鳩を見て笑い転げていた源吾郎が我に返ったのは、およそ数分後の事である。笑いのネタになっていた鳩たちは既に何処かへと飛び立っていた。突如現れた肉食獣たち――もちろん米田さんと源吾郎の事だ――に恐れをなしたのかもしれない。
源吾郎はそれから、隣に腰を下ろす米田さんの視線に気が付いた。唐突に爆笑し始めた源吾郎にドン引きしているかもしれない。そんな懸念が脳裏を覆い、源吾郎はさっと居住まいを正す。但しその面は羞恥の為に赤らんでいたが。
米田さんはしかし、穏やかな笑みと優しげな眼差しをこちらに向けているだけだった。
「どうしたの島崎君。何か面白い事でも思い出したのかしら?」
「あ、いえ……さっきまでいた鳩が求愛行動をしていて、それが面白おかしくってついつい笑っちゃったんです。なんせオスの鳩って、メスにアピールする時には鳩胸をわざわざ膨らませたりしてるんですから」
笑っていた理由を口にした源吾郎であったが、またしても羞恥心がぶり返してきてしまった。求愛行動を行っていたオスの鳩の動きは確かに面白おかしい物ではある。だが、今の源吾郎にそれを笑い飛ばす事が出来るのか。そんな考えが脳内に浮き上がり、源吾郎の思考にがっちりと絡みついてしまったのだ。こちらはキツネで向こうは鳩であるが、やっている事は変わらぬであろう、と。
ていうかよりによって米田さんとの大事なおデートの時に、求愛行動なんぞで笑い転げるって狐としてどうなんだよ……源吾郎が静かに思案を巡らせていると、米田さんの声が聞こえてきた。
「私は単純に鳩が集まってるんだなって思っていただけなんだけど、島崎君はそんな所まで見ていたのね。島崎君は鳥が好きで小鳥も飼ってるって話だったから、集まっていた鳩の事も気になったのかしら?」
微笑む米田さんに問いかけられ、源吾郎は僅かに首を傾げた。鳥が好きなのか、と質問される事は想定外の事だったのだ。それに、ホップの事を米田さんがしっかり覚えていた事が嬉しかった。使い魔である十姉妹妖怪のホップについては、割合サラッと紹介しただけだったからだ。
細々とした話の内容をも覚えているのは好意のあかしである。それは男女ともに共通する話なのだ。
ともあれ、気を取り直した源吾郎は米田さんの質問に答えた。
「はい。僕は確かに鳥も好きですね。というよりも、鳥だけじゃあなくてフワフワした動物が全般的に好きなんです。犬猫とかウサギとかフェレットみたいなのも、可愛いなって思うんです」
源吾郎は物心ついた頃から動物好きだった。厳密に言えば、犬猫などの哺乳類や、十姉妹やインコなどの鳥類などが好きなのだ。それは何故なのかは解らない。もしかしたら妖狐の血が濃いが故の気質なのかもしれないと源吾郎は密かに思っていた。
そんな事を思っていると、幼かった時の事を思い出してしまい、源吾郎は目を細めた。
「とはいえ、実家にいた頃は教育方針のせいで中々ペットは飼えなかったんですがね。飼えたとしてもせいぜい金魚とかザリガニとかそういうものが関の山でした。
実は僕が中学生の時、部活の友達と一緒に仔猫を拾った事もあるんです。拾った仔猫のうちの一匹を僕が飼いたいと思ったんですけれど、母にそれを言うと駄目だの一点張りだったんですよね。自分たちの妖気を受けて、仔猫が妖怪化してもいけないってね」
動物好きであった源吾郎であるが、実家にいた時は犬猫ウサギなどの動物を飼う事は出来なかった。母の三花が、そうした動物を飼う事を認めてはくれなかったためだ。もっとも、その理由は母が動物嫌いだからではなくて、ペットにした動物が妖怪化する事を懸念したためという極めて特殊(?)な理由だったのだが。むしろ母もまた、鳥獣を愛する心の持ち主だったと思う。
