「ここからはちょっと、昔の話をしようか。君らにとっては産まれる前の遥か昔の出来事になるだろうし、僕にとっても最近の事と言うには昔の出来事を、ね」
双睛鳥《そうせいちょう》にまつわる話をする際に、萩尾丸はそのように前置きした。第七幹部たる双睛鳥は妖怪や魔物としては若者の部類に入る。人型に変化した姿も青年ないし若者の姿であるし、何より若妖怪である雪羽が兄さんと呼んでいるのだから。三國自身も双睛鳥を兄さんと呼んでおり、雪羽にしてみてもやはり親戚のお兄さん、と言った年齢差なのだろう。
とはいえ、やはり双睛鳥も萩尾丸も妖怪である事には変わりないのだ。八頭衆の中で最年少である三國ですら既に百五十年は生きているという。双睛鳥は三國と同年代か、彼よりも年長なのだろう。
その事を思えば、源吾郎が産まれた頃などと言うのはごく最近の事になってしまうのだろう。かれこれ四十年は生きている雪羽でさえ、子供扱いされてしまうのだから。
ふと見ると、萩尾丸は雪羽の方に視線を向けていた。
「雷園寺君。これから僕が話す事は、もしかしたら君も多少は知っている内容かもしれないね。だけどサカイさんも島崎君も深くは知らない事だろうから、退屈に思うかもしれないけれど耳を傾けてくれるかな」
「退屈だなんてとんでもありません」
萩尾丸の言葉に、雪羽は礼儀正しい様子で応じた。
「確かに叔父貴と双睛の兄さんは仲が良くて、僕も兄さんの過去の事は多かれ少なかれ知っている所はあるにはあります。でもそれでも、僕が知らない事だってたくさんあるって思うんです。
そうでなくても、大人って子供に知らせたくない事を隠すのが得意なんですから」
そこまで言うと、雪羽はほんのりと口許に笑みを浮かべていた。
そんな雪羽の姿を、源吾郎は感慨深く眺めていた。大人は知られたくない事を子供に対して隠し通すのが得意である。それは源吾郎も同意見だった。だが今回は、その事やそれを雪羽が言及した事を興味深く思っていた。
何せ雪羽は、雷園寺家現当主の真意という物を、つい最近知ってしまったのだから。
それじゃあ話を始めるね。居並ぶ妖怪たちの顔をざっと一瞥し、萩尾丸は手指を組んだ。
「今でこそ双睛鳥君はこの雉鶏精一派の一角を担う存在なんだけど、元々は別の組織に所属していたんだ。いや……所属していたというよりも飼われていたと、道具として保有されていたと言っても良いかもしれないね。
まぁその組織は当時から結構えぐい事をやっていたし、我らが雉鶏精一派にも楯突いて来たからさ、峰白様と一緒に強制家宅捜索を敢行したんだ。それでその時の
「……」
強制家宅捜索に押収。どちらかと言えば事件絡みのニュースでしか聞けないような単語を耳にした源吾郎は、思わず頬を引きつらせた。と言うか妖怪である双睛鳥を押収物扱いするとは。
それとなく視線を走らせて他の二人の様子を探る。雪羽も驚いたらしく、戸惑ったような何とも言えない表情で萩尾丸を見ていた。サカイ先輩は特に驚いた様子はないが。
「表立ってえげつない事をやっていた連中は大体血祭りにあげておいたんだけど、末端の妖怪とか向こうがこちらに
……まぁ、連中も間抜け揃いだったよ。僕にお目こぼしをしてもらおうとして用意していた贈答品が、えりすぐりの妖怪の美女なんてものだったんだからさぁ! ま、女好きだったら多分目論見は成功していたのかもしれないけれど」
途中で脇道に逸れた話を口にしつつ、萩尾丸はさもおかしそうに笑っていた。源吾郎は笑ったりしなかった。先の贈答品だったとかいう妖怪の美女の話は、もしかすると萩尾丸なりの笑い話だったのかもしれない。確かに萩尾丸は女性には興味がないが……敵対組織のしくじりを笑い話として解釈するのは難しかった。少し前に殺すとか血祭りにするなどと言った物騒なワードを耳にしたところなのだから。
