参之宮から梅田までの道中については、特筆すべき出来事は起きなかった。普通に私鉄の直通特急に乗り込み、二十五分ほどで梅田に到着したのだから。
なお、美人妖狐な米田さんと平凡極まりない容貌の源吾郎という組み合わせであったが、源吾郎たちは通行人に注目される事は無かった。おのれと米田さんを見比べた上で「何故あんな冴えない青年が、美人さんと親しくくっ付いているのか」と道行く人に思われるのではないか。源吾郎は心の中で、そんな事を懸念したり少し期待していたりしたのだ。
そんな源吾郎の隣で、米田さんはごくごく自然体に振舞ってくれた。
それが源吾郎には頼もしくもあり、そして少し気恥ずかしくもあった。気恥ずかしいのは、自分が浮かれたりあれこれ気を回している事をまざまざと感じてしまったからである。
「これが噂の梅田ダンジョンってやつですね」
「そうね。何か梅田の地下街って込み入ってるから、いつの間にかそう呼ばれちゃってるのよ。まぁ、私は梅田の地下街も結構ぶらつくから、どの道が何処に繋がっているのかは、おおよそ覚えているんだけどね」
看板や案内図をそれとなく確認する米田さんに対し、源吾郎は憧れと尊敬の眼差しを思わず送っていた。
しかし少ししてから、冷静な気持ちが舞い戻り、多少の興奮は静まってしまった。米田さんは尼崎に居を構えており、それ故に大阪の土地勘も強いではないか、と。特に尼崎は大阪駅からほど近い所なので、梅田ダンジョンも大阪駅周辺についても詳しくても何らおかしくなかろう。
それは丁度、源吾郎が白鷺城に通じる商店街のアレコレを、裏も表も知り尽くしているのとほぼ同じ事なのかもしれない、と。
もしかして。米田さんが源吾郎の顔を覗き込み、静かに言葉を紡ぎ始めた。
「地下を歩くよりも、島崎君は地上を歩く方が良いのかしら。そりゃあもちろん、ずっと地下街ばかり歩くつもりじゃあないわ。だけど、地上よりも地下街の方が歩きやすいかなって思ったの。ほら、梅田駅とか大阪駅のど真ん中って、車道とか信号とか多いから」
「まぁ確かに、地図を見る感じだとそうですよね」
駅前でちらとみた地図を思い出しながら、源吾郎も頷く。大阪ゆえに建物も多いのだが、それ以上に道路が四方八方に伸びているのが印象的だった。もしかすると、白鷺城の城下町で生まれ育ったから、尚更そう思うのかもしれない。
「車の数も多いし、交通事故に巻き込まれたら、私たちでもひとたまりはありませんもの」
「交通事故の事まで考えてらっしゃるんですか」
思案顔でおのれの考えを告げる米田さんに対し、源吾郎はまず驚きの声を上げてしまった。そしてしまったと思い直し、神妙な面持ちで再び口を開く。
「ああ、すみません米田さん。米田さんは車の運転もなさっているので、そう言う事も心配なさっているというのが少し意外に思ってしまったんです」
「良いのよ良いのよ。私もね、
島崎君。米田さんは笑みを浮かべ、しかし瞳の奥に真剣な光を宿しながら、改めて源吾郎に声をかけた。
「私と島崎君とでは、どうしても考える事や思う事が違っているのは仕方ない事だと思うの。だからね、島崎君も私の言った事で、違和感があったり気になったりした事が会ったら、さっきみたいに気にせず口にしてもらって構わないのよ。
――ほら、島崎君って今まで、私の言う事はずっと『はい』って言ってたでしょう。恋人同士だから、そんな風に気を遣わせるのも悪いなぁって思って、ね」
「いやその、別に僕は……」
思いがけぬ米田さんの言葉に、源吾郎は目を白黒させてしまった。
確かにこれまでの言動を思い起こせば、源吾郎は米田さんに同意の意を示す事がほとんどだったような気もする。だからと言って、米田さんに対してイエスマンになったつもりは無かった。源吾郎としては、米田さんの意見に同意できる部分も大いにあったからだ。そうでなくとも、年長者の意見には耳を傾け、受け入れるべきという考えが、幼いころから彼の心の中にはあった訳だし。
もちろん、恋人の言葉に共感し、同意を示す事が良い事であるという考えもあるにはあった。もしかしたら、いつだったか鳥園寺さんが口にしていた「彼氏と言えども彼女の意見に耳を傾けずに、自分の事ばかり考えるやつはクソなのよね。控えめに言って滅んでほしいわん」という言葉が、源吾郎の言動に影響をもたらしているのかもしれなかった。
友達や同僚とも異なる恋人とのやり取り。その難しさの一端を、源吾郎は感じ取ったような気がした。そしてこればかりは、雪羽や鳥園寺さんに相談してもどうにもならぬ案件であると、源吾郎はぼんやりと思っていた。
取り敢えず。源吾郎は米田さんを見つめ返して口を開いた。
「丁度良い所で地上に出れば良いのかなって僕は思います。ただ、僕も大阪は久しぶりですので、米田さんにご案内していただく形になりますが」
「そうよね。やっぱり地下街は地元民でも迷ってしまう事もたまにあるものね。ひとまずは私に任せて」
結局のところ、源吾郎は進む先を米田さんに委ねてしまった。
とはいえ米田さんも機嫌よく頷いてくれたので、そんなに悪い結果ではないのかもしれないけれど。
