九尾の末裔なので最強を目指します   作:斑田猫蔵

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ああ畜生道に光明あれ

 瞬く間に生け簀の周辺は恐慌状態へと陥ってしまった。仲間の一人が生け簀に投げ込まれた挙句、人魚に食い散らかされるという光景は、流石のリンでも度肝を抜かれたのだ。幾つもの視線と修羅場を知っているリンであっても、だ。

 そうではない衆愚たち、特に切り身やパックしか肉を知らぬような人間どもの恐怖や驚愕の大きさはもはや計り知れない物であろう。

 リンが茫洋としている間にも、恐慌状態に陥った人間や軟弱な妖怪たちはてんでばらばらに動き出していた。多くは生け簀から逃れようとしているようだったが、各々が好きな方向へ逃げ出そうとするものであるから、むしろ互いが互いの足を引っ張る形となってしまっていた。そもそもこの生け簀に向かう出入口は狭かった。大の大人が二人並べばふさがってしまうほどの幅なのだ。足をもつれさせ、我先に進もうと互いを押しのけ合っている状況では、誰も通り抜ける事など叶わぬだろう。

 しかもそこここにいる職員たちが目を光らせているのだから尚更だ。彼らは暴徒と化した人妖たちの動きに目を光らせていた。逃がさずに、余さずカモたちを人魚の餌食にするために。

 真っ先に逃げようとした者、半魚人めいた姿の職員ともみあいになった者の何人かが新たに生け簀に投げ込まれていた。今度は人間だけではなく、獣妖怪の姿もあった。餌を用意していない、軽率で軽薄そうなヌートリアだったか。

 泳ぎ回るヌートリアも、寒さで動きの鈍った人間にも、人魚たちは水面を揺らしながら近づいていた。時折人魚共の姿が露わになる。下半身が魚になっている人魚らしいやつもいれば、水掻きを具えた手足と鱗を持つやつもいた。水槽に入っていた人魚と同じように様々な姿の持ち主だった。だがそれでも、鋭い牙を持ち、猿のようにしわくちゃな顔に残忍な笑みを浮かべている事には変わりはない。そしてその笑顔でもって、生け簀に投げ込まれた人間やら妖怪やらを襲っているのだ。

 ちなみに最初に投げ込まれた若者は既にあらかた食い尽くされているらしく、服の切れ端や髪の毛の残りやらがごみのように浮かんでいるだけだった。ツレの若い女はどうなったのかは解らない。狂乱した素振りを見せつつも、どさくさに紛れて小狐を檻ごと運んで逃げようとしていた気もするが……少なくともまだ彼女は生け簀には投げ込まれてはいないようだった。

 

「餌って言うのはどういう事だ、この半魚人どもが!」

「のうのうと我々のテリトリーの中に足を踏み入れておいて、実に厚かましいものね」

 

 リンの耳はいさかいの声を拾い上げていた。猫又と思しき獣妖怪が職員の一人に詰め寄っている。職員もまた獣妖怪で、しかも女だった。その事に気付いたリンは、何故か戸川の事を思い出した。獣妖怪の女は化けカワウソなのだとこの時気付いた。

 

「あなた方は、ここで育てられている聖なる御子の事を単に『自分たちが不老不死になるための道具』だとか『最終的に喰われる事を知らぬ愚かな家畜だ』と思っておいでだったのではありませんか。愚かです、実に愚かですよ。それこそが私どもの狙いであり、あなた方こそが聖なる御子たちの餌に過ぎないというのに」

 

 カワウソ女の顔には恍惚とした笑みが浮かんでいた。自分の論説に酔い痴れているような、そんな雰囲気と匂いが漂っている。実際カワウソ女の全身からは生臭い匂いが漂っていた。カワウソ男の戸川の体臭とは何となく違う。オスとメスでは体臭が異なる事はままあるが、それとは違った理由であるように思えた。

 カワウソ女の体臭は、あの胡散臭い職員や責任者の体臭にそっくりなのだ。彼女の腕にウロコ――もちろんカワウソにはウロコなどはない――が生えている事に気付いたからだ。

 

「聖なる御子って何の事なんだよ!」

 

 誰かが怒号めいたツッコミを投げかける。リンもいい加減気になっていた所であるから、あの質問はナイスタイミングだと思った。声の主は誰なのかは解らないが。

 

「それはもちろん、我々『深キモノドモ』の子供たちの事さ」

 

 問いに答えたのはカワウソ女ではなかった。帽子をかぶった職員の一人である。既に半魚人の本性を露わにしており、そいつはダボハゼのような雰囲気を纏っているではないか。

 

「今回我々の一族も良い感じに繁殖シーズンを迎えたからね。質のいい食料の調達と新たな仲間を増やすために、今回一計を案じ、人魚ビジネスとして我々の事を伝えたんだ。

 なに、君らは何も心配する必要は無いんだ。我々の子供たちの血肉になるか、我々の意見に賛同して我々の仲間になるかのどちらかになるのだからね。結局のところ、君らは我々に同化する事には変わりないんだからさ」

 

