九尾の末裔なので最強を目指します   作:斑田猫蔵

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狐めざめて現に向き合う

 宇宙空間らしき場所を見た奇妙な夢の事について、源吾郎はあれこれ思いをはせる暇は無かった。寝過ごしてしまったからだ。

 本来であれば、源吾郎は港町にある萩尾丸の職場に直行する手筈だった。萩尾丸は妖狐の部下も大勢召し抱えている。その中には玉藻御前の末裔を名乗る者たちもいる。源吾郎もその中に混ざり、社用車にて現地に向かう予定だったのだ。

 しかし今朝はどうだ。普段より早く出発せねばならないというのに、普段よりも小一時間以上遅い時間に目覚めてしまったではないか。研究センターへの勤務であればまだ間に合う。だが電車を乗り継いで港町に向かうとなれば完全に遅刻してしまう。そしてその事で焦ったのもよろしくなかった。焦りによって判断を見失い、なすべき行動を鈍らせる作用があるのだから。

 それでも源吾郎は為すべき事をピックアップした。第一にホップの世話、ついで自分の食事である。身支度は二の次三の次だった。

 何にもましてホップの事を最優先したのは言うまでもない話だ。妖怪化したと言えどもホップは普通の十姉妹と大差ない。半日、いやほんの数時間であっても食事や水を切らせば落鳥しかねぬ存在だった。

 放鳥タイムを設けずに日頃の世話だけ行う予定であったが、そうは問屋は卸さなかった。源吾郎の焦りに気付いているのかいないのか、ホップは鳥籠の中に入る源吾郎の手にまとわりつき、遊ぼうと誘い続けたのだ。のみならず、一瞬の隙をついて鳥籠から抜け出す始末である。

 もちろん源吾郎はホップを鳥籠に戻そうと画策したのだが……結局気付けば普通に放鳥しているのと同じ事と相成った。しかもホップは源吾郎に捕まったりなどせず、自ら鳥籠に戻る始末だ。ここまでくれば笑えてしまう。

 

 このままでは遅刻してしまうのだろうか。簡素な朝食を取りながら、源吾郎は静かに現状を分析し続けていた。まだ部屋着であり、ここから更に着替えなければならない訳である。男だから(それに今回は女子変化する訳でもないし)メイク云々はひとまず気にせずとも問題はない。とはいえ身だしなみは整えておいた方が良いのは明らかだ。ましてや今回は妖狐たちの交流も兼ねた出張であり、源吾郎も若妖狐として注目されているのだから。

 とはいえ、身綺麗に整えていたとしても遅刻したらぶち壊しである。そしてこのままでは遅刻は確定であろう。吉崎町から港町に出るまでにはいくらか時間はかかるし、山間の田舎町なので電車の本数も少ない。

 そこまで考えを巡らせていた源吾郎は、遅刻を回避する方法を思いついた。

 きちんと身支度を整えた上で紅藤か萩尾丸に事情を話し、転移術で港町の職場に送ってもらう。それこそが源吾郎の思いついた秘策でもあった。

 これが上策であると素直に思っている訳ではない。寝坊したから遅刻した。いかな甘え上手な源吾郎とて、そんな事を無邪気に上司に伝えられるほど厚かましくはない。紅藤ならば笑って許してくれる気もするが、萩尾丸はきっとこの事をしばらく引き合いに出して弄んでくるに違いない。

 さりとて丁度良い案がそれ位しか思い浮かばなかったのだ。源吾郎自身は転移術を会得してはいないのだから。

 

「……これで良いか」

 

 ひととおり支度を終えた源吾郎は、鏡でおのれの姿を確認してから呟いた。着込んでいるのは一張羅と言っても過言ではないスーツである。通勤用とは別に長兄が用意してくれたこのスーツについては、大切な時に着こむものだと源吾郎は区別していたのだ。実際問題、通勤用の物よりも質は良く、値の張る物でもあったし。もっとも、様になるビジネスマンになるためには、源吾郎本体の質が上がらねばならないのだけれど。

 鳥籠の壁にへばりつくホップに優しく声をかけてから、源吾郎はドアを開けて居住区を後にした。研究センターに向かう時間としてはかなり早い。しかし萩尾丸は既に事務所にいるだろう。彼がいなかったらいなかったで、紅藤に直接送ってもらうという手もあるだろうし。

