九尾の末裔なので最強を目指します   作:斑田猫蔵

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訓練に思案巡らせ狐は挑む

 十分ばかり続いていた戦闘訓練も、そろそろ勝敗が決まりそうな状況へと移っていた。防戦気味だった源吾郎が明らかに押されだしたのだ。それは雪羽の猛攻が勢いを増したという事とも同義である。

 呼吸が上がり、ついで結界術が緩んだ。見えない結界の表面が、さざ波のように揺らいだのを源吾郎は目の当たりにしたような気がした。これはまずい。

 そしてこの揺らぎや隙を見逃す雪羽ではなかった。緩んだ結界を新たに構築し直すよりも早く、雪羽が源吾郎に体当たりしてきたのだ。急所になりそうなところを受け流す事は出来たが、雪羽そのものを回避する事は出来なかった。

 向こうが雷撃を纏っていなかったのが僥倖だ、と思うのがやっとである。雷撃や電撃の類は、運が悪ければ触れただけで戦闘不能や生命の危機に陥るためだ。そうでなかったとしても動けなくなるわけだし。

 

「ぐっ……」

「まだまだぁっ!」

 

 ゴロゴロと地面を転がりながら、源吾郎と雪羽は互いに吠えた。特技の雷撃を放つ素振りは見せないが、それでも危機が去った訳ではない。

 むしろここからが闘いのクライマックスと言えるだろう。転げまわりながらも互いに掴み合い、相手に有効打を加えようと腕や尻尾を振るっているのだから。妖術を使った闘いから肉弾戦にシフトしただけに過ぎないのだ。

 くんずほぐれつを繰り返しながら、源吾郎は腕や脚で雪羽の攻撃を受け流し、弾くのがやっとだった。それこそ狐火の妖術をおのれの身体から放出すれば、そこで決着はつくだろう。しかしそれは出来なかった。そこまで大規模な狐火を放出するほどの妖力は既に残っていなかったのだ。

 ついでに言えば、尻尾を用いた攻撃も今回は有効打とはならないであろう。全長一メートル半ある源吾郎の尻尾は、中距離ないしはこちらに近付いて来る相手に対して使う時こそ最も効力を発揮する代物である。従って、既に取っ組み合いを行っているような場では却っておのれの尻尾が邪魔になってしまうだけなのだ。

 だからこそ、苦手だと解っていても肉弾戦にもつれ込むほかなかったのだ。

 源吾郎にしてみれば、肉弾戦で雪羽に反撃する事はおろか、相手の動きを防いだり躱したりする事も中々に難しかった。人型を保つ雪羽の姿は、一見すれば小柄な少年に過ぎない。しかし彼の動きや威力は、普通の人間の少年のそれとは段違いだった。人型を保ちながらもその動きは何処か動物的であるし、受け止めるたびに彼の膂力を思い知るくらいだ。まさしく人の形を保ちながら、獣の機動力と腕力を行使しているようなものである。

 荒い息を吐きながら、源吾郎は雪羽の押しをこらえていた。真冬であるはずなのに外気に触れている顔の皮膚が火照ってしようがない。その事に気付いたまさにその時、源吾郎の呼吸が僅かに乱れた。

 雪羽の腕が源吾郎の鎖骨付近に迫ったのと、源吾郎が力を抜いて右腕を地面に投げ出したのはほぼ同時だった。雪羽の動きを度外視し、源吾郎はゆっくりと右手で地面を二度叩いた。これはタップアウトであり、自分の負けを認める意思表示でもあった。

 

「そうか……今回はここまでだ」

 

 遠くから萩尾丸の声が放たれた。それほど大きな声ではないにしろ、彼の呼びかけは源吾郎の耳にはっきりと届いた。霊妙なる大天狗の術ゆえの事なのか、源吾郎自身が萩尾丸の声を聞こうと集中していたからなのかは定かではない。

 おのれの上にのしかかっていた圧がさっと遠ざかる。源吾郎を組み敷いていたはずの雪羽は、身をひるがえしてその場に立っていた。腰から垂れる三尾が風にそよぐように揺れている。血色のいい指先は濃い桃色に染まっていたが、雪羽自身の呼吸には乱れはない。ずっとこうして静かに立っていたと言わんばかりのたたずまいだ。

 

「先輩、だいじょうぶ?」

「――平気だよ、俺は」

 

