九尾の末裔なので最強を目指します   作:斑田猫蔵

280 / 601
若狐 黄昏時に化かされる?

 気付けば窓の外が大分と暗くなっていたので、源吾郎は面食らってしまった。別宅に訪れたのは昼下がりの事である。夕焼け色を通り越して、暗い藍色に染まった窓向こうの景色を目の当たりにして、こんなに時間が経っていたのかと思ったのだ。

 しかし、源吾郎の驚きはさほど長続きはしなかった。スマホで時間を確認して、今が正確に何時ぐらいなのか把握したからだ。何という事はない、まだ五時半を回ったばかりだった。夜と呼ぶには早すぎる時間ではないか。

 つまるところ、源吾郎はこの部屋に来てせいぜい三時間ほどしかいないという事だ。狭くて家具もほとんどないアパートの一室の掃除、それもホコリを払う程度の事ならば、そこまで時間を費やす事は無いのかもしれない。

 しかし源吾郎がアパートの中で行っていたのは掃除だけではなかった。アパートに置いていた本に手を伸ばしてしまったというのもあるし、何よりこのアパートの中である種の変化術を行使してもいたのだ。

 研究センターの居住区に引っ越すにあたり、源吾郎はアパートに置いていた家具や家電の大半を向こうに移設してもいた。このアパートに物が極端に少ないのはそのためだ。

 元よりアパートに置いてある家具は少なかったのだが、いくら何でもこれではあまりにも殺風景すぎる。部屋のあるじである源吾郎の目から見ても、ここで暮らしていると言われれば首をかしげるレベルだった。

 ましてや、苅藻は一度この部屋に訪れた事さえあるのだ。それも源吾郎がまだここで暮らしていた時に。このままであれば苅藻が怪しむのは明らかだ。

 だからこそ、源吾郎はかつて自分がこの部屋で暮らしていた時の状況を変化術の類で再現できるか試していたのだ。もちろん、実際に機能するような家具や家電を変化術で再現するのは源吾郎でも難しい。しかし、そこに在るように見せるだけであれば出来るだろう。そのように源吾郎は踏んでいたのだ。幸いな事に、スマホにはかつてここで暮らしていた時の写真も何枚か存在していたし。

 思い立ったら吉日とばかりに源吾郎は即座に行動に移った。もちろん、納得のいく変化術は最初の一発や二発ですぐに出来たわけでは無い。しかし何度か繰り返しているうちに、かつて暮らしていたレイアウトを再現する事が出来たのだ。そこまでに費やしたのは小一時間程度である。

 これならば苅藻の叔父上も違和感は抱かないだろう……大体のコツを掴んだとみるや、源吾郎は内心ほくそ笑んだ。変化術で物体をこしらえる術は、単純に難しいとか簡単だと言い現わせるものではなかった。動物などの分身を顕現させる術とは確かに異なっていた。異なっていたからこそ、簡単な部分も難しい部分もあったと言えば良いだろうか。

 それでも源吾郎は、おのれの術の出来栄えや自身が術を行使できた事実に酔いしれ、満ち足りた気持ちになっていた。島崎君は今でも十分に強い。半妖とは思えないほどの才能の持ち主じゃあないか。萩尾丸が抱える部下たち、特に妖狐たちの声が脳裏にこだまする。

――ああそうだ。俺は才能に満ち満ちているんだ。やっぱりこれも、生まれ持った才能よな……

 過去に受けた称讃を思い出しながら悦に入っていた源吾郎であったが、その至福のひとときも長続きはしなかった。凡狐たちの称讃や声の面影はすぐに薄れ、研究センターの面々や親族・家族の姿がより鮮明に浮かんできたからだ。

 彼らは確かに源吾郎に才能がある事は認めていた。しかし、源吾郎が慢心して才能がある事をひけらかす事は決して許さなかった。のみならず、お前は未熟な仔狐なのだと、言葉と態度で示していたくらいだ。そうした者たちの中で一番態度が柔らかいのは雪羽であるが、それは彼が源吾郎と同年代の若妖怪であるからに過ぎない話だ。ましてやその彼とて、戦闘訓練では源吾郎を翻弄しおのれの優位を見せつける始末だ。

