし。俺も俺で、お正月休みは家族サービスで頭が一杯だったもん」
「彼女と連絡は取ってるの?」
雪羽に問われ、源吾郎は即座にかぶりを振った。
「クリスマスの前に予定がどうなのかは聞いたけれど、後はそれっきりかな。さっきも言ったように、米田さんも米田さんでお忙しいって事なんだ。俺らと違って正社員じゃないし、それこそ傭兵の仕事がメインだったら仕方ないよ。
そんな訳で、俺みたいな仔狐が迂闊に連絡を入れて、米田さんの気を煩わせたらいけないなって思ってね。それで連絡は入れなかったの」
「えーっ! そんなんじゃダメダメだよ島崎先輩!」
源吾郎の弁明に、雪羽は大げさに声を上げた。翠眼をぐるりと剥き、あり得ないぞと言わんばかりの雰囲気を出しながら。
「休日だったからこそ、気後れせずに連絡を入れるチャンスじゃないか。先輩の事だから、電話番号だけじゃなくてアドレスとかアプリとかもちゃんと聞いてるんでしょ」
源吾郎は敢えて答えなかったが、彼の問いはまさしく図星だった。雪羽はじっと源吾郎を見据え、推理する探偵よろしくおとがいを撫でた。
「もしかしたら、まだ未熟な仔狐だから米田さんにアタックするのは時期尚早だ。島崎先輩、本当はそんな事を思ってません?」
「今日の雷園寺君、やけに勘が鋭くないかい?」
俺の勘が鋭いのはいつもの事さ。なんてったって雷獣なんだから。そう笑って咳払いした雪羽は、ふいに真剣な表情をその面に浮かべた。
「島崎先輩。先輩は米田さんの事が
奥さんまでは大げさだろう。そう思いはしたものの、源吾郎はツッコミを入れずに無言を貫いた。米田さんを好いているのは本当の事なのだ。夫婦云々のプランはまだ大まかに考えている訳ではない。それでも、米田さんが彼女になって互いの事が解れば、そうした関係になるのも自然な事であろう。そんな風に源吾郎は思っていたのだ。
源吾郎の考えを見透かしたかのように、雪羽が言い添える。
「先輩が正直な思いを伝えて、それで米田さんに受け入れて貰えば万々歳じゃないか。それにもし、米田さんが先輩を拒んだとしても、それはそれで仕方のない事として流せば良い事ですし」
「拒まれるって、サラッと
雪羽の言葉に反応し、源吾郎は思わず目を吊り上げてしまった。そりゃあもちろんフラれる可能性だってある事は源吾郎も解ってはいる。しかしだからと言って、尻込みをしていると解った上で源吾郎に伝えるのは如何なものなのか。と言うかその瞬間を想像してしまい、少しだけ凹んでしまったし。
酷い事、か……雪羽は妙に気の抜けたような表情でその言葉を反芻していた。
「まぁ確かに、好きになって恋人になりたい相手にフラれるっていうのはショックだろうね。先輩ってば玉藻御前の曾孫なのに、そっち方面は全く不慣れなんですから」
だけど――そう言った時の雪羽の表情がにわかに一変した。源吾郎は気圧されたが、それでも雪羽の顔から視線は外せなかった。
「フラれるなんてのは単なる
「雷園寺……」
雪羽のこの持論を前に、源吾郎は言葉など出てこなかった。彼の言葉は正しく、尚且つ恐ろしいまでの説得力を持ち合わせていたのだから。この手の言葉の重みは雷園寺でなければ出せぬものだ、たとえ俺が同じ事を言ったとしても、重みもへったくれも無いだろう。雪羽の境遇を知っている源吾郎は、そう思うしか術はなかったのだ。
そう思っていると、源吾郎の手許に暖かな物が触れた。雪羽がそっと手を添えていたのだ。源吾郎が視線を動かすと、ゆっくりと源吾郎の手を握りしめようとしている。力づくではない、ひどく繊細な動きだった。
「俺は知ってるんだよ。米田さんが野良妖怪としても優秀な戦士として周囲から評価されていて、だからこそ他の若い妖たちよりも危険な仕事をこなしているって事をね。へへへ、俺とてただただヤンチャして遊びまわっていた訳じゃあないんだぜ!
