九尾の末裔なので最強を目指します   作:斑田猫蔵

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 マイクロピペットのくだりは筆者の実体験だったりします(隙自語)


雉妖怪の今昔がたり

 青松丸の指示を受けた源吾郎は、先輩たちが実験に使う試薬を調整していた。業務自体は特段難しいものではないはずだ。定量の精製水に、これまた指定の分量だけ液状の薬品を入れる。それだけの事だ。

 ついでに言えば、出来上がる試薬も使用する薬品も、今回に限って言えば妖体《じんたい》に無害なものだった。

 実を言えば、研究センターにて扱う試薬や薬品の類は無害な物ばかりではない。

 故意に飲むなどといった行為は論外であるにしろ、皮膚についただけでも有害な成分が体内に浸透していくだとか、発がん性があるとされる試薬もあるくらいだ。ちなみに妖怪は人間や普通の動物よりも頑健な生き物ではあるが、細胞で構成されている種族の場合、がんを発症する可能性はあると考えても問題はない。

 中には妖気に反応して熱を帯びて沸騰したり、触れた相手の妖気や生体エネルギーを吸い取ってしまうような薬品もあるそうだ。

 もっとも、新人である源吾郎や研修生になったばかりの雪羽はそうした試薬を取り扱う機会はまだ与えられていない。とはいえ……中学生のころなどに危険な薬品だと思っていた塩酸や硫酸が可愛く思える様な試薬のラインナップが、この研究センターには揃っていた。

 だからという訳ではないが、源吾郎は僅かに気が緩んでいたのだ。この手の試薬調整は初めての事では無い。高温に弱いから冷やした状態で行うべきという事であるが、そこまで神経質になる事もない。小さな発泡スチロールの中に冷却用の氷を満たし、その中に試験管を刺していればそれで十分だ。現にそうした状態で源吾郎は調整を進めていた。

 後は薬品を五ミリリットル測り取って試験管に入れるだけである。あと五回マイクロピペットを動かせば調整は終わるのだ。源吾郎は無邪気にそう思っていた。彼の右手には、もちろんマイクロピペットが握られていた。溶液を吸い取る目盛りは一〇〇〇を示している。千マイクロ、つまりは一ミリリットル分を一度に吸い取るように調整していたのだ。

 

「あっ……」

 

 薬品を二度マイクロピペットを用いて吸い上げて試験管に入れ、三度目を吸い上げた時の事だ。源吾郎が間の抜けたような声を上げたのは。

 薬品を吸い上げるのに失敗してしまったのだ。吸い上げる際にいつも以上に勢いがついてしまったのだろうか。チップの中に吸い上げられた液体は一度目や二度目よりも明らかに少ない。しかも吸い上げる時に若干跳ねたのか、チップ内部に小さな水滴がついているのも見える。

 まずかっただろうか。これはどうすべきか。源吾郎は首をかしげて思案した。このまま試験管に投入するのはもちろん論外である。さりとてこれを薬品の瓶に戻してしまっては不純物が混入する恐れもあるかもしれない。勿体ないが、流しに液を棄てる他ないのだろうか。

 幸い、源吾郎のしくじりを見ていた者は誰もいないようだった。青松丸やサカイ先輩は厳しく叱責する事は無いだろうが、雪羽に見られていたらそれはそれでややこしい。

 そんな風に安堵し、またしても源吾郎は油断していたのかもしれない。

 

「島崎君、君は一体何をやっているんだい?」

 

 だから源吾郎は自分に近付いていた妖狐に気付かなかったし、声を掛けられた時には大いに驚いたのだ。

 傍らにいたのは萩尾丸の手引きで派遣された白川先輩だった。しっかりと白衣を着こんでいる姿が様になっている。洗っても取れなかった薬品の染みが所々残っており、長年使いこんできた気配が見え隠れしていた。

 白川先輩の眼差しは鋭く、そして冷え冷えとしていた。昨秋のあの日、源吾郎と雪羽を「良い身分のお坊ちゃま」と言い捨てた時よりも眼差しはきつく感じられるほどに。

 

