九尾の末裔なので最強を目指します   作:斑田猫蔵

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狐の遺物は奇怪な彫像

「島崎君。あなたには渡しておきたいものがあるのです」

 

 源吾郎から僅かに視線を落とし、若菜は厳かな口調で言い放つ。ここにきて、源吾郎はテーブルの上に小箱が置かれている事に気付いた。

 その小箱は外観的には簡素なものだった。素人目にはベニヤ板かカマボコ板を組み合わせて作った、安物の箱のようにしか見えない。

 しかしその内部に収まっているのが、ただならぬものであろう事を源吾郎は肌で感じ取っていた。渡しておきたいもの、と言い放った時の若菜の態度ももちろんある。だが源吾郎の妖怪としての勘が、箱の内部にとんでもない物が収まっていると告げていたのだ。

 そして若菜は、その箱の中身を源吾郎に託そうとしている事も。

 島崎源吾郎君。今度は柔らかな口調で呼びかけられた。態度や口調は柔和な物を装っていたが、源吾郎やミツコに有無を言わせぬ何かをまとわせながら。

 

「先程もお話した通り、玉藻御前様の中には、取り込んだ這い寄る混沌の力が宿っておりました。そしてその力は、血筋を通して必ずや継承されるのです。そしてその力があなたに継承されている事はもはや明らかな事でもあります」

 

 源吾郎の口からは言葉は出てこなかった。曾祖母が宿していたという膨大な力を継承している事や、その事で若菜から認められているであろう事を無邪気に喜ぶ事は出来なかった。

 大いなる力を保有する者は、その力に見合う行動をせねばならない。源吾郎は既に、その事を心得ていたのだ。力を持たぬ野良妖怪ほど気楽な物はない。誰かが何処かで口にしていた言葉さえ思い出す始末である。

 おのれが保有しているかもしれない途方もない力、そしてそれに付随する責務。その事を思って源吾郎は震えていたのだ。かつておのれが野望を抱き、そのために妖怪として生きる事を選んだなどと言う事は、この時ばかりは頭から抜け落ちていた。

 緊張しなくても良いのですよ。多少の親しみを籠めながら、若菜は源吾郎に告げた。

 

「這い寄る混沌の力を保有している事、それ故に現実改変を行った事について、私は特にあなたを咎めるつもりはありませんわ。あなたはどちらかと言えば善良な気質の持ち主で、私利私欲や気まぐれで大いなる力を濫用するようには思えませんもの」

「……仮に島崎にそう言った考えがあったとしても、私どもや上層部がそれを赦しませんがね」

「そんな、林崎さん」

 

 ミツコのやや冷徹な言葉に、源吾郎は眉を下げて困り顔になってしまった。

 

「若菜様が仰るまでもなく、運命操作や現実改変なんてとんでもない力を、気まぐれや私利私欲なんかで使ったりしませんよ。あの力で書き換えた分だけ僕は代償を支払わなければならない訳ですし、話を聞いていて、僕もその力の恐ろしさを感じたんですから。むしろ金輪際使わないようにしないと、と思っているくらいです」

 

 現実改変の力があったからこそ、この度の事件で結局の所死者は出なかった。その事については()()事だとは思っていない。しかしそれでも、現実改変の力が手に余る能力であるという認識には変わりは無かった。むしろミツコや若菜の話を聞いているうちに、その思いは膨らんでいった。

 

「ふふふ、実に殊勝な心掛けですね、島崎君」

 

 源吾郎の言葉を聞いていた若菜が柔らかく微笑む。つられて笑い返した源吾郎であったが、次の瞬間には彼女は真面目な表情に戻っていた。

 

「――とはいえ、あなたが現実改変の力に向き合わずに過ごしていく事は不可能なのですよ。先程も申した通り、あなたはいずれ、何処かでこの力を使うべき時が来るのです」

 

