車で揺られる事小一時間ほど。裏初午への会場には思っていたよりも早く到着したんだな。源吾郎はぼんやりと、半ば無邪気にそんな事を思っていた。途中から高速に乗って進んでいたからなのかもしれない。会場は京都の何処かであると聞いていたから、かなり遠い所だと思い込んでいた。校外学習で京都に出向いた事はある源吾郎であるが、京都は遠方のイメージが付きまとっていた。校外学習では電車やバスで向かうからなのかもしれない。
駐車場の一角に車が停まり、源吾郎をはじめとする妖狐たちは車から降りるように促された。既に他の妖狐たちも到着しており、そこここに妖狐の姿があった。
源吾郎が車を出たのは仲間内では最後の事だった。新参者だから遠慮していた、というわけでは無い。源吾郎の座席の位置と、先輩妖狐たちほど機敏に動かなかったというのが要因だった。遠慮はしていなかったが、要領を得ずにまごついた側面は十二分にあった。
「おい、はぐれんなよ島崎君」
そう言って狐らしく微笑んだのは拓馬だった。源吾郎とは精神年齢的な意味で近いためか、こちらを弟分と見做すような言動がやや多い。源吾郎としても不愉快ではない。むしろ末っ子気質が未だ抜けきらぬ源吾郎にしてみれば、年長者や先輩と接する方が気楽な位である。ただ、最近は若妖怪と言えば後輩格の雪羽と接する事が多かったので、拓馬の言動や態度は何処か懐かしささえあった。
「はぐれないってば山代君。俺ももう小学生とか中学生じゃあないんだし、いくら妖狐たちが一杯いるからってさ……」
源吾郎はだから、親しげな笑みを浮かべながら拓馬にそう言ったのだ。雉鶏精一派に所属する妖狐たちは、もちろんひとかたまりになって歩を進めている。他の妖狐たちもそんな感じだった。
「まぁ島崎君。ここに集まっているのは俗にいう野狐たちばかりだけど、はぐれ者を喰い殺すとか、そんな事はしないだろうから安心すると良いよ」
そんな事を言ったのは二尾の穂谷先輩だった。半妖である源吾郎はもちろんの事、純粋な若妖狐である珠彦や拓馬よりやや年長である事は、二尾の妖力と落ち着いた物腰からも明らかである。喰い殺す。穏やかな笑みと共に放たれた言葉を前に、源吾郎はどのように応じれば良いのかと思案してしまった。
実際問題、妖狐は他の妖狐を喰い殺す事があるのは源吾郎も知っている。妖力を増やすためであるとか、残虐な衝動に駆られての凶行である場合ももちろんある。だがそれ以上に、妖狐たちによるリンチの一環で罪狐が喰い殺される事もままあるのだ。
そんな事をつらつらと思っていたから、源吾郎はどうにも冗談だと受け流す事が出来なかった次第である。
「ましてや君は、半妖とはいえ本当の玉藻御前の末裔なんだからさ。丁重に扱われこそすれ粗末な扱いを受ける可能性は低いと思うけどね。しかも野良妖怪じゃなくて雉鶏精一派に所属している訳だしさ」
「ですよね穂谷先輩」
穂谷先輩の言葉に、源吾郎は気を良くして尻尾を振り上げた。まだ縮めたままではあるものの、隣を歩く拓馬に一尾が当たってしまった。拓馬は腹を立てている素振りは無いが、呆れたような眼差しを源吾郎に寄越している。
その様子を静かに観察していた穂谷先輩が、かすかに微苦笑を浮かべていた。
「とはいえ、お行儀よく振舞っていたらの話だけどね。島崎君は基本的には真面目な子だけど、少し調子に乗っちゃう所があるから、そこが気がかりなんだよね」
善処します。尻尾を垂らしながら源吾郎はそう言った。
源吾郎はここで、叔父の苅藻とのやり取りを思い出していた。苅藻といちかもまた、玉藻御前の孫としてこの会合に参加するらしい。もっとも、彼らは源吾郎とは所属が違うから、席順も異なっているだろうけれど。