危険な仕事をこなしているって事は、その分生命に係わる事に隣り合わせでもあるって事なんだ。極端な話、
だから本気で好きだったら想いを伝えるべきなんだ。先程の提案を、念押しとばかりに雪羽はもう一度口にした。
「仔狐だろうと未熟だろうと良いじゃんか。米田さんなんて俺よりも年上なんだから、先輩が仔狐だって言うのは初めから知ってるだろうし。
それに先輩だって、フラれたからって恨んだり腹を立てたりして、変な事をしでかしたりしないでしょ。先輩は強いし心持ちもしっかりしてるから、凹んだとしてもまた持ち直すと思うんだ」
「……全くもって雷園寺君の言うとおりだよ」
怒涛のごとき雪羽の主張を耳にした源吾郎は、ゆったりとした口調で彼に向かってそう言った。考えは若干重たいものの、雪羽はちゃんと源吾郎のためを思って色々な事を伝えてくれたのだ。その気持ちが嬉しかった。
それに、源吾郎も米田さんと会う機会は非常に得難い物であり、だからこそそれを大切にせねばならないと再認識する事が出来た。
源吾郎は漠然と、米田さんには二月になれば会えるから大丈夫だろうと呑気に考えていただけに過ぎなかったのだから。二月には裏初午と言う行事がある。玉藻御前の末裔を自称する妖狐らの集まる会合なのだが、今年は新規会員として源吾郎も参加する運びとなっていた。
……正式な玉藻御前の末裔が自称・玉藻御前の末裔たちの会員になるというのは奇妙な話であるが、そうなる事が既に決まっているのだから今クドクドと考えてもしょうがない所でもある。
ともあれ、源吾郎は実に平和で牧歌的な考えばかり行っていた事が今回明らかになったのである。誰も彼も命懸けで生きている。今日会えた相手が明日になっても会える保証なんてどこにもない。そんな、ごく当たり前の事を雪羽は源吾郎に伝えてくれたのだ。
「俺はまだ本気で好きになった妖《ひと》はいないけど、そんな相手がいたら大切にするよ。不幸な目にならないように何だってするし、それこそ、俺の
気が付けば雪羽はおのれの恋愛観について、幾分気取った口調で話していた。見た目が幼い少年なので多少滑稽な光景に見えなくもないが、源吾郎は雪羽を笑ったりはしなかった。彼の言葉の重さがいかほどの物か、源吾郎は知っていたからだ。
現に雪羽は、異母弟である時雨の生命を一度救っているという。雷園寺家の当主云々の事を度外視したどころか、文字通りおのれの妖力を削って時雨に分け与えたくらいなのだから。
普段のややお調子者めいた言動ゆえに気付きづらいが、雪羽も雪羽なりに物事を真剣に考えている男なのだ。
※
「それにしても、早速雷園寺君から妖生《じんせい》についての指南を受けるとは思わなかったよ。色々とびっくりしたり一人でシミュレーションして凹んじゃったりしたけれど、勉強になったよ。ありがとうな、感謝するよ」
「えへへへへ。先輩のお役に立てて何よりっすよ」
しんみりした空気もいったん収まり、雪羽はまた明るい笑みを見せてくれた。
そんな雪羽を見ていた源吾郎は、お礼がてらにとある事を思い立ち、雪羽に提案してみたのだ。
「お礼代わりにさ、俺もちょっくら相談に乗るよ。雷園寺君、そもそも急に俺の所に泊まったのって、俺に何か話したい事があったからじゃないの」
源吾郎の申し出に、雪羽は驚いたように目を見開いた。若干迷ったように視線を動かしていたが、ややあってから観念したように頷き、口を開いたのだ。
「そうだな……しいて言うなら先輩と幸四郎さんがお正月休みどんな感じだったか教えて欲しいなって思ってるんだ。俺もさ、そろそろ
雪羽はそう言うと、溜まっていたモノを吐き出すかのようにゆっくりと深呼吸を行ったのだった。