またしても思案に暮れていた源吾郎であったが、今回はそれほど長い間思考の海に沈んでいる訳でも無かった。それはきっと、大なり小なり自分の事について言及されていたからだったのかもしれない。
具体的に言えば、源吾郎は苅藻の放った言葉の一部に、若干の苛立ちを感じていたのだ――妖狐として生まれながらも、人間として育てられたというくだりに対して。
叔父上。気付けば源吾郎はドロリとした声で苅藻に呼びかけていた。若干おどろしく聞こえるその声には、もちろん多少の怒気を籠めながら。
「先程俺の事を人間として育てられたと言いましたけれど、他人事みたいに言わないでくれませんか? 叔父上はむしろ
そう言って、源吾郎は苅藻をねめ上げていた。源吾郎が妖怪として生きる事を決意したのは、実の所親族たちの態度も関与していたのではないか。そんな風に源吾郎は思ったのだ。すなわち、半妖であり妖狐寄りであるはずの源吾郎を人間として育てようとした事、それに付随する抑圧こそが、源吾郎を却って妖怪として生きる事を決意させた要因にもなったのだ、と。
責任転嫁と言われればそれまでかもしれない。しかし、人間社会でも抑圧ゆえに道を踏み外す若者がいるというではないか。
「半妖の子供を、両親や親族が人間として育てるのは、実はそんなに珍しい事では無いんだぞ」
苅藻は源吾郎の言葉と視線を受け止め、事もなげにそう言った。
半妖は人間として育てられ、人間として生涯を終える者も多い。それ故に妖怪としての半妖は、実在の数よりも個体数が少ないと見做される。半妖の暮らしと生涯に関する知識については、源吾郎も自分事では無いにしろ知ってはいる。現に兄姉たちは、玉藻御前の曾孫であるはずの彼らは、人間として育てられその事に適応しているではないか。
「ましてや源吾郎たちの場合は、妖狐の血が四分の一まで薄まっちまってるからな。普通の半妖ならば、それくらいの血の濃さになれば、ほとんど人間と変わらなくなってしまうはずなんだ。
俺たちや源吾郎は殆ど妖狐に近いけれど、それはあくまでも例外なんだぞ。何せご先祖様が玉藻御前で、強大な力を持つ大妖怪だったんだからな。人間の血をもってしても、その妖力は薄まらなかったのさ」
苅藻の言葉に、源吾郎はただ頷くだけだった。やはり心中は納得する所と腑に落ちぬ所とが半々ずつあったためだ。納得した部分は、やはり玉藻御前の末裔であるがために、半妖らしからぬ強大な力を保有しているという点だ。そして腑に落ちない所は、玉藻御前が先祖にいる事を、他ならぬ苅藻が疎んでいるような気配を見せた事だった。
「それに三花姉さんは、自分の子供たちには平穏に暮らして欲しいと願っていたんだ。姉さんの末息子である源吾郎だって、その事は知ってるだろう。いや、知らないとは言わせんぞ」
飄々と語っていた苅藻の雰囲気が一変する。その言葉は熱を帯び、源吾郎を見下ろす眼差しも、野生の獣のように鋭い。
そんな態度の苅藻を前に、源吾郎は頷いた。もっとも、獰猛な気配の叔父におののいた訳では無いのだけれど。
「それ位知ってるさ。母上は、兄上たちや俺が人間として育つように、何かと心を砕いていたんだからさ。とはいえ……それでも俺に関しては、いずれは妖怪化するって事は解っていたみたいだけどね。俺を産み落とす前からさ」
「いずれ末息子が妖怪化するって事が解っている事と、実の子を人間として育てたいと願う事は別問題だぞ」
はすっぱな源吾郎の物言いに、苅藻はすぐに応じてくれた。その声には、若干の呆れの色も滲み出てはいたけれど。
苅藻の表情の揺らぎを感じ取ったのだろう。いちかの不安げな、何か言いたげな視線は、苅藻と源吾郎の間を何度も往復していた。
しかしいちかが何か言い出す前に、苅藻の方が先に言葉を紡ぎ始めていたのだ。
「……ましてや三花姉さんは、玉藻御前の血を引く子孫たちが、邪悪な目的のために利用されるという事を俺たち以上によく思い知っているんだ。それならばなおの事、自分の子供らを人間として育て上げたいと思うのは当然の事だと思わんか?」
