「それじゃあ源吾郎は、自主的に紅藤様の住まいに居候しているって事なんだな」
その通りです。話のあらましを聞いた苅藻の問いかけに、源吾郎は力強く頷いた。もちろん、何故研究センターの居住区に引っ越したのかについても説明済みである。源吾郎の安全を保障するという意味合いももちろんあるが、むしろ使い魔である十姉妹妖怪のホップを護るためである、と。
そのホップは今朝も元気な姿を見せていた。ただやはり何かを感じ取っていたらしく、せわしない様子の源吾郎を見て、何度も胸を震わせて啼いていたのだが。
身内びいきになるかもしれないが、ホップは普通の十姉妹よりも賢いし、学習能力も高いのではないか。ホップと遊んだりホップの世話をしている時に、源吾郎はしばしばそう思うようになっていた。もしかすると、そろそろ曜日の概念をも理解し始めているのではないか、と。
「雷園寺君は謹慎処分の一環として萩尾丸さんに引き取られたという話だったけれど、源吾郎は違うって事で良いんだな?」
「そうだとも叔父上。というかさ、俺は雷園寺のやつとは違うって事は叔父上だってよく知ってるでしょ」
苅藻の言葉に、源吾郎は少しばかりいきり立った。紅藤の許に居を構える源吾郎の理由が、萩尾丸の許に強制的に引き取られた雪羽のそれと同じなのではないか。あからさまに苅藻がそう思っているであろう事が透けて見えたためである。
いきり立つ源吾郎を見るや、苅藻はあからさまに表情を変えた。
「源吾郎。確かに俺の言い方が気に障ったのかもしれんな。だが雷園寺君についてはそんな風に乱暴に言うんじゃない。仮にも同じ職場で働く仲間、それも気を許している友達なんだから、な」
叔父にたしなめられて、源吾郎はばつの悪い表情を浮かべるのがやっとだった。
あの時源吾郎は、単純に雪羽と同列に見られ、自分も謹慎処分を受けていると思われた事に腹を立てていただけなのだ。だから雷園寺のやつ、などと荒っぽい事を言ってしまった訳でもある。
しかしその雪羽を、単に打ち負かすべきライバルであると見做すだけの時期はとうに過ぎていた。いつの間にか気心の知れた友達という関係を、源吾郎は雪羽との間に構築していたのだ。源吾郎は既に雪羽を何度か本宅に泊めた事もあるし、一緒に初詣に行った事さえあるくらいだ。相当仲のいい間柄と言っても遜色は無かろう。
「それにな、俺だって雷園寺君の事は心配していたんだよ。俺にしたら、あの子も甥っ子みたいなものだからさ。ましてや、あの子もあの子で色々と複雑な事情もあった訳だし」
「そう言えば、三國さんは叔父上や叔母上の弟分みたいな存在だって、前に教えてくれましたよね」
そうだとも。苅藻が頷いたのを皮切りに、二人の間に生暖かい沈黙が漂った。三國と雪羽。お互い兄弟分のように思っている雷獣について思いを馳せているであろう事は明らかだった。
「ともあれ、雷園寺君も元気で真面目に業務に励んでいるって事で何よりだよ。源吾郎もあの子とすっかり打ち解けて仲良くなってるみたいだしさ」
叔父の言葉に源吾郎は頷き、彼の瞳に浮かぶ感情の色を読み取ろうとしていた。やはり三國は苅藻にとっての弟分らしく、感慨深そうな色がその瞳にははっきり浮かんでいるではないか。
「三國のやつも、随分と立派になってたよ。正直なところ、あいつの事はまだまだヤンチャな若造だと思っている節があったんだ。だけどあいつはきちんと大人になっていた。良き夫、良き父親としてな」
そこまで言うと、苅藻は深く息を吐いた。苅藻のその言葉に、源吾郎は何故か一松の寂しさを感じ取ってしまっていた。だからこそ、特にこだわりもなく言葉を紡いだのだ。
「弟分だった三國さんが先に所帯を持ったから、叔父上も先を越されたって思っているんですかね?」
「何を言うんだわが甥よ」
源吾郎の軽口に苅藻はすぐに反応した。その頬に浮かぶ笑みは乾いていた。
しばらく源吾郎の顔を眺めていた苅藻であったが、ややあってから何かを悟ったように頷く。
「……まぁ、源吾郎もまだまだ若狐だもんな。結婚だとか、子供を持つとか、それが真実どういう事なのか、まだはっきりと解るのは先の事だよな」
またしても仔狐扱いされたではないか。そんな風に思っていると、苅藻は昏い瞳で言い足した。
「特に俺たちは半妖だからな。どれだけ妖狐の血が濃かったとしても、その事からは逃れられん。妖狐との間に仔を設けたとしても、やはりその子は混ざり者になってしまう訳だし。