 そんな風に思っていた源吾郎であったが、扉の向こうに誰かがいるというのは全くもって想定外の事だった。

 

「おっ。島崎君だな。よしよし、きちんと支度をしてるから、しんどいとか元気がないとかそんな訳じゃあないみたいだし」

 

 親しげに話しかけてくる妖狐の男を前に、源吾郎は固まってしまった。何が起きているのか解らなかったのだ。態度や発言を見るに、向こうは源吾郎の事を良く知っているらしい。しかし源吾郎には彼が誰なのかはっきりと解らなかった。工場の職員として雇われている若妖狐たちと違うのは、大人びた風貌と見事な三尾から明らかだ。もしかして不審者? 不穏な考えが源吾郎の脳裏に浮かんだが、それもすぐに打ち消した。源吾郎の部屋の前と言えども、そもそもここは紅藤のテリトリーでもあるのだ。八頭怪や邪神に連なる手合いならばいざ知らず、生半可な妖怪がここを強襲する事は起こり得ないだろう。心情的にもセキュリティ的にも。

 だからこの妖《ひと》は不審者じゃあないのだろうな。三尾の妖狐が再び口を開いたのは、ちょうどその時だった。

 

「ははは。急に来たからびっくりしてるんだな。まぁ良い。詳しい事はおいおい話すから。君はひとまず部屋の戸締りをしたまえ」

 

 そう言うと三尾は一旦手を放してくれた。言われたとおりにドアを施錠すると、三尾は源吾郎に手を伸ばす。意図は解らなかったが源吾郎も手を伸ばした。直後、三尾は源吾郎の手をしっかと握りしめ、ぐいとこちらに引き寄せたのだ。妖狐と言ってもやはり純血の妖怪である。その力の強さに源吾郎は少しばかり驚き、感心してもいた。

 引き寄せられた事でよろめいた源吾郎だったが、すぐに体勢を立て直す。それを見届けていた三尾は手を放してくれた。

 三尾が掴んでいた手首を撫でながら、源吾郎は周囲に目を走らせた。自分たちが研究センターの敷地内ではなく、駐車場にいる事に気付いたのだ。既に妖狐たち十数名が集まっており、それぞれ社用車に乗り込もうとしているではないか。今自分がいるのは、まさしく萩尾丸の職場の一角だったのだ。

 

「ボスの、いや萩尾丸さんの仰る通りだったよ」

 

 狐につままれたような気分で妖狐たちを眺める源吾郎の肩を、先程の三尾がそっと叩いた。当惑する源吾郎に対し、三尾の男妖狐は訳知り顔で微笑んでいる。

 

「島崎君は寝過ごして遅れてくる可能性があるから、その時は対処してほしいって密かに言われていたんだ」

「そう言う事だったんですね……」

 

 消え入りそうな声で呟き、気恥ずかしさのあまりに源吾郎は俯いた。恥を忍んで萩尾丸に頼らねばと思っていた源吾郎であったが、まさか向こうもその事をあらかじめ把握していたとは。

 羞恥心が血を熱し、二月の風を受けつつも源吾郎の頬は紅潮していたのだった。

 

「――島崎君。気持ちは解るけど朝からため息つかなくたって良いじゃんか。脳細胞が死滅するぜぇ?」

 

 社用車の後部座席にて。流れる景色を眺めていた源吾郎に隣席の若妖狐が声をかけてきた。山代拓馬という名の若妖狐もまた、この度の裏初午の出席者だった。萩尾丸の部下たちの中では比較的若く、従って源吾郎とも少しばかり講習があったのだ。この前も珠彦や文明たちと共に一緒に遊んだ仲でもあるし。

 

「うん。まぁ結果オーライなんだろうけどさ、何か恥ずかしいやんか」

「恥ずかしいって寝過ごした事が? それとも萩尾丸さんに見抜かれていた事?」

「……どっちも。でも強いて言うなら萩尾丸先輩に見抜かれた方が恥ずかしいや」

 

 元より萩尾丸に頼るつもりだった事は棚上げし、源吾郎はぼそりと呟いた。運転手を務める三尾によると、萩尾丸は今回源吾郎が寝過ごすであろう事をとうに把握していたのだという。しかもそれは千里眼などと言った妖術などを使わずに、推論によって導き出した結果なのだそうだ。

