鳥園寺さんを交えた世間話や源吾郎への恋愛アドバイスは、およそ十五分で終了した。鳥園寺さんの彼氏にして婚約者である柳澤がやって来たからだ。柳澤は主任クラスであると何処かで聞いていたが、金曜日である事もあってか仕事はもう終わったらしい。
柳澤は源吾郎たちに若干の親しさを籠めた挨拶を行うと、そのまま鳥園寺さんと連れ立って去って行った。鳥園寺さんは、そんな彼氏にして将来の夫に対し、仔猫のように甘えながら寄り添っていたのだ。源吾郎に対して、ユーモアを交えつつ恋愛アドバイスをしていた姿からは連想できぬほどの甘々ぶりである。
「……鳥姐さんも、良い人が旦那さんになってくれそうで良かったっすね」
隣で雪羽の声が聞こえ、源吾郎はそこで我に返った。鳥園寺さんが柳澤に甘える姿を見た源吾郎は、しばしの間物思いにふけっていたのだ。端的に言えば、可愛く甘える彼女を持つ柳澤を羨ましく思ったり、米田さんがああいう振る舞いをする可能性について思いを馳せたりしていたという事だ。
そんな甘ったるい考えとは対照的に、雪羽の声にはしっとりとしたものが多分に込められていた。翠の瞳はギラギラと輝いているが、その奥には昏い光が宿っている。
「うん。鳥園寺さんも学生の頃は変な人とばっかり付き合っていたから苦労していたって話だったけど、柳澤さんは良い人だもんな。まぁ実は、俺も最初に会った時はちょっと怖いなぁって思ったんだけどね」
最初に柳澤に出会った時の事を思い出しながら、源吾郎は静かに微笑んだ。あの時彼は鳥園寺さんと付き合う前だったらしく、それ故に鳥園寺さんに対して親しく振舞っていた源吾郎に妬いていただけなのだ。
今では柳澤は鳥園寺さんとうまくいっているし、源吾郎とも鳥を飼う仲間として打ち解けているのだが。時たまホームセンターで出会う事もあるが、それぞれの飼い鳥の事で話が弾むのが常だった。
やっぱりセキセイインコと十姉妹じゃあ違う所もあるもんなぁ。呑気な事を考える源吾郎であったが、その傍らにいた雪羽は真面目くさった表情を相変わらず浮かべているではないか。
流石の源吾郎もただならぬものを感じ、窺うように声をかける。
「それにしても雷園寺君。君ってばいつの間にか鳥園寺さんとも大分打ち解けてるんだね。人間にはあんまり興味がないって思っていたからびっくりしたよ」
「まあな。でも鳥姐さんの言ったとおり、人間の方が俺を警戒しないみたいだし、そう言う意味では妖怪よりも親しみやすいかもしれないんだ」
そういうものなのだろうか、と思っている間に雪羽は鳥園寺さんの事についてあれこれ話してくれた。ああ見えて鳥園寺さんはノリのいい言動を好む性質である。その辺りが雪羽とも馬が合ったようだった。
あとは、雪羽が
というよりむしろ、鳥園寺さんと話す時に若干のぎこちなさを感じる理由が何であるか、はっきりしたようにさえ感じられた。
兄弟の属性で言えば、源吾郎が末っ子であるのは言うまでもない。一方の鳥園寺さんも三兄妹の末っ子である。何かとマイペースで我の強い所のある末っ子同士なのだから、互いに話し合っていてなんかぶつかって来る感じがするのは、ある意味自然な事なのかもしれない。
確かに鳥園寺さんもかなりマイペースだし、話していて調子が狂う感覚もあったもんな。そんな事を思っていると、雪羽は遠くを見やりながら言い添える。
「女当主として婿を迎えようとしている鳥姐さんは、俺の……雷園寺家の先代当主と相通じるところがあるんだよ」
「…………!」
