九尾の末裔なので最強を目指します   作:斑田猫蔵

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女狐は笑い天狗ははにかむ

「まぁまぁ、萩尾丸さんも島崎君たちも、大切な打ち合わせやお仕事を控えてはるんやから、そんなに気を張ってたらしんどくなってまうで」

 

 萩尾丸の言葉が終わるや否や、妖狐の林崎ミツコがそんな事を言いながら近づいてきた。彼女のエセ関西弁は癖が強く不自然に間延びしていたが、そのために聞いていると妙に心が落ち着いてしまうのだった。

 それにしても、何故林崎さんがここにいるんだろう。数日ぶりに見たミツコの姿を前に、源吾郎はそんな疑問をまず抱いた。ミツコは玉藻御前の末裔を名乗る妖狐の一人ではある。だが彼女は日頃、萩尾丸の側近として働いていたはずだ。裏初午の折には妖狐の先輩として大分世話になったのだが、それ以外のシーンでは彼女とはほとんど接点はない。強いて言えば、雪羽の異母弟が拉致された時に、萩尾丸の指揮する救出部隊に彼女がいたのをちらと見たくらいだ。もっとも、その時ですら源吾郎は接点がほとんど無かったのだが。

 ミツコはそのまま源吾郎に歩み寄ると、半ば無防備な彼の肩に手を置いた。しかも源吾郎の顔を覗き込もうとしているようだ。脂粉の香りがゆっくりと、源吾郎の頬と鼻をくすぐっている。

 

「今回の打ち合わせにはうちも重要参考妖《じゅうようさんこうにん》として参加する事が決まってるんや。だから萩尾丸さんも島崎君もそんなに心配でんでええんよ」

「ああ、そうだったんですね」

 

 源吾郎はここでようやく驚きの念を抱き、嘆息の声を漏らした。ミツコが肩に触れて顔を寄せた事には特に驚いてはいない。女性が若い男性をからかう行為ではなく、幼い仔狐へのスキンシップである事が解っていたからだ。まぁ、源吾郎も仔狐扱いされるのはちと不本意であるが、ミツコ相手ならば仕方がない。

 ミツコの詳しい年齢は知らないが、少なくとも五百歳以上生きているという。源吾郎よりも年長なのは言うに及ばず、上司であるはずの萩尾丸よりも更に年長ですらあるのだ。六百年近く生きている紅藤より()()()()と言った方がしっくりくる年齢である。何となれば源吾郎の母親や叔父たちでさえ、彼女にしてみれば娘や息子みたいな感覚を抱いているのかもしれなかった。ミツコ自身は独身で、実の子はいないそうなのだが。

 ミツコは少しばかり源吾郎から距離を置き、再び口を開いた。かっちりと着こなしたスーツ姿で嫌味ではない程度にメイクを行っている彼女は、まさしくデキるビジネスパーソンそのものだった。

 

「うちは確かに上位幹部の一員ではないし、その上位幹部の側近でもあらへん。だけどなぁ、あの時うちは現場におって、その一部始終を見とったやろう。もちろん当事者は島崎君やけど、島崎君が証言できひん事もある程度は知っとる。萩尾丸さんも島崎君もうちの事は心強う思ってもらってくれたら嬉しいわ」

「はい。林崎部長がいらっしゃるんで心強いです」

 

 甘ったるい笑みを浮かべるミツコに対し、源吾郎は即答していた。若干の忖度の心が混ざってはいたが、源吾郎の言葉はほぼほぼ本心からのものだった。

 これまで関わりの薄かった相手であるが、ミツコが心強い味方である事はもはや解っていた。部下を大勢抱える萩尾丸が特に信頼を置いている側近の一人であるし、源吾郎も彼女の事は妖生《じんせい》の先達として一目を置いていた。

 もしかしたら。ある考えが浮かび、源吾郎はちらと萩尾丸の方に視線を向ける。実力のある妖狐、それも玉藻御前の末裔を名乗る妖狐である事を()()()にして、ミツコをおのれの使者ないし代弁者として打ち合わせに送り込むのではないか、と。