もちろん、野望のために闘う身としてそうした事にも慣れなければならないと思ってはいるが。
「……萩尾丸、さん。そう言う事があって、双睛の兄さんは雉鶏精一派に仲間入りしたんですよね。僕も、兄さんが別の組織に飼われていたって事は知ってたんだけど」
ああだこうだと考えている源吾郎の隣で、雪羽が質問を投げかけてくれた。しかもちゃんと双睛鳥に関する事に軌道修正してくれている。ナイスタイミングだぜ雷園寺君。源吾郎は心の中で雪羽に感謝していた。
そうだよ雷園寺君。萩尾丸も萩尾丸でその通りだと頷いている。
「双睛鳥君もあの頃は小さかったんだ。君らと同じかそれより幼かったから、本当に子供だった訳なんだ。鳥系統の魔物、鳥妖怪の一種だから中ビナと呼んでも差し支えないかもね」
中ビナ。こだわりなく放たれた萩尾丸の言葉に、源吾郎はしばしの間考えを巡らせていた。自分や雪羽も仔狐だとか仔猫と呼ばれる事が度々あり、その延長として中ビナと言う言葉を使ったのであろう、と。
それから関連性がある訳ではないが、ホップの姿が脳裏をかすめた。引き取った時のホップは生後数か月で、それこそ中ビナと呼ばれる月齢だったからなのかもしれない。
「彼は――敢えて過去の名で呼ばせてもらおうか――ヴィペール・ジョーヌはヒナの頃から連中に利用されていたんだ。彼の眼に宿る魔力はせいぜい暗示や認識の改竄程度ではあるけれど、それでも敵を混乱させ、生命を奪うには十二分な代物だったんだよ。彼に場を攪乱させて、他の兵士が敵を討ち取れば良い訳だからね。
そしてヴィペール・ジョーヌは理解していたんだよ――自分が黄ばんだ毒蛇として利用されている事も、自分が何に加担しているかもね。ああそうさ。彼は聡い子だった」
いつの間にか萩尾丸の顔には笑みは消えていた。特に聡い子だった、と言ったくだりなどでは、その両目に昏い光が宿っているように見えてならなかった。
「闘うだけに留まらず、相手を殺さねばならない。精神にかかる負荷が如何ほどのものか、君らには解るよね?」
「殺しなんて……誰かが死ぬのを見るなんて
「……はい。そりゃあもう大変な事だと僕も思います」
萩尾丸の言葉にまず反応したのは雪羽だった。彼が他人の生死にひどく敏感なのは源吾郎もよく知っている。何せ時雨を拉致した下手人たちを相手に大暴れした時も、生命まで奪う事は無かったのだから。
一方の源吾郎も、双睛鳥がやらされていた事の重大さを感じ取っていた。戦闘訓練を重ね、幾つかの事件に立ち向かった源吾郎は、おのれが争いを好まない気質である事に気付き始めていた。確かに戦闘訓練などでは闘志をむき出しにして立ち向かう事は出来る。しかしそれはスポーツの一種と見做しているからに過ぎなかった。
実際の闘いでは戸惑ってうろたえてしまうし、打ち負かした相手を痛めつけたいという欲求も源吾郎の中には無い。
「経験を重ね覚悟を決めているはずの兵士でさえ、殺しの重責に耐え切れずに精神を病む事は珍しくない。ましてや、覚悟どころかおのれの意志すら定まっていないような子供ならば、ね」
萩尾丸は物憂げな視線を源吾郎たちに向けると、そのまま一度言葉を切った。眉間の辺りを揉みほぐしていたかと思うと、その動きを止めてから再び言葉を続けた。
「ヒナの頃から利用されていただけでも度し難い話なのに、利用していた連中は、ヴィペール君の存在を、能力もろとも忌まわしい物だと見做して扱っていたらしいんだよ。毒性などを恐れていたのかもしれないが、それなのにその力に頼るなんて図々しいにも程があるでしょ。