※
梅田ダンジョンの内部をしばしうろついたのち、源吾郎と米田さんは地上に出た。
源吾郎も解っていたが、梅田駅の近辺は長大な摩天楼が幾つも乱立していた。いかにも大都会にやって来たという気持ちになった源吾郎は、思わず高層ビル群を見上げていた。
「あんまり見上げていたら、立ち眩みとか貧血とか起こしちゃうわよ」
五秒ほど高層ビルを眺めていた所で、米田さんから声がかかった。笑い交じりのその声に、源吾郎も少し怒ったような表情を作ってみせた。もちろん、本気で怒っている訳などではない。
「やだなぁ米田さん。俺は見ての通り大の大人で、仔狐、じゃなくて子供なんかじゃあありませんよぅ。だからまぁ、別に立ち眩みとか起こしませんってば。低血圧でもありませんし」
「それなら良かったわ。時々、都会の気にあてられて、しんどくなっちゃう妖《ひと》とかもいるそうだから……」
源吾郎の、普段より若干荒っぽい言葉をものともせずに、米田さんは穏やかに笑うだけだった。しばし米田さんを見つめていた源吾郎は、気まずさと気恥ずかしさをにわかに感じ、口を開いた。
「まぁでも、大阪に来るのは久しぶりなので、ちょっと色々と気になりはしたんです。ご存じの通り、普段は山奥の田んぼばっかりの所で暮らしていますし。
これでも出身は姫路なので、田舎者では無いですよ。ただ、白鷺城周辺も栄えていましたが、あんまり高層ビルは無かった気がしましたので……」
言いながら、源吾郎は姫路界隈の情景を思い出していた。やはり抜きんでて目立つのは白鷺城そのものである。数百メートル先、あるいは一キロ先からであったとしても目立つほどの迫力と壮麗さが、白鷺城にはあったのだ。
「やっぱり姫路は城下町で、白鷺城は世界遺産ですもの。きっと街の景観を、白鷺城の見える景色を護るために、あんまり高いビルは作らないのかもしれないわ」
「ですよねぇ」
何故か大阪まで出向いたはずなのに姫路の話で妙に盛り上がったりした源吾郎と米田さんであったが、それでも互いに歩を進め、あれがあるだのこれがあるだのと会話が弾んだのだった。
会話の中で、興味を持つ物にそれぞれ違いがあったのも、中々に面白かった。
源吾郎が目に付くのはやはり街路樹や街中で暮らす野鳥の類などだった。小鳥などを見てやはり雀が多いなどと話し、椿の花が咲きかけているのを見て、やはり大阪は暖かいのだと呟いたりしたのだ。
一方の米田さんは、街頭で見かける店舗や人々の集まり、そして何やら妙な宣伝を行っている宣伝カーなどに目ざとく気付いていた。必ずしも源吾郎にそれらを報告したわけでは無い。だが彼女の視線を追ううちに、源吾郎も自然とそうした物に気付いたのだった。
「ふふふ、やっぱり都会だから、色々な活動とか宣伝をやろうと考えるヒトが多いのでしょうね」
「まぁ確かに、宣伝なら人が多い所の方が有利ですもんね」
ある宣伝を行う団体にちらと視線を向けた時、米田さんがそう言って微笑んだのだった。源吾郎に対して、あれでは無くて自分だけを見ていて欲しい。暗に米田さんにそう言われているような気さえしたのだった。
ちなみに件の団体は「救世主」やら「神は見ている」やら「終末」と言った文言が目立つのぼりをはためかせていた気がする。それほど珍しい物とも言えないが。
さてそんな風にブラブラと歩いていた源吾郎たちであったが、公園ともつかぬ小さな休憩スペースで、ひとまず小休止を挟んでいた。体力のある若妖怪と言えども、やはり歩いてばかりだと若干疲れもする。米田さんが言ったとおり、源吾郎も多少は街の気配に圧されている節もあるにはあるし。
「そろそろいい塩梅の時間になったし、ちょっと休んだらお茶でもしましょうか」
腕時計を確認しながら、源吾郎が提案した。米田さんは持参した水筒から水を一口ほど飲んでから頷いた。
「そうね。まだお昼には少し早いけれど、島崎君も喉が渇いちゃったみたいだもの」
(妖怪向けの)良い所なら、私も知ってるわ。案内するわね。次に米田さんがそう言うであろう事は、源吾郎もおおよそ予測がついていた。
しかし実際には、そうはならなかった。思いがけぬ人物を目の当たりにした事で、源吾郎の注意は米田さんからそちらに向けられたのだ。
もちろん米田さんも、源吾郎のそうした態度には目ざとく気付いていた。
「あれ、見覚えのある顔だと思ったら源吾郎じゃあないか。奇遇だな。日曜日と言えども大阪のど真ん中で出くわすとは……」
声の主は小さなショルダーバッグを斜めがけにした、長身痩躯の成人男性だった。眼鏡の奥にある切れ長の瞳には、驚きと親しみが入り混じっている。
そんな眼差しを前に、源吾郎は米田さんが傍にいる事も一瞬忘れ、驚きと戸惑いの混じった声で彼に話しかけていた。
「せ、誠二郎兄様。き、き、奇遇なんて物じゃあないよ。ど、どうして兄上も、大阪なんぞにいるのさ」
源吾郎の声は上ずり、たどたどしくもあった。大阪という遠方の地でのデートにて、まさか兄と出くわすなどと言う事は夢にも思っていなかったのだから。