 だからこそ、信頼できる部下にして玉藻御前の末裔を名乗っている三尾に転移術用の護符を渡し、寝過ごした源吾郎をタイムラグ無しにこちらに連れてきた――からくりとしてはそんな所だったのだ。

 結局の所遅刻するという醜態は免れた。しかし萩尾丸に行動パターンを読まれていた事に源吾郎は恐怖し、またおのれの不甲斐なさを感じる他なかったのだ。というかそこは嘘でも妖術で源吾郎の様子を見たから寝過ごしている事が判ったと言ってほしかった。

 そんな風に恥じ入っていた源吾郎であるが、若狐の拓馬はむしろ優しげな眼差しで源吾郎を見つめていた。

 

「まぁしゃあないんじゃないかな。萩尾丸さんにゃあ俺たちじゃあ敵わないって解りきった事だし」

「そうだったとしても、やっぱり恥ずかしいのは恥ずかしいよ」

「やっぱ上を目指す妖《ひと》は違うんだなぁ。雷園寺を見ててもそう思うけれど」

 

 絞り出すような源吾郎の声に、拓馬は思わず声を上げている。呆れというよりも、何処か諦めの念が籠ったような声音だった。山代は上を目指してはいないのか? 玉藻御前の末裔を名乗る野狐の青年を凝視しながら、源吾郎はそんな考えを抱いてしまった。

 

「それに島崎君も最近働き詰めだったし、その疲れがどっと押し寄せてきたんでしょ。ボスだってその事はご存じだろうし、しゃあないやん」

「働き詰めって言うか、検査とか選別の手伝いに派遣されていただけなんだけどな」

 

 源吾郎は今一度窓辺に視線を向けた。流れていく景色を眺めながら、ここ一週間ばかりの仕事の事を思い出しながら。

 実を言えば、一月末から二月初旬にかけては、研究センターでの内勤がメインではなかった。工場にて量産している製品の検査や不良品の選別を急遽行わねばならず、妖手としてそちらに源吾郎は派遣されていたのだ。この手の、クレーム対応後に発覚した選別対応などは、若手の妖員が対処せねばならない事が往々にしてあるらしい。もちろん雪羽も選別・検査の応援妖員として使われたのは言うまでもない。

 

「あー。ああいう単純作業って得意か不得意かって分かれるよな。俺なんか途中で寝ちゃって穂谷さんとか白川さんに注意された事もあるぜ。島崎君は大丈夫だったん?」

「どうにかね。というか雷園寺が案外真面目にやってて驚いたくらいさ」

 

 しばしの間、源吾郎と拓馬はちょっとした雑談に花を咲かせていた。思っていた以上に拓馬との会話は弾んだ。互いに若狐、それも玉藻御前に縁のある存在であるからなのかもしれない。拓馬自体がコミュニケーション力が高く、源吾郎の気持ちを汲み取ってくれたところも大きかった。

 そうして話していたまさにその時だった。源吾郎のスマホが震えたのは。

 

「あ、電話だ」

 

 反射的にスマホを掴み、画面を見やる。電話を掛けてきたのは雪羽からだった。

 電話に出ても構わないよ。出るべきかどうか悩んでいると、ハンドルを握る三尾が助け舟を出してくれた。バックミラー越しに彼と目が合った。

 

「雷園寺君から電話がかかって来てるんだろう。あの子の事だから、しょうもない電話を掛けてくる訳でも無いだろうし……どの道僕らだけだから遠慮しなくてもいいよ」

「ありがとうございます」

 

 三尾の厚意に甘え、源吾郎は電話に出る事にした。雪羽からの電話という事は、もしかしたら仕事がらみの話かもしれない。そんな考えも脳裏をよぎったのだ。

 

『もしもし島崎先輩。俺だよ、雷園寺だ』

「おはよう雷園寺君。今俺は車の中だよ。朝から電話なんて珍しいじゃないか」

 

 無邪気に通話する雪羽に対し、源吾郎は小声で応じた。先輩妖狐たちの手前、中学生や高校生みたいにはしゃぎながら雪羽と通話するのは気が引けたのだ。源吾郎は雪羽と仲が良いが、彼らは雪羽と友好的とは限らないからである。

 

「それはそうとどうしたんだい雷園寺君。仕事の件で、何か伝えそびれた事とかあったかな?」

 