 雪羽の視線と声が降りかかる。未だに興奮と呼吸の乱れが収まらぬ源吾郎ではあったが、それでも半身を起こした。雪羽の声には嘲りも慢心もない。純粋に源吾郎の様子を案じるものだった。親しみの念さえ籠っていた。それでも、弱みを見せたくないという源吾郎の強がりが揺らぐ事は無かったが。

 立ち上がった源吾郎は少しの間無言だった。心臓の拍動と皮膚の裏を駆け巡る熱い血が収まるのを待っていたのだ。涼しい顔でこちらの様子を窺っているであろう雪羽とは大違いである。

 所詮は俺も半妖なのか。あらかた落ち着きを取り戻した源吾郎は、密かにそんな事を思っていた。概ね妖狐として妖怪として振舞う源吾郎であるが、自身に人間の血が流れている事を時折思い出すのだ。今回のように、戦闘訓練の直後などには。

 

「二人ともお疲れ様。よく頑張りましたね」

 

 柔らかく穏やかな声が投げかけられる。源吾郎はここで、自分たちの傍に近付いて来る者たちがいる事に気付いた。

 視線を探れば声の主はすぐに見つかった。第八幹部であり雪羽の叔父である三國と、彼の側近である風生獣の春嵐《しゅんらん》は、いつの間にやら源吾郎たちの傍に近付いていたのだ。先程呼びかけたのは春嵐である事は、声や口調からして解っていた。

 先程まですまし顔だった雪羽の面は、早くも喜色に彩られた。叔父貴に春兄《はるにい》! その口から漏れ出た呼び声は、まさしく見た目相応の無邪気な物だ。

 

「ははは。戦闘訓練を見るのは久しぶりだけど、中々見事な闘いぶりだったからびっくりしたぜ。いつも見てるから知っているような気はしたけれど、やっぱり成長したんだなぁってさ」

 

 上機嫌と言った様子で三國は言い放ち、豪快な様子で笑っていた。雪羽はちゃっかりそんな三國の許に駆け寄り、褒めてくれと言わんばかりにすり寄っている。春嵐や源吾郎、場合によっては萩尾丸たちの目があるにも関わらず、である。

 三國も三國で甘える雪羽の頭を撫で、背や肩に手を添えていた。この時雪羽は、全くもって甘える仔猫のような表情と仕草を三國に見せていたのだ。

 妖《ひと》の目を一切気にしない両者の触れ合いを、源吾郎は無言で眺めていた。驚きの念は無い。烈しい気性とはっきりとした感情表現、そして相手への惜しみない愛情表現。三國や雪羽の持つ雷獣らしい気質を、源吾郎も既に把握しているのだ。だからこそ驚きの念は無かったのだ。

 ただ、三國の雰囲気が変わった事には気付いていた。これまでは兄弟のようにも見えた三國と雪羽の両者は、今となってはきちんと()()()()の姿に見えるのだ。

 

「雪羽が強いのは俺も知ってたよ。だけどそれでもさ、さっきの闘いを見て思ったよ。雪羽も俺の知らない所で強くなって、闘いの腕を上げたんだってな」

「そりゃあもちろんさ!」

 

 若干の湿っぽさを伴う三國の声とは裏腹に、雪羽の声は明るく弾んでいた。

 

「だって俺は母さんの――雷園寺家先代当主の息子で、しかも叔父貴から闘う術を教わったんだもん。俺は強くなるよ。これからどんどんとね」

 

 そうだったなぁ。三國がそう言った時には、密着していたはずの両者には若干の距離が出来ていた。雪羽は叔父との触れ合いに満足したらしい。

 

「お前の母親は、ミシロ義姉さんはそりゃあもう立派な雷獣だったからな。雪羽、お前は子供たちの中でもあの妖の血を濃く受け継いだんだ。だからお前にもその強さが受け継がれているんだ――だって父親はカス野郎だしさ」

 

 昏い目つきで付け加えられた三國の一言に、源吾郎の喉がヒュッと鳴ってしまった。雪羽の強さを褒めるにあたり、彼の母を称賛し、それと共に彼の父を貶めたのだ。しかも雪羽の父は三國の実兄でもある。

 他妖の事情であると言えども、三國の言葉に源吾郎は戸惑った。親族を貶めるという行為にショックを受けていたのだ。しかも源吾郎は、類推と言えども雪羽の父が何故息子を手放したのかについてを知っている。三國はその事を知らないから、未だに息子を棄てた兄の事を赦せないでいるのだろう。必死にそう思ってみても、源吾郎の戸惑いは収まらなかった。

