九尾の末裔なので最強を目指します   作:斑田猫蔵

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九頭龍で繋がりし二つの種族

「みんなお疲れ様。新年早々大変だったでしょ」

 

 研究センターに戻ってきた源吾郎たちを、紅藤は待ち構えていたかのように出迎えてくれた。まだ定時を迎えるまでには若干の猶予があった。だがこちらに向かって微笑む紅藤の姿に、強い安心感を抱いたのもまた事実だった。

 それはきっと、紅藤が既に普段着である白衣を着用して出迎えてくれたからなのだろう。白衣姿の紅藤は、もはや源吾郎の中では日常の光景に欠かせない物にすり替わっていた。

 ただいま戻りました。萩尾丸は紅藤に視線を向けながら挨拶を返す。普段通りの厳かな声音ではあるが、師範である紅藤への尊敬と親愛の色が隠されているようにも源吾郎は感じられた。

 

「恐らく一番疲れているのは双睛鳥《そうせいちょう》君でしょうね……外回りや商談は僕にしてみればいつもの事ですし、島崎君と雷園寺君もまだ若いですし、明日に響く事は無いでしょう。帰りの車では、途中から仮眠を取ってましたからね」

 

 付け加えられた最後の一文に、源吾郎と雪羽は顔を見合わせて小さく呻いた。帰りの車の中では、源吾郎たちは初めのうちは確かに起きていた。と言うよりも尻尾の毛の事とか変化術の事とかの話を聞いて、あれこれ考えたり思いを巡らせたりしていたのだ。だがそれでも、途中で寝てしまっていた事は事実だった。がっつり眠っていたわけでは無い。気が付いたら意識が飛んで、研究センターに到着していたという塩梅だったのだ。だから萩尾丸に起こされた時も、それこそ狐につままれたような気分を味わっていた。

 上司の運転する車の中で眠りこけた源吾郎の事を、雪羽は特に糾弾しなかった。その時雪羽もまた寝起きの状態で、目覚めてはいたけれど気まずそうにしていたからだ。自分と同じく雪羽も寝ていたのだと、源吾郎はこの時悟ったのだ。

 

「島崎君も雷園寺君も疲れちゃったのよ、ね」

 

 車の中で寝ていたと聞いても、紅藤は怒りもしなかったし驚きもしなかった。その面に浮かぶ笑みはあくまでも慈愛に満ちている。

 

「二人とも妖力自体は同年代の妖たちよりも抜きんでて多いけれど、それでもまだ若い事には変わりないでしょう。セシル様にお会いしたり、慣れない地下街を通ったりして疲れちゃったんじゃないかしら。若い妖だと、場の妖気にあてられる事だってあるんですから」

「そうですね。そう言う事にしておきましょうか」

 

 萩尾丸はそう言うと、半歩ほど前に進み出て首を巡らせた。青松丸やサカイ先輩を探しているようだった。

 

「とりあえず紅藤様。双睛鳥君を部屋に戻そうと思っているのですが――」

「お戻りですね萩尾丸さん! わ、私がお手伝いします」

 

 萩尾丸の斜め前に姿を現したのはサカイ先輩だった。唐突に姿を現した形になるのだが、よくある事なので誰も大げさに驚いたりはしない。いや、雪羽の尻尾が逆立ち、倍ほどの太さになったくらいであろうか。

 雷獣の雪羽は、周囲の事物を電流で常にサーチしているらしい。便利極まりないこの能力に頼っている節があり、電流でサーチできない存在を前にすると不安になってしまうのだそうだ。サカイ先輩の挙動は電流で読み取る事が出来ないらしく、だからこそ雪羽はサカイ先輩に畏敬の念を抱いていた。

 

「ありがとうサカイさん。君もあの部屋の場所とか道順は知ってるもんね。それはそうと青松丸君は?」

「あ、青松丸先輩は試薬の調整中です。そ、それで二十分ほど手が離せないみたいなんです」

「青松丸君も間が悪いなぁ……まぁ、後で手が空いたところを見計らって彼の許に向かいますけれど。とりあえず、僕とサカイさんは双睛鳥君を部屋に送り届けますので」

 

 萩尾丸はそう言うと、キャリーケースを提げたままサカイ先輩を伴って一旦事務所を後にした。そのまま双睛鳥が静養する部屋に向かうのかと思っていたら、彼は何かを思い出したかのようにふと足を止めた。

 彼は半身をねじり、源吾郎と雪羽に顔を向けていた。

 

「言い忘れていたけれど、セシル様の工房に出張した事は議事録と教育訓練を書いておくようにね。今日はもう遅いから、明日提出してもらっても良いんだけど」

「はい、議事録と教育訓練ですね……?」

 

 疑問形ながらも、源吾郎は萩尾丸の言った事を反芻していた。年長者の言葉であるから応じなければならない。長年末っ子として育った習性によるものだった。

 ややあってから、雪羽の翠眼がこちらに視線を投げかけている事に気付いた。端麗なその面はしたり顔になっているではないか。

 

