玉藻御前に仕えていた若菜から、諸々の事について連絡を受けていた。この件については、雉鶏精一派の面々が問わずとも、伯服と玉面公主の兄妹から経緯を話してくれた。
「私や妹の配下などと言う訳ではありませんが、若菜女士と私ども兄妹の間に交流がある事には変わりはありません。それに私どもも金毛九尾の実子であるゆえに、這い寄る混沌の事は、この度島崎君が継承した物についても良く存じています。だからこそ、敢えてあのお方も私どもに連絡を入れたのでしょう」
「あの彫像を受け取るほどの事だから、受け取った相手も普通の妖狐とは違います。だからこそ、狐生経験《じんせいけいけん》の長い私たちが、彫像を受け取った源吾郎君に、ちょっとしたアドバイスが必要と思ったんです。本当は、源吾郎君の姥姥《おばあさん》である、妹妹《いもうと》の仕事だけど……」
ここで玉面公主は、眉間の辺りを揉みながら思案顔を浮かべた。
「源吾郎君も知っての通り、私たちの妹妹《いもうと》は身を隠している。厄介事に首を突っ込まない態度としては優秀だけど、一族の長としてはその態度考えものね」
「あ、でも……」
源吾郎は思わず声をあげていた。祖母にして玉藻御前の娘である白銀御前との面識は、実の所かなり薄い。だがそれでも、大伯母に非難されるような物言いをされるのは何となく嫌だった。
祖母は単に雲隠れしただけじゃあないんです。僕らの一族の長代理は長女である母が行っていますし、全くもって放置している訳では無いはずなのです。
そんな風に言おうとしていた源吾郎であったが、それを口にする前に、先んじて峰白が発言したのだ。
「白銀御前様も玉藻御前様のご息女でありますし、それゆえの重圧と言いますか、そういう物から逃れたいと思ってしまったのかもしれませんね。実を申せば、我らが雉鶏精一派でも同じ事がかつて起きたのです」
そこで峰白は言葉を切り、思わせぶりな眼差しで胡琉安を見やる。
「雉鶏精一派の初代頭目には、一人息子の胡張安が実はいたのです。しかし胡張安は、母がおかくれになるや否や、そのまま行方をくらませた挙句、雉鶏精一派と絶縁状態になったのです。ですが――」
「胡張安君の代わりに彼の弟弟《おとうと》の胡琉安君を頭目に立てて、それで雉鶏精一派を再建した。そういう事ね?」
無邪気に、それでいて正鵠を射るような玉面公主の言葉に、場の空気が一変する。それまでも室内は張りつめた空気が漂っていると感じていたが、それらが可愛く感じられるほどだ。
この異様な空気を前に、玉面公主の異父兄である伯服さえ、僅かに眉を顰めるほどなのだから、相当な物である。
胡張安と胡琉安が
しかし、そんな彼女の言葉に、峰白も紅藤も硬直し、狼狽の色を見せてしまったのだ。雉鶏精一派の第一幹部と第二幹部がそのような姿を見せているのだ。他の者たちも、当惑したりその面に疑問の色を浮かべたりしつつも、一様に黙り込んだままだった。
そんな中で、ややあってから口を開いたのは頭目の胡琉安だった。彼の顔には純粋に疑問の色のみが浮かんでおり、母である紅藤たちのように強い驚きの色は無い。
「玉面公主様。私と胡張安は兄弟だと思っておいでのようですが、実は胡張安は私の父に当たります。と言いましても、父とは顔を合わせた記憶はないのですが」
胡張安は兄ではなく父親である。当事者である胡琉安は、ごくごく自然な口調でもって告げた。その顔には疑問の色も強い驚愕の色もなく、ただただ友好的な笑みが浮かんでいるだけだった。
そして紅藤は、息子の言葉を受けて、我に返った様子で言葉を紡ぐ。
「玉面公主女士。どうしてあなたが胡張安と胡琉安が兄弟だと
