「それじゃあ島崎君。とりあえず私の前で女子変化してみてよ。その、米田さんとかユキ君の前で見せた、宮坂京子って姿にさ」
源吾郎と雪羽の間に広がっていた気まずい沈黙を打ち破ったのは、鳥園寺さんの気軽な一言だった。源吾郎は弾かれたように鳥園寺さんに視線を向けていたが、それは雪羽も同じ事だった。元より二人が気まずさを感じていたのは、先程の鳥園寺さんの放った手痛い正論によるものだ。
そして彼女は、その正論を放った口で今度は宮坂京子に変化するようにと言っているのだ。思っていた以上に自由奔放な人だなぁ。鳥園寺さんの顔を見つめながら、源吾郎はそんな風に思っていた。見た目がおっとりとした、可憐なお嬢様と言った風情であるから尚更その言動が際立つ気もした。
鳥園寺さんの言葉に驚いているのは源吾郎だけではない。雪羽もだ。源吾郎とは異なり、驚きよりも苦々しい表情の方が色濃く浮かんではいるけれど。
「ええっ、鳥姐さん。宮坂京子の姿を見たいだなんて。そんな悪趣味な……」
「良いですよ鳥園寺さん。別に減るものでもありませんし」
ゲテモノ料理を前にしたかのような物言いの雪羽を尻目に源吾郎は朗らかに笑った。女子変化をやってみよと言われた時から、鳥園寺さんに宮坂京子の姿を披露する心づもりは出来ていた。元より源吾郎には女子変化を行う事への抵抗感はない。鳥園寺さんも既に源吾郎の変化を見た事があるのだから尚更だ。そして雪羽がどう思っているかはそれこそ知った事ではなかった。
さてそんな訳で、源吾郎はさっと宮坂京子の姿に変化したのだった。急ごしらえでの変化だったから、その姿が定まっていなかったかもしれない。実のところ、そんな懸念を源吾郎は心のうちに抱えていた。だがそれは全くの杞憂であった事は、隣に控える雪羽が物語ってくれた。変化を終えた源吾郎の姿を見るや、その顔が忌々しさと苦々しさに一瞬とはいえ歪んだのだから。
源吾郎も源吾郎で、宮坂京子の姿を思い浮かべるにあたり、雪羽の存在が重要である事をこの時悟った。何もおかしな話ではない。宮坂京子は泥酔した雪羽に絡まれ、そのまま何処かに連れ去られる所だったのだ。その後に起こったグラスタワー事件も込みで、雪羽との絡みは宮坂京子の中に強い感情と共に記憶されているのだから。
さて宮坂京子もとい源吾郎は鳥園寺さんの方に視線を転じた。源吾郎へひたと向ける彼女の視線の、その圧を感じ取ったためだ。鳥園寺さんの両目はしっかりと宮坂京子の姿を捉えていた。のみならず、顔から身体、全体から細部へと舐めるように観察し続けているではないか。源吾郎はこそばゆいような、僅かな違和感を抱かざるを得なかった。鳥園寺さんの眼差しには鬼気迫るものがあったのだ。
「……如何でしょうか、鳥園寺さん」
「ああもう、思った以上に可愛いじゃない。急ごしらえで変化したなんて言ってたけれど、そんな事信じられないわ。何かムカつくかも」
何でここで鳥園寺さんがムカつかなければならないのか。宮坂京子の姿のまま、源吾郎はそんな風に疑問を抱いていた。だからこそ、鳥園寺さんの動きへの反応が遅れてしまったのだ。
「あっ、ちょっと……」
気が付いた時には、鳥園寺さんは宮坂京子の手を掴んでいた。筋張っていないその手は柔らかく暖かい。冬場という事もありおのれの手が冷えている事に、源吾郎は密かに気後れしていた。
だがそんな源吾郎をよそに、鳥園寺さんは無遠慮に手を伸ばしてくる。次に彼女が触れたのは、源吾郎の頬だったのだ。握られた手が解放されたと思った次の瞬間に繰り出された暴挙である。
源吾郎は宮坂京子のまま、鳥園寺さんにただただ頬を撫でられ、時にムニムニと指で押されていた。完全になすがままだった。一方は金毛九尾の末裔で中級妖怪クラスの実力を備え、他方は術者と言えども非力な人間であるはずなのに、である。
