九尾の末裔なので最強を目指します   作:斑田猫蔵

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野良妖怪の青写真、そして旧いブランデー

 人魚の養殖場とやらに向かうのは、日曜日の昼前の事だと戸川は言った。今が土曜日の夜に差し掛かっているから翌日の事である。

 随分と急な予定なのだな。だがその予定すらも傲慢な戸川らしいとリンには思えてならなかった。こちらが断るという事を想定していないように思えたのだ。或いは、リンの返答がどちらでもあっても構わないと考えているようにも感じられる。

 戸川はしかし、思案するリンを見やりながら少しだけ申し訳なさそうな表情を見せた。

 

「休みの日に持ちかける形になったのは申し訳ないと思う。だがな、生き物を相手取る仕事となれば、平日も休日も無いんだ」

「別にアタシは構いませんよぅ。野良妖怪のアタシにゃあ、そもそも定まった休日なんて概念自体がありませんし」

 

 リンの主張は事実だった。休日という概念を意識できるのは、働く日がいつであると定まっている連中たちの特権である。定まった生活というのは、きちんとした組織に属しているからこそできるものなのだとリンは思っていた。

 もっとも、盤石な組織などというものはそれこそ幻影のようなものだ。その事をリンは十分に心得ていた。だからこそ、雷園寺雪羽の腰巾着として振舞いつつも彼に過度に肩入れしていた訳でも無かった。今でもこうして野良妖怪の暮らしを続けられるのも、彼女のそうした処世術ゆえの事だった。

 綱渡り状態の暮らしも疲れるし、多大なるストレスがのしかかる。しかし組織に属するのもまた何となく恐ろしい。二つの相反する思いが、いつでもリンの中で渦巻いていた。

 ちなみに戸川は、人魚の養殖業とやらにすっかり心を奪われているらしい。厳密には人魚の肉がもたらす不老不死とやらに。生を謳歌し生を貪る現世の生き物にしてみれば、死のくびきから逃れる事こそが生の本質だとリンも思っている。そして戸川は、他の獣妖怪よりもその事に貪欲だった。もしかすると、それは彼がニホンカワウソの妖怪である事にも関係があるのかもしれない。獣としてのニホンカワウソは絶滅したという。キツネやタヌキやイタチと違い、妖怪化している彼らとて今後数を減らす一方になるのだろう。

 そしてさらに、不老不死をもたらす人魚の肉には莫大な富が付きまとう。不老不死そのものよりも俗っぽいものかもしれないが、戸川はリンがそうした物にも興味を持っていると思い込んでいるらしかった。

 リンは既に、明日戸川と共に人魚の養殖場に向かう事は快諾している。戸川はその事ですっかり上機嫌になっていた。傲慢に振舞う割には、いやそうして傲慢に振舞っているからこそなのか、彼はかなり単純な思考回路の持ち主でもあった。

 

「ラス子、あんたなら俺の持ち掛けた養殖人魚ビジネスに乗っかってくれると思ったぜ。永遠の生命と莫大な富には、誰だって心惹かれるものなんだからなぁ。

 もちろん俺だってそうさ! しかも向こうの職員には、健気で勤勉なカワウソ娘だっているんだからな」

「そのカワウソ娘って言うのは、最近話題のコツメカワウソなんですかねぇ」

「なんでやねん!」

 

 軽口を叩いたリンは、戸川のツッコミと共にデコピンを喰らってしまった。もちろん、額にぴしりと衝撃が来た程度であり、どうという事は無いのだが。

 

「そら向こうの娘も俺と同じニホンカワウソやぞ。妖怪だとしてもだな、同種族同士で番になる事が自然な事だろうに……ラス子、あんたらアライグマだって狸と一緒くたにされるのは屈辱的な事なんじゃなかったっけ」

「それはまぁあそうですけれど」

 

 アタシらアライグマはアライグマ科で、狸連中はイヌ科だから大分遠縁なんですけどね。肩をすくめながらリンはそんな風に思っていたが、敢えてそこまで口にはしなかった。戸川は今上機嫌と言った塩梅である。それをしょうもない事で崩すのは悪手だと解っていたのだ。

 そんな風に思って大人しくしていると、戸川は急にしんみりとした表情をリンに対して向けた。

 

「ラス子。あんただって今の暮らしは心細いんじゃあないのかい。雷園寺のお坊ちゃまを頼る事も出来ねぇし、何よりあんたは兄貴のピーターがしょっ引かれちまっただろう」

「ああ、まぁねぇ……」

 

 愚兄の事を言及され、リンは言葉を濁した。兄のピーターについては、正直な所今はどうとも思っていない。事件に加担して悪事が露呈したのだから捕まるのもやむない事であるし、処刑されて殺されたとしても自業自得だと思っている。

 だがその辺りは飲み込んで、投獄された兄の身を案じる妹の仮面を戸川に向けておいた。ニホンカワウソである彼が、同種の仲間やら同胞やらに強い執着を抱いている事を知っているからだ。そしてリンも同じように考えているだろうと思い込み、そうでなくとも考えを押し付ける事は明白なのだから。