「何って……試薬を作っているんです。青松丸先輩に言われましたし、これはそんなに危ないやつじゃあないから……」

 

 源吾郎の弁明を半ば聞きながら、白川先輩はあからさまにため息をついた。何が気に障ったのだろうか。いや……俺はまだ中途半端に吸い上げたマイクロピペットをそのまま握っているではないか。それを咎めるつもりなのか。でもこれじゃあ証拠隠滅なんてできないし。

 

「島崎君は文系で実験の方面には明るくないと聞いていたが、まさかこんな事をしでかすとは……」

 

 源吾郎は思わず身を縮めてしまった。ついで若干上目遣い気味に白川先輩の表情を窺う。捨てられて途方に暮れた仔犬のような表情に近いものだ。いや、源吾郎は妖狐だから仔狐と言った方が正しいであろう。

 色々とあざとい表情かもしれないが、実の所源吾郎は意図してこんな態度を見せた訳ではない。半ば反射的にそうした仕草を見せてしまっただけだ。

 それこそが、彼が末っ子として扱われ、一族の仔狐という地位に長らく収まっていた事の証拠になるのかもしれないが。

 

「マイクロピペットをチマチマ使っていたみたいだけど、五ミリリットル分を測り取るつもりだったんだろう?」

 

 源吾郎は何も言っていないにもかかわらず、白川先輩は解っているかのように言ってのけた。実際問題その通りだったのだが。だから源吾郎は素直に頷いた。少し呆気にとられ、反応が遅かったけれど。

 

「良いかい島崎君。こういう時にはマイクロピペットを使うのは適切ではないんだ――」

 

 その言葉と共に、白川先輩のレクチャーが始まった訳である。結局試薬は作り直しになったのだが、マイクロピペットの特性が、源吾郎の脳裏に叩き込まれる事となったのだ。

 

「白川君は理系肌の妖狐なんだ。だからきっと、萩尾丸さんも今回敢えて彼を僕たちの所に寄越したのかもしれないね」

 

 昼休み。青松丸に午前中の事を報告すると、彼はのんびりとした口調でそんな風に言った。話題に上がった白川先輩はこの場にはいない。工場棟の食堂で食事を摂っているとの事だった。

 試薬調整の後に知った事なのだが、白川先輩はこの研究センターや併設する工場棟で働いていた事もあるらしい。サカイ先輩が研究センター入りする前の事であるから、十年以上前の事だ。源吾郎は結構前の事だと思っているが、当事者にしてみればごく最近の事なのかもしれない。

 

「……白川先輩は僕らの事を良い身分のお坊ちゃまだとか、そんな風に言っていた事があったんですけれど、もしかしたら僕が研究職だからってのもあったんですかね?」

「あ、でも島崎先輩。俺は白川さんに『研究職としては良い線行っている』って言われたんすよ」

 

 腑に落ちた様子で呟く源吾郎の言葉に、雪羽が横槍を入れていた。青松丸にちょっと世間話をしようと源吾郎が向かった所に、雪羽も偶然を装って近くに控えていたのだ。いつもの事なので源吾郎も特にその事を指摘したりしない。

 余談であるが雪羽は単体で工場棟の食堂や自販機に出向く事は殆ど無かった。ヤンチャな悪ガキのわりに、内気というか内弁慶な部分を彼は持ち合わせてもいた。もっとも、人間で言えば十代半ばの子供なのだから、そうしたややこしい感性の持ち主であっても何らおかしな事は無いのだが。

 

「そうなんだよなぁ、雷園寺君は理系方面というか研究職方面の方も強いよなぁ。メカとか電気とか幾何とかが得意分野だって言ってた割には、化学とかそっち方面にもかなり強いじゃないか。詐欺だぞ詐欺」

「やだなぁ先輩。そんなショボい事で吠えてたら色々と台無しだぜ? そう言う事柄って根っこで繋がってるから、一つが解れば芋づる式に解る様な物なんだってば」

 