余談であるが源吾郎の母や年長の叔父たち、そして兄姉たちはこの裏初午に出席しないらしい。年長の叔父二人はそれぞれ関西の地を離れて住職や神官となっており、野狐とは言い難い存在であるからだ。母の三花は父と結婚するまでは出席していたそうだが、結婚後は(一応)人間として暮らしているため、子育て等々が落ち着くまでは出席しない旨を伝えているらしい。そして兄姉たちは妖狐たちからも完全に人間と見做されているため、特に出席しなくても良い事になっていたそうだ。
また、出席の見合わせについては理由があれば他の野狐たちも認められているという。もちろん、可能であれば毎年出席する事が推奨されているようだが。
案外流動的な会合なのだな、と源吾郎は思っていた。完全に組織立った稲荷の眷属たちの会合ではなく、民間の野狐たちが主催する会合ゆえの事なのだろうなと、源吾郎はぼんやりと思っていたのだった。
※
「ふーむ。右も左も狐だらけですなぁ」
「そりゃそうだろ島崎君。たまーに君みたいな半妖もいるって噂もあるけどさ、いくら何でも狸とかイタチとかが玉藻御前の末裔って名乗ってたらつまみ出されるぜ?」
「とはいえ管狐とかオサキ狐の連中なんてさ、分類上はイタチ科でむしろカマイタチ何かと近縁種なのに、殺生石から先祖が産まれたなんて言ってるんだぜ? それに玉面公主様だって、玉藻御前様のご息女で純粋な妖狐なのに、ハクビシンの妖怪だとかヤマネコの妖怪だって言われてるしさ……しかもあのお方は牛魔王様と結婚したから、後の子孫たちは牛妖怪の血を引いちゃってるし」
「何でそこで玉面公主の名前が出てくるのさ」
それまでのんびりまったりと狐問答を続けていた源吾郎と拓馬であったが、玉面公主の名を出すや否や、拓馬がびっくりしたように声を上げた。彼もまた尻尾を振り上げたので、源吾郎のふくらはぎに柔らかくぶつかる。
「何でって、玉面公主様は玉藻御前の娘さんなの。だから俺とあのお方は親族なんだよ。厳密にはお祖母様の異父姉だから、俺にしたら大伯母に当たるのかな。俺も詳しくは知らないけれど、大陸には他にもお祖母様の異父兄姉がいて、それぞれ長として一族を護っているんだってさ。玉面公主様も、西遊記では猪八戒に殺されたなんて書かれているけれど、本当は猪八戒に攻撃すらされなかったみたいだし、今でも実家で牛魔王様と一緒に一族を護っているんだってさ」
拓馬は感心したように息を漏らしていた。やはりそこは庶民上がりの野狐ゆえの振る舞いと言えるだろう。
とはいえ、そう言う源吾郎とて就職するまでは一般市民として育てられたのだからとやかく言う資格は無い。それに祖母の異父兄姉たちとの接触した事すらないのだ。玉面公主の孫の一人・はとこに当たる雪九郎に縁あって顔合わせした事があるくらいだろうか。
大伯母の玉面公主の話をしていた源吾郎は、ふと大陸にいるという親族たちの事に思いを馳せていた。最強の妖怪を目指すにあたり、いずれは彼らとも接触せねばならないのだろう。その時に自分はどう思われるのか。そこが心配だった。友好的に接してくれるのならばまだ良い。だがそう上手く事が進むほど世間は甘くなかろう。
もしかしたら、大陸の親族たちは源吾郎が誕生した事を知らないのかもしれない。知っていたとしても、まだ巣穴から離れられない仔狐だと思っているのかもしれない。そんな風に思い直しもした。
高位の妖怪たちは、各地にアンテナを伸ばして情報収集に勤しむものではある。しかし数百年単位の年月を生きている者たちは、どうしても時間間隔が麻痺してくる傾向にある。源吾郎が産まれてからまだ二十年も経っていないし、妖怪として暮らし始めてやっと一年経つという所であるのだから。
「何かスケールの大きな話になっちまってたけど、狐が多いって話をやってたんだよな」
