午前中の打ち合わせで早くも疲労困憊となっていた源吾郎ではあるが、昼食を伴った昼休憩の間に、その疲れを忘れる事が出来た。やはり美味しい物の力とは偉大な物だった。あるいは、源吾郎が若くて体力があるだけなのかもしれないが。
ともあれ定食屋のきつねうどんは美味しかった。もしかしたら、一人暮らしを始めてから自分の手料理ばかり口にしていたから、自分の行うそれとは違う味付けに新鮮さを覚えていただけなのかもしれないが。
同じ食べるなら、食べた物を美味しいって思える方が幸せだし妖生《じんせい》は得なのよ。いつだったか、長姉がそんな事を言っていたのを源吾郎は思い出した。オカルトライターゆえに国内外のあちこちへと旅行し、そこで出されたものを平らげる事もある姉らしい意見である。
手料理と言えば、源吾郎がほぼ毎日自炊し、弁当を持参している事についてもミツコたちに褒められた。一人暮らしを始めたばかりの新入社員と、中々に大変な暮らしながらも料理を怠らないのは良い事だ、と。
「僕の日々の事について、お褒め頂き嬉しい限りです。ですが、あんまり褒められると気恥ずかしくなります。たかだか料理の話なのに」
照れたように返す源吾郎の心中は、中々に複雑な物だった。褒められた事は素直に嬉しかったし、言葉通りに気恥ずかしくもある。それに、日々自分で料理を行っている事などで褒められるというのは少し予想外でもあった。父母や兄ら(特に長兄)の影響もあり、実家にいた頃から料理の手伝いや料理そのものをちょくちょく行っていたのだから。
どうせ褒めるならば、自分の能力だとか妖怪としての強さについて褒めて頂ければもっと嬉しいなぁ……上司や年長者を前にして、源吾郎はそんな事を思う始末だった。
だが、そんな源吾郎の心中を知ってか知らずか、ミツコは笑いながら首を振った。
「いやいや島崎君。たかだか料理なんて言うてはるけれど、その料理を行う事そのものが、大仕事になると思てるヒトも十分おるんやで。特に人間の場合は、男の子は料理せんでええって言われて育つ子もおるみたいやしなぁ。もちろん、うちらは妖怪やから、人間たちの考えとは違う所はありますけれど」
諭すようなミツコの言葉を前に、源吾郎は頷く。平成の、それも二十一世紀を迎えて久しい今のご時世でも、男が料理をしない・させないという風潮が絶滅していない事は源吾郎も知っていた。もっとも、その風潮が源吾郎と関係あるかどうかは別問題ではあるが。
「男子が台所に入らないですとか、母親とか彼女とか奥さんに料理を任せっきりですとか、そういう話は聞きますもんねぇ。ですが僕の家は、ご存じの通り兄弟が多かったので、両親も料理とかは子供たちに任せたりする事が多かったですね。それで兄たちも料理の折に僕に手伝わせる事もあって、そんなんで料理をする事は覚えました」
源吾郎が料理を覚えたのは、もちろん実家にいた時の事である。物心ついた頃から、休日などに兄らが母に変わって料理をするところを見て育ち、のみならず手伝いを任される事もままあった。母にすれば子供も多いから料理の手間を省こうと思っての事だったのかもしれないが、ともあれ源吾郎は自炊能力を培う形となった事には変わりはない。
「せやね。三花さんは、島崎君のお母さんは子供らの事を考えてはったからねぇ。料理とかもちょくちょく子供らに任せて、それで料理とか家事のスキルを教えようとしたんやろうなぁ」
ミツコはそう言って、手許のグラスで喉を潤していた。その眼は何処か遠くを眺めているかのようで、過去を懐かしみ愛おしむような雰囲気が漂っていた。まるで、自分の息子や甥が大きく育ったのを喜んでいるような表情だった。
「三花さんも、末息子である島崎君の事は心配しとったけれど……まぁ生活面ではしっかりやっとるとうちは思ってるで。この前会った時はそれどころや無かったから、島崎君が静養しとる事とかちょっとした事しか説明できひんかったけれど。でも島崎君かて家族との交流を断った訳でもないし、時々近況報告をして、それで三花さんや幸四郎さんを安心させたり、な」
長々と語られたミツコの言葉を前に、源吾郎はすぐには返事が出来なかった。源吾郎の家族たちは、先だって源吾郎が静養している折に、見舞いがてら顔を合わせている。だが話を聞く限り、その時に両親はミツコたちとも会っているという事になるではないか。その事が少し引っかかり、そして驚いてしまったのである。
もちろん、それ以外の部分の話は、親兄姉を安心させるという事なので源吾郎も素直に納得できる話ではあるのだけど。
「島崎君は三花さんたちにとって末っ子だし、それに他の子たちよりも
次に口を開いたのは紅藤だった。彼女は源吾郎と目が合うと、そのまま穏やかな笑みを浮かべて見せた。
「島崎君は十八になったばかりで就職して、研究センターに来てくれたでしょ。だけどあなたのご兄姉たちが就職して社会人になったのは、大学を出た後だもの」
「ええ。紅藤様の仰る通りです」
紅藤の指摘通り、源吾郎の兄姉らは皆大卒である。何となれば誠二郎などは一浪してから理系の学部に入っていたし、庄三郎は普通の大学よりも学費のかさむ美大に入学してもいた。源吾郎が高校を出て就職したのは、ひとえに彼がそれを望んだからに他ならない。
「やっぱり四年の歳月って、若い子には大きいみたいですからね。上の子たちは、ある程度成長してから独立した物ですから、島崎君が十八で独立したっていう事で心配するのも無理からぬ話よね。
私だって、昨年の春に島崎君の就職を認めた時に、萩尾丸に怒られてしまったもの。あの子はまだ
「ええ、はい……」
直截的な紅藤の言葉に、源吾郎は頷きつつ乾いた笑みを浮かべる他なかった。紅藤の言葉が良くも悪くも忖度が無い事は既に解っている。自分が仔狐に過ぎないと見做されがちな事も、また馴染み深い案件だった。
だがそれでも、こうして何かにつけて仔狐扱いされてしまうと、何とも気恥ずかしく収まりが悪かった。ましてや、自分が秘匿すべき強大な力を持ち、尚且つゆくゆくは結婚するであろう恋人を得た後なのだから尚更だ。
※
食事を終えて本社に戻ってみると、忘れていた緊張感を思い出した。その緊張感が祖母の異父兄姉である伯服たちと顔合わせする事に対する物である事は明らかだった。と言っても、源吾郎は緊張しつつも不快感は無かった。先程の昼休憩であらかた疲れを忘れる事が出来たからだろう。
もしかしたら、緊張しつつも源吾郎は親族に会う事を期待し、心の底で楽しみに思っているのかもしれなかった。
だが大伯父や大伯母に会うのが楽しみだなどと、軽薄な事を言うつもりもなかった。本社内もまた、源吾郎が感じている以上のピリピリとした緊張に包まれていたのだから。緊張感を放っているのはもちろん本社勤めの妖怪たちであり、その濃度は打ち合わせの場である会議室に入ると一層高まっていた。
玉面公主らは午後一時半ごろに到着する予定なのだという。唐突に来訪した彼女がどんな話をもたらすのかはまだ解らない。ともあれ源吾郎は、他の年長者に倣って神妙な面持ちで来訪者を待つばかりだった。