九尾の末裔なので最強を目指します   作:斑田猫蔵

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淡水人魚と檻の中の獣

 人魚養殖場に持って行くという餌は戸川が全面的に用意してくれた。生の丸鶏だった。いずれは肉として養殖業者の口に入る人魚たちであるが、その人魚たちも実は肉食性なのだという。

 もっとも、リンは人魚が肉を喰らうという事に特段疑問は無かった。魚類たちの中で草食の種が少ない事を知っているからだ。大人しく植物質のものを食べて満足しているのは、それこそ鮎くらいであろう。

 人魚だから魚ではなく哺乳類に近いのかもしれないが、そうだとしても話は同じだ。イルカやシャチ、アザラシやアシカの類だって、魚やら海鳥、或いは他の海の動物を捕食するというではないか。海の哺乳類で植物を食むのは、ジュゴンやマナティーの類ぐらいだと聞く。まぁ、彼らも彼らで人魚と見做されているようだが。

 

「すみませんねぇ戸川の兄さん。アタシもお邪魔すると言うのに、そのためのチケット代わりになるお肉まで用意していただいて」

「なぁに。俺だってたまには善行を施す事だってあるさ」

 

 戸川はそう言ってまた笑い、小娘でも相手にしているかのようにリンの頭を撫でた。恋と愛に、というよりも色と慾で心が満たされて、それでこうして甘ったるい考えに浸れるのだろう。戸川から放たれる匂いを感じながらリンはそんな風に思っていた。

 

「とはいえ、あんたにこうして親切にするのも、この人魚の件じゃあ今回こっきりだけだかんな。次回以降は、きちんとテメェの金で肉なりなんなり用意するように、な」

「恩に着ますよぅ、戸川の兄さん」

 

 リンは甘えて間延びした声で、ただそう言っただけだった。ここで戸川に対して借りが一個発生したのだが、それはそのままにしておいて大丈夫な物なのか、後できっちり返すべきなのか、リンには判断しかねるものだった。

 

 不老不死をもたらすという人魚の養殖場は、意外にも海から少し離れた所に位置していた。とはいえ遠目には海が見える立地ではあるし、海に繋がっているであろう運河が施設のすぐそばを横断している。というよりも、運河の水を施設内の生け簀に誘導しているようでもあった。

 だが、人魚を育てているという水槽や生け簀からは海水独特の匂いは漂ってこなかった。淡水か、さもなくば海よりも塩分濃度の低い汽水の匂いが漂うばかりである。人魚たちは淡水性ないし汽水性だったのだ。

 

「人魚って海に住んでいるものかと思ったんですが、こいつらは海水性じゃあないんですね」

 

 リンの呟きに、戸川は唇をゆがめて笑っていた。少し小馬鹿にされた感覚はあるにはあるが、この場に漂う不思議な空気に押され、それほど怒りは感じなかった。

 

「この地に伝わる人魚はな、何も海の中で暮らすやつばかりじゃあないんだよ。淡水に暮らす人魚だっているんだ。中には山間の、湖の中にいる人魚というのもいるらしいんだ。ま、北米出身のラス子にゃあ、なじみの薄い話かもしれんがな」

「それにしても、色んな姿の人魚がいるんですねぇ」

 

 何処か皮肉っぽい響きを伴った戸川の言葉には応じず、リンはそのまま水槽に顔を近づける。エントランスにはこれ見よがしに大型の水槽が置かれていたのだ。幅は百五十センチ余りであり、アライグマの姿――と言ってもリンは二十五キロあり、しかし肥満体でもないのでアライグマとしては相当に大型だ――に戻ったとしても悠々と収納できるほどだろう。

 ともあれ水槽の内部には、人魚の幼体が入っているとの事らしい。大きさはまちまちであり、五、六センチほどのものから二、三十センチ程度のものまで見受けられた。

 人魚と言えばヒトの上半身に魚の下半身の姿を思い浮かべるものであろう。だが水槽に収められた人魚の幼体たちの姿は、そうしたイメージとは大いにかけ離れていた。細長く貧弱そうな手足にヒレのような尾を持つ、魚ともヒトともつかぬ、それでいて両者の特徴を併せ持ったかのような姿だったのだ。

 強いて言うならば、手足の生えたナマズやウナギ、或いは肌色や肉色のサンショウウオやイモリに似ているだろうか。更に言えば、個体ごとにその姿が微妙に異なっている。そういう意味では雷獣に似ているかもしれない。詮無い事であるがリンはついついそんな事をも考えていた。

 

「ここにいる人魚共は色々な生物と仲良く()()できるらしいんだ。もしかしたら、姿の個体差が大きいのも、そのせいかもしれないな」

 

 リンの呟きを拾い上げたらしく、戸川がさも得意げな様子で言ってのける。ドヤ顔になっているであろう事は、わざわざ振り返らずとも明らかだった。

 

「よーく眺めてみたら、見覚えのある生き物にそっくりなやつもいて、そこもまた面白いんだよな。こいつは何かエリマキトカゲそっくりだし、あいつはアホロートルにそっくりだからさ」

「アホなロートルなんて随分な言い草ですよぅ」

 

 水槽を眺める戸川の顔つきが穏やかで緩んでいたので、リンも気が緩んで思わずツッコミを入れていた。リンのツッコミに気付いた戸川は、首と目を動かしてリンの方を見やる。その顔には相変わらず笑みが浮かんでいた。