 現実改変を使うべき時。きっぱりと言い張る若菜を前に、源吾郎は生唾を呑み込みつつ思案していた。断定じみた物言いをする若菜には、もしかしたら源吾郎も知らぬ未来が見えているのかもしれない。年数を経た妖狐は神通力を得ると言い、その中には未来を見通す能力も含まれていた。

 

「何しろ島崎君は雉鶏精一派に所属しており、それ故に九頭駙馬《きゅうとうふば》に付け狙われているんですから」

 

 若菜はそこまで言うと、ここで何故か茶目っ気溢れる笑みを浮かべてかぶりを振った。

 

「ああ、少し間違えてしまいました。今ではアレは九頭駙馬などと呼ばれてはいませんね。頭を一つ落とされ、妻にも死なれているのだから八頭鰥夫《はっとうかんぷ》と今では呼ばれているんでしたっけ」

「私どもはもっと単純に、八頭怪と呼びならわしておりますがね。鰥夫《やもめ》などと言っても、ピンとこない妖《ひと》たちも多いでしょうし」

 

 九頭駙馬も八頭鰥夫の呼び名も源吾郎は知っていた。しかし、日頃より口にする八頭怪という名の方が馴染みが深いように感じられた。もっとも、あんな輩など、馴染み深さを感じたいと思えるような存在では無いのだが。

 

「いずれにせよ、八頭怪が厄介な相手である事は私も存じております。何しろあの九頭雉鶏精・胡喜媚様の弟にあたるお方であり、道ヲ開ケル者の血を色濃く受け継いでいるのですから。

 その上八頭怪と胡喜媚様は、かねてより烈しく対立しておりましたからね。姉弟と言えども考えの違いがあったのでしょうが……大いなる存在の考える事など、凡庸な古狐には手に余るものです」

「我ら雉鶏精一派も、八頭怪には手を焼いております。生半可な妖怪ではないので、私どものような存在が闘って殺すという事も、封じる事すら難しいですからね」

 

 ミツコはここで一度言葉を切り、深々と息を吐いた。視線は宙をさまよっており、遠くの何かを探ったり思い出したりしているようだった。

 

「ましてや、今の雉鶏精一派には、胡喜媚様の子息たる胡張安様はいらっしゃりませんからね。彼もまた、道ヲ開ケル者の権能を母から受け継いでいるので、あの恐るべき八頭怪に対抗できうる存在だとは思っているのですが」

 

 胡張安。ミツコが口にしたその名には、万感の思いが籠っていた。源吾郎もまた、胡張安の名を心の中でしっかりと噛み締め、思案していた。胡喜媚の唯一の息子でありながら、母の組織から離脱した変わり者である。しかしその一方で、昨秋の雷園寺家次期当主誘拐事件の折に人知れず姿を現し、事件解決に一役買ったとされている。しかもその事を恩に着る素振りは無く、それどころか彼の消息はやはり明らかにすらなっていない。

 胡張安の真意は、保有する能力以上に謎に包まれている。源吾郎はそう思わずにはいられなかった。

 

「胡張安様に頼れないのであれば、尚更島崎君の裡に宿る能力が重要になるのです。這い寄る混沌は、本来であれば使えぬ術は無いと言われています。であれば、道ヲ開ケル者の遣いである八頭怪を退ける事も出来るでしょう。

 確かに這い寄る混沌は、全てを嘲笑い破滅と混乱を招く邪神であると見做されています。しかしその一方で、弱き神々の()()()であるともされているのです」

 

 若菜は半ば一息にそう言うと、決然とした様子で小箱に手を伸ばした。物理的にも妖術的にも封のされていない簡素な箱は、若菜の手であっさりと蓋が開かれ、そして中のものが露わになった。

 音もなくテーブルの上に置かれたそれは、小さな彫像の類であった。小箱に収まっていたのだからもちろん小さい。ともすれば子供の手の平の中にも納まってしまうかもしれない。

