「双睛鳥君。念のために聞いておくけれど、さっき紅藤様にお渡しした封筒は納品書入りじゃあないよね?」
思案していた萩尾丸は、双睛鳥《そうせいちょう》に視線を向けて問いかけた。その問いに双睛鳥は力強く頷く。
「はい。納品書の封筒は別にあるのは確認済みです。僕が発注しましたので、僕の方で処理しますんで」
双睛鳥はそう言うと、もう一つの茶封筒を紅藤や萩尾丸たちに見せた。「納品書在中」の文字が、日本語で印字されている。萩尾丸も紅藤も納得し、或いは何処か安堵したような表情を見せていた。
それじゃあ中身を確かめるわね。紅藤は周囲に伝えるかのように言い放った。それから彼女は双睛鳥に視線を向け、優しく微笑む。
「双睛鳥君。折角だからあなたもここで、セシルさんが何を下さったのか見ていくのはどうかしら。私宛、研究センター宛だったとしても、あなたにも何か関わっているかもしれませんから」
「は、はい。実はそうしようと思っていた所でして……」
控えめに微笑みながら、しかし照れくさそうに双睛鳥は後ろ頭を掻いていた。どうやら彼の側近である鳥妖怪ないし鳥型魔物の女性が、双睛鳥を迎えるために社用車でこちらに向かっているとの事だった。もしかしなくても萩尾丸が双睛鳥を彼の勤務地に送り届けるつもりだったのかもしれない。しかし送迎のために双睛鳥の部下が動いているのであれば、それに身を委ねるのが一番であろう。
そうした細々としたやり取りが行われている間に、紅藤は封筒を開けて中身を取り出していた。こうしてみていると、紅藤は中々にマイペースな妖怪であるらしい。源吾郎はふと、そんな事を思ってしまっていた。
封筒の中に入っていたのは二種類の物品だった。一つはフランス語であろう横文字が印字された手紙であり、もう一つはポチ袋に収まったナニカであった。カードの類であろうか。
紅藤がまず手に取ったのは手紙の方だった。
「これはどうやら、セシルさんから私たちへの預言かしらね。まぁそこまで大仰な物ではなくて、アドバイスや助言の類かもしれませんけれど。
まぁ簡単な事が書いてあるみたいだし、これから読み上げるわね」
「それってフランス語ですよね。紅藤様。紅藤様ってフランス語はお解りなんですか?」
「そりゃあ解るに決まってるじゃないか、雷園寺君」
いくらか頓狂な雪羽の言葉に応じたのは萩尾丸だった。その面には、相手を小馬鹿にしたような表情が既に浮かんでいる。良くも悪くも見慣れた彼らしい表情だ。
「僕たち妖怪は何百年と……何となれば千年以上生きていく事が出来るんだよ。その間は遊び呆けて暮らしている訳じゃあないんだよ。経験を積み知を蓄える事こそが大妖怪の生き様だって、君には前々から教えているじゃないか。
ましてや、言語を三つ四つ覚えるなんて事は、比較的簡単な事になる訳だしね」
他言語の習得って簡単な物なのだろうか。萩尾丸の言葉に、源吾郎は無邪気に疑問を覚えていた。学生時代に英語の授業設けた源吾郎であるが、確かに英語で四苦八苦していた生徒もいたような気がする。
萩尾丸さんの言葉にも一理あるかな。のんびりとした口調で言ったのは青松丸だった。
「実はね、その言語が読めなくても読んで中身が理解できるように解読するための術というのもあるにはあるんだ。だけどその術を習得する方が、他の国の言語を覚えるよりも
「……どちらにしても、妖怪仙人になるには世界の言語を習得する事が必要ですからね。島崎君と雷園寺君も、その辺りは少しずつ勉強しましょう、ね」
雷園寺って妖怪仙人目指していたっけ……紅藤のあっけらかんとした言葉に、源吾郎と雪羽は思わず目配せしていた。そもそも、源吾郎と異なり、雪羽は最強の妖怪を目指しているのかどうかすら定かでは無いし。
紅藤の視線は再び手紙に戻っていた。
「それじゃあ改めて読み上げるわね。『敵は思いがけぬ所に存在する。場合によっては、まさかと思う相手・心底信頼していた相手が該当する可能性もあるから心せよ。或いは――用心していた相手、思いがけぬ相手が心強い味方になる可能性もある』……ですって」
手紙の内容を日本語で読み上げた紅藤は、深く息を吐いて手紙をテーブルの上に置いた。手指を動かして手紙を畳んでいるのだが妙に動きがぎこちない。手先がかすかに震えているように見えたし、何より彼女は手紙を見ようとはしなかった。
「これはまた、ありがたいお言葉ですね」
紅藤が手紙を畳み終わったところで萩尾丸はそう言った。その言動に、源吾郎は驚いて萩尾丸の顔をまじまじと凝視したのだ。普段の皮肉めいた雰囲気はその言葉には込められていない。だからこそ驚いたのである。
何せあのありがたいお言葉とやらには、具体的な事など何一つ書かれていなかったのだから。単なる一般論の延長を聞かされたのだと、源吾郎などは思っていたのである。それはきっと、隣の雪羽も同じ事だろう。
そして萩尾丸もまた、源吾郎たちが怪訝そうな表情を浮かべている事に気付いたようだった。
