九尾の末裔なので最強を目指します   作:斑田猫蔵

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 残酷描写がございますのでご注意くださいませ。


戦慄もたらす人魚の生餌

「皆様、この度はお忙しい中よくぞ御足労いただきまして誠に感謝しております」

 

 集まる面々に視線を送りながら、この養殖場の主だという男は福々しい笑みでもって出迎えてくれた。匂いからして彼は人間のようだったが――強いて言うならばやけに生臭く、魚臭さがまとわりついているであろうが――人妖が入り混じるこの会場にて堂々とした態度を見せていた。

 彼が堂々としているように見えたのは、何も態度だけではなく、その姿も影響しているのかもしれない。というのも、その顔は恵比須顔で福耳の持ち主であり、元より恰幅の良さそうなその体躯はぷくぷくと肥え太っていた。はち切れんばかりの様相を見せる衣服の下には、脂肪と欲と安穏を押し隠しているであろう事が、リンの目にははっきりと見えていた。

 

「私どもがコツコツと、日の目を見る事は叶わないとも思っていた人魚たちの育成に……こうして多くの方々が集まってくださった事に、本当に感謝の念を禁じ得ません。ここに集まっていただいた方々には、是非とも人魚の魅力を余すところなく知っていただき、より一層尽力していただければと思う次第です」

 

 本心というにはあまりにも芝居がかった言葉を口にした男は、今度はわざとらしく目元にハンカチを当てていた。目元は確かにきらめいていたが、それが本当に涙だったのか、はたまたウロコや真珠のような物が光って反射しただけなのか、リンには何とも解らなかった。

 この男が退くと、今度は若い職員が前に進み出た。こちらの若者は先の男とは対照的に細っこく、全体的にさんまの干物にそっくりだった。

 

「皆様も何度も私どもに協力して下さっておりますから、今回はいよいよ成熟した人魚の許にご案内いたしましょう。その時にお持ちいただいた餌を人魚に与え、その上で人魚たちがどういう物なのか、じっくりと知っていただければと思っております。今回はそれが終わったら各自解散ですね」

 

 ちなみに餌を与えるのは希望者順である。何という事のない若者の発言に、檻を提げた男はあからさまに嬉しそうな態度を見せていた。余程この獣を始末したくて仕方ないのだろう。言うまでもなく中の獣は怯え切っていた。とぐろを巻いたまま、毛を逆立てて震えている。

 もちろんリンには何も出来ないし、何かしようと思いもしない。その辺の畜生が勝手に死ぬ事は当たり前の事だし、メリットが無ければ他者を助ける事などあり得ないのだから。

 

「さておやっさん。餌やりは俺が一番乗りで行こうと思ってるんだ!」

 

 ひときわ大きな生け簀の前で声を張り上げたのは、檻を手にしていた男だった。ツレの女は血相をかいて男に追いすがりしがみつこうとするが、誰も彼女の事は一顧だにしない。片方の目の周りがパンダのように青黒くなっていた。殴られた痕である事は明らかだった。

 憐れな女は職員たちに取り押さえられ、男から引き離されてしまう。責任者である恰幅のいい男が、檻の中の獣を見ながら若者に問いかける。

 

「あなたのご用意した餌とは、その籠の中の狐でよろしいですか」

「ちが、そんな……ユリちゃんは、ユリちゃんは」

「そうだとも!」

 

 女の言葉を遮らんばかりの大音声でもって、若者は頷き同意した。

 

「そこの女が飼いたいからってペットにしていた狐なんだけどな、どうにもこうにもならん奴だったんだよ。俺には牙を剥いて咬み付くし、トイレだって碌に覚えやしない。餌だって鶏の頭やら胆やらマウスやらをかっ喰らうからもううんざりしていたんだ。

 しかもこいつはただのフェネックじゃあなくて、化け始めたからな。狐は化けるって言うけれど、まさかこんな奴までバケモノになるとは……」

 

 興奮気味に若者は告げ、そこでふーっと深く息を吐いた。

 

「そんな訳で、こいつは人魚の餌にしようと思って持ってきたんだ。まぁその……下準備とかしてないんだけど、人魚って生餌でも食べますかね?」

「大丈夫ですよ。人魚たちは食欲旺盛なので、活きの良い餌の方が喜びますからね。肉を準備するように言ったのは、あくまでもあなた方を思っての事に過ぎません。最初から生餌を用意するのではハードルの高い方もいらっしゃるでしょうから」

 

