本社で行われる打ち合わせという物が、普段のそれとは異なり若干特殊な物である事は源吾郎もきちんと知っていた。幹部たちがそろい踏みする中に、平社員である源吾郎が参加するからなどと言う事ではない。問題はむしろ打ち合わせの内容だった。
裏初午で源吾郎の身に起きた事。打ち合わせの内容は端的に言えばそのような物であった。さらに踏み込んで言えば、源吾郎が牛鬼襲撃をきっかけに現実改変の能力を発揮した事、源吾郎が這い寄る混沌の恩恵を得ているであろう事などについても報告し、その上で上層部たる幹部陣が討論するという物である。
実を言えば、現実改変云々の話が打ち合わせの場で持ち上がるのは、今日が初めての事ではない。先週の金曜日にも研究センター内で急遽打ち合わせの場が設けられ、源吾郎はそこでおのれが行ってきた事を洗いざらい話さねばならなかった。むしろ今回の打ち合わせは、前回の研究センター内での打ち合わせの内容を考慮したうえで他の幹部たちに報告する訳だから、今日の布石ともいえるのかもしれない。
そして今回の打ち合わせが、組織の中でもトップシークレットの内容になる事は既に源吾郎も知っていた。最初に研究センターの面々だけで開かれた打ち合わせ自体も、雪羽は同席させない――その代わりとして、彼は工場棟の方にほぼ一日派遣されていたらしい――と言った形を取ってはいた。
だが今回は、更にその打ち合わせの機密性が高まっていた。というのも、打ち合わせに出席するのは八頭衆全員ではなく、そのうちの
「今回の事はあまり多くの妖《ひと》たちに知られてはならない事だからね。だからこそ、信頼できる上位幹部のお歴々だけで打ち合わせを行うという手段を取るほかなかったんだよ。紅藤様や灰高様は側近を連れて行くかもしれないが、それでも一番信頼できる相手という事だから……」
この度の打ち合わせに参加しない理由について、萩尾丸はため息交じりにそう言った。ちなみに今回紅藤が連れて行く側近というのは
「上位幹部の方たちが信頼できると敢えて仰るのですね。それって何と言いますか……」
思った事を口にしようとした源吾郎であるが、途中で視線をさまよわせて言葉を濁らせた。八頭衆の中で上位幹部ではない四名を、信頼できない存在だなどと言うのは気が引けたからだ。ましてや萩尾丸は第六幹部ではないか。
だが萩尾丸は、源吾郎の言わんとしている事を悟ったらしく二度三度頷いている。その面には満足げな笑みを浮かべながら。
「そうだよ島崎君。若手幹部の面々には全幅の信頼を置くには
いかにも萩尾丸らしいやり方だと、作り笑いを浮かべる萩尾丸を見ながら源吾郎は思った。紅藤は莫大な妖力と多彩な妖術を持つ大妖怪中の大妖怪であるが、他妖《ひと》との交渉事やら何やらには相当疎いきらいがある。そもそも幹部たちの打ち合わせも、よほどの事が無ければ萩尾丸に丸投げする事もあると言っていたではないか。
そんな普段の事を思えば、萩尾丸があれこれ考えて紅藤に進言したり調整を行ったりするのも何らおかしな事ではない。
そんな風に思っていると、萩尾丸は若干声のトーンを落として言い添えた。
「……
源吾郎は黙って頷いた。萩尾丸が明確に名指しせずとも、誰の事を言及しているのか源吾郎にもおおよそ解っていたからだ。
「しかし、八頭衆の大半が出席なさるというのに、そのお方だけ今回の打ち合わせに出席させないとなると不自然だと思われるだろう。向こうだって、僕が大なり小なり不信感を抱いている事が伝わってしまうだろうし……
それならばいっそのこと、機密情報であるという事を盾にして、上位幹部たちだけの打ち合わせにしておこうと思い立ったんだよ。確かに僕が参加できないのは心苦しいし悔しい所はあるけれど、向こうにも不必要に警戒されず、尚且つ迂闊に情報を握られる事も無いだろうから、ね」
「萩尾丸先輩も、色々と考えておられるんですね」
源吾郎はただただそういう他なかった。彼の言葉を受けて萩尾丸は頷いていたが、その顔に浮かぶのは中間管理職としての労苦だった。萩尾丸もまた様々な妖術を会得している大妖怪であり、しかもビジネスマンとしても(ある方面では紅藤以上に)優秀な妖物《じんぶつ》である。そんな彼をもってしてもどうにもならぬ事、ままならぬ事があるのだ。そう思うと世の中の複雑さや一筋縄ではいかぬものを感じずにはいられなかった。