「やだもう、お肌も随分と綺麗でモチモチしてるじゃない。ぱっと見で可愛いだけじゃなくて、こういう所までちゃんと女の子みたいになってるんだから……ずるい、ずるいわよ。うん、私が男だったら見とれちゃうかもしれないわね」
「鳥園寺さんまで……何なんですかこれは」
全くもって俺は何に付き合わされているのか。心の中で軽く毒づきながら、源吾郎は変化を解いた。本来の姿に戻れば、鳥園寺さんのいささか過剰なスキンシップも終わるだろうと思っての事だ。何せ彼女は、女の子みたいな姿の宮坂京子だからこそ腕を伸ばしたのだから。
ついでに言えば、源吾郎の本来の姿というのは全くもって冴えない風貌である。そうなれば興奮気味の鳥園寺さんも我に返り、この暴挙を終えてくれるのではないか。そんな風に源吾郎は思っていた。
変化を解いた源吾郎の姿に、鳥園寺さんの動きが一瞬止まった。可愛らしい少女から風采の上がらぬずんぐりとした青年に変化すれば、そりゃあ誰しも驚くであろう。しかも鳥園寺さんは人間なのだから尚更だ。
鳥園寺さんが動きを止めたのは一瞬だった。そして動き始めたのは、源吾郎から距離を取るためではなかった。何を思ったのか、今一度源吾郎の頬に手を伸ばしたのだ。さも当然のように、鳥園寺さんは源吾郎の頬を撫で、やはり指で押している。
「まさかとは思ったけど、やっぱりいい感じのお肌じゃない! こっちもこっちでつるつるじゃないの。女の子みたいな肌よねぇ。色白だし」
流石の源吾郎ももはや抵抗できなかった。鳥園寺さんが青年の姿に戻った源吾郎であってもお構いなしに頬に触れているのだから。ついでに言えば、色白だと言われたのも地味に効いていた。妖狐の血を継ぐためか、はたまた父の体質が遺伝したのか、源吾郎は日焼けしない体質だった。そしてそれも、学生時代の頃からのコンプレックスの一つだったのである。
「鳥姐さん。もうそれ位にした方が良いっすよ」
半ばあきらめの境地に達しかけた源吾郎に助け舟を出したのは、何と雪羽だった。これは鳥園寺さんも意外だったらしく、目を丸くして首を傾げていた。雪羽はほのかに笑みを浮かべながら言葉を続ける。
「島崎先輩はあんまりベタベタ触られるようなじゃれ合いは苦手なんすよ。それにこんなでも俺と互角以上の力を持つ妖怪ですし、ブチギレたらえらい事になりそうだから……」
「あら、そうだったのね」
ごめんね島崎君。鳥園寺さんはそう言って源吾郎から離れてくれた。彼女に撫でられていた頬に手を伸ばしつつ深く息を吐く。先程まで感じていた羞恥心やら何やらがそのまま息と共に流れ出ていくのを感じていた。
「島崎君って末っ子で、ご兄姉たちに構われて育ったみたいだから、ああいうスキンシップは大丈夫かなって思ってたの」
「兄姉たちに構われまくって育ったから
何処か呑気な鳥園寺さんに対し、源吾郎は微苦笑を浮かべながら言い放つ。
「苦手というよりも懲りているという方が正しいかもですね。兄たちも姉も、俺の事を仔狐みたいなものだと思って、隙あらば構ったりこねくり回したりしてきますからね。今だってそうですよ」
「そう言えば昨日もご両親とかお兄様方が先輩の部屋に来てましたもんね。あはは、先輩ってばめちゃくちゃ愛されてるやんか」
源吾郎の言葉に反応し、雪羽が口を挟む。その顔には懐っこそうな笑みが浮かんでいたが、かすかな羨望といくばくかの憤慨めいた表情が確かに見え隠れしていた。
とはいえ、昨日部屋で養生する源吾郎の許に父母や兄たちや叔父叔母が来訪した事は紛れもない事実だ。
※
さて女子変化後の一悶着も解消した所であるし、源吾郎は米田さんとどんな感じで交際しているのかについて鳥園寺さんに語って聞かせた。と言っても、本当にデートした時の事をざっくりと話しただけである。