 おどけたように話す雪羽の顔を、源吾郎は目を細めながら眺めていた。雪羽の存在は時々謎めいているように源吾郎には感じられたのだ。もちろん解りやすい部分もあるが、彼の気質は何もそれだけではない。その事が解らなかったから、源吾郎も無邪気に単純なやつだと思っていた時もあった。

 しかし実際には源吾郎以上に繊細な側面も持ち合わせているし、脳筋であるように見せかけて聡い部分もある。もしかしたら、ヤンチャな悪童ではない、彼本来の性格が顔を覗かせる頻度が増えているのかもしれなかった。

 少なくとも解るのは、自分とは異なる部分も多いという事くらいであろうか。

 そんな風に雪羽の事を考察していると、青松丸がおっとりとした様子で口を開いた。

 

「島崎君は文系だったみたいだから、確かに最初の十年くらいは普通の研究者とか理系の子たちより苦労するかもしれないね。だけどそれ以上に勉強熱心だから、その辺もうまく乗り越える事が出来るんじゃないかなって僕は思っているんだ」

 

 吟味するように青松丸は言うと、次に雪羽に視線を向けた。

 

「それに引き換え、雷園寺君は確かにゴリゴリの理系肌だよね。三國君たちも、どちらかと言えば君を管理職として育てていたみたいだから……やっぱり生まれつきの素質なのかな」

 

 どうなんでしょうねぇ。紅藤の手で研究センターの研修生という身分を与えられた雪羽は、すっとぼけたようなように応じて首をかしげるだけだった。

 

「やっぱり雷獣ってそっち方面に強い個体が多いらしいですね。一番得意なのは雷撃を扱う事ですけれど、そこから派生した特技を持つやつもいる訳ですし。俺や親戚たちが機械に強いのもそのためですね」

 

 雪羽はそこまで言うと、はたと何かを思い出したような表情を浮かべた。

 

「後は……医療というかケガとか病気を治す系統の仕事に就く雷獣もいるらしいんすよ。細胞とか神経の間には弱いけれど電流が流れているじゃないっすか。所謂電気治療ってやつですかね。

 実はそう言う使い方ってかなり難しいんだけど。でも、雷園寺家の現当主はそう言う術を習得しようとしていて、実際に少しなら使えるって聞いたんだ」

「ほう……」

「――そう、だった、んだ」

 

 雷園寺家の現当主が回復術のような物を会得している。雪羽のこのカミングアウトは、重要な意味があるように思えてならなかった。何より目がぎらついているではないか。

 源吾郎がその意味を探ろうとする前に、タイミングよく青松丸が口を挟んだ。

 

「二人ともまだまだこれからだし、少しずつ頑張っていけばいいと僕は思っているんだ。紅藤様や萩尾丸さんも、君らには期待を寄せているんだからさ。

……あ、しまった。きょうびむやみに『頑張れ』なんて無責任に言うのは良くないんだよね」

「大丈夫ですよ、青松丸先輩」

「平気ですって。俺、これでも打たれ強いんですから」

 

 先の発言に対し、妙にこちらに気を使う青松丸に対し、源吾郎と雪羽はそう言って笑った。それよりも青松丸先輩。源吾郎は青松丸の顔を見やり、思っていた事を口にした。

 

「青松丸先輩こそ、今は大変な時期なのではありませんか? 紅藤様たちが落ち着かないのもありますが、ここ最近、萩尾丸先輩が妙に圧をかけてらっしゃるみたいですし……」

「大丈夫だよ島崎君。僕はそう言うのには慣れているんだ」

 

 ですが……淡く微笑む青松丸に対し、源吾郎は尚も言葉を重ねた。萩尾丸はこの場にはいないのだから、別に忖度しなくても良いのに。そう思っているまさにその時、青松丸が語り始めたのだ。

 

「僕と萩尾丸さんの関係は、ちょうど君たち二人の関係と()()()()なんだ。もっとも、僕たちの場合はどっちが兄でどっちが弟なのかはっきりしているけどね」

 