「それに昨日、民間の水産施設が謎の襲撃と破壊が起きたという事故があったんだ。もちろん僕たちには無関係な事柄ではあるのだけど、現地調査やら何やらで妖材の派遣って事で仕事が入っているからね。初めから打ち合わせに参加しない予定だったんだけど、でもまぁちと忙しくなってしまった訳なんだ」
萩尾丸の言葉に、源吾郎はああ、と特に意味を持たない声を漏らしてしまった。雪羽がしきりに水産施設の事件だのなんだのと言っていたが、まさか萩尾丸も関心を持ち動く形になっていたとは。
だが考えてみれば、研究センターと異なり萩尾丸の組織は港町に拠点を置いている。そこで働く妖怪たちも港町近辺に住む面々が多いから、やはり昨日の事件への関心度は吉崎町の妖怪たちや人間よりも高くてもおかしくは無かろう。
「萩尾丸さん、昨日の事件は俺たちにとって無関係な事件なんかじゃあないっすよ」
ここで、やや甲高く威勢のいい声で萩尾丸に反論する者がいた。声の主は雪羽である。彼が興奮している事は、源吾郎の腰回りにぶつかる尻尾からしても明らかだった。尻尾の毛はまたしても逆立ち、不機嫌そうに振り回されていたのだ。妖狐たちと異なり、雪羽の尻尾は感情の揺らぎに連動する事が珍しくない。
「昨夜の事件でオトモダチが、じゃなくて俺の
ド直球極まりない雪羽の言葉に、むしろ源吾郎の方がうろたえた。雪羽の取り巻き達と縁を切るように便宜を図ったのは、他ならぬ萩尾丸その妖なのだから。
しかし源吾郎が何か言う暇も与えずに、雪羽は言葉を続けた。
「それでその、知り合いの話によると、襲撃された水産施設の連中は、九頭龍を崇拝している連中だったらしいんですよ。深キモノドモと自分たちで名乗っていたともラス子は言ってました。あ、その、ラス子ってのは知り合いのあだ名なんですけれど」
ラス子の名を出した雪羽は、ここで少し気まずそうな表情を見せる。ラス子という少女が、雷園寺家次期当主拉致事件に関与していたアライグマ妖怪の妹である為なのかもしれない。ラス子自体は加害者ではないが、加害者の身内と関わっているという事で良い顔はしないであろう、と。ましてや、雪羽の異母弟妹の生命に関わるような事件だったのだから。
だが雪羽がもじもじしていたのもほんのわずかな間である。彼は意を決したように顔をずいと近づけると、そのまま萩尾丸に対して言い放った。
「なのでもしかしたら、俺たちに要らん事をしでかしてくる八頭怪のあん畜生とも関連性があるかもしれませんよ。そう言う可能性があるかもしれないのに、無関係な事件だって言い捨てるのは、何と言うか萩尾丸さんらしくないと思うんですが」
「ちょっと雷園寺、そんな所に噛み付かなくても良いだろう」
ここでようやく、源吾郎の口から言葉が飛び出してきた。そしてその勢いのままに雪羽に手を伸ばし、はやる彼をなだめにかかったのだ。
萩尾丸は静かに二人のやり取りを眺めていたが、首を振りながら呟いた。
「まぁ確かに九頭龍も八頭怪も、僕たち妖怪とも違う、得体の知れない存在である事には変わりないよ。だけどね、だからと言って彼らがグルで、つるんでいると言い切るのも短絡的すぎるんだ。彼らとて一枚岩ではないし、何らかの派閥があって相争っていても何らおかしくはないんだからね」
萩尾丸はそこまで言うと、にわかに表情を和らげて言い添えた。
「そういう意味では、僕たちとは無関係という僕の言葉自体も、いささか短絡的な物だったかもしれないね。現段階では何がどうなっているのかは明らかではないだけに過ぎない訳だし。
その辺りは僕たちの方で調査する事になるから、雷園寺君も島崎君も、そんなに神経質にならない方が良いよ」
源吾郎と雪羽は互いに目配せし、神妙な面持ちで頷くほかなかった。この中で一番神経質になっているのは萩尾丸なのかもしれない。隣にいる雪羽もそんな風に思っているに違いない。確証めいたものが源吾郎の心の中にははっきりとあった。