三尾の北斗と二尾の米田さんは、成程戦闘慣れしていた。もちろんそんな事に感動している暇など無いのだが、二人の戦闘ぶりに源吾郎はついついそのような感想を胸に抱いたのだ。心強さと共に。
北斗はヒットアンドアウェイの方式で牛鬼に突撃し、カマイタチよろしくその肉体や椿の葉や花の繁るツルを少しずつ削り取っている。身体能力を特化して、牙や爪、更には毛皮を硬質化しているのだろう。いずれにしても肉弾戦、それも獣の特性を最大限に活かしたワイルドな物である事には変わりない。
一方の米田さんは、牛鬼に捕まらぬように縦横無尽に駆け回りながら、豆粒のような小さな狐火をばらまいていた。豆粒のように小ぶりだなどと侮ってはならぬ。この狐火は対象にぶつかるや否や、瞬時に爆発を起こす代物なのだから。小粒ながらも標的を逃さず爆破する。まさしく銃弾のような狐火だった。ものによっては小さな狐火の中にさらに小さな妖気の塊が籠っている物もあるらしく、散弾銃のような役目をも果たしていた。そんな狐火を、米田さんは涼しい顔で弾幕よろしく展開していたのだ。
もちろん、狐火の小爆発の一発や二発で牛鬼が易々と斃れる訳ではない。しかしそれでも、足止めや攪乱の役目は十二分に果たしていた。
それどころか、幾重にも生じる小爆発は、少しずつであるが着実に牛鬼にダメージをもたらしているようだ。ワイルドに牛鬼に躍りかかる北斗の爪牙の効果もある訳だし。
そして源吾郎もまた、ただぼんやりと突っ立っているだけではない。確かに米田さんたちと異なり戦闘慣れしている訳ではないし、表立って牛鬼に攻撃を仕掛けている訳でもない。源吾郎の肉体は人ベースに近い所があり、獣のごとき機動力と破壊力は期待できない。さりとて狐火を放つのは
源吾郎はだから、主に結界術や妖術でもって米田さんたちをこっそりサポートしていたのだ。牛鬼の振るうツルや禍々しい前足が米田さんや北斗に当たらないように結界を展開したり、逆に米田さんのばらまいた弾幕が牛鬼に当たるように調整したりしていたのだ。
分身術は牛鬼の攻撃にはてんで役に立たなかった。そもそも動揺していた事もあり、チビ狐くらいしか錬成する事が出来なかったのだ。頭の中では、角を生やした巨狼などの方が威力がある事は解っている。しかし、生粋の妖狐である米田さんや北斗が巨狼の分身に戸惑ってはならぬと思って顕現はさせなかった。
その代わりに武装したチビ狐を顕現させてみたのだが……チビ狐たちは牛鬼に蹴散らされて終わりだった。なのでチビ狐は、残った数匹を攻撃ではなく連絡・偵察用に用いるのがやっとだった。
ともあれチビ狐の件で、自身が動揺している時はマトモな分身を作り出せないのだと今一度実感したのである。
と、牛鬼の植物的な触手が、源吾郎を薙ぎ払わんと振るわれた。北斗も米田さんも自身の攻防で精一杯であり、つまり源吾郎は自分で身を護らねばならない。
触手の太さは成人男性の腕ほどだ。しかも三本のツルがしめ縄よろしく寄り集まっている。マトモに直撃すればどうなるか。良くて複雑骨折、悪くて骨も肉も両断されるだろう。勢いあまってミンチになる可能性すらある。
そんな攻撃を視認した源吾郎は――しかし余裕の表情を見せていた。牛鬼の攻撃は源吾郎にしてみれば
「ふん、鬼と言えども所詮は鈍牛だな」
源吾郎は短く嘲笑し、結界でもって触手を受け止める。異変に気付いた牛鬼が動く暇を与えずに、結界に狐火を伝播させた。青白い業火は爆ぜるように触手の先端に取り憑き、そのまま根元へと蛇のように這いあがる。焔の中で牛鬼の触手がなす術もなく灰になっていくのを源吾郎は見た。
元来生木は燃えやすい素材であるとは言い難い。水分が多く、火が付きにくいのだ。
しかし、源吾郎の放つ狐火は、そんな事を易々と覆した。潤沢な妖気を燃料とした源吾郎の狐火の温度は、千数百度もの高温の焔だったのだから。堅牢なコンクリートブロックさえ熔かすほどの高温には、流石に牛鬼の持つ植物体の触手もただ燃えるほかなかったのだ。