「島崎君に雷園寺君。どうしたんだい二人とも。セシル様のお言葉が不満だったと言いたそうな顔をしているね」
「そんな……」
「不満があるなんて言ってないっすよ」
思っている事を言い当てられ、源吾郎も雪羽も慌てて口を開いた。ややぶしつけな態度を取った源吾郎たちに、萩尾丸はいつもの余裕たっぷりの笑みでもって応じるのみだ。
「そもそも今回は双睛鳥君の偏光眼鏡を作るという依頼のみをセシル様は受けたんだ。あくまでもこの預言はサービスに過ぎないんだよ。無償のサービスだから手を抜いているなんて思わないでくれたまえ。きちんと価値のある物に対しては、きちんと対価を支払わなければビジネスは成り立たないんだからね。
もっとも、セシル様もその辺は気になさらないだろうから、きっと店員たちが気を回したのかもしれないけれど……」
ビジネスだと言われると、源吾郎たちはぐうの音が出なかった。ビジネス云々については萩尾丸の方が深く知っているし関わっている。それに何より、彼自身も紅藤が廉価で護符などをばらまこうとしている事に悩んでいる事は知っていた。
もちろんその事もあるでしょうけれど。萩尾丸の主張に横槍を入れたのは紅藤だった。
「セシルさんのようなお方であってもね、解る事や知り得る事、そして出来る事には限界があるの。もちろん私にもそうした限界や制約はあるんですけれど。
人間の言葉の受け売りになりますが、『怪力乱神を語らず』と昔から言う訳ですし」
紅藤の言葉に源吾郎は思わずうなってしまった。怪力乱神を語らず。この言葉はもちろん源吾郎も知っている。しかしまさか、紅藤の口からポリシーとしてその言葉が出てくるとは予想外だった。紅藤はそれこそ語られざる怪力乱神に属する側だと思っていたからだ。
「私、紅藤様の仰りたい事は解りますよ!」
茫洋とする源吾郎の耳に、サカイ先輩の声が響いた。
「私、ご存じの通り隙間女なので、色々な隙間は見てきたんです。や、やっぱり、自分には解らない物を見たり触れたりすると、それだけで発狂する事もあるんですよね。私は多分正気だけど、だけど発狂したりおかしくなったりしたモノは、人間とか妖怪とかいっぱい見てきました……」
「ええ、ええ。全くもってサカイさんの言う通りよ」
たどたどしい口調ながらも物騒な事を言ってのけるサカイ先輩に対して、紅藤は同意するように頷いた。
「やはりどれだけ力や経験を積んでいたとしても、限界はどうしても存在するものなのよ。その限界を無視して無理をしてしまったからこそ、胡喜媚様もお隠れになった訳ですし」
確かにそうだ。源吾郎は心臓を掴まれるような思いを抱きながら頷いた。源吾郎の曾祖母である玉藻御前も、その義妹である胡喜媚も現世にはもういない。女媧に仕え女媧の許で修行していた彼女たちでさえ、破滅からは逃れられなかったのだ。
「それに力のある存在が、無闇に他の者たちに介入する事も本来ならば難しい事なのよ。力が大きければ大きいほど、良くも悪くも影響が出る訳ですし……」
そう告げる紅藤の顔は、何処か物憂げなものだった。力の事について、真剣な話を解説しているからだろうか。
そんな紅藤に対して、実の息子である青松丸が呼びかけていた。
「紅藤様。手紙の事と内容の考察は後にして、こちらのポチ袋の中も見てみましょうよ」
いつの間にか、青松丸はテーブルの上に置かれていたポチ袋を手に持っていた。それを受け取った紅藤は、用心深い手つきでもってポチ袋を開き、中に入っている者をゆっくりと取り出した。
あ、とかおお、という声がにわかに上がる。それは名刺サイズの小さな細工絵だった。工房に続く廊下に飾られていたレリーフのようであったが、照明の下で螺鈿細工のように淡く輝いている。
木の葉の上にうずくまるヒヨコの姿。それが名刺サイズのキャンバスの中に表現されていたのだ。構図自体はシンプルなのかもしれないが、木の葉もヒヨコもかなり精密に描かれているようだった。螺鈿細工《らでんざいく》めいたものなので描くと表現して良いのかどうかは定かではないが。
「栞がわりに作ってくださったのかしら。でもこっちの方が豪勢な事には違いないわ。セシルさんってばご自身の鱗を使われたみたいなんだから」
「鱗だなんて、そんな……」
紅藤の言葉に、冷静な萩尾丸さえも驚きの声を上げている。
皆と一緒にヒヨコの絵を見ていた双睛鳥が、何かに気付いたらしく口を開く。
「こちらには『いずれ巡り合うかもしれない』と、下の方に書いてありますね」
「巡り合うかもしれない……木の葉の上にうずくまるヒヨコが何だって言うんです?」
双睛鳥の言葉に疑問を示したのは雪羽だった。確かに、ヒヨコの絵を見せられて意味深な言葉を添えられていたら、雪羽みたいに疑問を抱くのは致し方ない事だ。
しかし、この絵にも何か意味があるのだと源吾郎は素直に思っていた。何せセシルは、おのれの鱗を使って作った物なのだから。
木の葉の上のヒヨコか。これもちょっくら調べないといけないかも。源吾郎は静かにそう思っていたのだった。