 いや違う。源吾郎は息を吐いて首を振った。師範や上司、そして親族たちの態度が厳しく見えるのは、ひとえに自分の野望によるものなのだ。少し冷静になった源吾郎はその事をきちんと思い出したのだ。

 最強の妖怪として君臨する。それこそが源吾郎の野望である。そしてその野望を叶える事は、今の源吾郎では夢のまた夢の事なのだ。何せ最強の妖怪を、最も強い妖怪を目指しているのだから。才能があるだけの若造が、すぐに最強になれるほどに世間は甘くない。そもそも先ほども言ったように、雪羽との戦闘訓練でさえ源吾郎は苦戦するようなレベルなのだ。

 だが、戦闘訓練で雪羽相手に苦戦するのは致し方ない事だと、紅藤たちも思っているらしい。それはやはり、彼らは年長者として強くなる事の大変さやその道のりの険しさを知っているからだ。というよりも、それでも十何度かに渡る戦闘訓練で、源吾郎が二、三度は勝利を収めた事に驚いてすらいるらしい。妖力の保有量ばかり多い、闘いを知らぬお坊ちゃまの割には頑張っているではないか、と。

 紅藤たちは、特に萩尾丸は源吾郎の強さや才能に対して厳しい評価を下しているように思う。しかしその一方で、彼が才能を持っている事自体は認めてくれているのだ。

 

「あぁ……半休だけどいい塩梅に疲れたぜ」

 

 源吾郎は長い欠伸をし、誰に言うでもなく呟いた。自分の身の振り方について、あれこれ考えるのはやめだ。頭の中で源吾郎はきっぱりとそう思っていた。慢心してはならないのは言うまでもないが、さりとて卑屈になり過ぎるのも良くない。自分はまだまだだという気持ちは持ち続けておかないといけないが、保有する力の恐ろしさに無自覚なのも問題である……紅藤たちの教えは概ねそのような物だったはずだ。それをアウトラインとして知っていれば上出来であろう。この手の事は、考えを巡らせれば巡らせるほどドツボにはまりそうな気もするし。

 とりあえず家に帰ろう。そう思い立った源吾郎は、身の回りの物を軽くまとめて立ち上がった。明日ももちろん仕事が控えている。そうでなくとも夕食の準備やホップの放鳥などと言った日常の出来事も待ち構えていた。

 源吾郎はだから、今は別宅となり果てたこのアパートを後にしたのだ。その足取りは軽く、こだわりもためらいも無かった。

 それどころか、帰る前にスーパーによるべきか否か、そんな事を考え始めていたくらいなのだ。

 

 やっぱりスーパーに立ち寄ったのは正解だったな。ママチャリの籠に収めた荷物を一瞥し、源吾郎はほくほく顔だった。

 基本的に、源吾郎がスーパーで買い物をするのは仕事終わりの夜か土日などの休日に限られている。元より源吾郎は会社勤めであるから、スーパーに向かう時間も就業時間外になるのは致し方ない話だ。

 従って平日に向かう際は夕方を大分過ぎた時間帯となる訳であり、品揃えも薄かったりお買い得品が既に売り切れていたりする事も珍しくはない。

 だが今回は、いつもより三十分ばかり早くスーパーに辿り着く事が出来た。三十分の時間差というのは流石に大きく、品揃えも源吾郎が普段通う時よりも充実しているように思えた。その分客足も多く若干込み合っていたのだが、それは特に問題ではなかった。源吾郎は若く、尚且つ半妖なのだ。体力面や身体能力はそれでも人間の成人男性よりも優れている。込み合っている合間を探し出し、素早くお目当ての品を買い物かごに入れる事など造作の無い事だった。

 源吾郎はゆるゆるとママチャリを漕いでいた。タイヤの前輪に取り付けられたライトが、蒼白い光を放ちながら行き先を照らしている。

 特に急ぐ道ではなかった。既に夜の帳が周囲に降りているかのようであるが、時間としてはまだ六時を過ぎたぐらいに過ぎない。むしろ普段よりも時間帯としては早いくらいだった。ついでに言えば、早めに居住区に戻ったら、工場棟に勤務する行員たちと出くわすのではないかという懸念も源吾郎は抱いていたのだ。

