金曜日の夜。仕事が終わった後には宣言通りささやかな打ち上げが開催される事と相成った。メンバーは萩尾丸の部下である妖怪数十名――ほとんどが妖狐なのだが、中には妖狐ではない妖怪も混じっているらしい――に引率および幹事役として萩尾丸、そして源吾郎と雪羽、更には萩尾丸と面識のある妖狐たち数名という物だった。
開催時間は夜の七時、会場は港町西部の妖怪向け飲食店だった。時間帯と言い会場と言い、仕事終わりの宴会である事は明らかだった。参加者の殆どは、一旦家に戻ってから会場に向かうのだろう。萩尾丸が運営する職場は港町に拠点を置いており、その近辺で暮らす妖怪たちが多いという。やや遠方に住む者でも、通勤には電車やバスを使うという話だった。要するに、山間の吉崎町と異なり交通のアクセスが良いのだ。
吉崎町の研究センターに勤務する源吾郎は、雪羽と共に萩尾丸の車で送ってもらう事となっていた。時折転移術を使う萩尾丸であるが、あれはあくまでも緊急の移動方法であり、そう易々と使う物でも無いらしい。源吾郎としても、車で送ってもらう方が気が楽だった。全く緊張しないかと言われれば嘘になってしまうけれど。
「島崎君も雷園寺君も控えめだねぇ。二人とも、わざわざ後部座席を選ぶなんて。三人だけだし座席も空いているから、助手席に来ても良かったんだけどね」
バックミラー越しに後ろの様子をちらちらと窺いながら萩尾丸は言った。もちろんその顔には笑みが浮かんでいる。源吾郎と雪羽は、この言葉に黙って微笑むほかなかった。遠慮している訳では無く、後部座席を選んだのは自分たちの意志によるものだからだ。というよりも、何故源吾郎たちが率先して助手席に座りたがると萩尾丸が思っているのか。その辺りが気になる所でもある。
「僕たち、言うて新入社員と研修生ですよ。大先輩である萩尾丸先輩の隣なんて、畏れ多いですもん」
無言というのもなんなので、一応それらしい事を言っておいた。さしもの萩尾丸も、源吾郎のリップサービスを大げさだとか不自然だとは思わなかったらしい。彼の忍び笑いの気配と音を、源吾郎はしっかりと感じ取っていた。
その隣では、雪羽がハッとした表情で源吾郎を見つめていた。
すぐに正面に向き直った雪羽は、頬を少し火照らせながら口を開いた。
「そうっすよ萩尾丸さん。それに、お狐様たちだけの打ち上げに、雷獣の俺も参加して良いって仰ってくださっただけでも、とってもありがたい事なんすから!」
この度、雪羽は打ち上げに参加する事となったのだが、その裏に萩尾丸の許可があった事は言うまでもない。源吾郎は二人のやり取りについて詳しくは知らない。しかし萩尾丸は雪羽の申し出に二つ返事で快諾したという話は聞いた気がする。
ともあれ、後方からの雪羽の言葉に、萩尾丸は声を上げて笑っていた。
「ははは。ありがたい事だなんてちと大げさだなぁ。雷園寺君の言葉通り、今回の打ち上げは玉藻御前の末裔を名乗る妖狐たちの為の物ではあるよ。裏初午への参加を労うのが目的だからね。
しかし、僕の部下たちは妖狐だけでは無いんだ。だからまぁ……そう言った所で差別を行ってしまうと、後々コンプライアンス的にややこしい問題が発生してしまうんだよ。それに妖狐だけの打ち上げと限定してしまえば、雷獣である雷園寺君だけではなく、僕や島崎君であっても参加できなくなってしまうからね。それはマズいだろう」
「マズいですねそれは」
萩尾丸の最後の一言に驚きの声を上げていた雪羽であるが、源吾郎はその通りだと納得してしまっていた。自他ともに妖狐であると見做されている源吾郎であるが、実際には半妖、それも人間の血が濃い存在なのだ。しかも法的には人間だったりするので、純粋な妖狐と言い切るのは尚更難しい。
結局のところ、萩尾丸の配下で妖狐ではない妖怪たちについては、今回の打ち上げは任意参加にしているという話だった。妖狐とは無関係の妖怪を強制参加させるのもおかしな話だし、そもそも打ち上げに興味が薄い若妖怪とているのだから。
だからこそ、雪羽が今回の打ち上げに参加する事についても、萩尾丸はすんなりと受け入れたのだろう。
そのように源吾郎は考えていたのだが、萩尾丸の次なる発言は思いがけぬものだった。
「むしろ僕としては、雷園寺君の意向がどうであれ、今回の打ち上げには参加させるつもりだったんだけどね」
源吾郎と雪羽は、互いに目配せしついで顔を見合わせた。萩尾丸の言動に、若干の不穏さを感じ取ってしまったからである。
「雷園寺君も、紅藤様率いる研究センターの面々には十分馴染めたみたいだから、そろそろ僕の部下たちとも顔合わせをしておこうと思っているんだ。そのためにも、今回の打ち上げの場は丁度良いかと思ってね」
そう言う意図だったのか。先程感じた不穏さとは打って変わり、割合マトモな言葉に源吾郎は納得し安堵していた。
そんな状況と心境を知ってか知らずか、萩尾丸は軽い調子で言葉を重ねる。
「だから雷園寺君には、今回の打ち上げでは極力僕の部下たちと交流を深めてほしいんだ。簡単に言えば、打ち上げの時は島崎君の所にくっつかないようにって事だよ。あぁでも安心したまえ。あくまでもこれは努力目標であって、強制ではないからね。どうしてもしんどかったら無理しなくても良いし、島崎君の叔父上殿たちもお見えになっているからさ」