名前が原因なのですよね。上ずった紅藤の声は、さながら化鳥の啼き声にそっくりだった。彼女自身雉妖怪なのだから、化鳥の啼き声そっくりという表現は適切ではないのかもしれないが。
「胡琉安にも、父親である胡張安と同じく『安』の漢字を使っています。私どもの住まう
ですが、
中国と日本では異なる名づけの法則について一通り語ると、紅藤は一息ついてから言葉を続ける。
「もっとも、私が息子に名前を付けた時には、その事は知りませんでした。なので、玉面公主女士には胡琉安が胡張安の弟であると
最後に謎の謝罪を口にし、紅藤は小さく頭を下げる。それを眺める源吾郎の心中には、疑問とも何ともつかぬものがわだかまり始めていた。
日本では親子、特に父親と息子で同じ漢字を名前に入れる事は珍しくない。家によってはそれを風習とする所もあるという。だが中国では、君子の名に用いられた漢字や親に使われた漢字を子に用いる事は無い。むしろ兄弟で同じ漢字を名前に入れる慣習があるという。
この名づけの法則は、源吾郎でも知っている事だった。紅藤は胡琉安に名を付けた時にはその事を
さて玉面公主はというと、頭を下げた紅藤を静かに見つめていた。紅藤が頭を上げたのを見ると、微笑みながら口を開く。柔らかな唇が光沢を放つところを、源吾郎ははからずとも目の当たりにしてしまった。
「大丈夫、大丈夫。私が勝手に胡張安と胡琉安が兄弟だって思い込んだだけだから、紅藤女士は謝らなくて良いの。あなたが胡張安と胡琉安は親子というのなら、それ本当の事だと私も信じます。
「あ、ありがとう、ございます……」
紅藤はまたも頭を下げた。震える声で紡がれたその言葉は、感謝の意ではなくある種の懺悔のようでもあった。
表面的なやり取りだけを見れば、玉面公主が胡琉安を胡張安の弟だと勘違いし、紅藤が兄弟ではなくて親子だと訂正しただけであるように思えるだろう。
だが実際には、そうした他愛のないやり取りなどではない事は、源吾郎も十分理解していた。他愛のないやり取りというには緊迫した空気に包まれているし、何より源吾郎は胡琉安の出自の秘密を知っているからだ。
雉鶏精一派の二代目頭目の胡琉安は、胡喜媚の孫にあたる存在である。胡喜媚の子は胡張安しかおらず、だからこそ胡琉安は胡張安の息子であると見做されていた。
しかしこれは、あくまでも表向きの話に過ぎない。
実際には、胡琉安は胡喜媚の妖力の残滓を元に、紅藤の妖術によって作り出された妖怪だった。そういう意味では、胡琉安の真の親は胡喜媚であるとも言える。通常、妖怪は親子でその妖力や妖気を受け継ぐからだ。胡琉安の場合は胡喜媚の妖力から構成されている訳であるし。
実を言えば、紅藤は胡琉安を作り出す前に、テスト的におのれの妖力を用いて妖怪を作り出す術を成功させていた。それが研究センターに勤務する青松丸なのだが、彼は紅藤の息子と見做され、息子として扱われていた。
にもかかわらず、胡琉安は胡喜媚の息子ではなく、孫として公表されていた。その理由は至極簡単な話である。胡琉安を作り出すのに成功したのは、胡喜媚の没後百年以上経ってからの事だったからだ。いかな妖怪と言えども、死後に子供を遺す事は不可能である。また胡琉安の作成に胡張安も関与させたという事実を盾にして、紅藤たちは胡琉安を胡張安と紅藤の息子であるとし、胡喜媚とは祖母と孫にあたる間柄であるという事を公表したのだ。
もちろん、胡琉安が人工的に作り出された妖怪である事は秘中の秘である。分身などではない、独立した生命と自我を持つ妖怪を作り出す事は、妖怪たちの中でも不可能と思われている事であり、妖術・仙術というよりもむしろ禁術に近いためである。
