若狐 デートの結果を語るなり
二月十一日。この日は世間では祭日らしいのだが、源吾郎の中では普通の月曜日という認識だった。普通に出勤日だからだ。ついでに言えば朝から雉鶏精一派の本社に向かわねばならない。中々に大掛かりな月曜日である。
とはいえ三連休という世間の流れから逸脱している事について、源吾郎は特段不満はない。月曜日は出勤日であると言われていたので既に仕事モードに入っているし、日曜日はさほど遠出もせず、のんびりと過ごしていたからだ。
ちなみに日曜日は港町からやや外れた所で不審な
結局のところ、世の中はなるようにしかならないのだ。誰かが口にした言葉を思い出しつつ、源吾郎は部屋を出て仕事場へと向かったのだった。
「お、島崎先輩やんか。おはよう、元気そうで何よりだぜ!」
「おはよう雷園寺君。あはは、俺はいつだって元気だよ」
出社した源吾郎がいの一番に遭遇したのは雪羽だった。懐っこい笑みを浮かべ尻尾の先を小刻みに揺らして喜びと親愛の表現を見せる雪羽に対し、源吾郎は穏やかに笑ってみせた。雪羽の感情表現は良くも悪くもストレートな事、何だかんだ言いつつも雪羽が源吾郎の身を案じている事は知っているからだ。
だが今回は、普段に輪をかけてテンションが高い。内心では彼なりに不安だとか憂鬱とかがまとわり憑いていて、それを払拭するために敢えてハイテンションに振舞っている。雪羽のちょっとした癖であるが、それも源吾郎は既に知っている。
素の雪羽は繊細な気質の持ち主で、時に憂鬱に沈む事すらあるくらいなのだから。ただ彼は、そうしたおのれの弱みや本性を露わにしたがらない所がある。だからこそヤンチャな悪ガキのようになってしまったのだろうが……いずれにしても難儀な話だと源吾郎は思っていた。
さてそんな風に物思いにふけっていると、雪羽が今一度口を開いた。ハイテンションな雰囲気はやや落ち着いているが、その口許には相変わらず笑みが漂っている。
「そう言えば島崎先輩。土曜日のデートはどうだったんです? 今までと違って、米田の姐さんから呼び出しを喰らったって聞いたんだけど」
呼び出しを喰らったって、浪漫のない言い方だなぁ。心の中でツッコミを入れた源吾郎であるが、しかし満更でもない気持であった。それに雪羽がせがまなくとも、土曜日のデートの顛末は語るつもりだ。米田さんとデートをするにあたり、雪羽には何かとアドバイスを貰ったりと世話になった。であればきちんと報告をするのが筋であろう。
源吾郎は僅かに居住まいを正し、頭の中で言葉をこねくり回してからゆっくりと告げた。
「ああ。よくぞ聞いてくれたな雷園寺君。ふふふ、米田さんは俺を受け入れてくれたんだ。だからな、米田さんは今や俺の彼女なんだぜ」
「おおっ、とうとう米田の姐さんと正式に付き合う事になったんすね。おめでとうです先輩。良かったじゃないっすか」
米田さんとの正式な交際にこぎつけた事を祝う雪羽の姿を、源吾郎は少し醒めた表情で見つめていた。祝ってくれた事はもちろん嬉しい。だが雪羽の喜び度合いは源吾郎が思っていたよりも控えめで地味だったのだ。
もうちょっと驚いてくれても良いんだぜ。気が付けば、源吾郎の口からは嫌味とも負け惜しみともつかぬ言葉がまろびでていた。
もちろんその言葉は雪羽にも届いている。だが彼は怒ったり嫌な顔をする事はない。訳知り顔で微笑んで頷くだけだった。
「そんな変な所で拗ねなくても良いじゃないですか、島崎先輩。俺には大体解っていたんですよ。何だかんだ言って米田の姐さんも先輩の事を憎からず思っていて、遅かれ早かれ恋人同士になるって事を受け入れるだろうってね」
「え、そうだったんか!」
思わず驚きの声を上げる源吾郎に対し、雪羽は得意げに頷く。
「えへへ。今だから言いますけれど、俺だって米田の姐さんがどんなお方なのかは大体知ってますってば。先輩だってお会いしたときに感じ取ったでしょうけれど、米田の姐さんは中々気も強いし自己主張のはっきりしたお方ではないですか。彼女の性格を考えるに、気に入らない相手や男として見ていない相手から言い寄られでもしたら、その時にすっぱりと断ると思うんですがね。
まぁ、俺や俺のオトモダチなんぞは、米田の姐さんに要らんちょっかいをかけて、それで肘鉄を喰らったりもしましたけどね」
「最後の一言は要らないだろうに」
へらりと笑う雪羽に対し、源吾郎は呆れたようにため息をついた。米田さんの性格や対妖関係《たいじんかんけい》に関する考察についてはまさにその通りだと思う。しかしだからこそ、最期に付け加えられた一言の残念さが際立つのだ。
とはいえ、全体的に見れば雪羽の考察はおおよそ的を射たものである。裏初午で出会った三尾の北斗も、米田さんに言い寄り、あえなくフラれてしまう男狐が多いと話していたではないか。そうなると、救出作戦の折に連絡先の交換に応じてくれたのも、今年に入ってからデートの誘いに乗ってくれた事も、米田さんも気があるという証拠になるという事なのだろう。
「それで島崎先輩。先輩が米田の姐さんにぞっこんなのは良いとして、米田の姐さんが先輩を恋人にした決め手って何だったんです?」
「それは……」