源吾郎の視線に気づいたのか、雪羽がゆるりとこちらを向く。その顔には笑みが浮かんでいたが、笑いで何かを覆い隠そうとした表情に見えてならなかった。
「いやその、鳥姐さんの何もかもが似ているって訳じゃないよ。単に家の当主になるって言う所しか共通点は無いかもしれないけどさ。でも、それでも鳥姐さんには
普段よりもぎこちない調子で言い放った雪羽の姿を、源吾郎は黙って見つめていた。何と声をかければ良いのか解らなかったのだ。少なくとも、今後の幸せを望んでくれる存在がいると知れば、鳥園寺さんはとても喜ぶだろうな。そう思うのがやっとだった。
源吾郎の戸惑いに気付いたのか、雪羽はここで今一度笑みを作った。作り笑いには違いないが、普段見せる笑みにより近づいていた。
「まぁでも、今回は鳥姐さんにも意見を貰えてよかったじゃないか! 思っていたよりも手厳しい意見だったのにはちょっと驚いたけれど」
「手厳しいというよりも、女性と男性では意見が違うというだけの話じゃないかな」
雪羽の言葉に、源吾郎は頷きつつそう言った。
――島崎君からは執念深さと愛情の重さが垣間見えるから、そこだけが私は気になるわ。遊びじゃあない真剣な恋愛である事は解るんだけど、
源吾郎の脳裏に、鳥園寺さんのアドバイスが反響していた。もちろんダメ出しされるのは源吾郎としてもしんどい所はあった。しかし図星だったからぐうの音も出ないものである。それに注意すべきところが明らかになったのは感謝すべき事だろうとも思っていた。
もしかしなくても、デートの最中に興奮しているのは源吾郎の方だけである。米田さんは源吾郎のデートに付き合ってくれるものの、常に冷静で取り澄ましたままなのだから。最悪向こうは源吾郎に対して恋愛感情など皆無の可能性すらあるくらいではないか。
確かに、そんな状態で一人で付き合うだの彼女だの結婚だのとのぼせ上っても滑稽極まりないし、米田さんにも迷惑が掛かる訳であるし……今後の立ち振る舞いについてもう少し考えねばならぬ。源吾郎は割と真面目にそう思い始めていた。
※
鳥園寺さんたちを見送った源吾郎も居住区内にある自室に引き戻ったのだが、さも当然のように雪羽も付いて来た。
何故ここまで付いて来たのだろう。訝しく思いつつ見つめていると、雪羽がふっと微笑んだ。何処となく寂しげな笑顔である。
もう少し話したい事があるから付いて来たんだ。寂しい笑顔のまま、雪羽は素直に白状した。
「いやさ、昨日は先輩も仕事が休みだったし、今日は今日で俺も工場棟の雑用の方に駆り出されていたからさ。島崎先輩に会って話す機会がほとんど無かったんだよ。だからもう寂しかったぜ」
「心配してくれていた事は感謝するよ」
あっけらかんとおのれの想いを口にする雪羽に半ば気圧されつつも、源吾郎はまず感謝の言葉を述べる。
「しかし雷園寺君。そんなに寂しくて俺の事が気になるんだったら、部屋に遊びに来てくれても良かったんだぜ? 昨日は林崎部長たちの言いつけに従って、丸一日部屋で静養していたんだからさ。
それに雷園寺君だって、俺の部屋に遊びに行く事は別に出来るんだろうからさ」
萩尾丸からの再教育中ゆえにその活動に多少の制限が設けられている雪羽であるが、源吾郎の居住区へ出向く事は黙認されているであろう事は源吾郎も知っていた。現に、雪羽は二度ほど源吾郎の居住区に泊り込んだ事すらあるのだから。無論これも萩尾丸たちには公認の事だ。
それに裏初午のテロ事件があってからというもの、雪羽は仕事終わりには三國の家に帰されている日が続いているという。思惑はあれどそこまで気を回しているのだから、源吾郎の部屋に遊びに行く事を咎めたりはしないだろう。