「へへへ。今回の議事録は先輩にお任せしちゃいますね。議事録と教育訓練ですねって、今さっき先輩が言ったんですから」

 

 雷園寺はそんなに議事録を書きたくなかったのか。そんな事を思いつつも、特にその事には言及せずに源吾郎は受け流した。何のかんの言いつつも、雪羽とああだこうだと問答する元気はなかったのだ。

 

 終業時間もとっくに過ぎ、既に夜の七時を回っていた。

 源吾郎は六時過ぎにタイムカードを押していたが、退社せずにそのまま研究センターの事務所内にいた。研究センターでの緊急ミーティングが終業時間のまぎわに行われたのももちろんある。だがそれ以降の時間は源吾郎の意志で居残っていた。

 要するに、課題として与えられた教育訓練報告書を作成し、更には議事録の作成に取り組んでいたのだ。

 もうすぐ社会妖《しゃかいじん》二年目になろうとしている源吾郎は、未だに議事録などのビジネス文書の作成は不慣れだった。もちろん、学生だった頃にも読書感想文だの日記だのと言った作文は行わねばならなかった。むしろ文系肌だったからそれらの成績は悪くはなかった。

 だが、ビジネス文書と学校で通用する作文は全く違っていたのだ。

 

「もう明日でも良いかなぁ……」

 

 ディスプレイに映る、書きかけの議事録を眺めながら源吾郎は思わずぼやいた。教育訓練報告書は既に提出済みである。どちらも明日提出しても構わないと言われていたのだから、それでも構わないじゃないか。そんな風に思うと、頭からやる気とか気力と言った類がずるりと抜け出していくようだ。

 

「今日書き切っても、明日に回してもどっちでも良いんじゃないですかね」

 

 ひょうきんな少年の声が降りかかってきたのは、帰宅した後の動きをあれこれ考えこんでいるまさにその時だった。声の主はもちろん雪羽である。源吾郎と同じく既に教育訓練を提出した彼の片手には、湯気の立つ紙コップがある。生姜湯か何かは定かではないが、完全に休憩モードだった――就業時間後に休憩するという事に異常さを感じなければの話であるが。

 

「どうしたんだい雷園寺君。君だってもう仕事は終わっただろう?」

 

 おどけた様子の雪羽に対し、源吾郎はやや湿っぽい視線を投げかけていた。こちらに対して冷やかしに来たのかもしれない。そんな事を思ってもいたのだ。

 

「へへへ。先輩が議事録を書いてらっしゃるみたいなんで、ちょっとはお手伝いしようかなって思いましてね」

 

 さも楽しそうに笑っていた雪羽であったが、何かを思い出したのか一瞬真顔になった。それから、コップが不用意に揺れないように意識しつつ、空いている方の手を口に添えて話し始めた。

 

「と言うか先輩。教育訓練も書いたんですから、議事録もそれを参考にすれば良かったんですよ」

「ああ、その手があったのか。それじゃあ、残りの分はそれで明日にでも仕上げようかな」

 

 言いながら、おのれの身に活力が戻って来るのを源吾郎は感じていた。教育訓練は既に萩尾丸に承認を貰うために提出している。しかしこれも元々はパソコンで作成した物であり、データそのものはパソコンの方に存在しているのだ。

 なので、教育訓練の紙自体が手許に無くても、内容を参照する事は造作も無かったのだ。

 

「すまんな雷園寺君。議事録作成を手伝いに来てくれたみたいだけど、さっき言った通り残りは明日やろうってたった今決めたんだよ。だからその……無駄骨だったかもしれないね」

「別にそんな事は無いっすよ」

 

 雪羽は特にこだわりのない様子で、源吾郎の隣に腰を下ろした。イタチのようなしなやかな動きであるが、本来の姿が猫やハクビシンに似ている訳なので、そんなにおかしな事でも無いだろう。

 

「双睛の兄さん事で色々あったから、その事でちょっと話したいなって思ってたんですよ。むしろそっちの方が本命だし」

「確かにそうだよな。雷園寺君は特に、双睛鳥さんの事もお兄さんみたいに慕ってるしさ」

 

 双睛鳥を兄と慕うのは、むしろ雪羽の保護者たる三國なのかもしれない。だがそれは源吾郎たちに取って些事だった。

 新たな偏光眼鏡が新調するまで、双睛鳥は研究センターの一室に籠り、そこで仕事をする事と相成った。源吾郎と雪羽は、缶詰状態になった双睛鳥に直接関与するわけでは無い。むしろこの件で関与する事は二人には無いと言い放たれているくらいだった。

 双睛鳥の面倒を見るのは青松丸とサカイ先輩、そして紅藤で事足りるのだ。双睛鳥は一人で安息できる事を欲しているから、君らが働きかける必要性は特に無い――萩尾丸の言葉は正論だと源吾郎も思っている。しかしあまりにも突き放したような物言いであるように感じてならなかった。

 お前たちは蚊帳の外だから関与するべきではない。暗にそう言われているような鋭ささえ感じてしまったのだ。

 

