さて少しばかり安堵していた源吾郎であるが、紅藤たちの態度はまた異なっていた。
幹部の面々、特に紅藤や峰白などと言った雉妖怪たちは、玉面公主の口にした妹妹《いもうと》という単語に反応していたのだ。
玉面公主の妹妹《いもうと》。これはもちろん源吾郎の祖母である白銀御前の事を指している。伯服や玉面公主と異なり、日本で生まれ育った妖狐である。のみならず、彼女の父親はホンドギツネなのだそうだ。源吾郎にしろ彼の親族にしろ、アカギツネと共にホンドギツネの血が流れている事は、既に紅藤たちによって調査済みである。
いずれにせよ、白銀御前と雉鶏精一派の間にも因縁がある事は言うまでもない。
「お二方がお見えになる事が事前に解っていれば、妹君であらせられる白銀御前様に連絡を取って、出席していただくように手配しておいた方が良かったでしょうか」
「それは……いえ何でもありません」
まず紅藤が申し訳なさそうな声音で提案し、妖狐のミツコがそれに対して何か言おうとしていた。
白銀御前の話題になった時に、この二名がそれぞれ発言したのは、ごく自然な流れのように源吾郎には思えた。紅藤はかつて白銀御前をおのれの配下にしようとして相争った過去を持っている。そしてミツコは玉藻御前の末裔を名乗る妖狐だ。玉藻御前の末裔を名乗る妖狐の中でも年季の入っている彼女の事だ。もしかしたら、白銀御前に直接出会った事もあるのかもしれない。
いずれにせよ、雉鶏精一派の中では、特に白銀御前と縁が深い妖怪と言えば紅藤とミツコなのだ。
「そこまで気を回す必要は無いよ、雉仙女様」
「そこは私も妹と同じ意見です。父親が違うと言えども、末の妹もまた、私どもと同じく金毛九尾の実子です。一筋縄ではいかぬ存在である事は、直接会わずとも私には解りますとも」
玉面公主に続いて伯服も言葉を紡ぐ。金毛九尾、と言い放った時に、大伯父の顔に渋い物が浮かぶのを源吾郎は見た。
そしてその大伯父は、見透かすような視線を源吾郎に向けたのだ。
「とはいえ紅藤女士。私どもの妹そのものはこの場には居ませんが、その縁者を連れてきておいでではないですか。私どもにとっての姪孫《てっそん》であり、末妹の孫にあたる若者をね。だからこそ、妹も雉鶏精一派に立ち寄ろうと思い立ったわけですし」
「は、はい……」
「いかにも、伯服先生の仰る通りですわ」
何処か間の抜けた返答を行った源吾郎を尻目に、紅藤は落ち着いた様子で頷いた。
「先も紹介しました通り、こちらの島崎はあなた方の妹君である、白銀御前様の直系の孫でございます。他にも兄姉がいるのですが、妖怪としての生き方を選んだのは彼だけなのです。島崎は、両親や親族の意向で、兄姉らと同じく人間として育てられておりました。妖狐の血も四分の一まで薄まった半妖ですからね」
紅藤の説明は長々としていたが、特に誰も疑問やら何やらをさしはさむ事は無かった。妖怪の血を受け継ぐ半妖が、しかし人間として育てられ人間として扱われる事を、さも当然の事であると思っているかのようだった。
当然も何も、半妖の当事者である源吾郎もまた、そもそもからして人間として育てられているのだが。生まれた時から妖怪化していたが、それでも妖怪として生きる道を選んだのは、他ならぬ源吾郎の意志だった。
紅藤はここで、ほのかに笑みを浮かべながら続けた。
「――実を申せば、この私が島崎を部下として得る事が出来たのも、白銀御前様との間に結んだ盟約のためなのです。『もしもこの先、私の子孫の中であなたの許に弟子入りを望む者が一匹現れたら、その子はあなたの配下にしても良い』とね」
笑顔に含みを持たせながら、紅藤は一旦言葉を切った。
「実はこの時、白銀御前様は全くの独り身でした。それどころか、一族の血を残す事も特に考えてなかったようなのです。だからこそ、起こりえない事でもって敢えて盟約を結び、それで私を諦めさせる意図もあったのでしょうね。
実際には、私と盟約を結んだ十数年後に、あのお方は人間の術者と結ばれ、娘を産んだのです。ええそうです、その娘こそが、今ここにいる島崎の母親ですわ」
盟約の事について語る紅藤は、実に誇らしげな表情を浮かべていた。それこそ、峰白が胡喜媚やその息子らの事を語る時のような熱狂を、源吾郎は感じ取っていた。
「いずれにせよ、白銀御前様は表立って動く事を望まれていないのです」
白銀御前の現状と彼女の意志を代弁したのは、妖狐のミツコだった。
「もちろん、あのお方も人間の術者との間に生まれた子供たちの事は、一人前になるまできちんと養育したようです。ですが、末娘である桐谷いちか殿が一人前になったのを見届けると、後の事は任せると言い残してそのまま去って行ったそうです。