そんな事があったから、ヴィペール君はおのれの裡に宿る能力に自責の念すら感じているんだ。実に可哀想な事だよ。邪眼や毒を持つのはバジリスクやコカトリスならば致し方のない事だし、ましてやあの子は一族の中でも毒性が弱い方向に進化した存在なんだからさ」
コカトリスとしての特性を双睛鳥が忌み嫌っている。萩尾丸の言葉に源吾郎は素直に納得していた。それとともに、何故双睛鳥が妙に卑屈な態度を取っていたのか。その謎も氷解したようなものだった。
更に遡れば、犬神を討伐した折も毒の羽で相手を弱らせる事は不本意だと言っていたではないか。
「……彼を組織に迎え入れるにあたり、もちろん心のケアの方は僕らも力を入れたつもりなんだ。だからこそ彼に双睛鳥という新しい名を与え、毒を抑える護符や邪眼の能力を封じる偏光眼鏡を用意したという事なんだよ。それらのものが免罪符に……彼の心の支えとなっていたんだ。護符とか偏光眼鏡に頼らずとも、自力で毒や邪眼の魔力を抑え込めるようになったとしてもね」
そう言う事だったのか。源吾郎と雪羽は納得の息を漏らしていた。妖怪と言うのはやはり精神的な物に左右される存在である。おのれの恐ろしい力を封じていたものが使い物にならなくなったとあれば、気が動転して引きこもるのも無理からぬ話であろう。
と言うよりも、今の双睛鳥はかつての黄色い毒蛇と呼ばれていた時の暮らしを再現しているに過ぎないのだそうだ。組織の連中はコカトリスのヒナを恐れ、薄暗い部屋に押し込めていたのだから、と。だからこそ双睛鳥も進んで引きこもったのだと萩尾丸は付けくわえたのだ。
「それにしても、双睛鳥って言うのは後から付けられた名前なんですね」
源吾郎が呟くと、その通りだと萩尾丸は頷いた。
「組織の連中からはヴィペール・ジョーヌと呼ばれていたからね。直訳すれば黄色い毒蛇と言う事なんだけど……あんまりいい名前では無かったんだよ。薄汚れているとか、陰険な輩と言う意味合いもあるからね。
知っての通り、双睛鳥は双睛をもじった名前なんだ。大陸にいるとされる鳥たちの神であり、邪悪な物を打ち祓う存在でもあるんだけどね。双睛も瞳に特徴があるからさ、ちょうど目に魔力を宿す彼に丁度良いって事で、青松丸君が考えてくれたんだよ」
「……良い名前ですね。本家本元の双睛様がどう思われるかが気にはなりますが」
双睛、或いは重明の鳥と呼ばれる神鳥の事を思いながら、源吾郎は素直に思った事を口にした。双睛は鶏に似た姿の神鳥であるらしい。普通の鶏とは異なり一つの眼球の中に二つの瞳を持つために双睛と呼ばれているそうだ。啼き声は鳳凰に似ており、猛獣や悪妖怪を退ける能力を持つとも言われている。
姿を見せる事は少ないものの、伝承をひもとく限りでは神聖な存在と言っても過言では無かった。そんな存在の名を易々と借りてしまっても大丈夫なのか。源吾郎はそんな懸念をふと抱いたのだった。
萩尾丸はしかし、源吾郎の様子を観察してからふっと笑みを見せた。
「本家本元の双睛鳥様の事を気兼ねしているのかい、島崎君。それならきっと大丈夫だよ。彼が双睛鳥と名乗るようになってからかれこれ百年近く経っているんだ。向こうが思う所があるならば、とうにこちらに乗り込んでいてもおかしくないだろうに。
それに島崎君。やんごとない身分の者たちは、下々の者たちの動きにいちいち目くじらを立てたりしない物なんだよ。君らの一族だって、玉藻御前の末裔を名乗る狐たちの事を容認しているじゃあないか」
「う……はい」
萩尾丸の言葉に、源吾郎は目を白黒させながら頷くのがやっとだった。