「青松丸さんたちが双睛の兄さんの面倒をきちんと見てくださるって事は俺も解ってるよ。だけど、あからさまに放っておいて良いなんて事、萩尾丸さんが言うなんて……何かびっくりだよ」

「あくまでも、僕は君らの事も慮ってああ言ったに過ぎないんだけどね」

「萩尾丸先輩!」

 

 噂をすれば影とはまさにこの事であろう。雪羽が萩尾丸の名を言った丁度その時、萩尾丸その妖がこちらに通りかかってきたのだ。まだ仕事中であるらしい事は、それとなく小脇に抱えた紙ファイルで十分察する事が出来た。

 

「君らだって、自分の仕事とか生活の事で頭が一杯だろう。だというのに、双睛鳥君がこっちで急遽缶詰状態になるって事くらいでああだこうだと考えて悩むのは仕事効率的にもよろしくないと思ってね。それで君らには、双睛鳥君の事は気にしないで良いって僕は言ったんだ」

 

 特に雷園寺君。萩尾丸の視線は、三尾ともピンと立てた雪羽に注がれた。

 

「君は新しい弟妹達の事で頭が一杯で、ただでさえそれどころじゃあ無いだろう。しかも島崎君と違って研究センター内に寝泊まりしている訳でもあるまいし」

 

 雪羽の視線は萩尾丸と源吾郎の間で何度か往復していた。うっすらと開いた唇の隙間からは、思案するような獣の唸り声が小さく響いている。

 

「……確かに、萩尾丸さんの仰る通りですね」

 

 雪羽の言葉に、研究センター住まいであるはずの源吾郎も頷いた。双睛鳥が静養するエリアには、源吾郎も立ち入る事は出来ない。そう言った意味では雪羽と同じ状況だったのだ。

 そんな事を思っているうちに、萩尾丸の顔を見ているうちに、源吾郎の脳裏に別の疑問が湧き上がってきた。宝石の眼を持つドラゴン・セシルの発言に引っかかるものがあったからだ。

 

「萩尾丸先輩。双睛鳥さんの事とは別に、お尋ねしたい事があるのです」

「良いよ。僕が解る範囲での答えになるとは思うけれど」

 

 萩尾丸が頷くのをお行儀よく見届けてから、源吾郎は再び口を開いた。

 

「セシル様は八頭怪のやつをご存じだと仰っていましたよね。その時に、深海ヨリ来ル者がどうと仰っていたのが気になってしまいまして」

「どうして気になったのか、教えてくれるかな」

 

 そうですね……萩尾丸に促され、源吾郎はおとがいを撫でつつ言葉を脳内で組み立てていった。気になる事は大きく分けて二つだった。

 

「深海ヨリ来ル者が何者かって言うのがまず気になったんですよ。セシル様の言い回しの一つなのかもしれませんが、僕にしてみれば初耳でしたので。そいつらがどうして八頭怪を知っているのかも気になりますが、そもそも彼らが何者なのか知らなければ、何とも言い難い所ですし。

 それにそもそも、八頭怪はとある龍宮に身を寄せていて、そこで龍王の跡取り娘の入り婿になったんですよね。だったらむしろ龍たちと繋がりがあると思ったのですが……」

「確かに、龍宮に住まう龍たちと深海ヨリ来ル者は異なる種族と言って良いだろうね。しかしどちらも海や水辺に暮らしている存在に違いないんだ。だから両者の間で交流もあるし――交配している事すらあるんだよ。

 特に深海ヨリ来ル者は、異種族交配を好み、おのれの血を分散させる事にそれこそ血道を上げているからね。そうやって彼らは仲間を増やしているんだ。もちろん、龍宮に住まう龍王たちとの縁組だってやってるだろうさ」

 

 あれですよね。萩尾丸の説明が一段落したのを確認し、雪羽が口を挟んだ。

 

「萩尾丸さんやセシル様が言う深海ヨリ来ル者って、半魚人みたいな蛙みたいな連中ですよね。それで、深海の宮殿に眠る彼らの神を――()()()とかいうヘンテコなタコのお化けみたいなやつを信仰しているっていう話ですよね」

 

 その通りだよ雷園寺君。やや興奮気味にまくしたてていた雪羽に対し、萩尾丸は薄く微笑んでいた。

 

「八頭怪……もとい九頭駙馬《きゅうとうふば》は道ヲ開ケル者の血を引いているって話は何処かで聞いた事があるんじゃあないかな。そして雷園寺君がさっき言った九頭龍もまた、道ヲ開ケル者の子孫にあたるんだ。

 九頭駙馬はかつて、碧波潭《へきはたん》に居を構える万聖龍王《ばんせいりゅうおう》の許に婿入りしたと伝わっているんだ。恐らくは、その万聖龍王自体が、深海ヨリ来ル者の縁者だったのかもしれないね」

 

 これは長い夜になるのではなかろうか……萩尾丸の解説に耳を傾けながら、源吾郎は静かにそう思っていた。




註:本文の描写は物語としての演出です。サービス残業を推奨する意図はございませんのでご注意くださいませ(筆者より)
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