 男はそう言って若者に対して微笑みかける。口許からは、細い牙のような歯が見えたような気がした。生餌、要は生きた動物を餌として用意するのは難しい。それは人間であればそうだろうなとリンも思っていた。無知蒙昧な人間どもは、この頃肉や魚は切り身やパックで存在している物だと思っているようであるし。

 

「それでは、生け簀の人魚を呼びましょうか。ひとまずその動物が入った籠をこちらに置いていただけますか」

「お、はい……」

 

 男の言葉に従い、若者は小さな檻を男に預ける。男はその上で、生け簀の縁に近付くようにと若者に指示した。

 

「人魚たちは教育済みですから、私どもの鳴らす笛の音に反応してやってきます」

「イルカやアシカ並みに賢いんだなぁ」

 

 若者は感心した様子で呟く。その後ろでは、本当に職員が笛を鳴らしていた。その笛がどういう種類の笛なのかリンには解らない。音楽については疎いリンだったけれど、これまでに聞いたものとは全く違う音色だという事しかリンには解らなかった。

 しかし、笛の音で人魚とやらが集まっている事もまた事実だった。リンのいる所からは人魚の姿は見えない。それでも生け簀の水面が波立ち、中にいる者が動いている気配は感じ取れた。

 

「さて、そろそろ人魚が姿を現しますよ。もう少し近づいて、身をかがめてじっくり見てください」

 

 若者の背後から男が言う。若者は不思議そうな表情を浮かべながらも、そのまま男の言葉に従った。今や若者は背を丸め、少し尻を突き出す形で屈みこんでいる。そのくせ表情だけは真剣な物だから、何とも滑稽な姿だった。

 男はそんな若者を見て微笑み、そのまま無防備な背を押した。

 

 事が起きたのは一瞬だった。見掛け倒しの柵が枝を折るような音を立てて壊れ、若者はそのまま石ころのように転がり、生け簀の中にダイブする形となった。小狐を生餌に持ってきた若者がこの仕打ちに驚き、何事か怒鳴っている。しかしその声も、若者が水面に投げ込まれた音そのものにかき消され、ほとんどノイズのようにしか聞こえなかった。

 想定外の出来事に、若者は慌てて手足をばたつかせ、そのまま何処かから這い上がろうともがいていた。だが初めからその動きは鈍かった。立春を過ぎているとはいえまだまだ冬場である。毛皮を持たぬ人間は、毛皮に覆われた獣などよりもはるかに寒さに弱い。冷たい水の中に投げ込まれれば、犬猫でもショックで心臓が止まる事すらあるというのだ。彼らよりも脆弱な人間であれば尚更であろう。もっとも、件の若者はその程度で心臓が止まるほどやわな生き物ではなかったようだが。

 

「ちょ、お前、何を……」

 

 混乱し男や職員たちに問いかける若者の声は、即座に甲高い悲鳴に塗り替わった。魚臭く水の匂いしかしなかった生け簀には、今や血の匂いが混じり始めている。若者の腕や脚、腹などと言ったあちこちから生臭い血が、煙のように吹き出している。水面は波立ち生け簀の中は明度が低いために全てがはっきり見える訳では無い。しかし若者の周囲に柴犬ほどの大きさの何かが纏わりつき、その肉をかじり取っている事は明らかだった。

 狐の代わりに生餌となりつつある若者の姿に、参加者たちは言葉を失っていた。だからこそ、そんな中で笑い声が朗々と響くのが余計に鮮明に聞こえたのである。

 

「ははははは。全くもって利己的で身勝手な考えの持ち主ですなぁ。もちろん、そういう考えの持ち主の方が、野望や目的のために手段を選ばず、ライバルを蹴落とした上に踏みにじる事をも厭わないので、出世しやすいのでしょうな。

 だが――君は幾分浅はか過ぎただけなんだ。我々が求めていた餌とは、君が用意した小狐や、他の間抜け共が用意した肉などと言ったつまらぬものではない。

 人魚という存在に魅了されてやって来た間抜け共。それこそが我々の餌だったのだよ」

 

 高らかに笑いながら、恰幅のいい男は若者に対して言い放った。若者は既に半ば水中に没しており、男の話を聞いているのかどうかは解らない。

 だがリンは、男や職員たちの容貌が変化した事に目ざとく気付いた。元より漂っていた磯臭さや魚臭さが一層強まり、その姿もより魚や水生生物に近いものになっていたのだ。

 

「所詮この世は喰うか喰われるかなんだ。これこそがビジネスの鉄則であり、社会の掟なのだよ」

 

 男はそう言って、ガマガエルが啼くように喉を鳴らす。その恵比須顔はまさしく大ナマズのそれにそっくりだった。

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