 前置きをすっ飛ばして本題に入った。雪羽がわざわざ電話を寄越すという事は、研究センターでの仕事やそれに準じる話だろう。そんな風に源吾郎は思っていたのだ。

 ううん、違うよ。ところが雪羽は、軽い調子で源吾郎の問いを否定した。

 

『いやさ、島崎先輩ってば今朝の三時ごろに俺にメールを寄越してたでしょ? 何か変な夢を見たってさ。それがちょっと気になって電話しただけ』

「メールだって!」

 

 思いがけぬ雪羽の言葉に、源吾郎は思わず頓狂な声を上げていた。四方から妖狐たちの視線が集まり、源吾郎はひとり気まずさを感じはした。

 だがそれでも、思いがけぬ内容である事には変わりはない。よりによって奇妙な夢の事を、この度の遅刻未遂の遠因について雪羽にメールを寄越していたとは。

 

「あ、ごめん雷園寺君。多分寝ぼけてメールを打ってしまったんだな。実を言えば、君にメールを送ったという記憶は無いんだよ」

『別にその件は大丈夫さ。俺だって起きた時に先輩からメールが入ってるって気付いただけだもん』

 

 受話器から聞こえる雪羽の声には笑い声も混じっていた。人懐っこい仔猫のような笑顔を浮かべているのだろう。実際に見ていなくとも、その顔は脳裏にくっきりと浮かんでくる。

 それでさ。そんな風に思っていると雪羽が呼びかける。先程までと違って真剣なトーンだった。

 

『変な夢ってどんな夢を見たの? 寝ぼけていたのか何か知らんけど、わざわざ俺に報告してきたんだ。知る権利ってやつさ』

「変な夢と言っても所詮は変な夢だぞ」

 

 妙な所で喰いつくじゃないか。雪羽の言葉に半ば気圧されつつも、源吾郎は告げた。

 

「他人の夢の話を聞いても面白くないって昔から言うじゃないか」

『そうかもしれないけれど、俺は気になるんだよ。島崎先輩。寝ている時の夢ってさ、意識とか魂とかが別の世界にリンクしている事もあるって言うんだぜ』

「ゴリゴリの理系肌である雷園寺君から、そんなオカルト丸出しな話が飛び出してくるとは……」

 

 半ば呆れながら源吾郎はそんな事を呟いた。研究センターの研修生として引き抜かれた雪羽は、研究職の才能ありと紅藤たちに見做されている。雷獣ゆえに電気工学や幾何を得意とするからだ。もちろん、他の理系分野にも源吾郎に較べれば強かった。

 その雪羽が、まさかそんな非科学的な事を言うとは。ここはやはり先輩として、研究職の在り方を教育すべきではないか。呆れと共にそんな思いが源吾郎の脳裏に湧き上がってきたのだ。

 

「良いか雷園寺君。夢って言うのは脳味噌が寝ている間に行う情報整理みたいなものなんだぜ。起きている間の記憶とか感情とかを整理しているだけに過ぎないんだ。

 確かに意識が別世界にリンクするだとか、そう言う話は姉上が喜ぶだろうけどさ……俺たちは研究職じゃないか。()()()()な話をするなんて君らしくないぞ」

 

 一息に源吾郎が言うと、受話器の向こうから笑い声が沸き上がった。あからさまに面白がっているような気配が漂い、しかもそれを隠そうとしない笑いだった。

 

『やだなぁ島崎先輩。非科学的だなんて言葉は、()()()()俺たちみたいな研究職は軽々しく使っちゃあ駄目な言葉だって知らなかったんですかね。鳥姐さんも、鳥園寺さんもそんな事を仰ってましたよ。

 それにさ先輩。さっき脳味噌がどうって仰ってましたけど、その脳味噌だって宇宙と同じ位複雑だって、生物学の偉い先生が言ってるんですぜ。だからその、夢で見たナニカって言うのは深い意味があると思うんだけどなぁ』

 

 スマホを握りしめながら、源吾郎は観念したように息を吐いた。科学的な話をしてみたつもりだったのだが、逆に雪羽にやり込められてしまったのだ。

 興味津々といった様子の雪羽に対し、源吾郎は素直に夢の内容を語ったのだった。

 自分が寝過ごした事を萩尾丸が知っているのは、もしかしたら雪羽とのやり取りがあったからなのだろうか。宇宙空間での奇妙な闘いの夢を語りながら、源吾郎はふとそんな事を考えてもいた。

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