「萩尾丸先輩。双睛鳥さんってそのキャリーケースの中に入ってらっしゃるんですよね」
社用車へ向かう道すがら、源吾郎は萩尾丸に思わず質問を投げかけていた。
源吾郎の視線は萩尾丸ではなく、彼の引いているキャリーケースに向けられている。奇抜なデザインや装飾のないシンプルなそれは、しかし犬猫などの動物を運ぶキャリーケースとは似ても似つかぬ代物だった。四角く黒い箱に、持ち上げるための取っ手とキャスターがくっ付いているだけなのだから。強いて言うならばトランクケースや旅行用のキャリーバッグに似ているのかもしれない。
しかしそれ以上に気になったのは大きさだった。双睛鳥を入れるには
もちろんだとも。萩尾丸は当然の事だと言わんばかりに頷いた。それから鋭い眼差しで源吾郎を見つめ返し、何か疑問でもあるのかい、と問いただしたのである。
「思っていたよりも小さいのでびっくりしたんです。僕は前に双睛鳥さんの本当の姿を見た事があるんですが、とても大きかったのが印象的だったので」
源吾郎の脳裏に浮かぶのは、やはり犬神を喰い殺した時の双睛鳥の姿だった。あの恐るべき犬神を抑え込んだ彼の勇姿は偉大であり、その身体は巨大な物だった。もしかしたら、本来の姿はもっと小さなものなのだろうか。そんな考えも少し遅れてから浮き上がってきた。雪羽などは大型の獣に変化する事がままあるのだが、本来の姿はやや大きい猫程度のサイズなのだから。
「……そこにいるのは島崎君だね」
萩尾丸が口を開く前に、源吾郎の言葉に応じる声が聞こえてきた。双睛鳥の声は、さも当然のようにキャリーケースの中から聞こえてきた。
「大丈夫だよ島崎君。このキャリーケースは見た目のわりに広いからね。むしろ暗くて結界もしっかりしていてオガクズも敷いてあるから僕的には快適なんだ」
「見た目のわりに広いって事は、やっぱり妖術を使って調整なさっているんでしょうか」
「その通りだよ」
今度は源吾郎の問いに応じたのは萩尾丸だった。返答は短いものであるが、その声は控えめな喜色に満ちていた。よく解っているじゃないか。萩尾丸が内心でそう思っているであろう事が、源吾郎にもうっすらと伝わってきた気がした。
「君も知っていると思うけれど、双睛鳥君は鳥としては結構大きいでしょ? 車で向かうとしてもかさばるからさ、ケース内の空間をちょっとだけ弄って、双睛鳥君も楽々入れるスペースを用意しているんだ。
もっとも、あんまり広すぎても暴れたり羽ばたいたりして危険だから、身動きできるかどうかっていう程度の広さでも問題ないんだけどね。多分その辺は、島崎君の所にもホップ君がいるから大体解るんじゃあないかな?」
「ああ……はい」
キャリーケースの表面を撫でる萩尾丸を見やりながら源吾郎は頷いた。彼の部屋にもホップ用のキャリーケースがあるからだ。もちろん、十姉妹を入れるためのものであるから、うんと小さなものではあるが。
萩尾丸さん。囁くような双睛鳥の声が、またしても箱の中から聞こえてきた。身じろぎでもしているのだろう、爪が床面を引っ掻く音と、中に敷かれているというオカクズと彼の羽毛がこすれるかすかな音が聞こえてきた。
「安心してください。工房に到着するまで僕は暴れませんよう。暗くて、何処から何処までが自分なのか解らないんで、それが今は気持ちいいんです」
「それは良い事だよ、双睛鳥君」
萩尾丸はそう言って、ゆるゆると息を吐き出していた。
「知っての通り結界で内部と外部の影響をある程度遮断しているのだけれど、揺れや振動については少し我慢していただきたいんだ。僕も少しは
大丈夫です、と双睛鳥は小声で応じるのを聞くと、萩尾丸の視線は源吾郎や雪羽にいったん向けられた。
「君らも……特に島崎君は車酔いとかは大丈夫かな? 前に雷園寺家に向かった時も、特に車酔いに苦しんだ様子はなかったし」