その事を考慮して、独身を護って子孫を残さないという道もある訳だしな。兄貴たちが神仏に仕える道を選んだのもそう言う訳なのかもしれん。俺はまぁ……家庭的な性格とも言い難いだろう」
苅藻の言葉を、源吾郎はただむっつりと聞いていた。半妖の子孫が半妖と見做される事は源吾郎ももちろん知っている。源吾郎の場合であれば、純血の妖狐との間に仔を設けたとしても、血の濃さは八分の五に留まるのだ。父母が人間と妖狐だった半妖よりも、少し妖狐の血が濃い程度の存在に過ぎない。
ともあれ源吾郎は、暗に苅藻に責められていると感じてしまったのだ。おのれの妖生設計《じんせいせっけい》の考えが甘すぎる、と。
甥のそんな考えが叔父には伝わったのだろう。苅藻はにわかに表情を和らげて言葉を続けた。
「何、さっきのは俺や兄貴たちの考えに過ぎないよ。源吾郎、お前はお前の考えでどうすれば良いか決めればいいんだよ。もちろん、相手がいる事だから独断専横はいけないけどな。
それに俺たちだって、急に考えが変わって所帯を持つ事になるかもしれんしな」
源吾郎はまだ若いから、来るべき時に備えて色々と考えればいいんだ。その言葉で、苅藻は先の話を締めくくったのだった。
※
「それじゃあ、そろそろ裏初午の話をしようか」
話題はとうとう裏初午の事にシフトした。苅藻の、いつも以上に真剣な表情に戸惑いつつも、源吾郎も表情を引き締めていた。
実のところ、裏初午に臨むにあたり、源吾郎はそこまで気構えてなどいなかったのだ。玉藻御前の末裔を自称する妖狐たちが集まるという事であるが、せいぜい互いの安否や活動の確認がメインであり、時たま賓客の講演会がある。その程度に考えていたのだ。だから高校や大学などで行われるシンポジウムのようにつつがなく終わるであろうと、源吾郎は無邪気に認識していたのだ。
更に言えば、源吾郎は雉鶏精一派に属する妖狐たちグループの一人として参加する事が決まってもいる。既に見知った妖狐たち――面倒見のいい穂谷先輩や朗らかな拓馬などだ――と行動を共にすれば良いのだから、新入りと言えども気を張る事は特に無い、と。
もっとも、米田さんとより親密な関係を構築できるのではないか、という期待も源吾郎の心中にあったので、裏初午はただただ嬉しいイベントという認識が勝っていたのもまた事実でもあった。
「今年はなぁ……普段通りとはちと違う事になるって既に話が持ち上がっているんだよな。何せ源吾郎、
「真なる玉藻御前の末裔……やっぱり俺って
言いながら、源吾郎は心臓が力強くうねるのを感じた。心臓は、期待と緊張で暴れまわっているようなものだ。
そんな甥の様子を見ながら、苅藻はなだめるように口を開いた。但し、その眼差しやその表情には呆れの色も見え隠れしていたけれど。
「玉藻御前の末裔を名乗る狐たちにしてみれば、やはりどうしても俺たち本物の存在は気になってしまう所なんだろうね。しかも生まれつき力が強く、他の兄弟姉妹と違って初めから妖怪として生きようとしているだろう? そうなると、お偉方も気になって会合に出席なさろうとするんじゃあないかな」
苅藻はそこまで言うと、にわかに茶目っ気のある笑みを浮かべた。
「それは俺やいちかが初めて参加した時も似たような感じだったけどな。そんな訳で、今回は若菜様もいらっしゃるだろうけれど……ともあれ源吾郎。君はお行儀よくやっていれば大丈夫だ。流石に俺たちが傍についてやることは出来ないが、それでも先輩たちが傍にいるんだから、さ」
叔父として、玉藻御前の末裔としてのアドバイスを受けた源吾郎であるが、しかしその大部分は半ば聞き流していたようなものだった。というよりも、話の中ほどで出てきた名前に気を取られてしまったのである。
「俺はお行儀よくやるから大丈夫だよ……それよか叔父上。若菜様って誰の事なんです? 玉藻御前の末裔を名乗る狐の中の、最高責任者何ですか?」
「いいや。若菜様は玉藻御前の末裔を名乗っているお方
源吾郎の予想に反し、苅藻は即座に首を振った。源吾郎が訝っている間に、苅藻は言葉を続ける。
「若菜様は、かつて玉藻御前や白銀御前に……お前の曾祖母や祖母にお仕えしていた妖狐なんだよ。だから玉藻御前の末裔だとは名乗っていないんだ。とはいえ、俺たちや玉藻御前の末裔を名乗る狐たちの中では重要な存在なんだけどね」
「そ、そんな……」
玉藻御前に仕えていた妖狐が今度の会合に出席する。源吾郎は思わず手許の湯呑を握りしめた。思いがけぬ話に目がくらみ、一瞬意識が遠のきかけたのだ。