そんな風に思う源吾郎の前で、雪羽は違うとばかりに首を振った。
「だって昨日はご両親とか宗一郎君たちとか苅藻さんたちが見舞いに来てたんでしょ。ご家族や親戚の方がお見えになっている所に入り込むなんて野暮な事は、流石に俺もやらないよ」
「
家族や親族は勝手にやってきて様子を見ていただけなんだからさ。源吾郎は心の中でぼやいていた。そんな事だと。短く言い捨てる雪羽の眼差しは鋭くなっている。
「わざわざご家族が先輩の事を心配して下さっているんだぞ。そんな事だなんて言い捨てなくても良いだろう。まぁ、先輩はご両親や宗一郎君たちや叔父である苅藻さんにまで甘やかされてちやほやされて育ったんでしょうから、家族のありがたみが解らないんでしょうけれど」
「ああすまん。俺も言い過ぎたよ雷園寺君」
源吾郎は間髪入れずに謝り、おのれの言動が不適切だったことを雪羽にアピールした。何においても家族に関する話題について雪羽は敏感だった。彼は源吾郎が親兄姉の許で可愛がられて育った事に対して嫉妬と羨望の念を抱いている。だがそれ以上に、源吾郎が家族を軽んじているのではないかと思い、そうした言動が見えるたびに怒りや不快感を露わにするのだ。家族を敬って大切にしろ、と。
もちろん源吾郎も、そうした雪羽の気質は十分に把握していた。幼い頃の境遇や仕打ちを思えば、家族への絆や愛情を求めるのも無理からぬ事である、と。源吾郎もだから、雪羽を刺激しないように家族の話については注意を払っているつもりではあった。しかしそれでも、時々地雷を踏んでしまう事もあるのだ。そして今回もまさにそれだったのだ。
とはいえ、昨日の家族とのやり取りで、源吾郎が苦い思いを抱いたのもまた事実に他ならないのだが。
それはさておき、と声をかけてきたのは雪羽の方だった。相手をどうなだめようかと思案し始めていた所であるから、源吾郎としては拍子抜けしつつも有難く感じられた。雪羽はもう拗ねている素振りは無かったからだ。
「今回俺が先輩の所に付いて来たのは、もうちっと米田の姐さんの事について先輩と話したかったからだよ」
思いがけぬ言葉に、源吾郎は眉を動かした。米田さんとのコイバナであれば、今しがた鳥園寺さんを交えてああだこうだと話していたではないか、と。
その疑問をぶつけると、雪羽は穏やかな笑みのまま続ける。
「確かに鳥姐さんの話も参考になったし、あそこでも色々と話は出たけどな。でもここからは、もうちょっと突っ込んだ話をしたいと思っているんだよ。それで、そう言う類の話は、鳥姐さんがいるとちょっとやり辛いんだ。鳥姐さんは
鳥園寺さんを思い浮かべているであろう雪羽の顔には、何処か慈しむような笑みが漂っている。雪羽が何を言いたいのか、源吾郎は未だに掴めずにいた。
「突っ込んだ話って何さ。ここにきてエロ方面の話だったらブチギレるぞ」
「はは、先輩はそう言う話は苦手だもんねぇ」
冗談めかした源吾郎の言葉に、雪羽も軽く笑って応じる。だが次の瞬間には笑みは消え、真顔で源吾郎を見据えていたのだ。
「他の誰かが何て言うかは別だけどさ、やっぱり米田さんは島崎先輩に相応しい相手なんじゃないかな。この先ずっと行動を共にする、
「は、伴侶……?」
雪羽の言葉に源吾郎は丸く目を見開くのみだった。とうとうと語って聞かせる雪羽の表情も口調も真剣そのもので、からかったり冗談を語るような気配はみじんもない。だからこそ、雪羽の意図が読めずに戸惑ったのだ。