 それは荒唐無稽な考えであるとは思わなかった。それどころか萩尾丸ならば余裕で考え付く事であろうと思っていたのだ。萩尾丸は強大な力を持つ大妖怪である。だが彼の真骨頂は権謀術数や謀略に長けた所である事は、もはや源吾郎もよく知っていた。さもなくば多くの妖怪を従え、その上で紅藤に仕える事など出来ないだろう。

 その萩尾丸の目がぐるりと動く。無遠慮に見つめていた事に、そして考えている事をも見抜かれたような気がして、源吾郎は慌てて目線を逸らした。萩尾丸がこれ見よがしにため息をつく。呆れかえった表情を浮かべているであろう事は、わざわざ直視せずとも明らかだ。

 

「林崎さんに島崎君。君らは別に、僕におもねったり僕に対して忖度して打ち合わせに臨む必要はないからね。いずれにせよ、伝えるべき事実というものは僕の考えなどでは変わりっこないのだから」

 

 あくまでも打ち合わせには自然体で臨むように。そこまで言うと、萩尾丸はおのれの懐刀ともいえるミツコに視線を向けた。

 

「特に林崎さん。あなたは別に、自身の背後に僕がいるだとか、そう言った気兼ねを今回の打ち合わせの場で感じないでほしいんです。先程も言っておられたとおり、あなたは裏初午の場にいて、島崎君にまつわるあれこれの一部始終を目の当たりにした妖狐に当たります。その立場で、あなたには話をしていただきたいんです」

「萩尾丸さん。そないに改まっておっしゃらずとも、うちは初めからそのつもりですよう」

 

 萩尾丸の言葉を聞いたミツコは、その面に満面の笑みを浮かべて告げた。女狐そのものの彼女の笑みは文字通りに女狐らしい物だった。だが何処か爽やかささえ感じるその笑みには、媚びるような雰囲気は見受けられなかった。

 

「うちはうちが感じた事や思った事を、上位幹部の皆様にお伝えしたらええんですよね。ですけど、うちは萩尾丸さんには全幅の信頼を寄せておりますし、せやからうちの考えも萩尾丸さんの考えとほぼ同じやと考えて貰って構いませんのやでぇ」

 

 ミツコの笑みはにわかに熱気を伴い、ついで操っているエセ関西弁も滑らかに伸びていくような口調となっていた。ミツコは萩尾丸に対して媚びているのではない。信頼と親愛と、そしていくばくかの恋慕の情をただ正直に向けているだけだったのだ。

 萩尾丸はそんなミツコを正面から見据え、かすかに微笑んでいた。微笑の裏で、彼の表情が戸惑いと若干の呆れで揺らいだようだったが、彼はすぐにそれを押し隠したのだ。

 

「ははは、林崎さんもきちんと考えてくださっているんですね。であれば釈迦に説法だったようだね。流石は金翅鳥に属し、僕の側近として長らく働いているだけあるよ!」

 

 金翅鳥とは萩尾丸の擁する組織の中で最高位の妖材《じんざい》が属するグループであった。萩尾丸の側近中の側近なのだからまぁおかしな事では無かろう。

 何処か得意気に、そして源吾郎たちに何がしかのディスプレイめいた言動を行っている萩尾丸に対して、ミツコは笑みを浮かべたままじっと見つめていた。いや、今浮かべている笑顔は先程までの笑顔とは異なる類のものでもあった。

 

「うふふふふ。萩尾丸さんも、出会った頃は純朴な()()()やったのに、もう気が付いたら立派なビジネスマンに育ってるんやなぁ。せやな、せやな。萩尾丸さんがうちの事をしっかり信頼しとる事も、逆にうちが萩尾丸さんを慕ってるのも決まりきった事やし……」

 