子供たち、一族の者たちの前には時折顔を見せるそうですが、孫たちに対してはあの方もほぼほぼ干渉しないようなのです。もっとも、紅藤の申しました通り、五名いる孫のうち四名までは人間社会に適応しましたし、彼らの両親や親族たちも彼らの事を何かと面倒を見ていましたからね。ここにいる島崎も含めて、ですが」
ミツコはそこまで言うと、やにわに源吾郎の方に視線を向けた。
「島崎君。あなたは白銀御前様と……あなたのお祖母様にお会いしたのは、ほんの数えるほどの事よね?」
「数えるほどどころか、僕はまだ
勢いよく言い切った源吾郎であるが、それを見守るミツコの表情に気付くや、やや落ち着いた調子で言い足した。
「……と言っても、僕が
そこまで言うと、ミツコは納得したように目を細め、二度三度頷いていた。
源吾郎が覚えている祖母との出会いとは、高校三年の秋の事だった。親族たちの前でおのれの進路と野望を口にしたあの日、白銀御前は白熱する親族会議に乱入してきたのだ。源吾郎にとっては、それこそが祖母とのファーストコンタクトだった。
しかし、それよりも前に、それこそ源吾郎が乳幼児だった頃にも、祖母は源吾郎の許に訪れていたのではないか。ミツコの態度を見た源吾郎は、そのように思い直した。
であれば、幼い源吾郎が祖母との出会いを覚えていないのも致し方ない事だ。大妖狐の子孫であり、生まれつき三尾だった源吾郎も、赤ん坊の頃は単なる赤ん坊に過ぎなかった。実際問題、源吾郎が思い出せるのは二、三歳ころの記憶が限界でもある。
赤ん坊の頃は自我も記憶もあやふやである。別にこれは、半妖だからという訳では無く、純血の妖怪であってもそのような物であるらしい。純血の雷獣である雪羽も、乳幼児期の記憶はあやふやであるし、彼のいとこにして義理の弟妹である双子の赤ん坊たちも、赤ん坊らしい赤ん坊として過ごしている訳なのだから。
妖力という現代科学を以てしても謎に満ちたエネルギーを保有する妖怪であるが、それでも動物としての範疇を逸脱している訳では無い。妖力の保有量が生まれつき多いからと言って、心身の成長が速まるだとか、そうした効果がある訳でもないのだ。
「そして源吾郎君は、雉仙女である紅藤様に弟子入りを望んだ、妹妹《いもうと》の唯一の子孫って事ね」
さも愉快そうに笑う玉面公主の言葉に、紅藤が静かに頷く。紅藤の動きを見るや、玉面公主の笑みが更に深まった。源吾郎君。その笑みのまま、玉面公主は源吾郎の名を口にしていた。
「私の直系の子孫ではないと言っても、とっても興味深い、面白そうな子ね」
「あ、ありがとう、ございます……」
褒められたのだととらえ、源吾郎は礼を述べて軽く頭を下げる。中国語で礼を述べた方が良かっただろうか。しかし伯服様も玉面公主様も日本語は話せる――玉面公主はややカタコトの部分もあるが――し、そもそも紅藤様たちも最初の挨拶以外は日本語だったから大丈夫なのだろうか。
そんな事をつらつらと思っていた源吾郎は、玉面公主の視線に気づいた。妖狐らしく彼女の瞳も明るい琥珀色である。やけに透明感のある瞳であり、それが源吾郎には気になってしまった。虚ろであるとかがらんどうという事ではない。何かを見通そうとしているかのような眼差しだった。彼女の背後にある九尾も、緊張したようにピンと伸びているし。
妖狐も妖力を蓄え
玉面公主は琥珀色の瞳を細め、いたずらっぽい笑みを浮かべながら言葉を続けた。
「源吾郎君、野望とか仕事の事とか師範の事とか色々考えているけれど、やっぱり一族を繁栄させたいって気持ち強いでしょ。好きな娘と一緒になって、その娘との間に出来た仔狐たちと暮らしたい。そんな願いが私には見えるね」
「玉面。いくら姪孫《てっそん》と言っても、勝手に考えている事を覗き込んだらいけないだろう。近頃は個人情報とか色々あるんだから……」
やはり大伯母には色々な物を見通す眼力があったのだ。伯服の言葉のお陰で、玉面公主の異能が明らかになった。
源吾郎はしかし、正直な所それどころではなかった。一族繁栄はさておき、胸の奥に秘めていた願望を暴き立てられたのだから。さりとて、ここで下手に騒ぎ立ててしまったら、その事を補強する形になってしまう。
だから源吾郎は、視線を落として口をつぐむほかなかったのだ。雉鶏精一派が腰を下ろすあちこちで、かすかな笑い声が聞こえた気がしたが、それは単なる気のせいだと思う事にした。
紅藤やミツコは笑ってはおらず、それぞれ平然とした表情であったり気づかわしげな表情を向けたりしているだけだ。それが不幸中の幸いだと源吾郎は思った。
※姪孫《てっそん》:兄弟姉妹の孫、または甥姪の子の事。又甥とも言う。