萩尾丸の言葉に、源吾郎と雪羽はまたしても顔を見合わせた。自由で無礼講であるはずの打ち上げで、まさかそのような制限を課せられてしまうとは! パワハラやんか……と源吾郎が思ったのも束の間、努力目標であって強制ではないと萩尾丸の方から自ら予防線を張ったのだ。この言葉が無ければ迷いなく紅藤辺りにパワハラ案件として訴えようと思っていたのだが……やはり大天狗だけあって抜け目ない。
妙な所で萩尾丸の恐ろしさにおののいていると、笑い交じりに萩尾丸は言葉を続けた。
「いいかい雷園寺君。君は紅藤様の職権乱用……もとい気まぐれな妖材《じんざい》確保によって、研究センターの所属になったよね。だけどね、君が僕の管轄にある事には変わりは無いんだよ。だから僕の部下たちは君の同僚と言えるんだ。働いている場所が比較的近いのに、同僚同士で顔合わせしないのは不自然だろう」
説明を聞いた雪羽の顔に、僅かに納得の色が浮かぶ。源吾郎などは成程その通りだとほぼほぼ納得していたが、その辺は考え方の違いによるものだろう。
「実を言えば、雷園寺君は僕が予想していたよりもうんと短い期間で研究センターに馴染む事が出来たんだ。のみならず、期待の新妖《しんじん》たる島崎君の競争意欲や闘争心を良い感じに刺激してくれるだけではなく、互いに親交を深めている事もね。そこについては嬉しい誤算だよ」
穏やかな萩尾丸の言葉に、雪羽の白い顔には緩んだような笑みが早くも浮き上がる。ダメ押しとばかりに「やはり君も、代々続く貴族の御曹司だから、賢くて優秀なんだね」などと言われたのだから。
源吾郎はしかし、神妙な面持ちでそれらを眺めているだけだった。何せ相手は萩尾丸だ。ただ褒めるだけ、それもこんな褒め殺しで終わる訳がない。そう思っていたからだ。
だけどね。案の定、萩尾丸は冷徹な声音で言葉を続けた。
「研究センターの面々に馴染み、同年代である島崎君と仲良くなれたからと言って、それで社会妖《しゃかいじん》として一人前、という話にはならないんだよ。むしろ――ここでようやくスタートラインに立ったという
源吾郎の想定通り、萩尾丸の口から飛び出したのは何とも辛辣な言葉だった。当の萩尾丸が、にやにやと笑っているであろう事は、顔を見ずとも明らかだ。
「そもそもね、研究センターの環境に馴染めたからと言って、社会妖《しゃかいじん》としてのスキルを習得したなんて言えないんだよ。あすこはごく少数の社員で運営しているし、僕以外にマトモな感性の持ち主なんていないんだからね」
「ちょっと萩尾丸先輩。その言い方ですと、研究センターの皆さんが……紅藤様たちがマトモじゃあないと仰っている事になりませんか?」
たまりかねて源吾郎は声を上げた。萩尾丸が口さがない部分がある事は知っている。しかし、上司であり師範でもある紅藤の事まであれこれ言うのはあんまりだと思ったのだ。
「逆に聞くが島崎君。いつから紅藤様がマトモなお方だと錯覚したんだい?」
質問に質問で返され、源吾郎は口ごもってしまった。その間に、萩尾丸はハンドルを握ったまま言葉を続ける。
「なに、紅藤様や君たちを貶めたくてマトモではないと言っている訳では無いんだよ。これはあくまでも一般論の一種さ。と言うよりも、マトモな感性の持ち主では研究職は荷が重いだろうね。何せ新しい事を生み出したり考えだしたりするんだからさ。マトモに常識に縛られていたら、そんな事は難しいんだよ。島崎君だって就職して一年も経っていないけれど、僕の言いたい事は解るだろう」
萩尾丸に呼びかけられ、源吾郎は小声で頷いた。そう言う意味でマトモではないというのであれば、まぁそういう事なのだろうと解ってしまったからだ。
実を言えば、他の研究職の面々ではなく、芸術家である末の兄を思い浮かべて納得したようなものだが。新しい物を生み出す・常識に縛られないという意味では芸術家も似たようなものだからだ。
「マトモとかマトモじゃないという表現はちと不適切だったかもしれないね。ともあれ、雷園寺君も普段の仕事を真面目にこなして、日々の暮らしもお行儀よく過ごせるようになっているから、普通の範疇に入りそうな妖怪たちとの交流も少しずつ行っていかないといけないと思ったんだ」
萩尾丸はそこまで言うと、思わせぶりに言葉を切った。それからバックミラー越しに雪羽たちを見やり、再び口を開いた。
「雷園寺君は今や雷園寺家の次期当主候補だし、そうでなくとも雉鶏精一派では要職に就く事を狙っているんだろう。であれば、若いうちから普通の妖怪たちとも交流し、彼らを正しく率いていく事も考えていかねばならないよ。僕の言っている事は解るよね」
「はい。めっちゃ解ります」
雪羽は食い気味に、元気よく頷いたのだ。雷園寺家の次期当主になる事に執着しているがゆえに、そうした事をちらつかせると雪羽はこんな態度を見せるのだ。
その後の会話は特に不穏な物でも何でもなかった。雪羽がこの頃工場棟で雑務を担うようになったのも、他の若妖怪との交流を目的としている節があるだとか、源吾郎は存外社交性が高いから、若妖怪との交流についてはそれほど心配していないだとか、おおよそそんなものである。
そうした話を聞いたり、適宜発言したりしているうちに、三人を乗せた車は目的地に到着したのだった。