九尾の末裔なので最強を目指します   作:斑田猫蔵

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妖怪たちのバレンタイン――夜空の下に二狐は集う

 夜。終業時間が来るや否やタイムカードを押した源吾郎は、そのまま研究センターの面々に簡単な挨拶を行い、颯爽と職場を後にした。その足取りには未練など何もなく、むしろ軽やかな物だった。もちろん、源吾郎も浮足立っている事を悟られぬように用心してはいたのだが。

 こうして源吾郎がさっさと仕事を切り上げたのは、米田さんと会う約束を結んでいたからに他ならない。源吾郎に会ってバレンタインのプレゼントを渡すため()()に、彼女は車を飛ばして尼崎からこの吉崎町に来てくれるのだ。姫路に向かうよりは近いと米田さんは言ってくれるが、それでも移動だけで一時間から一時間半もかかる。

 米田さんは心底俺に会いたがっているのだ。控えめながらも確かな米田さんの情愛の念を、源吾郎はそうした事だけでも感じ取っていた。米田さんの方には仕事が無く、休日である事を加味しても、だ。

 もっと言えば、源吾郎もバレンタインプレゼントの件について、幾つか米田さんに案を提示していた。今や別宅となっているアパートの方に郵送してもらっても良い、仕事を終えたら源吾郎が尼崎に向かうなどである。

 米田さんはしかし、そうした案を聞いたうえで、自分が吉崎町に向かうという選択肢を選んだのだ。源吾郎としては申し訳ない思いでいっぱいだったのだが、当の米田さんに「島崎君にも色々と無理させたくないの。お仕事も頑張っているんですから」と言われてしまい、ただただ頷くほかなかった。

 源吾郎があれこれと米田さんに気を配り心を砕く以上に、米田さんも源吾郎の事を思っているのを知っているからだ。その思いが恋人に向けるそれというよりも年少の弟に対する物に似ているのも、まぁ致し方ない事だった。実年齢的にも精神年齢的にも源吾郎の方が年下だからだ。しかも米田さんは姉らしい振る舞いや言動を得意とする――それは米田さん自身が意識していない面もあるのだが――ので、尚更二人の関係は姉弟のようなものになりがちだった。源吾郎自身は純然たる末っ子であるし。

 いずれにせよ、源吾郎はいそいそと居住区に戻っていったのだ。

 普段とは異なりさっさと仕事を切り上げる源吾郎の姿に、紅藤や萩尾丸たちが何も言わなかったのも嬉しかった。公私を完全に切り分けている訳では無いが、流石に大人妖怪たちに「バレンタインのデートだから定時で帰ります」などと説明するのは恥ずかしかったからだ。事情を知っている雪羽も、そうした意図を汲み取ってくれたようで、ごくごく普通に源吾郎が去って行くのを眺めていただけであるし。

 

 六時二十分。源吾郎は山茶花のヘアアクセサリーの入った紙袋を片手に提げながら、待ち合わせの場所に出向いていた。研究センターのすぐ傍には公園とも小さな緑地ともつかないスペースがあり、そこを待ち合わせ場所にしていたのだ。

 源吾郎は私服姿であったが、もちろん彼なりに洒落た服装でキメていた。濃紺のジャケットに黒いズボンで合わせ、襟元は臙脂色の薄くて短いマフラーで首許を覆っていた。ほとんどスカーフと変わらないような代物であるが、わざわざそのマフラーを選んだのは、ループタイを首に巻いていたからだった。青白く柔らかな玉石が中央に嵌め込まれたそれは、中央に龍の彫刻が施されていた。

 黒や紺と言った濃い色合いの服装を身にまとっているのは、ずんぐりとした体躯を少しでも痩せているように見せるためである。そのままだとやや地味なので、スカーフを巻き首からループタイを無造作に吊るし、カジュアルな洒落っ気を演出していたのだ。彼女である米田さんがお洒落を好む性質なので、自分も洒落た姿で出迎えよう。そんな風に源吾郎は考えていたのだ。

 ちなみにこのループタイ、値段自体は廉価であるものの、単なる安物ではなかった。何せ――ギャラリーにて購入した一点ものなのだから。末の兄が珍しく懇意にしている造形作家の若者が、このループタイの飾り部分の彫刻を行っていた。そうした経緯を知っていたから、源吾郎は市販のアクセサリーよりも値打ちがあると思っていたのだ。

 彼自身、実の所芸術家の作った物に高い価値を置いている事をおかしく思いもした。芸術は所詮おのれの技能を高めるための道具に過ぎず、それに血道を上げるのは愚かな暇人か、現実を見据えられない軟弱者のやる事だ。心の中では常々そう思っている筈だった。

 いずれにせよ、源吾郎もまた彼なりに身なりに気を付けてお洒落をして、そうした上で米田さんがやって来るのを待っていたのだ。

 

 寒風吹きすさぶ中、米田さんがとうとう姿を現した。立春を過ぎてもなお冷たい冬の風をマトモに浴びつつも、米田さんは涼しい顔で歩を進めている。冬物のロングコートを身にまとい、首許を毛皮のマフラー――毛皮はかつて自分で仕留めたウサギやイタチを用いているらしい――にて覆っており、防寒対策はしっかりと行っているからだろう。そもそもからして米田さんは生粋の妖狐である。半妖で人間の血も混ざっている源吾郎よりも寒さに強いのは明らかな話でもあろう。