 小ぶりなその彫像は、しかしこの一室を掌握しかねない存在感を放っていた。

 大雑把に眺めれば、彫像はうずくまる四足の獣であると言っても良いであろう。犬なのか狼なのか唐獅子なのかは定かではない。狛犬やシーサーに何となく似ている気もした。或いはそのどれにも当てはまらないのかもしれない。少なくともかかとまでぺったりと付く足先の構造は、イヌ科獣やネコ科獣のそれとは異なっていた。ついでに言えば長毛種の犬猫のように毛足の長さが表現されてもいるではないか。

 とはいえ、そうした足先や毛皮の表現は、彫像の特徴の中ではごくごく小さなものだった。実際に、源吾郎がそうした所に注目していたのは最初だけである。彫像の全体を眺めているうちに、彼の視線は彫像の()()に釘付けになっていた。

 何故小さな彫像のちっぽけな頭部に釘付けになったのか。彫像の持つ禍々しいまでの異様さが、その部分に凝集されていたからだ。

 まず彫像の頭部には顔が、顔と認識できるものが見当たらなかった。誰も来ない神社の狛犬のように、経年劣化や何がしかの理由で顔が崩れている訳では()()事は、頭頂部より上の装飾を見れば明らかな事だ。初めから、件の彫像は()()()()顔が作られていなかった。すなわち、頭部はのっぺりとした形で表現されていただけなのだ。しかも首から下は四足獣――よく見れば二対の翼を生やしていたが、それはまぁ良いだろう――であるにもかかわらず、頭部の輪郭はやけに人間に近しい。それでいて顔らしい顔は存在しないのだ。

 そしてその顔のない頭部には、膨らんだ冠がしっかりと乗せられていた。子供がすぐに思い浮かぶような王冠や花冠などとは全く違っている。強いて言えば、コック帽や烏帽子に幅を持たせ、上から柔らかく潰したようなものに似ているだろうか。

 ともあれその冠は、彫像の大きさを鑑みれば驚くほど精緻に作られていた。全体像は言うに及ばず、冠の表面に刻まれ彫り込まれたものたちすらも肉眼で確認できるほどなのだから。

 いや違う――冠の正面に刻み込まれた()()()()を見やりながら、源吾郎はその冠に不吉なものを覚えた。彫像の頭部は、源吾郎の親指の先よりも小さなものである。それだけ小さい物であるのに、そこから更に刻まれている紋様や図画までくっきりと見る事が出来る。その事自体が異常ではないか。

 それだけではない。表面に刻み込まれた図画が変化し、或いは動いているのではないか。しかもその図画自体も、複数の獣を組み合わせたような、或いは悪夢の中に潜む夢魔のごとき奇々怪々な代物である。それらが蠢き、睨み合い、牙を剥くなどとは。

 

「この像は無貌の神、と言うのです」

 

 悪い意味で夢心地になっていた源吾郎を正気に引き戻したのは、対面にいる若菜の声だった。ハッとした源吾郎はまず若菜を見やり、それから隣に控えるミツコに視線を向けた。二人とも引き締まった表情で、源吾郎や彫像を眺めているだけだ。魅入られたのは源吾郎だけだったのかもしれない。

 

「意味としては貌のない神という事ですね。這い寄る混沌の、千ある化身のうちの一つが、この無貌の神なの」

 

 若菜の言葉に、源吾郎は納得したように頷いた。()()()()()()と言われれば何のことかと身構えてしまうが、貌のない神だと言われるとその通りだと頷かざるを得なかった。実際に、この彫像には顔が無いのだから。

 

「そしてこれは、玉藻御前様が手ずからお作りになられたご神体になりますわ。このご神体を持つ者に、這い寄る混沌は力を貸してくれる。玉藻御前様はそう仰っておりました。

 島崎君。あなたはこれを受け取ってくださりますよね?」

 

 若菜の説明は短く簡潔な物だった。しかしながら、奇妙な彫像が何であるかを余すところなく語りつくしていたと言えよう。

 まず奇妙な彫像の持つ曰く因縁を説明しつくしており、そしてその上で、源吾郎には選択の余地がない事を示していたのだから。

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