そしてそれが、牛鬼に対して有効打を与えているようだった。よろめくように牛鬼は身を揺らし、その喉から悲鳴がほとばしったのだから。
「あ、つい……あついあついあついよぉ! あついしいたいよぉ……!」
きちんとした意味を持つ言語が、牛鬼の口からとうとう放たれた。牛鬼の声は野太く、しかしその声が紡ぐ言葉は幼子のようなものだった。逞しく立派な体躯とは裏腹に幼いのかもしれない。醒めた目で牛鬼を観察しながら、源吾郎はふと思った。
そうしているうちに、牛鬼はさめざめと泣き始める。鏡のように大きな瞳から、濁った黄緑色の涙が零れ落ちる。涙はそのまま地面に落ち、煙を上げている。地面が僅かに溶けているのが見えた。
「どうして、どうしてキツネさんはボクをいじめるんだよぉ……おなかがすいただけなのに……」
幼子のように泣き、涙を流して牛鬼は問いかける。源吾郎の心には、しかし牛鬼に対する慈悲の心はひとかけらも湧き上がらなかった。ただただ得体の知れない不気味さを牛鬼から感じるだけだった。牛鬼はひどくアンバランスだったのだ。妖狐を喰い殺したり捕えたりするという残忍さと、幼子のごとき無邪気さが両立するとは思えなかった。
もっとも、牛鬼の見せるちぐはぐな姿にめまいを覚える事はなかった。元より源吾郎は、牛鬼に対して一つの強い感情を抱いていたからだ。
その感情は――純粋な殺意に他ならない。
「劣勢に立たされた途端に泣きわめいて許しを乞うつもりか? おつむの足りねぇ家畜風情が」
吐き捨てて、源吾郎は牛鬼に笑顔を向けた。攻撃術である狐火を使ったからだろう。全身の血がふつふつと熱せられ沸き立つのを感じていた。
北斗や米田さんにぶつからぬように間合いを測りながら、今度は球状の狐火を放つ。威力は控えめながらも、繁った椿のツルが吹き飛んだ。野太い幼子の悲鳴をバックグラウンドミュージックにし、源吾郎は嗤う。
「初めに俺ら狐を喰い殺したのはお前の方だろう? 獣である俺たちが、どうして同胞を狩る天敵に尻込みしなければならないんだ。
良いか牛丼野郎。これは生存競争だ――そしてお前は俺たちに狩られる運命にあるんだよ」
気付けば源吾郎の口許は歪み、ケダモノそのものの笑みを浮かべていた。それは義妹と共に暗躍し、往く先々で混沌と破滅を振りまいた悪妖怪・金毛九尾の笑み、おのれの享楽によって苦悶する犠牲者に向ける笑顔と同質のものだったのかもしれない。
「くはははは! そうだ、俺たちが貴様を攻撃し、殺そうとするのは野蛮な事じゃあない。道理の上に成り立った、極めて正しい行いなんだよ。貴様は俺たちの仲間を喰い殺したんだからなぁ。だったらその罪をあがなわなけりゃあならないんだ。死刑だ死刑! 貴様には極刑・火刑・公開処刑が相応しいんだよ。くはっ、はははっ、あーっはっはっは」
そして今度は上半身を揺らしながら哄笑する。それは紂王の高笑いに似ていた。金毛九尾を筆頭とする三妖妃に唆され、残虐な遊びに手を染める暗愚の昏君《フンチュン》の無邪気極まりない笑いに。
源吾郎の影が地面に長く伸びている。四本の尾が伸びたその影は、絶えずゆらゆらと揺らめき奇怪な踊りを見せているようだった。のみならず、その影の周囲には薄暗い煙やもやのようなものも立ち上っている。
ああ、俺は玉藻御前の子孫で、その一族の中でも強いから、妖気さえも影になっているんだ。残虐な喜びに笑みを浮かべながら、源吾郎はぼんやりとそう思っていた。
「おいっ! さっきから何をキャンキャン吠えたてていやがるんだこのクソガキがっ!」
直後、つんざくような鋭い怒号が源吾郎に浴びせられる。遅れて足許に何かがぶつかる衝撃が広がった。と言っても苦痛を伴う物ではない。狐につままれたように首を傾げながら、音と衝撃の主を探る。先程の声も衝撃も、牛鬼のそれではなかった。牛鬼の声ほど野太くはないし、その言葉は理性的だったのだから。
声の主は北斗だった。源吾郎にぶつかった後にそのまま牛鬼に突っ込み、牙を突き立ててその身体を抉り取っている。ゼリー状の肉片を吐き捨てると、北斗は顔をゆがめて笑った。あからさまな侮蔑の籠った笑顔で、しかもそれは真っすぐ源吾郎に向けられていた。