 

「米田さん!」

 

 気が付けば、源吾郎は声を上げて米田さんの方に駆け寄っていた。近付いて来る彼女をその場で待っていても良かったのだが、すぐにでも彼女の傍に近付きたいという欲求が勝ってしまったのである。

 駆け寄ってきた源吾郎に気付き、米田さんが一旦歩を止める。彼女もまた、源吾郎と同じように紙袋を提げていた。

 彼女の顔に視線を向ける。さも当然のように、米田さんは源吾郎を見つめていた。驚きの色はない。普段通りに彼女は冷静で、そして穏やかな表情を浮かべていた。のみならず、源吾郎の見ている前でその面に笑みが浮かんだのだ。

 

「お待たせ島崎君。もしかして、少し待たせてしまったかしら?」

 

 滅相もありません! やや申し訳なさそうな米田さんの言葉に、源吾郎は元気よく応じた。

 

「だ、大丈夫ですよ米田さん。僕もついさっきここに来たばかりですから。それに、ここから僕の家まで歩いて数分の所ですからね」

 

 説明しながら、源吾郎は半身をひねって斜め後ろを見やる。源吾郎が研究センターの居住区に暮らしている事は米田さんも知っている事だ。源吾郎がその事も、前もって伝えていたためである。

 それよりも。前を向いた源吾郎は、両手の指先を腹の辺りで合わせつつ言葉を続ける。

 

「米田さんの方こそ大変ではありませんでしたか。お車で来られたと言えども、ここから尼崎までは遠いではありませんか。しかももう夜ですし」

「そこは大丈夫よ、島崎君」

 

 源吾郎の言葉に、米田さんはにこりと微笑んだ。

 

「電車とかバスでの移動でって考えると、確かに吉崎町とか山間の街に行くのはちょっと大変かなって思うかもしれないわ。だけど、車だったら何処でも道があるから、そんなに大変でもないのよ。場合によっては高速道路も使えるからね」

 

 日本列島にある車道を全てまっすぐ繋げると、地球をゆうに何周もめぐる事が出来るというではないか……過去に見聞きした豆知識を思い出しながら、源吾郎は頷いていた。

 

「それにね、夜と言ってもまだ七時前なのよ。冬場で暗くなるのが早いから、遅く感じてしまうだけであって、時間的にはまだまだ早い位だわ」

「言われててみればそうでしたね」

 

 外は暗いがあくまでも冬場であるからにほかならず、時間的には夜はまだ浅い。米田さんの言葉に、源吾郎は半ば食い気味に頷いていた。

 夜の七時程度を遅い時間だと思っているのは、いかにも子供らしくて恥ずかしい事だと思い始めてもいた。

 だが、そんな源吾郎の心中は米田さんにはお見通しだったのだろう。彼女は柔らかな笑みを浮かべながら言葉を続けた。

 

「うふふ。島崎君も少し前までは学生さんだったから、外が暗くなるとどうしても夜も遅くなっているって思っちゃうのかもしれないわね。高校生とかでも、夜間は出歩いたらいけないって言われているみたいだし」

「ええ、ええ。全くもってその通りですね」

 

 米田さんの言葉に、源吾郎は頷いていた。妖狐の血を引く源吾郎であるが、夜行性という特性は受け継いではいない。ある程度夜が深まれば寝に入り、朝になれば目を覚ます。源吾郎の生活サイクルは人間的な物だった。

 

「あはは。僕も実家にいた頃は、両親やら兄姉たちやらが僕の生活や挙動に目を光らせていましたからね……夜中に出歩くなんて事は思いつきもしませんでしたよ。そんな事をしでかしたら、きっと宗一郎兄様に、いえ長兄に油を絞られるだろうなって事はイメージしていたのですが」

 

 そこまで言うと、源吾郎はハッとした表情で米田さんを見つめ返した。油断して、またしても自分の事を話しこんでしまったではないか、と。

 相変わらずにこやかな笑みを浮かべる米田さんに対し、源吾郎は咳払いしつつ居住まいを正した。彼女は源吾郎の世間話を聞くために来た訳ではない。プレゼントを届けに、そしてバレンタインのあの雰囲気を楽しむために来てくれたのではないか。そんな風におのれに言い聞かせたのだ。

 

「すみません米田さん。またまた世間話というか自分語りが過ぎてしまいましたね。ともあれ僕は大丈夫ですよ。色々と準備は整っていますので」

 

 それなら良かったわ。そう言う米田さんの笑みが深まったのを源吾郎は見た。

 

「島崎君も、先週に引き続き今週も色々と大変そうだったけれど……元気そうで何よりだわ」

「……!」

 

 意味深な米田さんの言葉に、源吾郎は丸く目を見開いた。こんな時ですら、米田さんは源吾郎のトンチキな言動ではなく、源吾郎が元気になったかどうかを見ていてくれたのだ。その事を思うと嬉しい反面、胸の奥がきゅっと痛むような感覚を抱いてしまう。

 そしてそうこうしているうちに、米田さんが提げていた紙袋を持ち上げ、源吾郎の方に差し出した。心が揺らいでいるためなのか、その動きはひどくゆっくりとしたものに見えたのだった。

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