 果たして雪羽はどんな顔をしているのだろうか。雪羽の顔に視線を向けようとした源吾郎は、すぐに三國と目が合ってしまった。

 源吾郎を見つめる三國は微笑んでいた。雪羽の父であり自身の実兄をカス野郎呼ばわりしたとは思えないほどに、穏やかで優しげな笑顔だった。

 しまざきくん。自分が三國に呼びかけられていると気付くのに、源吾郎は若干の時間を要した。返事というにはお粗末すぎる声の後に、三國は言葉を続けた。

 

「君は本当に強くなったね。苅藻の兄貴たちの事は知っているから、君にも才能はあるって事は知っていたけれど……」

「あ、ありがとう……ございます」

 

 礼を述べた源吾郎であるが、その声は戸惑いのためにたどたどしかった。傍らにいる雪羽が気を悪くしたりしないか。よせばいいのにそんな考えが脳裏をかすめたりしたのだ。

 この時、ちょうど雪羽の顔が見えた。源吾郎の心配とは裏腹に、雪羽はあっけらかんとした表情で三國と源吾郎の様子を眺めているだけだったのだ。

 

「島崎先輩。先輩ってば今日の戦闘訓練は、少し緊張してたんじゃあないっすか」

 

 訓練後。二人で着替えている時に雪羽はこちらをちらと見やって問いかけてきた。源吾郎は雪羽の翠眼を眺めながら、ゆっくりと頷いた。

 

「うーん。緊張していたと言われればその通りになるのかな。それ以上に色々と考え事とかもしていたし。まぁ、上の空って程じゃあないけれど」

「成程ね。そう言う事だったのか」

 

 源吾郎の言葉は歯切れの悪いものだったが、雪羽は納得してくれたようだった。こうした雪羽の気質は、こういう時には非常にありがたい物だと感じられた。雪羽は細かい所まで気にしない節があるし、それでいて勘の鋭い所がある。源吾郎の言葉で色々と察してくれたのかもしれない。

 

「裏初午だっけ? 玉藻御前の末裔を名乗るお狐様の会合ってもうすぐなんでしょ」

「うん……」

 

 源吾郎は言いながら、思わず目を伏せた。裏初午に臨むにあたり、源吾郎は実の所緊張し始めていた。玉藻御前の末裔を名乗る妖狐たちと交流する事は別にどうという事はない。今回、玉藻御前と娘の白銀御前に仕えていた老齢の大妖狐が出席する。その事に対して緊張していたのだ。玉藻御前の元従者と雉鶏精一派の一員という事で友誼を結ぶのは良い事だとか、苅藻やいちかが初めて出席した時も彼女は顔を出していたなどと、紅藤や萩尾丸は言ってくれたのだが。

 

「それに今回は、八頭衆の妖《ひと》たちも結構集まっていたからさ。その事もあって緊張しちゃったんだよ」

 

 源吾郎が言い添えると、雪羽は大げさだぞと言わんばかりに肩をすくめた。

 

「結構集まったって言っても、灰高様と双睛《そうせい》の兄さんと三國の叔父貴がやって来ただけだぜ? 紫苑様とか他の幹部たちはお忙しいから俺たちの戦闘訓練を見る事は出来ないって話だったし」

「でも灰高様がお見えになってただろ。しかも紅藤様や萩尾丸先輩とも話があるみたいだし」

「この前打ち合わせなさったところなのに、また打ち合わせをなさるんですね」

 

 雪羽は驚いて目を丸くしていた。灰高が本日研究センターで紅藤たちと打ち合わせする事は、事前にミーティングで源吾郎たちにも伝えられていた。それでも、驚かないかどうかと言えばまた別問題になるのだけれど。

 

「いやはや、大妖怪って言うのは打ち合わせとかそう言うのが大好きですよね」

「うん。でもさ、俺らも出世すればそんな感じになるんだろうね。雷園寺君だって雷園寺家の当主を目指している訳だし」

 

 そこまで言うと、源吾郎と雪羽は互いに顔を見合わせてため息をついてしまった。

 日頃より強い妖怪になりたいと願っている源吾郎であったが、この時ばかりはしばらく今のままでいい、などと思ってしまったのである。

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