九尾の末裔なので最強を目指します   作:斑田猫蔵

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罪科を背負って野狐はさまよう

「どうしたんだよ姉さん。そんな、尻込みしちゃってさぁ」

 

 玲香の呼びかけに、弟は立ち止まって振り返った。玲香を見つめるその顔には悪戯っぽい笑みが浮かんでおり、白い毛に覆われた二尾も先端がゆらゆらと揺れている。彼は人間で言えば中学生ほど。完全な大人とは言い難いが、まるっきり幼い仔狐という訳でもない。思春期に突入しているという事もあり、やんちゃ坊主らしい振る舞いがここ数年で急に増えてきたのだと玲香は思っていた。

 とはいえ、この子も自分とは別方面で大変な思いをしている訳であるし、ちょっとした遊びやワガママに付き合うのが姉の務めだと玲香は思っていた。

 だがそれでも、今回ばかりはそのまま弟の遊びに付き合う事には消極的だった。この土地が、大人の妖狐たちも警戒する場所である事を知っていたからだ。

 優しい声音で弟の名を呼ぶと、玲香は言葉を続ける。

 

「ね、まだ入ったばかりだけどやっぱり引き返しましょ。強くて獰猛な妖怪やバケモノが巣食っているって話だし、そうでなくても二人でここに立ち入ったとなれば、お父様やお母様から叱られるわよ」

「姉さんってば怖がりだなぁ」

 

 弟は玲香の言葉を笑い飛ばした。それから見せつけるように白い二尾を揺らしている。その間に彼の周囲には丸い狐火が三つ四つ浮かび上がっていた。

 

「見てみなよ姉さん。姉さんはまだ一尾だけど、俺はもう二尾になってるだろ? それに妖術だって色々使えるようになったんだから、こんな所を根城にしている野良妖怪なんて目じゃないさ。それに姉さんだって、ある程度闘う術くらい知ってるでしょ」

「……術はそれほど得意じゃないのよ」

「そっか。そうだったよね」

 

 玲香とのやり取りを重ねつつも、弟の顔に浮かぶ笑みは深まるばかりだった。

 

「でもそれはそれで都合が良いかもね。俺、変な妖怪が襲い掛かってきたらカッコよく仕留めちゃうからさ! そうするよ、そうしたら……」

 

 弟はそこで言葉を打ち切り、そのまま前を向いて歩き始めた。

 歩みと共に揺れる二尾を眺めながら、玲香もその後ろ姿に追いすがる。

 せめて自分たちがこの山林にいる間は、おかしな妖怪が飛び出してこないように。心の中で玲香は静かに願っていた。好奇心旺盛だが飽きっぽい弟の事だ。めぼしいものが見つからなければ、二十分もしないうちに飽きて別の遊びをやろうと言い出すに違いない。それを見計らい、また屋敷に戻ればいいだけなのだ。玲香は今後の事についてそんな風に思っていたのだ。

 

 源吾郎は固唾を飲みながら、米田さんが語り始めるのを待っていた。義弟は私が殺してしまったのだ。そのカミングアウトは衝撃的だった。衝撃的だったからこそ真実が気になったし、逆に深く知ってはいけない事なのかもしれないと思い始めてもいた。

 少なくとも、源吾郎には米田さんが訳もなく義弟の生命を奪ったとは思えなかった。彼女の事だから、何か事情があったのだろう。そんな風に、同情的・好意的な意見を源吾郎は抱えていたのだ。

 

「案の定というべきですが、私たちは立ち入った山林で凶暴な妖怪と鉢合わせしてしまったんです。それは巨大な猪のバケモノでした」

「猪の、バケモノですか」

 

 猪が意外にも危険で凶暴な獣である事は、源吾郎も知識として知っていた。ジャーマン・シェパードのような大型犬が猪に腹を裂かれて殺されたという話も、いつだったか鳥園寺さんが教えてくれたものだった。

 

「そいつこそが危険な妖怪の一匹でした。案の定、私たちはそういうモノに出くわしてしまったのです。

 流石の義弟も、その大猪を前に闘うという事は出来なかったわ。さっきも言ったとおり、あの子もまだ子供だったの。修行の一環で闘う術も教わってはいたけれど、純粋にこちらを殺そう、喰らってやろうと思う存在と対峙した事は無かったのよ――獣の世界ではよくある事なんだけどね」

 

 そう語る米田さんの顔には諦観の色が浮かんでいた。確かに彼女ならば、獣の世界の事は、食うか食われるかの生活については詳しいであろう。短い期間とはいえ、普通のキツネとして彼女は生を享けたのだから。

 猪のバケモノを追い払うために動いたのは、米田さんだった。二尾の義弟が恐れをなす化け猪を、自分が仕留められるとは思っていない。しかし攻撃によって追い払えないか、端的に言えば義弟から注意を逸らす事が出来ないか。米田さんはそんな風に思ったらしい。

 

「私自身は術の方面は苦手なんだけど、それでも狐火くらいはあの頃から使えたの。義弟だけじゃなくて、私も闘う術を教えられていたからね。それに私には、有事の折に義弟や義妹を助けるという目的が課せられていたの」

 

 だから化け猪に向けて狐火を放ったのだ。そう言った米田さんの言葉は重く、両の瞳は昏い輝きを放っていた。

 

