今やおのれの権能となってしまった現実改変能力についての説明は、やはり張本妖たる源吾郎の役割だった。話す内容そのものは、上位幹部たちに告げた事の繰り返しではある。しかし一回目に行った時よりも緊張していたし、その一方でミツコが補足説明を行ってくれたので、助かりもした。
「……ことの顛末については、以上になります」
ぎこちないながらも説明を終えた源吾郎は、そう言って締めくくった。先程と異なり、今回は噛まなかった。
源吾郎は、いや雉鶏精一派の面々は、固唾を飲んで伯服と玉面公主の様子を見守っていた。二人とももはや思案顔であるからだ。特に、皆の注目は玉面公主に向けられていた。
玉面とは古来より美人の異称であるとされているが、そんな美貌の持ち主が、真剣な表情で思案する様はある種の凄味を伴っていた。
しかも、柔和ながらも真剣な表情の伯服とは異なり、笑みを絶やさず話を続けていたのだから、尚更だ。
「成程ね。そっちの事情もよく解りましたね。ともかく、若菜様は肩の荷が下りて……一安心したと思います」
ややあってから、玉面公主はそう言った。源吾郎は瞬きし、妖狐であるミツコと顔を見合わせる。無貌の神の彫像を誰が継承するか。その件については確かに片付いてはいる。若菜もその一件については一段落したと思っているだろう。
だが、それで彼女の頭痛の種が完全になくなった訳では無い事を、源吾郎たちは知っている。娘婿がテロ行為を起こしたという不祥事に、今後の外部勢力との関係の見直し。源吾郎たちがこうしてのんびりと会合を行っている間にも、若菜はこの難しい課題に取り組んでいる所であろう。
だからと言って、その事をミツコや源吾郎が口にするのは問題がある。交流があると言えども、若菜は源吾郎たちとは別の組織に属する存在なのだ。良い事ならばまだしも、不祥事についてわざわざ口にするのはマナー違反だろう。そんな風に源吾郎は思っていたのだ。
そもそも、源吾郎が現実改変を行使したきっかけは、まさしく裏初午でのテロ行為である。先の報告でもその事に触れたような気もするから、玉面公主もその辺りは察してくれるだろう。目も良い事だし。
そんな風に思案を重ねていると、玉面公主が言葉を続ける。
「林崎女史と源吾郎君はもう知ってると思うけれど、若菜様、とっても生真面目な方だったのね。私たち以上に媽媽《おかあさん》の事も慕ってました。だからなのか、媽媽《おかあさん》の形見を、早く誰かに譲渡したいとも思っていたね」
「……もしかしたら、若菜様にとっても無貌の神の彫像を持ち続けるのは、相当なプレッシャーだったのでしょうね」
そう言うと、伯服は渋い表情を浮かべながら言い足した。
「金毛九尾の実の息子である私ですら、あの無貌の神の彫像を見た時には、名状しがたい恐怖と圧を感じたくらいです。確かに、若菜様も既に千年狐狸精と呼んでも遜色のない存在になっているでしょう。それでも彼女は私どもよりも若く、尚且つ単なる野狐の一人に過ぎないですし」
金毛九尾の息子たる伯服様にしてみれば、あの若菜様ですら一介の年若い野狐という事になってしまうのか……何気なく放たれた大伯父の言葉に、源吾郎はぎょっとしてしまった。玉面公主の掴み所のない言動にばかり注目していたが、伯服も王の血筋を受け継ぐが故の尊大さを具えているらしい。
玉面公主は、伯服の言葉に呆れたように片眉を上げ、あからさまにため息をついた。
「哥哥《にいさん》もあんまり正直に言い過ぎると、雉鶏精一派の皆驚くよ。それに多分、哥哥《にいさん》が無貌の神の彫像を嫌っていたのは、媽媽《おかあさん》が作った物だって言う所が大きいんじゃないの。哥哥《にいさん》は媽媽《おかあさん》の事今でも嫌ってるみたいだし」
伯服は眉をひそめたまま、特に何も言い返しはしなかった。ただ、その面に浮かぶ渋い表情が全てを物語っていたのだ。
「いずれにせよ、表舞台に出ない妹妹《いもうと》の代わりに、若菜様が代表として、この国にいる玉藻御前の末裔たちを護り、監督している事は私たちも知っています。林崎女士に源吾郎君、そういう事よね?」
「はい。玉面公主様の仰る通りです」
玉面公主の問いに対し、よどみなく応じたのはミツコだった。源吾郎は少しばかり思案してしまっていたので、返答できずにいたのだ。若菜はあくまでも玉藻御前の末裔を名乗る妖狐をまとめ上げる役を担っており、それに叔父たちや源吾郎が交流を行っている訳だから……という風にあれこれ考えていたのである。