 もちろん、彼らに出くわしたからと言って何か問題がある訳ではない。だが彼らは源吾郎が半休である事を知らないだろうから、フラフラしていると思われるのではなかろうか。そんな懸念が源吾郎の心中にはあったのだ。

 急がずにゆっくりと自転車をこいでいたから、源吾郎は周囲の景色などを眺める余裕があった。

 だからこそ源吾郎は気付き、関心を持ってしまったのだ。道の向こう側で意味ありげにうずくまる女性と、それを取り囲むように佇立する影たちに。

 それらの一群は、折しも田園と田園の合間にある、ひどく寂れた場所に留まっていた。源吾郎の暮らす吉崎町は、故郷とは異なり農業が盛んな場所である。スーパーを構え住宅が立ち並ぶエリアや、研究センターなどと言った工場が集結するエリアもあるにはあるが、大部分は田畑が広がっているばかりなのだ。もちろん、田園の間には神社やお寺も鎮座している。

 気付けば源吾郎は自転車を止めていた。彼が視界に収めている一団は異様な風体であるが、源吾郎以外に気付く者はいないようだった。それが何故なのかは解らない。というよりもその事について源吾郎は特に思いを馳せていなかった。

 あれは一体何だろう。源吾郎はこの時、幼子のごとき好奇心の虜になっていたのだ。彼らの様子が気になり、少し近付いてみようと思ってしまったのだ。自転車を邪魔にならないように脇に置き、用心のために買い物袋を左手に提げながら、源吾郎は一段の方に歩み寄っていた。

 人間の目には、件の一団は遠目には黒々とした塊にしか見えなかったのかもしれない。しかし源吾郎は半妖である。純血の妖狐ほどではないが多少は夜目が利く。ついでに言えば聴覚も普通の人間よりは鋭かった。

 源吾郎はだから、少し近付いたところで一団の様子が解り始めたのだ。彼らが顔すら覆えるようなロングコートを身にまとっている事と、その口から何やら奇妙な文言が唱えられている事を。

 一体何なのだろう。源吾郎の好奇心の中に、疑念とも恐怖ともつかぬ感情が混入し始めていた。入り込んだ不純物は、水の上に落とされた墨汁のように広がり、その水面に歪な渦巻き模様を描くほかない。

 引き返した方がいいと思いつつも、源吾郎の動きは止まらなかった。見えない何かに操られていたなどというつもりはない。あくまでも源吾郎は源吾郎の意志で歩を進めようとしていた。怖いもの見たさゆえの事だった。

 好奇心は猫を殺すと言うが、狐にもそれが当てはまるというのか。妙に強気で幼稚な考えさえも、源吾郎の脳裏に浮上していたのだ。

 

「ガァッ、ギャアッ!」

 

 斜め上からの奇怪な鳴き声に、源吾郎は大いに驚嘆した。無様に声を上げる事はなかったが、それでもその場に立ち止まり、硬直したようにその身が震えた。用心深く隠していた四尾はそのまま顕現し、驚きのせいで毛先まで鋭く逆立っていた。

 一体何だったのだ。源吾郎はここで正気に返ったような気分になっていた。源吾郎を驚かせた奇怪な声の主は、意外にも謎の一団ではなかった。

 声の正体は、悠々と空を舞う鴉どもだったのだ。既に夜の闇に同化しているかのような黒い翼が、そこここではためく気配が源吾郎には感じられた。

 なぜ自分が鴉に脅されたのか、それは全く解らなかった。だが既に源吾郎の奇妙な探究心は消え失せていた。さっさとこの場から退散しよう。その考えだけが源吾郎の脳裏にあったのだ。

 

「……邪魔だてが入ってしまったわね。今回は私たちも切り上げましょう」

 

 ママチャリの方に向かうその刹那、謎の一団の方から意味のある明瞭な声が聞こえた。聞き覚えのある様な声に感じられたが、源吾郎はついぞ振り返って確認する事は無かった。

 鴉の中には灰高の遣いも存在している。その考えだけが、いつまでもいつまでも頭の中で渦巻くだけだったのだ。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。