今や野次馬根性丸出しの表情でもって、雪羽は源吾郎に向き合っている。米田さんが源吾郎に惚れたきっかけ。それは源吾郎の持つ男としての魅力とも言えるだろう。浮かれた源吾郎はその事を語ろうとしたが、すんでの所で押し留まった。
米田さんが源吾郎に心惹かれている理由。それは彼女の哀しい過去に起因している物だった。恐らくは米田さん自身もそうそう誰かに打ち明けているようなものではない。恋人となった源吾郎が、それを米田さんの知らぬ所で口にしてはいけない事も、もちろん解っていた。
源吾郎はだから、視線をさまよわせてから言葉をひねり出そうとしていた。米田さんの過去には触れず、それでいて雪羽も納得しそうな理由を考えていたのだ。幸い雪羽は単純な性質であるし、源吾郎の事を信頼してもいる。それらしい事を言っておけば彼も疑わないだろう。
だが、考え抜いた末に喋り出そうとした源吾郎よりも先に、雪羽が口を開いたのだ。
「まぁあれっすよね。米田の姐さんからすれば、島崎先輩って弟みたいな感じでしょうし、そこで可愛いなって思って彼氏にしたって感じですかね」
「雷園寺……」
何やら一人合点した様子の雪羽に対し、源吾郎は呟きを漏らしながら睨むほかなかった。一人合点するならば先の問いは特に意味をなさないではないか、と密かに憤りを感じていたのだ。だがそれ以上に、雪羽の推論の的確さへの驚きの念もあった。
さて雪羽はというと、源吾郎に睨まれても怯む事は無かった。しばしの間悪戯っぽい笑みを浮かべていたのだが、ややあってから少し真剣な表情を浮かべ、口を開いた。
「良いんですよ島崎先輩。いくら俺と先輩の間柄でも、言いづらい事とか言いたくない事とかはあるでしょうから。俺なんぞの事は子供だって思ってるかもしれないけれど、それでも言わなくて済む事とか、知らなくても構わない事とかがこの世にあるって知ってるからさ」
言いながら、雷園寺は視線を落としていた。心持ち表情に陰りが生じ、物思いに耽るような陰鬱さが滲み出ている。
知らなくても良い事とやらについては、むしろ雪羽の方が敏感なのだろう。彼の異母弟である時雨の事を思い出しながら、源吾郎はぼんやりと思った。思いがけぬ所で異母弟と出会った雪羽は、自分が異母兄である事を隠し通したかったと言っていたではないか。時雨は幼いのだから、余計な事は知らなくて良いのだ、と。もしかしたら、雪羽も幼い頃に三國達にそう言われて育ったのかもしれない。
ともあれ雪羽は気を遣ってくれた事には変わりはない。感謝の念を抱きつつも、しんみりとした空気を払拭すべく源吾郎は口を開いた。
「そうだな雷園寺君。結局のところ、俺は米田さんからしても可愛い弟分って思われているみたいなんだよ。ああだけど、それも仕方ない事だしある意味自然な事だって思ってるよ。そもそもからして米田さんの方がうんと年上だしさ、俺も俺で末っ子気質が抜けないから、弟っぽい扱いを受ける方がしっくりくるのかもしれないしさ」
つらつらと並べ立てた言葉はいずれも事実ではある。だがそれらの言葉が源吾郎の本心なのか。それは自分でも解らなかった。
とはいえ可愛がられるだけで済むわけじゃあないけれど。源吾郎は一度言葉を切り、雪羽を見据えつつ言った。
「でもな、俺だって米田さんにただただ可愛がられるだけじゃあないさ。それはそれで男の沽券に関わるし、何より俺だって、米田さんを護って差し上げたいと思ったんだからさ」
源吾郎の言葉は熱っぽさを帯びていた。俺があなたを護って差し上げます。米田さんに対して告白したあの時の思いを、源吾郎は密かに追体験してもいたのだ。もちろん、その後の米田さんの返しも覚えているし、雪羽にも打ち明けるつもりだ。
「米田さんにもその事をきちんと伝えたよ。そしたら何て言ったと思う? 米田さんはな、俺をしっかりと見据えて『私の事を大切に思って愛してくれるのは有難いわ。だけど私を愛する事だけにのめり込み過ぎては駄目よ。仕事の事とか家族の事とかも、島崎君には大切な事なんですからね』って仰ったんだ。ああ、何と優しくて
恋人として愛してくれる事は嬉しいが、それにのめり込んで他の事を蔑ろにしてはいけない。米田さんの言葉の真意が何処にあるのか、源吾郎には解らない。ただただ単純に、若過ぎる彼氏に対して色恋に溺れないようにいさめただけなのかもしれない。
だが、源吾郎は玉藻御前の直系の曾孫である。玉藻御前と言えば幾つもの王朝で王や皇帝を色恋でもって骨抜きにしたという逸話で有名だ。その子孫たる源吾郎が、単なる野狐の女に骨抜きにされるとはもってのほかである。そのようなありがたい説教としての意味合いも、米田さんの言葉には含まれていたのかもしれない。
雷園寺君はどう思うか。源吾郎が改めて問うと、雪羽は何処か感動したような面持ちで口を開いたのだった。
「米田の姐さんってば、恋人になるうえで彼氏にあんまり自分にのめり込まないようにって仰ってくださったんですね。ええ、やっぱりいい女じゃあないっすか。少なくとも『私と仕事、どっちが大事なの?』なんて糞つまらない質問で詰め寄って来そうにないなぁって俺は思ったけど」
「成程ね、雷園寺君はそういう風に思ったんだね」
雪羽の感想は、源吾郎が思っているよりもはるかに単純な物だった。