さらに、胡喜媚の率いる雉鶏精一派自体が、危険な組織として他の勢力から監視されていた過去も持つ。頭目がいないから禁術で頭目になりうる妖怪を作り出し、傀儡として据えるなどと言った事をしでかした事が明るみになれば、敵対勢力からの監視の目が強まるのは明らかだ。
だからこそ、胡琉安は胡張安の息子であり、胡喜媚の孫でありつつも、失踪した父親に変わり頭目の座に収まっているという風に装っているのだ。
立場上は父親と息子であるが、その出自を鑑みれば半兄弟ともいえる。胡喜媚の子孫である、胡張安と胡琉安の関係はそのような物だった。
そして玉面公主は、そうした事情を見抜いたうえで胡琉安を胡張安の弟ではないかと問うたのではないか。源吾郎はそんな風に解釈していた。彼女は九尾を具える大妖怪ないし妖怪仙人であり、霊妙な神通力を宿している事は明らかである。
もしかしたら、源吾郎に施されているように、胡琉安の秘密についても、すぐに見抜けないように紅藤も自衛しているのかもしれない。そうだとしても、歳の功と金毛九尾譲りの明晰な頭脳によって、胡琉安の秘密を看破し、看破までいかずとも推察することは出来たのではなかろうか。そんな風に源吾郎は考えていたのだ。
いずれにせよ、そういう意味では今回の会合で影武者を据えずに胡琉安その妖に出席していただく形になったのは良かった事なのかもしれない。影武者に出席させたとしても、玉面公主はその事を見抜いていたというだけであるが。
大伯母とも言えども恐ろしいお方だと、源吾郎はただただ嘆息するほかなかった。
「ごめんなさいね。少しばかり話が脱線してしまったね」
玉面公主が謝罪の念を口にしつつ、真顔に戻る。胡琉安の話が終わった事を感じたのか、室内の空気が和らいだ気がした。と言っても、源吾郎は未だ気を引き締めたままだ。源吾郎にしてみれば、ここからが話の本題なのだから。
「玉面公主、様」
そんな玉面公主に震え声ながらも呼びかける者がいた。妖狐、それも玉藻御前の末裔を名乗るミツコである。玉藻御前の末裔はあくまでも自称であり、加えて純粋なホンドギツネである彼女は、玉面公主や源吾郎とは血縁関係はない。とはいえ玉藻御前の末裔を名乗りその派閥に属しているため、玉面公主とは無関係という訳でもないのだ。そもそも彼女は、玉藻御前の末裔を名乗る妖狐たちが集まる裏初午で、源吾郎が現実改変能力を行使した瞬間を目の当たりにしていたのだから。
「どうしましたか、林崎女士」
「島崎の能力については、玉面公主様たちと交流のある若菜様からの書簡にて知ったというお話ですよね。やはりその……その書簡には、彼の能力についても記されていたのでしょうか?」
「――もちろんね」
ミツコの問いかけに、玉面公主は自信たっぷりに頷いた。
「ただ、私たちが受け取った書簡も、術が掛けられてあるから、私や哥哥以外は見る事が出来ないようになっています。だからあなたたちにその書簡の内容を見せる事は出来ないのですが……お互いに知っている事を共有しているのなら、話は早いね」
「一応私どもも、彼の能力についてまとめたレジュメは用意しております。ただ、社内向けの内容なので、全て日本語なのですが……」
「それも大丈夫。私たち、日本語解るから」
ミツコはそこまで言うと、源吾郎の方にちらと目配せをした。余っているレジュメを伯服たちに渡すように。暗にそう命じられた事は明らかである。
源吾郎は手許にあるファイルを探り、レジュメを渡すべく立ち上がった。幸いな事にレジュメは三部残っており、伯服たちに渡すには不足は無かった。