淡々とした、しかし重苦しい苅藻の言葉に、源吾郎はただ頭を垂れるだけだった。玉藻御前の血を引く者たちを邪悪な目的のために利用しようとした輩がいた事、母方の祖父母も母も叔父たちもそうした連中と血みどろの戦いを繰り広げた事も源吾郎は知っていた。
末の叔父たる苅藻やその妹であるいちかが誕生した頃には、そうした争いも過去のものになっていた。それでも、母や年長の叔父たちは昔日の争いの事を知っている。だからこそ、母は仔を設けつつも人間として育て、上の叔父二人はそれぞれ僧侶や神職となって慎ましく暮らしているのだろう。
源吾郎。苅藻は落ち着いた口調で呼びかけていた。
「お前だって玉藻御前の血筋という物が、良くも悪くも利用されうるものである事は、嫌というほど知っているはずだ。そしてもはや、お前は平穏な暮らしに戻れない事も解っているはずだ。たとえ雉仙女様や萩尾丸様の庇護があったとしても、な」
苅藻はここで一度言葉を切り、わざとらしいまでにゆっくりと瞬きを繰り返した。その後に源吾郎を見下ろしていたのだが、その眼差しは今まで以上に鋭く険しかった。
「――そして米田ちゃんと交際するという事は、お前が被っているであろう諸々の出来事が、米田ちゃんに
「ああ……ううん……」
源吾郎の喉から出てきたのは、返事とも言えぬただの嘆息だった。
自分と交際する事によって、おのれの身に降りかかるであろう厄介事が米田さんにも憑き纏う事になる。実を言えば、似たような事は雪羽にも言われた事がある。
しかしそれでも、叔父からもたらされた言葉に、源吾郎は今一度衝撃を受けていた。それはもしかしたら、友達に過ぎない雷獣少年と、親族たる叔父という関係性の違いも大きいのかもしれないが。
「ちょっと苅藻兄さん。いくら源吾郎と玲香ちゃんのこれからが気になるからって、一度にあれこれ言い過ぎよ」
ここまでほぼ無言を貫いていたいちかが、見かねた様子で口を挟んだ。源吾郎に向ける彼女の眼差しには、珍しく気遣いと不安げな色が滲んでいるではないか。
「玲香ちゃんだって、私らの一族が、玉藻御前の本当の末裔たちが、色々な厄介事を抱えているって事は彼女なりに十分に知っているはずよ。それに玲香ちゃんだって、源吾郎と付き合ってすぐに結婚しようなんて考えてはいないわよ。むしろ彼女の方が、交際を進める事に慎重なんだし……」
「いちか。お前も色々と思う所はあるだろうが、口を挟むのはそれくらいにしておくんだな」
話が一段落したのを見計らい、苅藻はいちかに向かって言い放った。突き放すような冷ややかで決然とした物言いに、源吾郎だけではなくいちかもまた当惑と驚きの色を隠せなかった。
「俺は今、源吾郎に対して話しているんだぞ。米田ちゃんがどう思っているかについては
諭すようなニュアンスを含みつついちかに告げると、苅藻は今再び源吾郎に向き直った。
「いいか源吾郎。誰かを愛するという事はきちんとした責務であり……
源吾郎は瞠目したまま、ただただ苅藻の顔を凝視していた。愛する事は責務であり、呪いでもある。叔父である苅藻から、そんな重たい言葉が飛び出してくるとは夢にも思っていなかったのだ。飄々としていて、人を喰ったような言動が大好きな遊び妖。源吾郎の抱く叔父のイメージというのは、大体そのようなものだったからだ。
ともあれ、話を聞いているのだという事を叔父に伝えなくては。我に返った源吾郎はとっさにそう思ったが、その間にも苅藻は言葉を続けていた。
「とりあえず、始まった恋や生れ落ちてしまった愛は、必ず全うせねばならないんだ。そして愛を全うさせるというのは、何も結婚して、夫婦になるという事と同義ではない。一緒になっても幸せになれないと解ったら、その段階で相手と別れる。それもまた、愛を全うさせる方法の
「…………」
相手の幸せを願い、敢えて別れる事もまた愛の形である。確かにその話は、源吾郎には難しい話ではあった。実際問題、米田さんと別れる未来など、思い浮かべる事が出来なかったのだから。
だがそれでも、あり得ない事だとか難しい事だと一蹴する事は無かった。もしかしたら、苅藻の叔父上がずっと独身で、遊び妖めいているのに恋人の影が無いのは――何処か物悲しげな苅藻の姿を前に、源吾郎の心中でそんな疑問や推論が脳裏を駆け巡っていたのである。