「車酔いは大丈夫ですよ。僕ももう子供じゃないですし。食後すぐだったらちょっとしんどいかもしれませんが」
子供じゃない、と源吾郎が宣言した丁度その時、隣を進む雪羽がこちらを向いてニヤリと笑った。源吾郎が子供ではないと言ったのがよほど面白かったのだろう。何せ源吾郎も雪羽も、上司のみならず先輩たちからはひとからげに仔狐と仔猫扱いされているのだから。
源吾郎も別に腹を立てた訳ではないが……雪羽の言動をそのままスルーするつもりも無かった。
「何だよ雷園寺君。萩尾丸先輩に俺だけ名指しされたからってニヤニヤしなくて良いだろう。油断してたら君だって酔うかも知れないじゃないか」
「俺は雷獣なんで大丈夫ですよ。三半規管だって、地べたを這い回るだけのお狐様なんぞよりも強いんですからね」
「むむ、言われてみればそうやな」
雷獣は三半規管が強い。上から目線の気配も感じなくはないが、ともあれ雪羽の主張には頷かざるを得なかった。その通りだと思わしめるものがあったからだ。戦闘訓練の折に雪羽が上空から襲い掛かって来る事も、逆に源吾郎の攻撃を回避するために回転――それも横回転だけではなく
そもそもからして雷獣は、幼い頃から宙に浮き、縦横無尽に空を飛ぶ存在なのだ。個別に術を会得しなければ空を飛ぶ事はおろか宙に浮く事さえできない妖狐とは、身体的な構造が異なるのもおかしな事では無かろう。
「ははは、島崎君も雷園寺君も新年早々仲良しだね。車の中ではそんな風に好きにしゃべってもらって構わないよ。君らも多分、急な出張が入ったから緊張しているだろうしね」
「……本当に、雷園寺君にも友達が出来て良かったなって僕は思ってるよ。一人が好きな妖《ひと》もいるけれど、やっぱり若いうちは何でも話し合える友達がいたら大分違うだろうからさ」
源吾郎のやり取りを見ていた萩尾丸が朗らかに笑い、それに続いて双睛鳥もしんみりとした様子で感想を口にした。二人とも大人であり、割合真剣な源吾郎たちのやり取りも子供じゃれ合いとして見られているのだ。源吾郎は今一度その事を実感したのだった。
※
人間社会ではグローバル化が進み始めているのだが、それは妖怪や魔物たちの世界でも同じ事である。もしかしたら、人間たちよりも先だってそうした事が進んでいるのかもしれなかった。
従って、日本国内に欧米出身・欧米原産の魔物たちが移住しているというのも特段おかしな話ではない。源吾郎もかつてぱらいそにてオークの男と相対した事はあるし、そもそもからして源吾郎の先祖たる玉藻御前も、大陸からやってきた妖怪に他ならない。
特に阪神地区は国際色豊かな港町を擁しているのだ。異人館などもある事を鑑みれば、特に欧米からやってきた異形にしてみても、港町は居心地が良いのかもしれない。
だがそれにしても、女ドラゴンと顔を合わせるとは。源吾郎はまだ見ぬ工房の店主の事について思いを巡らせていたのだ。冬場と言う事もあるだろうが、早速喉と舌が乾き始めている。
「どうしたんです島崎先輩。何か緊張なさってるみたいですけれど」
隣に座る雪羽は、こちらを向いて源吾郎に問いかけた。キャリーケースの中にいる双睛鳥は助手席に陣取っており、いきおい源吾郎と雪羽は後部座席に仲良く並ぶ形となっていたのだ。雪羽曰く、きちんと上座・下座の席順に対応しているのだとか。
さてニヤニヤ笑いを浮かべる雪羽を見ていた源吾郎であるが、右手で頬を撫でネクタイを正すような仕草をしてから頷いた。
「そりゃあ緊張するさ。俺たち、じゃなくて僕たちは単なる同行者だけどさ、店主がドラゴンだなんて何かおっかないだろう? 多分従業員も、向こうのヒトたちばっかりだろうし」