 とかく野良妖怪というのは身勝手な存在なのだ。リン自身がそうだったから、その辺りは彼女も良く心得ている。

 

「そもそもお前ら兄妹は雷園寺のお坊ちゃまに何かと優遇されていたみたいじゃないか。やっぱり歳も近いし、遠い故郷から離れた境遇とやらにシンパシーでも感じたんだろうな」

「……確かに、アタシもお兄もアメリカ生まれになるんだろうねぇ」

 

 リンの声はぼんやりとしたものだった。今や日本でも繁殖を繰り返しているアライグマであるが、妖怪化したアライグマたちの多くは北米から輸入された個体である。既に四十年近く生きているリンもまた、厳密には日本の生まれではなかった。と言っても、故郷である北米大陸の風景を上手く思い浮かべる事は出来ないのだが。

 ははは。物思いにふけっているように見えるリンの隣で戸川は笑う。いつの間にか彼はリンの肩に手を回してさえいた。もしかしたら多少なりとも酒が入っているのかもしれなかった。

 その戸川が語り始めたのは、雉鶏精一派の事だった。もちろんリンもこの組織の事は知っている。関西圏どころか全国区でも有名な組織であるし、何より雷園寺雪羽も所属しているからだ。

 

「お前さんは詳しく知らないかもしれないが、あすこのトップには不老不死の研究に没頭するメス雉がいるんだよ。彼女だって不老不死をもたらす人魚の養殖には関心を持つと俺は踏んでいる。そのノウハウと、人魚の肉を手に入れる事が出来れば、彼女に取り入る事だって出来るだろうさ」

「それはまた……素晴らしい考えですねぇ戸川の兄さん」

 

 へつらうような言葉が流れるように口を突いて出てきた。その事に気付いたリンは目を丸くしておのれの口許を押さえる。雉鶏精一派のメス雉、もとい雉仙女の事はリンとて多少は知っている。そう易々と彼女に取り入る事など出来ないだろうと思っていたはずだ。もちろん正直に戸川にそんな事を言うつもりは無かったが、それでもある程度はオブラートに包み、当たり障りのない事を言っておこうと思っていたのだ。

 だが実際にリンが口にした内容は何か。完全な同意ではないか。何か得体の知れない外的な力でもって、おのれの考えが誘導されているかのような気さえしてしまう。

――いいや、雉仙女様にスカウトされるのも満更悪くない話じゃないか。新進気鋭と名高い九尾の末裔とお近づきになり、雷園寺のお坊ちゃまともまた交流できるまたとない機会が巡ってくるわけだし……いや、アタシはさっきから何を考えているんだ? 

 つらつらと行っていた思考が歪な方向に進むのを、リンはこの時はっきりと感じ取った。その思いを追い払うようにかぶりを振り、ついでに床に転がっている酒瓶の一つに手を伸ばした。

 リンが触れたのは小ぶりながらもごてごてとした手触りが特徴的な瓶だった。引っ掴んで両の目で確認してから、それがお高いブランデーである事を思い出した。きっと何かの折に臨時収入が弾み、その金で購入したものだろう。

 恐らくは、とっておきの記念日にでも飲もうと思って取っておいて、そのまま忘れてしまったものだったのかもしれない。そう思ったリンであるが、しかししんみりとした空気に浸っていた訳でもない。そのままブランデーの栓を空け、飲み口に唇を寄せてラッパ飲みしようとした。

 

「――ぐ、ブハッ!」

 

 暗い琥珀色の液体を口に含んだリンは、即座にそのまま吹き出してしまった。ブランデーは、いやブランデーだった物は驚くほど酸っぱかった。果実や腐敗した食品のそれとは異なる酸味が、リンの口と鼻にまとわりついて離れない。忌々しげに瓶を脇に置き、リンはただただ咳き込むしかなかった。

 どうしたんだ。咳き込み過ぎて両目に涙が浮かぶ頃に、戸川がのんびりとした口調で問いかけてきた。

 

「いやさ、景気づけにと思ってそこのブランデーを呷ったんだけど、これがまた見事に酢になっちまってたんですよぅ。流石に悪食のアタシでも、酢を飲むなんて事は出来ませんからねぇ。ああもう、本当に勿体ない話ですよ」

 

 美味だっただろう高級ブランデーの事を思い、リンは唇を噛んでいた。口惜しそうな表情に思う所でもあったのか、戸川は明るく微笑み、ついでリンの頭に手を乗せた。

 

「そうかぁ、ラス子。ブランデーが酢になって飲めなくなっちまったんなら確かに悔しいよな。ま、今日明日と俺も機嫌がいいから、良い酒くらい準備してやるよ。それにそうでなかったとしても、人魚の養殖に携われば、ラス子も自分で自分の御褒美くらいは用意できるだろうからさ」

 

 戸川の慰めめいた言葉にリンは頷く。頭の中で、何か冷めていくようなものを感じながらも。とはいえ、もちろん人魚の養殖場とやらを見るという予定には変わりはないのだが。

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