 

「ははは、何言ってるんだラス子よぅ。アホロートルってのはウーパールーパーの別名だぜ。何だよアホなロートルって」

 

 ツッコミにツッコミを返され、リンは気まずさを押し隠すためにとりあえず笑うのだった。

 

 さて何だかんだと時間を潰しているうちに、養殖ビジネスに参加しているメンバーたちが勢揃いする運びとなった。集まっている顔ぶれは驚くほどに雑多で、獣妖怪たちだけではなく()()の姿もあったのだ。リンはこれには素直に驚いた。人間と言えば、無駄に用心深く知性を持つ異なる種族の者に対しては恐ろしく排他的で残忍に振舞う事で有名だ。

 そんな人間どもでさえ、こうしてノコノコと姿を現し、妖怪たちと共に雁首をそろえて集まっているのだ。このビジネスがとんでもない代物なのかもしれない。リンの中にそんな考えが浮き上がり、彼女は思わず生唾を飲み込んだ。

 しかも、参加者のほぼ全員が何がしかの餌をきちんと持参しているらしかった。流石にむき出しの肉塊を抱えているだとか、適当に袋に放り込んでやって来たなどという者はいない。それでも新鮮な肉――鳥獣の肉、魚肉の類だ――と、それを冷やす氷や保冷材の匂いがそこここに充満していた。リンはアライグマであり、野生の獣であるから嗅覚も優れているのだ。

 とはいえ、そんな会合の中でも例外はあるにはある。リンたちの斜め前にいる人間たちなどがそうだ。少女の姿を持つリンの目をもってしても彼らは若々しく見えた。せいぜい生後二十年かそこらであろう。若い女の方は涙とちと怒りの匂いを発散させながら男を睨んでいる。そして男は尊大な匂いをまき散らしながら、これ見よがしに片手に提げている物をブラブラと揺らしていた。

 ちなみに男が片手に提げている物は、肉を入れた保冷バッグなどではない。鳥籠のような小さな檻が男の手荷物だった。そしてその檻の中には、仔猫ほどの小さな獣が生きたまま放り込まれている。

 小さな獣は完全に怯え切っており、鳥籠のような檻の中でとぐろを巻いていた。毛並みは明るいクリーム色で、大きく丸い瞳にはうっすらと涙が浮かんでもいる。チワワとかいう品種の犬っころであろうか。だがそれにしては耳も尻尾も大きいし、鼻面もやけにとんがっているではないか。

 好奇心から、リンは思わず檻の中の獣を凝視し、その正体が何であるか見定めようとしていた。イヌ科の獣である事しか解らないが、それでも一つ明らかになった事がある。檻の中の小さな獣は、既に妖怪化しているという事だ。

 そう言えば、集まっている最中にこの二人が言い争っているのを見聞きした気がするのをリンは思い出した。きっと彼らはこの獣が妖怪化している事を知り、その上で人魚の餌としてこちらに持ち寄ったのではないか。

 畜生であるリンをして畜生の所業だと思わしめるような推論ではある。しかし、その推論は恐ろしいほどに今の獣の状況に当てはまるように思えてならなかった。まず二人の男女は純粋な人間であったし、男と女で籠の中の獣に対する眼差しが全くもって違っている。女の方は悲しげな様子を見せていて、男は誇らしげと言うか、生成すると言いたげな様子で獣と女を見下していたのだから。

 それらを眺めているうちに、リンの心の中に様々な情景が浮かんでは消えていく。あの鳥籠の中にいるのはアタシではないか。ああそうだ、アタシだって昔は忌々しい人間に棄てられて、そして……

 リンの心の中に、ドロリとした思いが沸き上がり、渦を巻くのを感じた。

 絶望。憎悪、そして憤怒。気が付いたらリンは喉を鳴らしていた。それがアライグマの啼き声の一種であるとは、愚鈍な人間どもは気付きはしないだろう。両腕が徐々に変質し、毛深い獣の腕に戻っていく。強い感情が変化術を抑え込んでしまい、本性が露わになりつつあったのだ。

 

「どーしたんだよ、ラス子」

 

 完全に獣に戻ってしまうかと思われた丁度その時、隣にいた戸川に声を掛けられた。振り向いた時には肩に彼の手が添えられている。その手つきは優しげで、自分が抱えていたどす黒い感情を忘れさせてくれるようにも感じられた。

 

「うんにゃ、何でもありませんよぅ」

 

 リンはだから、笑顔でもって戸川に応じる事が出来た。彼の向かって笑いかけていたのだが、その笑みは仮面ではなく心からの笑みだったのだ。

 一方の戸川は、リンの笑顔に面食らっていたらしい。目をしばたたかせながら、首を傾げて僅かに眉をひそめていた。

 

「ま、これから代表のお偉方が顔を出すから。その時まで大人しくしているんだぞ」

 

 戸川の言葉はやはり、幼子や小娘に対して話しかけるようなニュアンスが強い。実際にリンの事は小娘のように思っているのかもしれない。

 しかし今は、それが特段悪い気はしなかった。

 それはさておき、代表者が顔を出すという事だ。リンは表情を引き締め、どんな奴が登場するのか見定める事にした。

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