 深キモノドモ。その名を聞いたリンは、密かに尻尾の毛を逆立てていた。風来坊で生まれながらの悪党《ラスカル》として名を馳せていたリンであるが、それでも深キモノドモが尋常ならざる存在である事を彼女は知っていた。

 あいつらは単なる半魚人どもではない。全世界の、地球上の全生物を破滅へともたらしかねない存在なのだ。やつら自体はまぁ普通の妖怪と変わらない。だが奴らのバックにいる連中がヤバいのだ。その筆頭格が九頭龍《くとぅるー》であろう。幸いな事に九頭龍は今の所海底宮殿で眠っており、夢見るままに何もしないのだという。だがその九頭龍が目を覚ました時に……恐ろしい事が起きるのだという。ありていに言えば地上に住む生き物の破滅だ。人間どもがくたばるのはまぁ良い。だが人間だけではなく犬猫・狐狸・イタチやネズミなどと言った哺乳類全般にも容赦しないだろう。もちろんゴミパンダと揶揄されるアライグマがお目こぼしされる可能性は限りなく低い。

 

「そんな、深キモノドモと関りがあったなんて……」

「なんでだよ。俺はニホンカワウソの繁栄を夢見ていただけなんだ。九頭龍と関りがあるならこんな所には居ねぇよ」

「そう言えばあいつらって生贄が大好物だもんな。そっか、俺らも所詮は生贄だったのか」

 

 そこここで絶望と諦観の声が上がる。それを上書きするかのように職員たちの声も上がる。

 

「はは、ははは。そうして絶望する事こそが君らの愚かさを物語っているのだよ」

「九頭龍様こそがこの地球の正しい支配者なのだ。そしてその九頭龍様に仕えていた事こそが我々の正しさの証明になると思わないか」

「九頭龍様は死んではいない。永劫の先では死すら死んでしまうのだから」

 

 リンはそれから、深キモノドモや彼らの手先となった者が口にする文句を耳にした。日本語とも英語とも異なるその文言は次の通りである。

――ふんぐるい・むぐるう・なふ・九頭龍 るるいえ うがー・なぐる ふたぐん

 謎めいた文言は冒涜的な響きを伴いながら、何度も何度もリンたちの周りで鳴り響いていた。そして不思議な事に、どの言語とも異なるはずなのにその意味が段々と解ってきたのだ。

――死せる九頭龍は、夢見るままにルルイエの館にて待っている。それこそが連中の言わんとしている事である、と。のみならずリンの脳裏には映像的なイメージさえ浮かび始めていた。

 それは海の底でのイメージだった。表面的な海しか見た事のないリンであったが、舞台が海の底であると解ってしまったのだ。白い砂が敷き詰めれられた暗いその海底にはメトロポリスが広がっており、その奥には何者かが、何か異様に大きくて大いなるものが鎮座していたのである。

 眠るようにうずくまるそれは、タコの頭とコウモリの翼と猿のごとき体躯を具えた合成獣だった。いや違う、こいつの御名は――

 

「なぁあんたら。九頭龍みたいな低級なやつを崇め奉るくらいでのぼせ上っているのかい。そんなんじゃあお里が知れてるなぁ」

 

 ふいに男の声が聞こえ、リンの脳裏に広がっていたイメージが打ち破られる。それは他の面々も同じだったらしく、ハッとしたような表情で周囲を見渡していた。

 声の主は、異様に背の高い若い男だった。何となく山羊らしい雰囲気と鳥っぽい匂いを漂わせているが、そのどちらでもなさそうだった。そして深キモノドモに負けず劣らずただならぬ気配の持ち主である。得体の知れなさでは彼が上回るかもしれない。

 実際男には捉えどころのない雰囲気が漂っていた。知的そうでありながらひょうひょうとしていたし、若者であるはずなのにその姿は年齢不相応にも見えた。

 ともあれ臆面もなく九頭龍の事を低級だと言ってのけた訳であるが、深キモノドモたちの怒りを買ったのは言うまでもない。

 

「何だ貴様! 雁首揃えて我々の詐欺……ではなくビジネスに顔を突っ込んでおきながら、九頭龍様を低級だなどとどの口が言えるのか!」

「……九頭龍様は確かにあんたらの王様だろうねぇ。だけどさ、そいつとて()()()()()()()だという道ヲ開ケル者や、千ナル仔山羊ノ母親の姿なんぞを目の当たりにする事は出来ないんだろう? そして俺は、俺たちは道ヲ開ケル者にお仕えするんだ」

 

 男はそう言って微笑んだ。言い切るとともに何処からともなく夜鷹が飛来してきて、彼を取り巻きながら啼き始めている。神経に障るような夜鷹の啼き声が、周囲の光景をコマ送りにしていく。一瞬ではあるが、リンは男のコートの間から得体の知れないものが飛び出していくのを見た。それはウロコと鉤爪を具えた獣の前足であり、或いは植物的な触手だったのだ。

 半魚人ども、深キモノドモがその男に襲い掛かったのは言うまでもない。

 