その間にも、ミツコは更に声を上げた。
「玉面公主様。一つだけお話があります。
あなた方の妹であり、島崎の祖母に当たる白銀御前様ですが、あのお方は完全に子孫たちの事を放任している訳でもありません」
ミツコの言葉はここで一旦途切れた。思わせぶりな様子で源吾郎に視線を向け、それから意を決した様子で言葉を続ける。
「私も若菜様から直接聞かされたのですが、先日の裏初午におきましても、島崎の事をそれとなく監視するように白銀御前様から依頼されていたようです。
いえ、監視だけではありません。島崎の挙動に不審な点があったり、不穏分子や危険分子であると判断した場合は、
然るべき処分を行う。実の祖母が密かに若菜に対して依頼していた事柄を前に、源吾郎は僅かばかりの衝撃を受けていた。処分というのが、秘密裏の暗殺であろうと源吾郎は思ってもいた。
それでも受けた衝撃が小さかったのは、祖母ならばそういう事を考えかねないと常々思っていたからだ。元より白銀御前は、邪悪な目論見を抱く夫の兄らと闘った過去もある。捕らえられた実の息子らの生命を奪わねばならぬ事もあったという位だ。手塩にかけて育てていた実子に較べれば、交流の少ない孫を亡き者にする事くらい、さほど心は痛まぬであろう。
更に言えば、源吾郎の母方の親族たちは、母も含めて源吾郎に何かと手厳しい所がある。そういう意味でも、祖母の抱く過激な考えには耐性があったのだ。
このように比較的呑気に考えていた源吾郎であったが、他の幹部の面々はそうでも無かった。状況によっては実の孫を暗殺せねばならない。その考えは、いかな妖怪であってもショッキングな物だったのだろう。それにもはや、源吾郎は今となっては紅藤の……雉鶏精一派の所属である。その源吾郎を害したとあらば、雉鶏精一派に喧嘩を売ったと解釈される恐れもあるのだ。
もっとも、実際には若菜にもその能力込みで源吾郎は認められ、のみならず将来有望であると評されただけに過ぎないのだが。
幹部たちの間で、にわかにああだこうだと意見が持ち上がる。当事者たる源吾郎は、ただただ身を縮めて話に耳を傾けるのがやっとだった。
玉面公主はしばしの間無言だったが、ふと何かを思い出したという表情を浮かべつつ口を開いた。
「いかにも妹妹《いもうと》らしい考えだと私は思いましたね。でも、確かに親族間での争いごとは避けられないし、他妖《たにん》同士での争い以上にドロドロしたものになる事は変わりないね。私の丈夫《だんな》も、色々あって盟弟《おとうと》と相争って、色々大事になってしまいましたからね」
牛魔王と孫悟空が相争った時の事の話だな。物憂げな表情を見せる玉面公主を見つめながら、源吾郎は即座にそう思った。源吾郎は、若いながらも西遊記や封神演義――流石に原典ではなく日本語に訳された、それも書店や図書館で入手できるものであるが――を何度も通読した事もある。従って、玉面公主が何の話をしているのか、すぐにピンときた。
お調子者で無駄にプライドが高いと思われがちな源吾郎であるが、おのれの能力を高めるための努力は惜しまぬ男である。妖怪の事や先祖の事を知るために、これまでに様々な書籍に目を通し、知識として蓄えていたのだ。
「――もちろん、親族間の争いはあなたたちにも無関係じゃあありません。特に雉鶏精一派は、一族や血統で組織を繋ごうとしている。表向きは上手くいっているように見えても、油断していたら足許をすくわれるね。実際に、
「玉面公主様、今、あなたは何と仰ったのでしょうか!」
玉面公主の最後の言葉に、灰高が思わず甲高い声を上げた。鴉の癖にその顔は赤らみ、興奮の色をありありと呈していた。
だが、灰高の立場で考えてみれば、玉面公主の言葉を冷静に受け流すのは難しい事であろう。あいつと結託しようと考えているメンドリ。言葉自体は簡素でやや粗雑ではあるが、雉鶏精一派に裏切り者がいる事、そしてそいつは鳥妖怪の女性であろう事を示しているのだから。
興奮冷めやらぬ灰高に対し、玉面公主は冷静な眼差しで見つめ返す。取り澄ましながらも、彼女の唇は確かに動いた。
冬場と言えどもまだまだ日は高い。それにそもそも妖怪は夜になる事を恐れない。源吾郎の権能の話には未だ至らずとも、しかしそこに至る前に活発な議論が、議論とも言えぬような言葉のぶつかり合いが勃発したのである。