「弱い犬ほどよく吠えるって言葉はテメェだって知ってるだろ! 玉藻御前の真なる末裔の癖に、
源吾郎を叱責する北斗は、目を大きく見開いて口から泡を飛ばしていた。荒々しい言葉で紡がれた叱責に、源吾郎の心が急速に冷えていく。冷静さを取り戻したのだ。普段の妖狐らしい理性と共に、羞恥心もまた源吾郎の心に舞い戻って来る。
「島崎君の興奮も、きっと一過性の物に過ぎませんわ」
猛る北斗をなだめるように、米田さんが北斗の傍らににじり寄る。もちろん牛鬼の挙動には警戒しながら。
「あの子もまだ若いですし、私たちのように
「ふうん、そういう事か。確かにあの小僧は温室育ちのお坊ちゃまだしな」
穏やかな米田さんの言葉に、北斗も何処か気だるげに頷いていた。
血の酩酊。その言葉が源吾郎の脳内に入り込み、意識の片隅にしっかりとしがみつくのを感じていた。源吾郎は確かにあの時酔っていたのだ。強者として獲物を追い詰める事に、そして正義を振りかざして殺そうとする事に。そんなおのれの心に怖気が走った。もちろん、牛鬼に対する憤怒や殺意が消えるわけでは無い。だが殺意や憤怒も少し薄らいでいるような気がした。
だがそんな考えの間で板挟みになるのも長くは続かないはずだ。牛鬼はもう大分弱っているではないか。米田さんの狐火弾幕を受け、北斗は牛鬼の柔らかな肉体を食いちぎり続けていた。二対ある前足もボロボロで、腹部に至っては柔らかなゼリー質の柔らかな組織が露わになっているではないか。
そしていつの間にか、牛鬼は項垂れて静かに震えているだけだった。恐怖や絶望、そして苦痛がやつの心を満たしているのだろう。であれば引導を渡し、それらの感情から解放するのが同義という物ではないか。
源吾郎がそう思ったまさにその時、牛鬼の触手が振るわれた。攻撃とは違う。抱え込んでいた物を投げ飛ばしたのだ。
「くそっ」
真っ先に動いたのは北斗だった。投げ飛ばされたものは囚われていた妖狐である。北斗は妖狐が叩きつけられないように、おのれの身を挺してクッションの役目を買って出たのだ。
ただ、投げ出された妖狐に駆け寄る彼の足取りは、何故かふらついていたのだが。
妖狐は北斗の胴に当たり、ゆったりとバウンドした。受け止めたとは言い難いが、地面に直接叩きつけられるよりマシだろう。
牛鬼に解放された妖狐の毛皮はあちこち血で汚れていたが、彼の容態を気にする暇は無かった。妖狐をその身で受け止めた北斗の身に、激烈な異変が起きたからだ。
「うっ、ぐうっ……おげえええええ」
妖狐を受け止めた北斗はその場にへたり込み、そのまま烈しく嘔吐を始めたのだ。強い酸味と苦みの混じり合った異臭が周囲に立ち上る。米田さんや源吾郎だけではなく、投げ出された妖狐さえも目を丸くしていた。
確かに妖狐は胃の構造上嘔吐しやすい種族ではある。鳩尾や腹部に衝撃があれば、嘔吐してしまう事もあるだろう。だが、北斗の嘔吐はそれとは違うようだった。
耳障りな笑い声が聞こえてくる。音源は牛鬼からだった。
「あははっ、キツネのおにいさんも、ようやくボクの
瀕死の重傷まで追い詰めていたはずの牛鬼は、そう言って楽しげに嗤っていた。愕然と見つめる源吾郎たちの中で、牛鬼の肉体が湿った音を立てて蠢くのが見えた。涼しい顔で牛鬼は肉体を再生させていたのだ。千切れかけた前足も、裂かれてゼリー質の組織を垂れ流していた胴体も、そして椿のツルでできた触手も、十全で無傷な様子を露わにしていたのである。
「キツネさんたちってほんとうにつよいんだね! でもザンネンでした。ボクはごしゅじんサマにザコギツネを
得意げに牛鬼が語り、周囲に禍々しい妖気が沸き上がる。妖狐である俺たちは一杯食わされたんだ。歯噛みしながら源吾郎は思った。牛鬼を追い詰めたと思っていたが、あれはあくまでも、狡猾な牛鬼の演技に過ぎなかったのだ、と。
傍らにへたり込む北斗の嘔吐は止まっていた。しかし胃液と内容物が逆流した違和感に、涙を流しながら咳き込んでいる。