「その狐火は化け猪に弾かれて……そのまま軌道を変えて義弟の方に向かったの。頭に直撃して、()()()()()よ」

 

 攻撃術として用いる狐火の威力がいかほどのものか、源吾郎もそれは知っている。それこそ、一尾が放つ狐火であっても、木材の硬い的を撃ち抜く事は可能である。生身の妖怪にぶつかった場合、当たり所が悪ければ致命傷になる事すらあるくらいなのだ。

 深く考えずとも、米田さんの過去話の終着点は源吾郎には見えてしまった。だからこそ言葉がすぐには出てこなかった。

 その事に気付いたのか、米田さんは言葉を重ねた。

 

「義弟は私の放った狐火が直撃して、それで頭が吹き飛んで死んだの。()()()()()()()()()()()()()()()

「そんな……それは違いますよ!」

 

 米田さんの放った言葉に、源吾郎は思わず声を上げた。それは主張というよりも、胸の中に秘めていた思いをぶちまけるような行為だった。

 

「弟さんの事は悲しい()()に過ぎなかったんです。米田さんだって、化け猪をやっつけるか追い払うために狐火を放ったんですよね。それなら……」

 

 義弟を殺した。米田さんはそんな風に言っているが、俺はそうだとは思えない。故意に行った事ではないし、殺意を抱いた結果ではないのだから。源吾郎は米田さんにその事を伝えたかった。

 結果的に、彼女の義弟が死んでしまった事には変わりはない。しかし、米田さんの行った事はあくまでも過失に過ぎない。だというのに、必要以上に自責の念に駆られ、殺しの罪科を進んで背負う姿は源吾郎としても見ていて辛かった。

 それに米田さんが今こうして源吾郎と向き合っているという事は、義弟の件で米田家の者たちと何らかの落としどころを付けたという事とも同義だと思っていた。

 人間のそれとは異なる部分があるとはいえ、妖怪の社会にも守るべき法律や規律は存在する。考えたくはないが、米田さんは既に何らかの罰を受けたのかもしれない。受けたからこそ一族を離れざるを得なかったのかもしれないし、その程度で済んだのかもしれない。

 正当防衛の範囲の広さなどからも解る通り、妖怪社会は案外暴力沙汰には寛容な部分がある。その一方で、結束の固い種族では裏切りや規律に反した者への制裁は苛烈になりがちだという。妖狐でもその傾向は顕著だった。

 もしも、米田さんが()()()()でもって義弟の生命を奪ったのだとしたら、それこそ一族の者に()()されていてもおかしくはないだろう。

 

「もしかして、野良妖怪になったのも……」

 

 違うわ。源吾郎の問わんとしている事を悟ったらしく、米田さんはかぶりを振る。

 

「島崎君の言う通り、義弟の件は一族の中でも事故として扱われたの。私自身も、その事で罰を受ける事は無かったわ」

 

 それならば。源吾郎が言葉を挟む暇も与えずに、米田さんは言い足した。

 

「罰を受けなかった事と、罪過を赦された事とは別問題なのよ。罰を受けなかったと言っても、それはあくまでも表向きに過ぎないわ。化け猪に出くわした事も考慮して、そうなっても仕方ないという判断が下されたの。それでも――あの子の両親と妹は私を憎んでいるのよ。あの子を死なせた事を決して赦さない。私に向けた眼差しで、その事を悟ったの。

――だからこそ、米田家を出て野良妖怪として暮らす事になったのよ。一族の中で暮らしていく事とか、稲荷の眷属として修行する事とかが肌に合わないって、あの事件で嫌というほど思い知らされてしまったから。そこからしばらくの間、根無し草の野良妖怪として過ごしていた訳なの」

 

 そっちの暮らしの方が、ある意味面白おかしかったかもしれない。米田さんはそう言って、ここにきて急に笑みを見せた。と言っても、その笑顔は作り物めいた気配が色濃く漂っていたのだけど。

 

「後ろ盾がない妖怪なんて、野山に生きる獣と同じですからね。難しい事も考える必要は無かったのよね。でもね、それ以上に喰い合いや殺し合いが当たり前の日々に身を置けることが、あの頃の私には()()()()()()()()()()()()

「そんな……」

 

 自嘲気味な笑みと共に紡がれた言葉に、源吾郎は驚いて目を瞬かせた。

 殺し合いが当たり前のように頻発する日常が嬉しくてたまらない。米田さんの主張は、源吾郎には到底理解しかねるものだった。自分が就職するまで人間として暮らし、しかも武力を伴った争いごととは無縁の日々を送っていた事を差し引いてもだ。

 しかも彼女は、事故とはいえ義弟の生命を奪った事を悔やみ、大きな罪科だと思っているのではないか。

 つらつらと考えを巡らせていた源吾郎は、そこである事に気付いてしまった。米田さんは義弟の死を重大な事だと思っていたから()()、敢えて妖の生き死にが軽く扱われる暮らしに身を投じたのではないか、と。全く同じではないにしろ、似たような事例を耳にした事をこの時思い出したのだ。

 雷園寺の言っていた死の気配を抱えているとはそういう事だったのだろうか。米田さんの言動を自分なりに理解できた源吾郎は、心の中で静かにそう思うのだった。

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