 萩尾丸と青松丸の関係性が、自分と雪羽の間にあるそれと同じである。思いがけぬその言葉に、源吾郎は驚いて視線を彷徨わせた。雪羽と青松丸を交互に眺めているうちに、雪羽と視線を絡み合わせる形にもなった。

 

「いや、僕たちの関係はむしろ峰白様と僕の母である紅藤様の関係に近いと言った方が良いのかな。あのお二方が、()()()()()()振舞っているのは君たちも知ってるでしょ」

 

 そうですね。源吾郎と雪羽は揃って頷いた。紅藤が峰白を姉として慕い、峰白が紅藤を妹と呼んでいる姿は源吾郎も知っている。

 萩尾丸さんは僕にとっては()のような存在なのだ。青松丸は静かにそう告げた。その声には昔を懐かしむような響きが伴っている。

 

「出会った時はお互い子供だったから、余計に兄弟とか仲間みたいな感覚があったのかもしれない。ともあれ萩尾丸さんが、すぐに僕の兄のように振舞ってくれた事には変わりないよ。そうして僕はあの妖《ひと》の弟分に収まったからね。萩尾丸さんの方がいくらか年上だったし、昔からしっかりした気質の持ち主だったからね」

 

 その通りだと源吾郎は思っていた。元より萩尾丸は、紅藤に拾われた小妖怪に過ぎなかったという。今でこそ実子である青松丸を差し置いて紅藤の右腕となっているが、それは生半可な気質であれば実現できぬ事であろう。

 もっとも、ライバルだったはずの青松丸が、極端に内気で穏和な性格だったのも、萩尾丸が順調に出世した要因の一つなのかもしれないが。

 

「多分だけど」

 

 いたずらっぽい笑みを口許に漂わせながら、青松丸は呟く。

 

「島崎君と雷園寺君の面倒を見ているうちに、君らのやり取りを眺めているうちに、萩尾丸さんは昔の事を思い出したんじゃあないかな。それで自分が若かった頃を懐かしく思ったり、島崎君たちの事が()()()()感じられたのかもしれないね」

 

 俺たちの事が羨ましいだって! 源吾郎はまたも驚いて目を丸くした。あの萩尾丸が、所詮は仔狐や幼獣に過ぎぬ自分たちの事を羨ましく思うとは。その謎の答えについても、青松丸は気前よく明らかにしてくれた。

 

「ほらさ、二人はもう基本的には仲良しになっているけれど、それでも時には競い合ったり張り合ったりしてるでしょ。萩尾丸さんだって、本当は僕と張り合ったり競い合ったりしたかったんだよ。ただ、僕は()()()()()()じゃあなかったから……」

 

 そう言って微笑む青松丸の顔には、自嘲的なものが色濃く浮かんでいた。源吾郎はここで、彼が胡琉安の半兄である事を思い出してもいた。多くを語る事はないが、青松丸も時にはおのれが背負う物の重たさに音を上げたくなる時があるのかもしれない、と。

 しかしその一方で、若い頃の青松丸が、兄貴分に収まった萩尾丸に対して張り合う所は上手くイメージできなかった。現に二人がそれぞれ収まっている地位こそが、二人の気質の違いを雄弁に物語っているではないか。

 それにしても青松丸さん。雪羽が丸い翠眼を動かしながら青松丸に問いかけた。

 

「言い方は悪いですが、萩尾丸さんは青松丸さんの兄貴分になれたからこそ、今日第六幹部としての地位を護っていると僕は思うんです。だというのに、今更張り合って相争うとなると、その地位が危うくなると萩尾丸さんはお思いにならないんですかね?」

「――幹部としての地位だけじゃなくて、対等に相争う相手も欲しい。萩尾丸さんはそう思っておいでなんだ。ただ強いだけじゃあ孤独だからね」

 

 青松丸の意味深な言葉に、源吾郎は神妙な面持ちで耳を傾けるだけだった。最後の一文のために、無邪気に萩尾丸が強欲であると決めつける事は出来なかった。

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