 ミツコはそう言って笑い、萩尾丸は照れたように目を伏せていた。

 老獪な女狐とそれよりも若い大天狗のやり取りを、源吾郎はただただぼんやりと眺めているだけだった。どうすれば良いのか解らなかったし、普段とは異なる萩尾丸の姿に驚いてもいた。見てはいけないものを見てしまったような気分でもあり、二人の間には自分など初めからいないような感覚すら抱いていた。

 だがそうしてぼんやりしていたのも、ほんの短い時間だったらしい。何かが源吾郎の二の腕に触れ、それから掴んでぐいと引っ張ったのだ。

 引っ張られた方に顔を向けると雪羽の顔があった。彼は何故か険しい眼差しで源吾郎を見据えていたが、萩尾丸の方に視線を転じた時には、愛想のよい笑みを見せていた。

 

「萩尾丸さん。今日は書類整理をやろうと思っているんですけれど、少しばかり島崎先輩をお借りしても大丈夫ですか? 出発までまだお時間はあるでしょうし」

「構わないよ、雷園寺君」

 

 状況を飲み込めぬ源吾郎がぼんやりとしている間に、雪羽と萩尾丸の間で短いやり取りは終了していた。そして未だに少しぼんやりとしている源吾郎は、雪羽に引きずられる形で歩く事となった。

 雪羽に引っ張られる間、源吾郎は無言だった。雪羽の意図は確かに気になってはいる。だが唐突に昨年夏の生誕祭の事を思い出し、奇妙な懐かしさに囚われていた。

 あの時も源吾郎は雪羽に手を引かれ、彼の進む先に付いて行くほかなかった。しかしあの時と今とでは状況はかなり異なっている。あの時の雪羽はへべれけに酔っていたし、源吾郎も宮坂京子という存在しない狐娘に変化していた。

 今はあの時とは違う。雪羽は素面だし、源吾郎も島崎源吾郎としてそこにいた。

 十歩も進まぬうちに雪羽は源吾郎を解放した。書類を収めるキャビネットの傍だ。源吾郎がその事を確認した時には、雪羽は既に向き直り、源吾郎を見つめていた。笑みはなく真顔だった。

 

「一日仕事の書類整理ってのも、大変だな」

 

 源吾郎ののんびりとした言葉に、雪羽は微苦笑を浮かべながら首を振った。

 

「別に書類整理ってのは口実っすよ」

「え、口実って……」

 

 源吾郎が問いかけようとするのを遮り、目を細めながら雪羽は応じる。

 

「萩尾丸さんから少し離れるための口実に決まってるじゃあないですか。萩尾丸さんだって、部下であるはずの林崎さんに昔の事を言われて気まずそうになさっていましたし」

「ああ、そういう事だったんだね」

 

 雪羽の言葉で、源吾郎はようやく状況を把握する事が出来た。確かに、萩尾丸とミツコの間には何とも言い難い微妙な空気が漂っていた。年長の部下は時にややこしい存在になると何処かで聞いた事があるが、萩尾丸にもそれが当てはまるとは。源吾郎はビジネスパーソンの真理の一つを目の当たりにしたような気分になっていた。

 何処か呑気な源吾郎に対し、雪羽はじっとりとした眼差しを寄越してくる。

 

「先輩。先輩だって子供だった時の事とかをほじくり返されネタにされたら恥ずかしいだろう? ましてや、それを部下に、しかも俺らみたいな若いやつらに見られるんだからさ」

「ああ。言われてみれば雷園寺君の言うとおりだね」

 

 雪羽の言葉に、源吾郎はゆったりとした口調で同意した。萩尾丸の置かれている状況は上手く想像できなかったが、幼い頃の事をネタにされる恥ずかしさは源吾郎もよく知っていた。

 

「そうだろう。ああいうのは恥ずかしい事なんだよ。先輩だって周りの妖《ひと》の事をよく見てらっしゃるんですから、そういう事はきちんと解らないと駄目っすよ」

 

 注意する雪羽の頬はいつの間にか赤らんでいた。頬を染めるのは怒りではなく気恥ずかしさによるものなのかもしれない。火照った雪羽の頬を見ながら、源吾郎は静かにそう思うのだった。

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