源吾郎は声は出さずに頷いた。会場に向かう妖狐たちの視線を感じていたからだ。拓馬の言うスケールの大きな話に面食らっているのか、真なる玉藻御前の曾孫であると気付いたからなのかは定かではないが。
集まっている妖狐たちについて、源吾郎は実はある事に気付き始めていたのだ。
「何というか、普段以上に狐姿の妖狐が多いなって思ったんだ。それで、狐が多いって言ったんだよ」
周囲を一瞥してから、耳打ちするかのように源吾郎は告げた。
そうなのだ。集まっている妖狐たちは狐姿の者がチラホラいた。直立する狐の姿で進む者もいるが、中には全くの四足歩行で進む者もいる。
また狐姿の妖狐の多くは一尾であったが、中には二尾や三尾の妖狐ですら、狐姿で進んでいる者さえ確認できた。
ちなみに源吾郎や拓馬たちが寄り集まっている雉鶏精一派のグループは、全員狐の尻尾を出した人型を保っている。
それは仕方のない事だよ。狐姿の妖狐に気を使っているらしく、拓馬も小声で応じる。
「ここには強弱大小さまざまな妖狐たちが集まるんだ。妖怪たちのたまり場には、必然的に妖気とか妖力が渦巻くから、力の弱い妖狐たちは、気圧されて獣姿に戻っちゃうわけ。人型に変化しているだけでも消耗しちゃうからね」
拓馬はそこまで言って、源吾郎の頭頂部から足先、そして尻尾の先をまじまじと眺めた。
「あ、だけど島崎君は半妖だから、人型が本来の姿だったんだよな」
思い出したような拓馬の言葉に源吾郎は頷く。妖狐を自称する源吾郎であるが、実際には人間の血を四分の三受け継いでいる半妖である。誕生して間がない頃は人面狐のような異形そのものの姿だったそうだが、人間の肉体に妖狐の尻尾が映えた姿に落ち着いた。半妖である為に、源吾郎の外観は人型の妖怪のそれに近いのだ。
もちろんというべきか、変化術を使えば狐の姿に変化する事も可能ではある。とはいえ源吾郎は狐に変化する事は殆ど無かった。獣の骨格や動きには慣れておらず、上手く動く事が出来ないためだ。そこは純血の妖怪である珠彦たちや雪羽とは異なる所であろう。彼らは獣の姿で生まれ、後天的に人型での振る舞いを学んだのだろうから。
要するに妖力の消耗を防ぐために本来の姿に戻っているんだな。源吾郎の呟きに、拓馬はひっそりと笑う。
「ま、島崎君にはピンとこない事柄かもしれないね。君ってば元々からして強いわけだしさ」
「やっぱり、俺って山代君たちから見たらそんな感じなの?」
敢えて強いという単語を使わなかったのは、やはり他の妖狐たちの眼を気にしての事だった。強すぎる事を慢心し、吹聴するのは愚か者のする事だ。源吾郎はその事をきちんと心得ていたのである。
さて拓馬はというと、源吾郎の言葉を聞くやため息をついた。瞬きするたびに、呆れの色が濃く滲むようである。
「そらそうだろ。だってさ、あの雷園寺君の妖気に気圧されないどころか、毎度毎度戦闘訓練とやらでバチボコやり合ってるじゃないか。俺らくらいの普通の妖狐とかだったら、まずあいつに立ち向かおうなんて思わないんだよ。解るだろう?」
念押しするように言われ、源吾郎は大人しく頷くのがやっとだった。
妖《ひと》づきあいも中々に難しい物だ。源吾郎の脳裏にそんな考えが浮かぶ。慢心し過ぎてはいけないと思っていたが、自分の感性や強さへの認識は、普通の妖狐たちとは既にかけ離れている。
紅藤や萩尾丸は強い事に胡坐をかかずに謙虚になれと常々伝えていた。しかし一般妖怪たちに対して嫌味にならぬような振る舞いについてはレクチャーしてくれない。この会合が終わったら、萩尾丸先輩にその事を訴えても良いのではなかろうか。
そんな事を思っている間に、源吾郎たちは会場の入り口までたどり着いていた。