米田さんと最終的にどうなりたいかについてまでは口にしなかった。米田さんとは正式に交際したいし、その先の事も実は考えてはいる。しかし実際にはまだ二度デートしただけであり、きちんと交際しているとは言い難い所だった。いかな色恋にのぼせた源吾郎と言えども、自信の状況を客観的に観察できるだけの理性は具えていたのだ。
「島崎君のデートってそんな感じなのね。とっても初々しくて良いじゃない」
ほのかな笑みを浮かべて告げる鳥園寺さんに対し、源吾郎は気の抜けたような返事をするほかなかった。子供っぽい、学生っぽいデートだと鳥園寺さんは揶揄しているのではないか。よせばいいのにそんな考えさえ源吾郎の脳裏に浮かんでしまったのだ。
「まぁ言うてまだ二回しかデートしてませんし、正式に付き合っているとも言い難いんです。向こうが僕の事を男として好いてくれているのか。それもまだ確認できていませんし……」
拳を握りしめる源吾郎に対し、鳥園寺さんはいたずらっぽい笑みを浮かべて言い放った。
「随分と控えめなアプローチなのね。島崎君の事だから、もうちょっとグイグイ行くのかなって思ったりしていたんだけど。そりゃあまぁ強引に襲ったりするなんて事は無いでしょうけれど」
「そんな、襲うなんて短絡的な事はしませんよ!」
「そうっすよ鳥姐さん」
いたずらっぽい調子で過激な事を言ってのけた鳥園寺さんに対し、源吾郎は思わず強い語調で否定した。流石に思う所があったらしく、雪羽もその通りだと同調し頷いている。
ともあれ鳥園寺さんの言葉に面食らっていると、同調していた雪羽がそのまま勝手に解説を始めていた。
「そもそも米田の姐さんはめちゃくちゃ強いんですよ。確かに彼女は二尾だから、妖力の保有量は俺や先輩より少ないですけどね。ですが彼女は傭兵で、その気になったら相手を殺す事すら躊躇わない手合いっすよ。変に挑みかかったとしても俺らの方が返り討ちに遭うだけでしょうね」
「雷園寺……」
雪羽も雪羽でいささか過激な発言をしているではないか。その事に多少戸惑いつつも、その一方で彼の言葉に納得している部分もあった。のみならず、雪羽が彼女の強さを認めている事に関心すらしてもいたのだ。
とはいえ、源吾郎にも源吾郎で言い分はあるのだが。
「鳥園寺さん。米田さんが強かろうと何だろうと、ともあれ僕は短絡的な手段で彼女をモノにしようだなんて考えてはおりません」
僕は狼ではなく狐、それも傾城傾国の大妖狐の子孫ですよ。源吾郎はそう言ってにたりと笑った。
「そんな事をしたとしても、心まで彼女を自分のモノにする事は叶いませんからね。そんな事で俺は満足しませんよ。やはりこの俺に、身も心も委ねるようになって欲しいですし、そうするには手順を踏むほかないんですよ」
外面的には不穏な笑みを浮かべている源吾郎であるが、その内心では悪狐過ぎる発言だろうか、などと小市民的な考えが渦巻いていた。とはいえ若干過激な発言を行ったのは向こうであるし、それならそれで別に良いだろう。結局のところ、そんな考えに落ち着いてもいたのだ。
さて鳥園寺さんはというと、いささか毒気の滲む源吾郎の笑みと発言を前に、平然と笑みをたたえたままだった。
「そう言えば島崎君って清楚な子が好みだとか、自分がリードしてみたいって言ってたものね。米田さんはどっちかって言うと結構気の強そうな女性にも思えるんだけど……」
そこまで言うと、彼女は源吾郎をじっと見据えて笑みを深めた。
「だけどね島崎君。島崎君が恋愛の方面では初心で真面目だって事は何となく解っちゃったわ。女の子をリードしたいって言うのも、純朴な男性ほどそう思う節があるくらいですし」
そんな……源吾郎はたじろぎつつも、鳥園寺さんへ反論するための言葉を探り当てる事が出来なかった。態度や言い方はさておき、鳥園寺さんの言葉が図星だったからに他ならないためだ。