源吾郎の発言は素直な物だった。萩尾丸や双睛鳥と言った八頭衆の幹部の手前と言うのもあるにはある。だがやはりドラゴンに会うとなると緊張してしまうのだ。別に闘う訳でもないし、萩尾丸たちの話からしてごく普通に意思疎通が可能な相手であろうと類推出来たとしても、である。
向こうのヒトなら俺は大丈夫だぜ。雪羽はそう言うや否や、歯を見せて笑った。
「叔父貴は元々海の向こうの……フランスだかドイツだがイタリアだったかは忘れたけれど、ともかくそっち方面から来たヒトが経営していた農園で働いていたんだぜ。そこで一杯マンドレイクを引っこ抜いてたくさんお金を稼いで、それで反体制活動の資金源にしてたんだ。だからね、今でもその時一緒に働いていたオークのおやっさんとか獣人――要は俺たち獣妖怪と人間の中間みたいなヒトたちだな――達とかとも交流があるんだぜ。もちろん俺もそういうヒトたちには慣れてるよ。英語も話せるし」
「英語は僕も多少はイケるけど。それでドラゴンは?」
それはまだだよ。雪羽はきっぱりとした口調で答えた。少し腹を立てているようにも、何か恥じ入っているようにも聞こえる声音だった。
やっぱり雷園寺も緊張しているんだな。そう思っていた丁度その時、萩尾丸とバックミラー越しに目が合った。
「何だい二人とも。工房の女あるじたるセシル様がドラゴンであると聞いて怖気付いてしまったのかい? らしくないなぁ。君らは大妖怪になり、その上で大君主になる事を目標にしているんだろう。それに何より紅藤様にお仕えして、常日頃よりあのお方の傍にいるじゃないか。考えてみたまえ。紅藤様とてある意味ドラゴンみたいなものなんだからさ」
ハンドルを握りつつ笑っている萩尾丸を一瞥し、それから源吾郎たちは互いに顔を見合わせた。ややあってから、雪羽は何かに気付いた素振りを見せたのだ。
「そう言えば、
「あ、確かに。買ってもらった図鑑の恐竜たちも、羽毛が生えていたのがあったもんなぁ」
源吾郎は目を泳がせつつ言葉を紡ぐ。まだ生物学や進化云々に詳しくない源吾郎であるが、流石に羽毛恐竜の話は知っていた。源吾郎が小学生か中学生の頃に、恐竜図鑑の類も親が購入してくれたからだ。図鑑の類に関しては、もちろん長兄や長姉が幼い頃に買い与えられたものも揃っている。しかし特に恐竜に関する記述は、旧いものと新しいものでは大きく異なっていたのだ。
ドラゴンと言うのは概ね爬虫類に属する魔族に当たる訳であり、骨格を見れば恐竜の一種とも呼べる存在もいるのかもしれない。であれば鳥妖怪である紅藤に近しいという萩尾丸の主張も頷けるものだった。
「種族的な近しさだけじゃなくて、気質じたいもセシル様は紅藤様と似通ってらっしゃるからね。だからこそ、紅藤様も折に触れてあすこの工房に遊びに行きたいと思っておいでだし、セシル様も喜んで迎え入れているんだろうね」
出不精で研究に意欲を出す。それどころか研究にしか目が向かない傾向にある。セシルの持つ気質、特に紅藤と相通ずる所がある点について、萩尾丸は幾つか例示して源吾郎たちに伝えてくれた。
「まぁセシル様の場合、不思議な力を持つ宝石の眼を盗まれるといけないから、引きこもりがちになるのは致し方ないんだけどね。もっとも、セシル様自体もお強い訳だし、他の従業員たちもそれなりに力を持ったヒトたちばかりだから、何かあっても自分で対処できるとは思うんだけど……
ともあれ、セシル様はそれほど恐ろしいお方では無いから、そう言う意味では君らも驚くかもしれないね」
「セシル様は万事のんびりしておりますもんね。やはり強くて長い年月を生きた方たちって、ガツガツした野望から縁遠くなってますよね」
「それは違いないね、双睛鳥君!」
のんびりとした双睛鳥の言葉に、萩尾丸は再び笑い始めた。さも愉快だと言わんばかりの笑い声に、源吾郎は僅かに戸惑ってしまったのだが。