 そこから先は何が起きたのか、リンにはとんと解らなかった。とりあえず全てが終わり、リンは生き延びて無事だった事。それ位しか解らなかった。

 謎の男は姿を消していた。深キモノドモはあらかたやっつけられていて、ヒレやらウロコやら肉片やらをまき散らすだけのオブジェと化していた。そして人魚の入っていた生け簀も完全に干上がり、中にいた人魚共も、半ば干物と化した状態で転がっている。

 そんな中で集められた人間や妖怪たちは呆然と立ち尽くしていたり、後からやって来た妖怪警察に事情聴取されたりしていたのだった。

 そうした妖怪たちの中には戸川の姿もあった。腹や胸が血まみれだったのでぎょっとしたが、それは両腕にしっかりと抱きとめている()()の為であるらしかった。ちなみに荷物とは深手を負ったあのカワウソ女だ。片脚と尻尾の千切れた彼女は、血と虚ろな涙と鼻水を垂れ流しながら戸川の腕の中に収まっている。

 戸川はリンや他の妖怪たちに見られている事には気付かずに、そのままカワウソ女に囁き続けていた。

 

「良かった、良かったじゃないか橋爪ちゃん。君も怖い思いをしたかもしれないけれど、これで深キモノドモともすっぱり縁が切れて、きちんとニホンカワウソとしての生を歩めるというものじゃあないかな。俺だってそうだと思ってるよ。

 脚と尻尾は残念な事になっちゃったけれど、俺たちだって妖怪なんだから、美味しい物を食べて沢山栄養と妖力を蓄えればまた生えてくるって。うん、そうだね。これから二人で四国に渡って、そこで暮らすってのも良いかもしれないよね……」

 

 その囁きが何処までカワウソ女に届いていたのか、そもそもカワウソ女は耳を傾けていたのか、リンには解らなかった。救護班と思しき妖怪たちが戸川もろともカワウソ女を連行したため、二人の姿はすぐに見えなくなってしまった。四国で暮らすという戸川のプランも、二人の身体と心が回復してからの事だろう。よそ事のようにリンはそう思うだけだった。

 

 リンが現場から立ち去る事が出来たのは、彼女が我に返ってから更に数時間後の事だった。妖怪警察に捕まり、事情聴取されてしまったからだ。巻き込まれただけなのに質問の為に拘束されたのは腹立たしいが、アライグマだからと言って殺処分されなかっただけマシと言うべきだろうか。

 ああもう本当にろくでもない日曜日だった。ムカついたから明日だけではなく向こう三日ぐらいは自堕落に過ごそうか。そんな事を思いながらリンが歩いていると、足許に何かひんやりとしたものがぶつかった。

 

「一体何だい、このアタシに……」

 

 言いながら振り返ったリンは、小さな獣がリンの足許に寄り添っている事に気付いた。いの一番に人魚に食い散らかされた男が、生餌として持ってきていた小狐である。確かこの狐はフェネックという種類なのだそうだ。

 それにしても、何だってアタシに憑きまとうんだろうか。そんな事を思いながら、リンはフェネックを抱え上げた。このフェネックには一応飼い主はいた。男の方は食い散らかされてこの世を去っているが、女の方はどうであろうか。彼女のペットなのだから、彼女に戻した方が良いのかもしれない。

 そう思ってその辺の妖怪警察に問い合わせてみたが、女も女で錯乱状態に陥っており、とてもそれどころではないという。

 

「まぁ、この子も身寄りのない妖怪という事になりますんで、当局で一旦引き取って、面倒を見てくれる妖《ひと》に引き合わせる事も出来ますけどね」

 

 是非ともそうしてくださいな。そう言ってリンは腕の中のフェネックを彼に預けようとした。

 リンと妖怪警察の間で成り立とうとしていたこのやり取りは、第三者の烈しい意思表示によって成し遂げられなかった。他ならぬフェネックが妨害してきたのだ。二キロにも満たぬこの小さな獣は、リンの腕にしっかりとしがみつき、ついで耳を寝かせて不満げに不安げに唸ったのだ。リンの腕からは離れたくない、あたしの場所はここなんだ。そう言わんばかりに。もちろんリンにはフェネックの言葉など解らなかったけれど。

 妖怪警察である狗賓の若者は、そんなリンとフェネックを眺め、善良そうな笑顔でこう言ったのだ。

 

「おやおや、この子はあなたの事を気に入っているようですね。であれば、あなたが引き取って面倒を見て頂くのが宜しいでしょう」

「あ……はい。そう、ですね」

 

 相手の提案に、リンはめんどくささと軽い絶望を覚えながらも頷いた。様々な相手に利用しつつも依存しないように心がけていた自分に、かくもべったりと依存するような相手が出来てしまうとは。

 めまいに似た感覚を覚えつつも、育てて喰うために養うだけだとリンは言い聞かせた。もはや自分がこのフェネックを喰い殺す未来など訪れないと薄々感じ取っていたというのに。

 フェネックはそんなリンの心情が解ったのか、首をねじって振り返り、リンの方を向いて狐の笑みを向けていた。首輪に付けられた小さなドッグタグには「Eureka」と彫り込まれているのが見える。読みは確かユリイカとかの筈だから、女がユリと呼んでいたのはそのためなのだろう。変な所で納得しながら、リンは深い息を吐いたのだった。

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