更に言えば、鳥獣の多くは本能的に妖怪を恐れ、妖怪が傍にいるだけでストレスを感じてしまう事もあるらしい。そんな訳で、源吾郎は長らくペットを飼う事が出来なかったし、野良猫や近所の犬なども源吾郎にはなじまず警戒していたのだ。
よくよく考えれば他愛のない、子供の頃の話である。
さて少しばかり昔の事を思い出してぼんやりしていた源吾郎であるが、米田さんの方に視線を向けて咳払いした。大分と話が脱線してしまったではないか。しかも過去の自分語りであるし。
これは米田さんをしらけさせる失態だったのではないか。そんな考えが源吾郎の脳裏に渦巻き始めていた。
「ああ、すいません米田さん。僕ってば調子に乗って昔の話まであれこれしちゃいましたね。さっきのは全部、子供の頃のしょうもない話に過ぎません」
「しょうもない話だなんて、そんな事は私は思わないわ」
やや自嘲気味な源吾郎の言葉に対し、米田さんは力強い調子で言い放つ。正面から源吾郎を見据える彼女の眼差しや表情の鋭さに、少し怯んでしまった。
「昔の事とか子供の頃の出来事ってね、どんな事でも積み重なっていて、それで今の自分に至る糧になっているのよ。だからね、昔の事にも意味はあると思うし、その事をこうして話すのも大切な事だと私は思うの」
米田さんはそこまで言うと、何故かいたずらっぽい笑みをその顔にふっと浮かべた。茶目っ気のあるともいえる彼女の表情を、少しどぎまぎしながらも源吾郎は見つめる。
「私はいちかさんたちや三花さんの、島崎君のお母様の事は知っているから、実は島崎君がどんな風にこれまで過ごしていたのかは大体想像できるの。それでも、やっぱり島崎君の事は島崎君から直接聞いてみたいなって私も思うのよ」
「そうだったんですね。そう言ってくれると嬉しいです」
無邪気に喜ぶ源吾郎を見やりながら、米田さんは更に言葉を重ねる。
「ペットにする動物が妖怪化する事も気になさっていたって、やっぱり三花さんらしいわね。あのお方も玉藻御前の孫で半妖ですから、色々と思う所もあるでしょうし」
「あ、やっぱり米田さんって僕の母の事もご存じだったんですね。いやまぁ、叔父上や叔母上とも交流があるので、母とも面識や交流があるのは当然の事かもしれませんが」
多少の驚きを伴った源吾郎の言葉に、米田さんは頷いた。即答とも取れる動きであったが、ある意味源吾郎の予想通りでもあった。
先も言ったとおり、米田さんは苅藻やいちかと交流があり、それどころか兄姉のように二人を慕っていた時期もあったという。その二人の姉である源吾郎の母と、米田さんが多少の交流があったとしても何らおかしな話ではない。むしろ交流も面識もないと言われた方が不自然ではないか。
「三花さんとは苅藻さんたちほどにお会いした訳じゃあないんだけれど、それでもあのお方の事は私も知ってるわ。三花さんも、私の事を覚えてくださっていると思うんですけれど……」
世間というのは存外狭い物なのだな。米田さんの顔を見つめながら、源吾郎はふとそんな事を思っていた。ともすれば将来の妻になるかもしれない米田さんが、源吾郎の叔父たちや母とも交流していた時期がある。しかもその交流は、源吾郎が産まれるはるか前に行われていた物なのだ。相手が百年以上生きた妖怪であるという事は解っているのだが、それでも不思議な感覚を抱いてしまうのだった。
ともあれ、源吾郎の母や叔父などの親族が米田さんと面識がある。その事実を源吾郎は複雑な気持ちで受け止めていた。別にやましい事も何もないのだが、付き合っている彼女の事を親族たちが知っているのは何となく気恥ずかしかった。しかしその一方で、ゆくゆくは米田さんの事を
先の事ばかり考え続けているではないか。源吾郎は四尾を震わせて僅かに顔をあげた。冬の日は短いというが、まだまだ太陽は中空でさんさんと輝いている。この昼下がりが永遠に続けばいい。青空を眺めまばゆい陽光を浴びながら、源吾郎はついついそんな事を思ってしまったのだった。